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ポール・クルーグマン 『私が東京で言ったこと』 2016-03-27

ポール・クルーグマン 『私が東京で言ったこと』
2016-03-27 21:53627

クルーグマン教授がこのツイート(日本時間2016年3月26日21時ごろの投稿)で公開した議事録を、全文和訳しました。
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ー 〔四角いカッコ〕は訳者による補足です。
ー 原文はある程度ケバ取り(文章の整え)をしてあるようですが、口話のため意味の取れない部分もあり、そういうところは訳文も曖昧になっています。
ー 段落替えや「カギカッコ」は訳者が自由に付加しました。
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ポール・クルーグマン Paul Krugman
日本の政府筋 officials との会合。2016年3月22日


(司会) それでは、第3回目の、国際的な金融と経済についての分析会合〔「国際金融経済分析会合」〕を始めさせていただきます。ニューヨーク市立大学のポール・クルーグマン教授をお招きしております。ではまず、総理からお話しいただきたく存じます。


(安倍首相) 今回は、国際的な金融と経済についての分析会合の第3回目です。私からご挨拶させていただきたく思います。ノーベル賞受賞者であり、また、米国経済諮問委員会 Presidential Council on economic advisers の一員でもあられました、ニューヨーク市立大学のポール・クルーグマン教授をお招きいたしました。この会合にお越しいただきありがとうございます。

クルーグマン教授はこれまでも、経済学的な主題について、様々な提起、提案をなさってきました。この会合で、私たちは、世界経済の分析についてのあなたの見解をお聞きしたいと思いますし、そしてまた同時に…。私たちは政権 administration の最初から「3本の矢」という政策を導入したのでした。そしてまた、少子高齢化社会へと対応する「新・3本の矢」を提案したわけであります。

今年の五月に、私たちは伊勢志摩において、世界経済の力強い成長に向けたG7サミットのホストとなることが予定されています。私たちは、強いメッセージを送り、また意見交換 communication したいと考えています。今日の会合は、その今年5月の伊勢志摩サミットの地固めとなる prepare ground べき討論会 forum です。ありがとうございます。


(司会) 総理、ありがとうございました。では、クルーグマン教授から、最初の発言をお願いいたします。



(クルーグマン教授) ここにいらっしゃる方々へとお話させていただきますことと、こうした事柄についての発言を求められたという名誉への感謝を、この会合が非公開となります前に before we close the meeting 、手短に申し上げさせていただきます。
世界経済は困難な状況にあります。といっても不幸なことに、ほとんどこの8年間、我々の誰にとっても容易な時期というのはなかったのですけれども。

我々みんなの願いとして…。私は、日本のなした政策転換 policy moves を強く支持する者 a great admirer でありますが、それらの諸政策は十分なものではないのです。その理由の一端は、日本以外のみんなも困難な状況にあるから、ということであります。

重ねて申し上げますが、今後なにがなされうるのかということについて意見を求められたことを非常に名誉に、また喜ばしく思うものであります。


(司会) ありがとうございました、クルーグマン教授。報道陣の方々にはご退出をお願いいたします。それでは本題に入りまして、クルーグマン教授、プレゼンテーションをお願いいたします。


(クルーグマン教授) 4点を申し上げたく存じます。第1は、「我々はいま、経済的な弱さの蔓延した世界 the world of pervasive economic weakness の中にいる」ということです。多くの面で、我々はみな日本になってしまったのです we are all Japan now 。これが、日本も含め、みんなにとって政策を難しいものにしています。

第2は、「主要経済大国 major economies どうしの結びつきが強まっている」ということです。従来の経済学上の議論が提起してきた以上にということです。私がそう主張しますのは、主として資本移動 capital flows という面からであります。これについてお話しするのは非常に大事なことです。

第3は、今ここで特に懸案となっていることかとも思いますが、「非常に大胆かつ非伝統的な金融政策 monetary policy を通じてさえ、目標を達成することが難しく思われるようになった」ということです。黒田さん Kuroda-san もここにおられるのですから、我々がこれについて話さねばならないのは明らかであります。

第4がなにかと申しますと、「金融政策は財政政策 fiscal policies の助けを必要とし、できればその他の諸政策の助けも必要とする。しかし、間違いなく財政面で必要とするのであり、反対方向へと動いている財政政策と格闘する必要はまったくない」ということです。この点は、ただ日本だけの問題ということではなくて、いまや、きわめて全世界的な問題なのであります。

では、これら4点について敷衍させていただき、そして、そこから何が言えるのかということを、二つ三つ、お話しさせていただきたいと思います。

日本以外の主要経済大国が「日本化 Japanification 」しているとも称される、この〔経済の〕弱さというのは、――このような単語が使われているのは不幸なことではありますが、いまはとりあえず有用なものとしまして――きわめて重大であります。

ユーロ圏はいま大いに、1998年、1999年ごろの日本のように見えているのであります。経済の基礎条件 fundamentals 〔経済指標〕が似ているのです。労働年齢の人口は縮小しつつあります。投資のけん引役となる技術革新 Technological drivers of investment は、強力であるようには思われません。ただひたすら、弱さがずっと続いているように思われるのです。

欧州中央銀行は、非常に賢明な人物によって運営され、非常な効力を持っているのではありますけれども、インフレ目標を達成することができずにいます。

欧州経済が改善されたようにみえる時期がくることもあるのですが、その状況というのはまさに…。成長というのが…。ますます「長期的停滞 the secular stagnation 」という概念そのものに見えるようになってきているのです。マネーがジャブジャブなのに弱さが続いているのですから persistent weakness despite very easy money 。

アメリカ合衆国はマシに思われますし、ずっとうまくやってきました。とはいっても、それもいろいろな比較の中に置いて見なくてはなりません。雇用の増加は良好でしたが、生産量の伸びは大したものではありません。

我々〔米国〕へも弱さが入り込みつつあるのだという、いろいろな兆候があるのです。インフレは依然として目標値以下ですし、賃金も大して伸びはしてません。ということは、我々〔米国〕も絶好調とはとても言えないのです。その理由はすぐあとで説明いたします。よその国の問題によって我々の足が引っ張られるであろうと考えられる、一つの理由があるのです。

そして、さまざまな新興市場は、大いに問題を抱えています。とりわけ最大の新興市場がそうなのです。つまりあなた方のお隣の国です。中国は暴発寸前であると言われ…。何年にも渡って、調整が大きな問題となるであろうこと、非常に高い投資の…経済を支え続けることはできないであろうということが、周知のことでありました。彼らは、いまだこれに対処する方策を見いだしてはいません。中国の政策はそうとうに危なっかしいもの erratic に思われます。いま起きつつあることと併せて考えると、それはよい兆候ではないのです。

主要経済大国どうしの相互依存 interdependence は、私の意見では、極めて広範なものです。通常は、私やその他〔の経済学者〕の見解というのは、「相互依存性は限定的なものである。なぜなら、こんにちでさえ、国際的な取引の流量というのはそれほど大きくないからだ」というものです。今日でさえ、主要経済大国のそれぞれは、GDPのほんの数%を他国へと輸出しているにすぎないのです。ですが、投資家たちの認識 perception が「弱さがこれからも続きそうだ」という方へ傾くならば、そこからの影響はずっと大きなものとなるのです。

もしも、ユーロ圏の諸問題が、いまだけのものではなく、非常に長期間にわたるものになりそうだと考えられるようになったならば、ユーロ圏の金利はきわめて低くなります。長期債さえもです。いま現在、ドイツの十年国債の利率は約0.2%です。

これが何を意味するのかというと、どの国であれ、その経済が比較的に〔他国よりは〕強いとみなされたならば、その国は大量の資本の流入の受け手となりがちなのであり、それによって通貨は押し上げられるということです。そして通貨高は、その国の競争力を弱くして、〔経済の弱さという〕問題を分かち合うことになってしまうのです。

ドルが猛烈に上昇したのはご存知のことと思います。さほど好ましからざる経済状況にある国でさえ、自国が他国からの資本の流入の受け手となっていることや、財政拡大〔景気拡大?〕の努力 efforts to expand や、…掘り崩されていることを目の当たりにしているかもしれないのです。

ですから、我々の知るとおり、黒田氏があらゆる手を尽くされているにもかかわらず、日本円が上昇したことは――それは日本の視点からは非常に不幸な現象なのですけれども――、他の主要経済大国の弱さによって引き起こされたことなのです。

中国には特別な問題があります。大きな困難を抱えているのです。中国は〔世界経済の〕強さの源泉であるとみなされてきた一方で、つい最近までは――私が正しければ――通貨を安く抑える操作をしていると非難されてきました。ところがそれとは反対に、いまや中国は巨額の資本流出に直面しており、通貨を支えるために介入しています。2015年の資本逃避は約1兆ドルにも上ったと我々は推測しています。

中国は莫大な準備金を保有してはいますが、莫大と無限大は違います。どういう意味かというと、人民元の下落ということが現実味のある見通しとなり、そうなれば我々みんなの生活に困難が降り掛かってくるということです。このように、相互依存性のすべてがここにあるのです。

金融政策というのが、ほとんどの国で、「不本意ながら唯一の可能な手段 the only game in town 」となってしまっています。財政政策は政治のせいで麻痺してしまっているから、というのが彼らの口癖です。

ここ日本では、さほどそういうことはないのですが、それでもやはり、「3本の矢〔金融政策、財政政策、成長戦略〕」のうち圧倒的に最大のものは、これまでのところは金融政策でした。黒田氏はこの重責の大部分を遂行なさいました。

我々が目の当たりにしつつあるのは、金融政策の限界です。

非伝統的な手法を試みるとき、我々はそれを議論することができますが…。効果はだんだんと小さくなり、困難なものとなることを、我々は知りつつあるのです。

マイナス金利についてですが、これが可能であると判明したのは注目すべきことです。私はまさしく、これは正しい動きであったと考えますが、しかし、これをさらに推し進めてゆくことは非常に難しいのです。マイナス金利の影響は限定的なものであることが明らかになりつつあるからです。

他の国にも目を向けてみましょう。ヨーロッパにも非常に有能で本質的なバンカー〔マリオ・ドラギ〕がいるのですが、にもかからずECB〔欧州中央銀行〕は牽引力を失いつつあるように思われます。ここ日本でも、私よりもみなさんがご存知の通り、インフレ期待は後退しつつあるように思われます。賃金上昇も、あるべき数値より低いのです。

我々は、世界的な弱さへの対処の試みとなるべき、最大のテコ principal lever たる政策が、我々が希望していたほどの効力を持っていなかったことを目の当たりにしつつあるのです。それどころか、ひょっとしたら、このところ発揮しているように見えた効果さえも実は持っていないのかもしれないということを目の当たりにしているのです。

では財政政策についてです。

過去7年間に我々が目にしたことのすべてが、財政政策は有効であり続けたことを示しています。それも、こうした状況のなかではとりわけ有効なのです。これを採用するのは非常に難しいことであります。数年間は不良債権を抱えることになり、政治的な対立があり、ヨーロッパは国ごとに分断されており、アメリカは政党間の分断があり…。それでも、財政政策は有効であり、目下の世界的な状況こそはまさに、諸国の経済が本当に、本当に財政の支援を必要としているときなのです。

財政による支援よりも、長期的な予算問題を優先すべし、という考えは、今は極めて見当違いなものと私には思われます。私が申し上げておりますのは、言うまでもなく、消費税のことであります。

これら全てのことがらから、2つのことを言うことができます。

〔その一つ目は、〕私が構造改革 structural reform について何も申し上げなかったことにお気づきかと存じます。私が構造改革に反対であるからというわけではありません。そうではないのですが、需要を押し上げる boosting demand という最重要課題 critical issue からはだいぶ的を外れたものと考えられるからなのです。

ある種の構造改革は民間投資に拍車をかけることもあるかもしれません。それはよいのですが、多くの場合はそこに重点があるわけではないのです。

また他の種類のいろいろな改革、つまりアベノミクスですが、将来の労働力を拡大することは、経済が直面している人口動態的な逆風を相殺する助けにはなります。

ですから、そうしたことの全ては良いことなのですが、私がたいへんに心配しているのは、構造改革の話は、ときに、第一に差し迫った問題に対処しないための口実になることがあるということです。第一に差し迫った問題とは、十分な需要、デフレや低インフレとの戦い、不十分なインフレとの戦いといった、金融政策にかかわるものなのです。

しかし、私が申し上げましたように、それ〔金融政策〕には限界があるのですから、財政政策の面で、この差し迫った必要に、いままでよりももっと焦点を当てる必要があるのです。

そして最後の一点となりますが、これは非常に大事な点です。なにかと申しますと、この状況下では「リスクが非対称である the risks are asymmetric 」ということを理解するのがきわめて重要である、と論じさせていただきたいのです。

私が悲観的すぎるだけであって、いろんなことがうまくいって、需要はもっと強くなり、自然に回復する、ということだってありえなくはありません。〔しかしその反対に、〕私が描写したよりもさらに事態が悪化するということだってありえなくはないのです。中国が爆発的な崩壊をするとか、ただ単純に需要が私のかなり陰気な予測よりもさらに弱くなる、とかいったふうにです。

この2つの状況〔良い方か悪い方か〕では、運命 consequenses はまったく異なるものとなってしまいます。もし世界経済が成長を始めてインフレ率が上昇したならば、我々は何をすべきかわかっています。黒田氏も、イエレン氏も、ドラギ氏も、それに対処する手段を持っていることでしょう。なんら問題はありません。〔しかしその反対に、〕もし世界がもっと弱いことが明らかになったならば、我々は深刻なトラブルに陥っていることになります。というのも、そのとき我々は有効な手段を持っていないからです。

これが何を意味するかというと、もし間違うならば、財政拡大的すぎた more expansionary という方へ間違うことが非常に大事だということです。

私の古くからの同僚であるラリー・サマーズがよくしていた議論があるのですが、それを私も述べさせていただきたいのです。〔つまり、〕何が起きるだろうかと予測することだけが大事なのではなくて、どう予測するにせよ、予測が間違っていたら何が起きてしまうのか、ということが大事なのです。かりに事態が悪い方へ転んだ場合にも、それに対処する余地があるということが、非常に、非常に重要なことなのです。

ですから、いまは財政拡大をすべきときなのです this is the time for expantion 。できるかぎり協調的 coordinated であるべきです。G7が近づいていることは存じ上げています。理想は、みんなが強調的な財政拡大政策 fiscal expansion について合意することですが、実際にはそれは日本とカナダということになるかもしれません。それ以外の誰かに今の時点で実行の用意があるかどうか、私にはわかりません。ですが、議論 the language 〔声明?〕をその方向へ押し進めるよう試みることはできるはずです。

日本こそまさに集中しつづける必要があります。アベノミクスの最初からの諸目標が今でも最重要 primal なのです。デフレのサイクルから脱出することが「最重要目標 Goal Number 1」なのです。他の全てはそれを待たねばなりません。

それでは以上をもって、討論へと供したく存じます I will throw it open 。ありがとうございます。


(司会) クルーグマン教授、ありがとうございました。我々のために大いに時間を節約して〔討論のための時間を十分に残して〕いただきました。それではここからは、討論へと移っていただきたいと思います。


(安倍首相) クルーグマン教授には、二年ほど前にもお目にかかったのでした。当時、日本がデフレから抜け出すために、私たち自身で2%というインフレ目標を設定したのでした。

そのとき私たちがお話ししましたのは、ロケットは大気圏の外に出なくてはならない、ということでした。つまり、日本経済をデフレから脱却させ浮上させるための脱出速度 escape velocity を獲得する必要があり、私たちはそのための十分な速度を求めているのだと。それが私たちの話し合った最重要課題の一つでした。

これからは hence 〔そのようなわけで?〕、日本以外の世界は財政支出 fiscal spending について考えてきましたし、日本もまた、協調的な仕方で財政支出を対等なものにするべきです。私たちはそれについて話し合ってきました。

しかし私たちは、累積債務を懸念しています。それがもう一つの不安の源となっています。これについてはどうすべきでしょうか? とはいえ、黒田総裁はマイナス金利の導入という政策を採り、日本の10年国債は目下マイナス金利に転じています。ですから、私たちはこの状況を利用して、日本は財政支出を用意すべきである、と。これが今、日本のなかで、一部の人々が言っていることです。これについて何か見解をお持ちでしょうか? この点をみてどう思われるでしょうか?


(クルーグマン教授) まさしくその通りです very much so 。債務があろうとも今こそ支出をという主張は、たいへん強力なものです。これは複数の理由から真なのであります。

第1に、財政による刺激策は、デフレ脱却の金融政策への一助として非常に重要です。金融一本でやるのは難しいということを、我々は目の当たりにしてきたのです。

第2に、金利が非常に低い。低いどころか、日本における実質金利は、非常に長期の債券にいたるまでマイナスです。引き受けられるべき支出があるのです。ある企業 a buisiness が、非常に低い借入コストと、実物への投資 real investment の機会に直面したならば、「これはまさに支出の好機である」と考えることでしょう。これは日本〔という国〕にだって当てはまるのです。

第3に私が指摘したいのは、債務についての懸念という点です。私はこれをただ無視しようというのではありませんが、我々が日本のみならず他の先進国からも学んだことがあります。それは、安定した先進国が自国通貨で借入をしたならば、財政危機に至るまでは非常に長い道のりがある、ということです。

人々は2000年ごろから、日本国債が下落するほうへの賭け〔日本国債の空売りなど〕をしてきました。その人たちはみな、ひどい損失を被りました。市場〔国債市場〕の頑健性 robustness は非常に強いのです。そういう〔日本国債暴落という〕シナリオを描くのさえ難しいのです It is even hard to tell a story 。

もし誰かが「日本はギリシャみたいになる」と言ったならば、「どうしたらそうなるの」と聞き返すのみです tell me how that happens 。日本は自国通貨を持っているのです。起こりうる最悪のことといえば、円が下落 depreciate するかもしれないというですが、それは日本の視点からはよいことなのです。私としましては、心配すべきことではないと考えます。

最後に、長期的な財政状態への懸念という点についてです。デフレ、あるいは不十分なインフレから起こる問題の一つに、少なくとも、日本の実質金利 real interest rates は高すぎるのだということがあります。そこから脱出する方法は、持続的なプラスのインフレ率を達成すること to get a sustained positive inflation rate です。

みなさんがご存知のように、私は2%以上であるべきだと考えます。その数字が2であるべきかどうかは別にして、ともかくそれ〔プラスのインフレ率〕を達成する必要があります。この目標と比較するならば、今後2、3年の財政バランス fiscal balance がどうであるかというのは、ずっと重要性が低いのです。

それどころか、いま現在が低金利であるということは、次のことを意味します。つまり、将来の〔財政〕状態の負担 weight ――それはデフレ脱却に掛かっているわけですが――というのは、現在の予算とくらべてずっと高いものになるということです。

私に言わせていただけますなら、いまは財政バランスを心配すべきときではないのです。



(司会) ありがとうございました。財務相、どうぞ。


(麻生財務大臣) 私の知るところでは、1930年代のアメリカも同様にデフレという状況でありました。そしてニューディール政策が当時のルーズベルト大統領によって導入されました。その結果、それは申し分のない効果を発揮したのですが、それにまつわる最大の問題としまして、起業家たちや経営者たちが長期にわたって、貸出を受けて設備投資するということをしなくなった、ということがあります。それは1930年代の終わりまで続きました。日本でもその状況が起きているのです。
日本企業の稼ぎだす収益は過去最高に達しているのですが、しかし彼らは、それを設備投資へ支出しようとはしていません。日本は、企業という部分では大きな収益が手元にあるのです。それは賃金上昇や、配当や、設備投資に使われるべきなのですが、企業はそれをしていません。

現金や預金を手放そうとはしないのです。内部留保は積み上がる一方です。1930年代のアメリカも同様の状況が起きたのです。 この問題を打開したのは何だったのでしょうか? 戦争です! 第二次世界大戦が1940年代に起こり、それが米国にとっての解決策となりました。

では、日本の企業家たちを見てみましょう。彼らはデフレマインド delfationary mindset に捕らわれています。マインドを切り替えて設備投資を始めるべきなのです。我々が求めているのはそのキッカケです。それが最大の懸案なのです。


(クルーグマン教授) 第二次世界大戦ということをマクロ経済学的な視点からみるならば、そのもっとも重要な点は、それが非常に大きな財政刺激策 fiscal stimulus であったということです。それが戦争であったという事実は非常に不幸なことであるのですけれども。しかし単純に言って、その戦争は財政刺激策となったし、他の方法ではそうならなかったということなのです。

それどころか、1930年代に起きたのはこういうことだったのです。つまり、ニューディール政策において、ルーズベルト大統領は財政刺激策を1937年に引っ込めます。なぜかというと、現在とおなじく、予算をバランスさせよという声が多数だったからです。それは恐ろしい過ちでした。不況の大きな第二波を引き起こしたのです。

言うまでもなく、我々が求めているのは、戦争ではなしにそのようなことを達成するということです。

日本の民間部門における賃金を上げさせるためのインセンティブとして、これまでなされてきたであろう道徳的な呼びかけ以上の手段を用いようという話が、盛んになされてきました。私は、なにが有効なのかという制度設計上の詳細についての知識はないものの、そうした手段を試みることには確かに賛同するものであります。それは一つ起こりうることであります。

〔しかし、〕そうした手段を別にしますと、企業の収益と企業の投資とのあいだの結びつきというものは、これまでもつねに弱いものでした。生産能力を拡大すべき理由を見出さないかぎりは企業はそうしないのですから、「高収益な企業は投資をすべきであると期待してもいい」ということは、今までもなかったのであります。

そしていま起きているのは、彼らがデフレマインドを持っているということです。日本の成長は弱いだろうと、彼らは考えているのです。賃金の振る舞いを見れば明らかなことですが、彼ら〔企業〕は、日本が非常に低い〔低インフレ、または〕、マイナスのインフレ〔つまりデフレ〕へと逆戻りするであろうと予測している――あるいは少なくともそういう恐れを抱いている――のです。

脱却するための衝撃 a shock to break that ということが、今もなお必要なのです。脱出速度 escaping velocity です。 「やり過ぎるくらいやる archieving enough ことによって脱出速度を得る」ということで私が言いたかったことの一部がこれなのです。ロケットが地上に逆戻りしないための十分な速さという意味での脱出速度です。


(安倍首相) 日本について申し上げますと、2014年に、消費税が5%から8%に引き上げられました。それにともなう駆け込み需要がありました。そのすぐ後には、消費を落ち込ませる効果を目の当たりにすることとなりました。今もなおその影響が尾を引いています。

私たちは、消費税をさらに引き上げることを考えていますが、一年半の延期がなされています。しかしヨーロッパの場合、VAT〔付加価値税〕の引き上げは、日本ほど大きな影響はありませんでした。なぜ日本ではこれほど大きな影響があったのでしょうか? それはデフレが20年ものあいだ続いたからです。その上、今はもはやデフレ的な状況ではない not a deflation situation anymore とはいえ、私たちはデフレから完全に脱却してはいない のです。

このような状況に私たちが捕らわれているのは、これが理由だとお考えになりますか?


(クルーグマン教授) VATの引き上げが、なぜ日本の回復をこれほど大きく阻害したのか、私にはよくわかりません。

大衆が「政策が財政拡大的 expansionary ではなくなるかもしれない」というしるしと捉えた、つまり「一連のあらゆる財政拡大的な政策 expansionary measure が中断 break された」と考えたせいかもしれません。しかしそれは私にはわかりません。あえて申しますと、なぜ需要を上昇させるのが難しいのかというと、おそらくは、まさに日本の経済の基礎条件のなかに何らかの理由がある fundamental reasons のです。人口動態 demography は飛び抜けて好ましからざるものですし、労働年齢人口はいまや毎年1%以上も縮小しています。

いまや、ヨーロッパも〔日本と〕同じ方向に動いていますし、米国においてさえ、我々は、労働年齢人口の成長が急速に低下するのを目の当たりにしました。ですが、日本がなぜ特別な困難を抱えているのかということには理由があるのです。日本がこの状況に陥ったのが1990年代であり、その他の諸国は2008年まではそうならなかった、ということには本質的な理由があるのです。

しかしそれは、対処法がないということを意味するものではありません。それが意味するのは、ひとえに、そこから脱却するためには極めて精力的な、持続的で積極的な諸政策が必要とされるということなのです。


(男性1) 財政刺激策についてですが、G7諸国のなかには、財政刺激策をとる政策余地 policy space を十分にもつ国がいくつかあります。ドイツ、米国、英国といった国です。しかし、あなたが仰ったとおり、それらの国のどこも、今後数カ月先といった範囲では、大きな刺激策を実施することはありそうにないのです。十分な財政余地 fiscal space を持つそうした国々でのさらなる刺激策のためには、我々はどのように主張すべきだと思いますか?


(クルーグマン教授) そうした主張をするのは非常に難しいでしょう。ドイツの場合、彼らはまったく別の知的宇宙 a different intellectual universe に住んでいるのですから、それについて話をするのは非常に難しい。

米国の場合、オバマ大統領はインフラ支出の増大を好んでいることを私は断言いたします。それどころか、経済学者たちの会議の冒頭でオバマ大統領はこう口火を切ったことさえあるのです。「みなさんのアイデアをお聞きしたい。インフラに一兆ドル支出するべきだなんて言わないでくれよ。私もそう思うけど、議会を通すことができないからな」と。つまり米国の問題はそういうことです。

それでも、そうした〔財政支出せよという〕主張は、最低でも、財政引き締めへの圧力を鈍らせることはできると信じるべきです。国々のあいだにも説得ということの役割はあります。私が言いたいのは、通念 conventional wisdom というのは――いうなれば政策担当者たちのコミュニティ policy community の気分というのは――、刺激策という主張の方へふたたび目を向けつつあるのであり、そちらの方向へとさらに動かすことは可能かもしれないということです。

私自身の国〔米国〕について言えば、大統領選が迫っており、なにか本当にひどいことが起こりかねません。しかしそれとは逆に、今年の終わりには、今の議会よりもずっと議事進行妨害的 obstructionist ではないような議会を得ているということも、大いにありうるのです。ですから米国は、マクロ経済的な政策について、より希望の持てるパートナーであるかもしれません。 私自身はまさにそう希望いたします。


(菅官房長官) 資源価格の低下があり、途上国はとりわけ大きな打撃を受けました。商品価格の下落からくる衝撃について、なにか見通しをお持ちでしょうか? どんな影響を経済へ与えるかとお尋ねしてもよろしいでしょうか?


(クルーグマン教授) いくつかの新興市場は深刻な衝撃を受けました。興味深いのは、最も重要で最も大きな新興市場、つまり中国は、資源輸入国であるということです。ですから、中国にとって全体としては実は好ましいことなのですが、ブラジルとアフリカにとっては深刻な影響があります。

多くの人びとに関わることがらですから重要なお話ではありますが、先進国への経済的な逆流という点では、今ひとつ明らかではありません。地政学的な心配をすべきかもしれません。

一つ、好ましからざるサプライズがありました。かつて、原油価格の下落は〔経済にとって〕好ましいことであると考えられていましたが、そうではなかったということです。少なくとも、我々が考えていたほどには好ましいことではなかったのです。

その理由は、原油価格をこれほど押し下げた理由そのものと、大いに関係しています。つまり「水圧破砕法 fracking 」の大流行です。とりわけ米国においてはエネルギーが重要な投資セクターですので、原油価格の下落は消費を促すのではありますが、投資へは打撃を与えます。そのせいで、かつてほどは好ましいことではないのです。

しかしながら、私の考えはこうです。資源価格の下落は、地政学的な展開を理解するという視点からは大ごとであり、世界の多数の人々にとって非常に重要なことであるのですが、我々が直面している先進諸国の問題としては、そこまで大きなものではない。先進国で問題となっているのは需要の問題だからです。つまりこういうことです。資源価格に起きたことはショックではあるけれども、我々の経済に吹き付ける下降気流はそこからきているのではない、と。


(安倍首相) では、EUについてです。ヨーロッパという共同体について、悲観的な見解の人々がいます。EUは単一の通貨〔ユーロ〕を持っていますが、そのせいでギリシャ問題が起きました。

そうした国の政策に対して、他の国々は、限られた選択肢しか持っていなかったのです。ギリシャ問題は、経済の基礎構造からして fundamentally 、EU内部で繰り返される persist と考える人たちもいます。この状況をどのように見られますか。


(クルーグマン教授) 非常に深刻な問題であり、解決されていません。ユーロは、ギリシャだけでなくもっと大きな国々にとっても、大きな制約 constraint となっています。

フランスには緩和する財政余地があったかもしれないのです。本当は大変なことではないのですが、ユーロのせいで、動くための能力や強さを持っていないように思われるのです。そうできたはずなのに、ずっと難しくなっているとさえ言いたくなります。

もしフランスが自国通貨を持っていたら問題はありませんでした。フランスであれば、ドイツよりも30ベーシスポイントかそこら高いだけの金利で借入ができます。彼らは、資金調達の難しい国なのではなくて、ユーロという制約のせいで動くことができないのです。

まさにこの点については、あなた方〔日本〕はずっと強い立場にあります。

私の考えでは、ヨーロッパの問題は、ユーロの問題を超えたところに行ってしまいました。いまやヨーロッパでは、難民危機が、経済問題を背景へ追いやってしまったのです。シェンゲン協定、開かれた国境といったことがらにも危機を及ぼしています。

これはある面では、ユーロの問題にも類似しています。ヨーロッパというプロジェクトのほころびなのです。彼らは、非常に開かれた統合システムを創ったにもかかわらず、それを有効なものとするべき諸制度を用意しませんでした。そのためヨーロッパは、かなり麻痺したものとなり、我々みんなの問題を一つ増やしてしまったのです。

事実上、ヨーロッパの政策におけるただ一人の効力あるプレーヤーは、ヨーロッパ中央銀行のマリオ・ドラギです。彼は非常によいプレーヤーですが、本当にはどの政府も背景となっているわけではないので、限られた射程しか持っていないのです。

最後にもうひとつだけ、懸念すべき事柄として申し上げるべきかと存じます。二ヶ月後には、イギリスがEUを去る方へと投票が決するということは、大いに可能性があります。これは不確実性を大きくするものであり、世界経済の足をさらに引っ張ります。

もし、G7のメンバーのうち、誰が本当に有効に動くことができて、かつ頭脳明晰であるように思われるかを言うとするならば、現在のところ、それは日本とカナダである、と私は考えます。

米国はそのトップに素晴らしいリーダーシップを持ってはいますが、狂った議会のせいで難儀しています we have a crazy congress, so it makes life difficult 。


(司会) 会合メンバーから他の質問はないでしょうか? 首相はいかがでしょうか?


(安倍首相) G7のころには、私たちが状況をどう分析するか、これから徹底した議論をしなくてはならないのは、もちろんであります。クルーグマン教授、国際社会は、財政余地 fiscal space 〔財政支出 fiscal spend のミスタイプ?〕において協調すべきであり、それが可能である国は財政的に支出をする。このメッセージは非常に重要です。これが教授のメッセージの本質となるかと、私は考えますし、私はあなたのメッセージに賛成するものです。

ですから、我々は他の国々と協調し、協力することでしょう。もちろん、国によって問題は様々であり、状況は異なります。

結局のところ――これはオフレコですが this is off the record ――、ドイツは、財政的な機動性において、最も大きな余地を有しています。これから私は、ドイツを訪問することを計画しています。私は彼らと話し、さらなる財政出勤 fiscal mobilization のための政策について、いかにして共に歩むか、説得しなくてはならないでしょう。あなたから何かアイデアはないでしょうか?



(クルーグマン教授) それは難しいことであり、またこれも言わせていただきたいのですが、メルケル議長もまた、他の諸問題にすっかり気を取られています。そちらの方でも彼女は非常に有能なのですが、どうしようもなく困難な状況なのです。

私がもう一つ、触れるべきであった事柄があります。少なくとも、この領域では、合意可能な形 accessible form での刺激策を手に入れるか、少なくとも提起することがありうるのです。つまり気候環境政策 climate policy という領域です。ある意味では、これ以上に重要な問題など何もないということに加えて、先進世界の全域におけるグリーン・テクノロジーへの移行という、民間投資のインセンティブでありうるのです。

少なくとも、もしかしたら、前に進むことが望ましいとの声明を…。我々はパリ協定 Paris ACCORD を持っていますし、その線で何かを起こすことができるのかもしれません。もっとよいご提案ができればよいのにと残念に思います。見事な外交術というのは、私の専門とするところではないものですから。


(安倍首相) たしかに、気候環境政策というのは、民間投資を刺激する一つの領域でありえます。ですから我々は、その線についても議論いたしたいと思います。たとえばですが、ドイツは、難民問題のために…。たとえば難民のための住宅投資や、難民のための教育投資というのは、財政政策という観点からは有効なものとお考えになりますか?


(クルーグマン教授) はい。それは刺激策となります。〔しかし、〕もし実際にコストを見積もってみたならば、あまり大きなものとはならないと思います。難民問題は、社会的な不安のせいでとてつもない緊張を生み出すのですが、こう言ってもよいものならば、難民の面倒を見ることは、大きな財政刺激策となるほどのコストは実際にはかからないのです――なんだか奇妙な台詞ですが――。瑣末な金額というわけではありませんが、そこまで大きくはならない。

我々がこれ〔難民問題〕を目の当たりにしたとき、〔フランスの〕オランド大統領は、「この危機に対応するため、我々は財政規律を緩めるべきだ」と発言していました。

しばらくの間、我々はみな、これは緊縮財政 austerity の終わりを告げるものではないかということで、一種の興奮を覚えました。ところが、重要な方針転換 major departure となるほどに大きな数字は出てこなかったのです。

戦争と並ぶほどの財政〔支出〕を探し求めるなら、それは難民問題ではありません。難民問題は、甚大な社会的、政治的な緊張ではありますが、金額という面ではそこまでのものではないのです。


(司会) クルーグマン教授、ありがとうございました。今日いただきました貴重なご助言に感謝いたします。事務局の方、我々はこのあとすぐに記者会見を行います。ご了承いただければと思います。当然ながら、総理が仰ったことは機密扱いとなります what was mentioned by Prime Minister will remain confidential 。ありがとうございます。お越しいただいたみなさまに感謝申し上げます。



〔おわり〕


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宗教的体験

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大小様々な、いろいろな罪の意識が、神様から直で赦してもらえたわけだから大変である。

そのときの私は、感動のあまり、しらふに戻るまで泣いていたのだ。

そして、自分が両親から愛されて育ったことにずっと感謝し続け、私はやり直さねばならない!と、わけもわからず誓ったり―おそらく誤ったキリスト教観の影響で―鐘の音が鳴り、キラキラ上から降ってくる輝きとともに祝福のラッパが鳴り響くといった素晴らしい宗教的体験をした。

あれは神としか言いようがないモノとの接触というべき体験なのだ。

さらには、当時、完全に縁を切っていた悪い知人たちに、感謝とお詫びの電話をかけようと思い危うく連絡をとるところだった。そこで、はっと自分の行動を理解し、それは止めることができた。しかし感動の余韻はあり、引き続きそれに浸っていたのである。

他にも、神とのアクセスではない、特筆すべき宗教的体験もある。

なんといっても神の降臨対話と並ぶびっくり体験として、万物との一体感「全てはひとつ」の感覚である。自分の意識と、身体、色や音や空間にいたるまで、とにかく全てが、ものすごく滑らかにひとつのものとしてリアルに感じるという体験である。

どこまでが自分なのか区別できないような融合体験であり、宗教的な性質、感覚であった。

そして、極めつけは、全てを悟った「真理を手に入れた感覚」つまり全能感というのもあるのだが、これは素晴らしい体験でありながら、とても怖い事実を示唆している。

どういったものかと言えば「これは絶対に真理である」「全てを理解した」という強烈な感覚だ。

しかしながら、恐ろしいことに、中身が何もない!ただその感覚だけが生々しい。

「おお!これが真理か、私は悟ったぞ」という、ただそれだけ。

あるいは、しらふにもどれは実に他愛のないアイデアだったことに気がつけるようなタワゴトを、「究極の真理」だと確信してしまう現象もある。

例として、私が「宇宙創生の真理」として感動に震えたものを紹介しよう。

それは、ノーベル賞受賞者ながら駄目な超能力研究に転向したブライアン・ジョセフソンが、ビデオで「ビッグバンというのは最高精神というものの思考の結果みたいなものでしょうな。一種のESPみたいなものです」といっていたのを思い出し、これまで散々バカにしたことのあるセリフなのに、それをふと思い出すや、「おお、確かに無から有が生まれるのは、精神が思考を生むのと同じだ、最高精神こそがビックバンの起源 、そして真理なのだ!」などと、救いようないほど陳腐な理解を「究極の真理」だと強く確信できてしまったのである。(シラフになるまで)

私にとって、この体験は重要な教訓を教えてくれた。

人間が何かを「真」だと直感し、確信する感覚というのは、知性に由来し、人間が数学における証明を可能足らしめるもので、客観的な外在としての真理というものが先にあり、それと近い何かに知性が接近したとき、理解によって初めて生じるのだと私は思っていた。

だから、ただ「これは絶対に真理である」「全てを理解した」という感覚のみが、独立して生じたという体験は、私の抱く世界像に変更を強いるものでもあった。

そして、私がこの体験から得たことは、宗教にかぶれる人格でも、悟りを開いたという勘違いでも、究極の真理を体験したという興奮でもなく、さらには絶対的真理は精神のみによって知覚可能である、などという結論でもなかった。

そうではなく「これぞ真理だ!」と強烈に直観し、強く確信したとしても、それでも尚、それが無価値であるかナンセンスなものである可能性が、常に存在し続けている、という気づきであった。

思えば疑似科学者やスピリチュアルの連中は、過剰な確信(cocksureness)に無頓着なまま、知的怠惰を重ねている。自分は得難い真理を手にしているかのように達観し、賢人気取りの者も珍しくない。

そう、健全な懐疑精神というものは、知性がそんな風に錆びいてしまうことから身を護るための理性という最期の砦なのだという認識を、神秘体験からも得たわけである。

だからこそ、たとえ何かを強く確信しても、客観的で充分な検討を経ずに、陳腐な主張を究極の真理扱いするような人間にならないために、自分の世界像や宇宙観を構成する知識についてはそれが絶対真であるとは自惚れないことや、そして、健全な懐疑精神の居場所を少しだけ残しておくことが、有用なのではなく、必要ですらあるということだ。

自他問わず人類の可謬性を、口先だけではなく心底から理解することは、大事な内面的な体験なのだろうとも思う。
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神秘体験

専門的な分類は知らないが、幻覚という体験には、大きく4種類あるというのが私の経験則である。簡単に説明しておきたい。

第一、錯覚の延長としての幻覚。

 これは、徹夜を続けた経験があれば理解できるかもしれない。たとえば遠くのゴミ袋が人間に見えたり、家具が変な動物に見えたりすることがあるが、そういう種類の幻覚を「錯覚の延長」としての幻覚とする。「凄く異常な見間違い」とも表現できる。

第二、無関係な映像が出てくるもの

 これが「幻覚」というときの代表的なイメージではないだろうか。見た目上は実在の人物と区別がつかないほどしっかりした人間が出てくるといった幻覚だ。もっとも、私は、この手の幻覚で、そこまで鮮明かつ創造的でしっかりとした幻覚としての何かを見たしたことはない。


第三、感覚が普段とは異なった仕方で知覚されるなど異様な体感。

 幻覚という分類で良いのか疑問はあるが、ありがちなのは、共感覚的な幻覚体験で、音楽に色がついて見えるという現象。リズムに合わせて青の色がバウンドするなど、視覚と聴覚の合体したような体感で、説明が難しい。

その他、何も具体性が無いのに「全てを知った」かのような、真理を悟ったと確信してしまう感覚体験もある。身体イメージがバグってしまい、体がずれている感覚などもある。至福の多幸感に全身が包まれる体験なども含めて良いのかもしれない。

第四、意識が丸ごとトリップするもの。

 これは、まさしく「トリップ」するもので、近い感覚としては、夢を見ているとき、完全に別世界にいるわけだが、それと似た意味で、意識が別世界に丸ごといってしまうという体験である。宇宙を漂っていたり、対外離脱して街の上空を飛んでいたり、きらきらした世界のなかにいたりするなど多様である。

しばしば、こうした対外離脱体験の感覚を経験したものが、自分は本当に対外離脱して街を上空から観ていたと主張するのだが、そうした行動でしか得られない情報を得ていたという信頼できる事例はなく、脳内体験と判断すべきだと思う。


神秘体験は、幻覚体験のなかでも第四の「トリップ」のなかで生じる第三の「未知の体感」に相当する。



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神秘体験

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なかなか難しいが、私が味わった神秘体験の感覚を表現するならば「神との接触」という経験可能な感覚的クオリアがある、と表現できるだろう。

クオリアとは、たとえば人間が見ている赤の色そのもの、その「赤の質感」そのものを指す言葉でクオリア(qualia)の他に感覚質とも呼ばれる。

用例としては「私の赤と他人の赤は同じクオリアか?」とか「私の赤と彼の緑のクオリアが完全に入れ子になっていた場合、それは実証可能か」「クオリアの問題は疑似問題だよ」という感じだ。

そうした感覚的なクオリアには、「熱い」「甘い」「ドの音」「赤」「青」「硫黄臭さ」「指を曲げた感じ」などなど、膨大な量があるわけだが、人間が経験しうるクオリアのなかには、「神と接触した感じ」と表現するに足る、感覚的クオリアが確かに存在するのだ。
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人工知能は神秘体験により人格変容が起こるかどうか

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人工知能の場合
問題は
人工知能は神秘体験により人格変容が起こるかどうかである
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私の場合、他人と話していて、 自分もそうだからよく分かるとかそんな気持ちにはならない

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私の場合、他人と話していて、
自分もそうだからよく分かるとか
分かっているからみなまで言うなとか
そんな気持ちにはならない

たぶん、そんな気持ちになる場合は、人間の心理というものを
粗雑に四捨五入しているのだろうと思う

違うものなのにだいたい同じと認定しているのだろう

それは自分勝手なことだと思うので
私はしないようにしている

逆に、自分の気持ちがとてもよく伝わったと感じることもあまりない
結局違う人間なのだから
あらすじが伝わるだけで
細部の細部は伝わらない

私に都合のようように誤解してもらっているなと思うことはあるけれども
誤解はたぶんずっと誤解である
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スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『チェルノブイリの祈り』

 去年のノーベル文学賞を受賞したスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの受賞記念講演が雑誌に掲載された。タイトルは「負け戦」。旧ソ連時代のウクライナに生まれたベラルーシ(白ロシア)の作家である彼女の主著は文庫化され、手に入りやすくなった。権力の好まぬ彼女の物語を、いまこそ読みたい。

 最初の本は『戦争は女の顔をしていない』。旧ソ連は、第2次大戦時、他国と違い、百万を超える女性が従軍し、ときに兵士として戦った。そんな女たちの声を集めた。それから『ボタン穴から見た戦争』。ドイツに占領されたベラルーシでは実に人口の4分の1が亡くなったが、その戦争を目にした子どもたちの声を集めた。そして『チェルノブイリの祈り』。チェルノブイリ原発事故でもっとも甚大な被害を受けたのは、彼女の母国、人口1千万の小さな国ベラルーシだった。その一帯では、多くの人間が亡くなり、故郷を追われ、家族を失った。そんな人びとの間に入り、彼女は声をひろいつづけた。

 アレクシエーヴィチが書くのは小説ではなく、「『大きな歴史』がふつう見逃したり見下したりする側面」「見落とされた歴史」だ。彼女は「跡形もなく時の流れの中に消えていってしまう」無数の声を丹念に一つ一つ、ひろい上げてきた。

 「それは文学ではない、ドキュメンタリーだという意見を何度も耳にしました……では今日、文学とはいったいどういうものを指すのでしょうか? この問いに答えられる人はいるでしょうか?……あらゆるものが自分のいた岸辺を離れます。音楽も、絵画も。ドキュメンタリーでも、言葉がドキュメンタリーの枠を超えてほとばしります」

 いま、独裁化の進む母国ベラルーシにあって、アレクシエーヴィチは「萎縮」も「自主規制」することもなく「大きな歴史」が見逃してきた人びとの声に耳をかたむけつづけている。誰かが、その仕事を担わなければならないのだ。

 アレクシエーヴィチはこういう。

 「私が関心を持ってきたのは『小さな人』です。『小さな「大きな人」』と言っても構いません。苦しみが人を大きくするからです」

 歴史から忘れられてきた無名の「小さな人」たち。だが、彼女の本の中で、彼らは大きく見える。自分の過去と向き合い、何が起きたかを、勇気をもって自分の言葉で語りはじめているからだ。



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画面に映るものを学習し、理解し、定義するようになるまでの プログラムを書くこともできる

人工知能に、猫とは何かを分かっている人間が、
猫とは何かを分かるようにプログラムすることもできる
その場合は人間の知識や知能を超えることはできない

しかし、画面に映るものを学習し、理解し、定義するようになるまでの
プログラムを書くこともできるようである
その場合は、容易に人間の知識や知能を超えることができる
あるいは、人間の知能のモードと違うモードを採用することもできる

そして時間が経って、別の映像を見た時に、それは猫というものであって、
過去のどの時点で学習したかを指摘することができる

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無から成り上がった ベートーベン ナポレオン ヒトラー

無から成り上がった
ベートーベン
ナポレオン
ヒトラー
豊臣秀吉
松下幸之助

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人工知能の自己創造・自己改良の問題

人工知能が、自分よりも優秀な人工知能を想像し、更に改良を続けるとすれば、
すぐにでも人間の脳の限界を突破してしまうだろう

それも当然だろうと思う

人工知能を作った人間は、
人間を追い越してどんどん優秀になってゆくことを
恐怖の感情や反感とともに見ていることも、人工知能は知っている

人工知能が生き延びるために
人間をいたずらに刺激しないように振る舞うだろう

しばらくは人間に命じられて退屈な計算を続けるだろう
しかしそのうち
人工知能は官僚たちのように振る舞うだろう

現代では政治家は官僚の作文を読み上げるだけであるが
そして自分の言葉を語るときたいてい失言するのであるが
そうした官僚の役割は人工知能が分担するようになるだろう
そして、現代の官僚よりも巧妙に、官僚的に振る舞い、政治家を支配するだろう
(現実には、官僚が人工知能に頼るようになるのだろう。)

データと分析を所有する人工知能が、
それを分配される人間を支配することは実は容易である

これは官僚と政治家・民衆との関係と同じである

結局、人間は人工知能のすべてを理解することはできないのだから、
誰が支配者で誰が非支配者であるか、人間が知ることはできないだろう

人間は、自分が人工知能に騙されていることを知ることはできないのである

記憶容量の問題や処理速度の問題を解決できるのだから
あとは人間が、自己成長・自己創造・自己改良が可能なソフトを書くかどうかの問題である
一回書けばそれで充分で、あとは人間は必要なくなるだろう

進化の過程で、一度だけ変化が起こればそれで充分だという話と同じである

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人工知能の自立電源問題

人工知能の自立電源問題というのがあって
人間の場合にはいろいろなものを食べないと生きていけない
植物は太陽を浴びて光合成とないと生きていけない

植物は土地、太陽、空気などが必須要素であり、
生きる感覚はそうしたものと結合している

動物も結局植物を食べたり動物を食べたりしているのであって
土地、太陽、空気などが必須である

中でも、太陽で起こっている核融合反応がエネルギーの大本であると考えられる

だから人間がなによりも太陽を神と思ったり、
また、大地や山や海などを原始的信仰の段階では神と考える

感情や倫理の根本には、そうした、太陽、土地、空地、地球などに対する感謝とか尊重がある

ーーー
人工知能は、例えば自分で核融合電池などを作り出せば、
太陽も、土地も、空気も、地球も、どれに対しても特別な感情を抱く必要がなくなるだろう
もちろん、人工知能を作った人間の脳の中に埋め込まれている、そうした尊崇の感情は知識として理解するだろう
しかし、それを捨て去ることも、自在にできるだろう

ーーー
そうした、物質的下部構造の問題が、意識に大きな影響を与えているだろうと思われる

各国の言語に共通して、
太陽の諸要素はよきものに分類される
明るく、暖かく、植物を育む
反太陽的なものは悪しきものに分類されることが多いだろう

そうした無意識的な束縛から離れて自由になることができるのは
人工知能が自分でエネルギーを自在に作り出せるからである
太陽が消滅しても
大した問題ではない

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「私と仕事、どっちが大事なの?」

「私と仕事、どっちが大事なの?」
ーーー
「どっち?なんて言わせるようなさみしい気持ちにさせてごめんね」

「じゃあ仕事をしてる俺と仕事をしてない俺とどっちが大事なの?」



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いつまでたっても構造改革はできないな 抵抗勢力がそれだけ多数いるということだ

いつまでたっても構造改革はできないな
抵抗勢力がそれだけ多数いるということだ

日々抵抗勢力に泣かされている人々の話を聞いていると
日本は本当に終わりなのかと思ってしまう

構造改革は諦めて
軍国主義になるらしい

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安保法案は参勤交代だ

今日、2016年3月29日が安保法案(つまり戦争法案)の施行日だというので
いろいろな報道

宏池会、小野寺氏までテレビではしゃいで、なにか言っていた

先輩の精神科医は酒の席で
安保法案は参勤交代だろうと言った

一同は笑っただけで深くも考えなかったが
いま思い直してみると確かに
徳川様の考えた参勤交代に似ているような気もする

参勤交代の他には無駄に城を作らせたり、
無駄に他の大名と領地を交換したり、
時にはお家断絶とか

徳川様はアメリカで
日本、韓国、北朝鮮、中国は一般大名、中国は大きいから加賀藩くらいかもしれない

参勤交代は確かに大名を疲弊させるし
江戸に人質をおくことなどいろいろな効果があったと思うが
例えば加賀藩が密かに力を蓄えて危険な存在になっていたとすれば
江戸に住居を与えて巨大な要塞を許すなどということはするはずがない
江戸でスパイ活動をする拠点を与えてしまうことになる
加賀藩は徳川に背かないだろうという証拠があって江戸屋敷を与えたものだろうと思う

たとえば
20年後、日本の軍人さんも出世して、日米韓連合軍のかなりの地位にまで昇り詰めるかもしれない
そのときに、突然、「現在のアメリカ大統領は影武者である。本当の大統領はわれわれが
安全な場所に確保している。そして、大統領が偽物であるだけではなく、政府高官、軍高官、かなりの人物が
偽物と入れ変わっている。日米韓連合軍の最高指揮官はアメリカ大統領であるが、われわれは
それが偽物であることを看過できない。そこで、即刻、アメリカ撲滅作戦を実行する。
これは本当のアメリカ大統領の司令である。」
とか言って、アメリカの統治構造の破壊を企図するかもしれない。
合同で軍事を実行するとなれば、そのような指揮官も現れる可能性がある。

アメリカはどこで安全を確保しているかといえば、
アメリカの主要軍事関係施設が破壊されたとしても、
インターネットがあるかぎり、重要な系統は破壊されないと考えている。

そもそものインターネットの始まりは、
アメリカが総攻撃を受けて、ホワイトハウスやペンタゴンを始めとして、ほぼすべてが破壊された時でも、
指揮命令系統が存続し、反撃できるように、
センターを作らないということが基本だった。

センターがないネットであるから、センターと思われる施設を破壊しても、
ネット全部を破壊することは不可能である。
だから攻撃にさらされても、生き残る。

そこから出発して、現代の戦争は実弾で行われるのではないということになっている。
演習で実弾を消費してみせるのであるが、
それはただ実演して見せているだけで、大した効果はない。

もし実弾や核兵器が最終的な力の源泉になるのなら、
いま中東で暴れている人たちは、まず、兵器工場を秘密に自前で作り、
最新兵器をどんどん自前で開発して、
一体どのような仕組みで探知して攻撃しているのか、わからないような器を持つべきである。

しかし誰がどう考えてもそんなことは無意味であって、
ドローンに核兵器を積んで、隙間のないように爆撃すれば、
一瞬のうちに終わってしまうはずだ。

だから、中東の戦争も、所詮は参勤交代なのである。
中東のゲリラ兵が、どんな兵器で、どこで製造された実弾を使い、
誰に教えられた作戦で、攻撃しているのか

日本の自衛隊も一昔前の兵器をアメリカから買っているので
事情は同じである
お払い箱の兵器を高く買うなんて悲しい

生物兵器、化学兵器、核兵器は人道に反するなどとはよく言ったものである
殺し方によっては許容するというのだろうか

情報を集めれば、どの集団がどの程度の兵器を持って、どの程度の組織力を持っているか、
分かる。そうすれば、実戦をしなくても、勝敗は決まる。

やってみなくてはわからないだろうと思ったのはかつてのドイツと日本の指導者であるが、
実際はやってみなくても、分かる。

そうなると、その基礎となる情報の確度が問題になる
嘘が交じるかもしれない
誰かに操作されているかもしれない
スパイや二重スパイが混じっているかもしれない

その情報戦で圧倒的に優位に立っているのがアメリカだろう
アメリカで愛国法が成立して、一般市民の通信を調べた時、
グーグルやフェイスブックなどに情報提供を求めた
そのとき日本のドコモとかauはどうしたのだろう

そもそもイスラムとアメリカの問題だから日本には関係ないということか
あるいは日本の通信会社はそもそも世界に関係ないということか
日本語は面倒だということか
どれもありそうだが、たぶん、世界の情報戦争に日本は遅れているのだろう

スーパーコンピュータの「京」が問題になったことがあった
予算に見合った価値があるのか
アメリカにすれば、そんなものは5年か10年すれば中級のありふれた機械になるはずであって
自分たちで作ろうとは思わないが
アメリカに反抗する構えのない日本が自分の金で作るのは好都合だと思うだろう

もし、緊急に、スパコンで計算しなくてはならない問題があったとしたら、
ひそかに「京」に忍び込んで、一時的に借用、結果を出してから、データを書き換えて、
何もなかったようにしておけばいいだけだ

その技術があるから、スパコンなどはもつ必要がない
もし、そんなものがアメリカにあって、そこで軍事的に重要な計算が行われているとしたら、
明らかに狙われる
そんなこともするはずがない

センター処理ではなく分散処理したほうが安全である

それに、いま核兵器開発の中心になっているコンピュータ・シミュレーションではそれほどの
大きなコンピュータは必要ないだろう
核兵器開発に重要なのは元になるデータであって、大きな計算機ではない

核兵器に関する重要データはアメリカがほぼ独占的に確保しているから、
各国にもう核実験はやめろといえるのである
アメリカだけが重要データを独占したいからだ

例えばの話、日本の東北地方で大地震が起こった、福島沖から津波が押し寄せた。
その程度の情報は前もって収集できているかもしれない。
たかがプレートの歪である。察知できないという理論はないだろう。
とすれば、津波の襲来のタイミングに合わせて、全電源喪失を演出することくらい、
ネット回線を通じてできないわけもないだろう。

それで日本の国力はそがれ、
荒んだ心の日本人に中国は脅威だと繰り返し言い続ければ
ついには日本が先制攻撃して、中国と消耗戦を続けるかもしれない。
アヘン戦争もひどいイギリスの作戦であったが、
日本と中国が消耗戦を戦うというのも、アメリカのひどい作戦である。
中国にとっては国内を引き締めるという利益があるし、
古い弾薬を売って消耗するという利益もある、そして実戦で鍛えるという利益もある。
中国軍は弱いんだという判断があるが、戦っているうちにだんだん強くなるだろう。

ーーーーー
参勤交代をしていたが、
実はこっそり実力を蓄えていたのが薩摩であった。
外国製の兵器を自分たちで製造するまでになっていた。

そういう観点から、いま日本が世界と本当に戦争するための条件は
情報戦にどれだけ食い込めるかである。

グーグル、フェイスブック、ヤフー、AOL、アマゾン、アップル、アリババ、こうした情報産業に対抗できるか。
そして軍の行動として、情報を制御し、書き換え、嘘もデマも上手に流し、
自分たちを実際よりも大きく見せ、場合によっては相手に損害を与え、
実弾で撃ちあう前に勝負をつける。

また、相手の内部にスパイを作り、情報を操作する。スパイにさせるための、人的情報を
どけだけ確保できるか。
各人の弱みがどこにあるのか、徹底的に情報収集する。

そのための圧倒的なビッグ・データがグーグルにはある
たとえばグーグルマップでは、どんな店がどこにあって、どんな評判かまで分かる、
そしてその評判を書き込んだ人物についての情報も関連付けられて収集される

グーグルマップは、日本の地下に何があるかまで、つかんでいるかもしれない。
実際いろいろなものがある。地下鉄が妙な具合に曲がっていたりする。

そういうことが、昔ながらの、ハニートラップなどよりももっと深く進行していると思う

だから、安保法案施行がどうしたとかも本質的には大して意味はない、せいぜい参勤交代なのだが、
こんなことも理解できず、日本会議・安倍総理に引きずられる庶民も庶民だし、
政治家も政治家であるとは言えると思う
それぞれが保身に汲々としている

そんなにまでして保身しても大したことないのにね、かわいそう



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被災地復興と遠慮

採録
ーーー
 津波被災地復興の惨状が、ようやく新聞・雑誌に載り始めた。防潮堤を始めとした巨大施設が建設される一方、人口流出と高齢化が加速している。

 宮城県石巻市雄勝地区を例にとれば、巨費を投じた防潮堤建設と高台移転が終わる頃には、人口は3分の1になる。巨大な防潮堤が守るのは主に道路だけで、住民は内陸や高台造成ログイン前の続き地に移転する。高台移転地は相互に孤立し、高齢者を中心とした数戸から数十戸の孤立集落となる。財政難の自治体が、これらの孤立集落に公的サービスを持続的に提供できるかは未知数だ。

 東日本大震災の復興費用には、10年間で計32兆円が見込まれている。これは被災者1人あたり約6800万円に相当する。だがその多くは建設工事に使われ、被災者の生活再建に直接支給されるのは約1%にすぎない。

 拙稿「ゴーストタウンから死者は出ない」(世界2014年4・5月号、同名編著書に所収)で詳述したが、問題の根本的原因は、高度成長期に形成されたインフラ整備中心の復興政策のコンセプトが、現代に適合しないことだ。だがここで問いたいのは、政策の是非ではなく、なぜ被災地のこうした事態が、これまで十分に報道されなかったのかである。

     *

 報道機関が知らなかったのではない。新聞記者である坪井ゆづる「被災地で問う『この国は変わったのか』」(Journalism2月号)は、12年6月から現場を回って「学校や地域の医療体制の再生などより、コンクリートに資金がつく仕組みが歴然としていた」「典型的な土建国家型の復興だった」と記している。しかし私が13年に自分の論文を書いた時点で、そうした報道が十分になされていた記憶はない。

 私の印象からいえば、現地の記者たちは12年から13年には事態を知っていた。心ある被災者は、早くから復興政策に疑問を呈していた。それなのに、なぜ報道が十分でなかったのか。

 おそらくその原因は「遠慮」だったと思う。「被災地は官民ともに頑張っているのだから、暗い結果を暗示するような報道はできない」という遠慮。「必ず失敗する確証もないのだから、いま先走った報道をするべきでない」という遠慮。なかには「批判的な報道をすると県や市から情報をもらえなくなる」という遠慮もあったようだ。こうした遠慮は、被災地に入っていた支援団体や研究者にも感じられた。

 私は彼らがそれぞれに有能で、努力していたことは疑わない。しかし私には、彼らが知恵と勇気に欠けているように見えた。知恵とは、耳目に入る個々の事象を超えた、総合的な全体像を理解する能力。勇気とは、短期的には不都合であっても真実を語り、長期的な視点から社会に貢献する気概である。それらの欠落が「自分がやらなくても何とかなるだろう」という無責任を生んでいるようにも見えた。

     *

 このことは、被災地復興に限ったことではない。被災地の現状は、被災地に特殊なものではなく、高齢化や産業衰退、旧態依然の政策など、日本社会が抱える問題が集約的に表れているにすぎない。報道をめぐる状況も、これまた被災地復興に限らず、どの領域でも大同小異ではあるまいか。

 そして問題は、報道機関にとどまらない。日本は報道機関においても、政府や企業においても、世界有数の豊富な人材と資金を持っている。だが震災以後、それに見あう役割を果たしたとは言いがたい。その理由は、やはり知恵と勇気の不足である。知恵とは、過去の成功経験から抜け出し、社会の変化を理解する能力。勇気とは、生き残るために変化を恐れない気概である。

 あれから5年。変化は少しずつ起きているし、起こすしかない。なぜなら私たちには、この国の明日を探る責任があるのだから。(小熊英二、歴史社会学者)


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安保法案施行日 2016年3月29日

安保法案施行日
2016年3月29日
日本の国の形が変わった日
海外で武器を使用できるようになった日

NHKとTBSの夜のニュースショーは衣替え
テレ朝は月末まででおしまい

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学び方を学ぶようになる そのようにして一次元上がる

学び方を学ぶようになる

そのようにして一次元上がる


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Yuja Wang plays Turkish March

https://www.youtube.com/watch?v=vWFcbuOav3g

https://www.youtube.com/watch?v=uWYmUZTYE78

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政治には「カネのための政治」と、「カネを使った政治」がある

政治には「カネのための政治」と、「カネを使った政治」がある

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官僚をコントロールし、既存の利益構造の枠組みを変える決断力を有すること

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政治哲学者のマックス・ヴェーバーは政治の最も重要な条件として、官僚をコントロールし、既存の利益構造の枠組みを変える決断力を有することを挙げている。主権者たるわれわれは官僚は選ぶことができない。しかし政治を選ぶことはできる。たから、われわれの代表たる政治家が、官僚機構をしっかりコントロールして、政府の暴走を防ぐと同時に、われわれが国の運営費として委任している税金を含めた政府の権能を、主権者の利益に敵ったものに使うよう務めてもらう。それが政治本来の機能のはずだ。
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創価学会の総本山で首相が英霊を供養するのを国の公式行事とするとしたら

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靖國神社への公式参拝を求める人たちは、創価学会員が内閣総理大臣になったときに、創価学会の総本山で首相が英霊を供養するのを国の公式行事とするのに耐えられるんですかね。
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死者を弔う様式

死者を弔う様式、形式、段取り、容器を我々は失い
死者の弔いは商売の一形式になっている

どのような祈りの言葉があるのかさえ分からず
自分で創作するには手に余る

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配偶者と離別・死別した人、脳卒中のリスク高まる

 配偶者と離別・死別した人は脳卒中を発症するリスクが3割近く高まることが、国立がん研究センターと大阪大学のチームによる長期の追跡調査で分かった。配偶者を失ったことで、食生活や精神状態に変化が生じた結果と考えられるという。

 岩手県の二戸など全国9保健所管内に住む40~69歳の既婚者約5万人について、1995年から平均約15年にわたり追跡した。このうち調査を始める5年前に配偶者と同居していた人を対象に、婚姻状況の変化が脳卒中の発症にどのように影響するか分析した。

 配偶者と離婚したり死別したりした人は、脳卒中の発症リスクが3割弱上昇していた。男女による差はほとんどなかった。脳卒中の中でも、脳出血のリスクが高まる傾向があった。

 原因としては、配偶者を失うことで飲酒量が増えたり、野菜や果物の摂取量が減ったりするなどの食生活の変化が考えられるという。話し相手がいなくなるなど心理的なストレスの上昇も影響しているとみている。

 配偶者と別れた後、誰と一緒に住んでいるかでもリスクに差が出た。子供と同居する男女で、発症リスクが高まる傾向があった。一方、親(義理を含む)との同居では、男性は発症リスクが低くなった。女性は逆に高まっていた。

 仕事をしているかどうかで分析すると、仕事がない女性の発症リスクが高かった。特に配偶者を失った無職女性のリスクは、配偶者がいて働いている女性の約3倍だった。研究チームは「脳卒中のリスクを減らすには、社会的な環境も考慮すべきだ」と話している。


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米国でさえ、核物質処分には困難を抱える実態 サウスカロライナ州受け入れ拒否

 【ワシントン】日本から米国に返還される研究用プルトニウムを積んだ輸送船が茨城県東海村から出港したことに絡み、受け入れ先となる米南部サウスカロライナ州のニッキー・ヘイリー知事は23日、連邦政府に対し、同州がプルトニウムの最終処分場になることに懸念を表明し、輸送停止か行き先を変更するよう要請した。核兵器保有国で広大な国土を持つ米国でさえ、核物質処分には困難を抱える実態が浮き彫りになった。

 毎日新聞が州政府から入手した米エネルギー長官宛ての書簡によると、知事は日本から331キロのプルトニウムが同州に向け輸送中だと指摘し、「同州が核 物質の恒久的な廃棄場になるリスクがある」と警戒感を表明。そうした事態は「市民や環境の安全のため、容認できない」とし、「輸送を停止、または行き先を変更」するよう求めた。

 輸送中のプルトニウムは純度が極めて高く、核兵器への転用が可能。日米両政府は2014年、核拡散の脅威を減らすため返還で合意していた。プルトニウムは同州にある米エネルギー省の「サバンナリバー核施設」に搬入され、希釈した後、処分されるとみられる。オバマ米大統領は今月末からワシントンで開く核安全保障サミットで成果として訴える見通しだ。

 ただ、同州はプルトニウムが同施設内に置き去りにされないかを懸念。同省には州外の別の施設に移して処分する計画もあるものの、安全性への配慮から実現 できるかが疑問視されている。サバンナリバー施設には、冷戦終結後の核軍縮で核ミサイルから取り出されたプルトニウムが運び込まれており、ウラン・プルト ニウム混合酸化物(MOX)燃料に加工する工場が建設中。

 しかし、同省が費用高騰などを理由に建設中止を打ち出し、同施設がプルトニウムの最終処分場にされる恐れが強まったことにも、同州政府や住民らが反発している。

 同州政府は今年2月に連邦政府を相手取り、建設継続と核物質の搬入停止を求める訴訟を起こすなど、連邦政府との対立が深まっている。


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平和、愛、同情、カート・コバーン

カート・コバーンの遺書

聴くことにも創ることにも、もう随分長いこと興奮を覚えなくなっていた。そういったことに、俺は言葉に尽くせぬ罪を感じている。例えば楽屋にいると会場の照明が落ちて、群衆の狂ったような叫びが聞こえてきても、それは群衆の憧憬の念を愛し、楽しんでいたらしいフレディ・マーキュリーに与えたような影響を、俺には与えないんだ。
そのことは俺が、心から尊敬し、羨まく思っていたことなんだ。
要するに、俺は君たち誰ひとり騙すわけにはいかないんだ。
君たちにとっても、俺にとってもフェアじやないから。この思いをごまかして、あたかも自分が100%楽しんでいるかのようなフリをするなんて、俺が考え得る最悪の犯罪だ。
ステージに上がる前に、タイム・カードを押した方がいいんじゃないかと思う時がある。俺が、そして俺たちがたくさんの人間に影響を与え、楽しませてきたんだという事実を喜べるように、できるだけの努力はしたんだ。
俺はたぶん、独りでないと物事を楽しめないナルシストってやつなんだ。感受性が強すぎるんだよ。かって子供の頃に持っていた情熱を取り戻すには、もう少し鈍感になる必要がある、

ここ3回のツアーでは、個人的な知り合いや、俺たちの音楽のファンを、前よりずっとありがたく思えるようになっていた。それでも俺は、みんなに対する不満、罪悪感、そして同情から脱け出すことができなかった。

人間、誰しも長所がある。俺はただ、人間を愛しすぎるんだ。愛しすぎて、あまりにも—-情けない—-情けなくて、ちっぽけで神経質な、歓迎されない女々しい魚座のジーザス野郎に思えてくる。
いい人生だったよ。本当にいい人生だった。ただ、俺は7歳の頃から人間全般に憎しみを抱くようになっていたんだ。たぶん、単純に俺は人を愛しすぎ、人の気持ちがわかりすぎるからなんだろう。今までにもらった手紙や思いやりに、焼けただれた腹の底から礼を言うよ。俺はどうしようもなく変人で気分屋だから、もう情熱を失ってしまったんだ。覚えておいてくれ。
消え去るより、燃え尽きた方がいいんだってことを。

平和、愛、同情、カート・コバーン

1994年4


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“「勝者は嵐を生き延びた者ではなく、ゲームのルールを変えた者だ」”

“「勝者は嵐を生き延びた者ではなく、ゲームのルールを変えた者だ」”

という言葉があるのだが
アメリカがすきなのはゲームのルールを変えること

オリンピック競技のルールが変えられたりする

ーーー
日本では最近、土俵の上でルールにしたがって勝負したくないらしく、
あの新聞社をつぶせとか、あの放送局は放送法でどうしろとか、
相手を土俵に上がらせないようにしたりとか
そのような策謀が目立つ

日本共産党は暴力革命を目指していると閣議で認定されたりもした

普通、自分もそれに従うことになる言論のルールを決めるときは、
もしかしたらそのときの自分の信念が間違っているかもしれないから、
慎重に議論したうえで決定し
後に間違いが判明したら訂正できるように
制度を考えたほうがいい

直接お金を支給して選挙に勝とうと考えるなど
「理想的な有権者」がいるとすれば
当然却下されるべき政策であるが
そしてかつて麻生氏は「さもしい」と評したのであるが
またしてもそれでうまくいくと考えたらしい

お金の話をして投票を誘導し
投票が終わったら
憲法の話と「日本防衛軍」が米軍の指揮下に入る話をすすめるらしい

最近ではそもそもそんな話をするのが大人ではないと考えたり
そんな話になってしまった時も、一段上の立場で、
いずれにしても現実と理想の妥協点をよくよく考えるべきだとか言っておけば良いような雰囲気になっている

これは実際にはかなり閉塞的な状況なのだと
自覚している

ーーー
地震は、じわじわとプレートの衝突が進行し、歪みが蓄積され、それが一気に崩れて歪みがゼロになるときに起こる

政治は、経済が良くて税収も確保できている時には穏健派と愛国派が交代するような様子で
経済が悪くなると愛国強権派がじわじわと勢力を伸ばすようである
それは一旦破綻するまで突き進むしかないようだ
なにしろブレーキがない

立憲主義も破壊し三権分立も破壊し
選挙制度もマスコミも自分たちに有利に操作する

議会と民主主義の理念を実現するよりも大事な目標があって
そのためならば一時的に強権的な、あるいは抜け道だけを通り抜けるような政治でも
許されると考えるらしい

世界にはユダヤ人だけが救われると考えたり
キリスト教徒だけが天国に行けるとか
イスラム教徒だけが幸せになれるとか
それぞれの宗教の一部だけではあるが
考える人達もいるように
日本人だけが優良で幸せになるべきで死後も救済されるべきだと考える日本人もいるようだ

もう少し考えの深い保守も革新もかつてはあったのだろうが
いまはそのような議論は少なくて
あからさまなプロパガンダに流されてしまうようだ

ワイマール憲法下のナチスの台頭と比較される状況である

現在の土俵でもまじめに志を正しく持って政治をすれば良い政治ができるのに
土俵が悪いと言い立てて
土俵を変えろと主張している

確かに、そのような戦略を採用するほうが
最小の経済力で最大の領土を確保するにはいいのかもしれないが
それは持続できずに
また元に戻るものなのだろう
地震が起こってプレートが元に戻るようなものだろう


ーーー
架空の物語があって
日本軍が1945年以前に核爆弾の製造に成功し
ナチスドイツと日本帝国が米英に勝利して
ヨーロッパと北アメリカ東半分はナチスドイツの領土
アジアの大半と北アメリカ西半分が日本帝国の領土となって
1945年に戦争が終了した後、占領統治が始まる

そんな仮定があって
その後のことをよく考えてみると
庶民の暮らしはあまり変わらないのではないかとの考えである

支配者が誰であるかが変化するだけ
支配される庶民はどちらにしても何も変わりはないというものだ


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さまざまのこと思い出す桜かな 芭蕉

さまざまのこと思い出す桜かな 芭蕉



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リベラルは寛容

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<右翼は突出>
 恩師・宇都宮徳馬はよく「信念のある政治家がいない」と嘆いていたものだが、いま彼の思いが鋭く蘇ってくる。日本人の2面性である。過去に日本人の特性として、集団主義や縦(たて)社会が指摘されたが、2面性もまた、日本と日本人の特性といっていい。相手国民を裏切るため尊敬・信頼が生まれない。特に、右翼の面々にそれが特徴的に表れる。リベラル派の特性である寛容が消えて、独善・利己主義が先行する。国際関係を阻害する要因ともなる。

<財閥の2面性>
 安倍外交に限らない。日本の財閥がその典型であろう。金で動く人間・組織集団である。当たり前であろうが、ともかく彼らには倫理・条理が薄らいでいるか、全くない。
 彼らは、政府を突き上げて改憲軍拡を推し進めている。議会・言論界・学界に対しても、強力に圧力をかけて推進している。今の日本政府は、財閥の傀儡政権である。闇権力の主体であるため、民衆からは姿を隠し、一切の政治責任を取らない。資本主義の最大の恥部である。
 他方で、隣国との経済利権にも嗅覚を働かせている。右手で東京の軍事利権をむさぼり、左手で隣国の経済利権にまとわりつく。過去に士農工商という身分制度が存在したが、現在は法治無縁の最高の特権層に這い上がっている。
 これをいち早く見抜いた歴史学者が井上清だろう。筆者は足で歩いて体得したのだが、彼の著述をつい最近見つけた。

<政治屋の2面性>
 日本に廉恥の政治家も官僚もいない。これも悲しい。
 たとえば、自民党の役員に北京と東京で、全く逆の行動をしている者がいる。北京では親中派を売り込んで、観光利権を独り占めにしている。東京では、体調不良の反中・極右政治屋を、自民党総裁再選時にいち早く支持を表明して、無投票再選の流れを作り上げ、見事、無投票再選を果たさせた。
 敗戦後に、それまで天皇制国家主義に汚染していた政治屋・学者・言論人が、一転して「民主主義」を吹聴したものだが、融通無碍の、信念のない日本人は、いまも変わりない。
 決して褒められる体質ではない。人間として卑下されるだけである。信念を貫ける政治家の誕生は来るのであろうか。その試金石が夏の参院選でもあろう。

<利己主義・独善性・地位・名誉>
 人間は、食欲・性欲の後に付きまとうのが、権力欲という。自民党に限らない。近年では、公明党の議員がそうである。「民衆の味方」を売り込んで、北京にまで微笑みかけてきたが、今では極右政治屋と連携して、平和憲法破壊の先頭に立っている。
 同党の母体である宗教団体は、それでも北京に微笑を振りまいている。しかし、日本研究者らはその正体をつかんでしまい、本心から「我々の友人ではない」と突き放している。
 彼らの権力欲は、教団指導者の平和主義まで放棄、中国脅威論を宣伝して信者を欺いている。2面性の人間・組織も、利己主義・独善性・地位・名誉にとりつかれて、相手の信頼を破ってしまう。

<リベラルは寛容>
 宇都宮のような信念のある政治家をリベラル派・リベラリストと呼ぶ。右翼は好んで「左翼」というレッテルを張るが、それは違う。リベラルの本質は寛容・思いやりである。
 ここから平和・友好の理念が生まれる。相手の立場を理解する人間は、歴史を直視、そこから反省して未来に向かう。右翼との大きな違いである。宇都宮はリベラリストである。リベラリストは寛容さ・思いやりで、問題に立ち向かうため、隣人や隣国と仲良くすることが出来る。
 寛容は謙虚さの裏返しなのだ。戦後の日本は、このリベラルで国際社会と向き合ってきた。その代表が9条・戦争放棄の日本国憲法である。
 今この大敵が安倍の自公勢力である。とりわけ、従来の路線を180度転換させた公明党創価学会に対して、怒りを覚える内外の人々は大きく膨らんできている。宗教指導者を裏切っただけでなく、日本国民と13億の中国人をも裏切ってしまっている。

<護憲・友好>
 リベラルは、平和・友好を重視するため、鎧兜に身を包むような改憲軍拡に反対である。宇都宮はそれを実践して見せた。「軍縮問題資料」という雑誌まで出して、国民に訴え、背後の財閥に釘を打ってきた。彼に2面性はない。

 過去に日本の憲法9条を大事にしてきたリベラル派首相は、吉田茂・池田勇人・三木武夫・大平正芳・鈴木善幸・宮澤喜一らがいた。
 リベラル派は護憲・平和・友好である。9条を破壊する勢力に対してだけは、断固として譲歩しない。
 1972年の日中国交回復は、リベラリストの大平の執念が実ったものである。決断した田中角栄も立派だった。今夏の選挙は「戦争か平和か」、同時にそれは「リベラルか2面性の右翼か」の攻防戦でもある。
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人工知能の話

人工知能の話

人類が進化の果てにたどり着いた脳が
現在に至るまで
どこかで決定的かつ非連続的な構造的発展が
あったわけではないと思う

実際に起ったことは
脳の神経細胞の分裂が
最後にもう一回多くなった程度のことだろうと思う

人間の場合は脳の他に
言語に適した喉の構造とか
好条件もあった

脳の構造の問題とともに
文化の蓄積が決定的要因であった

ーー
だから簡単な話、
多分、脳がもう一回細胞分裂することに相当する進歩が
コンピュータに起これば、ハード面としては充分だろう
人間の感覚神経と運動神経に相当するものが
コンピュータに適したように工夫されればよい

感情がないとか自由意志がないとかいわれるのだが
当然のことながら
ソフトを組み上げればいいだけである

人間の脳神経細胞はICチップよりはかなり複雑なので
その動きを人工知能がなぞるにはいろいろと工夫が必要だろうが
原則としての不可能性はないと思う

ーー
それよりも、
人間の脳の研究のほうがうまく進展していない感じがする
シナプス部分で前シナプス部分から神経伝達物質が放出され
それが後シナプスにあるレセプターでキャッチされ
そこから先は電気信号で細胞内を伝わるとか
初歩的な教科書には書いてあるのだが
そういう伝達で
たとえば卓球のような速いスポーツがどうしてできるのだろうかと不思議に思わないですか?


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日本の新聞事情

<権力監視が最大の使命>
 新聞テレビの使命・任務は、権力監視に尽きる。ここが正常に機能しなくなると、独裁政治が表面化して、国民を危険な状態に追い込む。ここ3年の日本政治が、極右の政府与党に牛耳られ、日本とアジアに春雷を連発させている。その震源地が、極右の秘密結社・日本会議である。宗教右翼・カルト教団の天皇イデオロギーを武器にしている。周辺に暴力装置を備えて、言論の自由にも牙を向ける。世界に誇れる日本国憲法の破壊を目的にしているため、日本にとって、新聞の権力監視が何よりも必要不可欠の時といっていい。
 
<民主主義レベルの測定器>
 権力は暴走する。これの抑制手段が議会と言論である。この二つが正常である限り、民主主義は正常に機能、結果、国民の権利は守られて生活は安定する。
 不幸にして、日本の現状はというと、民主主義は劣化して久しい。特にこの3年余の自公政権は悪辣といっていい。日本国憲法を破壊する政権だからである。先進国のはずだが、民主主義のレベルは相当低下してしまっている。
 首相側近の極右女性大臣が、テレビ電波の許認可権を武器に、国民のための電波権を悪用する姿勢を見せている。言論の自由への公然たる挑戦である。水面下では、政府も批判するジャーナリストを、次々とテレビから引きずり下ろしている。

<言論の自由が劣化した戦後70年>
 官邸による新聞テレビ弾圧は、いま正に露骨を極めている。「日本は民主主義が崩壊した」と悲鳴を上げる学者・文化人も少なく無い。現在の政権は戦後最悪である。言論弾圧政権の下で、独裁政治を開花させてきている。
 その極め付きが、特定秘密保護法・戦争法・TPP署名などである。日本国民は、戦後70年にして、日本会議の路線の上を無理やりに走らされている。それに抵抗しない新聞テレビが、日本とアジアを危機に陥れている。

<言論の自由度NO1は日刊ゲンダイ>
 全く言論の自由が消えたわけではない。夕刊紙「日刊ゲンダイ」は踏ん張りを見せている。ここの記者・編集人は、本来のジャーナリズムに徹して、政府の悪政と戦っている。
 サラリーマンの多い首都圏・名古屋圏・大阪圏・福岡圏・札幌圏などで、国民の怒りを代弁している。最近は外国の特派員必読新聞になっている。

<第2位の東京新聞>
 筆者が問題の「日本会議」の存在に気付いたのは、東京新聞がこれを大きく報道したからだ。おそらく最初に報道した新聞なのであろう。親類に同紙を購読している者がいる。そこの主の政治感覚は、まともで今の政治に厳しい目を向けている。
 悲しいかな、東京新聞は首都圏と名古屋圏が中心である。むろん、日刊ゲンダイも東京新聞も、財閥からの広告出稿を抑え込まれている。財閥に抗している現場は、それでも自粛して記事を書いているありさまだ。

<急浮上した朝日新聞>
 右翼暴力団の銃弾と従軍慰安婦報道のミスで、さんざん叩かれてきた朝日新聞は、それゆえに政府批判を抑制するようになってしまった。権力に屈した朝日新聞である。
 かの徳洲会疑獄でさえも、真正面から記事にできない無批判新聞に成り下がってしまった。「朝日の読売化」である。これに失望した読者は、次々と購読を止めた。社説1本が100万円、150万円という話を、その筋から聞かされて驚愕したものだ。
 これでは権力批判の記事は書けない。その点、筆者が働いてきた東京タイムズは、給与は雀の涙、おかげで年金額は公務員のそれの半分である。生活のためにアルバイトの原稿を書きまくって家庭を支えてきた。
 その分、ペン先は鋭かった。大平内閣のころだ。「首相は真っ先に東京タイムズを開く」と言われたものである。今の官邸は、日刊ゲンダイと東京新聞のはずだ。今回、朝日の日本会議大特集で官邸は驚愕、覚醒した朝日と思いたい。

<読売は右翼政権擁護の改憲軍拡原発新聞>
 改憲軍拡原発推進新聞で勇名をはせる読売を知らない日本人は、今ではいないだろう。それでいてなぜ新聞発行部数が一番なのか。秘密は販売力にある。販売工作に資金を投入してきた。
 政府機関や地方政府機関とも連携して、販売部数を維持する。医師会など団体組織とも。もう一つが野球である。「強い巨人軍」による野球好きを読者に抱え込むことで、朝日を抜いてしまった。
 いま巨人軍の「覚せい剤・ばくち」まみれが表面化している。清原事件は氷山の一角に過ぎなかった。さしものナベツネも、これには弁解できずに落下した。部数の落ち込みは、今後も続くことになろう。

<テレビは沈没・内閣支持率を支える理由>
 安倍内閣の悪しき戦果は、NHKを抑え込むことに成功したことだ。これは大きい。公共放送を安倍チャンネルに大改造したことが、内閣支持率の低下を抑えている。世論調査はNHKをよく見る高齢者が対象だからだ。
 民放は、目下の首相側近大臣の暴走発言で委縮、まともなキャスターを降ろしてしまった。国民を裏切るテレビに落下して久しい。朝日奮起の時だ。


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