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脳と意識

採録

一人目のSteve Flemingは、最近の論文で、ヒトのメタ認知能力に驚くほど個人差があること示した上で、そのメタ認知の個人差が前頭葉(BA10)の灰白質の量と対応しているということを示した。

Fleming et al. (2010). Relating introspective accuracy to individual differences in brain structure. Science, 329, 154-1543. 

二人目のRobert Hamptonは、メタ認知というと非常に高次な機能で人間特有のものと考えられがちであるが、動物(サル)にもメタ認知ができているということを、非常に優れた実験デザインで最初に実証したひと。動物にメタ認知があるかどうかという問題を、操作的(オペレーショナル)に、単純な条件付けではなくできているということを示すのは、なかなか難しい問題を含んでいる。その問題を、大きく克服したデザインでメタメモリー(記憶に関するメタ認知)をサルで示した意義は大きい。特に、動物に意識があるのかという問題を考える上で興味深い。

Hampton, R. (2001). Rhesus monkeys know when they remember. PNAS 98, 5359-5362. 

三人目のPeter Carruthersは哲学者だが、認知神経科学的な観点から、メタ認知と「心の理論(theory of mind、他者の内面を推測する能力)」の進化について非常に洞察力に富んだ総論を書いている。とくに、Carruthersの議論をPrecuneusの機能と進化という観点と照らし合わせて読んでいくと、社会性と意識の意外にも密接な関係が見えてくる。それで、この哲学者のアイデアには注目している。

Carruthers, P. (2009). How we know our own minds: the relationship between mindreading and metacognition. Behavioral and Brain sciences 32, 121-138.

ーー
1980年代、アメリカ人神経生理学者リベットは、近代的人間観をぶち壊すような有名な実験結果を発表した。人間は行動を起こすとき、頭頂葉に運動準備電位という活動が起こるが(脳内信号指令)、運動準備電位が起こって0.35秒あとに、行為の意志が意識されることが明らかになった。なんと、行為を意図したあと、運動準備電位が脳で起こるのではないのである。なんと逆なのだ! 前意識的に脳内で行為が準備された0.35秒後に、「行為の意志」が意識されのである。「人間は理性で行為を選択して、それから意志で実行する」という欧米道徳哲学の根本教理を木っ端微塵にする可能性のある結果であった。
 何よりもリベット自身が焦った。幸いリベットの実験結果には、リベットが多少なりとも自分に弁解できる余地があった。実験結果では、行為の意志が意識された0.2秒後に、実際の動作がなされた。そこで彼は、「自由意志とは、0.2秒の間に、意識された意図に拒否権を提出することだ」と解釈したのである。自由意志の範囲はずいぶん狭くなったが、拒否権という形で何とか一命を取りとめたのである。殴るという行為は無意識に脳内で準備される。しかし、それが意識に昇った0.2秒間の間に、人間はそれを拒否する意志を発動できると信じたのである。しかし、後にロンドン大学のベルマンズが指摘するように、「その意志的拒否権とやらも、0.35秒前に脳内で準備されているのではないか」という疑問が浮かぶのも当然であろう。そして、ベルマンズの解釈の方が、圧倒的に説得力を持つのである。

ーー
http://www.scientificamerican.com/article.cfm?id=finding-free-will


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すべての部分にピントが合っている画面

すべての部分にピントが合っている画面の写真やビデオを
作ることができると言っていた
なるほど、確かに

さらに、好きな部分を好きなだけ、ピントをぼかすこともできるという
なるほど、そのとおりだろう

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あなたは自分の物語についてどう感じていますかと、問いかける

患者さんが語ることは多くは物語になる

その物語について、いまあなたはどう感じているのか、どう考えているのか
を話しあえば、そこでひとつのメタ化が発生している

ーー
患者さんは事情をあれこれ語る
その中には過去の感情も語られる
過去に物語をどう理解していたかも語られる
しかし語ること自体は現在であるから
当然現在の感情や解釈が強く影響している

患者さんは無意識のうちに
何を語るべきか、何を省略すべきか、
どのような順番で語るべきか、選択している
その選択は現在の判断である

ーー
つまり、あなたは今、どう考えてどう感じていますかと聞かなくても、
どのように話しているのか、どのように話していないのかで、現在に関してかなり多くのことを知ることができる

それを知った上で、
いま話したばかりの物語に「ついて」、話してもらう

すると、患者さんが態度の中で見せた現在と
語ろうと思って語る現在の考えと感情の間にずれが見られる

それもまた良い情報になる

ーー
多くは、隠蔽しておきたいことに関しての二重構造を呈することになる



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税金の他に経済の仕組みで収奪されているような気がする

日本国内で静かに暮らしているだけなのに
為替変動や株価変動で、まわりまわって
おおむねいつも損をしている感じなのはなんとなく納得出来ない
最終的に損を押し付けられているのではないか

いまは円高なのだからなにか得する方法もありそうだが
普通に仕事をしている生活の中では特にいい方法も思いつかない

生活費は全般に下がっているだろうと言われればそういうような気もするが
普通ならつくはずの銀行の利息もないのは、随分長い間、銀行に奉仕しているような気もする

売れる新商品を開発したいという人もいるが
不必要なものを大量コマーシャルで売るのはどうかと思う
BSチャンネルでいつも流れている原価の安そうな商品群

税金の他に経済の仕組みで収奪されているような気がする

ーー
無駄を削るというなら、日本人が大量に捨てている食料品はどうにかならないのかとの話もある
コンピュータ管理をして正確に必要な物だけを購入して
捨てる食料の率を一定以内に抑える
気まぐれで食べもしないものを買おうとすると
「いつもの癖ですね」と警告を出して、お金が使えないようにしてしまう

そんな方向にコンピュータを使うと経済がますます縮小すると非難されるのだろう
しかしよい縮小も悪い拡大もあるだろう

みんなが躁状態になればたくさんの無駄なことをして経済は拡大する
それはそうなのだけれどもそれでいいのだろうか

不景気の時には鬱になる人が増えるという統計があるのだが
それは因果関係としてはどちらか分からないかもしれない

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現在の適応度と次世代の適応度

NHKスペシャルで
ソニーがアップルに負けて
シャープがサムスンに負けた理由を説明して
アップルやサムスンを真似したらどうかみたいな10年遅れの話をしていたので
だいぶがっかりした

ソニーが大企業になって多角化して銀行も保険屋もやるようになると経理もそれなりのものになる
三井も三菱もそうだろう
音楽ソフト部門とデジタルコピー技術部門がぶつかるのは当然で
音楽ソフト部門を持たない、デジタルコピーしても行けそうだと、アップルは賭けに出たけれども、ソニーは
別の方に賭けをして負けたということだ
事業は成功することも失敗することもあるので
未来は確率の問題だ

未来は確率的に存在しているので
未来への投資も確率的に行う

たとえば各種分野300種程度に分散投資する

確実に成功しそうならばリターンも少ない
成功の確率が少ないところで成功したらリターンは大きい

会社内の事を考えても、会社全体が特定の商品やサービスに特化してしまったら
ガラパゴスになるおそれがある
だから会社内でも適切な程度に分散しておく
何が適切であるかは事後にしかわからない
大当たりもしないが大外れもしないことになる

予測できるものは儲けの種にならないのだ

ーー
ところで
楽園と称される、青い海と青い空の南の国で大文明が開花しないのはなぜなのかと思う

北国の寒い場所で人類は昔から肺炎や結核や凍傷により寿命を縮めながら
飢饉と戦い生きてきた

どう見ても南の楽園のほうが暮らしやすそうであるが
あまり工夫をしないらしい

現在の適応度が悪いほうが自分を変える意志を強く持つのだ

ーー
個人的にはそこのメカニズムについては
適応低下→免疫低下→血液睾丸関門のバリア低下→精子にウィルス感染して外来遺伝子が組み込まれやすくなる→新しい特性を持った個体が発生する

ここでもやはり、現在適応の良い個体の次の子孫は環境変化に取り残される可能性が高い
現在適応の悪い個体はジャンプして次の環境変化にうまく適応する可能性がある

現在の適応者は変化に怠惰になることは理解できる

ーー 
適応状態の悪い人のほうが
紫外線や老化などで傷がついたDNAを修復できなくなり
結果として新しい形質の発現に至るかもしれない

南の島の人たちは栄養状態もいいし温暖なので
あまり適応は悪くならず
傷ついたDNAも修復されてしまうのではないか
結果として進化の速度が遅くなる

ーー
もっと言えば環境が過酷な方が
淘汰の能率は良くなるはずだろう

一部の適応的な遺伝子だけを残してあとは死滅
適応したものだけが爆発的に放散する

寒冷、食料不足、感染症などがセレクションを厳しくしているのだろう

やはりどう考えても南の国でのんびり過ごした方がいいように思う



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各種抑うつについて

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マスコミは思考の材料を提供するのか、結論を国民の脳に刷り込むのか

NHKのアナウンサーが
「童謡の赤とんぼです」と紹介するときに
イントネーションが
童謡の音符のままのイントネーションで話した
そのあとで一緒に司会をしていた別のアナウンサーは
ふつうのイントネーションで「赤とんぼ」と紹介していた

ーー
マスコミのあり方がいろいろに言われている
広告の量が少なくなって困っている話とか
排他的な記者クラブの問題とか
政府の方針をそのまま伝えることしかしない、政府と一体で怠惰なマスコミとか

理想的なマスコミは国民に考えるための材料を提供すること
しかし現在までのマスコミは国民に結論だけを伝えて教育すること

しかし考える材料を提供するといっても
どの材料をどの程度の詳細さで提供するかと判断する部分が編集であるはずで
偏りのない編集は多分難しいと思う

マスコミは天気予報や地震警報などを伝える機能もあり
多分そんな感覚で政治も経済も扱っているのだろうと思う

霞が関で方針を決めてそれを宣伝しているのだから
考える材料を提供する場合には霞が関の集めた資料を公開してもらえばいいはずだろう
そこから先は理性の質が同程度ならば同程度の結論が出るということになる

一人ひとりのマスコミ人は非常に良心的で頭の良い人達なので
多分国民に良かれと思って
天気予報と同じように「消費税増税が必要なのだ」と広報しているのだろうと思う
霞が関のお役人も同様で国民のために良かれと思って政策を決定している
それは信用していいと思う

たくさんの報道機関ができて、海外のメディアも様々な情報を伝え、ネットでもまたいろいろに情報が流れている
この状況では、世界の正確な縮図がどうなっているのかを知ることが難しくなる
個人がすべての情報を分析するわけにも行かないし
年をとって経験を積まなければわからないこともある
理性に従いよく考えるといっても
結局どのような材料に接しているかに大きく影響されてしまう

役人もマスコミも学校時代の優等生で
その人たちが代表して考えてくれているのだからありがたいことではある
国民は安心してそれぞれの人生の課題に取り組めば良いのだろう
頭の悪い人が何かを考えるよりも能率がいいだろうと思うのも無理は無い

たまには年金が消えたり誤認逮捕をしたり尖閣を国有化したりオリンピック誘致運動もあるが
基本的には信用して欲しいということだろう
震災の予算を使っていち早く税務署の耐震補強をするのもなにか合理時な理由があるのだろう

ーー
東京に再度オリンピックをという運動を継続しているらしい
大金を投じている
そして一番の問題は地元の市民の賛成が得られないということらしい

ここのところがよく分からないのだが
要するに国民は馬鹿だからオリンピックに消極的である、
頭のいい人たちがオリンピックはいいと判断しているのだから従えということなのだろうか

オリンピック利権なんていう時代ではないですよという国民の判断は健全であるような気がするのだが
どうだろうか

民主主義と独裁主義の定義を私が間違えているのだろうか

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幸せってなんだろう

幸せってなんだろう

と人々が安心して考えられるような条件を整えるために働く

ーー
幸せってなんだろうと安心して考えられる状態が幸せなのだろう

ーー
あるいは
幸せっていろいろなんだな、様々なんだなと自然に納得できるとき幸せなような気もする

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抑制系としての脳

脳を欲動系と見るか抑制系と見るかは人によって見解が異なると思うが
欲動は根源的であまり複雑ではないと思う
そして抑制系が非常に複雑に発達しているのが人間の脳だと思う

だからたいていは高次脳機能が壊れると
元気になりすぎる、つまり抑制が取れてしまう

適切な時に適切な場所で適切な抑制が効く人間が高級な人間であると定義してもいいだろう

随分威勢がいいなあとか元気があるなあという場合
往々にして抑制系の機能停止が起こっているのである

ーー
人間には気分の波があるし勘違いもあるものなので
自分が正しいと思っただけで行動して良いというものでもない
その場合の「脳の外部抑制系」として高級宗教を考えることができるだろう

おおむねは禁止の形で戒律が定められている
それは自然の脳に備わった抑制系の不足を補う抑制系だと考えて良いと思う

そう考えてみると
日本人にとっての外部的抑制系は何だろうかということになる
神道はあまり抑制的ではない
仏教は時代によるがやはりそれほど抑制的ではない
四書五経とか宋学などは抑制的だと思う

マントラを唱えてみてもさしあたってなにかの役に立つとも思われない
それよりは四書五経と宋学のほうが抑制系の発達には役に立つ
統治にも都合がいいだろう

外部的な抑制系としての宗教が欠如している場合に
「空気」が代用を果たすのかもしれない



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自己決定権と地方自治と広域権力

アメリカ合衆国では州政府が普通で考える国の単位で
合衆国政府は国を超える広域権力だと考えられる面がある

ユーロでは各国とユーロで二重の権力構造になっている
そして住民はユーロの決定に関してどのように自己決定権を行使できるのか曖昧なところがある

さらにアメリカでもユーロでも宗教の問題があり
国を超えた権力としてたとえばカトリック教会がある
バチカンと州政府と合衆国、バチカンと政府とユーロとの関係は複雑である

しかし考えてみれば
どのサイズの問題をどのサイズの決定機関が決定するかは
合理的な解決があるはずだろうと思う

日本のテレビでよく見かけるように
なんでも、国がきちんと対策して欲しいとか決めて欲しいというのは
やはり問題があるだろう

そしてまた、たとえばユーロ各国ならば、権威の分散が生じていて、
各国、ユーロ、バチカン、さらには国連機関など、各種各層の意見があり、それぞれに権威があるものと思われる
こうした複層構造は良い面もあると思う

ーー


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学校教育

現在では学校に行っても読み書きも身につかないし
何かの専門技能が身につくわけでもない
読み書きができない以上、教養など遠い話である

なぜ学校にいくのかといえば
学校産業があるからとしか言いようがない

学校が終わって仕事についても
学校での集団適応のレベルは仕事の集団適応のレベルと大きく違っていて
仕事不適応を大量に生んでいる

学校というものに希少価値がなくなったことが
ひとつの原因だろうと思う

希少であるから差別化に役立つのであって
定員割れの学校に行っても仕方がないだろう

学校と教員をリストラする必要があるのだが
なかなか難しいのだろう

ますます修業年限が長くなってゆく



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人生の長さと自己実現の旅

人生の長さをどの程度と見積もるかによって
自己実現の旅の目標も異なってくるだろう

先輩の先生によれば
日本の高学歴女性の中で
「兼高かおる世界の旅」が自己実現の理想だった時代があるのだという

そんなものがねえと今ならば思うけれども
当時としては
健康、安定、経済力などを手に入れた上で、その先の目標・満足として、
「兼高かおる世界の旅」という自己実現があったらしい

ーー
その後は人間が健康で活動できる時間も長くなって、
更にいろいろなことが可能になっている

そんな中で、一体何をしたら「自分にとって一番幸せ」なのかに悩むことになる
「それぞれどれでもそれなりに幸せなんだ」というのは一般論としてはいいのだけれども
それでは自分にとって一番の幸せは何かを誰でも知りたくなるものなのだろう

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高倉健

高倉健は寡黙、
自分がやってもいないのに、なりゆきから、「自分がやりました」と責任を引き受ける

でもそれは映画という極限的な見せびらかしのセットの中で行われている
というのが矛盾だと思う

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異教徒ハロウィン

ハロウィンの様子を見ると
あまりにも異教徒的なので驚く

そしてカトリックはこの部分になぜ寛大だったのかにも驚く

日本で神仏習合などどういうことかと言われるが
あまり変わりないだろうと思う

ーー
しかしそれにしても
日本の宗教的真空はどうしたことなのだろう

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名人芸を磨く

循環器専門医が脈拍をとると
そんなに長く手を当てていなくても
脈拍数とか不整脈の具合とか血管硬化の具合とか
かなり正確にわかるという人がいる
それはひとつには
人間の感覚を事後に客観的なデータで訂正するフィードバックループが出来上がっているから
可能になることである

感覚→測定→照合→訂正

というループがあって、感覚は正確になるはずだ

お米屋さんが1キログラムを正確に測ったり
発酵関係の人は温度や湿度を正確に予測したりする

それらと同じような感覚の洗練が精神科医療にもあるのだけれども
なんとも伝えにくいもので
分かる人には分かるなどといってしまい
結局分かっていないのだろうと
分かっていない人に言われてしまう

それは掛け算が正しいかどうかと同じくらいの自明さで存在するものなのだけれども
 



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共感覚を利用した文学表現

閑さや岩にしみ入る蝉の声(しずけさや いわにしみいる せみのこえ)
古池や蛙飛びこむ水の音(ふるいけやかわずとびこむみずのおと
芭蕉の句

また川端康成の一節など

共感覚を利用した表現がある


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発達障害

発達障害は
小児神経科のお医者さんと共同研究すれば
頭がすっきりすると思う

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佐渡金山

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個人的見解と共通認識

精神科的な事柄について
それは個人的見解なのか
大方の共通認識なのかを
分かりやすく表示する方法はないものだろうか

ーー
また、古いサイトで古い情報が放置されていることも、
専門外の人には誤解のものになるだろう
それも分かりやすく表示する方法があった方がいい

ーー
その見分け方は自分で体得しないといけないということで
情報リテラシーなどと言われるのだが
その領域にまで達している人がどれだけいるものか怪しい

全体のリテラシーが向上していれば
優良サイトほど検索上位になるはずだが
それぞれの専門領域で検索してみれば
あまり優良でないサイトが上位に位置している場合も多いことを感じているだろう

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エネルギーと食料と武器

エネルギーと食料と武器を独占してしまえば
他人を支配することができるのだという

たしかに人間は飢えと寒さに弱く、貧しさに弱く、恐怖に弱い。
この世では報われない人が大半なのだろうと思う。



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子供の一番の仕事は親を心配させることである

子供の一番の仕事は親を心配させることである

ということもないけれどもね

そう思っていたほうが親としてはあきらめが付くという面もあるらしい

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双極性障害患者の自殺企図、テストステロンレベルと相関

 テストステロンの最もよく知られている神経行動学的影響は、性的機能と攻撃性である。そして、テストステロンや他のアンドロゲンは、気分障害や自殺行動の病態生理と関与している可能性が示唆されている。米国のSher氏らは、今回初めてテストステロンレベルと双極性障害による自殺の臨床パラメーターとの関係性を検証した。J Psychiatr Res誌2012年10月号の報告。

 対象は、過去に少なくとも1回以上の自殺未遂を経験し、うつ病または混合性エピソード障害を有する双極性障害患者67例(男性16例、女性51例)。生涯の自殺行動を含む人口統計学的および臨床的パラメーターを評価した。血漿テストステロンの測定には二重抗体ラジオイムノアッセイ法を使用した。

主な結果は以下のとおり。

・大うつ病エピソード、自殺企図の最大致死性、テストステロンレベルは、女性に比べ男性の方が高かった。
・現在の自殺念慮のスコアは男性に比べ女性で高かった。
・性別を調整したのち、テストステロンレベルは躁病エピソードおよび自殺企図の回数と相関していた。


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キリスト教人口

日本は人口の1%未満
韓国はぼぼ30%
中国は一億人に達したと推計されるとのこと 



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沈黙 心の小さなピリオド

心を整えることを考えて、
とりあえず心に小さなピリオドを打つ
わずかでもいいから
沈黙の時間を作る

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高齢者の帯状疱疹増加

高齢者の帯状疱疹増加のデータがあり
一説には
高齢者のみの世帯が多くなり、子供と接することが少なくなったことが原因ではないかと言われている
子供は外来のウイルスを持ち込むので
日常子どもと接していると
高齢者の持っている免疫系が賦活化されるという

なるほどそれはありそうな話だ

ーー
子供とは違うが
猫と同居しているとトキソプラズマ感染がおこる

トキソプラズマに感染すると男性ホルモンの一種であるテストステロンの分泌が増え、
より積極的で攻撃的になりそして権威に対して否定的になる傾向がみられる

サッカーでも強くなり
戦争にも強くなるとかの話があった

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文体創造 思考類型検索

現代においては「何を書いているか」はデジタル複製されて
無限に反復されている

「どのように書いているか」は文体の問題であるが
専門家以外はあまり興味を示さない

ーー
「何を考えたか」についてはやはり情報洪水の中にあって
類似のものが反復されている

「どう考えたか」についてもやはり情報過多・インフレーションの中で意味は薄まっているのだが
やはり興味がある

ーー
欲しいものは「魚そのもの」ではなく「魚の釣り方」だ
というような言い方がある

ーー
考える技術とは思考の「文体」の創造である

ーー
思考内容よりも思考文体が伝われば
各自が新しい場面で新しい文体を創造できるだろう
そのようでありたいものだ

ーー
情報検索技術に希望したいのは
発想の類型、思考の類型による検索である

 



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新型うつ病について

採録

 会社に行けないが自宅では趣味に没頭─。そんな若年者の抑うつが「新型うつ」と呼ばれてマスコミで話題だ。しかし、うつ病学会は「新型うつという診断名はない」と、適切な診断に基づく治療の重要性を説く。

 「『現代型(新型)うつ』は、マスコミ用語であり、精神医学的に深く考察されたものではなく、治療のエビデンスもないので、(ガイドラインでは)取り上げていない」。日本うつ病学会は、今年7月に発表した大うつ病性障害の治療ガイドラインの序文で、「新型うつ」に対するこのような見解を示した。

 新型うつは、「現代型うつ」などとも呼ばれ、社会問題として報道されることが最近多い。若年者に発症しやすく、抑うつに加えて無気力で、他人が悪く自分は悪くないという自己愛が強く、仕事への情熱も薄いというのが典型像。軽症に見えるが慢性化しやすいといわれる。

 ガイドライン作成委員会の委員長を務めた防衛医大病院長の野村総一郎氏は、「序文の見解は、新型うつという学問的な診断名はないという意味だ。うつ病の診断基準に当てはめてきちんと診断する必要がある」と説明する。新型うつと呼ばれる患者の中には、うつ病の診断基準に当てはまる患者もいるが、その他に軽度の抑うつ状態や、明らかなストレス因子で発症する適応障害の患者も含まれるとみられている。

変わるうつ病の典型像
 「新型うつ」という診断名はないとしながらも、日本におけるうつ病患者の典型像が変わってきたと考える専門家は多い。野村氏は、「勤勉で働き者、組織への帰属意識が高いという日本人像は、バブル崩壊後に変わった。基盤にある日本人像が変われば、うつ病患者の典型的な病像が変わるのも当たり前」と語る。

 国立病院機構肥前精神医療センター臨床研究部長の黒木俊秀氏は「日本では従来、うつ病は働く男性に多い過労の病として、ストレス過度で疲労困憊した後に生じるものと考えられていた(症例1)。しかし、それは日本独特なもの」と指摘する。

症例1 日本の典型例 働く男性の過労の病

48歳男性、公務員
 もともと責任感が強く、勤勉な性格だった。温厚で、面倒見の良い上司として部下からも慕われていた。昇進後、中間管理職として上司と部下の板挟みとなり、心理的ストレスが増えた。昇進から半年ほどすると、早朝覚醒、熟眠感欠如、食欲低下、倦怠感が出現。出勤がおっくうになり、欠勤が増えた。異動を希望したが、慰留された。最近急激に痩せたので内科に1週間検査入院したが、身体的な異常は認められなかった。退院後も、仕事に対する意欲が湧かず、自責的となり、涙ぐんだりふさぎ込むようになったため、同僚が心配して精神科外来を受診させた。

 社会文化的な背景が異なる北米では、うつ病は主に女性の喪失と悲しみの病と見なされ、非定型的なうつ病(症例2)も、以前からうつ病の典型像の一つと説明する。

症例2 北米の典型例 報われぬ女性の喪失の病

28歳女性、会社員
 妻子ある男性と交際していたが、別れ話をきっかけにリストカットに及んだ。その後、たびたび過呼吸発作や過食衝動が出現。出勤がおっくうになり、早退や欠勤が増加。身体が鉛のように重たくなり、一日中、自宅で寝て過ごすようになった。不安焦燥感が強く、一人で過ごせない。友人に誘われると遊びには出掛けていた。3カ月間休職したところ、徐々に気分が良くなり職場復帰したが、自分の能力に見合う仕事を与えられないと上司に強く不満を訴えた。再び抑うつ感が強まり、過眠・過食が再発。元の交際相手に連絡したが、拒絶されたことをきっかけに過量服薬したため、精神科病棟に入院。

 実際、精神科を受診する患者は多様化している。農村部にある肥前精神医療センターですら、外来患者がこの30年で4倍に増加した。増加分の多くを比較的軽症の患者が占める(図1)。「精神科受診の敷居が下がったことで、以前は医療の対象とならなかったかもしれない比較的軽症の抑うつ・不安状態の患者も診療の対象となってきた」と黒木氏。


図1 肥前精神医療センター外来の1日平均患者数の年次推移
過去30年間に精神科外来患者が約4倍に増えた。典型的なうつ病や神経症性障害・ストレス関連障害(不安障害)以外にも比較的軽度のストレス関連障害が増えている。

 さらに米精神医学会の精神疾患の診断基準(現在はDSM-IV-TR)が日本に普及したことで、様々な原因から生じる抑うつがうつ病と診断されるようになり、診療現場を混乱させる一因となっている。30年前は日本ではうつ病と診断されなかった神経症的な抑うつも、DSM-IV-TRではうつ病と定義される。

 典型像の変化や定義の広がりでうつ病患者が多様化した結果、うつ病との境界が曖昧な患者までもがひとくくりにされ、「新型うつ」と呼ばれているのが実態といえそうだ。

生活にメリハリ付ける指導を
 「新型うつを巡る社会的混乱の背景には、多様化した抑うつ・うつ病患者に対して、休養と薬物療法という旧態依然とした対応しかできなかった精神医療への批判があるのかもしれない」と黒木氏。産業構造や環境の変化に伴い、患者の背景が複雑化した後も、そのことを認識せず対応できなかったことを精神科医の一人として残念に思うと言う。「例えば、うつ病の社員はゆっくり回復してから職場復帰すればよいという余裕がある会社は、現在ほとんどない」と話す。

 獨協医大越谷病院こころの診療科教授の井原裕氏は、過労による抑うつをうつ病のモデルと見なし、患者にストレス回避を推奨する現状に疑問を呈する。「過労から生じるうつ病がある一方で、生活が不活発なことから生じる抑うつ・うつ病も存在する」。その上で井原氏は、「生活リズムを聞けば、生活が不活発な患者を見つけることができる。このような患者には、生活にメリハリを付けるように指導することが重要だ」と言う。加えて、適度なストレスは人間が生き生きと生活するために不可欠なものであり、ストレスと休養のバランスを保つことが欠かせないと強調する。

 うつ病に有効な認知行動療法の一つとしても、生活リズムを見直し活力を取り戻させる「行動活性化療法」が注目されている。国立精神・神経医療研究センター認知行動療法センター長の大野裕氏は、「うつ病は単一疾患ではなく症候群である。行動活性化療法は、どのようなタイプのうつ病にも役に立つと考えられる」と言う。行動活性化療法とは、日常生活の中で気持ちが楽になる行動を増やしていくこと。「散歩や音楽など何でもよいので、少しでも楽しめたり、やりがいを感じられる行動があれば、それを増やしていく。そうすることで気分が晴れるようになる」と大野氏は語る。

 非定型的なうつ病の診断は専門医にとっても難易度が高く、抗うつ薬も効きにくいため、治療に難渋することが多いといわれる。難治化例では、何らかの身体疾患や他の精神疾患の併存の可能性を再度、検討する必要もある。多様化した抑うつ・うつ病患者に対する新たな対応の検討が求められる。




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精神療法は、リングのオープン部分を操作することだ。

 

人間の特性は生まれた時からオープンリングであるということ。

故に、幼児体験は大切である。

精神療法は、リングのオープン部分を操作することだと一応考えられる。
幼児体験を書き換えることといってもよい。
しかし実は、その書き換えは、再度幼児体験を実体験で上書きしなくても、
現在の地点から幼児体験を追想してみるだけで充分である。

充分に意識化できれば書き換えと同じ効果があると思う。

よい幼児体験と悪い幼児体験があるのではなくて、
その体験から何を学ぶかという現在の問題があるのだろうと思う。

幼児体験を書き換えることでも解決できるが
幼児体験に対する考え方・感じ方を「変更する」または「柔軟にする」「多面的にする」「多層的にする」だけでも
充分な解決になる
これはメタ化による治療である


小説や映画が癒しになるのは
この意味である

 
カウンセリングでメタ化のお手伝いができる



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職務不耐性

職務不耐性
という言葉を考えてもいいと思う

一種のアレルギーみたいなものだと思う

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意欲と興味

意欲と興味の違いは?

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