悠々と生きませんか
“とらわれない、かたよらない、こだわらない。つまらない執着を断ち切って、悠々と生きませんか。あえて嫌われる必要はないけれど、同じようにあえて好かれなくてもかまわない。そんな気持ちをもつことです。
花が咲けば自然に蝶々がやってくる。木々に葉がつけば、放っておいても鳥たちがやってくる。そして枯れれば再び離れていく。
人との関係も、それと同じようなものではないでしょうか。”
考え方や感じ方が、とらわれたり、片寄ったりするのは、
簡単に言えば世界を正確に認識していないからだと思う
唯一の客観的な認識が可能なのか、という問題は残されたままで、
解決できないのだけれども、
それでも、仏教で言うような、あるがままを見る、ということに近づくことはできるのではないかと思う
コンテンツの中立性もなくなってしまう
“
ティム・バーナーズ・リー(WWWを考案したインターネットの生みの親)は最近のインターネットの有り様をアーキテクチャ(設計)の観点含め批判して「インターネットのアーキテクチャが壊れてきている」と言っています。そもそもインターネットは、一つのURLを叩けば、世界の誰もが同じものを見ることができた。そのアーキテクチャがあるからこそインターネットの中立性や民主性は保たれるしコンテンツも中立でいられる、というのが彼の主張で。
でも最近はそのアーキテクチャも崩れてきている。Facebookでは自分が「いいね!」した人のコンテンツが優先的に表示されます。Google検索も今ではパーソナライズされていて、人によって違う検索結果を見ている。Twitterでも自分がフォローした人のツイートしか流れません。なるべく個人個人が見たいと思っているものだけが表示されるようになってきている。見たくないものはネットに存在しないかのように。このままいくとコンテンツの中立性もなくなってしまうから、インターネットのアーキテクチャをもっと基本に沿ったものにしろ、と。
”
ネットを使って情報操作したい支配層がいる限り無理だろう
ネットを使って情報操作したい支配層がいる限り無理だろう
孤独がいい
“人付き合いが煩わしい,孤独がいいというのは,一生ずっと健康でそこそこ金がある前提でしか許されない贅沢だよなあ”
ヘンリ・ライクロフトの場合も、
遠い親戚からの遺産が孤独な生活を可能にした
ヘンリ・ライクロフトの場合も、
遠い親戚からの遺産が孤独な生活を可能にした
執着をなくす
“悟りとか諦めとかいってるのは全然悪いことじゃないと思うよ。
ブッダの思想とか読んどくとわかると思う。
安定して蓄えがある人は死ぬ時どう死ぬのか。
病室のベッドがあって延命措置があれば安楽死できて人生満足するのだろうか。
そんなわけはない。その日暮らしも高給取りでも、平等に安楽死か苦しい病死事故死をする。
親も配偶者も息子も生きて居て、死に際に優しくしてくれると思うのは希望でしかない。
みんな死ぬ可能性もあるし、仲が悪いことだって多いに有りうる。
世間体とか給料に人生の意義を見出す人は、例え希望通りになっても満足せずに上を見て一生執着するよ。
それか下をみて貶してプライドを保つ嫌な人生になる。
そうじゃなくて、好きなこととか没頭できることに人生の意義を見出すべき。
生まれてきた意味など無いのだから、自分が人生の意義をどこに見出すかで人間性は決まると思う。”
“ ある作家は、次のような体験を語っています。 子供の頃、私はひどく短気で、そのためにしばしば怒りが昂じて、残酷なことを言ったり、良くないとわかっている事をしたりしました。ある日、私が遊ぴ友達に対して怒りを爆発させてしまい、泣いているその友達を家に送って帰ってくると、父は言いました。 「おまえが怒って、思いやりのないことを言うたびに、門の柱に釘を打ち込むことにしよう。だが、おまえが、忍耐強くいて、親切で優しい言葉を言う度に、一本釘を抜いてやろう」と。 数カ月がたちました。その入り口を通るたびに、釘の
“
ある作家は、次のような体験を語っています。
子供の頃、私はひどく短気で、そのためにしばしば怒りが昂じて、残酷なことを言ったり、良くないとわかっている事をしたりしました。ある日、私が遊ぴ友達に対して怒りを爆発させてしまい、泣いているその友達を家に送って帰ってくると、父は言いました。
「おまえが怒って、思いやりのないことを言うたびに、門の柱に釘を打ち込むことにしよう。だが、おまえが、忍耐強くいて、親切で優しい言葉を言う度に、一本釘を抜いてやろう」と。
数カ月がたちました。その入り口を通るたびに、釘の数がどんどん増えているのが見え、どうしてもその理由を思い出さずにはいられません! そこで私はついに、その釘が抜かれるようにするのはチャレンジになるから、最善を尽くしてやってみようと決めたのでした。
とうとう、待ちに持った日がやってきました。
最後の一本の釘を父が抜いてくれた時、私はそこらへんを飛び回りながら、誇らしげに言いました。
「お父さん、やった、釘が全部なくなった!」
父が穴だらけになった柱をじっと見つめている様子が今も目に浮かびます。父は、思慮深くこう言ったのです。
「ああ、確かに釘は全部なくなった。だが、痕は残っている」
”
世界と私の関係性
“小説を読むことは、他者の生を自らの経験として生きることだ。
見知らぬ土地、会ったこともない人々が、いつしか親しい存在へと変わる。
小説を読むことで世界と私の関係性が変わるのだ。
それは、世界のありようを変えるささやかな、しかし大切な一歩となる。
世界に記憶されることのない小さき人々の尊厳を想い、文学は祈りになる。”
シベリアに住む
“人類がシベリアで暮らせるようになったのは、約3万5000年前に縫い針が発明されて気密性が高い衣服が作れるようになったからです。”
缶詰め 湯煎
“缶詰めは錆防止に内部に簡単に言えば蝋のような薬剤が塗布されています。直接加熱はもちろん駄目ですが、湯煎も熱により中身と薬剤が溶けて混ざります。風味はもちろん落ちますし、体にも悪いので注意書にも有ると思いますが、別容器に移しましょう。”
生涯ログを保存
"何かの事件の容疑者にされてアリバイが証明できなくて困る、
そんな事態に対処するために、生涯ログを保存し、
しかも法律的に有効なものとして提出できるように用意しておくサービスが考えられる。
冤罪はかなり多いと思われるので、案外利用者は多いかもしれない。
会社を作ろうかな。
アリバイ証明でなくても、心理発達の点で、生育の歴史としての記録。
あるいは単に、昔で言うアルバムの替り。"
そんな事態に対処するために、生涯ログを保存し、
しかも法律的に有効なものとして提出できるように用意しておくサービスが考えられる。
冤罪はかなり多いと思われるので、案外利用者は多いかもしれない。
会社を作ろうかな。
アリバイ証明でなくても、心理発達の点で、生育の歴史としての記録。
あるいは単に、昔で言うアルバムの替り。"
百三歳の祖母
"田舎の百三歳の祖母が亡くなった。私は葬式にもいかず挨拶もしなかった。
私は祖母の長男の長男だから役割はあったのだと思うけれども、
考えあって、行かなかった。
祖母の夫は戦争で南方で死んだ。
だから私に靖国に行って拝んで来いという。
また、仏壇に向かって南無大師遍照金剛を繰り返し唱えていた。
だから私に高野山に行って拝んで来いという
弘法大師の真言宗だ
昔は家の格が高かったのでお寺での地位はいまも高いのだが
その分、寄進は高額に定められる
そんなお金も軍人恩給から捻出していたようだ
お寺も軍人恩給も恐るべしである
夢見が悪かったから気をつけろ
カラス鳴きが悪いから気をつけろ
と孫に、繰り返し、ほぼ毎朝どちらかを言っていた"
帰る家
“どこかの誰かが旅をし続けているとして、
「帰る家」を想うことでどこへでも行けるのと、
「帰る家」が無いことでどこへでも行けるというのは、どちらが幸せなのだろうか”
自分を愛する事ができない人
“
自分を愛する事ができない人は、その穴を他人に埋めてもらおうとします。他人はものさしで相手を判断します。だから自分を愛せない人は、他人に愛してもらう為に、他人や世の中のものさしに適応する事に人生を捧げていきます。
もしもその世界から抜け出したければ、ものさしから解放されなければいけません。
”
人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そして、報いを求めぬよう
“「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そして、報いを求めぬよう」”
杉原千畝
わからないことを発見する
“勘違いをしている人が多いように思いますが、知識があるから疑問をもつことができるのです。知識はわかるために必要なのではなく、わからないことを発見するために必要なものです。デザイン思考が重視する観察という方法においては「わかる」ことが重要ではなく、目の前の普段と変わらない光景を「これはなぜここにあるの?」「なぜ、みんな、そんな風にするの?」と好奇心をもった目で見つめなおし、自分自身の物事の見方を変えることこそが重要なのです。見る対象が変わるのを望むのではなく、自分自身が変わるのです。”
自分を低く見積もらないこと
“忘れがちなあなたに代わって、私が、ここにメモをしておく。
- 自分を低く見積もらないこと。
- 自分を卑下しないこと。
- 過去の自分を後悔ばかりして、今に繋がる自分を否定しないこと。
- 終わりを自分で決めつけないこと。
- 悲観で未来を描かないこと。
そ ういった感情が、いかなる幸福をも生み出さないことを、肝に銘じておくように。
何時も、遊び心を忘れないように。
自分をちゃんと褒めるよ うに。
これらは、私からの補足としてのメモ。”
足るを知る
“度を超えた成長は無理を呼びます。日本には「足るを知る」という言葉があります。自分に必要な物を知っていると言う意味です。人間が一人生きて行く為の物質はそんなに多くないはずです。”
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スピーチ全文は次の通り。
初めまして、俳優をしております渡辺謙と申します。
まず、昨年の大震災の折に、多くのサポート、メッセージをいただいたこと、本当にありがとうございます。皆さんからの力を私たちの勇気に変えて前に進んで行こうと思っています。
私はさまざまな作品の「役」を通して、これまでいろんな時代を生きて来ました。日本の1000年前の貴族、500年前の武将、そして数々の侍たち。さらには近代の軍人や一般の町人たちも。その時代にはその時代の価値観があり、人々の生き方も変化してきました。役を作るために日本の歴史を学ぶことで、さまざまなことを知りました。ただ、時にはインカ帝国の最後の皇帝アタワルパと言う役もありましたが…。
その中で、私がもっとも好きな時代が明治です。19世紀末の日本。そう、映画「ラストサムライ」の時代です。260年という長きにわたって国を閉じ、外国との接触を避けて来た日本が、国を開いたころの話です。そのころの日本は貧しかった。封建主義が人々を支配し、民主主義などというものは皆目存在しませんでした。人々は圧政や貧困に苦しみ生きていた。私は教科書でそう教わりました。
しかし、当時日本を訪れた外国の宣教師たちが書いた文章にはこう書いてあります。人々はすべからく貧しく、汚れた着物を着、家もみすぼらしい。しかし皆笑顔が絶えず、子供は楽しく走り回り、老人は皆に見守られながら暮らしている。世界中でこんなに幸福に満ちあふれた国は見たことがないと。
それから日本にはさまざまなことが起こりました。長い戦争の果てに、荒れ果てた焦土から新しい日本を築く時代に移りました。
私は「戦後はもう終わった」と叫ばれていたころ、1959年に農村で、教師の次男坊として産まれました。まだ蒸気機関車が走り、学校の後は山や川で遊ぶ暮らしでした。冬は雪に閉じ込められ、決して豊かな暮らしではなかった気がします。しかし私が俳優と言う仕事を始めたころから、今までの三十年あまり、社会は激変しました。携帯電話、インターネット、本当に子供のころのSF小説のような暮らしが当たり前のようにできるようになりました。物質的な豊かさは飽和状態になって来ました。文明は僕たちの想像をも超えてしまったのです。そして映画は飛び出すようにもなってしまったのです。
そんな時代に、私たちは大地震を経験したのです。それまで美しく多くの幸を恵んでくれた海は、多くの命を飲み込み、生活のすべてを流し去ってしまいました。電気は途絶え、携帯電話やインターネットもつながらず、人は行き場を失いました。そこに何が残っていたか。何も持たない人間でした。しかし人が人を救い、支え、寄り添う行為がありました。それはどんな世代や職業や地位の違いも必要なかったのです。それは私たちが持っていた「絆」という文化だったのです。
「絆」、漢字では半分の糸と書きます。半分の糸がどこかの誰かとつながっているという意味です。困っている人がいれば助ける。おなかがすいている人がいれば分け合う。人として当たり前の行為です。そこにはそれまでの歴史や国境すら存在しませんでした。多くの外国から支援者がやって来てくれました。絆は世界ともつながっていたのです。人と人が運命的で強く、でもさりげなくつながって行く「絆」は、すべてが流されてしまった荒野に残された光だったのです。
いま日本は、少しずつ震災や津波の傷を癒やし、その「絆」を頼りに前進しようともがいています。
国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ。私たちはそうして前へ前へ進み、上を見上げて来ました。しかし度を超えた成長は無理を呼びます。日本には「足るを知る」という言葉があります。自分に必要な物を知っていると言う意味です。人間が一人生きて行く為の物質はそんなに多くないはずです。こんなに電気に頼らなくても人間は生きて行けるはずです。「原子力」という、人間が最後までコントロールできない物質に頼って生きて行く恐怖を味わった今、再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています。
私たちはもっとシンプルでつつましい、新しい「幸福」というものを創造する力があると信じています。がれきの荒野を見た私たちだからこそ、今までと違う「新しい日本」を作りたいと切に願っているのです。今あるものを捨て、今までやって来たことを変えるのは大きな痛みと勇気が必要です。しかし、今やらなければ未来は見えて来ません。心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本を、皆さまにお見せできるよう努力しようと思っています。そしてこの「絆」を世界の皆さまともつないで行きたいと思っています。
“twitterでは各人が自由に独り言を発し、たまに、それが繋がり会話が成立します。現実社会では、類似しているものとして、精神病棟ぐらいしか思いつきません。”
災害
“
下校時刻になって、担任の物理教師がおもむろに話しだした。
「今回の震災で我校の教師や生徒も被災者となり、登校できない人がいます。センター試験が終わり、受験生としての役目を終えた人もいると思います。あなた方の中には、正義感や義侠心に駆られて現地に乗り込む人もいるでしょう。それは間違ったことではありませんが、正直に言えば、あなた方が役に立つことはありません。それでも何かの役に立ちたいという人は、これから言う事をよく聞いてください
まず食料は持って行き、無くなったら帰ってくること。被災地の食料に手を出してはいけません
寝袋・テントを持っていくこと。乾いた床は被災者のものです。あなたがたが寝てはいけません。
作業員として登録したら、仕事の内容がどうであれ拒否してはいけません。集団作業において途中離脱ほど邪魔なものはないからです。
以上の事が守れるのであれば、君たちはなんの技術もありませんが、若く、優秀で力があります。少しでも役に立つことがあるかもしれない。
ただ私としては、今は現地に行かず受験に集中し、大学で専門的な知識や技術を身につけて、10年後20年後の災害を防ぐ人材になって欲しいと思っています。」
言葉の端々は忘れてしまったが、教師が言いたかったことは今でもはっきり憶えている。
”
Self-esteem(自尊心)
“・Self-esteem(自尊心)は、欠点も含めて自分を受け入れて尊重することができるが、Pride(プライド)は、自分に欠点があることを許せない。”
他者を「評価」しない
“いちばん大切なのは、他者を「評価」しない、ということです。評価の言葉とは、縦の関係から出てくる言葉です。もしも横の関係を築けているのなら、もっと素直な感謝や尊敬、喜びの言葉が出てくるでしょう。”
意識をするということ
“
目を瞑って右手を意識しようとした途端、頭の中で右手は私ではなく対象になる。右手と自分の間に意識的に距離を置かないと右手は右手として動かせない。もし距離がなければ右手は私として動き、意識をするという感覚ではなくなる。
意識をするときは、いつも自分とそれの間には距離がある。それは私が視覚優位だからかもしれなくて、つまり何かを見るということに引っ張られているから、意識をするイコールそれを見るということになっているのかもしれない。
意識をしすぎているなと思った時に、”それ”を意識しないようにしようとすることはほとんど役に立たなかった。”それ”を意識をしないようにするということは意識をするということとあまり大差がない。対象を定めている時点でそこには意識が入る。むしろ足の裏の感覚を意識しすぎてそれを忘れられなくなっていた時には、腕を振ることで頭をいっぱいにした。意識をしないために効率が良い手段は、何かを意識してしまって頭を埋めてしまうことである。
意識の置き方が上手な選手は、四肢に、それから外部環境のどこに意識を置くかを自由に選べる。体を一つのものとして意識することも、右手だけを意識して考えることもできる。また意識を上手に扱う上で大事なことは意識することを止めることができるという点だ。上達に意識は重要だと言われて、それは全くそうなのだけれど、いつでも自由に意識しないことができることとセットで機能する。
意識を置いたり、逸らしたりが自由にできる選手には、余裕が生まれる。モテる男子を見ていると余裕がある。それは意識を置くことも置かないこともでき、すくなくとも意識してしまってそれを止められないということがない。だから余裕があり、それがさらにその人をモテさせる。競技も余裕がある選手が相手を翻弄し、余計に相手はヒートアップし、その差は開く。
意識を止められなくなった選手のことを、イップスという。一般社会ではその感覚が赤面症であったり、あがり症のようにして現れるのだと私は考えている。
”
寂しさを埋めるために
寂しさを埋めるために恋人の存在を求めるのとかってそもそも自己を確立できてないし、その状態で関係を築こうとすると共依存になるよね
他人への期待と他人との比較が原因
“他人への期待と他人との比較が原因です。これさえ気をつけて、しないように心がけていればたいがいの悩みは解消します。”
EXILEとAKB48を一緒に飼えば絶滅しない
“ヒトは最低限 オス15個体、メス50個体ぐらいいれば絶滅せずに個体群を維持できるらしい。
これが人類の最小単位。
「 EXILEとAKB48を一緒に飼えば絶滅しない 」と覚えよう。”