“彼は2004年、アテネオリンピックの男子マラソンに出場した。しかし、36km地点までトップを走っていたが、暴漢(ニール・ホラン)に襲われペースを崩し、その後ステファノ・バルディーニ、メブ・ケフレジキに抜かれ銅メダルに終わる[1]。また、レースを妨害した暴漢は逮捕された。この時に乱入した暴漢はかつて2003年のF1・イギリスグランプリのレース中にもコース内に乱入した前歴を持つ人物であった。 妨害されても最後まで走りきった彼の姿を受け、国際オリンピック委員会から銅メダルとは別に、クーベルタン男爵の名をつけた
“彼は2004年、アテネオリンピックの男子マラソンに出場した。しかし、36km地点までトップを走っていたが、暴漢(ニール・ホラン)に襲われペースを崩し、その後ステファノ・バルディーニ、メブ・ケフレジキに抜かれ銅メダルに終わる[1]。また、レースを妨害した暴漢は逮捕された。この時に乱入した暴漢はかつて2003年のF1・イギリスグランプリのレース中にもコース内に乱入した前歴を持つ人物であった。 妨害されても最後まで走りきった彼の姿を受け、国際オリンピック委員会から銅メダルとは別に、クーベルタン男爵の名をつけた特別メダルを贈呈された[1]。また、ブラジルのオリンピック委員会は彼に金メダルを授与するよう要求したが、これは実現しなかった。この年に彼はブラジル最優秀スポーツマンを受賞した。また、レース後の記者会見でも「完走でき、メダルが獲得できたことがなによりもうれしい」、「この銅メダルは、まだ私が金メダルを取ってはいけないという、神からの試練だ」と語り、暴漢を非難するコメントは一切しなかった。彼は金より輝く銅メダリストと呼ばれた[2]。”
— バンデルレイ・デ・リマ
“これは前も言ったかもだが、怒りっぽい知り合いに「おはよう日本とWBS以外のニュースは見るな」とアドバイスしてからみんな性格が穏やかになった”
“これは前も言ったかもだが、怒りっぽい知り合いに「おはよう日本とWBS以外のニュースは見るな」とアドバイスしてからみんな性格が穏やかになった”
ネット上に、あるいは、私個人のハードディスクの中にさえ、
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ネット上に、あるいは、私個人のハードディスクの中にさえ、
これからさきの生涯で、聞ききれないほどの音楽が溢れている
どうしたものかと、やや途方に暮れる
どれから聞いていけばいいかなと考えて、また、若い頃のように、先人に騙されそうな気がする
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“散歩中の犬が「おまえもこのたのしさをかんじているか」みたいな顔で飼い主を見るの好き”
“散歩中の犬が「おまえもこのたのしさをかんじているか」みたいな顔で飼い主を見るの好き”
かなり頭のいい人間が独裁的に決定して、非常に悪い結果をもたらしている
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理性主義と独裁を考えると、
独裁は非常に効率がいい、一方で民主主義は効率が悪い
たとえばニュートンやアインシュタインの仕事について、一般大衆の投票により多数決で決めるなどという発想はないだろう
何が人々の幸福であるか、経済はどうするか、法律をどうするか、オリンピックはどうするか、家族関係はどうあるべきか、その他諸々、
一応の答えは、一般大衆の投票によってではなく、最高の知性が、そのときに入手できる最高の情報に基づいて、最高の徳性を基礎にして、判断すべきものではないだろうか
ほぼ何も知らされていない民衆が、知性についても発達不全な民衆が、徳性についても疑問のある民衆が、投票をするとは、一体何をしていることになるのだろう
それよりも、最高の知性と徳性を備えた人間が、独裁的に決定したほうが結局誰にとってもいいだろうと考えられる
しかしながら、歴史の教えるところでは、そのような最高の知性も徳性も存在せず、権力は必ず腐敗するのである
結局、最高に能率の悪い、非常に愚かな決定方式が、最も害悪の少ない政治決定方式であろうという絶望的な状況になる
日銀の決定などは国民の投票によるものではないのだが、それ故にと言うべきか、にもかかわらずと言うべきか、大変困難な状況になってしまっている
かなり頭のいい人間が独裁的に決定して、非常に悪い結果をもたらしている
理想的な人間が行うのであれば、共産主義的な発想が一番能率が良い
しかし人間はそうではない
怠けても結果が平等であれば、多くの人は怠ける
だから共産主義は破滅する
また、理想的な人間が行うのであれば、自由主義も良い制度である
しかし人間はそうではない
自分の努力の成果ではないものまで、つまり、努力によらない偶然の成果まで、自分の努力の成果であると言い張り、権利を主張する
だから自由主義は破滅する
結果として、いずれの場合にも、良心的な人間が一部存在するから、存在できているということになる
良心的な人間が一部存在するということに頼っていていいものなのか
あるいは、そこにこそ、絶対の信頼をおいていい基礎事項なのか、よくわからない
ーーー
自由主義的な発想の行き着く破滅が
一粒3000万円のクスリというもののような気もする
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時々墜落するアメリカ製戦闘機一機140億円を105機買う
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トランプによれば日本国は
時々墜落するアメリカ製戦闘機一機140億円を105機買うかから
1兆4700億円、さらに毎年の維持費。
これだけのお金があれば、ファーウェイの5Gや、その先の開発を
ソニー、NEC、富士通などに任せられそうな気がするのだけれども、どうなんでしょう
5Gはもう勝負がついているのだから、その先の開発を、ファーウェイ、クァルコム、エリクソン、ノキア、などと競争しよう
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レオナルド・ダ・ヴィンチ
類いまれな才能の持ち主には、発達障害を有する人が多いといわれる。ルネサンス期を生きたイタリアの芸術家、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452〜1519年)もその1人だ。英・King's College London、Institute of Psychiatry, Psychology and Neuroscience教授のMarco Catani氏らは幾つかのエビデンスを提示し、「モナ・リザ」を描いた画家が、発達障害の1つ注意欠陥・多動性障害(ADHD)であったとする説を、Brain(2019年5月23日オンライン版)に発表した。(関連記事「ダ・ヴィンチは間欠性外斜視だった」)
未完プロジェクト多く、集中力に欠け移り気な性格
「モナ・リザ」や「最後の晩餐」を描いた芸術家としてだけでなく、建築家、科学者、発明家など数多くの顔を持ち、いずれの分野においても優れた業績を残したダ・ヴィンチ。一方で、アルバート・アインシュタインやトーマス・エジソンらと同様に、発達障害が疑われてきた。
Catani氏らは今回、ダ・ヴィンチの遺筆や伝記などを検討し、"万能の天才"と称された芸術家がADHDであったとの仮説を裏付けるエビデンスを提示している。数々の偉業を成し遂げた一方で、多くの未完成プロジェクトを抱えたまま生涯を閉じた点について、同氏らは「アイデアをめぐらせることに過度の時間を費やし、忍耐力や集中力に欠けていたことがその背景にある」と指摘する。
ダ・ヴィンチの集中力のなさは幼少期から認められており、成人してからはより顕在化したという。例えば、独立した画家として得た初仕事では前金を受け取りながら納品せずに活動拠点を移し、「最後の晩餐」の作業現場を目撃したダ・ヴィンチと同時代の作家マッテオ・バンデッロは、著書で「ダ・ヴィンチは移り気な性質の持ち主で、物事をまとめる力は皆無であった」という趣旨の証言をしているなど、数々の証拠からも明らかであるとしている。
左利き、失読症、右脳優位性がADHDの臨床像と共通
さらにCatani氏らは、現代の脳科学において実行機能の障害は物事の先延ばしや集中力欠如が背景にあると考えられている点を説明。小児および成人のADHD患者の脳画像研究から、前頭葉および大脳基底核の一部が集中力や衝動調節に関わっていることが分かっており、ADHD患児の3分の2で成人後も行動面の問題が残ることが明らかになっているとしている。
続けて同氏らは、ダ・ヴィンチが左利きであり、65歳時に左脳の重度脳卒中を発症したにもかかわらず言語能力に障害が残らなかった臨床所見から、「ダ・ヴィンチは、人口の5%未満にしか見られない右脳優位性(言語中枢がある優位半球を右脳に持つ)であったことが強く示唆される」と述べている。加えて、「彼の書き残した文字から、文字を左右逆に書く鏡文字やスペルミスが認められ、失読症であった可能性が考えられる」と論理展開する。左利き、失読症、右脳優位性は一般人口に比べADHDを含む発達障害で多く見られることが知られているためだ。
くしくも今年(2019年)はダ・ヴィンチの没後500年に当たる。Catani氏はあらためてダ・ヴィンチの偉大さに触れた上で、「私たちはダ・ヴィンチの優れた芸術的才能や観察眼にとどまらず、困難に立ち向かう力(resilience)にも着目すべきである。彼が抱えた困難は異常なまでの精神の迷走を生じ、深い後悔の念としてダ・ヴィンチを苦しめた。ただ、それでも彼は人の生命や自然に対する好奇心と学習意欲を失わなかった」と締めくくっている
ーーー
芸術作品の解析からレオナルド・ダ・ヴィンチは間欠性外斜視であったことが示された。英・City University of LondonのChristopher W. Tyler氏が、ダ・ヴィンチの自画像を含む作品6点(彫刻2点、油絵2点、素描2点)を解析した結果をJAMA Ophthalmol(2018年10月18日オンライン版)に発表した。ダ・ヴィンチは間欠性外斜視で両眼視と単眼視を切り替えることができたため、立体感や遠近感の表現に優れていた可能性があるとしている。
6作品の解析から平均-10.3°の外斜視と推定
解析対象は、ダ・ヴィンチの師匠であったアンドレア・デル・ヴェロッキオ作の彫刻「ダヴィデ像」および「戦士」、ダ・ヴィンチ作の油絵「洗礼者ヨハネ」および「サルバトール・ムンディ(救世主)」、素描「ウィトルウィウス的人体図」および晩年の自画像の6点。自画像以外の作品も、ダ・ヴィンチがモデルとなった可能性があると考えられている。
作品の解析に際しては、瞳孔、虹彩、開眼部に合わせて一定の円および楕円を設定し、それらの相対的な位置を測定。標準の眼球半径を125mm、瞳孔間距離を60mmと仮定して、測定結果を斜視角に換算した。その結果、「ダヴィデ像」では-13.2°、「戦士」では-12.5°、「洗礼者ヨハネ」では-9.1°、「ウィトルウィウス的人体図」では5.9°、自画像では-8.3°であった(負の数値が外斜視に相当)。「サルバトール・ムンディ」では唯一、角膜反射の位置から斜視角の程度を測定するヒルシュベルグ法により斜視角を-8.6°と算出できた。
これらの結果は外斜視の所見に一致するもので(t5=2.69、P=0.04、両側t検定)、内斜視に相当する「ウィトルウィウス的人体図」の5.9°を除外した平均斜視角は-10.3°であった。
平面的単眼視が画才に貢献した可能性
レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レインをはじめとして、自画像の眼位から斜視であったと推定される著名な画家は多い。また、斜視は片眼の視線が固視目標から外れる両眼視機能障害で、偏位眼の抑制により単眼視となることが多い。しかし、見え方が二次元になる単眼視は、平面に絵を描く画家にとっては有利であると考えられる。
Tyler氏は「解析の結果、ダ・ヴィンチがモデルとしてリラックスしているときは-10.3°の外斜視になる傾向にあるが、自画像を描くために集中して自分の顔を見ているときは正位に戻った可能性があることを示しており、間欠性外斜視の診断に一致する」と指摘。「ダ・ヴィンチは間欠性外斜視であったため、立体的な両眼視と平面的な単眼視を切り替えることができたと考えられる。このことは、自画像や静物画を立体的に描く能力や、風景画に奥行きを表現する能力に優れていたことの説明になるだろう」と結論している
“優秀なセールスマンの特徴を五つ挙げている。あり余る元気と気楽さ。断られてもめげない自信。金への執着。自制心と勤勉さ。そして拒絶や障害を挑戦として受け入れる姿勢。”
“優秀なセールスマンの特徴を五つ挙げている。あり余る元気と気楽さ。断られてもめげない自信。金への執着。自制心と勤勉さ。そして拒絶や障害を挑戦として受け入れる姿勢。”
個人→現在の集団→現在と未来の集団と、自分が価値を置くものの拡大の軸と、寿命の長さの軸を取れば、相関が強いのではないか
"
社会が豊かになると出生率が低下する事情
「豊かになる」ということの意味は多様であり
そこのところを細かく考える必要がある
昔からの貴族が少子傾向かといえばそうでもないだろう
お金持ちだからというのではなくて、寿命が長くなっていることが効いているのではないだろうか
20歳か30歳でもう人生終わりのことが多いということになれば
その世代で考えそうなことは子孫を残すことだろう
80歳まで生きるのが普通となれば、子孫にお金とエネルギーをかけるよりは
自分の人生を好き勝手に行きたいと思うかもしれない
長生きすると決まっていれば、面倒なことは後回しだ
短命ならば、その時一番やりたいことをやる
もっと細かく言えば、
・自分の命を守ること
・今の集団を守ること
・将来に渡り集団を守ること
の3つくらいに分けて考えたらどうだろう
寿命が短いほうが下側の目標を目指す
寿命が長いほうが上側の目標を目指す
生物の中に、栄養状態が悪くなると、単細胞個体で生きるのをやめて、多細胞生物となり、そのなかの一細胞になる、たとえば心臓細胞の一部になるなどの例がある
一般に、環境が悪いほど、集団を守るために個体を犠牲にする。それが貧しい社会。
環境が良ければ、個人の命を優先する。それが豊かな社会。
貧しい社会がもっと貧しくなると、集団に価値を見いだせなくなり、自分の子孫にしか価値を感じなくなる。
だから、最も貧しい場合、子供を守ろうとする。子供や孫がいれば、逆転があるからだ。
やや貧しい場合は、助け合いの社会を作る。福祉型国家。
豊かな場合は、子孫よりも集団よりも、自分が大事になる。
という考察から得られるのは、国民は貧しくなって、未来に希望が持てなくなり、平均寿命が短くなれば、
出生率が上がるのではないかという、無責任な予想なのである
20歳か30歳までにできることは子供を作ることくらいしかないだろう
横軸に寿命の長さをとり、
縦軸に、価値の拡大を数値化して取る、
価値の拡大とは、個人→現在の集団→現在と未来の集団と、自分が価値を置くものの拡大である
そうすれば、縦軸と横軸は相関が強いのではないか
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“カウンセリングの世界では「一人では一人になれない。相手がいるから一人になれる」という言葉があります。安心できる聞き手がいるからこそ話し手は自分の記憶と向き合い、そこに入り込んでいけるという意味です。”
“カウンセリングの世界では「一人では一人になれない。相手がいるから一人になれる」という言葉があります。安心できる聞き手がいるからこそ話し手は自分の記憶と向き合い、そこに入り込んでいけるという意味です。”
“アメリカには二種類の人間がいる 世界はアメリカを中心に回っていると思っている奴と アメリカだけが世界だと思っている奴”
“アメリカには二種類の人間がいる 世界はアメリカを中心に回っていると思っている奴と アメリカだけが世界だと思っている奴”
莫大な医療費問題
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1日1回3000万円とか4000万円とかの治療で
いったいどうなるのかという問題はある
しかしこれは一回に4000万円だから感情としても分かりやすい問題であるが
現実に今すでに、薄く広く医療費を使う場面では同様の問題が、何倍もの経済規模で起こっている
解決は、『個人の資産に関係なく、命に必要な医療費ならば、みんなで出し合う』という原則を守りつつ、
『みんなで出し合う限度はどこか、つまり、健康保険負担の割合はどこまでが限度か』という具体的な問題になる
効果のはっきりしない薬を広く薄く使って莫大な医療費を無駄にしている現状が
この機会に改善されることをむしろ望む
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キムリア
白血病などの新型治療薬「キムリア」について3千万円を超す価格が付いた。これほど高額な価格設定になるのはなぜなのか。対象が希少疾患で患者数が少ない上、CAR―T(カーティー)と呼ばれる細胞を培養・増殖させる製造工程が複雑で、限られた専門施設でしか扱えないことが背景にある。
キムリア製造では、まず日本国内で患者の体内からT細胞と呼ばれる免疫細胞を含む白血球を採取。凍結保存し航空機で米国に輸送する。輸送中も採取物が傷つかないよう厳重な管理が必要だ。
採取した細胞が米国に到着すると、ニュージャージー州にあるノバルティス社の専門施設で、がん細胞を攻撃する遺伝子を導入して改変。CAR―T細胞を増殖させ、厳しい品質検査を重ねる。こうした工程は専門スタッフによる手作業になる。
個別の患者自身の細胞を用いて一つ一つ製造することから、CAR―T細胞療法に詳しい北海道大の豊嶋崇徳(てしま・たかのり)教授は「いわばテーラーメード」と表現する。高価格の設定には、これまでに投じた多額の研究開発費に加え、複雑な製造工程が影響しているようだ。
約2カ月かけて増殖させたCAR―T細胞は日本に空輸し、患者に点滴で投与される。国内で治療を受けられる医療機関は当面、2~3カ所にとどまる見込みだ。ノ社によると、製造施設の構造が特殊な上、専門スタッフの養成に時間がかかるため、現時点では日本に市販用の製造拠点を設ける計画はないという。
配信 共同通信社
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キムリアは米だと5400万円
脊髄損傷に適応のあるステミラックは薬価 1495万7755円
ーーーーー
キムリアについて、
名古屋大学の小児科の先生が、200万で同じ治療が出来ることを開発され、国に申請されたところ、高額の治療法をつぶすようなことをするなと審議会で言われ、認可されなかったようなことを書いておられました。
日本の大学で200万で可能なものを認可せず、外国の製薬会社のぼったくりの値段設定をそのまま通す厚労省の薬事審議会の連中は売国奴と思う。誰が通したのか、また、通した理由や、なぜ、名古屋大の先生は却下されたかについて詳細な経過を国民に公開するべきと思う。
との意見有。
こんなお金があったら日本の大学でこういう治療ができるセンター作って症例と技術を集積できるようにできるようにお金回していけないものか
との意見有。まことにもっともで、誠に賛成。
しかしハゲタカはますます我が物顔に暴れまわっていますね。
“ものすごく怖いのは生きている人なんですよ。何の疑いもなく、ためらいもなく、自分がいい人で、まっとうだと思っていたりする人がいる。そういう人の中に、ものすごい残酷さや差別意識があったりするわけです。自覚がない分、世の中で普通に恐れられている人よりもタチが悪い。これは怖いですよ。”
“ものすごく怖いのは生きている人なんですよ。何の疑いもなく、ためらいもなく、自分がいい人で、まっとうだと思っていたりする人がいる。そういう人の中に、ものすごい残酷さや差別意識があったりするわけです。自覚がない分、世の中で普通に恐れられている人よりもタチが悪い。これは怖いですよ。”
ステミラック注
偉い人が書いている話
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ステミラック注は「脊髄損傷に対する世界初の再生医療等製品」をうたい文句に掲げて、ニプロと札幌医科大学が共同開発した。患者の骨髄液から採取した間葉系幹細胞を培養し、静脈注射をすればそれが遠く離れた脊髄損傷部に移行・集積して神経がつながるという治療法である。少なくとも私の周りの脊椎外科医の間では、その学術的根拠の乏しさや副作用の危険性から、「承認はありえないだろう」との見方が一般的だった。ところが昨年末、PMDAがこの薬を7年間の期限付きで承認し、医療現場に投入してしまった。これに対して本誌説では、再生医療や脊髄損傷の世界の第一人者10人の意見を紹介して、厳しい批判を展開している。
一般メディアの報道によると、ステミラック注の臨床試験を担当した札幌医大の医師たちは「点滴翌日、肘や膝が動きだした。24週目にはスキップもできるようになった」「今までなら100%回復していないと断言できるような患者が回復してきた」「これまでならずっと寝たきりの可能性が高かった人だ」などと、個別の患者に関しての主観的・扇情的な「叙述」を繰り返している。Natureの取材に対して、神戸市の医療イノベーション推進センター長は「科学と医学の革命となる世界初の承認。医療の新時代の幕開け」と豪語している。もはや科学ではない。
Natureは、この治療法のサイエンスとしての基盤、すなわち「静脈注射によって全身投与された間葉系幹細胞が脊髄の再生につながる」という仮説自体を疑問視している。「静脈注射された幹細胞は肺の小血管にトラップされ、損傷された脊髄までは届かない。万一、届いたとしても、損傷部で新たな神経細胞に分化するという科学的エビデンスは否定的である。むしろ肺塞栓の副作用が懸念される」と述べている。これに対して札幌医大の医師たちは「患者自身の細胞であり、拒絶反応や副作用の心配がない」と、論点をすり替えている。無論、わずか13人の試験では副作用の評価など不可能である。
ーーーーー
2015年暮れの「ハートシート」の承認も、Natureに酷評されている
ハートシートとは、日本のテルモが販売する世界初の心不全治療用の再生医療製品である。患者の下肢から採取した筋肉に含まれる骨格筋芽細胞を培養して、シート状に調製し、虚血性心疾患の患者の心臓表面に移植することで重症心不全を治療する。
しかしこのハートシートでも、わずか7人の患者のケースシリーズ研究(記述的研究)のみで、製造販売が「条件付き承認」とされた。この承認に付けられた条件は、ハートシート治療群60例以上と対照群120例のデータを5年以内に提出して、この製品の有効性を実証することである。
しかしながら、テルモは昨年、「5年では10人あまりしか患者が集まらない」という試算を出して、3年間の承認期限の延長申請を行い、当局審査部会はこれを了承している。結果、効能の実証されていない治療法が塩漬けされたまま、8年間も臨床の現場で使われという状態が続いている。「将来、早期承認制度によって承認された製品に効果が見られないということが、きっと起こる。そのときはどうなるのだろう」と、Natureは疑問を投げかけている。
ーーーーー
ステミラック注、ハートシートともに、その薬価は約1,500万円と高額だ。いずれも保険適用が認められているために、本来なら製薬企業が負担して継続すべきだった臨床試験の経費を、患者と国民全体で背負わされていることになる。特に、ステミラック注に関しては、当初は1,000万円以下の薬価算定に対して製薬企業が「製品総原価を下回っている」と不服申し立てを行って1,500万円に吊り上げている。
ーーー
スピード審査・承認
「早期承認制度」
国際的には「premature and unfair」
ーーーーー
ミロガバリンがプレガバリンの悪しき前例を踏襲すること、すなわち「末梢性神経障害性疼痛」という曖昧な適応症の拡大解釈によって、効能が実証されていない整形外科疾患に乱用されること
「神経障害性疼痛」の定義・病態・疾患の特定が学術的に不可能であることは、日本ペインクリニック学会がつくった『神経障害性疼痛薬物療法ガイドライン』を見ると明白である。
プレガバリンやミロガバリンのターゲットであるα2δサブユニットが誘導されるのは、ラットの実験レベルの話で、かつ神経が壊死に至る程度にまで結紮された場合である。ラットにおけるこのように強固な神経絞扼状態に相当するようなヒトの疾患は、帯状疱疹疼痛、糖尿病性疼痛の中でも組織壊死になるような疼痛、脊髄損傷くらいしか存在しない。一方、同じラットでも、ヒトの神経圧迫疾患モデルではα2δサブユニットは誘導されないことが実証されている(Eur J Pain 2018;22: 355-369)。すなわち、α2δリガンドが効くのは、神経が切断、または壊死に至る程度まで絞扼された場合に限られており、脊髄損傷であれば分かるが、整形外科における一般的な神経圧迫疾患に効能があるはずがない。ましてや、腰痛症や関節症の痛みに効くなどは論外である。
プレガバリンもミロガバリンも帯状疱疹性疼痛と糖尿病性疼痛の薬剤
『リリカ』は「神経障害性疼痛」の病名で乱発。医学とは言えない。こんな商売ありですかね。
ーーーーー
5月4日「NHKスペシャル」
「寝たきりからの復活~密着!驚異の再生医療~」
番組では、ほとんどの脊髄損傷は自然に改善していく疾患であるにもかかわらず、あたかも不治の病のように扱われており、臨床現場において患者さんやご家族の混乱を招きかねない。当然、番組の内容にはなんの学術性もない。そもそも学術論文にもなっていない、かつ対照群もないわずか13例の治療群のみの結果で承認された治療法に、学術性を求めること自体が無理である。2人の脊髄損傷患者さんと家族のヒューマンドキュメンタリーにすぎない
専門家の「天動説から地動説に変わった」というコメント
ステミラック注の効能や副作用については、学術的に立証されていない
"
“むかし、中学の保健体育の教科書だったか先生が言ったことだったか忘れたけど、「人間の心はピンポン玉みたいなところがあって、少し凹んだくらいなら元に戻るけどべっこり凹むと戻らない」という言葉が今も記憶に残ってる。”
“むかし、中学の保健体育の教科書だったか先生が言ったことだったか忘れたけど、「人間の心はピンポン玉みたいなところがあって、少し凹んだくらいなら元に戻るけどべっこり凹むと戻らない」という言葉が今も記憶に残ってる。”
“怒らなくなると、本当に自由になるよね、相手に縛り付けられなくなるから。怒っている人は、相手にものすごく強く支配されている。恨みもそう。後悔もそう。いろんなものに、縛られている。だから、怒らないことはものすごく自由であることにもつながるよ。”
“怒らなくなると、本当に自由になるよね、相手に縛り付けられなくなるから。怒っている人は、相手にものすごく強く支配されている。恨みもそう。後悔もそう。いろんなものに、縛られている。だから、怒らないことはものすごく自由であることにもつながるよ。”
“小説を味わうのは、内容というよりもそのスタイル、文体を味わうことなのだ。でなければ、あらすじだけでいい、ということになる。”
“小説を味わうのは、内容というよりもそのスタイル、文体を味わうことなのだ。でなければ、あらすじだけでいい、ということになる。”
“「数分で語り尽くせる着想を五百ページに渡って展開するのは労のみ多くて功少ない狂気の沙汰である。よりましな方法は、それらの書物がすでに存在すると見せかけて、要約や注釈を差しだすことだ」 が語られている。すなわちボルヘスは引用という行為自体が、引用元の内容の有無に関係なくそれ自身である程度の意味を持つという認識に初めて至り、新しい形の創作を生んだのである。これについてウンベルト・エーコは「ボルヘスはハイパーテキストを先取っていた」と述べている。”
“「数分で語り尽くせる着想を五百ページに渡って展開するのは労のみ多くて功少ない狂気の沙汰である。よりましな方法は、それらの書物がすでに存在すると見せかけて、要約や注釈を差しだすことだ」
が語られている。すなわちボルヘスは引用という行為自体が、引用元の内容の有無に関係なくそれ自身である程度の意味を持つという認識に初めて至り、新しい形の創作を生んだのである。これについてウンベルト・エーコは「ボルヘスはハイパーテキストを先取っていた」と述べている。”
米中対立が進行した場合、 中国が保有する米国債を大量放出したらどうなるかという 危ない議論がある CIAなどが活躍してスパイが暗躍、自殺、病死相次ぎ、策動は潰されるだろう そのためにも5Gはまずいらしい
"
米中対立が進行した場合、
中国が保有する米国債を大量放出したらどうなるかという
危ない議論がある
CIAなどが活躍してスパイが暗躍、自殺、病死相次ぎ、策動は潰されるだろう
そのためにも5Gはまずいらしい
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保守と革新
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政治の立場としての保守と革新はいろいろな意味がある
そもそもはフランス革命が革新の立場
その時、ギロチンはあんまりだろうと考えたイギリスの人たちは保守の立場
アメリカで言えばフランス革命を引き継いだ立場が保守・コンサーバティブ・小さな政府・チャンスの平等・最大の自由
北欧型の福祉社会を目指すのが革新・リベラル・大きなな政府・結果の平等・制限された自由
日本で言えば戦後の経済復興主義が保守
だけれども
明治時代を目指す復古主義的立場の人も保守を名乗ったりする
自由民主党はリベラル・デモクラティック・パーティだからリベラルと名乗っている
どの意味でのリベラルなのか今となってははっきりしないが
貴族などの身分制度は採用しないという程度の意味だろうか
天皇制、憲法9条について
保守は天皇制維持、憲法9条維持、アメリカと安保維持
革新は天皇制否定、憲法9条維持、全面講和、
などの対立がああったものだが
現状では全体が右シフトして、
保守は天皇維持、憲法9条否定、アメリカ追随主義
革新は天皇維持、憲法9条維持、アメリカ追随主義
とう言うわけで、
かつての自民党の立場を革新勢力が継続している
それぞれの時代、それぞれの地域で
どちらかといえば現状維持的な人たちとどちらかといえば進歩的な人たちの区別が
保守派と革新派の区別で、相対的なものでしかない
"
"昨年から中国に行くようになり、つくづく思っているのが、 「10年後もし日本が今日の中国のようになっていれば、それは相当頑張ったと言っていいと思う」 という事です。 それくらい先を行っている。追いつかれるとかそういうレベルではなく、遥か彼方に行っていて、とても追いつけないところまで行っています。 この差を埋めようと考えて、乗り越えないといけない事をあれこれ考えていった時に、民主主義の意思決定コストの重さが大きなネックになる事が沢山あるなと思っています。 "
"昨年から中国に行くようになり、つくづく思っているのが、
「10年後もし日本が今日の中国のようになっていれば、それは相当頑張ったと言っていいと思う」
という事です。
それくらい先を行っている。追いつかれるとかそういうレベルではなく、遥か彼方に行っていて、とても追いつけないところまで行っています。
この差を埋めようと考えて、乗り越えないといけない事をあれこれ考えていった時に、民主主義の意思決定コストの重さが大きなネックになる事が沢山あるなと思っています。
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Amazon Go QRコードで入店 あとは欲しいものを手にとって、帰るだけ、 自動で会計 新時代だ
Amazon Go
QRコードで入店
あとは欲しいものを手にとって、帰るだけ、
自動で会計
新時代だ
“およそ生活万般、毎日がマンネリというのは平穏無事の証拠なのである。そういうマンネリの安定感をあたえてくださった神様に感謝すべきなのであって、マンネリだからツマらない、などといったらバチがあたる。いくらかのデコボコはあっても、ごはんがおいしくて、よく眠れて、本をよんだり音楽をきいたり、世間話をしたりして平穏無事ならそれがなにより。そういうマンネリこそが生活の基礎なのではあるまいか、とおもうのである。”
“およそ生活万般、毎日がマンネリというのは平穏無事の証拠なのである。そういうマンネリの安定感をあたえてくださった神様に感謝すべきなのであって、マンネリだからツマらない、などといったらバチがあたる。いくらかのデコボコはあっても、ごはんがおいしくて、よく眠れて、本をよんだり音楽をきいたり、世間話をしたりして平穏無事ならそれがなにより。そういうマンネリこそが生活の基礎なのではあるまいか、とおもうのである。”
どうでもいい話なんだけど、 モニターを見ていると、 赤い小さなダニのようなものが、ちょこちょこ歩いていることがあって 指でつぶすんですが、 先日潰したら、 モニターの『中』を歩いていたようで、 モニターの中で潰れました 最初赤く残って、いまは灰色に残っています ダニをつぶすときは、モニターの上というか、中は、気を付けよう こんな事初めて
どうでもいい話なんだけど、
モニターを見ていると、
赤い小さなダニのようなものが、ちょこちょこ歩いていることがあって
指でつぶすんですが、
先日潰したら、
モニターの『中』を歩いていたようで、
モニターの中で潰れました
最初赤く残って、いまは灰色に残っています
ダニをつぶすときは、モニターの上というか、中は、気を付けよう
こんな事初めて
うつになっても 群れから離れて 時間がたてば回復するというタイプがある それが分かっているから治療しないで 群れから離れるという作戦を選択する で、昔だったら、べつの群れに出会って、そこで結婚したりとかするのだろう 群れから離れるのは冒険のためでなくても役に立つ
うつになっても 群れから離れて 時間がたてば回復するというタイプがある
それが分かっているから治療しないで 群れから離れるという作戦を選択する
で、昔だったら、べつの群れに出会って、そこで結婚したりとかするのだろう
群れから離れるのは冒険のためでなくても役に立つ
インターネット 市民は、個人と個人がダイレクトにつながる良い道具と思っている 権力者は、個人の滋養法を支配し、個人の心を支配する良い道具と思っている
インターネット
市民は、個人と個人がダイレクトにつながる良い道具と思っている
権力者は、個人の滋養法を支配し、個人の心を支配する良い道具と思っている