物語の結末
あるいは文章というものは、書物の形で提供される限り、結末があり、
その結末に向かって流れる、意識の動きであるということができる
現代のブログなどはそのような結末はなく
ただ毎日がある
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人生には死という結末があるので物語に似ている
必ず最後のページがあり、
そこから逆算するとすべてのエピソードに意味が与えられる
また人生を生きている途中の立場から言えば
人生はブログに似ている
最後の結末は知らず
今日一日にしても未来のことはわからない
ただ現在があるだけである
マインドフルネスについて 瞑想 明視 済んだ心
現在翻訳中の、母親と息子の対話の形の小説で
母親が「マインドフルネス」にまつわり、息子に語る部分があるという
翻訳はカタカナで「マインドフルネス」でいいのか、と質問
「そもそもなぜ名詞形にしてマインドフルネスなのか、マインドフルで充分わかる気もする」など
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マインドフルネスという言葉がこのようにして一般小説の中でも格別の解説もなしに語られる言葉となったことは
不思議な感じもする
簡単に言うと「上の空の反対」
マインドレス、ケアレス、アテンションレスの反対
自分が今どこにいて、何をしているか、何をしようとしているか、まわりにはだれがいるのか、
体温と気温はどうか、風は、天気は、持病の関節痛の具合は、
そばにいる大切な人はリラックスしているか、
などなど、「いまここ」について、上の空にならず、意識を振り向ける、注意を向ける、そういうこと
漢字の言葉に翻訳するのはうまくいかないような気がする
瞑想(コンテンプテーション)の世界に近くて
坐禅で頭がスッキリと澄んで明るくなった状態に似ているだろう
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マインドフルネス・トレーニングがあって
これは診察室でしばしば行う
自分の身体の状態、精神の状態について、注意深く把握する訓練である
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ちょっと考えると、不安は忘れたいし、不快感からは逃れたい、
別のことを考えて注意を逸らしたい、という流派もある
しかしマインドフルネスはそうではなくて
現在の不快や不安を含めて、それを大きく包み込むようにして、現在のすべてを知るように努める
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結局翻訳は「マインドフルネス」として、訳文中で少しずつ説明するとの方針になった
ヴォネガット創作講座。ストーリーを作るときに。
うつの本質について
うつとは何かという話に多分興味があると思う
中心は
失恋とかペットロスとかの抑うつと
うつ病の抑うつがどう違うのか
果たして自分はどちらなのか
というあたりだろう
失恋の延長の失意などは正常反応であって
特に薬は要らないという場合も多いだろう
しかし失恋の場合にうつ病の始まりだった場合、
またはすでにうつ病が始まっていて、その過程で失恋があった場合もあるだろう
(うつ病の場合には対人関係もうまくいかない場合が多いので、うつ病が原因で失恋してしまうということはないことではない)
正常の抑うつ反応と
うつ病の抑うつがどう違うのか
古くは生気的抑うつというような言葉が用いられ
最近では正常との連続も言われ
むしろスペクトラムというようなとらえ方が提唱されてもいる
そうなると正常と異常の切れ目はますます曖昧になる
では精神科医は何をもって判断しているのか
持続期間と症状の種類・数なのか
最近では
ラミクタールの登場と一致して多くの精神科医が
あなたはうつ病じゃなくて本当は双極性障害かもしれないなどと言い始めている
これは何を意味しているのだろうか
このような極端な方向転換は真に科学的な態度をとっている場合には起こりようがない
ここまでは事実、ここからは推測、そのように区別して
さらには自分の体験というものもエビデンスレベルを考慮しながら
正確に評価するならば
こんなにも極端な方向転換は起こるはずがないものである
地動説から天動説へというのは歴史上あったことで
それについては従来クーンのパラダイム論などで引用されてきたことではあるのだが
そのようなパラダイムシフトが起こる状況は私の定義では科学ではなく宗教である
天動説でも、少なくとも、どの時間にどの星がどこに存在するのか
その事実関係については間違いなく科学として確実な部分を持っていた
ただその全体の説明について変更があったというだけに近いだろう
観測事実について、また将来予想について、その部分には
客観性も確保されていたし、事実は事実として確実に保存していた
だからこそこ地動説が証明できた
前提を共有し、実験の方法を共有すれば、同じ結果を得ることができる
これによって狂信者も妄想者も虚言者も退けることができる
製薬会社は宣伝だけで血糖値が変化するものではないことを知っている
しかし製薬会社は宣伝だけでうつ病の診断が双極性に変化し
かつてアクチベーションなどと言われていた現象は
パーソナリティ障害と関係付けられ、さらには双極性障害と関係付けられて、
印象としては、まったく、どのようにでも操作されていることも知っている
かつての自分の説をさっさと忘れて、新しい旗を振っている人もいる
それは一体何を意味しているのだろうか
かつて観察した星の位置をあっさりとずらしてしまうような
暴挙だと思う
しかしNHKが宣伝すればそれて圧倒的に流れが決まる
いったい人々は何をしているのだろう
実際、現状ではうつも躁も単極性も双極性も混乱の中にある
整合性なく、原理原則なく、したがって、
誰かが間違っていることを立証するのも困難である
レセプターがどうしたとか言っている人たちも実際は
レセプターと格闘しているわけではなくて
統計数字を下請けに出しているだけだ
天国の第一峠に座しているのはプロメテウスと10年くらい言い続けて
最近はあっさりとクロノスだと宣伝しているようなものだろう
少なくとも、反証可能性を確保しておかなければ科学的言明とは言えないのだと
ポパーがリンツのチョコレートを食べながら語ったものだが
そんなことも資本の力動は押し流してしまう
波長を測定することができないので
ある人が自分には青に見えるといえば
そこから先は議論が止まってしまう
そのような状況に喩えられなくもない
そこで知的誠実さを期待したいが
それを持ち出すのも場違いだろう
素朴すぎる
もちろん知的誠実さの原理に従って欲しい
しかしそれが現実に難しいのだと知った人は
次の現実的な方法を考えなければならないだろう
その意味では
うつ病とは何か、うつ病をいかに診断するか
そして抗うつ剤をどのように位置づけるか
捨て去るとして反省はあるのか
についても考えたい
抗うつ剤ははもう今は使わないんです
という人がいたとして
その人のこの10年はなんだったのか
また10年すれば
新しい薬を信奉しているのだろうと思う
時代が変わっても変わらない真実の部分は何か
解釈で変更される部分は何か
そのくらいはきちんと区別して
そのうえで何が仮説であるか、何が事実であるか、区別しておけば
こんなにひどいことにはならないだろうと思う
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そのように語った上で、薬剤よりもさらに絶望的なのが
精神療法の世界である
彼らにとって客観的世界とはどこにあるのだろう
客観的世界などないという哲学的倒錯をいつまで言い張るつもりだろう
いや、それ以上に、何も考えないのかもしれない
考えるものではなく信じるものだと説教されそうである
そしてそれがある意味で人間の本質であるから
なかなか問題は手強い
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一般国民は知的にも感情的にも中学生程度の成熟度で
コマーシャルはそのように作っていて成功するし
大衆操作とはそのようなものとよく言われる
そしてさらに病気になれば判断力も曇るだろうし
周囲の人も理性的な人は見守るだろうが
反理性的な一部の人は元気になって
なにか言い続けるだろうと思う
そのようにして事態は悪化してゆく
そこには希望はない
そこが人間の脳の袋小路なのだろうと思う
被害妄想をいだく人にいきなり加害者だと指定された場合
どう対処したらいいのか
皆さん困っている
当面はどうしようもないようだ
私利を去り、まことをこめてこの魂が満たされる道を行く
人前でのスピーチを怖れる理由とその克服法
「自分は自分の生の主宰者ではない」
油脂
アメリカ空軍が撮影した高度1万メートル上空からのキノコ雲。 キノコ雲よりもトルネードの方が黒いのは、爆発によって形成された放射性物質を吸い上げているからだ。このキノコ雲は排気と吸引の機能を持っている巨大な掃除機と考えられる。電気ではなく、原子力で作動した最初の掃除機だ。 多くの瓦礫と死体、そして元安川の水を大量に吸引した。 これが後の黒い雨となって落下した。 ヒロシマに川がなければ、もっと被爆者は少なかっただろう。
“男女ともに、「配偶者が○○してくれたら、全て丸く収まるのに」っていう、 相手任せばかりの思考で自分を省みないと、いつか破綻するよ”
“私たちの生き方には二通りしかない。奇跡など全く起こらないかのように生きるか、すべてが奇跡であるかのように生きるかである。 (Albert Einstein)”
“『闇金ウシジマくん』によると、若いサラリーマンたちがぱっとしない現状からの脱出を夢見るときに、まず手に取るのが自己啓発本だそうです(マンガって役に立つなあ)。「革命本」を手に取らないところが成熟資本主義社会ですね。”
“昔、アメリカでこんな話があった。 ある母親が、中学生の娘が、夜によく外出するのに気付き、どこに行っているのか尋ねると、娘が言うには、数学の宿題が出来なくて困っていた時、近所に数学の偉い先生がいると聞いたことがあるのを思い出し、ためしに、その先生の家に行って、数学の宿題を手伝ってもらえないかと頼んでみたら、喜んで教えてくれたのだが、その教え方が学校の先生よりずっと分り易いし、いつでも来ていいと言うので、宿題が出来ない時はその先生のところに行っているのだという。 そして、その先生の名を聞いて、母親は卒倒しか
“ オヤジには私生活がない。だからカジュアルファッションも存在しない。極めてロジカルなりゆきだ。”
文学している場合ではないのだ。
Love is never to say sorry.
これはシンプルだが、本質的な疑問だよね
救いが欲しいなら預言者か救世主に聞け
"センター試験を受ける直前に担任に こんな公平な試験は人生最後だぜ っていわれた"
「びっくり炊き」玄米
" この炊き方は秋田地方に江戸時代から伝えられてきた玄米の炊き方です。 この「びっくり炊き」で炊くと、比較的短時間に ふっくらと柔らかく白米のように炊きあげることができます。 普通の鍋で炊けますし、長時間水に浸す必要もありません。 食べたくなったらすぐ炊けます。 炊き方は非常に簡単です。 「玄米のびっくり炊き」 まず、玄米を用意して下さい。 炊きあがると1合でだいたい、 大人のお茶碗2杯分弱と考えて下さい。 水で軽く洗います。 精米していないので糠(ぬか)がでません。 水はほとんど濁りません。 環境にも優しいのです。 しかも洗ったら、すぐに炊けます。 長時間、水に浸しておく必要はありません! ホーローやステンレスなどの、ごくふつうの鍋で炊くことができます。 今回は1合しか炊きませんでしたので、 一人用の土鍋で炊くことにしました。 水は米の1.2~1.5倍入れます。 お米が古いほど水を多くします。 |
ふたをして火にかけます。 最初から「強火」でかまいません。 吹きこぼれてくるようでしたら、火を弱めて下さい。 15分~20分程度で水分が減って、香ばしいにおいがしてきます。 こげていないか心配でしたら時々ふたを取って見て下さい。 こげ付くような「ピシッ、パシッ」という音がしてきたら、 ふたを開けて、 冷水を入れて下さい。 水の分量は米の0.8~1.2倍程度。 ビックリ水を入れるから、「びっくり炊き」というのです。 柔らか炊きの場合は多めに、硬炊きの場合は少なめに入れて下さい。 水を入れたらよくかき混ぜてふたをして、さらに煮立てます。 |
10分~15分で、ころあいを見て弱火にし、 火を止めたあとは、ふたをしたまましばらく蒸らして下さい。 蒸らす時間は5分程度でいいようです。 ふたを取ったらこのように全体によくかき混ぜて下さい。 お米本来の良い香りがしてきます。 お茶碗に盛りつけます。 さきほどの一合でこんなにたくさん炊けました。(笑) ちなみに、ふつうの炊き方で玄米を炊きますと、 このぐらいにしかなりませんでした。(ちょっとかため) ビックリ水を入れることで、玄米の皮が破れて水分をたくさん吸収して、量が増えるようです。 しかも、ふっくらと柔らかく炊けます。 色もふつうに炊くより少し白くなります。 気になるお味の方ですが、 プチプチとした食感があり、噛むほどにほんのりと甘みが出てきます。 お米本来の風味がよく出ていて、素朴ですが豊かな味わいです。 「ふっくら柔らか」といってもそこは玄米ですから、噛む回数は白米の何倍にもなります。 あごをよく動かすと脳の活性化を促すともいわれているのはご存じの通りですね。 少ないお米でもかなりのボリュームですし、 時間をかけて食べることができるのでかなりの満腹感を得られます。 消化に時間がかかるので腹持ちも良く、間食の必要がなくなります。 食物繊維も多く便通も良くなります。ビタミン類も豊富です。 以上のことから考えると、この玄米の「びっくり炊き」は、ダイエットに最適かと思います。 ご家庭でも一度お試し下さい。 " |