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この世の関節がはずれている

この世の関節がはずれている。何てことだ、私はそれをはめ直すために生まれてきたとは。(「ハムレット」)

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認知症の予防とビタミンD

認知症の予防に食生活や栄養が関連していることが、多くの研究より報告されている。Balion氏らはビタミンDの摂取が認知機能や認知症発症に与える影響をメタアナリシスにより検討した。Neurology誌2012年9月25日号の報告。

 2010年8月までに公表された英語文献を5つのデータベースから検索した(すべての報告は比較群を有する)。認知機能、認知機能障害は全体または領域の認知機能テストにより定義し、認知症は定められた基準に従って診断された。ビタミンDの測定は必須とした。2名のレビュアーによりデータ抽出後、事前に定義された基準を用い研究の質を評価した。異質性の評価にはQ検定、I(2)統計量を用いた。加重平均差(WMD)、Hedge's gによるランダム効果モデルを用いたメタアナリシスを行った。

主な結果は以下のとおり。

・37報が基準を満たし、8報はビタミンDが50nmol/L未満/50nmol/L以上によって比較可能な平均MMSE(ミニメンタルステート検査)スコアを含んでいた。
・MMSEの加重平均差を比較した研究では有意な異質性が認められたが、高ビタミンD群では全体的に肯定的な結果であった(1.2、95%CI=0.5 ~1.9、I(2)=0.65、p=0.002)。
・複数の感度分析の結果、肯定的な効果は小さいながらも持続した。
・アルツハイマー病をコントロール群と比較した報告は6報。そのうち、商用的利用のため排除した2報を除いた4報では、アルツハイマー病群ではコントロール群と比較しビタミンD濃度が低かった(WMD= -6.2nmol/L、95%CI= -10.6 ~ -1.8)。また、異質性は認められなかった(I(2)<0.01、p=0.53)。


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アルツハイマー型認知症(AD)および軽度認知障害(MCI)進行予防としてのビタミンE エビデンスはみつからなかった

アルツハイマー型認知症(AD)および軽度認知障害(MCI)進行予防としてのビタミンEについて、ベネフィットがあるという確実なエビデンスはみつからなかったと、英国・サセックス大学のNicolas Farina氏らが報告した。結果を受けて著者は、「今後の試験では、ADにおけるビタミンEの評価をα‐トコフェロールに限定しないで行うべきかもしれない」と提言している。本研究は、ビタミンEにはフリーラジカルを消失する抗酸化作用があり、一方でフリーラジカルがADなど病理学的な認知障害プロセスに寄与するとのエビデンスがあることを踏まえて行われた。Cochrane database of systematic reviews 2012年11月14日掲載の報告。

 Cochrane Dementia and Cognitive Improvement Group(ALOIS)、The Cochrane Library、MEDLINEなどSpecialized Register(2012年6月25日時点)で、「Vitamin E」「vitamin-E」「alpha-tocopherol」の単語を用いて文献検索を行い、非交絡で二重盲検の無作為化試験(ADまたはMCI患者を対象に、あらゆる投与量でのビタミンE投与とプラセボを比較した試験)を同定した。レビュワー2名が個別に選択基準を適用して試験の質を評価し、データの抽出と解析を行った。各転帰尺度は無作為化された患者ごとに調べ、データ抽出をできる患者がいなくなった時点で解析を行った。プール解析は試験間で比較可能な転帰尺度が不足していたため行われなかった。

 主な内容は以下のとおり。

・選定基準を満たしたのは3試験だけであった(AD集団について2試験、MCI集団について1試験)。
・1つ目のAD試験(佐野、1996)では著者は、ビタミンE投与(2,000 IU/日)は若干のベネフィットがあったこと[2年以内の、死亡・施設収容・CDR(Clinical Dementia Rating)スコア3のエンドポイントに達成した患者がより少なく、基本日常生活動作の低下も少なかった]を報告していた。
・投与を完了した患者において、エンドポイント達成について、ビタミンE群58%(45/77)に対しプラセボ群は74%(58/78)であった[オッズ比(OR):0.49、信頼区間(CI):0.25~0.96]。
・2つ目のAD試験(Lloret、2009)は、酸化ストレスとの関連でビタミンE(800 IU/日)投与の認知障害の進行に対する効果を検討したものであった。結果、ビタミンE投与で患者は酸化ストレスマーカーが低下したが、MMSEスコア変化率(ベースラインから6ヵ月間、対プラセボ)の有意差は認められなかった。
・MCI試験(Petersen、2005)の主要な目的は、MCIからのADを含む変化・進行までの時間についてビタミンE投与(2,000 IU/日)の効果を検討したものであった。結果、被験者総計769例のうち214例が認知症へと進行し、そのうち212例はADがほぼ確実もしくはその可能性が高いると分類された。
・MCIからADへの進行の可能性についてビタミンE群とプラセボ群で有意差はみられなかった(ハザード比:1.02、95%CI:0.74~1.41、p=0.91)。


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統合失調症とメラトニン

統合失調症におけるメラトニンの関与はこれまであまり議論されていない。Anderson氏らはメラトニンと統合失調症の罹患、神経免疫や酸化性病態生理、睡眠障害を含む特異的な症状、サーカディアンリズム、遅発性ジスキネジアやメタボリックシンドロームを含む抗精神病薬の副作用との関係をレビューした。Metab Brain Dis誌2012年6月号掲載(オンライン版2012年4月25日号)。

電子データベース(PubMed、Scopus、Google Scholar)よりメラトニンと統合失調症、精神障害、遅発性ジスキネジア、抗精神病薬、メタボリックシンドローム、薬剤性副作用をキーワードとし、統合失調症の病因、経過、治療に関連した論文を抽出した。

主な結果は以下のとおり。

・統合失調症患者ではメラトニン濃度とメラトニン・サーカディアンリズムが有意に減少する。
・統合失調症患者に対するメラトニン補助療法は、抗炎症作用および抗酸化作用により抗精神病薬の効力を増強する可能性がある。
・メラトニンは統合失調症患者の睡眠障害や抗精神病薬による副作用(遅発性ジスキネジア、メタボリックシンドローム、高血圧など)を改善する可能性がある。
・メラトニンはストレス反応とコルチゾール分泌を介して、トリプトファン代謝経路に影響を与え、認知に関連する皮質(扁桃体反応、線条体の処理機能)へ影響を与える。
・統合失調症ではメラトニンの分泌が減少しており、それが病因(病態や治療)と関与している。
・メラトニンは統合失調症患者の平均寿命に影響を与える抗精神病薬の代謝系副作用に関与すると考えられる。



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アスリートが経験する脳震盪はうつ病リスクを増加させる

アスリートの多くが経験する脳震盪。脳震盪は、頭部に激しい衝撃を受けた直後に起こる一過性の脳障害で、めまいや頭痛、意識喪失などが短期的に発現する。中等度以上の脳震盪では、脳が損傷を受ける可能性も高く、障害が残ったり、死亡に至るケースもある。Kerr氏らは、脳震盪が将来のうつ病発症の独立した危険因子であることを、Am J Sports Med誌オンライン版2012年8月24日号で報告した。

 NFL (アメリカ・プロフットボールリーグ)を引退した選手を対象とした前向きコホート研究。2001年の一般健康調査(GHS)をベースラインとし、2010年までフォローアップを行った。調査項目は、人口統計情報、選手生活で経験した脳震盪、身体的・精神的な健康状態、各種疾患の有病率。身体的健康状態は健康関連QOL評価尺度(SF-36 PCS)にて評価した。2010年に自己申告した脳震盪の経験により、5つのカテゴリー(経験なし、1~2回、3~4回、5~9回、10回以上)に層別化を行った。主要評価項目は、ベースラインからフォローアップまでのうつ病診断とし、単純暴露因子の結果に対するリスク比を算出した。分析には、ポアソン回帰分析および推定補正リスク比のばらつきにロバスト分散を用いた。脳震盪と9年間のうつ病リスクの関係や傾向はカイ二乗検定により分析した。

主な結果は以下のとおり。

・ベースラインとフォローアップのGHSデータが得られた1,044名のうち、期間中にうつ病と診断されたのは106名(10.2%)であった。
・少なくとも1回以上の脳震盪を経験したと自己報告した選手は65%であった。
・9年間のうつ病発症リスクは脳震盪の経験回数と相関していた(経験なし:3.0%、10回以上:26.8% [線形トレンド:p<0.001])。
・交絡因子(引退した年、2011年のSF-36 PCS)で調整後でも、反応関係性は強固であった。
・引退時点でうつ病と診断されていた選手では、診断前のSF-36 PCSがより低かった。
・脳震盪はうつ病発症の独立した危険因子である。脳震盪とうつ病の関係は、身体的健康状態の低下とうつ病の関係とは無関係であった。


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HCL-32(Hypomania Checklist-32)の有用性

わが国の気分障害患者は増加の一途をたどっている。気分障害の中でも、躁病エピソードとうつ病エピソードを繰り返す双極性障害の診断・治療への関心は高い。治療に関しては、双極性障害の適応を有する薬剤が最近いくつか承認された背景もあり、日本うつ病学会は本年(2012年)3月末に双極性障害治療ガイドラインの改訂を行っている。一方、診断に関しては、躁症状や軽躁状態を把握することが難しく、うつ病と診断されるケースも少なくない。Perugi氏らは、双極性障害の診断ツールとして開発され、国際的にテストされているHCL-32(Hypomania Checklist-32)の有用性を検討し、Psychopathology誌オンライン版2012年8月7日号で報告した。

 対象として、DSM-IV基準により大うつ病と診断された571例(563例が適格)が継続的に登録され、多施設共同横断観察研究を行った。躁病エピソード(躁症状、軽躁状態)はHCL-32で評価し、うつ病エピソード(抑うつ症状、不安症状)はZungうつ病自己評価表にて評価した。

主な結果は以下のとおり。

・119例の患者は双極性障害(Ⅰ型またはⅡ型)と診断された。
・HCL-32トータルスコアおよび14のサブスコアにおいて、双極性障害患者の躁病エピソードの発生は大うつ病患者に比べ有意に高く、感度は0.85、特異性は0.78であった。
・若干の偽陽性がみられるものの、HCL-32は大うつ病患者における過去の軽躁病エピソードの把握に有用であると考えられる。


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うつ病患者の食事療法としての「トリプトファン摂取」

うつ病では悲哀感、希望喪失、易刺激性、身体機能障害などの特徴がみられ、数週間にわたり重症の症状を呈する。また、気分変調症は軽度の抑うつ気分が漫然と続いた状態である。うつ病の治療には、精神療法、薬物療法、光線療法などがあるが、これまでの臨床的および経験的エビデンスから、適切な食事が抑うつ症状を軽減しうることが示唆されている。オランダ領アンティル・Saint James School of MedicineのFaisal Shabbir氏らは、食事が抑うつに及ぼす影響について考察した。神経伝達物質であるセロトニンの低下はうつ病の一因であるが、セロトニンの前駆体であるトリプトファンを多く含む食事が抑うつ症状の軽減に有用であることを示唆した。Neurochemistry international誌オンライン版2013年1月7日号の報告。

 主な知見は以下のとおり。

・脳内で合成される神経伝達物質のセロトニン(5-HT)は、気分緩和、満足感、睡眠の調節などに重要な役割を果たしている。5-HTを多く含む果物や野菜があるが、血液脳関門の存在により5-HTは中枢神経系に容易に到達できない。しかしながら、5-HTの前駆体であるトリプトファンは容易に血液脳関門を通過できる。
・トリプトファンは、ビタミンB6誘導体であるピリドキサールリン酸存在下で、トリプトファンハイドロキシダーゼおよび5-HTPデカルボキシラーゼにより5-HTに変換される。
・タンパク質の多い食品であっても、必須アミノ酸は体内でつくることができないため、トリプトファンの含有量が少ない食事をしているとうつに陥る可能性がある。
・たとえば月経前後の女性、心的外傷後ストレス障害、慢性疼痛、がん、てんかん、パーキンソン病、アルツハイマー病、統合失調症、薬物依存など、うつに陥りやすい状況にある患者ではトリプトファンを多く含む食事が重要である。
・中枢神経におけるトリプトファンのバイオアベイラビリティは炭水化物の欲求に関連するが、炭水化物を多く含む食事はインスリン反応の引き金となりトリプトファンのバイオアベイラビリティを高める。
・セロトニン再取り込み阻害薬は(SSRI)は、抑うつ症状を呈する肥満患者に処方されるが、これらの患者ではセロトニン濃度が厳格に調節されず、モノアミンオキシダーゼ阻害薬と併用した際には生命を脅かす有害事象が発現する可能性がある。しかし、トリプトファンを多く含む適切な食事を摂取することでセロトニン合成が調節されうる。
・以上より、さまざまな神経変性疾患で観察される抑うつ症状に対し、セロトニン神経伝達を助ける上でトリプトファンを多く含む食事とビタミンB6は臨床的に重要と言える。ただし、うつに対するセロトニン神経伝達を修飾する薬理学的介入は、従来と変わらず臨床的に重要な事項である。また、うつの病態にはその他にもいくつかの分子メカニズムが関わっている可能性がある。

ーーー
トリプトファンの多い食品
オートミール、ナッツ類(ごま、アーモンド、落花生、くるみ、カシューナッツ)、あずき、大豆製品(きな粉、凍り豆腐、納豆)
魚類に多い(とくに、しらす干し、たらこ、のり、わかめ、かつお、まぐろ)
肉類に多い(とくにレバー)
乳製品(牛乳、チーズ)


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それは我が道であるか

それは我が道であるか否か
歩いた後に初めて知るのである

愚かなことだ

そのために祖父と祖母がいると思う

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白雪姫の義母は美しかったと思う

白雪姫の義母は
自分の美しさが生きる支えだったし生きる理由であった
だから自分より美しい白雪姫の存在を許すことができなかった

そういうことは世界によくあることだ

長所はそのまま、破滅への第一歩である

ーー
義母が自分の美しさをどのように認識していたかについて考えると
鏡を道具にして知るしか、他に方法がなかっただろうと思う

鏡に映る自分は大変限定された情報である
それを元にして自分の像を脳の中で再構成するとかなり間違ったものであることもあると思う

しかしいずれにしても
義母が鏡に問いかけるのは
理由のあることだろう

他の方法としては夫の言葉に頼る事も考えられる
しかし義母はその方法を採用しなかった
そういうものだろうと思う

ーー


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わずかな感覚情報と限定された経験から世界を解釈する人間

人間は皆、
限定された感覚モードにより得られた情報と
限定された体験により、
脳の中で世界を再構成して
この世界を生きている

なんという不完全な認識だろう

ーー
赤信号は止まれである
そのような次元で人間は「共通の認識」を持っているのだろう

ーー
立場により、
生育歴により、
認識の特徴により、
どんなに違う世界を生きているかと考える

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プロ野球の解説でいう「流れ」はコンテクストのこと

プロ野球の解説でいう「流れ」はコンテクストのこと

プロ野球の解説者がしばしば「試合の流れ」という言葉を使い
あまり意味のない言葉だろうと思っていたのだが
そうでもないのかなと思うことがあった

精神療法の領域でもコンテクスト重視とかの話は出る
簡単にいえば同じ言葉、同じ行動でも、状況によって意味が違うという、当然のことを言っている

イメージとして分かりやすいのは
コンピュータで右クリックすると、その状況にあわせたメニューが出る
そのような状況、局面である

もちろん、コンテクストと言う言葉で考えないとしても、
状況や局面に依存して人間の行動や言葉や思考は変化するのだから
考慮するのは当たり前である

当たり前のことを一年中言っていて、それで野球解説者になるのかなというのが問題だ
しかし、ピッチャーが次にどんなボールを投げるか、
バッターがどんな球を狙うか、進塁打のゴロを打つか、右狙いするのか、四球を選ぶことが意味のある攻撃なのか
そのそれぞれに今どんな局面なのかが大きく影響する

一点がほしいのか大量点がほしいのか
ピッチャーを交代させたいのか
それによってストライク・ゾーンを広げて積極的に打ちに行くのか、
バントを決めてぶれっシャーをかけるのか、考えることになる

年間200本安打が目標となれば、こうした状況依存性もだいぶ様子が違って、
今どんな状況だから安打の確率を高めるにはどう対応すればいいかが決まってくる
勝つための状況判断とは違うものになるかもしれない

三振よりはヒットがよくて、ホームランはもっといいという単純な判断だけでは済まない要素があり、
それがコンテクストであり、それを「流れ」と呼んでいるのではないか。

そして流れは受動的なものばかりでもなくて
能動的に流れをつかむこともできる
それが試合の全体に影響する

いつもは打てないはずなのになぜあの場面で打てたのかと考えると
技術的な解説以上に
流れに乗っていたとしか言いようがない場合があるのだろう

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自動思考と思考行動の根本スキーマ

認知行動療法では人間の自動思考やスキーマを検討し、
それが不適応的であるならば変更したり、適用する場面を変更したりできるようにトレーニングする

しかし実は、病気ではない普通の人間でも、
自動思考の束を分析してみると、
不適応的であったり不合理であったり、
という場合が多い

人間は発達の歴史の中で、それぞれの自動思考がどのような結果を生んだのかを承知しているはずである
現時点で改めて気持ちを聞くと、そのような不合理な自動思考は改めたい、
または、浮かんできたとしても、とらわれることなく、やり過ごしたいと思うものだ

しかし、自動思考というだけあって、それを意識化することは難しいし、変更するに至ってはもっと難しい。
変更しない理屈をいくつも用意してしまう

人間はそのような不合理なものなのだと思うしかないようだ



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世界を広く見たほうが幸せか、狭く見たほうが幸せか

世界を広く見たほうが幸せか、狭く見たほうが幸せか
という問題はあると思う
もちろん、適切な程度に両方の見方ができることが一番良いと思う

自分が幸せなとき、世界を広く見れば、幸せは薄まる
世界を狭く見れば、幸せは強くなる

自分が不幸なとき、世界を広く見れば、もっと不幸な人がこんなにもたくさんいるのかと知り、不幸は薄まる
世界を狭く見れば、小さなこともとてもつらい

幸せを感じたいときには上を見ない
もっと意欲を出したいときには上を見て知る
不幸を小さくしたいときにはもっと下があることを知る
不幸を感じないようにするためには上を知らないようにする

向上を目指す限り、幸せのままではいられないだろう
それは今の幸せと将来の幸せと、どちらを選択するかという問題でもある

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人生の最期に思うこと

人生の終わりになって
お金儲けがしたいと思う人も少ないだろう
たとえば
本当の自分に出会いたいとか
自分の歴史を子供に伝えておきたいとか
配偶者と思い出を語り合いたいとか
友人との深い出会いとか
そんなことが多いだろうと思う

それなのに多くの人は
毎日の大部分の時間を費やして
人生の時間をお金に変えている

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種保存本能と対立するのが子供を作らないということ

自己保存本能と対立するのが自殺で
種保存本能と対立するのが子供を作らないということだと思う

自己保存本能と種保存本能が対立する場合は
場合によりどちらかが優位になる

富裕になり知性化が進行すると自己保存本能が種保存本能を上回るようになるのだろう
結果として非富裕、非知性的な階層の人口割合が増大するのだろう

それはそれで前提として認めればいい

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デフレと賃金の話

採録

日本の名目賃金は下がっているのだ。次の図は日本総研の調べた日米欧の名目賃金だが、特に日米の違いは大きく、この15年でほぼ2倍になっている。

デフレの原因は新興国の世界市場への登場によって工業製品の低価格化が進んでいることだという野口悠紀雄氏の説明に対して、高橋洋一氏は「OECD諸国で中国からの輸入の対GDP比率はどの国でも上昇しているが、デフレになっているのは日本だけ」だから原因は金融政策だというが、これも間違いである。日本だけがデフレになっている原因は、この名目賃金低下なのだ。2倍の賃金格差は、この15年で30%程度の日米インフレ率の違いを説明するには十分である。

ほとんどの人は理解していないが、デフレで不況が悪化するのは名目賃金の下方硬直性があるときに限られる。デフレによって実質的な賃上げが行なわれ、企業収益が悪化するからだ。名目賃金が下がっている日本では、実質賃金も労働生産性の低下に従って下がるので、デフレの悪影響はない。したがって著者もいうように、日本のデフレは不況の原因ではなく結果であり、金融政策では是正できない。

賃金が下がっているのは、著者も指摘するように中国との単位労働コスト(賃金/労働生産性)の差が縮まっているためで、これ自体は避けられない。むしろ不思議なのは、欧米では下方硬直性が強いのに、日本で名目賃金が下がるのはなぜかということだ。その一つの原因は非正社員の増加によって時給ベースの(労働生産性に見合う)賃金が増えたことだが、もう一つは中高年社員の賃金抑制だ。しかし彼らはなぜ賃下げを受け入れるのだろうか?

その原因は雇用を守るためだ、というのが本書の説明である。産業別に組織された欧米の労働者とは違って、日本の労働者は企業という「一家」のメンバーだから、収益が悪化すると自分も応分の負担をしようと考える。その結果、企業収益と賃金の比率が一定に保たれ、賃金が業績に応じてアップダウンする一方、雇用は一定に保たれてきた。日本の失業率は4%前後と、主要国ではきわだって低い。

要するに従業員共同体を守るために、労使一体(サラリーマン経営者も労働者)で賃金を中国に近づけているのだ。これはアメリカで製造業の労働者がレイオフされて(低賃金の)サービス業に再就職したのと本質的には同じ労働コスト調整だが、日本のほうが既存の労働者の犠牲は少ない代わり、若者の半分以上は非正社員になるという世代間格差が拡大する。

だから「デフレ脱却」などという政治的スローガンは目くらましであり、本質的な問題は中高年の労働者を保護して若者だけをグローバル競争にさらす日本の政治経済システムにある。 

ーーー
賃金も下がり物価も下がり中国のレベルに接近してゆくというのはマーケットとして当然だろう
関税障壁、非関税障壁がその邪魔をしている

ーーー
インフレになっても賃金が上昇するまでには時間的なずれが生じる
労働者にとっていいこととも言えないだろう

ーーー
借金を抱える人はインフレを待望している
なんだか納得出来ない社会である



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くよくよする

くよくよしている人の話を聞いてみれば
心配を心のなかで拡大しているだけのことが多い

他人の立場になって客観的に見れば
だれにでも起こることだし命をとられるわけでもないし
ただ少しの間我慢すればいいだけということも多い

しかし本人にすればそうではない
本人は実際に大変に苦しいのである

そんな人も他人の事ならば冷静に客観的に判断できるのだから不思議だ
自分のことだけは別なのである

自分のことを考える時と他人のことを考えるときは
脳の別の回路を使うのではないかと思うくらいだが
もしそうであれば、自分のことでも他人のことのように客観的に考えなおして見ることが
不安を小さくするために良いことになる

しかし一方で、他人のことを考えるときも、人間は自分の体験を参照して判断している
「そのような自体になった場合、自分はどのような気持ちになったか」を参照して
他人の気持ちを推定している
だから他人の気持ちを考えるときに自分の気持を別に考えることもできないはずなのだろうと思うのだ

以上のような事情だとすれば、
自分の体験を他人に適用するときは客観的になれる、
自分の体験を自分に適用するときは不安が過剰になる場合があるということになるのだろうか

自分のことになると別というのは
そのとおりだ


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男と女

一人の女に熱烈な愛の言葉や愛の行為を与えられる男は
当然だが別の女にも同じ事ができるだろう
女も同じ

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怒りの感情を抑える

採録 認知行動療法的なことも書いてある 
 
ーーー
怒りの感情を抑えると、どんなマイナスが生じるか、3つ挙げておこう。

 第1に、「ささいなことにイライラする」。

 飲み屋での中年男性同士の会話。

 「近頃つまらんことでイライラするんだよね。テレビ、それもNHKの女子アナがやたらと笑うんだよな。お笑い芸人じゃあるまいし。いい加減にしろ、って言いたい」

 「オレも、女性の天気予報士の声の甲高いのにはイライラする」

 「それに電車のアナウンスもイラつくんだよ。『この電車は途中混雑のため、ただ今1分遅れで走っております。お急ぎのところご迷惑をおかけして誠に申し訳ありません。深くお詫び申し上げます』。ばか丁寧に詫びられると、1分くらいで深くお詫びはないだろう、ふざけるなって腹が立つ」

 「反対に10分以上遅れると、急にアナウンスが少なくなったりしてね」

 耳に入ってきた2人の会話、私にも思い当たることなので思わず頷いてしまった。

 妻にも話したところ、「だったらすぐに投書するなり、メモして駅員に渡すなりすればいいじゃない?」。

 「でも、それも大袈裟だし」と口をつぐんでしまう。

 「おかしい。変だ」と感じたら、発信元に直接、その感情をぶつければいいのに、抑え込んでしまうために慢性的不機嫌に陥る。文句を言ったり、相手を責めたりしたくなるのは感情を抑えていることから起こる。

 第2に、「人の話が聞けなくなる」。

 ムシャクシャしているのに言わずに我慢していたのでは、人の話を聞く余裕は生まれない。

 <部長はいくらなんでもひどすぎる!>。内心苛立っている課長は、部長が何か言っても表面上聞いているふりをしているだけだ。

 「部長、私は正直言うと怒っているんです。なぜ、私に相談してくださらなかったのか。それで、責任だけおまえが取れというのでは、私はどうしていいか分かりません」

 これだけのことを言ったうえでなら、部長が一体どういうつもりだったのか、真剣に聞く気になるはずだ。人は自分の気持ちを伝えた後なら、相手の話を聞こうという気になるものである。

 第3に、「相手にいやがらせをする」。

 無理ばかり言う先輩に、言い返したいのにそれができないでいる後輩。彼はやがて頼まれたことになかなか着手しなかったり、やることはやっても手を抜いていたり、時に「あっ忘れていました」などと言って、いやがらせという手段を用いる。それも、意識してではなく、本人も気づかないままやってしまう。

 心理学の本によると、こうした態度を「受動的攻撃」と呼ぶそうである。

 「あれ、やっといてくれた?」

 「あっ、まだです。これからです」

 「困るね、早くやってよ」

 こんなやり取りが何回も続くようなら、単に仕事が遅いだけではなく、面白くない感情がくすぶっている結果なのかもしれない。

 これらのようなマイナスを解消するには、怒りの感情を言葉にして伝えるのが何よりである。怒りの感情の伝え方について、これまでもいくつか述べてきたが、ここでまとめて触れておきたい。

 すぐにカッとなる「瞬間湯沸かし器型」の人はもちろん、普段は落ち着いている人間でも、イライラし、怒りが込み上げてくると、頭に血が上って一気に怒りの感情をぶちまけてしまう恐れがある。

 腹を立て、感情をまき散らすことと、怒りの感情を伝えることは、大きな違いがある。

 感情をむき出しにして怒れば、人間関係は一気に壊れてしまう。「怒る」のは人間関係の修復のためであって、壊すことではない。

 カッとなったまま、言い換えれば怒りに任せて怒るのではなく、一拍置いて少しでも自分の気持ちを落ち着かせる。そのうえで、怒りの言葉を口にしよう。

 気持ちを落着かせる方法には3つある。

1)深呼吸をする

 よく言われるように、「カッとなったら一呼吸」である。カッとなって過剰反応をすると、攻撃的になるだけで我を忘れてしまう。自分を取り戻すための「間合い」が、一呼吸だと思えばよい。

 私は子供の頃から喘息で、今も悩まされている。そのせいか、呼吸と言うと「吸う」ことだと思い込んでいた。発作が起こって、息苦しくなると、普段気にならない空気の汚れがいやに気になって、明るい光りの中にほこりがキラキラ舞って目に入ってくることがある。

 でも、呼吸とは文字通り「呼」が先なのだ。まず、息を吐くこと。吐いて吸う。

 「ハァーッ」とゆっくり息を吐く。そして鼻からたっぷり息を吸い込む。ひたすら、呼吸に意識を集中する。このようにして呼吸を整えるとよい。

 すると、次第に気持ちが落ち着いてきて、自分が戻ってくるのである。

 以前は私も吸うことばかり考えて、あわてて苦しんだりしたのだが、近頃は息が苦しくなると吐くことから始めて、その後で吸うようにしている。

 カッとなったら、まず息を吐く。そして吸って、自分の気持ちを整えよう。

2)体を動かす

 「怒る」ことに馴れていない人は、いざ怒ろうとすると、緊張に襲われて身体や表情がこわばってくる。

 こんな時、言葉で<力を抜け、リラックスするんだ>といくら言い聞かせても、その言葉に縛られて、かえって体は硬くなる。

 アランの『幸福論』にこんな一節がある。

 舞台に立つのを死ぬほど怖がっていたピアニストが、演奏を始めるや否や、たちまち立ち直ってしまうのをどう説明したらよいか。

 アランはこう説明する。「体の運動が我々を恐怖から解放するのだ。ピアニストはあの指の柔らかい運びによって恐怖を追い払ってしまったのだ」。

 「立ち上がる」

 「伸びをする」

 「一歩、二歩、歩いてみる」

 「首を回し、肩をほぐす」

 そんな軽い動作をするだけで、気持ちがほぐれる。

 宅配便の配達員が小走りにやってくるのは、急いでいるだけでなく、走ることで暗い気分を追い払って、明るい表情を作り出しているのである。

3)イメージを浮かべる

 私の事務所の近くにある湯島天神の鳥居の脇に、大きなイチョウの木がある。去年の11月中旬のある日、ふと見上げたら黄色いイチョウの葉がいっぱいに広がって、思わず見とれてしまった。近くにいた男女2人連れがスマートフォンを手に取って、寄りそって画面に見入っていた。

 ほどなく、男性が「カッとなった時、この画面を見て気を静めるっていうのはどうだろう」。「いいかもね。でも、できるかな」。「湯島天神のおまじないと思ってやるさ」。「私が腹を立てた時にも使ってよね」。

 腹が立った瞬間、自分の怒った顔をイメージして、「こりゃいかん」と気持ちを落ち着かせる方法もあるだろう。だが、それよりスマホの「見事な黄色いイチョウの葉」が映った画面の方が、気持ちを変えるのには効き目がありそうだ。あなたはどう思うだろうか。

 相手の態度にムっとする。「そんな言い方はない」と癇にさわる。でも、いざとなると怒りを口に出せない。時間が経つほど、言い出しにくくなる。

 Fさんはそんな時、気心の知れた同僚から「なんか不機嫌そうだけど、気に入らないことでもあるのか」と、声をかけられた。

 きっかけは、上司に「キミ、困るじゃないか。1カ所数字が抜けていたぞ。オレが気づいたからいいけど、上に出す資料だから、しっかり確認してもらわないとな」と言われ、資料を突き返されたことだった。

 Fさんは、仕事は速いが細かい点を見落とす癖があって、自分でも気にしているだけに、たった1カ所数字の記入漏れくらいで資料を突き返され、内心面白くなかった。つい、「分かってます」とうるさそうに答え、上司から「分かっていないから言っているんだ」と強い口調で言い返された。

 「すいません」と謝ったものの、Fさんは内心釈然とせず、怒りがくすぶり始めたのだった。

 短気な性格のFさんだから、このままでは怒りが爆発して上司とやり合ってしまうかもしれない。怒りの感情は目に見えないだけに、内心でくすぶって自分でも把握しにくい。

 そこで、紙に書いて可視化してみたらどうか。

 その際の要素は、

A)自分は何に対して怒りを感じているのか?
B)それは誰に対してか?
C)どの程度の怒りか?

 この3点について、紙に書き出してみる。書いてみることによって怒りの正体が明らかになるし、新たに気づくことが出てくることもある。

 Aについては、資料を突き返されたこと、「分かっていないから言っているんだ」と強い口調で怒られたこと。さらに、上司に「仕事を甘く見ているんじゃないか」と思われているような気がしたこと。でも、怒りを感じたそもそもの原因は細かい点に不注意であることを、自分でも気にしていて、不安だったからではないか。

 Bについても、上司に対してだけでなく、自分に対して<不用意なやつ>と腹を立てていたことに気づく。

 Cは、まだ「イライラ」「腹立たしい」気持ちがくすぶっている程度。ただし、上司から再び「おい、資料の順番が違っている。なんでこういうつまらないミスをするんだ!」と怒られたら、Fさんはカッとなって「そんなに大声で怒ることもないでしょう」と言い返し、「大声を出しているのはおまえの方だろう」と言い争いになるかもしれない。

 これではお互い、不快な思いが残るだけだ。紙に書いて、気持ちを整理しておけば次のように話せるだろう。

 「実は私も気になっていまして…。ですから指摘されると、不安になってどうしたものかと悩んでしまうんです」

 こう伝えれば、上司もFさんが仕事を甘く見ているのではなく、実は気にしているのだと分かり、「キミは仕事が速いし、できるんだから、最後のチェックさえ怠らなければ何も問題はないんだよ」と、好意的なアドバイスをしてくれるだろう。

 自分が感じたことを整理して、早い段階で述べておけば、相手にもこちらの気持ちが伝わって、お互いに協力的な関係が築けるのだ。

 怒りの程度にも、いくつか段階がある。

1)軽い怒り、小さな怒り:ちょっと気になる、困る、注意したいなど

2)イライラする、腹立たしい:やる気がない、よく間違える相手に対してイラっとする

3)頭にくる、カッとなる:人を無視する、非を認めないなどに対して強い怒り

4)許せない、激怒する:ひどすぎる仕打ち、ルール違反、理不尽など断じて引けない憤怒

5)キレる、怒り狂う:自己中心の怒りからくるもの、または我慢のしすぎ

 怒る時のものの言い方も、この段階に従って激しさを増し、強い口調になり、最後には怒鳴り合いになってしまう。

 とはいえ、怒るのは「現状を回復したい」「もっとよくしたい」「人間関係の修復を図りたい」との目的であることを想起すれば、言い方もその目的に沿ったものであるべきだ。

 3つ、要点を挙げておく。

 1つは、大きい声を出さない。

 普通の声で話す。感情が高ぶると、つい大声を出してしまう。大声を出すと、相手の感情を刺激するだけでなく、自分の気持ちにまで影響を与え、一層感情を高ぶらせる結果になる。声を荒立てるのは、怒りを相手に無理矢理押しつけているのであり、いわば声で脅しているのである。

 自信のない人ほど、居丈高に大声で怒る。こんな言葉がある。「本当に自信のあるものは静かで、しかも威厳を備えている」。

 2つ目は、どう感じたかを具体的に指摘する。

 いきなり、「人をばかにするにもほどがあります!」などと言う。これは感情をむき出しにしているだけで、相手の行為や発言のどの部分に腹を立てているのか、伝わらない。「決める時は一言相談してください。そうでないとばかにされたとしか思えません」。

 3つ目は相手を非難しない。

 感情が紛らわしいのは、非難や決めつけに姿を変えるからである。

 「キミは全く当てにならない人だ」。これは怒りの感情表現ではない。決めつけであり、非難しているのである。

 「私は怒っている。頼んだ仕事をキミがやってくれないので、これからの予定が立てられないのだ」。まず、「私はこう感じている」と切り出すことだ。

 「あなたはなんてひどい人なの。あきれてものが言えない」。これも決めつけであり、非難である。

 「私は『そんなことも知らないのか』っていう言葉で傷つきました。とても、つらい気持ちになったんです」

 自分の気持ちを伝えるようにしよう。誰でも自分が怒っていたり、傷ついていたりするのを人に知られたくないので、傷ついたこと、不安に感じたことを素直に口に出せずに、つい相手を責めてしまうのだ。

 怒りの感情を伝えるうえで、ここが最大のポイントになるのではないか。




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デフレからの脱却は無理なのです

水野和夫氏のお話 採録
 
 
国内外の経済の状況をどう見ていますか。

水野:まず先進国の状況からお話しします。2008年のリーマンショックに続いてユーロ圏諸国のソブリン(政府債務)問題が起こり、米欧各国は後遺症からいまだに抜け出せていません。日本がバブル崩壊後の「失われた20年」で抱えた問題を解決できないのと同じような状況に置かれています。

 日米欧でバブル経済が発生した原因ははっきりしています。それは成長ができなくなったからです。日本は戦後の高度成長期が1973~74年頃に終わり、4~5%の中期成長に入りました。その後、80年代に入って成長率はさらに落ち込み、それを覆い隠すようにバブル経済が起きました。

 成長が難しくなった米国も、1995年以降、強いドル政策でバブルを起こしました。金融技術や証券化商品がそれに乗っかる形で2007~08年にピークを迎えたのです。欧州でも、特にドイツが成長できなくなったためにユーロという大きな枠組みを作って南欧諸国を取り込みました。国別で一番ポルシェが売れていたのはギリシャだそうです。強いユーロでポルシェを買ってバブル化していったのです。

 日米欧ともに成長ができなくなったからバブルに依存し、いずれも崩壊したのです。バブル崩壊の過程でデフレも起きました。私には成長戦略でバブルの後遺症から脱却しようというのは堂々巡りのように思えます。

歴代の政権は成長戦略を経済政策の柱としてきましたが、それは間違っていたということですか。

水野:成長戦略は失敗の運命にあると言えます。菅直人・元首相については様々な評価がありますが、首相時代の発言で一番良いと思うのは「成長戦略は十数本作ったが全部失敗している」というものです。成長戦略が解決策として正しいのであれば、十数本のうちどれかは当たっていないとおかしいのです。ことごとく外れているということは、成長では解決できない事態に先進国は直面していると考えたほうがいいのだろうと思います。

「製造業復活」は理解できない

 先進国が成長できなくなったのには理由があります。デフレ経済のもとで、数字で成長を計る場合には名目GDP(国内総生産)を使います。名目GDPを簡単に言うと、売り上げから中間投入を引いた付加価値です。

 今起きている事態は売り上げが落ちているということではありません。売り上げが減少したのは、失われた20年の最初の10年です。あの当時は信用収縮も起きて単価がどんどん下がりました。現在は企業の売り上げが伸びる一方で、中間投入がそれと同額か場合によっては上回るテンポで増えている。売り上げが増加しても名目GDPは増えないという構図です。中間投入が増えているということは、逆に言えば資源国の売り上げが増えているということです。

 売り上げが伸びていると言いましたが、先進国の企業が思い通りに値上げができる状況にはありません。日本からの輸出でウエイトが高い電機や自動車は競争が激しく、新興国市場などで値上げすることは厳しいでしょう。先進国は工業製品を作るだけでは付加価値を増やすことは難しくなってしまいました。

日本経済を再生させるためには、製造業の役割が重要になるのではないですか。

水野:製造業の復活と言う人がいますが、私にはなかなか理解できないですね。日本で作って海外に持っていくのは、今の仕組みからするとほとんど成り立たないと思います。家電メーカーの現状がそれを物語っています。自動車も10年後には同じ状況になる可能性があります。新興国が近代化に成功するには、雇用を自国で増やして中間層を生み出すことが必要ですから、新興国は現地生産化を求めると思います。

 国内を見ても、身の回りにはモノがあふれています。乗用車の普及率は80%を超え、カラーテレビはほぼ100%です。財よりもサービスが伸びると言われますが、サービスは在庫を持てないし、消費量は時間に比例します。1日が24時間と決まっている以上、サービスを受け入れる能力には限りがあります。先進国は財もサービスも基本的には十分満たされているのです。

 個人だけでなく、国全体の資本ストックも過剰です。既に過剰なのに、まだ新幹線や第2東名高速を作ると言っている。資本ストックの減価償却にどんどんお金を使うというのが今起きていることです。

経済的にゼロ成長で十分

企業が稼げなくなると、賃金や雇用にしわ寄せが行きそうです。

水野:戦後最長の景気回復期だった2002年から2008年初めに何が起きたのでしょうか。製造業の付加価値はプラスでしたが、企業利益と雇用者報酬、減価償却に分けると、減価償却は付加価値よりも増えました。1200兆円の民間ストックを維持するために過大償却になっていたのです。景気は回復しているのに企業利益と雇用者報酬を合算するとマイナスになる。利益を減らすと株主総会を乗り切れませんから、雇用者報酬が引かれます。1人当たり人件費はどんどん下がります。

 世界経済が回復すると工場の稼働率も上がるから株主配当を増やさなければなりません。雇用者を非正規化しながらトータルの人件費を下げるのが景気回復の実態です。次の景気回復が来ても、この状況は変わらないでしょう。


 繰り返しますが、あらゆるものが過剰になっているのです。本来ならば、望ましい段階に到達したはずです。国連の統計では、1人当たりのストックでは日本は米国を上回ります。さらに成長しようというのは、身の回りのストックをもっと増やそうということです。まだ資本ストックが足りない国から見ると、1000兆円もの借金を作って色々なモノをあふれさせた日本が成長しないと豊かになれないというのはどういうことかと思いますよね。

何か答えはあるのでしょうか。

水野:2つ考えられます。もし日本が今でも貧しいとするならば、1つの解は近代システムが間違っているということです。ありとあらゆるものを増やしても皆が豊かになれないというのはおかしいですから。

 2つ目の答えは、成長の次の概念をどう提示するかです。日本は明治維新で近代システムを取り入れて、わずか140年たらずで欧米が400年くらいかけて到達した水準に既に達してしまったということです。これまで「近代システム=成長」ということでやってきましたが、必ずしも近代システムは普遍的なものではありません。変えていかないといけないのです。

 私は経済的にはゼロ成長で十分だと思います。よく経営者は「成長戦略は実行あるのみ」という言い方をしますが、近代システムを強化して売り上げが伸びるような仕組みであれば、それでもいいのでしょう。しかし、売り上げが伸びるのはあくまで海外です。現地で100の売り上げがあったら、50が中間投入で、50が付加価値。付加価値の50のうち、35が現地の雇用になって15が日本に返ってくる。先進国になった日本が1人当たりGDPで1000ドルや2000ドルの国にぶら下がって豊かになるのは無理なのです。

資本主義は全員を豊かにしない

アジアなど新興国の成長を取り込むことはこれからも重要だと思いますが。

水野:日本の高度成長期には原油が1バレル2ドルや3ドルで買えました。米欧のオイルメジャーが原油価格を抑えていましたから、売り上げが増えても中間投入は増えません。日本の1960年代から70年代半ばまではすごく条件が恵まれていましたが、オイルショックで壊れました。

 今の新興国は1バレル100ドルで原油を仕入れなければなりません。近代化の原則は「より速く、より遠く」ですから、エネルギーが必要です。地球上の70億人のうち、12億人が先進国の仲間入りをして、残り58億人が近代化に向けてこれからエネルギーを多消費します。しかし、原油高は続いていますから、残りの58億人全員が近代の仕組みの上で豊かになれるわけではないのです。

 アジアやアフリカの各国がドッグイヤーと言われるほど速いテンポで近代化をすると、今の想定通りに本当に中間層が生まれるのでしょうか。私はそれは難しいと考えています。資本主義は全員を豊かにする仕組みではないとだんだん分かってくるのが、これからの10年、20年なのでしょう。

 中国もこれから過剰設備の問題が顕在してきます。世界の粗鋼生産量15億トンのうち、中国が既に7億~8億トンを占めています。中国経済が90年代後半から立ち上がった過程は米欧のバブル期と重なります。米欧が失われた10年、20年に入ると、日本が過剰設備に陥った90年代と同じことが起こりかねません。たとえアフリカ経済が成長しても、5兆ドル規模の中国経済を牽引することはできません。中国の成長が難しくなれば、日本も外需に期待することはできなくなります。

デフレからの脱却も難しくなりますね。

水野:デフレからは脱却できないでしょう。そもそも成長できなくなったという前提でどうするかを考えなければいけないのです。

 日銀の金融緩和への期待で円安が進んでいますが、2000年代初頭に量的緩和で1ドル=120円程度まで円安が進行したことがありました。経営者は120円が続くという前提で国内に工場を作りましたが、今度は70円台の円高になってしまった。経営者の失敗なのに、最近になると六重苦といって円高のせいにしていますよね。今の状況も「円安バブル」を生じさせる恐れがあると見ています。

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たぶん大事な意見


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