生きてゆくことは 自分という心がノミで削られることなんだと思う 生まれた時に一番たくさんあって 一番円満である 生まれた時に赤ん坊は幸せそうである 生きるに従い心は削られる一方である 削られてバランスが良くなる部分も多いのであるが 一度削られた部分は二度と戻らない それが人生が一度きりということの意味だ 大事な部分を削られないように大切にしていきたいが そのことを自分で完全に意識できるわけではない すべては後になって分かることだ 全ては最後になって悟ることなのである
自分という心がノミで削られることなんだと思う
生まれた時に一番たくさんあって
一番円満である
生まれた時に赤ん坊は幸せそうである
生きるに従い心は削られる一方である
削られてバランスが良くなる部分も多いのであるが
一度削られた部分は二度と戻らない
それが人生が一度きりということの意味だ
大事な部分を削られないように大切にしていきたいが
そのことを自分で完全に意識できるわけではない
すべては後になって分かることだ
全ては最後になって悟ることなのである
躁状態のときに人は浪費する 買い物依存症が店を支える ギャンブル依存症がギャンブル産業を支える 過食嘔吐がお菓子産業を支える セックス依存症が風俗産業を支える またそれ以外の時でも、精神に異常のあるときには浪費する この浪費が資本主義経済の根本かもしれない 富の蓄積と生産の拡大にピューリタン精神は必要だが 需要側で見れば、浪費する異常な精神がなければならないのだろう コマーシャルに従い、半ば自動的に のべつコーヒー飲料を飲み 夜になるといつもビールを飲んでいる人たち
買い物依存症が店を支える
ギャンブル依存症がギャンブル産業を支える
過食嘔吐がお菓子産業を支える
セックス依存症が風俗産業を支える
またそれ以外の時でも、精神に異常のあるときには浪費する
この浪費が資本主義経済の根本かもしれない
無駄な買い物が
富の蓄積と生産の拡大にピューリタン精神は必要だが
需要側で見れば、浪費する異常な精神がなければならないのだろう
コマーシャルに従い、半ば自動的に
のべつコーヒー飲料を飲み
夜になるといつもビールを飲んでいる人たち
「その気になればやせられる」 言い訳に潜むリスク 過去の成功が失敗に変わった理由を見つめよう ダイエットの成功と失敗を繰り返しているうちに、徐々に効果が表れにくい体に変わっていく。ダイエット効果を高める体に戻すためには、小さな成功報酬を積み上げながらの体質改善が不可欠。そのとき大切なのが「自分自身との対話」。ダイエットのためにはまず汝(なんじ)自身を知ることだ。 最初に一つ質問。ダイエットは、どうなれば「成功」だと思いますか? ダイエットで成功した“過去”の体験が、今のやせにくい体の原因になっ
「その気になればやせられる」 言い訳に潜むリスク
とても良く出来た解説だと思う。
食事と体重の問題はなかなか解決できない。
美醜と健康不健康が一致していない。なぜ食べたいのか、なぜ痩せたいのか、考えても行き止まりのようだ。食べるしかない、痩せるしかない、ということで、そこから先の分析はあまり有効ではないと感じる。なにかいいヒントがあればと思う。
大リーグでは先発投手の交代の目安は100球。青少年も「1試合75球以下、1シーズン600球」を推奨する野球ガイドラインがあるが、野球肘などの障害防止の特効薬にはなっていない。 日本でも同様の興味深いデータがある。小学生の投手149人を対象に、1年間追跡した調査で、1日50球以上投げていた62人中42人(66.1%)が肘などの障害が発生した。一方、50球以下の障害発生は少なくなったものの87人中25人(28.7%)が発症している。このことは「肘痛の減少に球数を抑えることは有効だが、球数を少なくしても、約
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脳も同じ
仕事というものは何でもそうだろうが 自分の人生が楽しい時にも 悲しい歌を悲しそうに歌う歌手のようなところがある
自分の人生が楽しい時にも
悲しい歌を悲しそうに歌う歌手のようなところがある
内因性うつ病と神経症性うつ病
昔の話ではあるが
内因性うつ病と神経症性うつ病の鑑別を考えようと言われていた時期があった
いまでも役に立つ話と思うので
書いておきたい
内因性うつ病は当時は精神病と認定されていて
了解不可能な妄想を伴ったりなど
現実把握に関しての障害があるもの
神経症性うつ病は精神病レベルではなく神経症レベルで
現実把握力(reality testing)は保持されている
疾病利得がある場合もあり
症状の成立は了解可能である
内因性うつ病と神経症性うつ病を両極に立てるとして
そのほかの言葉としては 性格因性うつ病とか反応性うつ病とか
成立すると思う
どこまでが環境要因でどこまでが性格要因かは判別が難しいし
それらのどこからが疾病で、どこからが疾病ではないのかの判別も困難である
DSMやICDで何か言えるなどと言うことはない
根本的には疾病概念の問題で
医学的疾病概念としていえば機能障害を説明する形態変化が確認されるときに
疾病と呼ぶというのが伝統的な説明である
形態異常を直接に検知できないときは
血液検査や生化学検査などが代用されることもあるが
その場合も、便宜的に数値で表現しているだけで
その変化に相当する形態的変化があることが仮定されているわけだ
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問題は内因性うつ病と診断された人も
治療が長くなったり
いろいろな対人関係が発生したり
経済的事情が難しくなったりすると
人間なので当然環境との反応は発生する
内因性うつ病の人の性格素因がどうであるかは様々であるし
環境とかエピソードも様々で
中には了解可能で、時に疾病利得が理解できるような例があり
その場合には
部分的には内因性うつ病であり、その他の部分は神経症性うつ病であると
理解できることになる
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治療の原則としては
休息を取ってもらい、睡眠と食欲を整え、場合によっては薬剤も投与する、
疾病に対しての患者教育が根本となる
内因性うつ病の場合には抗うつ剤や気分安定薬を用いるし
神経症性うつ病の場合には精神療法を施行する
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このような見取り図で言えば
認知行動療法はどのあたりに位置づけられるのか
興味深い
患者教育の側面では内因性、神経症性に共通であるが
内因性うつ病の患者に特有の認知特性があるのかどうかは問題があり
それは神経症性うつ病の場合に発生している認知特性ではないかとの
問題もある
愛されることは小吉、愛することは大吉
愛されることは小吉、愛することは大吉
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しかし後輩によれば
彼が愛することを
彼女は迷惑と言うのだそうだ
成人後、亜急性に始まる生活障害(知性、感情、意欲、興味、対人交流)について。単純型シゾフレニー、自閉性スペクトラム、アスペルガーなど。
なぜだか知らないが、そして、それがいちばん問題なのだが、
最近は、子供の頃は賢い子だったのに、最近は会社もうまく行かず、欠勤が多くなって
辞めさせられても不思議のない所まで来ているとか
大学に入ったけれども、なかなか勉強についていけなくて、友だち関係もうまくいかないし、
アスペルガーなどの解説を読むと当てはまっている感じがするとか
の例が多くなってきているように思う
確定的な原因も知られず確定的な診断法も知られていない場合、
世の中に発生する流行に左右されることも多く、
アスペルガーなどの流行も一時的なものであり、そのうち消えてゆくように思うのであるが
現状ではそうとばかりも言えないので困る
順調に生育した大人が、途中で不調になり、知的障害やコミュニケーション障害を呈した場合に、
昔ならばシゾフレニーをまず考えた
統合失調症に当たるものであるが、概念がそのまま引き継がれているとも言えない面がある
幻聴が発生し、被害妄想に悩まされるのが典型的な陽性症状と言われるものである
一方で、陰性症状とは、数年前まで確かにあったはずの、知性やコミュニケーション能力や感情や意欲、また興味などが失われて、戻ってこないことを言う
シゾフレニーの症状が陽性症状だけならばあまり怖い病気ではない
たとえば付き添いの人がしっかりと見守って、陽性症状が現れた時に休養をとったり
薬剤を使用したり、入院したり、そんなことで乗り切れるからだ
問題なのはその後で、陰性症状が目立つようになり、これには薬剤の工夫もされているのだがまだ
不充分であり、リハビリと称して無理をして動かすと陽性症状の再発に至ることもある
イメージとしては、陽性症状の時に大火事が起こり、脳の一部の細胞が破壊されて、
欠損症状が生じるという感じ、正確な話ではないけれども、まあ、概略
無理なリハビリは小さな火事を引き起こす
だから陰性症状の進展の予防としても、陽性症状の抑制が大事になる
その点で服薬維持が重大になる
こうしたシゾフレニーの中で、陽性症状は目立たずに、陰性症状が全面に出て持続しているものを
単純型シゾフレニーと呼んでいたことがあった
現在ではDSM型の診断が多く使われていて
その表現では、(5)
陰性症状、すなわち感情の平板化、思考の貧困、または意欲の欠如
となっているのだが
他の項目に当てはまらないこともあって、統合失調症の診断には至らないこともある
また、
広汎性発達障害との関係:自閉性障害や他の広汎性発達障害の既往歴があれば、統合失調症の追加診断は、顕著な幻覚や妄想が少なくとも1ヶ月(治療が成功した場合は、より短い)存在する場合にのみ与えられる。
という注釈があって、機械的に考えれば、陰性症状中心の場合は、自閉性障害や他の広汎性発達障害という診断名が通用してしまう
また、
分裂感情障害と気分障害の除外:分裂感情障害と気分障害、精神病性の特徴を伴うものが以下の理由で除外されていること。
と書かれていて、気分障害を満たすならそちらを優先しろということになっている。
しかしこれら二点は伝統的診断学から言えば妥協できない部分であって、
自閉性障害や他の広汎性発達障害の既往歴がどうであろうとも、統合失調症の診断が優先されるべきである。またも気分障害よりも、シゾフレニー診断が優先されるべきである。
何より、自閉性障害や他の広汎性発達障害は、進行性ではない。むしろ定義から言って、成長しつつあるのだと考えられる。
しかし、統合失調症(少なくともその一部分)は明らかに進行性であり、崩壊性である。
この点で全く逆向きということができる。
このような背景を持ってみれば、子供の頃は手もかからず優秀で、いい学校に入って、いい会社に入って、途中から問題が生じて、知性、対人交流、感情、意欲などのいずれかの領域で欠落症状が見られた場合に、第一に鑑別すべきは陰性症状中心の、単純型シゾフレニーなのである。
最近のドパミンブロッカー系統の、シゾフレニーの薬はどれも、陰性症状に対する効果を宣伝している
しかしまだ充分な成果を上げているとは言いがたい
そうは言うものの、陽性症状の再発予防を根気強く続けていれば、陰性症状の進行抑制になると私は考えているので、絶望する必要もない
ーーー
一旦完成された脳の組織が破壊されるものでは、脳血管障害や脳腫瘍が代表的である。
傷害される部分に応じて局所症状が現れる。当然、知性、感情、意欲、対人交流などの機能も傷害される。
また、認知症に属する脳変化もまた、知性、感情、意欲、対人交流などの欠損をもたらす。
しかしこれらは、大抵の場合は高齢者またはその直前辺りの病気である。
また発生に関しての時間経過は、血管性なら急性が多く、小梗塞の積み重ねならば亜急性もあり、
認知症に関しては、もっと進行が遅い場合が多い。ただし、いったん症状が外に現れ始めると、
かなり急速に進行する場合もある。
現在問題になっている若年者の生活障害症状は、経過から言えば、亜急性ないしは慢性に当たる。
ということは、変性疾患や脳内に物質が蓄積するとか物質が欠乏するとかの病変が想定しやすい。
一時言われたプリオン病は亜急性の経過を取り、潜伏期が長いので、病気として捕まえにくい特性がある。
症状としても完全に特異性があるものではなく、ある程度場所依存性があるのだろうと思う。その点で多様な症状が発生し得る。
思春期ということ、男性に多い傾向から考えると、性発達の面から考えることもできる。
しかしはっきりとしたデータはない。
何かの物質の蓄積の可能性はないか。個人的には大いにありそうなことであると思うが手がかりも少ないように思う。
スローウィルスやワクチンの影響などはどうだろう。発生頻度がヒントになると思うが、これもまたよく分からない。
胎生期に母体がインフルエンザに罹患したとか、そのようなイベントに関係づけて、いろいろな病気の原因について統計的に分析したものもある。しかしなぜ思春期になって病態が発現するのかの説明までは遠い。
ーーー
自閉性障害や他の広汎性発達障害についての大方の解説は、頭は良くて成績はいいのに、対人交流がうまくなくて、集団に馴染めず、固執性も周囲に理解されず、次第に不適応になるなどである。
コミュニケーション障害、社会性の障害、過剰な固執性などが子供の頃から見られれば、自閉性障害や他の広汎性発達障害という側面からアプローチすることになる。
しかし、概して成績の良い子供は、対人交流が下手でも、容認されてしまうところがあり、問題が表面化しないで経過する場合がある。
それが会社に入ったりすると、学校とは違って、稼がないといけないので、自由でいいというわけにはいかない、それで不適応が析出する。
男性に多いというのも、伝統的に会社は男性により多くを要求するからだ。
などと説明される。
しかしながら、自閉性障害や他の広汎性発達障害の原因についてはよく分かっていないし、治療法もよく分かっていない。シゾフレニーも似たようなものだけれども、ここ100年の蓄積で言えば、シゾフレニーのほうに蓄積が多い。
ーーー
シゾフレニーがどのくらい昔からある病気であるかについては、いろいろな空想がある。
昔はてんかんやヒステリーと同じく宗教と関係して、生きる場所があったのではないかとか、
産業革命とか都市化と関係していて、近代に特有のものではないかとか、いろいろな話がある。
シゾフレニーと一括りにするのも良くないので、太古の昔からあるものもあれば、
近代社会に特有な部分もあるのかもしれない。
個人的には工業化社会となり都市が形成され農村人口の一部が都市に流入し、そのプロセスの中で、一部のシゾフレニーは形成されたのではないかと考えている。
ーーー
というような背景的説明をもとに考えると、大人になって始まる、知性、感情、意欲、興味、対人交流のいずれかを主とする欠損症状を呈する病態に関しては、
まず大前提として、甲状腺機能障害とかのような身体疾患の鑑別をする。
そののち、まず第一にシゾフレニーを鑑別すべきである。好発年齢が20歳位であるし、知性、感情、意欲、興味、対人交流のいずれにおいても症状が発現する。遺伝歴も参考になる。近年はシゾフレニーの軽症化が言われているが、それは陽性症状の軽症化が言われているのであって、陰性症状の慢性化もまた同時に起こっているように思う。だからどの薬剤も慢性陰性症状をターゲットにしている。
これを鑑別除外できたら、次に発達障害に属するものを考えるべきである。
もちろん、シゾフレニーと発達障害が重なって生じる場合もあるが、その場合の因果関係についてはまだ良くわからない。
“ 心得十箇条 『できないこと』を受け入れること 楽しめるポイントを探 し続けること 小さな達成感を大事にすること 常に余力を残すこと 他業種で働く友人とも多く接すること どうしようもないことをどうにかしようと悩まないこと 人を好きになること 「今いる場所が本当の居場所ではない」と感じても焦らないということ 自分にとっての 『大事なもの』を探すこ と 本当にどうしようもない気持ちは吐き出してしまうこと ”
“病院にて。注射をされたであろう3〜4歳の男の子が号泣しながら母親に抱きかかえられて「ろくなことがない!ろくなことがない!」 と連呼していた。看護士さん爆笑。母親苦笑。”
“カート・ヴォネガットは、われわれの飽くなき「どうして」の問いに、たったひとこと、”So it goes”(そういうものだ)と答えた。まさにそのようして、世界は回っていて、とくにこれといった理由もなく、洪水は起こり、火山は噴火し、シマウマはライオンに食べられ、せっかく干した洗濯物は雨で濡れてしまう。おそらく、それらはすべて等価であり、人はときになんの脈絡もなく、いきなり幸福になったり、とっさに不幸になったりする。たくさんのできごとが、さしたる必然性や、とくべつな理由もなく起こる。なぜかと訊かれても答えられ
“内田 まだ三十ちょっとの若い女の子がですよ。その子が七十歳過ぎて不動産屋さんに行って入居を断られる場面を想像して、それに怯えてローンを組んでマンション買うんですよ。それって想像力が豊かなんじゃなくて、想像力が貧困だということでしょう。第一、その歳まで生きることを当たり前だと考えているところがけしからんじゃないですか(笑)。三十年も経てば、世間の状況だって変わるに決まってるし。 春日 そうなんですよね。 内田 でもね、もっと怖いのは、そうやって三十五年ローンでマンションを買った以上は、自分の選択が正し
“バルセロナでバルにいって飲み物の表を眺めているとウィスキー関連のあたりに量の目安で”Chupito”書かれている。この言葉はショットグラスを意味している。発音が”チョビット”。日本語の「ちょびっと」と音がほぼ同じだし、意味もまさに「ちょびっと」。仰天して私は一発でこの単語を覚えてしまった。あなたがバルのカウンターで”ウィスキーちょびっと!”と日本語でいえば、”(どれにする?)”と、顎をちょっと上げる店のおっさんの目線が飛んでくるわけである。私は実際に試して通じた。おそらく逆もしかり、日本のバーでスペイン
宮沢洋一経済産業相の資金管理団体「宮沢会」が2010年、広島市内のSMバーに政治活動費を支出していたことが23日、分かった。宮沢氏は経産省で記者団に「共同通信の配信記事で初めて知った。支出したのは事実。私自身は行っていない。事務所関係者が誤って政治資金として支出してしまった」として、政治資金収支報告書を訂正する考えを示した。 この店は、下着姿の女性をロープで縛り、客も参加する形のショーを開催しており、政治資金の支出先として良識が問われる。野党の追及は必至といえそうだ。 宮沢会の2010年分の政治資
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こういうことが「事務所関係者がうっかりしていて」起こるものだろうか。どんな素人アルバイトに領収書の貼付けを任せたとしても、いくらなんでも、これはダメなんじゃないかと常識が働くだろう。
ダメだな、でも、貼っておこうと思ったのなら、別の思惑があったのだろうと思う。
そうでなければ、そんなものをわざわざ貼る理由がない。
こういうスキャンダルのネタを握っていれば、国会議員をコントロールできるとしたら、大変都合のいい話ではないだろうか。
もちろん、小渕、宮沢、その他数名は、見せしめであって、いうことを聞かせたい本当のターゲットは別にいて、
事件が起こって、「言うことをきくから、スキャンダルはかんべんしてほしい」と言っているのだろう。
顔の知られている国会議員が「地元広島」の「SM」バーに行って領収書をもらうということもまったく考えられないと思う。
「下着姿の女性をロープで縛り、客も参加する」とは、失笑である。暑苦しいだろう。
事務員が領収書をもらったとすれば、もらった方も喜劇だが、出した方も喜劇である。
わざわざそのような場所で遊興する必要もない。何かの事情で必要なら合法的な処理はいくらでもある。
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うちわで辞任の松島氏は「問題は些細なものだが、政権運営に支障が出るからやめる」と語り、これもまた大いに失言だと思う。
うちわよりも、こういう考え方のほうが、不適切なのである。
“甘いもの食べてる女の子に「太るよw」とか言う人は、「えっ、太るの!? うわー! 知らなかったー!ありがとー! じゃあ気を付けるね!」と言うとでも思ってるのかよ”
“今日は長男が久しぶりに登園したので「幼稚園どうだった?」と聞いたら「混んでた」っていわれた。”
“昔飲み屋で会った年配の紳士が「何研究してるか説明してくれ」と言うので、専門用語を使わずに説明してたんだけど「わからん。君素人にわからせられないようじゃ駄目だよ」とか言い出したので、キレて朝まで説教したことがある。おっさん中学理科も覚えてへんのに理解させてもらえるとか甘えんなよ、と”
イギリスの新聞紙「Times」がNHKの内部文書を暴露しました。Timesが暴露した文章によると、NHKは安倍政権から南京大虐殺や慰安婦問題などへの言及を禁止されていたとのことです。安倍政権側はNHKに強く日本の保守的な民族主義と政府の立場を反映するように命令し、NHKもそれに従っていたと報じられています。 Timesは「イギリスでは話題になっている情報も取り上げられない」と述べ、安倍政権とNHKが癒着していることの問題性を指摘しました。 ☆Japan’s ‘BBC’ bans any referenc
小渕経産相「使途不明金1億円」に到達
買い物リストを見ていると
不思議な感じだ
デパートというものは値段のはっきりわかるものを贈り物として買う場所だろうと思うが
贈り物としても疑問なものもあり
さらに贈り物とすれば事務所経費で贈り物をしていたりでおかしな話になる
疑惑追求側は、自分の買い物をしていたのではないかと疑っているようであるが
この手のものは贈り物としてたくさんもらうだろう
自宅に山のようにあるのではないかと思う
誰も何もくれなかったのだろうかと不思議だ
貰ったものはあまりに趣味が悪かったのだろうか
しかし自分の側も同じような店で買っているのだから多分なおじようなものをもらっているはずだ
敵側の人間が潜入して着々と細工をしていたと考えるしかないのではないか
伊勢丹とか、バーニーズなどが入っていないし、その他ブティック専門店が入っていないのもおかしい
ひとつには百貨店商品券を大量にもらっているとか、百貨店の大株主で金券を配られるということもあり、
それを使うということもあるのだろうが、
普通は金券ショップを使うだろう
いま銀座のデパートは中国人観光客の買い物が頼りだと聞いたことがある
お得意さんは元総理大臣娘と中国人観光客だったということなんだろうか
何もしなくても外商さんがあれこれ届けてくれるという習慣はなくなったのかな
ーー
観光バスで群馬から明治座にやってきて天童よしみショーを観るのだという
お昼の弁当を食べて浅草に回って、その日のうちに帰るらしい
参加したい人がいるというのも不思議だけれども
選挙対策の実質はそんなものなんでしょうか、それもとても不思議
そんな催しが投票に結びつくのだろうか、本当に
ーー
挙句の果ては、原発再稼働します、再生可能エメネルギーはもう買い取りしませんと
経産大臣の立場で語っている
我々庶民とは「見えている景色」が根本的に異なっているようである
だから根本的に不可解な結論を述べることになる
経産省の役人にどんなレクチャーをされたのか、詳細を明らかにすれば今後の役に立つと思う
そのうえで、原発には本当は反対だけれども無理に賛成と言わされていたのか
それとも、理由があって、やはり賛成なのか、そうだとすればその理由が知りたいものだ
経産大臣にはどんな「景色」が見えていたのか、じっくり話を聞きたいものである
“介護現場で油圧リフトを使わない理由に介護の暖かさが失われるからというのがある。しかし介護者の疲労が原因の事故や虐待が起こることの方が重大だ。オーストラリアでは介護で人間が人間を持ち上げることは法律で禁止されていて、リフトが義務なのだそうだ。”
象の子供がこれまたとっても可愛い なぜなんだろうと不思議に思う 私の遺伝子と象の遺伝子はあまり関係なく生活してきたのではないだろうか それでもやはり哺乳類の子供というものは 隠しようもなく可愛いということだ たとえばライオンなんかでも人間の子供を可愛いと思って 場合によっては育てたりするのだろう
なぜなんだろうと不思議に思う
私の遺伝子と象の遺伝子はあまり関係なく生活してきたのではないだろうか
それでもやはり哺乳類の子供というものは
隠しようもなく可愛いということだ
たとえばライオンなんかでも人間の子供を可愛いと思って
場合によっては育てたりするのだろう
信用できることなんか一個もないと言ってはみても
このレベルの本能はどうしようもなく真実ではないだろうか
赤ん坊の小さなすべすべの足とか
木々の黄緑の若芽とか