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島津義弘公の教えに 【男の順序】なるものがある。 1.何かに挑戦し、成功した者 2.何かに挑戦し、失敗した者 3.自ら挑戦しなかったが、挑戦した人の手助けをした者 4.何もしなかった者 5.何もせず批判だけしている者

島津義弘公の教えに
【男の順序】なるものがある。
1.何かに挑戦し、成功した者
2.何かに挑戦し、失敗した者
3.自ら挑戦しなかったが、挑戦した人の手助けをした者
4.何もしなかった者
5.何もせず批判だけしている者


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知識は舌を支配するらしい その知識を検証する手段を持たない人が大部分である

最近は食べ物の宣伝でも

何の栄養素が取れるとか、そんな話が多い


たとえば太陽はいいものだけれど多すぎると被害が出る

適量というものがある


それぞれの人で消化吸収の実際が違う


おいしいから食べるのではなく

たとえばポリフェノールのゆえに食べるとか


知識は舌を支配するらしい

その知識を検証する手段を持たない人が大部分である


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恨みを抱いている嫌な奴からも ひとつでも教訓を得たほうが自分の得ではないだろうか 人間は多面体である 物差しが一つだけでは測定できないし評価できない

恨みを抱いている嫌な奴からも

ひとつでも教訓を得たほうが自分の得ではないだろうか

もう得は一つもないと思うなら

離れればいい


人間は多面体である

物差しが一つだけでは測定できないし評価できない


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途中で仕事を止めることに抵抗する隊員もいる。しかし、長期戦を戦うためには、短期的な感情に流されず、しっかり疲労をコントロールしなければならない。隊員にとって、休養することは、頑張ることと同じ、いやそれ以上に必要な「仕事」なのだ。

途中で仕事を止めることに抵抗する隊員もいる。しかし、長期戦を戦うためには、短期的な感情に流されず、しっかり疲労をコントロールしなければならない。隊員にとって、休養することは、頑張ることと同じ、いやそれ以上に必要な「仕事」なのだ。


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猫背

猫背で過ごし

うつむいて歩き

姿勢はまっすぐせず

堂々と見えないという場合

世間からは非難される


果たして悪いのだろうか


猫背は褒められないが

猫は猫背が自然だからそうしている

人間も背中が外側で、腹部が内側なのだから、楽な姿勢を取ると自然に猫背になりそうだ


姿勢がグラグラするのだって

そのほうが血行がいいだろう


背筋をピンと伸ばすというのは

相手に対して緊張していると表示しているだけで

それ以上の意味はない


姿勢悪くて結構、ぐだぐだで結構だと思うが

まあ、世間では認められず、排除されるので、普通にしていたほうがいい


自分の部屋で一人でいるときには

丸まったりグラグラしたりしていいと思う

猫だって犬だってそんなものではないだろうか



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最新の文献を一元的に収集する方法

・最新の文献を一元的に収集する方法を知る
 みなさんは、どうやって文献を集めていますか? 救急分野に限らず、どの分野でも診断や治療方針などが日進月歩で変化していきますので、最新情報についていくだけでも大変です。常にアンテナを張って、最新の情報を効率よく収集することが重要になります。最近は日経メディカルをはじめとして、トピックとなる文献を日本語で解説してくれるウェブサイトも多いですが、ここでは一次情報となる原著論文を効率よく集めるための技をご紹介します。 
 NEJMやJAMAなど英文雑誌のウェブサイトを見ることはあると思いますが、複数の雑誌をチェックするとなると、とても面倒です。手間や時間を節約するためには、情報を一カ所に集め、メールなどで自動的に手元に届くようにすると便利です。そうすれば、勝手に新着情報が送られてくるので、あとはメールを開くだけということになります。
雑誌のメール通知機能を利用する
 「この雑誌は毎回必ず読みたい」という場合にはメール通知が便利です。ほとんどの雑誌にはウェブサイトにメール通知用のボタンがついているので、メールアドレスを登録しましょう。最新号が発行されると登録したメールアドレスに送信されますので、読み忘れの防止に便利です。 
 一部の雑誌ではPodcastを配信しているものもあり、お手元のスマートフォンに最新号の内容が音声として自動的に配信されます。英語のリスニングの勉強にもなるので一石二鳥です。 例えば、NEJMですと、トップページの一番下の「STAY CONNECTED」の中に、「Email Alerts」と「Podcasts」のリンクが見つかります。
PubMedの通知機能を利用する
 「いろいろな雑誌をとにかくまとめて読みたい」という場合は、実はPubMedが使えます。PubMedを検索で利用する人は多いと思いますが、複数の雑誌の新着情報をまとめてメールで通知することが可能です。PubMedの検索窓に「”雑誌名"[ta]」 と入力するとその雑誌の記事がすべて出てきます。複数の雑誌を読みたい場合は「"雑誌名A"[ta] OR "雑誌名B"[ta] OR ...」とORでつなぎます。レターなどアブストラクトのない記事を除外したければ最後に「AND hasabstract」を付けておきます。 
 例えば、Annals of emergency medicineとResuscitationとCritical Care Medicineの3誌を読みたい場合、
(("Annals of emergency medicine"[ta]) OR ("Resuscitation"[ta]) OR (“Critical Care Medicine"[ta])) AND hasabstract
としておくと、この3誌の記事が一覧できます。 
 さらに、この検索式を保存しておくと、検索式に合う新しい項目がPubMedに登録されると通知してくれるようになります。つまり、読みたい雑誌のどれかに新着記事があるとその都度メールしてくれるということです。検索窓のすぐ下の「Create alert」をクリックしてみましょう。指示に従ってNCBIのアカウントを作成すれば、登録したメールアドレスに新着記事が送られてくるようになります。読みたい雑誌を自由にアレンジできますが、PubMedに登録された時点での配信なので、雑誌に掲載された時点からは多少遅れる場合があります。 
まとめサービスを利用する
 「救急系で最新の注目論文を知りたい」「◯◯内科でのトピックは何だろう」というときには、分野ごとに注目すべき最新の論文をまとめてくれるサービスを利用しましょう。 NEJM journal watchやEvidence Alertsなどがあります。いずれもメールアドレスなどを登録する必要がありますが、いろいろな雑誌の中から注目すべき論文を選んで配信してくれるので、自分が読んでいない雑誌の論文まで知ることができて便利です。 
 EM Allianceでは、救急医が選んだ注目論文をウェブサイトで紹介しています。メーリングリストに入ると、同じ内容が配信されてきますので、ぜひご利用ください。 
 このように文献を収集するには様々な方法があります。自分の勉強スタイルに合わせて、上記の方法を組み合わせてみてはいかがでしょうか。また、他にいい方法がありましたらコメントをいただけますと幸いです。
今回のポイント
・PubMedの検索・通知機能をうまく利用する
・既存のまとめサービスを利用する


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「言語」「準言語」「非言語」の3つのチャンネルで同時にメッセージ

 人は対面でコミュニケーションを取るとき、「言語」「準言語」「非言語」の3つのチャンネルで同時にメッセージを伝えます。言語はその言葉の意味そのもの、準言語は話し方や抑揚、非言語は表情や身振り手振りなどのことです。
 例えば「うれしい」と言うとき、明るい声で語尾が少し上がる感じで、笑顔で言うのであれば、言語、準言語、非言語の3チャンネルのメッセージが一致するため、「この人はうれしい気持ちになっているんだな」ということが、相手に誤解なく正確に伝わります。また「腹が立つ」と言うとき、低めの声で、強い語気で、眉をひそめながら言えば、3チャンネルのメッセージが一致するので正確に伝わります。
 ところが、低い声で強い語気で、眉をひそめながら「うれしい」と言った場合、「うれしい」という感情は正確に伝わりません。言語、準言語、非言語のどのメッセージが正しいのか、受け手に迷いが生じるからです。そしてどちらかというと、意識的なコントロールが容易な「言語」より、コントロールが難しい「準言語」や「非言語」から、話し手の本音を読み取りがちです。
 このようにメッセージを伝える際に「言語」だけにとらわれていると、思わぬ誤解が生じたり、相手に違和感を抱かせることになります。ですから、言語、準言語、非言語という3つのチャンネルで、正確にメッセージを伝えるように意識することが必要です。


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"幸福は幻にすぎないが、苦痛は現実である" ―ヴォルテール

"幸福は幻にすぎないが、苦痛は現実である"
―ヴォルテール


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時間が非対称性であるということ

時間に関する理解は物理学の大きな未解決問題の一つであり、哲学者たちをも悩ませてきた。時間とはなんだろうか?なぜ決まった方向を持つように見えるのだろうか?宇宙のほとんどの法則は完全に対称でありながら、時間が非対称性であるということを表すものとして「時間の矢」という概念が定義されている。
いま、この説明となるかもしれないものが提唱されている。カルテク(カリフォルニア工科大)の物理学者Sean CarrollとMIT(マサチューセッツ工科大学)の宇宙論者Alan Guthは、時間の矢は完全に対称な方程式系から自然に生じることができることを示すシミュレーションを作成した。
時間の矢は、時間は間違いなく過去に過ぎていくように見え、その方向が宇宙のエントロピーの増大の方向と一致するよう観察されることからそう呼ばれている。
彼らの研究はまだ発表されてはいないが、それについて彼らはNew Scientistにおいてディスカッションしている。彼らのシミュレーションは重力の下、互いに相互作用しランダムな方向に運動している多数の粒子のものだ。
一部の粒子は自然に集まり、低エントロピー領域に凝縮していき、その後分裂し特定の方向に広がっていく。驚くべきことに、系全体を反転してもエントロピーは依然増加し、時間のどちらの方向をとっても可能な解であることを示した。
このようなことが示されるのはこれが初めてではない。2014年、ある国際的なグループが対称な物理法則と「明確」な時間の矢のみを得られることを示す、シンプルなモデルを発展させた。彼らの発見はPhysical Review Lettersで発表された。彼らは、時間の矢は存在するが、それは系の粒子から見た視点での話であり、外部の観測者からは時間の特定の方向は存在しないことに気付いた。
研究が発表されれば、この科学者たちが公表したことについて間違いなく熱く議論されるだろう。このモデルは興味深い発想を提供するが、時間とは何なのかという問題の答えに近づくわけではない。それどころか、その性質と複雑さに関する問題をさらに増やすことになる。この状況で私は、ダグラス・アダムズの解釈に賛成しておきたい:「時間は幻想だ。特にランチタイムは2倍ね」


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AIはやがて意識を持つようになるのか?

『AIはやがて意識を持つようになるのか?』LiveScience から「consciousnessとawarenessの違いについて」2018/5/24
Will AI Ever Become Conscious?
AIはやがて意識を持つようになるのか?
からconsciousnessとawarenessの違いについて学ぼう!
Philosophers have described consciousness as having a unique sense of self coupled with an awareness of what's going on around you. And neuroscientists have offered their own perspective on how consciousness might be quantified, through analysis of a person's brain activity as it integrates and interprets sensory data.
哲学者たちは、意識とは、身の回りで起こっていることについての気づきと一体となった、固有な自己という感覚を持つことだと説明してきた。そして、神経科学者たちは、感覚的データを統合して解釈する際の脳活動を分析することにより、意識を定量化できるかもしれない方法について独自の視点を提示してきた。
However, applying those rules to AI is tricky. In some ways, the processing abilities of AI are not unlike those that take place in human brains. Sophisticated AI systems use a process called deep learning to solve computational tasks quickly, using networks of layered algorithms that communicate with each other to solve more and more complex problems.
しかし、これらの規則をAIに適用するのはやっかいなことだ。いくつかの点で、AIの処理能力は人間の脳内で生じるものと異なるものではない。洗練されたAIシステムは、益々複雑な問題を解決するためにお互いに通信を行う階層化されたアルゴリズムのネットワークを用いたディープ・ラーニング(深層学習)と呼ばれるプロセスを用いて、素早く計算課題を解決する。
It's a strategy very similar to that of our own brains, where information speeds across connections between neurons. In a neural network, deep learning enables AI to teach itself how to identify disease, win a strategy game against the best human player in the world, or write a pop song.
これは、情報がニューロン間の接続を素早く渡る、私たち自身の脳が用いるものと非常に似た戦略である。ニューラル・ネットワークでは、ディープ・ラーニングによってAIが自分自身に対して、病気を特定する方法や、世界最高の人間のプレイヤー相手に戦略ゲームで勝つ方法や、ポップソングを書く方法を教えることが可能になる。
But to accomplish these feats, any neural network still relies on a human programmer setting the tasks and selecting the data for it to learn from. Consciousness for AI would mean that neural networks could make those initial choices themselves, "deviating from the programmers' intentions and doing their own thing," Edith Elkind, a professor of computing science at the University of Oxford in the U.K., told Live Science in an email.
しかし、どんなニューラル・ネットワークも、これらの手柄を達成するために、課題を設定してそこから学ぶためのデータを選択する人間のプログラマーに依存している。AIの意識とは、ニューラルネットワークが「プログラマーの意図から離れ、自分自身のことをやるために」それらの初期選択を自分自身で行うことができるということを意味するだろうと英国オックスフォード大学の計算科学者Edith Elkind教授はEメールでLiveScienceに語った。
Three stages of consciousness
意識の三つの段階
One of the pitfalls for machines becoming self-aware is that consciousness in humans is not well-defined enough, which would make it difficult if not impossible for programmers to replicate such a state in algorithms for AI, researchers reported in a study published in October 2017 in the journal Science.
機械が自己認識を持つための一つの落とし穴は、人間の意識についても十分に定義されていないことが、プログラマーがAIのアルゴリズムでそのような状態を再現することを、不可能ではないにしても困難にすることだと、ある研究者たちが2017年10月にJournal Science発表された研究で述べている。
The scientists defined three levels of human consciousness, based on the computation that happens in the brain. The first, which they labeled "C0," represents calculations that happen without our knowledge, such as during facial recognition, and most AI functions at this level, the scientists wrote in the study.
科学者たちは、脳内で起こる計算に基づいて、人間の意識の3つのレベルを定義した。彼らが「C0」とラベル付けする最初のものは、例えば顔認識のような、知識なしに行われる計算を表しており、ほとんどのAIはこのレベルで機能すると科学者たちはその研究で記している。
The second level, "C1," involves a so-called "global" awareness of information — in other words, actively sifting and evaluating quantities of data to make an informed, deliberate choice in response to specific circumstances.
第2のレベル「C1」は、いわゆる「グローバル」な情報の認識に関与するものである。つまり特定の状況に応じて、情報を考慮し意図的な選択を行うために積極的にデータ量を選別し評価することである。
Self-awareness emerges in the third level, "C2," in which individuals recognize and correct mistakes and investigate the unknown, the study authors reported.
自己認識は、各個体が間違いを認識して訂正し、未知なものを調査する第3のレベル「C2」で現れると研究著者らは報告している。
"Once we can spell out in computational terms what the differences may be in humans between conscious and unconsciousness, coding that into computers may not be that hard," study co-author Hakwan Lau, a UCLA neuroscientist, previously told Live Science.
UCLAの神経科学者であるHakwan Lauは、「ひとたび人間における意識と無意識の違いが何であるかを計算(科学)の表現で綴ることができれば、コンピューターにそれをコードすることはそれほど難しくないかもしれません」とかつてLiveScienceに語っている。
To a certain extent, some types of AI can evaluate their actions and correct them responsively — a component of the C2 level of human consciousness. But don't expect to meet self-aware AI anytime soon, Elkind said in the email.
ある種のAIは、ある程度まで、人間の意識のC2レベルの構成要素である、行動を評価しそれに応答して修正するということができる。 しかし、近い将来自己認識を持つAIに面会できるということは期待しない方が良いとElkindはEメールで述べている。
引用終わり
・consciousnessとawareness
consciousnessとawarenessは、どちらも「意識」と訳されることもあるが、consciousnessと対比した場合、文脈に依るもののawarenessは主に「気づき」という訳があてられる
その違いは、引用した最初の文:「意識とは、身の回りで起こっていることについての気づきと一体となった、固有な自己という感覚を持つこと」からくみ取ることができる。
原文は元記事から:
Will AI Ever Become Conscious?


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うつ状態と躁状態

うつ状態と躁状態は反対の二つのものと考えるのではなく

実際にあるのは躁状態の増減であり

躁が多すぎると躁状態

躁がふつうなら普通状態

躁が少ないとうつ状態

と呼び分けているだけである

という意見がある


甲状腺機能低下症と甲状腺機能亢進症は分かりやすい命名である


躁成分亢進症と躁成分低下症と言えばわかりやすいと思う


ーーーー

上記系統のうつとは別に

貧困妄想、罪責妄想、疾病妄想を伴う精神病性うつ

性格に起因するうつ

環境反応性のうつ

身体因性のうつ

最近ではADHDの二次障害としてのうつ

などを区別することができそうである

いずれも躁成分の減少が共通点なのだろう



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アメリカでは放送法の「公平の原則」は廃止された。なぜか。

高市早苗総務大臣の電波停止発言が問題になっている。

放送法は放送局に対し「政治的公平」を求めており、

これに違反した放送を繰り返し行った場合、

総務省がその放送局の電波を停止することが出来ると国会で答弁したのである。


アメリカもかつては放送法に「公平の原則」を明記していたが、

30年ほど前、「公平の原則」を放送局に押し付ける事は、

憲法が保障した「言論の自由」に違反すると最高裁が判断し、「公平の原則」は廃止された。


日本とアメリカは放送の「政治的公平」を巡って真逆の方向を向いている。

なぜそのような事が起こるのか。

アメリカは放送の世界に新規参入を促して多彩な言論を保証する事が、

憲法の「言論の自由」と合致し民主主義を発展させると考えている。


ところが日本では言論機関と称する新聞社が既得権益を守るためにテレビ局を系列化し、

またNHKが受信料を確保するため有料放送の世界を拡大させないようにした。

日本のメディアが自己の利益のためにアメリカと真逆の放送の世界を創った事が、

今になって安倍政権に付け込まれているのである。


そして誰も「公平の原則」を撤廃しようとは言い出さない。

「権力の横暴」を批判したところで始まらない。安倍政権の脅しは既にメディア界に浸透しきっている。

かつて日本とアメリカの放送の世界に今ほどの違いはなかった。


あるとすればアメリカはCM収入で成り立つ三大ネットワークが中心で、

寄付で成り立つ公共放送がマイナーな存在だったのに対し、

日本は国民からの受信料で成り立つ公共放送のNHKと、

三大ネットワークと同じCM収入で成り立つ民放とが肩を並べる二元体制であった。


違いが出てくるのはケーブルテレビがアメリカで普及し始めた70年代後半である。

それまでの電波を使うテレビはチャンネル数が限られたが、

ケーブルで放送を行うテレビはチャンネル数を飛躍的に増やす事が可能となり、

「多チャンネル放送」がアメリカで始まったのである。


チャンネル数が少ない電波の放送を自由放任にして国民に偏った情報が流された場合、

国民の判断に大きな影響を与える懸念が生じる。

民主主義にとって最も重要なのは国民の判断を誤らせない事である。

そこで電波のテレビには国民の判断を誤らせないための「公平の原則」が強制されることになった。

政治的に対立する問題を放送する場合、両者の言い分を偏りなく放送しなければならないとされた。

戦後、アメリカを真似てテレビ放送を始めた日本はそれをそのまま放送法に盛り込んだのである。


ところがアメリカに「多チャンネル放送」が始まり、さらに79年にスリ-マイル島で原発事故が起きた。

原発を巡る放送は「公平の原則」から言えば「原発反対と原発賛成」を必ず並べて放送しなければならない。

しかしこの時の地元テレビ局は「原発反対」の放送を行い、放送法違反が問題にされた。

この時に婦人団体が「原発反対」の放送を擁護して立ち上がる。

むしろ放送法がおかしいと裁判に訴えたのである。


そして連邦最高裁判所は「放送局が少ない時代には公平の原則を課す必要があった。

しかし多チャンネルの現在、すべての放送内容に両論を併記するよう強制する事は、

かえって憲法が保障する言論の自由を害する」との判断を下した。

そしてテレビ局を監督するFCC(連邦通信委員会)が87年に「公平の原則」を撤廃したのである。


つまり放送局は一方の意見だけを放送しても放送法違反には問われないが、

反論を申し出られた場合には反論も放送しなければならないとされた。


アメリカでケーブルテレビが普及したのに、

アメリカの真似をしたがる日本にそういう動きは見られず、

むしろケーブルテレビの普及を遅らせる動きがあった。

日本には「多チャンネル放送」を実現させないようにする勢力がいたのだ。


それを追及していくとテレビ局を系列下に置いた新聞社と有料放送拡大阻止を狙うNHKが見えてきた。

アメリカでは全国紙と全国ネットのテレビが系列になる事を禁じている。

影響力のあるメディアが統合される事は民主主義に必要な言論の多彩さをなくすからである。


ところが日本では70年代半ばに朝日新聞社がNET(日本教育テレビ)を

系列にしようと田中角栄氏に働きかけ、

それを契機にすべての民放テレビ局が新聞社の系列下に入る事になった。

全国紙を頂点に民放キー局があり、その下に準キー局、そしてローカル局が底辺に位置付けられる。

朝日、毎日、読売、産経、日経の5つの縦の系列が出来上がった。

そしてケーブルテレビの普及は系列の末端の地方ローカル局を脅かすと判断されたのである。


一方でNHKと民放との二元体制は、

受信料という有料放送の世界とCM収入の世界とが競合しないことで成り立っていた。

それまで視聴者は何も考えずに受信料を払ってきたが、

そこに有料放送のケーブルテレビが参入し、NHKより安い料金で放送が見られるようになれば、

視聴者にコスト意識が出てくる。それがNHKには困るのである。

新聞社とNHKは自民党の政治家に働きかけて郵政省に圧力をかける。

こうして日米の放送の世界は大きく離れていくのである。


郵政官僚の中にはアメリカのように多チャンネル時代に対応した放送法に変えなければならないと

考える人もいたが、新聞社とNHKの政治力は大きく、したがって放送法は時代遅れのままとなった。


アメリカではケーブルテレビや衛星放送が多チャンネルの世界を形成して三大ネットワークと肩を並べたが、

日本では新聞社を頂点とするピラミッドの最底辺にケーブルテレビや衛星放送が位置付けられ、

しかも新規参入業者には経営が困難な諸制度があって撤退させられ、

ケーブルテレビや衛星放送が新聞社とテレビ局の既得権益を脅かす存在にはならなかった。


政府与党が「放送法」を振りかざして放送局に対応する様は、

日本が情報や民主主義の面で遅れた国である事を世界に宣伝しているようで恥ずかしい。


しかし同時に権力にそうさせる素地を作ったのは日本の新聞とテレビである事も忘れてはならない。

これこそが権力以上に恥ずかしい存在である事を国民が理解しないと、

日本の「言論の自由」も「民主主義」もただのお題目になる。


高市大臣の電波停止発言には「権力の横暴」とか「言論の危機」とか批判の声も上がっているが、

権力がメディアを操縦しようとするのは万国共通のいわば常識である。

それを「けしからん」と批判するだけでは何も変わらない。


恥ずべき存在のメディアに奮起を促しても無駄だろう。

しかしアメリカの教訓は、何かで権力が放送法違反を問題にした時、

放送法がおかしいと言って国民が立ち上がり、司法に訴えなければ始まらない事を示している。

日本の司法がアメリカと同じ結論を出すかどうかは分からないが、

「言論の自由」を巡る両国の差が分かるだけでも意味はある。


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この杯を受けてくれ どうぞなみなみ注がしておくれ 花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ

この詩を一気に有名にしたのは、井伏鱒二の名訳です。
即ち後半の二行、「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」と訳されたものが寺山修二や井伏鱒二の弟子、太宰治の小説やエッセイなどの中で広く有名になっていった訳です。
井伏鱒二の名訳はこちら。
この杯を受けてくれ
どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ
この意訳で、後半の二行だけを読むと何か意味を取り違えてしまいそうになりませんか(笑)
ちなみに私は全文知るまで間違えてました。
さよならだけが人生だ、とは物凄く突き放した、そっけない言葉とも取れますし、花に例えられていることもあって、人生とは花のように儚くすぐに別れてしまうものだ、的な捉え方、できません?(笑)
実は本来の意味は、
「さよならだけが人生だから、今この出会い、時間を大切にしよう」
ということなんだそうです。
今この酒を飲み干して今を楽しく生きよう、すぐに別れは来るけれど今はここで膝を突き合わせているから、ということですね。
本来の意味合いを知ってから、この詩は私のモットーになりました。
それにしても、名訳過ぎますよね。
ちなみに寺山修司はこの名訳の後に、
「さよならだけが人生ならば また来る春はなんだろう」
と歌ったそうです。


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““If” は、 「もし×××ならば」ではなく、 「条件は×××」と訳す。 “Unless”は、 「もし×××でないならば」ではなく、 「例外は×××」と訳す。 “Because”は、 「×××だから」ではなく、 「理由は×××」と訳す。 “In order to”は、 「×××するために」ではなく、 「目的は×××」と訳す。 “Although”は、 「×××ではあるが」ではなく、 「ただし×××」と訳す。”戻らない訳し方は、読解スピードを上げる基礎だよね。

““If” は、 「もし×××ならば」ではなく、 「条件は×××」と訳す。 “Unless”は、 「もし×××でないならば」ではなく、 「例外は×××」と訳す。 “Because”は、 「×××だから」ではなく、 「理由は×××」と訳す。 “In order to”は、 「×××するために」ではなく、 「目的は×××」と訳す。 “Although”は、 「×××ではあるが」ではなく、 「ただし×××」と訳す。”戻らない訳し方は、読解スピードを上げる基礎だよね。


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うつの症状で 憂うつがある と 意欲がない は 憂うつが過剰と意欲が減少と一応は読める うつ病の話なので うつの反対は躁だろう と簡単に考えて 躁がない+意欲がない と考えてもいいのかもしれない それがセロトニンが足りない+ノルアドレナリンが足りない という話と結びつく でも、そうなのかな

うつの症状で
憂うつがある
意欲がない
憂うつが過剰と意欲が減少と一応は読める
うつ病の話なので
うつの反対は躁だろう
と簡単に考えて
躁がない+意欲がない と考えてもいいのかもしれない
それがセロトニンが足りない+ノルアドレナリンが足りない
という話と結びつく
でも、そうなのかな


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JALの世界一周周遊券

JALの世界一周周遊券との話があり

こんな感じのものだそうだ

http://www.jal.co.jp/oneworld/fare.html


ANAやJALの世界一周周遊券を使って「ファーストクラス」で世界一周でしょう。出発日やコースにもよりますが一人100~150万で行けます。WEB上で自分で行きたい所をチョイスしてアレンジできますので計画立てるだけでもワクワクします。大量のマイルがたまる上に日本発着はANAorJAL便、他国では日系コードシェア便をうまくを利用すれば1回の旅行で上級会員資格が獲得でき、カード料金さえ払えば生涯にわたって航空会社ラウンジとエコノミーからの無料アップグレードが保証されます。


と書いてあるが

実際はどうなのかはよく分からない


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“「世界は自分のレベルに応じた姿でしか見えない。」”

“「世界は自分のレベルに応じた姿でしか見えない。」”


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学問芸術と世間

学問でも芸術でも言えることだけれども

第一の問題は発想で

第二の問題は説明力で

第三の問題は世間の認定である


発想はあっても説明力(プレゼンテーションの能力)のない人もかなり存在する

発想はないが説明力だけある人もいる

最終的には学会とか世間が認定しないと外部の世界の人にはわからない


口下手でどうするか


科学の世界では最終的に追試をして再現されれば認定されるのだから

説明力はどうでもいいようなものだが

有力者の後押しがあるとかそんなことが決定的な重みを持つこともある


世間の認定という点では有力者の後押しだとか説明力が大いに役立つ

中身は何もないとしても


中身があるふりをしていればいいだけのこともある

全くくだらない世の中であるが

そういう人を求めているのが世間であるから

そういう人が出現するのもやむを得ない


あまりに先に進んでしまった芸術家は認められない

先輩に尽くす芸術家は認められやすい

世間の求める芸風を確立すれば認められやすい

あたかも芸能人である


世間の求めるものが真の芸術だとする考えもある

100年後の世間が認めるものが自分の芸術だと信じる人もいる

世間など関係なく芸術は芸術だと信じる人もいる


世間の求めるものを提供すれば経済的には潤う

世間と関係なく芸術や学問をしている人は経済的には恵まれないので別の方面で生計を立てる必要がある



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たいていの場合、言葉で考えることの他に考える方法がない したがって、思考は言葉に規制され、言葉のレールの上を走るしかない それを打破するのは数学である 数式は英語も日本語も超えられる

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たいていの場合、言葉で考えることの他に考える方法がない

したがって、思考は言葉に規制され、言葉のレールの上を走るしかない

それを打破するのは数学である

数式は英語も日本語も超えられる

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上司の心得として「一人をほめたら全員をほめよ、一人に声をかけたら全員それぞれに同じだけ声をかけよ」

上司の心得として「一人をほめたら全員をほめよ、一人に声をかけたら全員それぞれに同じだけ声をかけよ」


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塗料の溶剤の注ぎ方

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“ ”やさしい”っていうのは、相手に深入りしすぎなくて済むからできることなんですよ。 相手を全面的に受け止めたら、”やさしい”ではいられない。 自分に・・自分が生きることに対してやさしくはできないでしょ? 他人に対してだってやさしくはできないはずですよ。 深く全面的につながりを持たなくて済むから思いやりとかを発揮できるんですよね、多くの人が。”

”やさしい”っていうのは、相手に深入りしすぎなくて済むからできることなんですよ。
相手を全面的に受け止めたら、”やさしい”ではいられない。
自分に・・自分が生きることに対してやさしくはできないでしょ?
他人に対してだってやさしくはできないはずですよ。
深く全面的につながりを持たなくて済むから思いやりとかを発揮できるんですよね、多くの人が。”


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霊長類最強と言われたカレリンは「レスリングで強くなるにはどうしたらいいか?」と質問を受けて、こう答えた。   「強くなるには読書が必要だ。」 その理由として、「刻一刻と変化する状況を正確に認識するためには、あらかじめ自分の中にボキャブラリーを蓄えておかなければいけないからだ」と語ったそうだ。

霊長類最強と言われたカレリンは「レスリングで強くなるにはどうしたらいいか?」と質問を受けて、こう答えた。  
「強くなるには読書が必要だ。」
その理由として、「刻一刻と変化する状況を正確に認識するためには、あらかじめ自分の中にボキャブラリーを蓄えておかなければいけないからだ」と語ったそうだ。



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“「途中までやってしまったから」という理由だけで続けられていることをやめるだけで人生はずいぶん自由になる”

“「途中までやってしまったから」という理由だけで続けられていることをやめるだけで人生はずいぶん自由になる”


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メンタライゼーション メンタリゼーション を勉強しよう MBT mentalization-based treatment

勉強素材を採録
 境界性パーソナリティ障害に対する精神力動的精神療法と普通の治療の比較
 
  境界性パーソナリティ障害(BPD)は、自傷行為などの衝動的な自己破壊的行動を繰り返すことや、本人の苦痛感がひどく強いこと、対人関係が不安定で混乱しがちなこと、など数々の症状が慢性的に続くために本人にとっても周囲の人たちにとっても重大な問題になっていることが多いものです。 さらに、その他のパーソナリティ障害に比べて本人が比較的自主的に医療機関に治療を求めてくる一方で、治療はなかなか難治であることもあって、BPDは多くのパーソナリティ障害の中でも特に注目を集め、これまでにも多くの研究がなされてきたものです。
  これまでの研究で、BPDに対しては薬物療法は対症療法的で付加的な意味合いしかなく、むしろ治療の中心は長期におよぶ精神療法(心理療法)であるべきことが示唆されてきました。 その中でも、リネハンらによる認知行動療法(弁証法的行動療法DBT)や、フォナギーとベイトマンらによる「メンタライゼーション機能に焦点づけられた精神療法MBT」という精神力動的精神療法、そしてカーンバーグとクラーキンらによる「転移に焦点づけられた精神療法TFP」という精神分析的(精神力動的)精神療法などが、特にその治療効果についてしっかりとした科学的根拠を示していました。
  今でも、特に日本国内では、BPDというと治らない性格の病であると思っている人がまだ大勢いるような印象があります。 しかし、上記のようなしっかりとしたエビデンスを示している精神療法(心理療法)が現実に存在することからおわかりのように、本当は(長い時間と労力をかければ)治りうる疾患であると考えるべきでしょう。
  今回とりあげるのは、「メンタライゼーションに焦点づけられた精神療法MBT」に関連した研究で、これまでに何度も出てきているフォナギーとベイトマンらによる英国からの研究論文で、
Bateman A & Fonagy P. Randomized controlled trial of outpatient mentalization-based treatment versus structured clinical management for borderline personality disorder. Am J Psychiatry, 2009; 166: 1355-1364.
  です。 今回のこの研究では、フォナギーらは彼らの推進する「メンタライゼーションに焦点づけられた精神療法MBT」と、「普通の精神科的マネージメントによる構造化された治療SCM」との比較を行っています。
  (ここで若干注意が必要なのは、「普通の治療」といっても週1回くらいの支持的精神療法を中心とした個人面接と集団療法が組み合わされ、治療の方向付けもかなりしっかりしており、日本国内で一般的に行われている「普通の治療」とはだいぶ違うということです。 これに対して「メンタライゼーションに焦点づけられた精神療法MBT」はメンタライゼーション、つまり「自分や相手の気持ちにしっかり気づいていくこと」に焦点づけられた精神力動的精神療法であり、これまた週1回の個人面接と集団療法を組み合わせているものです。) 
  治療期間は治療開始から1年半まで追跡調査をし、その間の症状的な変化を見ています。 その結果、どちらの治療でもほとんどすべての症状(自傷行為の頻度、入院を要してしまう頻度、全般的な生活の質、症状の苦痛度合い、抑うつ症状、社会適応、対人関係機能など)は改善傾向を示しています。 そして図に示すように(図では症状のうちで「自傷行為の頻度」と「対人関係機能」のみを取り上げています)、やはり予測通りに、ほとんどすべての症状項目において「普通の治療SCM」に比較して、「メンタライゼーションに焦点づけられた精神療法MBT」の方がより早く確実に良くなっている様子が示されています。全般的な生活の質、あるいは症状の重症度の指標となるGAFスコアは、治療前ではどちらの群も40くらいであったものが、治療開始1年半で「普通の治療」でも53にまで上昇していますし、「メンタライゼーションに焦点づけられた治療」では61まで上昇しています。 さらに注意すべきなのは、BPDを治療していくのには通常もっと長い治療期間が必要ですから、1年半というのは治療の途中段階でありまだまだ通過点にしか過ぎないということです。 つまり、これらの患者はこれからもっともっと良くなっていく可能性が高いのです。
  フォナギーとベイトマンが提唱する「メンタライゼーションに焦点づけられた精神療法」は、精神力動的精神療法、つまり精神分析学を基礎においているものの、ややこしい背景理論があまりありませんし、特殊な治療技法があるものであもりません。 このため専門家の教育訓練が比較的楽にできるだろう、と彼らは言います。 そして、BPDという放っておくと非常に難治な問題に対してしっかりと治療的に対応できる専門家を必要とされるだけたくさん育成していくためには、習得があまりに難しい治療理論や治療技法を要するものではだめであって、一般的に行うことができ普通に広めることができるような治療法がなくてはならないのだろう、というようなことを議論しています。
  確かにそうでしょう。
  しかし、上記のような「普通の治療」さえ満足に行き渡らせることができていない日本国内の現状を考えると、そんな議論はまだまだ10年も20年も先になってしまうかもしれません。


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高機能自閉症

ラムセス君は高機能自閉症であり、サヴァン症候群である。見えない場所に書かれた数字を38まで言い当てることができる。母親のニュクス・サングイーノさんは、撮影したビデオにはなんのトリックもなく、ラムセス君は生まれたときから特殊だったと言う。


ラムセス君が生まれる前から、世界を変えるような特別な人物になるような気がしたとニュクスさんは語る。ラムセス君は赤ちゃんの時、おもちゃには興味を示さず、12ヶ月で読書を始めた。英語、スペイン語、ギリシャ語、いくつかの日本語までしゃべることができ、18ヶ月で英語とスペイン語で九九ができて、元素の周期表や原子番号を覚えたという。


こうしたことは、多くの天才児の特徴のようだが、ラムセス君が異なるのは、いつどうやって彼がこうしたことを覚えたのか、まるで説明がつかないことだという。


「確かにいくつかの言語は教えましたけど、どうやって3歳までにラムセスがヒンドゥー語やアラビア語やヘブライ語を覚えたのか、まったくわかりません。たぶん、しょっちゅうつけっぱなしにしてあったパソコンで覚えたのかもしれませんが」


ラムセス君の特殊な脳力は、多くの研究者を惹きつけた。そのうちのひとりが、神経科学者ドクター・ダイアナ・パウエル博士だ。元ハーバード医大の教授で、現在はオレゴン州メドフォードで、独自の研究を行っているパウエル博士は、テレパシー研究の一部として、ラムセス君を調べている。


テレパシーが実際に存在するのか、科学的な証拠はまだないが、正しく理解すれば、自閉症の子どもとその両親の新たなコミュニケーション方法となるかもしれないとパウエルは信じている。


「第一言語がうまく使えなかったら、それはテレパシーにとって完璧な段取りになるかもしれません。自閉症の子供たちの多くがテレパシー能力を持つ例を見てきました。実際に自分の目で見て、厳しく管理された状況下でそれを試験し、評価できるのかどうか、確かめたかったのです。科学的に受け入れられてきたほかの多くのことと同様、わたしはテレパシーの存在を確信しています。なんでも100%とは言えないけれど、証拠を見てきましたから」とパウエル博士は言う。


博士は、ラムセス君に関する研究が自分の医者や科学者としての信用を危うくするかもしれないことは認めているが、ラムセス君の能力を目の当たりにして、確信を持って研究を続けている。


乱数発生器を使って、母親のニュクスさんにいくつか数字を書き出してもらい、それを心で思ってもらう。それからラムセス君に母親の心を読ませると、すべての数字を見事に当てたのだ。


また別の実験では、見えない所にある数字(二桁の数字を含む)の17のうち16を正しく言い当てることができたという。「ラムセス君と実験を始めて、びっくりしました」母親の心を読む息子の能力について、ニュクスさんは語る。


「わたしたちの間にとても強い絆があることは確かで、これがあの子の能力となにか関係があるのかもしれませんが、想像以上のことで、どう説明していいのかわかりません。パウエル博士なら、なんらかの答えを見つけてくれるでしょう」


ラムセス君は5歳児としてはとても頭がよく、それが母親にとって誇りでもあり、心配の種でもある。ニュクスさんはラムセス君にふさわしい学校があるのかどうか心配している。ラムセス君はすでに基本的な代数の問題を解くことができ、学校で先生の間違いを正して物議をかもしている。学校へ入れてみたはいいけれど、悪夢のようだとニュクスさんは言う。


なにしろ、本を読むことができるのはクラスでラムセス君ひとりなのだ。最初は先生もラムセス君のことを小さな教授と呼んでかわいがっていたが、ラムセス君が先生のスペルの間違いや計算ミスを訂正するようになると、ほかの生徒たちから孤立させるようになった。ニュクスさんは学校をやめさせて、ラムセス君を家に戻さなくてはならなかったという。


現在は、ニュクスさんが家でラムセス君に勉強を教えているが、ラムセス君のものの考え方はたいてい人に理解してもらえない。ラムセス君は数にとりつかれたようになっていて、家でも本でも手紙でも、あらゆるものを数え、数え終わるまで動こうとしないだという。一緒に遊んでいる子どもに算数の問題を出すので、友だちもなかなかできない。ラムセス君がひとりぼっちになってしまうのではないかとニュクスさんは心配している。


パウエル博士は、自分の研究がいずれ、才能ある自閉症児のための特殊な学校を始める支援の役割と果たすことを期待している。ニュクスさんもまた、いつか息子が世界をより良く変えるためにその能力を活用できるようになって欲しいと願っている。


「いつか、ラムセス君がガン治療など人の役に立つことを成し遂げてくれたらいいと思っています。あの子はそれほど頭がいいのです。ときどきそら恐ろしくなるほど」

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いつの時代にもいるんだけど
なぜかいつも消えてゆく


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共依存

1970年代以降、アルコール依存症の治療に関わってきた人々の間で「共依存」という概念が産まれました。たとえばこういうケースがそれに該当します。

共依存:概要
典型例としては、アルコール依存の夫は妻に多くの迷惑をかけるが、同時に妻は夫の介護などに自分の価値を見出しているような状態である。この共依存は、患者の自立する機会を阻害し、家族もまたアルコール依存症患者を回復させるような活動を拒んだりする。

ろくに仕事もせずアルコールに溺れ、しょっちゅう妻や子供に暴力をふるうような、第三者から見たらどうしようもない「ダメ男」となかなか別れない妻が、なぜ別れないの? と聞かれてこんな答を返すのが象徴的な例ですね。

「私がいないと、ダメになってしまうのよ、あの人」

 ダメ男をかいがいしく支える妻、のようですが、実はこういうケースでは、どちらにしても「自分の力で相手をコントロールしようとしている」ことがその後分かってきました。

2013-03-10-1


ダメ夫のほうは男ですから力が強いので暴力をともなう形で、「自分の言うことを聞かせる」ことで相手をコントロールし、コントロールすることで「自分には力がある」ことを確認しようとします。
ところがだいたいそういう「ダメ夫」は生活力などないのが普通で、生活面では妻に頼っています。そして「献身的な妻」のほうは「この人は私がいないと本当にダメになる」と考えることで「自分には力がある」ことを確認しようとします。この場合、「妻」にとっては夫が「ダメ男」のほうが都合がいいので、暴力をふるわれても世話を焼くことで、ダメ男がダメ男であり続けることを助長しているケースがある、という、そんな関係がアルコール依存症の治療の過程で多数発見されたことから、共依存という概念が産まれたわけです。

共依存というのは「共に(お互いに)相手に依存している」ということで、おおざっぱにいうと「自分以外の誰かをコントロールする」ことで「自分に力がある」ことを確認しようという行動なんですね。

共依存はもともと「アルコール依存症男性の治療」という関係の中から概念化されたので、「ダメ男とその妻」という例がよく引き合いに出されますが、性別は実は関係なく、男女が逆でも、あるいは男同士女同士でも、夫婦ではなく上司部下や友人あるいは親と子の間でも共依存的人間関係は存在します。

まあ率直に言って不健康な人間関係ですが、共依存という現象そのものは今回、主題ではありません。注目して欲しいのは、その過程で出てくる「コントロール」という行動です。

目的:自分に力があることを確認する・・・ために
手段:自分以外の誰か/何かをコントロールしようとする

という行動が共依存的人間関係の根本にあるのですが、そもそも

「自分に力があることを確認したい」

と思っている人というのはどういう人かというと

「自分に力があるという実感がない人」

なんです。ない、と感じているから、欲しくなる。それ自体は当然すぎるぐらい当然起きてくる感情なんですが、問題は

「自分の力」を確認するために、
他人の行動をコントロールしようとすること

です。これが非常に深刻な弊害を引き起こします。歓迎できないことではあるんですが、かといって誰でもちょっとしたきっかけで陥ってしまうことがある人間の心理の闇と言いますか暗部と言いますか、なので、こういうパターンが存在することは知っておきたいのです。非常によくあるんですよこれが・・・・・

こういう、「他者をコントロールする欲求」に走った人物が取る典型的な行動をいくつか挙げておきます。

(1) 相手の些細な欠点をあげつらって「おまえはダメな奴だ」と自尊心を傷つける
(2) 「おまえの言うことは間違っている」と相手の主張を常に否定する
(3) 「俺の言うとおりにしろ」と自分の主張を押しつける
(4) 相手が自分のアドバイスに従わずに成功すると、不愉快に感じる

 (4)番について補足しますと、「あなたのためを思って言っているのよ」というセリフをつけてアドバイスをしたがる人物が結構いますが、本当に「その人のため」を思っているのであれば、自分のアドバイスに従わずに成功しても素直に喜べるはずなのに、そういう人物はかえって不機嫌になったりします。理由は明らかで、

 相手が自分のアドバイスに従わなかった→自分には相手を従わせる力が無い。
 自分のアドバイスと違う方法で成功した→自分には正しい方法を見つける力が無い。


というわけで、「自分には力が無い」ということを思い知らされるイベントがダブルパンチになるからです。こういう人物にとって大事なのは「自分の言うことを聞く人間がいる」ことであって、「相手が成功する」ことじゃないんですね。

さて、既に書いたように、このような「他者をコントロールする欲求」の根本は「自分には力が無い」という思いです。心理学用語でいうと自己効力感の不在。

人間は、自己効力感を持てない状態に長期間おかれた後、環境が変わると他者に対して非常に攻撃的になることがあります。よく知られているのが、親に虐待された子供を親から引き離して、「安心できる」はずの環境で育てはじめた時に、周囲に暴力をふるい出すことがあるという現象で、その暴力は「攻撃しても反撃されない対象」に向かいます。要は1発殴ったら10発返ってくるような相手にはちょっかい出さないわけで、反撃されないという意味で「弱い相手」に向かうわけです。これは「自己効力感を取り戻そうとする行動」のひとつであり、その意味でごく自然な行動なのでしょう。ただ、それに対応しなければならない周囲の保護者には覚悟が要りますが。


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“新幹線の中で5歳くらいの女の子が「新幹線に乗りたい!」と泣き叫んでいた。母親「今乗ってるよ」女の子「分からない!見えないよ!」何だか哲学的で面白い会話だったー。その中にいる時はその中にいる事にまだ気づかない。”

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近年の心理学は、「高い知能は現実を客観的に認識して正しい判断をするのに役立つのではなく、そのもっとも重要な機能は自己正当化である」ことを明らかにしました

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TOKIO 山口メンバーと TBS 山口元メンバーの 比較論考が盛んである

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TOKIO 山口メンバーと

TBS 山口元メンバーの

比較論考が盛んである


〈北村さま、週刊新潮より質問状が来ました。〇〇(被害者の名前か)の件です。取り急ぎ転送します。 山口敬之〉 「北村さま」とは、内閣情報官の北村滋。伊藤詩織さんの件。

このメールを週刊新潮に誤転送してしまった一件があるので、同じ山口でも、政権に守ってもらえる立場の人とそうでない人とでこんなに違うものかと。

目論見の通り、GWのテレビはTOKIO 山口メンバー関連の放送も多くあった。


タレントさんの行いは、たとえばのりピーとかあすかの薬物関連、

嵐のリーダーさんの、あるタレント事務所所属の女性との写真とか


そういう仕組で動いている組織なので、ということを前提に考えると、

なぜこんなことがこんなタイミングで、と思いたくもなる


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