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“「われわれの文化はニュース消費をほとんど絶えず行うようになった。スマートフォンやタブレットのユーザーは、1日を通じて細切れのニュースを少しずつ消費している。古い標準的な習慣、つまり朝食時にニュースをざっと見て、1日の終わりに関心のある記事や読み物をゆっくり読むという習慣は、置き換わりつつある」”

“「われわれの文化はニュース消費をほとんど絶えず行うようになった。スマートフォンやタブレットのユーザーは、1日を通じて細切れのニュースを少しずつ消費している。古い標準的な習慣、つまり朝食時にニュースをざっと見て、1日の終わりに関心のある記事や読み物をゆっくり読むという習慣は、置き換わりつつある」”


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“では、ストレスを発散するコツはあるのだろうか? 「とにかく“自分のための時間”を定期的に作ること。短い時間でも良いので、自分の趣味やスポーツなど、100%自分のために費やせる時間を確保しましょう。逆にいくら休みがあっても、ずっと寝ていたり、家事に追われたりではストレスは解消できません。それらを削ってでも、自分が楽しめることに没頭する時間を意識的に作ることがポイント。長さに関わらず、“自分のために時間を使えた”という実感が重要です」”

“では、ストレスを発散するコツはあるのだろうか? 
「とにかく“自分のための時間”を定期的に作ること。短い時間でも良いので、自分の趣味やスポーツなど、100%自分のために費やせる時間を確保しましょう。逆にいくら休みがあっても、ずっと寝ていたり、家事に追われたりではストレスは解消できません。それらを削ってでも、自分が楽しめることに没頭する時間を意識的に作ることがポイント。長さに関わらず、“自分のために時間を使えた”という実感が重要です」”


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人間の愛情というのは、結婚してから「3年」でなくなる

どうやら、人間の愛情というのは、結婚してから「3年」でなくなるらしい。
結婚して20年、30年続いている夫婦がいますが、この人たちがどうして長く続いているのかというと、結婚してから3年の間に、「愛情以外の別の概念」をつくり上げることができたからです。
愛情を永遠のものだと勘違いして、その愛情だけに寄りかかっていると、結婚生活は破綻をきたすらしい。
「いつまでもこの人を愛し続けよう」と思っても、「いつまでもこの人から愛され続けるだろう」と信じていても、生物学的に見ると、愛情は、「結婚後、3年で終わってしまう」ようです。
結婚すると、普通は「ゴールイン」といわれますが、じつは結婚した瞬間から、「3年間の執行猶予(しっこうゆうよ)」がはじまります。
この執行猶予中に、「愛情以上の価値観=尊敬」をつくり上げることが「結婚生活」のようです。
では、どうすれば相手を尊敬できるようになるのでしょうか。
それは「常に相手のよい面を見つけること」です。
目の前の夫、目の前の妻を、自分の思い通りにつくり変えようとするのではなくて、「相手はこういう個性があって、自分とは違うものを持っているんだ」と、丸ごと全部受け入れる(感謝する)。
そして、相手のすばらしいところ、社会のよいところ、宇宙の楽しさを、自分の中で見出す訓練ができるようになると、あれこれと批判、論評をしなくなり、お互いを認め合うことができるようになります。
同じ言葉を他人から言われたときは、怒らないで踏み止まることができるのに、同じ言葉を妻(夫)から言われると、すぐに腹を立てる夫(妻)がいます。
外では踏み止まれるのに、家では踏み止まれない(正確に言うと「踏み止まらない」)のは、「幼児性」があるからです。
結婚は、何のために存在するのか。
じつは「幼児性を克服するため」に存在しているようです。
家庭というものは、自分の思いを通す場所でも、甘える場所でも、ストレスを発散させる場所でもありません。
家庭は「幼児性を削って大人になる作業をする場所」として存在しているらしいのです。
結婚をして、わがままが言える相手ができた状態になったとき、いかに踏み止まって相手を受け入れるか。
それを問われているのが「結婚の本質」のようです。


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“たとえば、天動説の人だけフォローすることで容易に天動説の世界が作れてしまうのがtwitterの危険なところかもしれないな”

“たとえば、天動説の人だけフォローすることで容易に天動説の世界が作れてしまうのがtwitterの危険なところかもしれないな”


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理性で説得しても無駄だろうと思う

以前から不思議に思っているのは

知的にも人格的にも優れた人が話をすると非常に右翼的で軍国主義的であったりすることだ

それは理性の理解の領域とは異なるものらしい


2、3の例で言えば、家の祖父が右翼的、国家主義的、軍国主義的な教育を孫にしたということはあったらしい


不思議なものである


だから理性で説得しても無駄だろうと思う


その人にはそういう話はしないようにしている


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ネット時代の知性風土・感情風土

ネット時代の知性風土・感情風土


読む側の事情

有料情報を求める人は少ない

無料情報を誰が時間を割いてなぜ書いているのか考えない

書いている人も多分善意の素人だろうと信じる

自分にとって不快で理解しにくい情報を分析する習慣はない

わかりやすさ、感情的興奮が第一となる

違う視点よりもむしろ自分の知っている思考回路をなぞって肯定するものを読みたがる


書く側の事情

ただで書くよりはお金がほしい

お金を出せるのは大企業と右翼と広告代理店である

短く感情に訴える

日本バンザイは日本語で書くとすれば一番お金になりそう

同じことを何度繰り返しても繰り返し喜んでもらえる話題と読者層がいる


ーー

お金を出す人、書く人、読む人の三角関係が安定して存在している世界

広告と同じ構造


ある種の主張があっても、お金を出す人がいなければ、広がりにくいという側面はある





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そもそも安倍氏の発言の影響力は何に由来しているのか、それが理解しがたい

安倍総理は行政府の長であり、憲法遵守義務がある。だから改憲発言をしてはいけないとの意見。

憲法99条が定める憲法遵守義務。


しかしまた、憲法には憲法改正の手順も書いてあるので、それに従って行動発言することは

憲法を遵守していると理解することもできる。


改憲の発議は立法府の権限であるから、行政府の長が発言し影響を与えることは好ましくないというが

総理大臣は同時に議員であり、議員の身分では憲法に従い改憲の活動をすることができるはずである。

総理大臣の権限を用いての改憲活動は良くないが、国会議員としての権限を用いての活動ならば正当とも考えられる


改憲活動をするときは一議員に戻ったつもりで活動すればいいような気もする


そもそも安倍氏の発言の影響力は何に由来しているのか、それが理解しがたい


結党以来の党是である改憲と言いながら

改憲案はデタラメの作文でしかない


地動説を否定して天動説を唱えるような違和感がある


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イデオロギーではなくアイデンティティ

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イデオロギーではなくアイデンティティという話が沖縄の選挙で語られた


イデオロギー対立は多分、野党与党の対立で

アイデンティティはオール沖縄と本土・日本政府の対立なのだろうか


しかし現在は野党与党の対立はイデオロギー対立というよりは

どちらも現状維持またはより右派勢力であって、分かれているのは選挙区の都合で

自民党候補者がいる場合に野党から出ているに過ぎない、という程度の違いだろう

政治家の汚職や倫理に対しても同じような認識だろうと見える


沖縄でことさらにイデオロギー対立というものでもないだろう

今言われているのは「1パーセントと99パーセントの対立」だが

その格差対立に対して有効なイデオロギー的視点が立てられているとも思えない


沖縄の問題をアイデンティティの問題にしてしまうのは

沖縄米軍問題や沖縄の歴史についての他者からの理解を拒絶することにつながらないだろうかと危惧される


分かる部分もあるのだがなんだか釈然としない

ーーー
与野党対立の選挙になったので、与野党の対決ならばイデオロギーの対立だと解釈されれば、
現在の日本では左翼はないのだし民衆の味方もない、貧しい人の味方は政治家になれない、

そんな中では自民党に有利になるに決まっている、

それでは負けてしまうので、この選挙はアイデンティティの戦いだと定義して、

沖縄の人であるならば基地に反対のはずだから野党候補に投票しろと言っているようで

つまりは日本バンザイに賛成しないやつは非国民だと定義しているのと変わらないではないか

政策論争がそこにはない

基地に反対の理由が、沖縄人だからというのでは、理屈にも何もなっていない

沖縄か、非沖縄か、と踏み絵を踏ませるようなことはおかしいだろう


確かに、日本国政府の行いは野蛮であり、沖縄を踏みにじるもので、恥ずべきものだ

しかしずるいことにも理由があったはず

その理由を攻めるのが正しいと思う

そうしないで、愛国主義みたいにオール沖縄で感情を前面に出すなら

軍国日本と同じ間違いを犯しているのではないかと思う


というわけで安倍政権と同型の政治運動で勝利した沖縄知事選と言えるかもしれない

結果オーライというやつだ

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楽しい思い出しかない

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苦しい思いでしかない これはわかる

楽しい思い出しかない これはおかしいと思う

日本語の「しか」が only と同じ意味になっているのかもしれないが

やはりおかしい


「入団した時から原さんには感謝しかない」


「稲刈りの朝に向かったのは田んぼです」と言われると、これもおかしい

稲刈りの朝に田んぼに向かいました。でなければおかしい

稲刈りの朝に向かうのは多分田んぼであってそれは当然の推定だろう

それをわざわざ言うのは幼児向けの言葉だろうと思う


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「記憶もまた現在の体験である。」(ケン・ウィルバー)

「記憶もまた現在の体験である。」(ケン・ウィルバー)


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大きなことを成しとげるために 力を与えてほしいと神に求めたのに 謙遜を学ぶようにと 弱さを授かった

大きなことを成しとげるために
力を与えてほしいと神に求めたのに
謙遜を学ぶようにと
弱さを授かった
 
より偉大なことができるようにと
健康を求めたのに
よりよきことができるようにと
病弱を与えられた
幸せになろうとして  
富みを求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった
 
世の中の人々の賞賛を得ようとして
成功を求めたのに
得意にならないようにと
失敗を授かった
人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと
いのちを授かった
求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
神の意に添わぬ者であるにもかかわらず
心の中で言い表せないものは
すべて叶えられた
私はあらゆる人の中で
もっとも豊かに祝福されていたのだ
**ニューヨーク州立大学病院の壁に落書きされて、そのまま残されていた詩**



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本当に人を愛するということは 信じ、待ち、許すということだ。

本当に人を愛するということは 信じ、待ち、許すということだ。


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「an・an」によると、「年収600万円でいい」と言う女性が増えてきている

“「an・an」によると、「年収600万円でいい」と言う女性が増えてきているけど、実は年収600万円以上の未婚男子は5.7%しか存在しないそうです。そんな状況の中で「年収1,000万円以上の人と結婚したい!」と言う女子は、「将来はミュージシャンになってビッグになってやる!」と語る男子と同じだ、と両断。 さらに、これまで婚活、婚活と同誌で散々言っていたのに、婚活=メイクやファッション磨くのは実は遠回りだの、婚活はもはや合コンだの、極め付けは「今のアラサ―女性は生まれた時点で4人に1人は結婚できないという運命!?」と言い放っています。これまで「an・an」で語られてきた素敵な結婚ストーリーは幻想だったのでしょうか?”


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二人目の出産を望みながら、なかなか妊娠に至らない“二人目不妊”“二人目の壁”

二人目の出産を望みながら、なかなか妊娠に至らない“二人目不妊”“二人目の壁”
「一般的に35歳をすぎると女性の妊娠率はガクンと低下しますから、一人目を妊娠したタイミングが遅くなると、どうしても二人目不妊になる確率は上がります。これだけ晩婚・晩産化が進んでいますから、これは必然とも言えます。ですから35歳以上の方で二人目を希望する場合、一人目を出産した後、できるだけ期間を空けずに受診することをお勧めいたします」


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「発達障害」

一般的に発達障害がある子どもは、落ち着きがなかったり、コミュニケーションや対人関係をつくるのが苦手だと言われています。しかし、いったいそれがどんなものなのか正直よくわからないという方も多いことでしょう。また子どもがもし発達障害と診断された場合は、親としてどのように行動すればいいのかも気になるところですよね。
発達の途中で症状が明らかになるのが「発達障害」
K:「発達障害」という言葉は、今の親世代が子どもの頃にはあまり聞かなかったように思うのですが、どういう症状を指すのでしょうか。
先生:生後12か月間の“発達”で「言葉によるコミュニケーション」「2本の足で歩く」「小さな物を指でつまむ」という3つの機能を獲得するとお話しました。「発達障害」はこれらの発達が遅れること指していると思われている方もいるかもしれませんね。でも、その場合は「発達遅滞(はったつちたい)」と呼ばれます。「発達遅滞」と「発達障害」は別のものなのです。まずこの点をご理解いただきたいと思います。
K:では発達障害とはなにを意味するのでしょうか?
先生:自閉症だったり、注意欠陥多動症、それから学習障害などを総称して指す言葉です。一般には社会に溶け込みづらい人のイメージがありますが、それはある意味、正しい理解です。もう少し詳しく解説すると、「発達」するにしたがってだんだんはっきりとしてくるコミュニケーションや行動パターンの問題のことなんですね。つまり発達遅滞と違って、生まれて半年、1年で発達障害か否かを判断することは非常に難しいです。言葉でコミュニケーションをとる年齢になり、集団生活の場が増えるにつれて「この子の問題は言葉の遅れというよりはコミュニケーション全般の問題なのかな」「知能が遅れているのではなく、あまり考えずに行動して落ち着きのないことが問題なのかな」などと思い当たるようになるわけです。発達“遅滞”が文字通り発達の遅れであるのに対して、発達障害は発達するにつれて明らかになってくる問題という意味です。
K:発達の途中で症状が明らかになるということは、生まれつきというわけではないのですか?
先生:発達障害の多くは持って生まれた強い個性のようなものです。ただ、生まれてしばらくは生活の範囲が狭く、社会生活で問題となる強い個性が発揮される機会もないので、それに気づかれにくい。活動範囲が広がりいろいろな場面に遭遇すると、どうも落ち着きがないなとか、どうも衝動性があるなと周りが気づくようになるわけです。
K:そこで初めて「あれ、発達障害かも?」と認識するというわけですね。
先生:ええ。成長して行動範囲が広がり、人とのコミュニケーションができるようになった時点で、少しおかしいことに気づくものなのです。もちろん通常は、人生で最初のコミュニケーションの対象はお母さんやお父さんですね。他の例をあげると自閉症の特徴として良く知られているものに「目が合わない」という症状があります。でも、生まれたばかりの赤ちゃんは目で物を見つめることをしませんので、目が合うも合わないもないわけですね。「あっ、私と目が合うようになってきたな。見つめてるな」とお母さんが感じるようになるのは生後1か月ごろのことです。
K:なるほど、そういうことなのですね。お医者さんが発達障害という診断を下す際、明確な基準はあるのでしょうか?
先生:診断のための基準はあるのですが、だからと言って、客観的に、断定的に診断がつくものではありません。他の障害と同じように、症状が強く、典型的に表れている場合と、そうでない場合がありますからね。無理に診断を付けようとせず、病名をつけることにメリットがあるときに、必要に応じて診断名をお伝えすれば良いと思っています。
K:といいますと?
先生:病名をつけることで救われる人に対しては、伝えるということです。ある男性は、病名を知ったことで「内なる敵がわかった。自分で行動を変える努力をしたり、訓練である程度克服できる病気だとわかって良かった」と言っていました。
K:病名を伝えられることで前向きになれるタイプの方もいるということですね。
先生:一方でデメリットに感じる人もいる。自分ではさほど気にしていなかったのに、まわりから「君はアスペルガー障害のようだね」と言われる。自分では、口が重くて、仲間に加わるのが苦手なだけだと思っていたのに。
K:そういう人にとって病名をつけられることは、レッテルを貼られることに感じてしまうかもしれませんね。
先生:そういうことです。ご両親にとっても同じことです。診断基準は診断を付けるための目安であって、ここからが発達障害で、ここまでは正常といった線引きはできません。患者さんやご家族にとってのメリット、デメリットを良く考えてから、診断名について触れることが大事だと思うのです。
K:ちなみに私の妹は、息子の衝動性や攻撃性にほとほと困っていて悩んでいたのですが、医療機関で発達障害と診断され、ホッとした様子でした。「私の育て方が悪かったわけでないんだ、この子の個性なんだ」と安心したと言っていました。
先生:それは病名がついてよかったケースですね。
子どもと大人では目立つ症状が異なる
先生:発達障害は、大きくなるにつれて症状が変わっていくものです。たとえばADHD(注意欠陥・多動性障害)は、小さいときは落ち着きのなさが目立ちます。でも、大人になっても甚だしく落ちつきがない人って、あまりいないですよね? 会議中に歩き出すとか、本棚を階段に見立てて登るとか、大人はしません。だけど、小学生だと、何かのはずみで物を投げたり、授業中に歩き回ったりするわけです。つまり衝動性、多動性は年齢を重ねるにつれ落ち着いていきます。
K:大人になれば症状が軽くなるということですか?
先生:それともちょっと違います。大人になると、環境の変化によって、適応することがさらに難しくなっていく場合もあるからです。小学生のうちは忘れてはいけないものはそれほど多くないですね。宿題くらいでしょうか。でも大人になるとたくさんある。うっかりミスなんて、小学生のころは気にも留めないことも多いけれど、社会に出て仕事をするようになったらそういうわけにはいきませんからね。
K:大人になるにつれ環境や立場が変わり、逆に目立つようになってくる症状もあるということなんですね。私の甥は現在小学3年なんですが、以前よりずいぶん落ち着いてきて、本人の中で折り合いをつけていっているのだなと感じます。自分の経験値が上がって、その症状が表れないように努めているのかもしれません。
先生:そういうことでしょうね。甥っ子さんは、良い友だちやご両親に恵まれたのが良かったのかもしれませんね。人間関係に恵まれると、ADHDの傾向がある人も、自閉傾向のある人も、驚くほどの成功を手に入れることが珍しくないんですよ。
K:そうなんですね! まわりの理解と愛情が大切……って、すべての子どもに言えることかもしれませんが、発達障害の子どもには、より寄り添う気持ちが必要ということですね。
先生:社会的に成功するかどうかは、まわりの人間の力が大きいんですよ。特に、お母さん、お父さん。ご両親や兄弟がどう接するかが、とても大切なことなのです。
子どもに「セルフ・エスティーム」を持たせることが大切
先生:発達障害では、二次障害を未然に防ぐことが大変重要です。生まれつきの性格で多動傾向があったり、自閉傾向があったりすることを“一次”と考えると、お前はダメだ、変わり者だ、と言われ続けて育つことによって起こってくるのが二次障害です。たとえばADHDの子であれば、多くの物に興味が湧いて目移りするという個性は“才能”と捉えることもできるのですが、「お友達をみてごらん。なぜ、できないのかな…」「ここに座っていなさい、話を最後まで聞かなければダメ」などとダメダメダメでやっていくと、次第に自信を失い、「自分が好きという感覚」、つまりセルフ・エスティーム(=自己肯定感)が失われていくのです。
K:そこから二次障害が生まれると。
先生:そうです。たとえば、お母さんに叱られてばかりいると、「僕は本当にしょうがない。お母さんを泣かせている」と思いはじめ、「たしかに自分はみんなと違うし、自分なんか幼稚園にいないほうがいいし、お母さんに迷惑をかけるから行かない」というふうになる。子どもは皆、自分が王様なので、生まれながらにセルフ・エスティームを持っているんですね。しかし障害が理解されず、ずっと叱られ続けていると、生まれ持ってのセルフ・エスティームが次第に削がれていく。そうすると自信がなくなって、さらに失敗を繰り返す。社会にますます適応できなくなっていく。これが二次障害です。二次障害を防ぐためには、まず親が寛容になることです。
K:注意したいところですが、一方で親としてはやはり最低限ダメなことはダメと教えたいと思いますよね。すごく線引きが難しいところですが、親はどこまで子どもに寛容であるべきなんでしょうか?
先生:思いっきり寛容になることです。
K:即答されましたね(笑)。
先生:はい。子育てでは、障害の有無にかかわらず、気にしないこと、楽しむこと、が基本だと思っています。とにかく寛容になること。寛容になることで子どもをダメにするということは、まずないでしょう。
具体的には、特に発達障害のあるお子さんでは、1回注意したいと思ったら、まず9回褒めること。9回褒めたら、1回叱る。そして叱るときはその場で叱って、後で言わない。その場で短く簡潔に叱る。
K:9回褒めて1回ですか。
先生:そう! 褒めると言っても、そう難しいことではありません。共感することです。根気よく「やったね」「そうだね」「そのとおりだね」と共感すること。子どもが「学校に行きたくない」と言ったら、「それはダメよ」と返すのではなく、「そうだよね、行きたくないよね。寒いもんね、今日はやめようか」というふうに答える。「そりゃそうだよね、ママもそういうことあるよ」と共感する。
K:親はグッとこらえて、子どもを認めてあげることが大事なんですね。
先生:その通りです。それから発達障害のお子さんのもう一つの特徴は、ものすごく得意なことと、ものすごく苦手なことがあるというところ。球技は苦手だけど、走るのが速いって子はたくさんいますよね。そんな子に球技だけやらせて、どうします?
K:もったいないですね。
先生:そう思うでしょ! 野球ではなく、陸上部で走らせたほうがいい。得意なことだけやらせる。得意なことを伸ばせば、セルフ・エスティームが育つわけです。
K:得意なことだけを……どんな子どもにも、何か得意なことがあると?
先生:絶対あります! それを親であったり周りの大人が見つけ出してあげればいい。なにもすべての子を同じ型にはめる必要はないのですから。日常生活の他の子どもにとっての「当たり前のこと」ができないのに、何か他のことにものすごく長けている場合が発達障害の子どもたちでは多い。自閉傾向があれば、目から入る情報に強くて、一回見たものは本当になんでも覚えてしまう。お城好きの子なんかは、石垣のパターンを見ただけで「あ、これは姫路城だ」って言い当てるみたいな。
K:ある意味、天才型でもあるんですね。先生、今日はどうもありがとうございました! 仮に自分の子が発達障害だとわかっても、「ほかの子より少し強い個性の持ち主で、非常に得意なことのある子」と認めてあげることが大切なんですね。先生の話を聞いて、よくわかりました!
先生:最後に一言。本当に気になるなら、その時は遠慮なくお医者さんに相談してください。くれぐれもひとりで悩んだり、くよくよしないで。


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感情を共有する相互理解の能力=「コミュニケーション能力」

自分の考えを伝え、相手の意図をくみ取って、感情を共有する相互理解の能力=「コミュニケーション能力」。コミュニケーション能力の有無は、その人の人柄や人格を判断する上での重要な指標になっています。また、文部科学省でも、コミュニケーション能力を「人間関係を形成していく能力」と定義づけ、平成22年からコミュニケーション教育の推進に乗り出すなどしています。
そこで素朴な疑問。コミュニケーション能力とは幼少期の育て方で左右するものなのでしょうか――というわけで、【子どものコミュニケーション能力】について。 
そもそもコミュニケーション能力は測れません
I:今回は、「子どものコミュニケーション能力」をテーマにお話を伺いたいと思います。僕は社会人になって、いわゆる“コミュニケーション能力”の重要性を実感することが多いのですが、自分の子どもやその周囲の子どもたちを見ていると、コミュニケーションが上手な子と、そうでない子がいるように思います。この差はどこから来るのでしょうか? 
先生:まず、最初に断っておきたいのは「コミュニケーション能力」というもの自体を測ることは難しいということ。つまり共通の基準をもとに有無を決めつけることは、本来できないものだと思います。100m走のタイムとはちょっと違いますから。IQなんてものも正確に測るのは困難ですからね。コミュニケーション能力はその最たるもので、特に相手あってのこと。相対的なもののはずなのに絶対的な評価をしようとしている時点でちょっとおかしい。
I:そう言われてみればそうですね。今回は質問自体がおかしかったでしょうか……。
先生:いや、ある意味核心をついているとは思います。どういう観点でその有無を判断するかについて考えましょう。結論から言うと、その場に合った正しい方法でコミュニケーションできるか否かではないでしょうか。
I:その場に合った正しい方法とはどういうことでしょうか?
先生:日本で大多数の人が使うコミュニケーション手段は、日本語による言葉のコミュニケーションですね。言葉が通じた上で、考えや気持ちを分かり合えるのがコミュニケーションということになるわけです。一般的に「コミュニケーション能力が低い」と表現されるのは、それが苦手な人ということになりますが、正確に言うと、意思の疎通ができる相手が少ない人ということなんですね。
I:なるほど、なるほど。
先生:極端な例を挙げると、画家のゴーギャンとゴッホは、普通の人から見たらコミュニケーション障害ではないかと思えるような言動もあったと言われていますね。まわりからすれば二人は変だったと。でも、この二人はすごく仲が良かったんです。それは二人の間では、互いにしっかりコミュニケーションが取れていたからだと思われます。一方で、彼らの絵画作品にはものすごく説得力があって、時代を超えて人々に感動を伝えることができていますよね。非常に特異な形ではありますが、これも高いコミュニケーション能力の為せる業(ワザ)といえるのではないでしょうか。
I:たしかに仰るとおりですね! ……で、先生、今回は子どものコミュニケーション能力がテーマになりますので、時代を超えない範囲でのお話をお願いいたします。
先生:はいはい(苦笑)。コミュニケーションの方法の違いは子どもでも見られます。一般に女の子は言葉によるコミュニケーションが得意。
I:たしかに子どもの集団をウォッチしていると、女の子の方が言葉でコミュニケーションを積極的に取っている子が多いような気もします。
先生:一方で男の子の場合は、おしゃべりでコミュニケーションするより、追いかけっこでどっちが速いか、体のぶつけ合いでどっちが強いかとか、競い合ったり一緒に行動することでコミュニケーションを取っていくんですね。
I:それも納得できます。子どもの頃から、男女でコミュニケーションの取り方に違いがあるものなんですね。
先生:ええ、男の子と女の子で違うし、当然女の子の中、男の子の中にもいろんなタイプがいる。ちなみにコミュニケーションの方法が似ているとだいたい仲良しになるものです。
I:そもそも論として、子どもの頃からコミュニケーションの仕方には「個性」があるものなんですか?
先生:あります。子どもの頃に現れた個性は、ある意味自然な姿であって、大人になると目立たなくなりますけれど、本質的にはずっと変わりません。男にとってのコミュニケーションの方法は基本的には競争と言いましたが、《かけっこでお友だちに負けたくない》という気持ちと、《自分の家族はよその家族よりも幸せだと自慢したい》気持ちは、本質的には同じ。他者とのコミュニケーションを取るなかで、どこかで負けてられないっていう気持ちを抱くことは、男性としては健全なんですよ。つまり、男性は非常に相対的で、人と比べる傾向があります。誰かと誰かを比べた時に、自分が勝っていると思いたいんです。
I:それだけ聞くと男ってなんかめんどくさいですね……男の僕が言うのもなんですが(苦笑)。
先生:逆に女性の場合は相対評価じゃなくて、絶対評価。わが子のことでも、その子が良ければいいと思えるのが本来の女性の姿で、他の子とあんまり比べない。ただ、最近のママは子どもの成績とか、お受験がどうだとか、ピアノもどっちがうまいとか結構比べる傾向がありますよね。そうなるとママは本来の女性の良さを失ってしまうというか……。あくまで本来の性質としては、女性は他者と比べるような傾向は薄いし、またそれに基づいたコミュニケーションの取り方はあまりしないということです。
コミュニケーション能力を育てる方法とは
I:親としては子どもには多くの友だちを作ってもらいたいし、そのためのコミュニケーション能力をつけてもらいたいと思います。より多くの人と円滑なコミュニケーションが取れるような大人に育つために、親が子にしてあげられることってなんでしょうか?
先生: “良い経験”を積ませていくことではないでしょうか。例えば運動でもそうで、野球でも毎打席空振りしていたら練習にならないけど、何回かに一回カーンといい当たりがでると、「リ・インフォースメント(reinforcement)=強化」される。つまり成功体験を重ねることで着実に身につけていくことになり、上達につながる。コミュニケーション能力を身につけたいのであれば、気の合う人、話を分かってくれる人と一緒に楽しい時間をすごすのはとても大切な事です。
I:仲の良い友達とできるだけ遊ばせるとか、そういうことですか?
先生:う〜ん、わざわざ仕向ける必要はなくて、自然にしていればいいと思います。子どもたちがコミュニケーション能力のベースを身につけるのは難しい事ではありませんから。親子のコミュニケーションだって、意識しなくても生活の中で自然とできているでしょう?
I:たしかに。そう考えるとお友だちもそうですけど、基本は親子のコミュニケーションをしっかり取り、“良い経験”を積ませて“楽しい気持ち”をたくさん抱かせることが大事なのかもしれませんね。
先生:それはすごく大事です。でも普通の会話でいいですからね。特に意識なんてしなくていいです。普通の会話の中で、子どもは学んでいきます。
I:(子どものコミュニケーション能力を育てるために)「良い会話をしなくちゃ」「楽しい時間をすごさせなきゃ」なんて肩肘張らなくていいと。
先生:はい。無口なお父さんなら「ふーん」なんて素っ気ない返事でも十分です。本当の意味で子どものことを大切に想っていれば、口から出てくる言葉はそれほど気にしなくていい。
I:そんなもんなんですか……コミュニケーション能力のある人って、明るくて気さくな家族の中で育つものなのかとどこかで思っていましたけど。
先生:それは違うのではないでしょうか。コミュニケーションの仕方にかかわらず、その子の個性とは、育つ中で作られるものではなく、遺伝で決まるものです。もちろん家庭環境により左右されることもありますが、それはあくまで個性が生かされたぐらいに考えた方がいいでしょう。
I:そうなんですね。うちの子はまだ2歳ですが、僕の小さい頃よりずっと社交的で、誰に似たんだろうと思うこともあるんです。顔はそっくりなんですけどね……本当にそういう部分も遺伝の影響が大きいのですか?
先生:もしかするとパパであるIさんは、もともと社交的な性格なのに小さい時にそれが発揮されなかったのかもしれない。あとはママの遺伝も考えられます。パパとママの遺伝子が混じっているのは、大いに意味があることなんです。
I:そうですかぁ…できればあの社交性を失わずに育ってほしいものです。
先生:自然に接していれば大丈夫ですよ。いずれにせよ、その子には持って生まれた個性というものがあります。そしてその個性により、コミュニケーションの取り方も様々。ちょっとやんちゃな子は乱暴なコミュニケーションを好むし、思慮深い子はあまりアクションを取らずに柔らかくアプローチしていく。でも多少やんちゃであっても、やんちゃもの同士でコミュニケーションが取れていればまったく問題ないし、その中でどんどんより高度なコミュニケーションが取れるようになればいいわけです。その第一歩として、まずは家庭での心の通ったコミュニケーションを通じて、子どもの“能力”を育んでいけばいいと思いますよ。


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早期教育

胎教、早期教育という言葉もあるほど、スポーツでも勉強でも早いうちからトレーニングを始めたほうがその子のためになると親が考えるのは不思議なことではありません。ただ、脳の発達に精通している小児科医の立場から見ると、そのような考えはどのように映るのでしょうか。
一児の母である出産準備サイト編集スタッフKが先生に伺いました。
大事なことは「遺伝子」で決まっている
K:今回は、子どもの脳の発達と教育についてお話をお聞きしたいと思います。「胎教」という言葉があるように、赤ちゃんは生まれる前から脳に刺激を与えてあげると発育がよくなるというイメージがあります。このことについて、先生はどんな考えをお持ちですか?
先生:僕の考えをお話する前にちょっと別のお話をしますね。人間の脳にはしわがありますが、赤ちゃんの脳はいつからしわがあると思いますか?
K:そうですね…赤ちゃんがママのお腹を蹴り始める頃ですか?
先生:お、いい線いってますね。予定日よりも早く生まれてくる早産の赤ちゃんのうち、日本では妊娠22週以降に生まれた場合に、ひとりの人として治療を受けることになります。体重で言うと300グラムくらいの小さな小さな人です。22週から25、6週くらいまでの赤ちゃんの脳にはほとんどしわがありません。脳にしわがない状態で誕生した赤ちゃんが保育器の中で治療を受けることになります。そんな小さな赤ちゃんでも、保育器の中で1か月、2か月とすごす間にだんだん脳にしわができてきます。
K:すごい…。
先生:そう、すごいんです。保育器の中に入っている間に呼吸の状態が悪くなったり、感染症にかかったり、ショックを起こしたりすることもあります。でも、脳は決められた通りに正確にしわを作っていきます。その様子は、まるで折り紙を折るように、遺伝子によってあらかじめ決められているのです。早産で生まれて数か月間保育器の中で育っても、大人と同じ脳のしわがきっちり作りあげられるわけです。なにが言いたかったかというと、脳の形や機能が作りあげられていくための遺伝子の“決定力”はとても強く、少々環境が悪くても、大事な部分はしっかりと作られていく、ということです。
K:なるほど、よくわかりました。
先生:例えば、体重は食生活や運動などの環境要因でも大きく変わりますが、身長は遺伝子でだいたい決められているので、いくら沢山食べても、鉄棒にぶら下がっても、なかなか伸びたりしません。脳の形や働きも簡単には環境要因に左右されないように守られています。たとえ十分な栄養が取れないような厳しい環境で育った子どもでも、脳の大きさや形、そして働きは変わりません。脳は非常に大切な部分なので、遺伝子でがっちり守られているのです。
K:目からウロコが落ちてしまいそうです(笑)。ちなみに私は身長が低いのがコンプレックスで、子どもの頃から牛乳をたくさん飲んだんですよね。それでも背が伸びなかったのは、そもそもが「どうにもならない問題」だったからなのですね(苦笑)。
先生:まあ、そういうことですね(笑)。たとえ未熟児として小さく生まれても、予定通りに脳を含めて体の形が作られていき、そこに予定通りの機能が宿っていくようにできています。ひとりの赤ちゃんが育っていく様子は、人が動物として進化してきた過程を思わせるほど、着実で確かなものなのです。
 
「胎児のときから子育てが始まっている」は事実
K:胎児のときに音楽を聞かせるお母さんも多いと思いますが、胎児はどれくらい聞こえているのでしょうか?
先生:残念ながらほとんど聞こえていません。お母さんの心拍は聞こえていますが。モーツァルトを聞こうが工事現場にいようが、変わらないということです。
K:えーっ、そうなんですか!今回、驚きが多すぎます…。
先生:ただ、「いい音楽だなあ、この音楽を聴くと気持ちいいなあ」など、音楽を聴いてリラックスしているお母さんの気持ちが、何らかの形で赤ちゃんに伝わっているとは思います。つまりどんな音楽を聞くかではなく、お腹の中の赤ちゃんに向かって「お母さんはこの歌が好きなのよ」「一緒に聞いてね」と語りかけることが大切だということです。赤ちゃんがお腹にいるときから、そのようなコミュニケーションを取っていると、生まれてきた際、「やあ、よく出てきたね」というところから親子の関係が始まりますよね。妊娠中にお腹の赤ちゃんに興味が持てないお母さんやお父さんの場合には、残念なことですが、生まれてきてから例えば虐待をしてしまうような不幸なことも起こりかねないのです。
K:音楽そのものが直接赤ちゃんの発育に働きかけることはないけれど、音楽を通じて親子のコミュニケーションを取りながら生まれてきた子は、愛情のあるスタートがきれるということなんですね。
先生:はい。そういう意味では、子育ては胎児の時から始まっているというのは事実です。話は変わりますが、お子さんに生まれつきの病気があったり、アレルギー体質だったりすると、「妊娠中に無理して仕事を続けていたせいかもしれない」とか「妊娠中に飛行機に乗って里帰りしたせいだ」と、まるでお母さんの責任であるかのようにお母さんご本人も周りも思うかもしれないけれど、そんなことは全くないです。赤ちゃんはお母さんとお父さんから半分ずつもらった遺伝子でしっかり守られています。堅牢な金庫の中ですごすようなものなのです。
K:不幸にして流産になったり、子宮の中で発育遅滞が起こったりするのもお母さんのせいではないんですね。
先生:そうです。多くの場合は、お母さんのせいでも、産科の先生のせいでもなくて、赤ちゃんが持って生まれた運命によってそうなってしまうだけなのです。
親の夢は子どもに託さない。夢は自分でかなえなさい
K:子どもの能力や性格は環境要因よりも遺伝子で決められることの方が大きい、ということはなんとなく理解しました。そうなってくると教育、特に早期教育などの「意味」についても少しお伺いしたいのですが。
先生:教育環境は重要な環境要因の一つですね。早期に質の高い教育を施すことが子どもの運命を左右すると考えている親御さんは多いものですが、基本的にはそうではないと思います。特定の勉強、科目が得意か苦手かは、教育効果よりも生まれつき決められていることのほうが大きい。これは運動能力にも同じことが言えます。
K:うーん、親としては早いうちからスポーツなり、勉強なりをさせれば、それだけ先行者利益を得られるというか、メリットが大きいかなと思っていたのですが…。
先生:親としてやらせてみたいことがあるのなら、是非、やらせてみたらいいと思いますよ。ただし、早くできるようになる、ということはあるでしょうけど、それ以上でもそれ以下でもない…つまり、将来的に結果は大きくは変わらないと思います。2歳から水泳をやっているからといって、親が平均的な運動能力の場合、子どもがオリンピック選手になるかというと、その可能性は低いと言わざるをえません。だから、習いごとを始めた以上は「2年間続けるべし」「週3日はやるべし」などということにこだわらないほうがいいですよ。子どもが嫌がる習い事であるなら、“無理せずやめさせたらどうですか”、“他にやってみたいことを試してみてはいかがですか”と私ならアドバイスします。
K:う~ん、そんなものですか。やると決めたら、やるっていうのは美徳とされるじゃないですか。親としても「続ける力」を養いたいとも思いますし。嫌がったらやめようというスタンスだと、「意志の弱い子」になってしまうか心配です。
先生:いや、そうすることで意志の弱い子になるということはないですよ。
K:そうなんですか!
先生:ええ、その子の持つ性格や性質も、環境要因よりも遺伝子要因で決まる部分が大きいですから。早くから水泳をやらせたら水泳のオリンピック選手になり、幼稚園のうちに算数をやらせたら数学者になり…ということには普通なりません。ですからスポーツや習い事は楽しみとしてやるのが良いと思います。意志の強い子に育てるためにするという考えでは決して良い結果は得られません。ご自分が果たせなかった夢を子どもでかなえようとするのはどうかと思いますよ。
K:耳が痛いです(笑)。でも、自分の夢を子どもに託したくなるものですよねぇ。
先生:子どもにさせずに、今からでも遅くないですからご自分でやってみてください(苦笑)。もちろん、「何が好きか」という嗜好も遺伝する可能性があるので、両親の得意なこと、好きなことを子どもにやらせてみたら、それが向いていたということは十分にありえます。それはいいと思うんですよね。ただ、神様が作った−−−−つまり遺伝子が作った−−−−その子の才能を「無理強いの早期教育」で捻じ曲げないほうがいい。無理をしないほうがいいと思います。
K:その子本来の個性を生かすほうがいいということなのですね。
先生:はい。話はまた少しそれますが、私の病院には「学校に行きたくないという症状」の子がやってくることがあります。その子たちには「学校には行かなくてもいいよ」と話します。そしてご両親にも「学校に行かないだけで人生を踏み外した大人を見たことない。社会に出てから仕事に行きたくなくなってしまうことがあるけれど、そういう人のほうが大変な苦労をしているから、お休みしたいなら義務教育のうちにお休みしておきなさい」とお話しします。
K:(追い込まれた)子どもにすればすごく安心できる言葉かもしれませんね。ただ、親はびっくりするでしょうけど。
先生:たいてい驚きますね。でもそんなものですよね。嫌だと思っていることを無理にさせてもいいことなんてないわけです。なるようにしかならないと腹をくくるしかない。そしてそういう状況を悲観的にとらえず、どのようにすれば我が子のためになるか前向きに考えること。子どもさん自身が失った自信を回復できるように、褒め言葉であふれるような家庭環境を作ってあげることが大事だと思うのです。
教育で必要なのは上を目指すのではなく「褒める」こと
K:無理に高度な教育を受けさせるよりも、自分の子を毎日思い切り褒めることのほうが大切だということですね。習い事などの環境も最低限用意してやればいいという理解で間違いないでしょうか。
先生:えっとですね…ここも理解していただきたいことのひとつですが、現代の日本の実情を考えたとき、特殊な環境、病的な状態を除けば、子どもを育てる上で足りないものは何もないと思うのです。十分な義務教育が用意され、衛生環境もよく、いろいろな家族形態はあると思いますがほとんどの家庭では子どもたちは大事に育てられている。そのような状況では、環境要因で何か上乗せしないと後悔するというものはないと感じます。最低限のものを用意しなくてはと考えなくても、お子さんとの生活をごく普通に楽しんでいただければ、子どもが生まれつき持っている可能性を阻害することはありません。
K:先生のような方からそう言われると安心します。
先生:やりたいことをやらせておけばいいと思いますよ。小さい頃から勉強させたからといって、将来の知能が高くなるとか低くなるとかいうことありません。何かを変えられるとすれば、自分に自信を持つ子になるかどうかということ。そこは親の育て方、環境要因で差がつくでしょうね。
K:「セルフ・エスティーム」、いわゆる「自己肯定感」ですね。
先生:小学校受験を考える方もいらっしゃると思いますが、その過程を通じて、いいお友達が沢山できて、豊かな生活を送れるならいいと思います。でも、その受験のために「あなたのいちばん好きな食べ物は?」と質問されたときに、本当は日曜日の朝に家族で行くファストフード店のハンバーガーとポテトが何より好きなのに、「お母さんが作ってくれるオムレツが大好きです」と答えるように念を押すのはあまりよろしくないかもしれない(苦笑)。
K:ある意味、子どもに「ウソ」をつかせることを小さい頃から強いるのはよくないと。
先生:ええ。また、勉強だけでなく食生活についても無理強いは禁物です。最近テレビを見ていると、この栄養素をとってないと知らないうちに恐ろしい病気になる、という番組がありますよね。現代の日本で特定の栄養素が極度に欠乏したために病気になるということはまずありません。特殊な早期教育がなくても子どもたちがすくすく育つように、特殊な食事を工夫しなくても、楽しい食事であれば子どもたちはすくすく育ちます。子どもたちに与えられた“育つ力”です。その原動力が自己肯定感です。
K:冷静に考えるとそうなんだろうなとは思うのですが、メディアで「!」マークつきで、危険を煽られると、ついついそちらに引っ張られてしまいます…。
先生:なるほど。でも、体に不可欠の栄養素を必要量の2倍、3倍と摂取したからといって、さらに健康になるかというとそうはならない。たとえ自然食品であっても、過剰摂取すれば中毒になることもあります。その意味では、教育も大事な栄養素と同じようなものかもしれませんね。何事もバランスが大切です。
持っている能力は“必要なとき”に自然と発揮される
K:しつこいようですが、“勉強”という意味の早期教育も環境要因としてそれなりに将来に良い影響があるのではないか、という考えがまだ抜けません。たとえば小学校に入る前から学習塾に行っている子は計算ができたり、文字が書けたり、ほかの子より早くできることが増えますよね?その子たちがどんどん先にいって、有利になるということはないんでしょうか。
先生:少なくとも僕はそうしたことに関するしっかりとしたデータを見たことはありません。早期教育を受けた子と受けなかった子という違い以外に、住んでいる地域、その地域の経済レベル、家庭環境など、極めて多くの要素がその子の将来の生き方に影響します。これらの要因の影響をすべて考慮に入れた研究が必要になるのですが、とても膨大で難しい研究になると思います。簡単には結論は出ないと思います。
K:なるほど。仮に塾に行った子の方が、行っていない子より勉強ができる子に育ったとしても、遺伝子を含めたその他の要因もあるので、なんとも言えないと。
先生:ただ僕の個人的な意見は明確です。たとえば早く自転車に乗れるようになった子と、小学2年生でやっと乗れるようになった子の運動神経の差はないと思います。早く乗れたからといって自転車選手になるわけじゃありませんし。つまり「早さ」に意味はない。遺伝子により決められた能力を、(環境要因で)押しつぶすことさえしなければ、必ずそれは必要なときに出てくるはずなんです。
K:“必要なとき”、ですか。
先生:そう、遅かれ早かれ必要なときに、出来ることはできるようになるんです。逆に言うと、出来ないこと、嫌いなことはできなくて良い、自信を失わなくて良い。だからこそ、親としては子どもの「出来ること」「得意なこと」を探してあげることが大切です。それが勉強なのか、スポーツなのか、芸術なのか、それともまったく別のことなのかはわかりませんが、絶対に何かあります。お友だちのことなのに、涙を流して一緒に悲しんだり喜んだりすることができる小学生がいます。それは素晴らしい才能なのです。
K:なるほど。それをやらせて、小さい頃から、「やればできるようになる」という経験を積ませることが何より大事なのですね。
先生:そういうことです。強制したり、根詰めてさせたりしないことです。スポーツでもなんでもそうですが、最初のころがいちばんおもしろいことも多いじゃないですか。そのへんでやめてしまっても悪くないのでは。そして、子どもに自信をつけさせる。すべてのことは上にいけばいくほど困難になりますからね。上級になればなるほど頭打ちになりますから、それはそれで貴重な体験ですが、あまり小さな時から挫折感を味あわせないほうがいいんじゃないかな。子どものうちに成功体験を積んだ人間は強いですよ。「自分大好き」は子どもたちにとって大きな力です。
K:子どもの頃は、上級レベルを目指して挫折感を味わうより、「うまいね」「よくできたね!」とたくさん褒めて「私ってすごい!」「僕はできる!」という気持ちを持たせることが大切なのですね。今日はありがとうございました!先生のお話がよくわかりました。


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対ソ戦略としてなぜ沖縄だったか

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沖縄に米軍が集中している問題


人の話によれば

ひとつは終戦時に沖縄戦があり、そこから米軍は日本占領を始めたので、

その名残という要因が一つある

もうひとつは沖縄が東南アジアで重要な位置だという話


朝鮮半島の情勢も関係


しかしながら、終戦当時は、米国としてはソ連との関係が重要で、

北海道をどうするかが問題だったのではないだろうか

現在は沖縄に米軍が集中し、自衛隊は北海道に重点的に配備されている面がある


米軍は対ソ戦略として、北海道を直接守ると考えなかったのだろうか

あるいは、北海道を緩衝地帯と設定し、何かあったら対応と考えていたのだろうか


対ソ戦略としてなぜ沖縄だったか

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すぐ消えるインクも困るが消えないインクも困る

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ボールペンで書いていて、間違ってキーボードにインクがついた

アルコールで拭いたが完全には取れなかった


すぐ消えるインクも困るが消えないインクも困る

紙について消えないことと、衣類とか机とかについて消えないこととはまた違う

落書きは消したい


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親切で好意的な見知らぬ人と日にわずか数分でも同じ空間で過ごしていたら、私たちはより楽観的になり、自尊心が高まり、より大きな安心感と周囲の環境とのより強いつながりを感じるようになり、人生をもっと楽しむようになるということが、研究によって明らかになっています

“親切で好意的な見知らぬ人と日にわずか数分でも同じ空間で過ごしていたら、私たちはより楽観的になり、自尊心が高まり、より大きな安心感と周囲の環境とのより強いつながりを感じるようになり、人生をもっと楽しむようになるということが、研究によって明らかになっています”

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集団精神療法はこの点ではどうか、問題はないか

入院の代わり、

日中を集団で管理しているという側面はないか


野球が不得意な人たちが集まって

お互いに教えあうの図

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“地震のとき 犬は「ヤベっすねどうしたらいいすかね指示くださいよ」みたいな顔で見てくる 猫は「お前が揺らしてるんだろ?全く面白くないから今すぐやめろ」みたいな顔で見てくる”

“地震のとき
犬は「ヤベっすねどうしたらいいすかね指示くださいよ」みたいな顔で見てくる
猫は「お前が揺らしてるんだろ?全く面白くないから今すぐやめろ」みたいな顔で見てくる”


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" せん妄に対するハロペリドール±ロラゼパムのランダム化比較試験 【本論文に着目した理由】 せん妄管理の基本は,早期スクリーニングによる誘因の除去と環境整備などの非薬物的治療であるが,特に終末期がん患者では不可逆性のせん妄がしばしば発症する ハロペリドールおよびリスペリドンが,プラセボに対して優位性を示せなかった研究(JAMA Intern Med 177:34)以降,適切な薬物治療のあり方が注目されている 単独ではせん妄の増悪因子とされるベンゾジアゼピン系薬が,ハロペリドールと併用することにより少なく

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せん妄に対するハロペリドール±ロラゼパムのランダム化比較試験
【本論文に着目した理由】
せん妄管理の基本は,早期スクリーニングによる誘因の除去と環境整備などの非薬物的治療であるが,特に終末期がん患者では不可逆性のせん妄がしばしば発症する
ハロペリドールおよびリスペリドンが,プラセボに対して優位性を示せなかった研究(JAMA Intern Med 177:34)以降,適切な薬物治療のあり方が注目されている
単独ではせん妄の増悪因子とされるベンゾジアゼピン系薬が,ハロペリドールと併用することにより少なくともせん妄を悪化させなかったことは臨床的に意義がある
【著者および私の見解】
興奮が強いせん妄患者に対して,ベンゾジアゼピン系薬をハロペリドールと併用することによって陽性症状の軽減が期待できる
RASSスコアが低いことは,より安定した鎮静が得られていることを意味し,必ずしもせん妄を改善させているとは限らないことに注意を要する
本研究では,せん妄の陽性症状の制御と,より深い鎮静(RASSスコア<-2)とがトレードオフの関係にあることが示唆された
日本ではロラゼパムの注射剤が使用できないため,代替となるベンゾジアゼピン系薬を慎重に選択する必要がある
【私の結論】
せん妄に対してハロペリドール+ベンゾジアゼピン系薬による治療を行うにあたっては,陽性症状が軽減するとともに鎮静によりコミュニケーションが取りにくくなる可能性について家族と話し合うべきである
せん妄の治療はどのような状態をゴールとすべきなのかについて,患者自身や家族の意向も含めた研究が必要である
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樅ノ木は残った 「生きることこそ善である」という周五郎の人間賛歌である。

樅ノ木は残った

「生きることこそ善である」という周五郎の人間賛歌である。


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鼻をほじるのはやめなさい、と母親に怒られた経験がある人は少なくないだろう

子どもの頃、鼻をほじるのはやめなさい、と母親に怒られた経験がある人は少なくないだろう。しかし、実際に鼻をほじると自分自身だけでなく周囲の人の健康にも悪影響があることが、英リバプール熱帯医学研究所のVictoria Connor氏らが「European Respiratory Journal」10月10日オンライン版に発表した研究で報告された。成人の男女40人を対象としたこの研究では、鼻をほじったり、こすったりすると肺炎球菌が拡散する可能性が示された。鼻と手が接触するだけでも肺炎細菌が簡単に広がることを初めて報告したものだという。
 肺炎球菌は、咳やくしゃみなどで飛び散る飛沫(しぶき)を介して感染することが知られている。しかし、肺炎球菌の感染がどのように広がるのかについては、現時点では明らかになっていない。そこで、Connor氏らは地域における肺炎球菌の感染経路を明らかにするために今回の研究を実施した。
 研究では、18~45歳の健康な男女40人を(1)肺炎球菌を加えた水で濡らした手を鼻に近づけて吸い込む“wet sniff群”、(2)肺炎球菌を乾いた状態で手の甲に付着させて鼻で吸い込む“dry sniff群”、(3)肺炎球菌を加えた水で濡らした指で鼻をほじる“wet poke群”、(4)肺炎球菌を乾いた状態で指に付着させて鼻をほじる“dry poke群”の4群に分けた。
 その結果、全ての群で、肺炎球菌は手から鼻へとたやすく感染することが明らかになった。また、最も感染しやすいのは肺炎球菌を加えた水で濡らした手に鼻を近づけて吸い込むwet sniff群と、同様の水で濡らした指で鼻をほじるwet poke群であることも分かった。この結果について、Connor氏らは乾燥した環境では細菌が死滅しやすいことが要因ではとの見方を示している。
 この研究結果が示す健康への影響は見過ごせない、とConnor氏らは指摘する。「肺炎球菌は世界の死亡の主な要因となっており、年間で130万人もの5歳未満の小児がこの細菌によって命を落としている」と同氏は説明する。また、高齢者や免疫力が低下した慢性疾患を有する患者なども肺炎球菌の感染リスクが高いという。
 この研究からは、手指の衛生に加えて子どものおもちゃを清潔に保つことは、幼い子どもたちを肺炎球菌の感染から守り、学校などでの集団感染や高齢の家族への拡散を防げる可能性があることが示された。ただ、Connor氏は、細菌の存在によって子どもの免疫系が増強され、その後の感染リスクが低下する場合もあるため、「鼻をほじることは悪いことだけではないかもしれない」とも話している。


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“三十路を過ぎてわかったが ・野菜を食べる ・運動をする ・歌を歌う ・酒と塩分は控える ・たくさん寝る ・人をめっちゃ褒める ・何か夢をもつ ・できるだけ金を稼ぐ これらを心掛けると健康に生活できることがわかった。最後のやつ以外は全部小学生でもできることだった。”

“三十路を過ぎてわかったが
・野菜を食べる
・運動をする
・歌を歌う
・酒と塩分は控える
・たくさん寝る
・人をめっちゃ褒める
・何か夢をもつ
・できるだけ金を稼ぐ
これらを心掛けると健康に生活できることがわかった。最後のやつ以外は全部小学生でもできることだった。”


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the Competence/Deviance Hypothesis

the Competence/Deviance Hypothesis


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http://independentlivingideal.blogspot.com/2013/05/the-competence-deviance-hypothesis.html
It is something he referred to as the Competence/Deviance Hypothesis. Simply, it is a way of understanding why we tolerate the differences we see in some people more than others, particularly differences that deviate from social norms.
Gold’s theory contends that the greater the amount of competence a person is perceived to have, the greater the amount of deviance from social norms the rest of us are willing to accept.
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http://apostrophemagazine.com/competence-deviance-2/
Dr. Gold formulated the competence-deviance hypothesis.  The premise is that the more competent an individual is, the more deviance will be tolerated in him or her by others.


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“日本人の苦手な行動10選 ①人に自分の仕事を任せる ②違う考えを受け入れる ③人と違うことをする ④わがままに生きる ⑤チャレンジする ⑥変化し続ける ⑦効率化する ⑧失敗する ⑨逃げる ⑩断る これらができるだけで人生は圧倒的に楽しくなるしうまくいく。”

“日本人の苦手な行動10選 ①人に自分の仕事を任せる ②違う考えを受け入れる ③人と違うことをする ④わがままに生きる ⑤チャレンジする ⑥変化し続ける ⑦効率化する ⑧失敗する ⑨逃げる ⑩断る これらができるだけで人生は圧倒的に楽しくなるしうまくいく。”


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“家を出ると、子どもが、手を伸ばしてくる。 「手をつなぐ」のが当たり前なのだ。 手をつないで歩いて幼稚園に行くものだと、子どもの中では決まっているのだ。 しかし、日本で大人になってだいぶ経つ僕は、知っている。 「手をつなぐ」ことが、どれだけ特別なことか。 手をつなげる人が、いかに少ないことか。 ましてや、なんの気遣いもなく、親密さを示す必要すらなく、当たり前のように手を伸ばしただけでつなげる人は、その中でもさらに、いかに少ないことか。 この小さな生き物が、全幅の信頼を寄せて、毎朝手をつないで歩いてくれたこ

“家を出ると、子どもが、手を伸ばしてくる。 「手をつなぐ」のが当たり前なのだ。 手をつないで歩いて幼稚園に行くものだと、子どもの中では決まっているのだ。 しかし、日本で大人になってだいぶ経つ僕は、知っている。 「手をつなぐ」ことが、どれだけ特別なことか。 手をつなげる人が、いかに少ないことか。 ましてや、なんの気遣いもなく、親密さを示す必要すらなく、当たり前のように手を伸ばしただけでつなげる人は、その中でもさらに、いかに少ないことか。 この小さな生き物が、全幅の信頼を寄せて、毎朝手をつないで歩いてくれたことを、しみじみとありがたく思う。 ありがとう、ありがとうね。”


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“「結論は持っておけ。先に言うと相手は絶対それに決めたくはなくなる。まずは相手に30分しゃべらせるんだ。しゃべっているうちに自分が望む結論に近いことを相手が言う時がくる。そこで『それ!』と言うと決まるんだ」。”

“「結論は持っておけ。先に言うと相手は絶対それに決めたくはなくなる。まずは相手に30分しゃべらせるんだ。しゃべっているうちに自分が望む結論に近いことを相手が言う時がくる。そこで『それ!』と言うと決まるんだ」。”


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“Truth is, everybody is going to hurt you, you just got to find the ones worth suffering for. 「本当のところ、全ての人は君を傷つける。 だから、『傷つけられても構わない』と思える人を探そう」”

“Truth is, everybody is going to hurt you, you just got to find the ones worth suffering for. 「本当のところ、全ての人は君を傷つける。 だから、『傷つけられても構わない』と思える人を探そう」”


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