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【パリ共同】ロイター通信は31日、東京五輪組織委員会理事を務める広告代理店電通元専務の高橋治之氏が、五輪招致を巡り招致委員会から約9億円相当の資金を受け取り、国際オリンピック委員会(IOC)委員らにロビー活動を行っていたと報じた。

【パリ共同】ロイター通信は31日、東京五輪組織委員会理事を務める広告代理店電通元専務の高橋治之氏が、五輪招致を巡り招致委員会から約9億円相当の資金を受け取り、国際オリンピック委員会(IOC)委員らにロビー活動を行っていたと報じた。

新型コロナ感染爆発に向けての経済対策 もともと東京オリンピックに向けてバブル傾向ではあった。マンション購入者に対してのローン審査もかなり甘く、危険な感じではあった。 ーーー 総力戦で危機に対処しましょうと言っているのに、コロナ疲れだなどと言って出歩いているのは、実にかつての学級崩壊の風景と同じである。現在の学校の先生の苦労が分かるというものだ。 ーーー 国がお金をばらまく方針は、それが命を救うことなのだとの考えだ。 国が助けて当然だとの考え。 財源は心配しないでいい。国の借金は悪い借金ではないそうだし(こ

新型コロナ感染爆発に向けての経済対策
もともと東京オリンピックに向けてバブル傾向ではあった。マンション購入者に対してのローン審査もかなり甘く、危険な感じではあった。
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総力戦で危機に対処しましょうと言っているのに、コロナ疲れだなどと言って出歩いているのは、実にかつての学級崩壊の風景と同じである。現在の学校の先生の苦労が分かるというものだ。
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国がお金をばらまく方針は、それが命を救うことなのだとの考えだ。
国が助けて当然だとの考え。
財源は心配しないでいい。国の借金は悪い借金ではないそうだし(ここ数か月話を聞かなくなった。)。
あるいは事後の増税でもいいのだろう。
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台湾の学校、新型コロナ対策 1.毎朝登校時に学校の正門で検温 額検温で37.5度以上、耳内検温で38度以上あった場合は出席停止。症状によっては即時病院へ。発熱や症状の疑いのある生徒は、休んでも欠席扱いにはならない。 2.教職員は、発熱や呼吸困難など何らかの症状が校内で出た場合、すぐにマスクをし、帰宅まで個室待機 3.645万枚のマスクを、全教育機関に予備用として配布済み (全国の教職員・生徒・学生に対し1人1枚に相当) 台湾ではすでに国民全員に平等にマスクを有料配給する仕組みができており、十分な量とは言え

台湾の学校、新型コロナ対策
1.毎朝登校時に学校の正門で検温
額検温で37.5度以上、耳内検温で38度以上あった場合は出席停止。症状によっては即時病院へ。発熱や症状の疑いのある生徒は、休んでも欠席扱いにはならない。
2.教職員は、発熱や呼吸困難など何らかの症状が校内で出た場合、すぐにマスクをし、帰宅まで個室待機
3.645万枚のマスクを、全教育機関に予備用として配布済み
(全国の教職員・生徒・学生に対し1人1枚に相当)
台湾ではすでに国民全員に平等にマスクを有料配給する仕組みができており、十分な量とは言えないが、マスクを持っていない生徒は原則としていない。
4.アルコール消毒液8.4万トンが、教育機関に配布済み
校門、教室、トイレなどあらゆる所に設置されている。
5.額にかざす非接触式体温計2.5万個を全学校・教育機関に配布済み
6.2月23日までに学校の完全消毒完了
休校中に教職員が総出で、教室内の机や椅子、廊下などの全面消毒を実施。
7.開校中は教室の窓を開け、換気を十分に行う
8.感染者に接触したと思われる場合は、14日間自宅待機とする
9.大型の学校行事や入れ替え授業(複数クラスの交流など)は中止
10.感染者が1人出た場合は学級閉鎖、2人出た場合は学校閉鎖。
11.学校に医師を派遣し、感染予防指導や見回りを行う。

1.軽症感染者の隔離施設を決定して、指定病院の負担を軽くする。大阪モデルなどでも提案され、各所で提言されているのに、なぜ実行しないのだろう。 自宅で静養しなさいというのは家族の負担を考えるとよくないと思う。しかし、食事や生活環境など「慣れた生活」がいいに決まっているので、十分な隔離ができる広い家に住んでいる人は自宅を認容してもよいと思う。 2.消毒用アルコールの増産、医療用マスクの増産などは本気になればすぐにできそうであるが、なぜ実行しないのだろう。 刑務所で作ればいいとの話もある。 消毒用アルコール

1.軽症感染者の隔離施設を決定して、指定病院の負担を軽くする。大阪モデルなどでも提案され、各所で提言されているのに、なぜ実行しないのだろう。
自宅で静養しなさいというのは家族の負担を考えるとよくないと思う。しかし、食事や生活環境など「慣れた生活」がいいに決まっているので、十分な隔離ができる広い家に住んでいる人は自宅を認容してもよいと思う。
2.消毒用アルコールの増産、医療用マスクの増産などは本気になればすぐにできそうであるが、なぜ実行しないのだろう。
刑務所で作ればいいとの話もある。
消毒用アルコールや医療用マスクは今現在必要だし、今後南米、アフリカ、中東など、感染拡大した時に確実に必要になるものだろう。
JTはタバコをやめて消毒用アルコールに転換すれば株価上がるのに。
3.濃厚接触を伴う夜の店とか、パチンコ、雀荘、デリヘル、風俗。この時期にヨーロッパに旅行して帰ってくる卒業旅行の人。マッサージ、整体、理髪、美容。
「厚生労働省対策本部のクラスター対策班から、感染経路が不明な症例のうち、夜間から早朝にかけて営業しているバー、ナイトクラブ、酒場、など、接客を伴う飲食業の場で感染した事例が多発している。こうした場は、感染のリスクが高い“3つの密”より濃厚な形で重なる場であり、出入りを控えるようお願いしたい。特に若者にはカラオケ・ライブハウス、中高年にはバー・ナイトクラブなど接待を伴う飲食店に行くのは当面お控えいただきたい」と訴えるとともに、「4月12日までの間、“3つの密”を避けることをお願いするとともに、夜間の外出、週末の不要不急の外出を控えてほしい」
東京都の小池都知事は30日夜、緊急記者会見を開き、新型コロナウイルスの感染経路が不明のケースについて、バー、ナイトクラブ、酒場など接客を伴う飲食業、“特定業種”の場で感染した事例が3割に上るとして、当面の利用を自粛するよう呼びかけた。
 会見に出席した、国の専門家会議メンバーでもある北大大学院のの西浦博教授は「今回の報告で感染が疑われるケースについては、パチンコや雀荘では今のところ報告がない。性風俗店等に関しても同様で、他の都市では疑われる事例の情報をちらほら受けてはいるが、東京都では報告がない」とコメント。
 また、小池都知事はこれら特定業種への補償について、「国が対策をベースでお決めになると考えているが、都としてどのような上乗せができるのか、しなければならないかを考えていきたい」とコメントしていた。

『エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY』 シーズン1,2 2014年

『エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY』

シーズン1,2 2014年

スピードのある展開で面白い

シナリオはこんな風に書けばいいのかと感じた

2020-3-29日曜日 土曜夜からの雪は日曜午前まで続いた。満開の桜が前景にあり、背景の屋根には雪が積もり、溶け出して軒先から水滴が盛んにこぼれている。 この週末は新型コロナ対策で不要不急の外出の自粛が小池都知事などから発言があった。 安倍首相は「緊急事態宣言の瀬戸際」と答えたようだ。 小池都知事が週末になって急にマスコミに再度露出したのは東京オリンピックが正式に延期になってからだ。東京オリンピック開催と人命が天秤にかけられていたとは思いたくないが、新型コロナでも人は死ぬし、経済危機によって自殺する場合

2020-3-29日曜日
土曜夜からの雪は日曜午前まで続いた。満開の桜が前景にあり、背景の屋根には雪が積もり、溶け出して軒先から水滴が盛んにこぼれている。
この週末は新型コロナ対策で不要不急の外出の自粛が小池都知事などから発言があった。
安倍首相は「緊急事態宣言の瀬戸際」と答えたようだ。
小池都知事が週末になって急にマスコミに再度露出したのは東京オリンピックが正式に延期になってからだ。東京オリンピック開催と人命が天秤にかけられていたとは思いたくないが、新型コロナでも人は死ぬし、経済危機によって自殺する場合もあり、後者のほうが心配で深刻だなどというテレビでのコメントも聞く。
それにしても、感染者数などの統計数字が、東京オリンピックのため、国民の心理操作のため加減されていたとする意見はわかるが、政策担当者としては「本当の数字」が必要なはずで、言われているような現実であれば、政策担当者も本当の数字は掴んでいないということになるのではないだろうか。それはあまりにも愚かな話であるが、しかし、本当の数字を知る方法はあるのかと考えれば、現状ではなかなか難しい感じはする。確実な検査法もないわけだし。諸外国の様子を見て推定しているだけだろう。何という恐ろしいことだろう。
しかも、欧米に比較して死者割合が少ないのはなぜなのか、正確には分かっていない。もうじきイタリア、スペインのようになるという意見と、今までならなかったのだから、これからもならないだろうという意見と。
また、それよりも、医療崩壊をどう防ぐか、これを考えるべきだとの意見。
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25年位前、プリオンの話があって盛り上がった。その後、環境ホルモンの話題などもあった。
プリオンの頃は、柴胡加竜骨牡蛎湯で牛の骨を使っているようだから、私は飲みたくないという人がいた。
環境ホルモンではプラスチックケースはだめ、瓶詰めを食べようという人もいた。
いまはほとんど忘れている。
男性が男性になる仕組み、女性が女性になる仕組みと密接に関わっていると思う。
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新型ウィルスはショッカーで、ヒトの免疫系は仮面ライダーだと考えてみる。
いつでもショッカーが先制攻撃をして、仮面ライダーがそれを鎮圧する。しかしそれだといつの日か、ショッカーは仮面ライダーを倒すだろう。仮面ライダーはショッカーを積極的に攻撃しないからである。
ショッカーの存在が危険であるとわかっているのだから、根こそぎ壊滅させる作戦を立てて実行するのが普通である。いつも受け身で、何かあるたびに一つ一つ対応して倒していくのでは、何かの偶然で仮面ライダーの弱点を攻められるかもしれないからである。
長い年月の間には、最悪のことは必ず起こる。
ショッカーの組織を分析し、資金源を分析・分断し、内部分裂を誘発し、崩壊させるのが仮面ライダーの本当の仕事であって、毎回毎回、手仕事で対応しているのでは、いつの日か、ショッカーは勝利するに決まっている。
その時はウィルスにとってもおいしい寄生相手であるヒトがいなくなってしまうのだから、新しい作戦を考える必要があるが、突然変異はそこまで先を考えているわけではない。
先制攻撃の他には先制防御が考えられるが、完全な免疫系というものが考えられるわけではないので、無理というものだろう。
人間が密集しすぎれば感染症がヒトを減少させる。こういう簡単なことかもしれない。
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心臓病を基礎疾患として持つヒトは死亡率が高いと当初から言われていた。代謝系疾患、糖尿病などが免疫系の活動低下を引き起こすことで感染防御が弱いのはわかるが、心臓病と新型コロナ死亡率がどう関係するのか。新型コロナは心臓の筋肉になにか変化を起こすのではないかとの話はある。
免疫系を活発に維持するためには、睡眠、栄養、ストレスコントロールなど注意が必要。糖質ダイエットなど一時的に中止してもいいかもしれない。
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 安倍晋三内閣総理大臣は3月28日に記者会見し、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)がまん延した場合の緊急事態宣言について、「新規感染者数が都市部を中心に増加し、感染源不明な感染者も増えている。宣言は今の段階ではないが、ギリギリ持ちこたえている、瀬戸際の状況が続いている。強い危機感に基づいて(改正新型インフルエンザ等特別措置法に基づく)対策本部を設置した」と述べ、厳しい状況が続いているとの認識を示して国民に、密閉・密集・密接の「3つの密」を避けることなど警戒の継続を呼びかけた。27日に2020年度予算が成立したが、10日程度の間に補正予算案を国会に提出し、新たな経済対策を実施する考えも示した。
 日本では欧米に比べて感染者数は少ないものの、今日現在現れている数字は2週間前のものであり、また都市部を中心に感染経路の分からない感染者が増えていることから、「感染のつながりが見えなければその背景にどれくらいの規模の感染者がいるか知ることができない。そして、制御できない感染の連鎖が生じれば、どこかで爆発的な感染が発生しかねない」と指摘。欧米の例から試算した数字として、2週間で感染者数が今の30倍以上に跳ね上がり、感染のスピードを抑えながらピークを後ろにずらす戦略が一気に崩れるとして強い危機感を示し、「これがこの感染症の最も恐ろしいところで、私たちは不屈の覚悟で闘い抜かなければならない」と述べた。
 世界的な感染状況に関しては、当初10万人を超えるまでに2カ月かかったが、直近では2日で10万人増えており、連日数百人規模で死者が出ている国もあると説明。重症者に十分な医療を提供できない「医療崩壊」が起きており、日本にとっても「対岸の火事ではない。日本でも短期間に同じ状況になっているかもしれない」と述べた。また、各種の自粛など国民の生活に影響の大きい要請を行っていることについては、欧米で実施されている都市封鎖や強制的な外出禁止など「いっそう不便な強硬措置を回避するため」だとして理解を求めた。
5つめの治療薬候補にフサン
 治療薬やワクチンの開発は「世界の英知を結集して加速していく」と表明。既にアビガンなど4つの薬で観察研究としての投与を開始しており、新型コロナウイルス感染症の治療薬としての正式承認に向け、治験プロセスを開始する考えを示した。レムデシビルについても日米中心の国際共同治験がスタートしており、また5つ目の候補として膵炎治療薬のフサンも観察研究として同意を得た患者に投与できるようにする。これらについての大学や民間企業の動きに対し、「政府が後押しすることにより、あらゆる可能性を追求する」と述べた。
 4月に新学期を始める方針としている学校については、「日々刻々変わっている。そのときどきに合わせて考えなければいけない」として、週明けに専門家会議を開催した上で、変更もあり得るとの考えを示した。その際には「まだ感染者でていない地域もある」として、必ずしも一律の対応とはならない可能性も示唆した。
 日本ではPCR検査の数が少ないからではないかとの疑いが国内外で根強いことや入国制限が遅かったなどとして、「ギリギリ持ちこたえている」との認識の根拠についての質問が出た。安倍首相は、検査数が少ないが死者が多くないことについて、肺炎患者にはCTを撮るが、間質性肺炎の場合にはCOVID-19を疑って必ずPCR検査も行っており、COVID-19による肺炎死亡が増えているわけではない との説明を受けて「納得した」と述べた。
 会見は50分余り行われた。まず首相が約19分間演説し、その後の質疑応答では記者クラブ加盟者のほかに、フリーランスとインターネットメディアが1人ずつ、指名されて質問した。一度首相が咳き込み、口元をハンカチで覆った際には、激しくカメラのフラッシュがたかれた。

飼い主から猫に新型コロナウイルスが感染する事例がベルギーで起きていたことが27日、分かった。

 飼い主から猫に新型コロナウイルスが感染する事例がベルギーで起きていたことが27日、分かった。これまで飼い犬への感染は報告されていたが、飼い猫への感染が確認されたのは世界初。ベルギー当局は「特殊なケース」としているが、感染者はペットと接触することも避けるよう呼びかけている。
 地元メディアによると感染したのは、ベルギー東部リエージュに住む女性の猫。女性に感染の症状が出た1週間後に猫も下痢や嘔吐(おうと)、呼吸困難の症状を示し、便からウイルスを検出したという。猫の体調は現在、快方に向かっている。
 ベルギー当局は「ペットから人間やほかのペットに感染する証拠はなく、人間同士の接触による感染のケースと比べるとそのリスクは無視できる」とする一方、ペットへの感染を防ぐため、「特に自分自身が感染している可能性がある場合はペットとの濃厚接触を避け、自分の顔をなめさせるような行為も控えるべきだ」としている。
 ベルギー当局によると、これまで、ペットが飼い主から感染した例は香港で2件報告があるだけでいずれも犬だという。このケースでは、いずれの犬もコロナウイルスの症状は示さなかったとしている。

ドラマ「エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY」継続して視聴中。現在見ているのはシーズン3。 音楽。バッハ無伴奏チェロ、演奏者分からなかった。比較的新しい人だと思う。弦の張りは強め。だいたい楽譜通り。テンポは最近のもの。 ベートーベン田園、少しだけだったので演奏者不明。 ドラマの性格からして、著作権フリーのもので間に合わせたかもしれない。有名演奏者のものとあまり変わらないし。 絵画。いろいろな部屋が出てきて、そこになかなか素晴らしい絵がある。ニューヨークの金持ちは趣味がいい。と思わせているスタ

ドラマ「エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY」継続して視聴中。現在見ているのはシーズン3。
音楽。バッハ無伴奏チェロ、演奏者分からなかった。比較的新しい人だと思う。弦の張りは強め。だいたい楽譜通り。テンポは最近のもの。
ベートーベン田園、少しだけだったので演奏者不明。
ドラマの性格からして、著作権フリーのもので間に合わせたかもしれない。有名演奏者のものとあまり変わらないし。
絵画。いろいろな部屋が出てきて、そこになかなか素晴らしい絵がある。ニューヨークの金持ちは趣味がいい。と思わせているスタッフがいい。まねして描いてみたい。
それぞれの回によって推理の難易度はあるが、いずれにしても短いので、あまり深くは推理しない。
むしろ、ホームズが素晴らしい推理ですぐに結論を提示し、次の問題を明確にするので、テンポがよくて、分かりやすい。
吹き替えもうまくいっている。翻訳者に技術があるのではないかと思う。
先日まで見ていたミス・マーフィの字幕はあまり品質が良くなかった。
一回ごとの事件の展開と合わせて、固定の出演者のそれぞれの人生の話があり、事件と人生がミックスされて進行する。なかなか面白い。
事件の中には科学の専門知識を応用するものもある。たとえば、新薬開発の話では、脳に作用する新薬で、こういう働きだから、作用する場所はこのあたり、というのがでたらめだった。
精神医学関係では、バルプロ酸が手掛かりになる場面が2回あった。しかし、匂いはしないと思うし、統合失調症と双極性障害の区別の話も、ホームズは一瞬で確定、しかも薬剤のことも含めて推理、していたが、それもでたらめでしょうと思う。学術情報番組ではないのだから、いいようなものだけれども、一応気になった。
鋭すぎる感覚や知性をなだめつつ、現実生活を送る。諦めるものはさっさと諦めて手放す。退屈な日常。過去の未解決事件を掘り返してみるのも一つの趣味。ホームズ。
カウンセリングやグループミーティングの話はずっと出てくる。これは文化の違いだ。日本でもだんだんその方向に向かうだろう。依存者とかPTSDの治療とか。
一面ではワトソンの成長物語にもなっている。

外出自粛についての事情を理解しない人々の意見をインタビュー形式でニュースが紹介する。キャスターは自覚をしっかり持ってと語る。本当にそう思うなら、しっかり自覚して協力しますというインタビューを流すはず。 30年くらい前に小学校の学級崩壊が言われて 解決はなく、そのまま、中学崩壊、高校崩壊。大学崩壊、会社崩壊に至り、現在がある。

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外出自粛についての事情を理解しない人々の意見をインタビュー形式でニュースが紹介する。キャスターは自覚をしっかり持ってと語る。本当にそう思うなら、しっかり自覚して協力しますというインタビューを流すはず。
30年くらい前に小学校の学級崩壊が言われて
解決はなく、そのまま、中学崩壊、高校崩壊。大学崩壊、会社崩壊に至り、現在がある。
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首都圏ではスーパーで買いだめが問題となり、買いだめ自粛の掛け声も聞こえる。 3月26日木曜日21過ぎに近くのスーパーに行った。レジに並ぶとき、1メートル以上離れて並ぶなどということは全くなし。 私の前の客は、50歳くらいの女と55歳くらいの男、身なりからしてかなり裕福そう。女も男も、かごにいっぱいの食料品。女が先に会計して自分のカードで支払った。次に男の会計、肉はトレーで6つとか、チーズ、つくだ煮など。レトルトなどの保存用ではなかった様子。二人して何か少しだけ話していた。なぜ別々のカードで会計するのだろう

首都圏で外出自粛要請が出された土曜日、
ネット速度をテストしてみるとが極端に遅い。
実用的には問題ないけれども。
首都圏ではスーパーで買いだめが問題となり、買いだめ自粛の掛け声も聞こえる。
3月26日木曜日21過ぎに近くのスーパーに行った。レジに並ぶとき、1メートル以上離れて並ぶなどということは全くなし。
私の前の客は、50歳くらいの女と55歳くらいの男、身なりからしてかなり裕福そう。女も男も、かごにいっぱいの食料品。女が先に会計して自分のカードで支払った。次に男の会計、肉はトレーで6つとか、チーズ、つくだ煮など。レトルトなどの保存用ではなかった様子。二人して何か少しだけ話していた。なぜ別々のカードで会計するのだろう。男性はブラックのカードで会計していた。
二人で食べるとすれば、一週間分くらい、家族4人程度とすれば、週末の3日くらい。最初は、このまま車に積んで山の別荘にでも行くのかなと思った。しかし夫婦なら、一括で会計するだろう。夫婦でないとすれば、兄妹なのか。兄妹で、親を見舞いつつ、別荘に行く、そんな感じならありうるが。情を交わす仲とすれば、別々の会計が分からない。
このコロナ状況で恋人同士で山小屋に行くのは、家族がいては無理だろう。二人とも独身とも見えないが独身なのだろうか。あるいは仕事を装って出かけるのか。学会だとか。
秘書を雇っている人だと、忙しいから秘書と仕事をすると言って、妻の冷たい視線を無視して、山小屋に行くということはあるだろう。しかしその場合、支払いは男がするだろう。
それに情を交わすというなら女は35歳くらいでも良いような気がする。
ドラマ「エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY」にすっかりはまってしまい、推理するのだが、観察力が足りないらしい。

帰国者の扱いにしても、いつからとか決めたらみんなその前にあわてて帰ってくるだろ!昨日帰ってきた人は良くて今日からだめっていったい何なんだ。

いつからとか決めたらみんなその前にあわてて帰ってくる。
そういう帰国者をどうするのか。
昨日帰ってきた人は良くて今日からだめって、理屈を全く理解していないものと考えられる。
駆け込みって、だめでしょう。


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 海外からの帰国者や訪日外国人の新型コロナウイルス感染が急増し、23日までに134人に上った。都内でも24日までの8日間の感染者約80人のうち約4分の1を帰国者が占める。入国制限の強化前に米国や欧州から駆け込みで来る人が増え、さらに感染者が増える可能性がある。帰国者や訪日外国人の健康状態が十分に把握されないと、流行拡大につながるおそれがある。
 厚生労働省などによると、8日までは1週間に10人未満だったのが9~15日には35人、16~22日には66人に増えた。23日までに診断のついた134人のうち、中国での滞在歴がある人は11人。一方、最近増えているのはエジプト(24人)、フランス(22人)、スペイン(12人)、英国(9人)、米国やフィリピン(各8人)などだ。アフリカ諸国など感染者の報告が少ない地域の滞在者からも感染者が出ている。そうした感染者からうつった人も64人に上る。
 政府は2月1日に中国湖北省への滞在歴がある人の入国拒否を皮切りに、入国制限の対象を中国や韓国、イラン、エジプト、欧州へと広げてきた。ただし、中国や韓国の一部地域などを除いては、公共交通機関を使わずに自宅やホテルに行き、2週間待機するよう要請するのにとどまっている。法的強制力はないため、スペインから帰国し、成田空港で検査結果が出るまで待機するよう要請された10代女性が公共交通機関を使って沖縄県の自宅に帰り、後に感染が判明した例もあった。
 26日に米国を出発する便から、国籍を問わず入国者への自宅待機の要請が始まる。欧州諸国からの外国人に対しては、近く入国拒否にする見通し。このため行動制限されるのを避けるため、25日前後には多くの人が帰国、入国するとみられる。
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モーツァルト レクイエム 新型コロナ騒ぎの中で気分としてはぴったりの音楽 昔、昭和50年後半くらいに一度モツレクブームがあった その後、映画モーツァルトがヒットしてその中でもレクイエムが注目されたと思う 今回はネットにある音源でも聞いているが、情報として、指揮者が分からないものもある。オーケストラと独唱者一名が分かる程度。ジャケットの名前の一番最初の一名を書いている感じで、音楽配信会社の仕事の中身が分かる。極端に知識のないアルバイトを雇って使っていたとしても、最終成果物を誰かが確認すれば、指揮者がない

モーツァルト レクイエム
新型コロナ騒ぎの中で気分としてはぴったりの音楽
昔、昭和50年後半くらいに一度モツレクブームがあった
その後、映画モーツァルトがヒットしてその中でもレクイエムが注目されたと思う
今回はネットにある音源でも聞いているが、情報として、指揮者が分からないものもある。オーケストラと独唱者一名が分かる程度。ジャケットの名前の一番最初の一名を書いている感じで、音楽配信会社の仕事の中身が分かる。極端に知識のないアルバイトを雇って使っていたとしても、最終成果物を誰かが確認すれば、指揮者がないとまずいだろうとか、録音年が分かったほうがいいとか、差し戻しがありそうなものだが、誰一人、居心地が悪いと感じないのだろうか。どうでもいいということなんだろう。

" 自動車でたとえると 学力試験で見ているのはエンジン部分 ハンドル部分は見ていない だから決まったルートを早く確実に走る人は見つかるが どこに向かって、何のために、ハンドルを切るのかについては、評価が難しい "

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自動車でたとえると

学力試験で見ているのはエンジン部分

ハンドル部分は見ていない

だから決まったルートを早く確実に走る人は見つかるが

どこに向かって、何のために、ハンドルを切るのかについては、評価が難しい

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厚労省クラスター対策班 以前の武漢からの感染者流入(およそ150人と試算)に対して、現在の世界の多くの都市でのロックダウンに伴う在留邦人帰国者の入国が1000人と試算されているため、これらの入国者を起点とするクラスターが形成される可能性が高いと考えられている。

厚労省クラスター対策班
以前の武漢からの感染者流入(およそ150人と試算)に対して、現在の世界の多くの都市でのロックダウンに伴う在留邦人帰国者の入国が1000人と試算されているため、これらの入国者を起点とするクラスターが形成される可能性が高いと考えられている。

花王が示した「布マスクの洗い方」は、マスクに着いたウイルスの不活化(働きを失わせること)を目的としたもの。具体的な方法は以下の通りだ。 まずは標準濃度の洗剤でマスクを10分間浸し漬ける。その後、水1リットルに塩素系漂白剤15ミリリットルを溶かした液の中で、マスクを再び10分間浸漬。浸し終えたら水道水で十分にすすぎ、清潔なタオルに挟んで水分を吸い取る。形を整えて干せば、布マスクの洗濯が終了だ。 洗濯の際の注意点としては、炊事用手袋を使うこと、複数のマスクを一度に洗わないこと、洗濯液の飛沫

  花王が示した「布マスクの洗い方」は、マスクに着いたウイルスの不活化(働きを失わせること)を目的としたもの。具体的な方法は以下の通りだ。
   まずは標準濃度の洗剤でマスクを10分間浸し漬ける。その後、水1リットルに塩素系漂白剤15ミリリットルを溶かした液の中で、マスクを再び10分間浸漬。浸し終えたら水道水で十分にすすぎ、清潔なタオルに挟んで水分を吸い取る。形を整えて干せば、布マスクの洗濯が終了だ。
   洗濯の際の注意点としては、炊事用手袋を使うこと、複数のマスクを一度に洗わないこと、洗濯液の飛沫に触れないよう密閉できる容器で処理すること、洗濯後は十分に手を洗うことなどを挙げている。
   ただ、これはあくまで再利用可能な布マスクの洗い方。使い捨てマスクの再利用に関して同社は「ウイルスをキャッチする性能が低下するため、基本的におすすめしません」としている。
   使い捨てマスクは、洗って再利用できるのか。参考になるのが、全国マスク工業会が2020年3月4日に公開した「マスクの再利用について」という指針だ。同会は花王と同じように「洗って繰り返し使える表記の無いタイプは、洗うと機能が落ちるのでお勧めできません」としている。
   一方で、どうしても再利用したい場合の洗い方も掲載されている。具体的な方法は以下の通りだ。
(1) 中性洗剤で押し洗いをする。もみ洗いはしない
(2) 十分なすすぎをする
(3) 熱に弱い材料が使われているマスクもあることから、型くずれを軽減するために乾燥機は使わず、十分に乾燥させる
   花王が「布マスクの洗い方」で示した漂白剤の使用は、こちらでは勧めていない。また「洗える」という記載のない使い捨てマスクは、洗っても元の機能は有さないとし、
「再利用される場合、あくまでも咳エチケット・濃厚な接触感染や鼻口に直接触れる頻度を少なくする為の使用であることをご理解ください」
   としている。
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ないのだから再利用するしかない
花王のサイトは案外貧しかった

コロナ関係情報

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コロナ関係情報ということで見ていたら


すごいね


こういうのが分かりやすいと出ていた


なるほどねえ。分かりやすく説明するというのも才能だ。


こちらもくっきり


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マスクを作る。

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マスクなんだけど、手作りもできるし、手ぬぐいでもタオルでも、鼻と口を覆って巻けばいいわけで、いろいろと代用はできる。

youtubeにも、また他のサイトにもたくさん。

また、使い捨てタイプのマスクは、内側に手ぬぐいでもガーゼでも小さく切って折りたたんで入れて、洗濯する。外側のマスクは日光にさらして風を当てて、何日かおく。すると、ローテーションで7つあれば安全に使える。


テレビではミシンを使っていた。そこまでしなくても、安全ピンでもいいし、ホッチキスでもいい。

耳に掛ける紐でもいいが、後頭部を一周するようなゴムでもいい。ゴムひもがそこらへんに転がっているわけではないので、後頭部を一周する部分を含めて全部をタオルで作るのがいいと思う。

大きなスカーフならば、頭の後ろで結べばそれでインドの女性のような感じで完成する。

でも、子供は、みんなと同じでないと嫌なんだろうな。親としてはそのあたりを考えてあげないといけない。

機能性だけではなくて、社会性。

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ソフトバンクグループ孫氏は4.5兆円の資産を売却、2兆円で自社株買いと発表

"2020-3-24.
ソフトバンクグループ孫氏は4.5兆円の資産を売却、2兆円で自社株買いと発表。株価は反応してストップ高、2800円から3200円に。政府の対策で日経もNYダウも急速に持ち直しているが、新型コロナ自体は制圧されているわけではなく、当初からの指摘の通り、アメリカ、ヨーロッパに拡大、それも急激である。まだ底が見えない状況で、アメリカはかなり大胆な経済政策を実行、目を見張るものがある。しかし根本原因の新型コロナがどうなるか見えてこないし、経済的な影響も、供給面でも需要面でも、経済活動がストップするわけなので、このタイミングで自社株買いは早すぎるのではないかと思ったが、孫氏としてはまた別の事情もあるらしい。
"

東京オリンピックが中止になったら竹田元会長が辞任したあの事件のお金も返してほしいですね。

2020年3月18日、ニュースは東京都知事の談話を伝えている。
東京オリンピックの中止や延期を決定する可能性はありますかとの質問に対して、
マラソン会場を東京から札幌に変えたのはIOCだ、それを見ても決定権はIOCにあることがわかるだろう、東京としては中止も延期も考えていないとの意味のことを答えたようだ。
一方のIOCは長老格の人が延期したほうがいいかもと観測気球を打ち上げたあとは、予定通りやると東京が言っているのだからやるに決まっているとかの意味のことを言っている。
2020年東京オリンピック誘致にあたっては裏金が動いたとの報道があり、フランス警察で捜査もあり、当時のJOC会長であった竹田氏が会長を辞任している。そのあとで、ゴーン逮捕劇が進行した。
オリンピック関係のお金に関する契約書を調査してみればよいが、表に出ているだけでも、各種スポンサーとか放映権料とかその他あるはずだ。裏の契約書もあるはずで、そこに何が書かれているか。
中止、延期、ボイコット、ドーピングに関する項目等があるはずだ。何の原因で投資を回収できなかった場合、誰の責任になるのか、その金額はどうなるのか、明記してあるはずだ。大雑把に言うと、それが東京なのかIOCなのか。
2020年の場合、まずテロリストの危険が書いてあるだろう。どんな場合、どういう責任が、誰に生じるのか、書いてあるはずだ。警備の内容、事前情報収集の範囲など。
また、日本の場合は、首都直下型地震が強く警告されている。それに伴う津波、原発事故などの場合どう責任を取るのか。また、福島原発の事故の後始末がうまく行かず、IAEAの環境審査基準をクリアできなかった場合も書いてあるだろう。
今回の新型コロナについては、過去にSARS、MARS、新型インフルエンザ、エボラ、その他について経験があるのだから、やはり契約があるのではないだろうか。
というように考えてみると、東京とIOCのチキンレースで、「もうやめよう」といったほうがお金を払うのではないだろうか。そうなると、世界の世論は東京とIOCとどちらを責めるかが問題になる。良心の痛みに耐えきれずにやめようと言ったほうがお金を払う。
IOCとしては、「東京も大人なんだから、警備とか医療状況とか、責任を持って考えるだろう。危険があったら提言してくれ、遠慮はいらない」などという態度だろう。東京としては、IOCが中止を決定するのを待っているはずだ。今まで会場問題などいろいろと文句をつけたじゃないかと根に持っている。
今回、ギリシャでの聖火引き継ぎ式に東京からの首脳陣が行かなかったのは東京にとっては失点、IOCにとっては加点だろう。引き継ぎ式は行った(IOCに責任はない)。東京は行かなかった(東京に責任がある)。東京としては、聖火引き継ぎ式の取りやめを画策したのだろうが失敗したようだ。
チキンレースが長引いて分が悪いのはどうも東京都ではないだろうか。IOCとしては東京は新型コロナの発生率も低いようだし死亡者も少ない、うまく管理しているのだろう、とか持ち上げていればよい。そうなると新型コロナの発生率、死亡率を加減したことのつけを東京が支払うことになる。
東京は発生率が低いから開催準備ができていると、東京はあくまで主張する。それなのに、IOCが怖がって中止にしたとなれば東京としては都合がいいわけだ。スポーツ界で影響力のある人たちがIOCに意見して、その意見をIOCが無視できなくなる状況が東京には望ましい。
このあたりの駆け引きでバッハ会長が負けるはずはないし、いざとなれば、東京の首を絞める取引材料をたくさん知っているだろう。だから多分、違約金とか損害賠償とか東京が支払う。でも、それは個人が出すわけではないから、森会長さんも武藤事務局長さんも何も心配はない。いつものように国債を印刷すればいいだけだ。ただ、裏取引のお金は国債で済ますわけには行かないから難しいわけだ。
東京オリンピックが中止になったら竹田元会長が辞任したあの事件のお金も返してほしいですね。

" > 日本人は3種類の「ん」を発音してるらしいですね。 > 案内の「ん」はn > 感覚の「ん」はng > 音符の「ん」はm > 案内の「ん」は「な」の前にあり、舌を前歯につけながら発音します。 > 感覚の「ん」は「か」の前にあり、のどの奥で発音します。 > 音符の「ん」は「ぷ」の前にあり、唇を閉じながら発音します。 意識したことがなかったが、確かに発声の仕方が違う・・・・。 ーーーーー 日本語の「ん」には6種類の音がある 1.本 のように語末にくるときは舌の付け根で気道を閉鎖する

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> 日本人は3種類の「ん」を発音してるらしいですね。 
> 案内の「ん」はn 
> 感覚の「ん」はng 
> 音符の「ん」はm 

> 案内の「ん」は「な」の前にあり、舌を前歯につけながら発音します。 
> 感覚の「ん」は「か」の前にあり、のどの奥で発音します。 
> 音符の「ん」は「ぷ」の前にあり、唇を閉じながら発音します。


意識したことがなかったが、確かに発声の仕方が違う・・・・。

ーーーーー
日本語の「ん」には6種類の音がある 

1.本 のように語末にくるときは舌の付け根で気道を閉鎖する音 
2.本当、本能、本領 のように[t][d][n][r]の前に来るときは舌の先で閉鎖する英語の[n]に近い音 
3.本物、本邦 のように[m][p][b]の前に来るときは唇で閉鎖する[m]の音 
4.本懐、本郷 のように[k][g]の前に来るときは英語のngに近い音 
5.本位、本割 のように母音や半母音の前に来るときは、気道を閉鎖しない鼻母音 
6.本走、本心 のように[s]の前に来るときは閉鎖しない鼻母音なんだが口の開きが狭い音 

実際に発音してみると違いがわかるよ
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東京オリンピックは絶対にやる ただし、ギリシャで行われる聖火引き継ぎ式は首脳陣は欠席する なんて分かりやすい大本営発表とダブルスタンダードなんだろう いつまでたっても変わらないもの発見

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東京オリンピックは絶対にやる

ただし、ギリシャで行われる聖火引き継ぎ式は首脳陣は欠席する


なんて分かりやすい大本営発表とダブルスタンダードなんだろう

いつまでたっても変わらないもの発見、国の本質


「絶対にできます、やります」と言い続けないと、損害賠償問題が出るとのうわさ

東京は「やります、できます」と言っているのに、皆さんが勝手に辞退した、あるいはIOCが勝手に決定した

との形をとらないといけない

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独自に下げているのはソフトバンクグループ、三井不動産、住友不動産、ファーストリテイリングなど

コロナショックの株価、2020-3-18日、
ETFを20兆円ペースで買いますとの宣言があり、やや持ち直し。
しかし大きく見ると日経17000円に張り付いたまま。ダウは2万ドルをすれすれで維持。
個別で見ると、ETF買いで救済されて少しだけ戻しているものが大半。
その中でNTTドコモやソフトバンクは5Gの関係もあるのかあまり下げず独自の動き
独自に下げているのはソフトバンクグループ、三井不動産、住友不動産、ファーストリテイリングなど。

「佐川さんもかわいそう…」森友事件改ざんで財務省職員自殺 妻が佐川氏と国をきょう提訴 幸せそうな街で幸せではない人  きのう17日のお昼、東京都内のとある駅前。私は赤木昌子さん(仮名)と待ち合わせていた。森友事件で公文書の改ざんを上司に強要され、自ら命を絶った財務省近畿財務局の上席国有財産管理官、赤木俊夫さん(享年54歳)の妻だ。会うなり昌子さんはしみじみと口にした。 「ここって幸せそうな街ですね」  確かに、そこは閑静な住宅街に近く、駅前商店街は家族連れの姿が多い。夫を亡くし、子どももいない昌子さ

「佐川さんもかわいそう…」森友事件改ざんで財務省職員自殺 妻が佐川氏と国をきょう提訴
幸せそうな街で幸せではない人
 きのう17日のお昼、東京都内のとある駅前。私は赤木昌子さん(仮名)と待ち合わせていた。森友事件で公文書の改ざんを上司に強要され、自ら命を絶った財務省近畿財務局の上席国有財産管理官、赤木俊夫さん(享年54歳)の妻だ。会うなり昌子さんはしみじみと口にした。
「ここって幸せそうな街ですね」
 確かに、そこは閑静な住宅街に近く、駅前商店街は家族連れの姿が多い。夫を亡くし、子どももいない昌子さんには辛く感じられるのかもしれない。「そうですね、そういう場所ですね」と答えると彼女は続けた。
「この幸せそうな街に住んでいる佐川さんは、きっともう幸せではないんでしょうね…」
「佐川さんもかわいそう」
 佐川さんとは、元財務省理財局長で元国税庁長官の佐川宣寿氏。昌子さんは夫の死を巡り、佐川氏と国を相手に裁判を起こすつもりだ。その前に、一度佐川さんの自宅を見てみたいと望んだのだ。
 私たちは佐川さんの自宅へと徒歩で向かった。駅から10分余り歩いた住宅街の真ん中にある。前に到着すると、昌子さんはしばらくじっと建物を見つめていた。インターホンを押すでもなく、ただじっと。そして再びぽつりと言った。
「佐川さんもこの家に住むご家族も、もう幸せではないんでしょうね。何だか佐川さんもかわいそう…」
「これから佐川さんを訴えようっていうのに、同情するんですか?」私は思わず言った。「優しいんですね」
「そんなんじゃないんですけど、森友(事件)に巻き込まれた人はみんな不幸になっていますよね」
「それはそうですけど、亡くなった俊夫さんと昌子さんが一番不幸になっているでしょう」
「でも、かわいそうだなあって思っちゃうんです」
 そして踏ん切りをつけたかのように言った。
「うん、来てよかった。もういいです」
佐川氏と国の責任を裁判で問う
 昌子さんはきょう18日、佐川氏と国を相手に賠償を求め大阪地裁に裁判を起こす。夫は森友事件をめぐり公文書を改ざんするよう上司に迫られ、不正に手を染めたことを気に病み、命を絶った。自宅には詳細な「手記」が遺され、その中で「すべて、佐川理財局長(当時)の指示です。」と告発していた。
赤木俊夫さんが務めていた財務省近畿財務局が改ざんの舞台(撮影・相澤冬樹)
 昌子さんは、2年前、夫が亡くなった時のマスコミの取材攻勢が怖かった。今でも怖い。だから提訴後の記者会見は代理人の弁護士にお願いし、自らは出ないつもりだ。代わりに弁護士に、自分のコメントを託す。
 彼女が訴えたいのは、夫が死を選ぶ原因となった改ざんは誰が何のためにやったのか?、改ざんをする原因となった土地の売り払いはどうやって行われたか?、その真実を知りたいということ。そのために、職員が本当のことを話せる環境を財務省と近畿財務局には作ってほしいということ。
「佐川さん、本当の事を話してください」
 そしてそのために、まず佐川氏が話さなければならないと思っている。それが、佐川氏が真の意味で楽になる道だと。
 昌子さんは訴えるつもりだ。
「佐川さん、どうか改ざんの経緯を、本当の事を話してください。よろしくお願いします。」
【執筆・相澤冬樹】

新型コロナで学校臨時休校の件 " 学校を臨時休校にしたら親たちは全員安心するだろうと思ったら、そうではなくて学童保育とか別の民間の預り所、または塾に一日中置いておくらしい。結局、さらに劣悪な環境で過ごすことになりそうだ。 学校によっては教室を開放したり校庭を開放している。教室開放の場合は、教員が付き添ったりしている。結局普通に通学しているのとあまり変わらないけど、どうなんだろう。 上流家庭の子女の場合であれば、休校にしてもらえれば、安全が確保できるから良いことだ。春休みになることでもあるし。一方、下流子女

新型コロナで学校臨時休校の件

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学校を臨時休校にしたら親たちは全員安心するだろうと思ったら、そうではなくて学童保育とか別の民間の預り所、または塾に一日中置いておくらしい。結局、さらに劣悪な環境で過ごすことになりそうだ。

学校によっては教室を開放したり校庭を開放している。教室開放の場合は、教員が付き添ったりしている。結局普通に通学しているのとあまり変わらないけど、どうなんだろう。

上流家庭の子女の場合であれば、休校にしてもらえれば、安全が確保できるから良いことだ。自分だけの部屋、台所、トレイ、風呂があれば、感染の危険は大きく減少する。春休みになることでもあるし。一方、下流子女は通常通り学校に行っていたほうが安全である。

ということは、子女を休ませたい人は休ませて安全を確保してください、出席日数は関係ありません、というだけでよかったはずなのだけれども、それだと、安全を優先して学校を休ませたことによって学業が他の子供よりも遅れると心配したのではないか。だから、全体を休校にして、勉強は進ませない、しかしそのあいだ、スペースとしての学校は使わせる。教員も付き添うということになった。

また、休業が必要になった親に補助金を出すという。しかも最低賃金の換算で。やはり下流子女のための対策ということになる。


このあたりもインセンティブの設定がうまくいっていない。子供を休ませてひとりで過ごしてもらえばお金がもらえるから、休ませて家においておこうと考えるように誘導するのが良策だ。子供を休みにしてくれればそんなお金はいらない人も多い。

みんなを休ませて、あとでお金を配るなど、煩雑で、役人がまた必要になるだけだ。ひょっとすると、配給するお金よりも人件費が大きくなるかもしれない。

儲かるのは役人。


小学一年生が感染の危険を理解して一人で静かに留守番できるかどうかはやはりいろいろな差があるのだろう。


企業でも、優良大企業はマスク配布、アルコール設置、時差出勤、テレワーク(在宅勤務)など粛々と実行している。優良企業でない場合はいろいろと難しい。


格差社会が見えてくる。


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 「正直ほっとした」。新型コロナウイルスの感染拡大対策を巡って佐賀県が16日から学校を再開する方針を示した11日、保護者や関係者からは一様に安堵の声が上がった。唐突な政府要請を契機に学校現場などが混乱した全国一斉休校。感染に対する不安を残しながらも、日常を取り戻す見通しになった。
 武雄市で塾のために出掛けていた小学3年と5年の姉妹は「うれしい。だって暇だったもん」と学校生活に戻るのを喜んだ。中学1年と小学3年の子どもの母親(45)=佐賀市大和町=は「生活リズムも崩れていたので、この状態が長く続けば、子どもたちの発育や健康の面も心配だった」と明かす。
 武雄市で子どもの居場所づくりに関わる小林由枝さん(48)は「子どもたちも相当ストレスがたまっているようだった」と話した。居場所で遊ぶ子どもたちはいつもの半分以下の状況で、「親や社会に不安が広がると子どもも敏感になるのか、かまってほしい様子の子が増えていた。現場の意見を聞き、地域事情にも考慮した再開の判断はいいと思う」と指摘する。
 子どもの世話をした祖父母も多く、杵島郡白石町の女性(68)は「正直言って疲れています。ほっとします」。小学生と同居する同町の祖父(68)は「早く再開した方がいいが、学校で一人でも感染者が出ると拡大する恐れがある」と不安を口にする。
 共働き家庭の子どもを預かる学童保育(放課後児童クラブ)は、感染予防の徹底や受け入れ時間拡大による支援員の確保に腐心しながら受け皿の役割を果たす。県放課後児童クラブ連絡会の石橋裕子理事長は「通常に戻ることで現場にも余裕が生まれ、春休みや新年度に向けて体制を立て直すことができる」とする。
 西松浦郡有田町の小学校長は「子どもたちは春休みモードに入っていただろうから、最初は慣らしの時間が必要になる」と生活のリズムを整えることを念頭に置く。今後は休校中に実施できなかった授業の対応などがあり、「後の学習へのつながりが強い算数の授業を増やすことになるだろう。引き続き休みを取る子どもの学習をどうするかも考えたい」と話す。
 多くの学校で給食も再開される見込み。佐賀市学校給食食肉納入組合の福岡勤理事長は「この2週間、倒産や廃業にならないように、業者同士で互いに辛抱してきた。再開を喜び合いたい」と話した。
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新型コロナウイルスの感染拡大防止のため一斉臨時休校となっているのに、子どもたちがカラオケボックスやファミリーレストランに集まっている――。こんな苦情が熊本市教育委員会に寄せられている。特に重症化の恐れが指摘される高齢者からの苦情が多い一方で、保護者からは「長期に外出させないことでの子どものストレスが心配だ」という声も上がっている。
 12日にあった熊本市総合教育会議のなかで報告された。国の要請に基づく一斉臨時休校の実施にともない、市教委は「24日までの臨時休校期間中の児童生徒は、基本的に自宅で過ごすこと」と指導している。
 市教委教育政策課によると、今月2日から同課内に電話による相談窓口を開設し、臨時休校に対する保護者からの問い合わせなどに応じている。寄せられた相談は11日正午現在で46件。休校中の学習や卒業式などについての内容のほか、「中心市街地、ファミリーレストラン、カラオケボックスなどで児童生徒らしき子どもを多く見かける。一斉臨時休校とした意味の指導を徹底すべきだ」との苦情も多数あったという。
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佐賀県の続報3/14
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<新型コロナ>佐賀県、16日の学校再開見送り 県内感染初確認受け
3/14(土) 13:30配信佐賀新聞
【速報】<新型コロナ>佐賀県、16日の学校再開見送り 県内感染初確認受け
新型コロナウイルスの感染者確認を受け、県立学校の臨時休校を延長することを決めた山口祥義知事ら=14日午後1時15分、佐賀県庁
 佐賀県は14日、県庁で対策本部会議を開き、県立の中学と高校、特別支援学校について16日の学校再開を取りやめ、臨時休校期間を延長することを決定した。
 佐賀県では13日、佐賀市内に住む20代の男子佐賀大学生が新型コロナウイルスに感染していることが確認された。男子学生は2月末から友人の学生4人と韓国経由でフランスを旅行し、3月4日に帰国後、9日から発熱などの症状が続いた。県は、一緒にフランスを訪れた佐賀大の男子学生4人に対し自宅待機を要請、14日にPCR検査を実施している。
 佐賀県は、自宅待機の長期化による子どもたちの心身の健康への影響などを考慮し、週明けの16日から県立学校を再開するとしていたが、県内で初めての感染者が確認されたことを受け、山口祥義知事は13日夜、「大変厳しい状況」として臨時休校を続ける見通しを示していた。
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「安さ」「品質の安定」「工業製品みたいな食べ物」、安すぎて美味すぎる食べ物

美味すぎる食い物には「ウラ」がある 果物にホルモン剤投与で甘みを倍増、切り身魚には旨み調味料を注入
2014年03月31日(月) 週刊現代 :現代ビジネス


「甘い!」「脂がのってる」「濃厚」「口の中でとろける」……グルメ番組で連発される表現の数々。美味しいものを食べるとつい手放しで賞賛してしまうが、その「美味しさ」には、理由があるのをご存じか。

■品種改良では出せない甘さ

酸っぱいみかんと甘いみかん、2種類がスーパーに並んでいたら、誰しもが迷わず甘いみかんに手を伸ばすだろう。

だが、考えてみたことはあるだろうか。みかんって、いつからこんなに甘い果物になったのだろうか、と。

みかんだけではない。いちご、りんご、桃、梨……あらゆる果物で「甘さ」が売りにされ、糖度が表示されたものも増えている。少なくとも20年前には、これほど甘くて美味しい果物は、世に出回っていなかった。これは、品種改良が重ねられた成果でもあるが、じつは、薬品によって人工的に甘さを生み出すことも可能なのだという。

「みかんやオレンジなどの柑橘類は、収穫後2~3週間ほど貯蔵してから出荷します。寝かせることで酸が抜けて糖度が上がるのですが、これだけでは限度がある。柑橘類の糖度を高くするのに、植物生長ホルモン剤が使われていることもあります。これを与えることで、生長を早め、甘さを増す効果があるのです。

また、輸入モノの柑橘類には、酸味を抑えて甘みを出すために、ヒ酸鉛という農薬が使用される。中毒の危険性から日本では使用されなくなりましたが、南米などでは依然として使われているのです」(食品ジャーナリスト・郡司和夫氏)

より甘い果物を求めるあまり、品種改良だけでは補えない部分を薬品に頼るようになっているのだ。

現代の加工食品の多くは、消費者が求める「安さ」を追求するために作り出されてきた。

しかし、消費者は「安さ」だけでは満足しない。「安さ」と同時に「美味しさ」を求める。人の味覚はそれぞれだが、より多くの人が「美味しい」と感じるような味を作り出せないか。もっと言えば、その食品本来の味よりも、わかりやすく、はっきりと感じられる味を作り出すため、あらゆる技術が開発されてきた。

居酒屋や家庭での定番メニュー、ホッケの開きや鮭の塩焼き。口に入れた瞬間、身が柔らかくほぐれ、香ばしい匂いと旨みのある脂がジュワッと口の中に広がる。日本人にはなじみ深いこの味わいは、産地や鮮度と並び、技術によっても生み出すことができる。

「チェーンの居酒屋やスーパーなどで手に入る切り身魚や干物の場合、魚の身に、旨み調味料や大量の脂などが添加されているものが多いのです。剣山のようになった細い針を刺し、その調味液が身に注入される。それによって、脂がのって、身もプリプリ、箸でほぐれやすく旨みのある焼き魚ができ上がるのです」(『ニセモノ食品の正体と見分け方』著者・中川基氏)

調味液とは、食塩水、還元水あめ、でんぷん、リン酸塩、甘味料、pH調整剤、増粘多糖類、化学調味料、酸化防止剤など様々な添加物が調合されたもの。これを注入することで、「本来よりも美味すぎる」魚に生まれ変わる。ホッケや鮭のほか、サバ、サンマ、にしん、タラなど切り身のもの、とくに冷凍で売られているものに、こうした加工が施されていることが多いという。

以前、食材偽装が問題になった際、赤身肉に脂肪分や調味液を加えて霜降り肉に仕上げた加工肉が話題となったが、このインジェクション技術は、魚にも利用されているのである。

■どんな味も化学的に創れる

食品業界には、美味しさを生み出すための「三種の神器」が存在するという。

切り身魚に注入される調味液にも含まれていた「化学調味料」、それに「たんぱく加水分解物」「エキス」の3つだ。

「化学調味料は、グルタミン酸ナトリウムなど化学的に生成された旨みを出すための調味料です。

たんぱく加水分解物とは、大豆の搾りカスやクズ肉などのたんぱく質を、塩酸や酵素などで分解したもの。味に深みを出す効果があります。

チキンエキスやビーフエキスなど、さまざまな種類がある『エキス』は、原料となる食材に化学処理を施して抽出したもの。たとえば鶏なら、死んだ鶏や内臓部分を煮込んで抽出される。これを加えることで、本物らしい風味が出せる。

この3つを組み合わせることで、どんな味でも化学的に美味しく創り上げることができるのです」(前出・郡司氏)

たとえば、市販されているハンバーグなどでも、この三種の神器が巧みに調合され、美味すぎる肉に仕上げられているものがある。

本来、人間は自然に育ったものを美味しいと感じていたはずだが、本物を超える味を求めた結果、日本人の味覚そのものも大きく変化してきている。

「今の日本人は、よりはっきりした味を好むようになったと言われます。甘みやしょっぱさ、脂っこさというのは人間がもともと好きな味ですが、その味に慣れてしまうと繊細な味が物足りなく感じられ、より濃厚なものを求めていく。

最近は、化学調味料などの食品添加物が多く使われている影響で、味覚が劣化してきたとも言えます」(味覚分析などを行うAISSY株式会社社長・鈴木隆一氏)

玄米などに代表される古来の日本食は、じっくり噛むことで甘みや旨みが出てくる繊細な味わいの食べ物が多かった。ところが、添加物で味が演出できるようになると、口に入れた瞬間に食材の味が広がるような、より「わかりやすい味」を「美味しい」と感じるようになってきたのだ。

■味覚は簡単に騙される

そもそも「味覚」とは、甘味、塩味、酸味、苦味、旨味の5つからなる。

「酸味は腐敗、苦味は毒物を感知する危険回避のシグナルとなるため、本能的には拒否反応を示す。一方、甘味は砂糖などのエネルギー源、塩味はミネラル分、旨味は生物に不可欠なアミノ酸を感知するシグナルです」(前出・鈴木氏)

それゆえ、しょっぱさや甘さは、人間が本能的に好む味というわけだ。

何かを食べると、舌にある味蕾という器官でこの5つの味に分解して感知され、電気信号として脳に伝達される。つまり、味というものは科学的に解析することが可能。この仕組みを利用して食品の味を分析することで、理想の味を「三種の神器」のような化学物質を使って再現することができるようになっている。

鈴木氏が続ける。

「長時間煮込まなければ美味しくならないような料理、たとえば牛頬肉のワイン煮でも、成分を分析すれば、人工的に味を再現することは可能だと思います。逆に言えば、人の味覚というのは錯覚を起こしやすいとも言えます」

人間の味覚は騙されやすい。それは、こんな実験でも知ることができる。

ビーフジャーキー、魚肉ソーセージ、ちくわ。この3つの食材を一緒に煮込むと、どんな味が生まれるか、想像がつくだろうか。

正解は、ふぐ。安価な材料から、高級魚のだしもどきができるという。このだしで雑炊を作れば、ふぐちりの締めでしか味わえないふぐ雑炊を超えるほどの味が簡単に出来上がる。

「このふぐのだしもどきで作った雑炊を、材料を明かさずに食べてもらったところ、ほとんどの人が本物だと勘違いします。成分を分析すると、本物のふぐ雑炊とほぼ同じ値が出るからです」(前出・鈴木氏)

ちなみに、ゆで卵の黄身とはちみつで栗の味が、牛乳とたくあんの汁でコーンポタージュの味が再現できるという。これも科学的な分析から本物に近い味のレシピとして考え出されたものだ。

美味すぎる食品を作るためには、「味」だけでなく、もう一つ、欠かせない要素がある。それは「香り」。

生のジャガイモとりんごを、目を閉じて鼻をつまんで食べると同じ物に感じるという。このように、味を感じる際に匂いというものは重要となる。この香りを創る技術も著しい進歩を遂げており、「香料だけでどんな香りも再現できるというのが実情」(前出・郡司氏)だ。

老舗の香料会社、塩野香料の社長・塩野秀作氏は、著書の中でこう述べている。

〈香料に課せられたミッションとは、食品本来の香りを再現すること。さらに、『本物の香りを、本物よりも本物らしく創る』ことなのです〉

たとえば、チキンの香りと一口に言っても、それが茹でたものなのか、炭火焼きなのか、炒めたものか、揚げたものか、など調理法や加熱の具合によっても香りは異なる。こうした微妙な違いも香料で再現することが可能。サイダーなどの発泡感を香りで演出することもできるようになっているという。

「嗅覚には、鼻からすぐに匂いを感じる前鼻腔性嗅覚と、後で口腔から感じる後鼻腔性嗅覚の2種類があります。これを香料で使い分けることもできます。

たとえばラーメンのスープなどは、飲み込んだあとに感じる香りが病みつきになる要素の一つ。人工的にこの香りを作るには、溶けるまでに少し時間がかかるカプセルを使って、香りを残留させるテクニックを使ったりする。また、ノンアルコールの飲料をお酒に似せるのも、後鼻腔性嗅覚をどう刺激するかがポイントになってきます」(食品メーカー関係者)

より美味しく感じさせるために、こんな商品にも香料の力が使われている。最近人気が広がっている、フルーティーな香りでのどごしがさわやかな日本酒。米、米麹、水だけを原料に作ると、どうやっても「フルーティーさ」を出すことは難しいというのだが、どうしてこんなに飲みやすく、美味しい酒ができるのか。

「じつは、香料が使われているのです。日本酒には、酒税法によって香料を添加することが禁じられているのですが、裏技がある。

香りを出す酵母が香料として添加されており、これを使えば原材料に『香料』と表記する必要はなく、違法にもなりません。自然な製法のように感じますが、化学薬品で人為的に突然変異を起こさせた酵母です」(前出・郡司氏)

■技術はどんどん「進化」する

そのほか、身近なところでは、卵焼きや卵サンドの中身など、卵の加工食品にも「卵の匂いがする香料」が使われているケースがほとんどで、外食産業で使われている肉にも、香料が使われているものが多い。もはや、香料が使われていない加工食品のほうが少ないといっていいほどだ。

味と香りはかなりのレベルで、人工的に美味しさを創れるようになっている。さらに、視覚で美味しさを表現するために、こんな技術もあるという。

「濃厚さを、見た目でも演出するために一番よく使われるのは、カラメル色素です。ハンバーグのソースなど、簡単に色を濃くすることができる」(前出・郡司氏)

濃厚さは味だけでなく、見た目も関わってくる。濃い色に、食欲をそそる効果が見られるのだ。また、色素にはこんな添加物もある。

「美味しそうに焦げ目がつくチーズは、キシロースという糖類の添加物で色づけされています。本来チーズは白っぽいものなのですが、黄色くして、焼き目もつきやすくするために添加物が使われる。ちくわなどの焼き目をつけるのにも、このキシロースが使われています」(鈴鹿医療科学大学薬学部客員教授・中村幹雄氏)

味、香り、見た目。本来、自然な製法で作られる食べ物は、ばらつきがあって当たり前だった。これが、今ではばらつきがあるほうが不自然に感じてしまうようになっている。今日の魚はちょっと脂のノリが悪い、この肉は少し硬い、という違いを感じてこそ、本当に美味しい食材に出会った時の喜びも大きい。

しかし、我々はそうした喜びを放棄してまで、「安さ」や「品質の安定」を求めてきた。その結果、「工業製品みたいな食べ物」が食卓に溢れ返る事態を招いたのである。安すぎて美味すぎる食べ物には何か「ウラ」がある、と疑ってみたほうがいい。

「週刊現代」2014年3月21日

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以上真偽の程は定かではないがもう年寄りの私には安くて旨いもので充分である。
子供には食べさせたくないが。




良心的に生きる人を支える仕組みを作れないか

組織のしがらみの中では良心的に生きたいと思ってもできないことがある
現実を行きてゆくには生活費も必要であるし
歳相応の地位もない人生を想像すると良心的に生きることを諦めてしまうかもしれない

自らの良心に従いたいと思った時、経済的問題や社会的地位の問題を気にしないで
実行できるのは、もともとの資産家だけであろう
そうでない人の場合はどうしても決心が鈍るだろう

そのような場合、自らの良心に従い、事を明るみに出して組織を去るという場合、
その後の人生で、そのことをしなかった場合と同等程度の待遇が保証される社会であったなら
本当は理想的だと思うのである

東電問題や冤罪問題などで、内部の人間は情報を一番たくさん握っているわけだから
自らの良心にしたがって判断したいという人はいるだろうと思う
せっかくのその良い志を生かせないものかと思う

現実にどのような仕組みを作ればよいのかと考えれば
簡単ではないが

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たとえば天下りの仕組みは、入省年次によってだいたいの収入と職権が決まっているわけで、
本省に席がなくなったら、ほぼ似た程度の処遇になるような席を用意するということだろう

そんな感じの、別の道だけれども、あまり損をしたとも思わないですむような処遇がないものだろうか

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たとえばこれまでは理由があって存在していたが今後はむしろ存在しないほうが世の中のために良いというような組織の場合
税金で給料は全額出して、仕事はなにもしないでも給料分は保証されることにする
何か仕事をして収入があったら、その分は支給額から差し引く
そんなふうにしたほうがいいのではないか
という話も出るような、税金またはそれに類する収入で維持されている組織もあると言われている

東京オリンピックを中止するかどうか 株価が下がっているのに損切りができない株主と同じ

東京オリンピックを中止するかどうか
株価が下がっているのに損切りができない株主と同じ
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不動産価格は下落開始
固定資産税安くなってほしい
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新型コロナでPCR検査を実施しろとWHOは呼びかけた
加藤厚生労働大臣は「世界に向けていったもので日本についていったものではない」とか答弁
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検査しても確実にシロとかクロとか認定はできないのだから
とりあえずは灰色と考えて慎重に行動するしかない
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五輪開催について、「いつまでに決定するのか」と質問されて、「あくまで開催する方針であって、中止については考えていない」と武藤事務局長
日本だけ安全になってもどうしようもない
世界から参加するのだから
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日本でまだ新型コロナ患者が発生していない地域がある
これはどういうことなんだろう
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高齢者施設は困惑

北中淳子「うつの医療人類学」(3)第2章「気のやまい」 第3章「「神経衰弱」盛衰史」  第2章「気のやまい」  日本では西欧精神医学の渡来とともにうつ病が登場したといわれる。それ以前には、西欧と違い、憂鬱感は「自然なこと」として、むしろそこにある種の美意識が日本にあったからというような説明がされる。しかし北中氏は前近代の日本では本当に「鬱」は医療の対象にならなかったのだろうかという疑問を提示する。  伝統医学での「鬱症」は現代のうつ病とは異なるのか? それを考えるためには、前近代の「気」概念を検討する必

採録
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北中淳子「うつの医療人類学」(3)第2章「気のやまい」 第3章「「神経衰弱」盛衰史」

 第2章「気のやまい」
 日本では西欧精神医学の渡来とともにうつ病が登場したといわれる。それ以前には、西欧と違い、憂鬱感は「自然なこと」として、むしろそこにある種の美意識が日本にあったからというような説明がされる。しかし北中氏は前近代の日本では本当に「鬱」は医療の対象にならなかったのだろうかという疑問を提示する。
 伝統医学での「鬱症」は現代のうつ病とは異なるのか? それを考えるためには、前近代の「気」概念を検討する必要がある。伝統医療では気は天地宇宙さらには人体をみたすエネルギーを指し、それはこころの動きと密接に関係するとされた。それが鬱滞すると「気鬱」が生じるとされた。だが、それは次第に中国での本来の「気」の概念を離れて、江戸期には「こころ」の比喩的な表現に近づいた。本来体の中を流れるものであった「気」は次第に身体から離れ、「気のせい」といった表現が普通になっていった。
 そこに西洋医学がはいってきた。当時の西欧は体液病理学が主流であったので、メランコリアの原因も黒胆液の鬱滞によるとされていた。すなわち心身一元論であったが、還元的思考への移行期でもあった。当時の日本人は神経の概念をもたず、脳も重要な臓器とは思っていなかった。明治にはいり、呉秀三が1901年にクレペリン流のドイツ神経学的精神医学を紹介したことが日本も近代的な身体観に移行していく。クレペリンの躁鬱病概念からうつ病も本態は躁鬱病であるとされ、旧来からの「鬱症」や「気鬱」の概念は忘れられていった。そのため「鬱病」は限定的な「脳病」であり、特殊で危険な病気と思われるようになった。したがって「鬱病」の診断は社会的な死をも意味しかねなかった。その一方、「不定愁訴」のようなものは西洋由来の精神医学の体系からはこぼれていった。
 1990年代以降のうつ病の隆盛によりそれに大きな変化が生まれている。「心ー体ー社会」をつなげる医学言語としての「うつ病」が誕生してきたのではないかと著者はいう。その起源としては一世紀前の「神経衰弱」をみていく必要がある。
 第3章「「神経衰弱」盛衰史」
 1990年意向、うつ病をめぐる言説の変化の原因としては、二つが考えられる。1)SSRIなどの新世代の抗うつ剤の登場。2)この病いを「個人の弱さ」によるものではなく、「社会的ストレスの産物」すなわち「過労の病」とする言説の台頭。後者の背景には「うつ親和性性格」という言説がある。「まじめで、几帳面で、他者配慮的」な性格のひとが長引く不況のなか、まじめな人が、そのまじめさゆえに陥る「過労の病」がうつ病であるとする見方である。
 精神医学の領域では鬱病は躁鬱病に吸収されていくなかで、従来の「気鬱」は「神経衰弱」という病名?となっていった可能性がある。
 「神経衰弱」は1868年にアメリカの精神科医によって提唱された病名である。日本でも「複雑化する近代化社会がもたらす文明の病」「過労の病」として紹介された。これは現代のうつ病概念に近い。「中年の働き盛りの人」のなりやすいものとされ、当時の知識人や一般労働者の休職の理由として広く用いられた。中国や日本の伝統医学では「神経」という概念自体が存在していなかった。一般に日本でその概念がしられるようになるのは1880年代以降とされる。
 しかし、神経衰弱については精神科医は懐疑的にみるものが多かった。それは過労によるものではなく、もともと脳に弱点を持つものがかかるのだという批判である。心因論・状況論への根本的な懐疑であり、真因は生物学的異常であり、心労は誘因にすぎないとした。しかし病理解剖学的な検索では脳に異常は発見できなかった。
 一方、西欧ではフロイトの「神経症」概念の登場によって、神経衰弱は心理的な病になっていった。そういうなかで「神経衰弱」は「生存競争場面における劣敗者の示す反応」とい見方が日本でも強くなり、「神経衰弱は病気ではなくそうした人間なのである」というようなことがいわれるようになる。
 そういう潮流のなかで、正統的な医学のなかでは「神経衰弱」患者は相手にされなくなっていったが、そういう「見捨てられた」ひとびとを相手にしたのが森田正馬による「森田療法」であった。それが対象としたのは「神経質」で、それは遺伝的器質的なものではなく「自己内省的で理知的」であるという一種の気質であるとされた。
 しかし日本が戦争体制にはいっていくと神経衰弱患者は激減していく。
 神経衰弱が人格の問題であるとされ実態をなくしていった時期である1932年に下田光造が、一見神経衰弱のように見えるが、「模範人」が陥る神経疾患を報告した。「何事にも徹底的で、いい加減ということができない、やり始めた仕事は徹夜してもやりぬく、正直で几帳面で、正確で、義務心責任感が強い」性格(執着気質)を持つものがなる。これは躁状態になることはなく、重大な心身の過労により発症する。この下田説は日本が戦争に突入していくなかで忘れられてしまったが、戦後ドイツの人間学的精神医学の思想が紹介されたことで再発見された。その代表がテレンバッハの「メランコリー親和型性格」である。社会精神医学的見方の台頭である。
 
 こういう話をみてくると精神医学というのはなんともいい加減なものだなあと思う。もちろん身体医学だって誉められたものではないのかもしれないが、これに比べれば少しはましなようにも思う。だからこそ多くの医者が「器質的疾患」という概念にしがみつく。「器質的疾患」というのは身体側に目に見える何らかの変化が観察できる病気のことを指す。精神医学領域の病気では脳に器質的な変化はまだ発見されていないと理解している。うつ病のセレトニン不足説は仮に病理形態学的な変化を脳にみつけることができないとしても、セレトニンを増加させる薬を投与することによってうつ病が改善するとしたら、うつ病は脳の神経伝達物質の不足によっておきるとする仮説を支持することになり、広い意味での「器質的疾患」としてうつ病をあつかえることになる。そうなると医者は安心できることになる。
 結核症は結核菌がおこす。と同時に結核は貧困の産物でもある。抗結核剤の発見以前から経済状態の改善により、すでに結核は減少しはじめている。精神疾患の社会精神医学的見方の台頭というのは、結核とのアナロジーでいえば、結核の貧困起因説である。これは公衆衛生の分野では従来からある争点で、コッホと対立したペッテンコーフェルのコレラの原因はコレラ菌だけではないとする説までさかのぼれるはずである。事実下水道の整備でコレラの発症は激減した。過酷な労働環境を改善することはうつを減らす可能性がある。問題は、目の前にいる結核の患者さんの病因が貧困であるといわれると多くの医者は非常に居心地が悪いということである。医者はやはり結核の原因は結核菌だと思っており、その治療は抗結核薬だと信じていて、貧困の改善(栄養状態の改善)だとは思っていないのである。しかし抗結核薬が発見される以前には結核の治療は清浄な空気と滋養強壮であったわけある。魔法の弾丸(抗生物質)の発見以来、病気は治せるものと思われるようになったことがわれわれの疾病観を変えた。その中で、社会精神医学的見方が色濃くある精神医学の領域は、器質的疾患を信じる医者からみると百年くらい遅れているように見えるのではないかと思う。そして「脳派」の精神科医は、もしも簡単にうつ病が治せる薬がでてきたら、社会精神医学などというのはどこかに飛んでいってしまうぞと思っているのではないだろうか?
 本書の記載をみても、わたくしが医者になった1970年代はじめは精神疾患への見方が今とは随分と異なっていたことがわかる。
 「メランコリー好発型性格」というのをはじめて知ったのは笠原嘉氏の「精神科医のノート」によってであったと思う。1976年刊行であるが、わたくしが持っているのは1979年の6刷だから、医者になって5~6年してである。何で読んだのかは覚えていないが、そのころ心身症のようなものに興味をもっていたので、そのためだろうと思う。この本を読んで、精神科というのも面白い分野かもしれないと思ったのを記憶している。学生時代に習った精神医学は今から思うと60年代の精神医学だったわけで、さっぱり関心が持てなかった。
 今「精神科医のノート」の「メランコリー好発型性格」の章を読んで、テレンバッハがこの性格のものにうつが多いという論を発表したのが1961年であることを知った。この本が書かれるわずか15年くらい前であるので、不真面目な学生で授業には録にでていなかったが、授業では一つの定説としてはまだ教えてはいなかった可能性が高いように思う。どうも下田の「執着型気質」はテレンバッハの説により再発見されたらしい。
 笠原氏によれば、この「メランコリー親和型」性格の説が日本に入っていたのは昭和30年代であり、その時代というのは、精神科の外来に患者が急増し、その多くがうつ病であった時代なのだという。それも軽症の単相性の内因性のうつ病であった、と。ノイローゼという言葉が憂うつ症におきかわっていったのだという。
 復興期や成長期にある社会や伝統志向の強い体制社会ではメランコリー親和型の性格が多くつくられ、かつ社会の中で大きな役割を果たすが、価値が多様化し、権威の所在が不明確な時代になると、この性格からうつが発症しやすくなるのかもしれないと笠原氏は述べている。この性格は過渡期のものであり、良心の源泉としての父なる神が死滅していく中間段階に特有なものであると中井久夫氏が言っているのだという。日本とドイツにそれが多くみられるのはそのためであろう、と。
 「精神科医のノート」には「スチューデント・アパシー」の章があるが、ここで描かれているスチューデント・アパシーの像は最近問題になっているいわゆる「新型うつ」の像ときわめて近いものがある。笠原氏は「メランコリー親和型のうつ」はまもなく終わり、その後にくるのはアパシーのようなものであるのではないかと予想していた。現在、従来型の「メランコリー親和型」のうつが減り、代わりにいわゆる「新型うつ」が増えてきているのは笠原氏の予言が的中しているのかもしれない。
 笠原氏は「メランコリー親和型のうつ」も「アパシー」もともにその根底にあるのは「強迫性心性」なのであるとしていて、それらへの本当の対策は現代の「強迫性心性」を生産する構造への対処にあるのではないかとしている。
 笠原氏によれば、強迫性心性とは「人生に不可避的につきまとう不確実性、予測不可能性、曖昧性を極小にすべく、人間がつくりあげる心理的防御機制なのだという。そのために単純で明確な生活信条と様式を設定して、それにより整然たる世界を構築できると考えて空想的万能感を抱き、不確実性の高い生活領域へは参加せず、生活圏を狭隘化していく。単純な二分法で世界をみて、曖昧な中間領域の存在を許さないのだ、と。
 こういう話は養老孟司氏の「都市化」「脳化」「こうすればああなる信仰」といった話にも繋がってくるように思う。あるいは「科学的思考」「理科的思考」の問題点ということかもしれない。そのように考えれば、うつ病というものを明確な生物学的物質的背景から定義できないと不安という心情もまた強迫的心性なのかもしれない。
 人生一寸先は闇と思うような心情とそれは真っ向から対立するものなのであろう。医者がこういうことを言ってはいけないのだが、健康診断の些細な異常に一喜一憂しているひとをみると、強迫的だなあ、健康に悪いぞと思ってしまう。
 笠原氏の本には「二重の見当識」という章があって、精神医学というのは対象へのアプローチの仕方が複眼的ということを言っている。生物学系の学問でありながら、自然科学的方法論のみならず、人文科学系の方法論にも強い関心を持たざるをえないのだ、と。また時には、病人の側の論理や利害と一般社会通念の側の論理と利害との中間に立たなくてはいけないこともあると。分析的理性的部分認識よりも総合的直感的全体認識が求められることも多い、と。そのように両棲類的であるが、これは決して楽ではなく、明快な自然科学的論理だけで通用する分野にも憧れはある、と。
 何だか笠原氏の本のことばかり論じているが、北中氏には総合的直感的全体認識への強い共感があることを感じる。文化人類学はもともと西欧を相対化することを目指した学問であるはずで、そうであるなら科学という西欧の学からみると見えないものを発見していくのがその学の目指す方向だと思う。その立場からみると精神医学はきわめて興味深い分野であるはずで、生物学的に筋を通そうとするとすぐに無理がでてくる分野であるので、西欧が得意とする分析的理性的部分認識では見えないものがたくさんあることを示す場としては格好である。
 心と身体、個人と社会、正気と狂気を等分に見やる中点的位置を保つことが精神医学では求められており、そこに精神医学の魅力と矜持があると笠原氏はいう。笠原氏は精神医学の分野でも決して主流にいた人ではないかもしれないが、部外者からみると生物学的精神医学というのは魅力的には見えない。笠原氏のような立場が魅力的に見える。しかしそれは書斎からみればということであって、現場の修羅場においてはなかなかそうも言っていられないところがあるのだろうと思う。北中氏は現場にも入っているひとなので、総合的直感的全体認識への共感と現場での現実とで揺れ動いているところもあるようにも感じる。それが精神分析的なものにかなり距離をおいていたり、リワークなどへ共感したりしている部分にあらわれているように感じる。
 ということで次は第4章「「精神療法」と歴史的感受性」をみていく。

北中淳子「うつの医療人類学」(4)第4章「「精神療法」と歴史的感受性」

 20世紀北米では精神分析がさかんで、うつ病の治療も精神分析によるものが主流であった。身体は精神によってコントロールされるべきと考えられてきた。しかし1993年長年抑鬱になやみ精神療法で改善していなかった人々がプロザック(SSRI)をのむことで一気に元気になり、性格も明るくなったという報告が発表されてから風向きが変わった。「心理学的人間」から「神経化学的自己」への転換がおきた。
 精神療法家からは、うつの薬物療法はうつの原因となっている生き方の問題を見逃してしまうことになるという批判がでた。
 著者の北中氏が北米での精神医学のフィールド調査をおえて2000年に日本に帰ったとき、北米でのバイオロジー派対精神療法という対立が必ずしも日本ではみられないことに驚いたという。日本では日々の診療においては北米ではバイオロジカルと呼ばれるようなアプローチを多くの臨床家がとり、精神分析に造詣が深い医師であっても、うつ病患者への精神療法についてはきわめて慎重で、「うつ病患者には、心理的洞察を求める精神分析は「禁忌」である」という医師さえいたのだという。
 その原因としては、1)日本では一般に精神療法が不人気であること、2)日本の診療報酬体系では時間のかかる精神分析などを臨床の場でおこなうことがきわめて困難であること、などがあげられているが、それだけとは思えないと北中氏はいう。
 日本ではうつ病はバイオロジカルな病気であると考えられており、薬物療法が第一選択であり、うつ病は本来まじめで勤勉な人々がなるのだから、そのもとの状態に戻すことが治療の目的であり、患者の語りについては耳をかたむけることはしても、それに深く切り込むことはせず、身体治療を優先すべきとされてのだ、と。
 うつ病を個人の文脈におさめ、「まじめ」で「周りに気をつかう」ひとがなる病気という社会的状況を強調することにより、それ以上の“原因”検索を避ける方向が治療のいきかたとなっていた。
 これは病者を自責感と道徳的責任から解放させるという近代医学の得意とする方向を可能とする。日本の精神科医は北米の医師はあまりおこなわないようなソーシャル・ワーカー的な介入、職場や家族面での調整を積極的におこなう。心理的側面は難治の場合、再発をくりかえす場合にはじめて考慮されるようになる。薬物での治療に抵抗があり、セラピーで治したいという患者もいるが、精神科医は内因性のうつ病が、誤った精神療法的介入によって「神経症化」していく危険性に敏感である。
 それまで電撃療法や持続睡眠療法が用いられていたうつ病治療は、1960年代以降、一気に抗うつ剤とトランキライザーの併用へと変わっていく。しかし、再発や遷延化もまた問題となってきた。抗うつ剤の開発によっておきた当初の楽観主義はゆらぎ、反精神医学の動きや、ドイツなどを中心とする実存的・現象学的精神病理学にも触発され、うつ病論は大きく変化し、内因対心因という二項対立から状況因という概念が中心となってきた。
 産業の合理化と機械化によってもたらされた危機と、それに対するこころの反乱がさかんに論じられ、1960年代には、うつ病論は一種の疎外論となって社会批判の意味ももちはじめた。「かつて勤勉・努力・節約などが美徳とされた時代には、きちょうめんにまじめに仕事にうちこんできたが、消費・レジャーが美徳とされる自体になって、みずからの生き方を見失い、慢性化したうつ病に落ち込んでいく中年のサラリーマン」「昔なら孫の養育に生きがいを見いだせたはずなのに、核家族化の進行で、子どもたちの成人後は生きる目的が得られず、うつ病になった老夫人」・・・。うつ病が「自分がいかに生きるべきかの迷い、あるいは生きがいを見いだせなくなった状況」からの病として語られるようになった。その結晶が1975年に発表された笠原・木村分類であった。こういう伝統があったことにより、DMS台頭後も、日本のうつ病論がある種の独自性と臨床的な豊かさを維持できた理由であろうと北中氏はしている。
 ある精神科医は、自分が精神療法的かかわりを始めた当初はかえって治療が難航する例が多かったことを述べ、患者の内面に関心を持ちすぎたことがその原因であったと述べ、あまり患者の葛藤を治療の場にださず、それに蓋をすることが治療の要になるといっている。
 それで例えば、笠原の「小精神療法」などが提唱されてくる。患者がいかにも精神療法の対象になりそうなことを語っても、あえてそこに介入しないことこそが「逆説的だが、精神療法的である」と知ることがこの時代のあらたな臨床哲学となっていった。「精神分析は、こころの外科手術にも似て、一介の臨床医が安易に試みるべきではないもの」とされた。
 あえて「精神」の領域には踏み込まず、不眠といった「身体」の症状からアプローチするやり方は、伝統的心身一元論とも共鳴する日本のローカル・サイエンスにも合致していて、北米風の「うつは感情の病」とする見方とは異なる、「心身エネルギーの低下」に着目する「生理学的」見方の伝統に沿ったものだったのかもしれない。
 日本のうつ病臨床を独自なものとしているメランコリー親和型の言説は、個人の性格論と社会的生活論の二つの側面を持つので、個人が過剰な心理的洞察の深みにはまることを防ぐ役割を果たしてきた。そこでは患者が自ら変わるという側面は重視されない。最近の認知行動療法などの隆盛はそれへの批判としてでてきた可能性がある。
 
 ウッディ・アレンの映画などをみているとアメリカのインテリはみんな精神分析を受けているような気がする。一方、日本ではまわりをみても精神分析を受けているひとなどいない。そうではあるが、精神分析といった大げさなものではなく、カウンセリングのようなものへの期待は大きいのではないかと思う。患者さんを精神科に紹介すると、行ってもろくに話もきいてくれなかったという不満を表明するかたが多い。精神科というところは、患者さんの話をきいて、そこからその人の生き方の問題点を指摘してくれて、今後どのような生き方をするかをアドバイスしてくれるところと思っているかたが多い。したがって、ちょっと話をきいただけで、じゅあお薬で様子をみましょうなどといわれると非常な不満を感じるらしい。
 日本には精神分析医は多くないがカウンセラーの数は多い。それが日本の精神科医療に果たしている役割はどのようなものなのだろう? 精神科医はカウンセラーにあまり好意的でないひとが多いように感じる。精神科医は薬物療法ができるが、医者ではないカウンセラーはそれができないので、もっている武器は心理療法だけである。「患者がいかにも精神療法の対象になりそうなことを語っても、あえてそこに介入しないことこそが「逆説的だが、精神療法的である」と知ることがこの時代のあらたな臨床哲学となっていった」のが日本の精神医療の動向であったとすると、その立場は微妙である。
 精神科医は自分たちがあえて近づかず、蓋をしている患者さんの「こころ」の問題に、カウンセラーがそれをこじあけて近づき、結果として問題をこじらせてしまうことが多いと感じているように思う。しかも善意で熱心なカウンセラーほどそうなりやすいとも。
 河合隼雄さんの本などを読んでいると、面談の場でしていることはクライアントの話をきいているだけのように感じる。「ほう」とか「難儀ですなあ」とかだけいっている。おそらく介入しなくてはならないクリティカルな場面というのは滅多になくて、それ以外の場では何も指示などしない。これは名人芸であって、誰にでもできることではない。
 名人芸を必要とする点で心理療法というのはまだ非常に多くの問題点を抱えているのだろうと思う。神田橋條治氏は「精神科の臨床をやるなら、「ほう」という相づちにも8種類(だったように記憶している)の別々のニュアンスを込めた音調の使い分けができなければいけない」といっているのだそうである。そのくらいのこともできずに、「こころの外科手術」をすることなどは危険なだけで、「生療法は怪我の元」なのである。神田橋氏は精神療法の達人なのだそうである。
 などと偉そうに書いているが、ひとのことはいえない。若いころ何度も大火傷をしている。大学を出て市中の病院で働きはじめたころ、大学では肝臓の勉強をしていたが、今と異なり、そのころの肝臓病の臨床は診断はできても治療法があまりない時代であったので、外の病院にでたら治せる病気をみたいななどと考えた。治せる病気というのは、病気ではないが病気であると患者さんが思っている病気なのである。若気のいたりであった。どういうわけか、そとの病院にでたとたんに自分の生涯でも最重量級の患者さんに立て続けに遭遇した。今から見ると広義のヒステリーに属するかと思われる症例ばかりで、みな女性である。笠原嘉氏の本にもあったが最近は本当にヒステリーが減った。この数年、まったく見ていない。
 一例が、種々症状があるが器質的な変化がまったくない女性で、自然科学畑の女性研究者で女性であるがゆえにいかに学者社会で差別を受けてきたか、それに自分がいかに傷ついてきたかというようなことを縷々訴える。器質性の原因が一つも見つからないので、こういう話をきくとああこれだ!と思ってしまうわけである。別に精神療法をしたわけではないが、そういうことが病気の真の原因ではないかと本人が気がつけば症状を消失させることもできるのはないかとなどと甘いことを考えてしまった。話をきいていくと聞けばきくほど面白い、いかにも精神分析の対象となりそうな父親との関係の問題とかがどんどんでてくる。後から考えると作話がはいっていたかもしれないと思うし、本人にしても本当の話と空想の話の境界がなくなっていたのかもしれないが、とにかく一生懸命に患者さんの話をきくほど患者さんはどんどんと悪くなっていった。今から考えると患者さんの症状は周囲の関心をひくためにでてきたのであるから、それに関心をもってくれるひとがでてきたら待ってましたであって、症状がよくなる可能性ははじめからなかったわけである。この症例で、患者さんに関心をもつこと自体が患者さんを悪くする可能性があることを身をもって知った。どんどん悪くなっていったので、お願いして精神科の専門家に診てもらうようにしたが、その先生ははじめから治せるとはまったく思っていないようであったのにびっくりした。その後、症状はずっと続いていたようで、ときどきわたくしの外来にもみえたが、とにかく治らないことが苦になっていないようなのである。むしろ医者が診断に苦慮するような特別な症状があることが、自分が特別な人間であるというアイデンティティの保証になっているような印象さえあり、この症状が消えたら自分は普通のただのつまらない人間になってしまうと思っているのではないかと思えるくらいだった。手足が動かなくなったり、あるときは体が自然に動いてしまってといって、外来の間中、まったく座らず(座れず?)診察室のなかで歩き回りながら話つづけたりした。
 また一例は、膠原病を背景にした気管支喘息の患者さんで、膠原病による肺病変のため、喘息発作がすぐに重度の呼吸困難を引きおこしてしまう症例で、その発作が自分が何か気に入らないことがあるとおきるのだった。当然、病棟のスタッフは本人の精神状態を平静に保つように気を使うわけだが、そのような状況をつくりあげることによって、患者さんが完全に病棟を支配してしまうようなことがおきることを知った。“操作”というような概念は後から知ったのだが、患者さんの病歴(履歴)をきくと若いころからショービジネスの裏道で大変な苦労をしてきたひとで、わたくしのような世間知らずのお坊ちゃんにはただただびっくりするような話ばかりだった。そして本人はそういう話を親身にきいてくれるひとがいることがとてもうれしいようだった。その話を遮ってほかにいこうとすると発作がおきる。本人の精神の平静のためにもわたくしはその話をきかざるをえずというようなことになり、抜き差しならなくなっていった。わたくしには手におえず、友人の精神科医に病棟の調整などを依頼した記憶がある。患者さんに一生懸命にかかわることが決して患者さんの予後をよくするわけではないことをまた身をもって学んだ。
 もう一例は、鎮痛剤中毒の若い女性で、某大学の某医局の女性秘書のひとで、驚いたことにその秘書さんはその医局の医者の相当数とできているらしいのである(本人のいうことが誇張である可能性も高いのだが)。ある先生が当直のときに急に激烈な腹痛がおきる。するとその先生が鎮痛剤を打ってくれる、というようなことをきっかけに次々と関係ができていくというようなことのようだったが、先生方が患者さんの味方になって安易に鎮痛剤を打つことを続けたため中毒になってしまった。その症例のときにはわたくくしも少しは経験を積んでいたので、患者さんとの距離を意識的にとるように心がけた。
 とにかくこれらの症例を通じて学んだのは患者さんとの距離のとりかたがいかに難しいかということで、決して近づけば親身になればいいというわけではないということである。これは精神分析の「転移」とか「逆転移」とかにもかかわっている問題なのだろうと思う。
 そういう苦い経験があるので、本書にかかれている、精神科医が安易に精神療法に走らないという姿勢は非常によく理解できた。
 日本であるいは世界でヒステリーが激減してきているのは、女性の地位の向上のためなのだろうか? 身体が声をあげなくても女性も自由にものをいうことができる時代になってきたのであろうか?
 わたくしがはじめてヒステリーの患者さんをみたのはまだ学生の頃、夏休みに地方の病院に見学にいっていて、そこで大騒ぎで「痛い、苦しい!」と泣き喚いている女の子をみたときだった。不思議なことにそこのお医者さんたちは知らん顔して誰も相手にしないのである。きいたら、東京から夏休みに避暑にきていて、そこで好きな男の子ができて帰りたくないから“病気”になっているということだった。今ならもっと違う表現法がいくらでもあるのだろうと思う。アドレスを交換してメールのやりとりでもすればいいので、泣き叫ぶことはないわけである。わたくしが大学にいたころは「君の名は」の時代からまだそう時間がたっていなかったということなのかもしれない。医者になって大分してから、ハイヤーの中で電話をしているひとをみてびっくりしたことがある。
 計見一雄さんの本で読んだのだったと思うが、日本人は病気になると「なぜ自分がそうなったのか」ということを非常に気にするらしい。病気は一種の災厄であるから、ほかならぬ自分がそうなったのは何か自分が悪いことをしたからなのかという方向に頭がいくらしい。あなたが何々さんに意地悪したからですよといったことがないと納得できないらしいのである。そうであればメランコリー親和型という説明は納得性ということについてはなかなか強力なものなのではないかと思う。
 笠原嘉氏の「精神科医のノート」にも書いてあったが、精神科医自身も自分もまたメランコリー親和型と思っているひとが多いらしく、それが日本でこの病前性格論が大いに受け入れられた一つの原因ではないかとしていた。別のところで読んだことだが、精神科医はお互いに他の精神科医をいろいろと批評しあうものらしく、どう考えても他からはメランコリー親和型とは見えないひとが自分ではそう思っているケースが多々あるのだそうである。
 最近ノーベル賞を受賞した中村さんというかたは日本では評判が今一つではないかという気がするのだが、ああいう「俺が俺が」の自己主張のひとばかりであれば、メランコリー親和型などという話はまずでてこないはずである。学会などにでるとアメリカからの演者が「自分はこの分野での世界的権威である」などと自己紹介をすることがあって驚く。
 最近、メランコリー親和型のうつが減少してきているといわれるが、日本の社会の変化を反映しているのであろう。社会が変わると病気が変わるのであれば、DMS分類などというのは、いかにもアメリカ的な大味なものという気がする。
 さて、日本は男社会である。医者の世界もまた男社会である。精神医学の世界もまた男社会である。とすれば「メランコリー親和型」といった言説が日本で正統的なうつ病因論となったことは、その反映なのではないかという見方が当然でてくることになる。
 高校生の時、確か島崎敏樹さんという精神科医の確か「こころで見る世界」という本を読んだ記憶がある。なんで読んだのかというと、そこから多くの国語の入試問題が出題されていたからなのだが、そこにこんなことが書いてあった。確かイギリスの王女様が政治に関心をもっていろいろと口を出してくる。困った周囲が一計を案じて美男を王女に近づける。王女は恋におち、やがて結婚して、子供もできる。それでしみじみというには、子供を産んで育てるというこんな無常の楽しみがあることも知らないで、政治などに関心を持っていた自分はなんと愚かであったのだろうか。今こんなところを出題したらフェミニズム陣営から猛烈な抗議が来ることは必定である。昔はよかったわけである。
 それで、次はジェンダーの問題を論じた第5章と6章を見ていく。

北中淳子「うつの医療人類学」(5)第5、6章「鬱、ジェンダー、回復1、2」

 第5章と第6章はジェンダーの問題をあつかっていて、第5章が男性、第6章が女性を論じている。
 うつ病は欧米では長い間「女性の病気」とされてきた。典型的には子どもが巣立った後に感じる空虚感である。ファミニストはうつ病は女性がおかれた社会的状況の象徴であると主張した。
 その点でうつが男性の病気とされる日本は特異である。それは過労の産物であり、仕事からおきる病とされた。日本の精神医学は男性の「過労の病」としてのうつ病にやさしい。そこでは、一生懸命に働いているひとが報われないのはおかしいという意識が働いている。仕事中心の人間像は医師にも共有されている。そして仕事の側面が強調されるため、他の因子、たとえば家庭の問題などは看過されやすい。
 執着気質のうつの患者同士がお互いの体験を語る自助グループができていて、そこでの語りのなかから、自己の「執着」を離れて「諦念による自由」をえるようになるひともいる。
 日本でうつの女性が少ない点については、社会的地位が低いために医療にはかかりにくいためとか、社会的地位が低いために社会の重圧を受けにくいためとか、さまざまな説明がなされてきている。
 精神障害のなかでも生物学的背景のはっきりしたものほど性差が少ないことが知られている。ということは、うつにはやはり社会的要因が大きく関与しているということである。
 著者が接したさまざまな患者についてみても、男性の場合には定式化したストーリーが作りやすいが、女性の場合ではそうではないという。
 女性の場合はうつ病と認識されるまでの壁がある。女性の語りが単線的ではなく複合的で男性の場合よりわかりにくいということもある。そもそも男性医師は女性が語る物語に共感を感じにくい。また、そのために女性の患者の場合、医師との安定した関係を築きにくい。男性は医師とのあいだのパターナリズム的関係に安住する傾向があるが、女性の場合、依存への欲求と自己コントロールへの希求のあいだで揺れ動く。男性医師と女性患者の場合には「転移」「逆転移」の問題もでてくる。
 
 ここでは論じられていないが、うつの大きな原因として、マタニティー・ブルーといわれる出産後のうつがある。これが引っ越しうつとか昇進うつとかとも関連する大きな目的を達した後の空虚感などとどのように相関するのかはわからないが、ホルモンバランスの大きな変動が関係しているとの見方が多いのではないかと思う。また更年期障害といわれる症状の一部にだるさとかやる気のなさといったうつと関係ないともいえない症状があり、しばしばホルモン補充療法で改善する。女性は毎月ホルモン変動を繰り返しているわけで、それが身体にあたえる影響は非常に大きいものがあると思うが、それを男性が実感することは不可能である。
 それとの関連でいえば、医者をはじめたばかりの20歳代の研修医が85歳の患者の気持ちをわかれといわれても無理だし、健康な医者が進行した癌で余命が見えているひとの気持ちをわかることもまたできないと思う。尊厳死協会に入っていて、リビング・ウイルの書類の「無駄な延命処置を一切しない」にサインしていたひとが、いざ大きな病気で入院してくると「できることはなんでもしてください」と前言を撤回することも2回ほど経験した。自分のことさえわからないのに、ましてや他人のことなどわかるはずないではないか、しかも異性のことなど。精神医学というのはとんでもないことに挑んでいることになる。
 男と女の間には暗くて深い川があるのかどうかは知らないが、最近では男女の差というのは「社会的に構築」されたものではなく、狩猟採集時代に生き残りのため(子孫をたくさん残すため)に最適な戦略であった役割分担がそれを規定したとする進化心理学による説明が主流のようである。それによると、なぜ女性がハーレクイン・ロマンスを好むのかといったことまでもちゃんと説明できるのだそうである。白雪姫の物語の変奏で「どこかから王子様が」であるし、あるいは竹取物語で、美女のまわりに男が集まって贈り物攻勢である。最近の世界的ベストセラーという「フィフティ・シェイズ・オブ何とか」というのもその路線らしい。いずれにしても男はハーレクイン・ロマンスなどは読めないのである。
 狩猟採集時代に男は狩りに出て、女は木の実などを拾いながら子育てをした。太古から育児や介護は女の仕事だった。医療の起源はおそらく子供をあやす母親である。現在、看護というのが主として女性の仕事となっているのはその名残で、したがってシャドウ・ワークの一つであった介護が介護保険により有償の仕事とされたのはフェミニズムの方面からは画期的なことと評価されている。育児にしても、料理にしても、すでに有償の部分はあった。だが、出産は男にはできず、自分のお腹の中に子どもがいるという体験も男にはできず、どんな経験か想像もできない。
 著者は女性であるが、本書ではジェンダーについての主張は穏やかである。男性は社会人であるうちは仕事によってほとんどの生活が塗り込められているが、女性の場合は仕事だけでなく、家族関係をふくめた重層的な要因がうつと関係していることを述べるだけである。
 最近、専業主婦のことがいろいろ議論されているが、農業が主たる産業であった時代には、妻は即労働力でもあったはずで、当初、専業主婦になることは肉体労働からの解放を意味した。しかし、はじめはそれでも家事に膨大な時間をさかねばいけなかった。昭和20年代には主婦の家事にとられる時間は十数時間であったといわれるが、現在では2~3時間らしい。高度成長期から失われた10年にかけて、さらにはリーマン・ショックなどを経て現在に至る労働環境のさまざまな変化が男性にあたえた影響については本書でも論じられているが、女性については比較的現在直面している問題に話が限局されていて、女性も経験してきたであろう歴史的変化による立場の変化がメンタルに与えた影響については、あまり議論がされていないように感じた。著者も働く女性として、仕事をしている女性のほうに共感が働くということがあるのかもしれない。わたくしの乏しい経験でもいわゆる総合職第一期生から多くのメンタル不調者が出たことをみている。過度の使命感により燃え尽きた人を何人もみた。これから女性登用が世の中の流れになっていくと、地位が上昇した女性が、それが本当に自分の力が認められてそうなったのか、女性を登用しないといけないという社会の圧力からたまたまそうなったのかといったことで悩むことが増えるのではないかと思う。
 わたくしの身近にある話では、女医さんは男性医師の何倍も苦労をしている。子育てしながら仕事を続けている女医さんは収入のほとんどを保育の人やシッターさんの確保というような部分つぎ込んでいるようである。しかも女医さんに気の毒なのは、男性患者からも女性患者からも男性の医師ほどの信頼を得られない場合が多いことである(産婦人科を除く)。これは男性看護師の微妙な立場ということをふくめ(看護の仕事は男性患者からも女性患者からも基本的に女性の仕事と思われている)、ジェンダーの基本にかかわる問題だろうと思う。医療の場にはパターナリズムがはたらきやすく、父性は男性の機能だからである。
 これからの日本における正社員と非正規社員の格差のあいだの問題、寿退社という言葉が死語になっていくであろう時代に女性が当面する可能性の高い目には見えないガラスの天井といったものがメンタル疾患の動向にあたえる影響というのはきわめて大きいだろうと思う。現在問題になっているいわゆる「新型うつ」の多くは男性である(女性もないわけではない)が、それもこれから変わっていくかもしれない。。
 次章の「「労働科学」の新たな展開」は、直接、労働とうつ病の関係について論じている。


恐怖の記憶、精子で子孫に「継承」 米研究チーム発表

身の危険を感じると、その「記憶」は精子を介して子孫に伝えられる――。マウスを使った実験で、個体の経験が遺伝的に後の世代に引き継がれる現象が明らかになった。米国の研究チームが科学誌ネイチャー・ニューロサイエンス電子版に発表した。

 実験は、オスのマウスの脚に電気ショックを与えながらサクラの花に似た匂いをかがせ、この匂いを恐れるように訓練。その後、メスとつがいにして、生まれてきた子どもに様々な匂いをかがせた。

 すると、父親が恐怖を感じたサクラの匂いのときだけ、強くおびえるしぐさをみせた。孫の世代でも、同様の反応が得られた。

 父マウスと子孫の精子のDNAを調べると、嗅覚(きゅうかく)を制御する遺伝子に変化の跡があり、脳の嗅覚神経細胞の集まりが大きく発達していた。これらの変化が親の「教育」によるものでないことを確かめるため、父マウスから精子を採り、人工授精で子を育ててその脳を調べると、同様の変化が見られた。

 生物の遺伝情報はDNAに刻まれて親から子へ引き継がれるが、生活習慣やストレスなど、後天的な要因で遺伝子のスイッチの入り方が変わることが知られている。研究チームは「今回の成果は、ある種の精神神経疾患の解明につながる可能性がある」としている。

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なるほどね。ありそうなことだ。

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