Best opera songs - Greatest performances
認知症の予防とビタミンD
アルツハイマー型認知症(AD)および軽度認知障害(MCI)進行予防としてのビタミンE エビデンスはみつからなかった
統合失調症とメラトニン
アスリートが経験する脳震盪はうつ病リスクを増加させる
HCL-32(Hypomania Checklist-32)の有用性
うつ病患者の食事療法としての「トリプトファン摂取」
ーーー
白雪姫の義母は美しかったと思う
自分の美しさが生きる支えだったし生きる理由であった
だから自分より美しい白雪姫の存在を許すことができなかった
そういうことは世界によくあることだ
長所はそのまま、破滅への第一歩である
ーー
義母が自分の美しさをどのように認識していたかについて考えると
鏡を道具にして知るしか、他に方法がなかっただろうと思う
鏡に映る自分は大変限定された情報である
それを元にして自分の像を脳の中で再構成するとかなり間違ったものであることもあると思う
しかしいずれにしても
義母が鏡に問いかけるのは
理由のあることだろう
他の方法としては夫の言葉に頼る事も考えられる
しかし義母はその方法を採用しなかった
そういうものだろうと思う
ーー
わずかな感覚情報と限定された経験から世界を解釈する人間
限定された感覚モードにより得られた情報と
限定された体験により、
脳の中で世界を再構成して
この世界を生きている
なんという不完全な認識だろう
ーー
赤信号は止まれである
そのような次元で人間は「共通の認識」を持っているのだろう
ーー
立場により、
生育歴により、
認識の特徴により、
どんなに違う世界を生きているかと考える
プロ野球の解説でいう「流れ」はコンテクストのこと
プロ野球の解説者がしばしば「試合の流れ」という言葉を使い
あまり意味のない言葉だろうと思っていたのだが
そうでもないのかなと思うことがあった
精神療法の領域でもコンテクスト重視とかの話は出る
簡単にいえば同じ言葉、同じ行動でも、状況によって意味が違うという、当然のことを言っている
イメージとして分かりやすいのは
コンピュータで右クリックすると、その状況にあわせたメニューが出る
そのような状況、局面である
もちろん、コンテクストと言う言葉で考えないとしても、
状況や局面に依存して人間の行動や言葉や思考は変化するのだから
考慮するのは当たり前である
当たり前のことを一年中言っていて、それで野球解説者になるのかなというのが問題だ
しかし、ピッチャーが次にどんなボールを投げるか、
バッターがどんな球を狙うか、進塁打のゴロを打つか、右狙いするのか、四球を選ぶことが意味のある攻撃なのか
そのそれぞれに今どんな局面なのかが大きく影響する
一点がほしいのか大量点がほしいのか
ピッチャーを交代させたいのか
それによってストライク・ゾーンを広げて積極的に打ちに行くのか、
バントを決めてぶれっシャーをかけるのか、考えることになる
年間200本安打が目標となれば、こうした状況依存性もだいぶ様子が違って、
今どんな状況だから安打の確率を高めるにはどう対応すればいいかが決まってくる
勝つための状況判断とは違うものになるかもしれない
三振よりはヒットがよくて、ホームランはもっといいという単純な判断だけでは済まない要素があり、
それがコンテクストであり、それを「流れ」と呼んでいるのではないか。
そして流れは受動的なものばかりでもなくて
能動的に流れをつかむこともできる
それが試合の全体に影響する
いつもは打てないはずなのになぜあの場面で打てたのかと考えると
技術的な解説以上に
流れに乗っていたとしか言いようがない場合があるのだろう
自動思考と思考行動の根本スキーマ
それが不適応的であるならば変更したり、適用する場面を変更したりできるようにトレーニングする
しかし実は、病気ではない普通の人間でも、
自動思考の束を分析してみると、
不適応的であったり不合理であったり、
という場合が多い
人間は発達の歴史の中で、それぞれの自動思考がどのような結果を生んだのかを承知しているはずである
現時点で改めて気持ちを聞くと、そのような不合理な自動思考は改めたい、
または、浮かんできたとしても、とらわれることなく、やり過ごしたいと思うものだ
しかし、自動思考というだけあって、それを意識化することは難しいし、変更するに至ってはもっと難しい。
変更しない理屈をいくつも用意してしまう
人間はそのような不合理なものなのだと思うしかないようだ
O mio babbino caro
MARIA CALLAS La Traviata, Addio del passato
https://www.youtube.com/watch?v=cz4F-Y9M_UE
ーー
Renata Tebaldi
https://www.youtube.com/watch?v=PffMSz5TiWY
ーー
Barbara Frittoli
https://www.youtube.com/watch?v=QjPpgN0QdxI
ーー
Anna Netrebko
https://www.youtube.com/watch?v=cSr7hh9mbyg
ーー
Angela Gheorghiu 略
世界を広く見たほうが幸せか、狭く見たほうが幸せか
という問題はあると思う
もちろん、適切な程度に両方の見方ができることが一番良いと思う
自分が幸せなとき、世界を広く見れば、幸せは薄まる
世界を狭く見れば、幸せは強くなる
自分が不幸なとき、世界を広く見れば、もっと不幸な人がこんなにもたくさんいるのかと知り、不幸は薄まる
世界を狭く見れば、小さなこともとてもつらい
幸せを感じたいときには上を見ない
もっと意欲を出したいときには上を見て知る
不幸を小さくしたいときにはもっと下があることを知る
不幸を感じないようにするためには上を知らないようにする
向上を目指す限り、幸せのままではいられないだろう
それは今の幸せと将来の幸せと、どちらを選択するかという問題でもある
人生の最期に思うこと
お金儲けがしたいと思う人も少ないだろう
たとえば
本当の自分に出会いたいとか
自分の歴史を子供に伝えておきたいとか
配偶者と思い出を語り合いたいとか
友人との深い出会いとか
そんなことが多いだろうと思う
それなのに多くの人は
毎日の大部分の時間を費やして
人生の時間をお金に変えている
種保存本能と対立するのが子供を作らないということ
種保存本能と対立するのが子供を作らないということだと思う
自己保存本能と種保存本能が対立する場合は
場合によりどちらかが優位になる
富裕になり知性化が進行すると自己保存本能が種保存本能を上回るようになるのだろう
結果として非富裕、非知性的な階層の人口割合が増大するのだろう
それはそれで前提として認めればいい
デフレと賃金の話
採録
日本の名目賃金は下がっているのだ。次の図は日本総研の調べた日米欧の名目賃金だが、特に日米の違いは大きく、この15年でほぼ2倍になっている。
デフレの原因は新興国の世界市場への登場によって工業製品の低価格化が進んでいることだという野口悠紀雄氏の説明に対して、高橋洋一氏は「OECD諸国で中国からの輸入の対GDP比率はどの国でも上昇しているが、デフレになっているのは日本だけ」だから原因は金融政策だというが、これも間違いである。日本だけがデフレになっている原因は、この名目賃金低下なのだ。2倍の賃金格差は、この15年で30%程度の日米インフレ率の違いを説明するには十分である。
ほとんどの人は理解していないが、デフレで不況が悪化するのは名目賃金の下方硬直性があるときに限られる。デフレによって実質的な賃上げが行なわれ、企業収益が悪化するからだ。名目賃金が下がっている日本では、実質賃金も労働生産性の低下に従って下がるので、デフレの悪影響はない。したがって著者もいうように、日本のデフレは不況の原因ではなく結果であり、金融政策では是正できない。
賃金が下がっているのは、著者も指摘するように中国との単位労働コスト(賃金/労働生産性)の差が縮まっているためで、これ自体は避けられない。むしろ不思議なのは、欧米では下方硬直性が強いのに、日本で名目賃金が下がるのはなぜかということだ。その一つの原因は非正社員の増加によって時給ベースの(労働生産性に見合う)賃金が増えたことだが、もう一つは中高年社員の賃金抑制だ。しかし彼らはなぜ賃下げを受け入れるのだろうか?
その原因は雇用を守るためだ、というのが本書の説明である。産業別に組織された欧米の労働者とは違って、日本の労働者は企業という「一家」のメンバーだから、収益が悪化すると自分も応分の負担をしようと考える。その結果、企業収益と賃金の比率が一定に保たれ、賃金が業績に応じてアップダウンする一方、雇用は一定に保たれてきた。日本の失業率は4%前後と、主要国ではきわだって低い。
要するに従業員共同体を守るために、労使一体(サラリーマン経営者も労働者)で賃金を中国に近づけているのだ。これはアメリカで製造業の労働者がレイオフされて(低賃金の)サービス業に再就職したのと本質的には同じ労働コスト調整だが、日本のほうが既存の労働者の犠牲は少ない代わり、若者の半分以上は非正社員になるという世代間格差が拡大する。
だから「デフレ脱却」などという政治的スローガンは目くらましであり、本質的な問題は中高年の労働者を保護して若者だけをグローバル競争にさらす日本の政治経済システムにある。
ーーー
賃金も下がり物価も下がり中国のレベルに接近してゆくというのはマーケットとして当然だろう
関税障壁、非関税障壁がその邪魔をしている
ーーー
インフレになっても賃金が上昇するまでには時間的なずれが生じる
労働者にとっていいこととも言えないだろう
ーーー
借金を抱える人はインフレを待望している
なんだか納得出来ない社会である
くよくよする
心配を心のなかで拡大しているだけのことが多い
他人の立場になって客観的に見れば
だれにでも起こることだし命をとられるわけでもないし
ただ少しの間我慢すればいいだけということも多い
しかし本人にすればそうではない
本人は実際に大変に苦しいのである
そんな人も他人の事ならば冷静に客観的に判断できるのだから不思議だ
自分のことだけは別なのである
自分のことを考える時と他人のことを考えるときは
脳の別の回路を使うのではないかと思うくらいだが
もしそうであれば、自分のことでも他人のことのように客観的に考えなおして見ることが
不安を小さくするために良いことになる
しかし一方で、他人のことを考えるときも、人間は自分の体験を参照して判断している
「そのような自体になった場合、自分はどのような気持ちになったか」を参照して
他人の気持ちを推定している
だから他人の気持ちを考えるときに自分の気持を別に考えることもできないはずなのだろうと思うのだ
以上のような事情だとすれば、
自分の体験を他人に適用するときは客観的になれる、
自分の体験を自分に適用するときは不安が過剰になる場合があるということになるのだろうか
自分のことになると別というのは
そのとおりだ
怒りの感情を抑える
ーーー
デフレからの脱却は無理なのです
ーーーーー
たぶん大事な意見