SSブログ

くよくよする

くよくよしている人の話を聞いてみれば
心配を心のなかで拡大しているだけのことが多い

他人の立場になって客観的に見れば
だれにでも起こることだし命をとられるわけでもないし
ただ少しの間我慢すればいいだけということも多い

しかし本人にすればそうではない
本人は実際に大変に苦しいのである

そんな人も他人の事ならば冷静に客観的に判断できるのだから不思議だ
自分のことだけは別なのである

自分のことを考える時と他人のことを考えるときは
脳の別の回路を使うのではないかと思うくらいだが
もしそうであれば、自分のことでも他人のことのように客観的に考えなおして見ることが
不安を小さくするために良いことになる

しかし一方で、他人のことを考えるときも、人間は自分の体験を参照して判断している
「そのような自体になった場合、自分はどのような気持ちになったか」を参照して
他人の気持ちを推定している
だから他人の気持ちを考えるときに自分の気持を別に考えることもできないはずなのだろうと思うのだ

以上のような事情だとすれば、
自分の体験を他人に適用するときは客観的になれる、
自分の体験を自分に適用するときは不安が過剰になる場合があるということになるのだろうか

自分のことになると別というのは
そのとおりだ


共通テーマ:日記・雑感
男と女デフレと賃金の話 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。