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“良いことでも悪いことでも一旦(記事に)書かれたら、それがたとえどんな嘘であろうと読んだ人にしてみれば大概真実ってことになっちまう。それが真実から3歩遠ざかった嘘だとしてもだ。人間っていうのは世の中の早い流れに対応するために、物事を手軽なステレオタイプで理解したがるもんなんだ。で、書かれたことを信じている奴に3歩戻して真実を伝えようとしてもそいつは本当に難しいことだ。” マイク・タイソン
“ものすごく残念な話なんだけど、今のリスナーっていわゆる文学的な比喩を含んだ歌詞とかを理解できないんだって。 好みじゃないとか流行じゃないとかでなくて、本当に意味が理解できないらしい。 例えば「汽車を待つ君の横で僕は、時計を気にしてる・・・」 なんてのが、初春の別れの日の情景を切り取ったものだということが読み取れないわけ。 「去年よりずっときれいになった」なんて言われても、それが別れとどう繋がるのすら理解できない。 だから「二人は今日でお別れだね、まだ好きなんだけどしょうがないよね、いままでありがと、
新知見!慢性期統合失調症患者では意志作用感が減退 意志作用感(sense of agency:SoA)とは、ある動作や思考などを他人ではなく自分の意志によって実行しているという感覚であり、統合失調症患者では、この意志作用感が障害されている。SoAを評価する統合フレームワークを用いて、陰性症状が残存している慢性統合失調症患者においてSoAが減退していることを初めて明らかにした。Psychiatry Research誌オンライン版2013年5月14日号の掲載報告。 統合失調症における自我障害(self
米国などでは「歴史」のことを「メモリーポリティクス(Memory Politics、記憶の政治)」という呼び方をすることがあります。 歴史は1つしかない、というのは大間違いで、事実をどう認定するか、どう解釈するか、どこに注目するかでまるでその「事実」が違ってくることから、歴史自体が政治化しているわけです。 歴史認識の難しさは、まさに過去について合意ができないところにあります。みんなそれぞれに大切に思っている「事実」があるからです。
私に付けられたたくさんの病名、どれが正しいのか
私に付けられたたくさんの病名、どれが正しいのか
と疑問に思う人もいる
私の身長は何センチですかというなら
どこで測定しても同じだろう
しかし精神科の病名の中にはそのような客観性に
なじまない性質のものもある
たとえば、ある人は、母親に対してと、父親に対してと、
学校の教師に対してと、病院の医者に対してと、それぞれに違った面を見せるかもしれない
そのそれぞれで対人関係の特質が表現される
本来ならばその全体を総合して診断や表現がされるべきなのであるが
それは原理的に難しい面がある
それよりも、診察室ではどのようであったかを正確に記述するほうが
控えめで正しいという議論もある
だから、うつ病、うつ状態、大うつ病、単極性うつ病、双極性うつ病、気分障害、自律神経失調症、
不安性障害、軽度発達障害、自己愛性人格障害、境界性人格障害、身体表現性障害、急性ストレス反応、
このくらいは成立すると思う
病態も時間とともに変遷するという事情もある
その点でも、変化するものだ
医師を説得するために何をしているのか
いろいろなデータを揃えて
グラフを作るのだが
おかしなことに
調査してそのデータを作っているのは医師なのである
だまされるはずがない
あるいは、素朴な説明を受け入れるはずがない
ある研究に実際には係らなかったとしても、
どのようなプロセスでそのようなデータが出ているのかは
素人の人たちよりはずっとよく分かっているはずだ
統計処理の方法も分かっているはずだ
エビデンスなんていうものの使い方もいかがわしさも分かっているはずだ
なにしろデータを実際に集めた人たちなのだから
そして何より、研究班の代表の名前を聞けば、どんな人か、
いろいろ分かっているのだ
そしてその分野の研究の歴史も分かっているのだ
そのデータを細工して、医師を説得しようなんて、できるはずがないと思うのだが、
どうだろうか
納得しているのは大局を読めない人だけのような気がする
都合のいい所だけを並べて
プロ野球はこんなにすごいと言われても
実際のプロ野球選手は苦笑いするだけだろう
女性手帳を配布して出産を多くしたい人たち
女性手帳を配布して出産を多くしたい人たちのことがニュースで話題になっていた
こういうことも「日本の国」がやればいいのではないかという話が出てしまうくらい
日本は「国」に依存している
自分たちの子孫を絶やしたくないというなら
地域や職域や、あるいは宗教の単位で、もっというなら家族の中で、
それぞれが考えるところを話しあえばいいのであって
それを拒絶する自由も保証されるようでありたい
しかし国単位でやってしまうと税金を使うことになり
あるいは公教育を利用することになる
そうなると人間は間違うこともあるものなのだから
危険である
そうではなくてたとえば地域の集まりとか宗教の集まりとかで
勝手に主張し、反対ならば募金しないとか、集団から離れるとか、自由でありたい
ーー
とは言うものの、子供を産む産まないについては、カトリックのように、
妊娠のためのセックスだけが正しい、中絶はダメ、
極端に言えば排卵日とその前後を含めて3日だけセックスOK、あとは禁欲日、
そんな風に決めて教育し続ける団体が
100年後とか1000年後には生き残るに決まっているだろう
(そして多分、現実には10人に一人くらいは、その原則に反した性行為による子供が混じっているのだろう)
だからこの件に関しては、どんなことを決めてもいいし、どんなことをしてもいいと思う、
生き残るのは誰か、きちんと進化論の原則で決まるのだから
200年後のことなんか関係ない、自己実現が大事とだとか、人権のためにとか、
それはそれでいいだろう、立派な考え方で、尊重されるべきだ
だから「国」で決めて強制したり、税金を使ったりすべきではない
51対49で決まったら49人も従えという話ではないだろう
51人は何も決議しないでもいいから
自分たちで率先して行えばいいだけだ
200年後には49人の子孫はいないのだ
ーー
世俗の倫理とか、宗教的な戒律とか、考え方は、
その世界の文明の基礎条件により大きく異る
たとえば、出産のことで言えば、衛生状態、栄養、医療環境、貧困に大きく影響を受ける
何が幸せであるかについても同様である
ハンス・キュングが文明の変化と宗教の変化について関係付けて見せたが
それと同じ明快な話である
豊かな社会にはそれなりの適合した倫理がある
ーー
難しいのは、医療の進歩がさらに難しい倫理的決断を人類に求めることになるだろうということだ
悩むのは後でいいし、
そのときどきで適当に決まっていくだろう
そのせいで苦しむのならそれもまた仕方のないことだ
ーー
障害のある子供に接していて、とても可愛い
実際にその母親をやってみると可愛いだけでは済まされない厳しい現実があるのだが
週に一回だけ遊ぶのは楽しい
たったこれだけのことでも、立場により、条件により、感じ方も、考え方も、
大きく異なることが分かる
ーー
国にきちんと決めてほしい、国にきちんと保証してほしいという人達がいるのだが
さてどんなものだろうか
円安で燃料代が上がり、漁船を出しても儲けが少なくなったので、それを国に補償して欲しいとデモを
している人たちがいたそうだ
そのようにして儲ける方法もあるということだろうが
デモをしたほうが経済効率がいいと判断したのだろうか
“教養とは知識の量ではなくて、「自分の外にあって自分を超えたもの」にたいして謙虚であるということです。”
“詩を書く友人に、どうやったらこんな詩が書けるのかと尋ねたら、 全く意味の分からない外国語の曲やインストの曲を聴いて、こんな 感じの詩だったらいいなという空想で和訳する気分で詩をつける のだそうだ。 ”
“ 中学生の 頃に読んだ漫画に 「悪魔の 方が美しい。でないと人を誘惑できないから」 というような一文のがあって、これもまたなるほど!と膝を打ったのですが、 確かに悪いものには魅力があるんですよね。 ”
カート・コバーンの遺書 聴くことにも創ることにも、もう随分長いこと興奮を覚えなくなっていた。そういったことに、俺は言葉に尽くせぬ罪を感じている。例えば楽屋にいると会場の照明が落ちて、群衆の狂ったような叫びが聞こえてきても、それは群衆の憧憬の念を愛し、楽しんでいたらしいフレディ・マーキュリーに与えたような影響を、俺には与えないんだ。 そのことは俺が、心から尊敬し、羨まく思っていたことなんだ。 要するに、俺は君たち誰ひとり騙すわけにはいかないんだ。 君たちにとっても、俺にとってもフェアじやないから。この思い
“だから、河合隼雄の「死者の目は欺けない」という一文を読んだ時、だったら生きている人のことは気にするのはやめてしまおう、と思ったりした。実際、生きている人は欺ける。でも、死んだ親しいひとがわたしのことをじっとみていると思えば「わたしは確かにこうしました」と思う事ができる。”
メタサイコロジー
学問的に研究すれば
そこには脳が浮かび上がるはずである
サイコロジーが全く実証的ではないおかげで
正確な脳の転写が達成できているのではないかと思う
“よく女子が騒ぐコラーゲンというものは、摂っても何も効果が無いのだそうだ。これをヘアメイクの人が「畑に砂糖を撒いてもイチゴが甘くならないのと同じ」と言っていた。さすがにプロは言うことが違う。”
“【原文】 私は小林が中村が鈴木が死んだ現場にいたと証言したのかと思った。 【修正文】 鈴木が死んだ現場に中村がいたと小林が証言したのかと私は思った。
“時間より大事なものはありません。 時間というのは命を分割したものなのです”
“インタビューをしたある女の子が、「中学の頃、自分の靴ひもがほどけたときに、一緒に歩いていた子たちが足を止めてくれなかった。でも、他の子の靴ひもがほどけたときはみんながぴたっと止まって待っていた。」という経験を話してくれました。彼女は別にいじめられているわけでもないし、そんな認識もないんですけど、「見下されている」とはその当時感じていたようです。 スクールカーストってそういうことだよ、とぼくは思いました。この話はとても些細なことのように聞こえます。でも、中学の頃の話のはずなのに、彼女はそれを今でも思い出し
国際資本はもう中国を空売りしている。これは冗談ではない ハゲタカの無慈悲な空売り
“手術中、赤い臓器などを長時間見つめていると、その色の残像が残り、目の補色の作用から白色は青緑色に見えてしまうという。そういった残像による手術のミスを防止するために青い手術着が使われるようになったのだ。”
“無限に成長し続け、無限に人口が増え続け、無限に税収が増え続ける社会などというものは原理的に存在しない。 そのような存在しないものを基準にして「そうでなくなったらおしまいだ」というようなことを言って青ざめるのは愚かなことである。”
“亡師はよく迷ったら稽古をしなさいと言っていました。稽古の蓄積による理解の深化、これは身体的にも精神的にも非常に心地よいものがあります。”
“大学の友人から「作曲したいんだけど何からはじめればいい?」って一ヶ月ぐらい前にメールきたんだけど、創作を教えるのはものすごーく難しい。なんでかっていうと、創作に向いている人はアドバイスを受ける前にもう創作しているからだ。”
“ 1960年代から80年代にかけて英国の研究者が旧ユーゴスラビアで行った追跡調査では、性格と死亡率には明らかに関係があった」(奥村教授)という。目的意識を持ち、それが達せられないときに自分が全部背負ってしまうまじめな人は、いちばん死亡率が高かった。 うまくいかないと他人のせいにする人や、さっさと別のことに乗り換える移り気な人は、逆に死亡率が低い。この実験では、まじめな人に対して「うまくいかなくてもそんなに気にするな」と考え方を変える訓練をしたら、長生きすることもわかった。 ”
“よく“一流好み”の人がいるが、それはつまりただ世間の、他人の評価を鵜呑みにしてありがたがってることだろう。誰がなんと言おうと、三流だろうが五流だろうが、自分のいいと思うものはいい、という態度を貫かなければ、“ほんもの”なんかわかりゃしないよ。 岡本太郎”
“やるだけのことはやって、後のことは心の中でそっと心配しておれば良いではないか。どうせなるようにしかならないよ。”
現代日本国民の皇族への感情は60年かけて皇室アルバムで醸成した結果である
これが嫁や婿の形で皇室に入った場合は
それだけの時間の積み重ねがない
生まれた時から
日本は良い国
天皇は良い人
と、徐々に埋め込まれた部分に反発できる人は理性の強い人だろう
途中から皇室に入った人に対しては
そのような抑止装置がないのだろう