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深刻な感染症、森林破壊のせいで増加、研究 マラリア、ライム病、ニパウイルス…新たな感染症が流行するおそれも  1997年、インドネシアの森の上空は煙に覆われていた。農地を作るための火が、干ばつの影響によって、日本の本州の半分を超えるほどの広さに燃え広がったのだ。煙のせいで木々は実をつけることができず、これを主食とするオオコウモリは食べ物を求めて他の土地へと飛び去った。  このときオオコウモリと一緒に、ある病気も森の外へ出た。  オオコウモリがマレーシアの果樹園に住みついてまもなく、近隣地域のブタに病

深刻な感染症、森林破壊のせいで増加、研究
マラリア、ライム病、ニパウイルス…新たな感染症が流行するおそれも
 1997年、インドネシアの森の上空は煙に覆われていた。農地を作るための火が、干ばつの影響によって、日本の本州の半分を超えるほどの広さに燃え広がったのだ。煙のせいで木々は実をつけることができず、これを主食とするオオコウモリは食べ物を求めて他の土地へと飛び去った。
 このときオオコウモリと一緒に、ある病気も森の外へ出た。
 オオコウモリがマレーシアの果樹園に住みついてまもなく、近隣地域のブタに病が広がりはじめた。原因はおそらく、オオコウモリがかじった果実を食べたせいだと報告された。(参考記事:「エボラウイルスの感染源に意外な動物」)
 病気は養豚農家の人々にも感染した。1999年までには、265人が重度の脳炎を起こし、105人が死亡した。ニパウイルスの人への感染は、このとき初めて確認され、以後、東南アジア全域で流行を繰り返している。
 森林伐採が急速に進行する地域では、通常は野生生物の間でのみ発生する感染症が人間にまで広まる例が数多く見られる。森林破壊の結果として、ニパウイルス、ラッサウイルス、マラリアやライム病を引き起こす寄生虫など、深刻な病を引き起こす病原体が人間にも広まっていることを示す科学的証拠は、この20年間で数多く見つかっている。(参考記事:「人と動物を襲う感染症」)
 アマゾンのほか、アフリカや東南アジアの一部地域では、今も畑を作るために広大な森が焼かれており、専門家らは周辺地域に住む人々の健康についての懸念を表明している。また、次の感染症の世界的流行が、世界各地の森林から始まる恐れもあるという。
「森林破壊が伝染病を拡散させる強力なきっかけになることは、十分な証拠に裏打ちされた事実です」。米カリフォルニア大学サンタバーバラ校地球研究所の疾病生態学者、アンディ・マクドナルド氏はそう語る。「人間が森林環境を破壊して生物のすみかを多く奪うほど、感染症の流行が発生する状況を作り出してしまう可能性は高まります」
アマゾンの森林破壊がマラリアの拡大に重大な影響
 年間40万人以上の死者を出すマラリアは、蚊が媒介するマラリア原虫による感染症で、長い間、森林伐採と深く関連していると言われてきた。
 ブラジルでは過去、マラリアの感染を激減させられたにもかかわらず(1940年の年間600万例から1960年にはわずか5万例にまで減少した)、その後の急速な森林伐採と農業の拡大に伴い、感染者の数が着実に増加してきた。21世紀初頭のアマゾン盆地では、年間60万件以上の感染があった。(参考記事:「蚊と人間の終わりなき戦い」)
 米フロリダ大学新興病原体研究所の疫学者エイミー・ビットー氏らが1990年代後半に行った研究で、その理由が示唆されている。
 森林のあちらこちらが少しずつ伐採されると、マラリアを媒介する蚊のうち、アマゾン川流域で最も重要なハマダラカ(Anopheles darlingi)の繁殖に理想的な環境が、森林の周縁部に作り出される。ビッター氏らがペルーのアマゾンを入念に調査したところ、幼虫の数が多いのは、森林に入っていく道路の脇などにできる日陰のある温かい水たまりや、水を吸い上げる木がなくなった場所の岩陰にある水たまりなどであることがわかった。
そして、マクドナルド氏と米スタンフォード大学のエリン・モーディカイ氏は、10月14日付けの学術誌「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」に、アマゾン盆地の森林伐採がマラリアの伝染に及ぼす重大な影響を報告した。論文によると、2003年から2015年までの期間において、森林の消失はマラリアの感染に確かに影響しており、焼失した森林が年間10パーセント増加するとマラリアの症例が3パーセント以上増えるという。たとえば2008年に、森林破壊が前年より東京23区の2.5倍(約1600平方キロ)ほど増えたところ、マラリアの症例がおよそ1万件増えたという。この影響がとくに顕著に現れたのは、まだ木々がまだらに残っていて、蚊が好む湿潤な環境のある森林の内部だった。
 アマゾンの森が燃え続けている今、こうした調査結果は深刻な予兆をはらんでいる。先日発表された最新のデータによると、今年だけですでに青森県ほどの広さ(9800平方キロ)の森林が失われた。(参考記事:「アマゾン森林火災、原因は「過剰な伐採」と専門家」)
 蚊の生態は種や生息域によって異なり、これを一般化するのは難しいと、ビットー氏は強調する。アフリカの研究では、マラリアと森林破壊の関連性はほとんど認められなかった。これはおそらく、アフリカの蚊が日当たりのよい水場で繁殖し、日陰の森林地域よりも開けた農地を好むからだと思われる。一方、マレーシアのボルネオ島サバ州では、パーム油などのプランテーションを作るための森林伐採が急増したタイミングでマラリアの流行が起こっている。
 人間にとって恐ろしい病気を運んでくるのは蚊だけではない。実のところ、新たに流行する感染症の60パーセントは、さまざまな動物から人間に感染したものであり、その大半は野生生物だ。HIV、エボラ、ニパなどはすべて森にすむ動物が感染源である。
 世界の感染症の追跡調査を行うニューヨークの非営利団体「エコヘルス・アライアンス」などが2015年に行った研究では、「新興感染症のほぼ3つに1つは、森林破壊などの土地利用の変化に関連している」ことがわかっている。
 多くのウイルスが、森の中では宿主に害を与えず共存しているのは、その動物たちがウイルスとともに進化してきたからだ。しかし人間は、森林に進出したり、森林環境を変えたりすることによって、意図せず病原体の宿主になってしまうことがある。
「わたしたちは森の構造を完全に変えようとしているのです」と、エコヘルス・アライアンスの疾患生態学者、カルロス・ザンブラナ=トッレリオ氏は言う。
何も熱帯病だけではない
 先に紹介したオオコウモリのように、森から追い出された動物によって、感染症が広がることもある。
 たとえば西アフリカのリベリアでは、森林を伐採してパーム油のプランテーションを作ると、通常は森林にすむような種類のネズミがそこに大量に集まってくる。ヤシの実が豊富にあるためだ。そして、ラッサウイルスの人への感染は、ウイルスを保有するげっ歯類の糞尿や感染者の体液で汚染された食物や物に接触したときに起こる。ラッサウイルスは、エボラウイルスと似たような症状を人間に引き起こし、リベリアでは感染者の36パーセントが死亡した。
 ウイルスを保有するげっ歯類は、パナマ、ボリビア、ブラジルの森林伐採地域でも確認されている。
 こうした経緯をたどるのは、何も熱帯病だけではない。マクドナルド氏の研究は、米国北東部における森林伐採とライム病との間に奇妙な関連があることを示唆している。
 ライム病の原因菌であるボレリア・ブルグドルフェリ(Borrelia burgdorferi)は、森林に生息するシカの血を吸うマダニから感染する。ところがこの細菌は、人間が分断した森に生息するシロアシネズミからも見つかっている。(参考記事:「致死率30%の新興ウイルスが日本に定着している!」)
 人間への感染症の伝播が熱帯地方で起こりやすいのは、野生生物や病原体の多様性が全体に高いためであると、マクドナルド氏は言う。熱帯では、吸血昆虫からカタツムリに至るまで、さまざまな動物によって伝染する数多くの病気が、森林破壊と関連していることがわかっている。既知の病気に加えて、人々の侵入が増えるにつれ、森の中にたくさん潜んでいるまだ知られていない致死性の病気が外へ出てくる可能性も、科学者は恐れている。
 人への感染は気候が温暖になるにつれて増加し、動物や動物が媒介するウイルスが、かつては存在しなかった場所に現れる可能性が高まるかもしれないと、ザンブラナ=トッレリオ氏は指摘する。
 そうした病気が森林周縁部にとどまるのか、それとも人の中に居着いて流行を引き起こすのかは、ウイルスの感染方法にかかっていると、ビットー氏は言う。たとえばエボラやニパのようなウイルスは、人から人へ直接感染する。理論上は人間がいる場所であれば、世界中いたるところに移動できる。(参考記事:「コンゴのエボラ流行が収束せず、史上第2の規模に」)
 20世紀にウガンダの森林で発見されたジカウイルスが、世界に広がって数百万人という感染者を出したのは、都市部で繁殖するネッタイシマカ(Aedes aegpti)を宿主としたせいだ。(参考記事:「【解説】ジカ熱に未知の経路で感染、米国」)
「また別の、もしかすると複数の病原体が、この先、同様の経緯をたどるとは考えたくありません。それでも、その可能性を考えて準備をしておくべきでしょう」とビットー氏は言う。
病気を封じ込めるという自然の恵み
 エコヘルス・アライアンスの研究者らは、病気を封じ込める作用は、新たな「生態系サービス」とみなすことができると主張している。生態系サービスとは、たとえば炭素の貯蔵や受粉などのような、自然生態系から人が得られる恵みのことだ。
 この主張を支える証拠を得るため、同団体は、マレーシアのボルネオ島において、マラリア対応の正確なコストを、各病院のベッドや医師が使用する注射器に至るまで、詳細に記録する作業に取り組んできた。その結果、同地域で新たにマラリアにかかった患者ひとりの治療にマレーシア政府が費やす金額は、平均約5000ドルであることがわかった。場所によっては、治療費がマラリア管理費用を大きく上回っている場合もあるという。
 こうした費用は徐々に増えている。森林の伐採によって得られる利益を上回りつつあり、財政面からみても森林を維持すべきというやむにやまれぬ議論が起きていると、同団体代表のピーター・ダスザック氏は言う。
 ダスザック氏らは、マレーシア政府と協力して、この結果を土地利用計画に組み込むために動き始めている。またリベリア当局とも同様のプロジェクトを進め、同国でラッサ熱が流行した場合の費用算出を行っている。
 マクドナルド氏はこの取り組みを評価する。「環境を守ることができれば、人々の健康を守ることもできるでしょう。そこに希望があることを忘れてはなりません」(参考記事:「国立公園近隣の子どもは健康で豊か、途上国で確認」)


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反出生主義 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 反出生主義(はんしゅっしょうしゅぎ、英: Antinatalism)とは、子供を持つ事に対して否定的な意見を持つ哲学的な立場である。アルトゥル・ショーペンハウアーやエミール・シオラン、デイヴィッド・ベネターらが反出生主義の擁護者として知られている。 人口過剰 反出生主義が人口過剰や飢餓の問題を解決できると支持者の多くが考えている。また、枯渇性資源の減少も回避できる。 インドや中国などのいくつかの国は家庭内の子供の数を減らす政

反出生主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
反出生主義(はんしゅっしょうしゅぎ、英: Antinatalism)とは、子供を持つ事に対して否定的な意見を持つ哲学的な立場である。アルトゥル・ショーペンハウアーやエミール・シオラン、デイヴィッド・ベネターらが反出生主義の擁護者として知られている。
人口過剰
反出生主義が人口過剰や飢餓の問題を解決できると支持者の多くが考えている。また、枯渇性資源の減少も回避できる。
インドや中国などのいくつかの国は家庭内の子供の数を減らす政策を採用している。これらの政策はすべての出産を否定的に捉えているわけではないが、深刻な人口過剰の懸念や国の資源への重い負担を抑制するのに役立っている。
道義的責任
ショーペンハウアーは、人生は嫌なことの方が多いと主張し、最も合理的な立場は子供をこの世界に生みださないことだと主張する。子供は、親・出生地・時代を選べない点から、ノルウェーの哲学者Peter Wessel Zapffeは、子供が同意なしに世界に生み出されることにも留意している。
幸福
親になって子供を育てることは、幸福をもたらすとは限らない。子供の立場から見ても、子供は親を選べない点から、児童心理を知らなかったり、子供を奴隷扱いするなど育児に不適格な親(いわゆる「毒親」)のもとに生まれたら、必然的に子供は不幸になる。
子供を持つ親は、子供のいない家庭と比較して統計的に有意に幸福のレベルが低く、生活満足度、結婚満足度、および精神的健康状態が悪いことをヨーロッパやアメリカの多くの学者が報告し、いくつかの証拠を発見している[1]。
ブッダ
古くは仏教の開祖ブッダ(ゴータマ・シッダールタ)がスッタニパータで「子を持つなかれ」と説いている[2]。
Hari Singh Gourは彼の本The Spirit of Buddhismの中で、とりわけ四諦とパーリ律の始まりを考慮し、以下のようにブッダの教えを解釈している。
ブッダ曰く、人生が苦しみである事は忘れられがちである。人が子供を作る。従ってそれが老いと死の原因である。彼らが苦しみの原因がその行いにあると気付いたならば、彼らは子供を作るのを止めるだろう。そうして老いと死のプロセスを止めるべし[3]。
負の功利主義
負の功利主義(英語版) では、幸福を最大限までに高めるよりも苦痛を最小限に抑えることの方がより倫理的に重要であるとされる。
ヘルマン・ヴェター(英語版) (1933-)が賛同したヤン・ナーベソン(英語版)(1936-)の非対称仮説(英語版)はこう主張する:[4]
仮に子が生涯にわたって著しく幸福であることが保証されていても、その子供を出生させるべき倫理的責任は存在しない
もし子が不幸になりうることを予想できるのであればその子供を出生させるべきではない論理的責任が存在する
しかし、ヴェターはナーベソンのこの結論に賛同しなかった:
一般的には、子が不幸を経験すること、また、他者に不利益をもたらすことが予想されないのであれば、子供を出生させる、もしくはさせない義務は生じない
代わりに、彼はこの決定理論的テーブルを提示した:
子が幸福になる 子が不幸になる
子を出生させる 倫理的責任は生じない 倫理的責任は不履行
子を出生させない 倫理的責任は生じない 倫理的責任は履行される
そして、子供は生むべきではないと結論付けた:[5][6]
”子を出生させない”ことが、同程度、もしくはより良い結果をもたらすため、”子を出生させる”ことよりも優位にあると考えられる。そのため子が不幸になる可能性を排除できない限り―これは不可能であるが―、前者はより好まれる。そのため、我々は(3)の代わりに、より踏み込んだ(3')―どのような場合でも、子供を産まないことが倫理的に好まれる―を結論とする。
カリム・アケルマは、人生の中で起きうる最良のことは最悪なこと―激痛、怪我、病気、死による苦しみ―を相殺せず、出生を控えるべきであると主張している。[7][8]
ブルノ・コンテスタビリー はアーシュラ・K・ル=グウィン の "オメラスから歩み去る人々" を例として挙げている。この短編では、隔離され、虐げられ、救うことができない一人の子供の苦しみにより、住民の繁栄と都市の存続がもたらされるユートピア都市オメラスが描かれている。大半の住民はこの状態を認めて暮らしているが、この状態を良しとしない者もおり、彼らはこの都市に住むことを嫌って"オメラスから歩み去る"。コンテスタビリーはこの短編と現実世界を対比する: オメラスの存続のためには、その子供は虐げられなければいけない。同様に、社会の存続にも、虐げられる者は常に存在するという事実が付随する。コンテスタビリーは、反出生主義者は、そのような社会を受け入れず、関与することを拒む "オメラスから歩み去る人々"と同一視できると述べた。また、「万人の幸福はただ一人の甚大な苦しみを相殺できうるのか」という疑問を投げかけた。[9]
ベネターの主張
デイヴィッド・ベネターは、生まれてくることはその本人にとって常に災難であり、それゆえに子供を生むことは反道徳的な行為であり、子供は生むべきではない、と主張する。子供を生むことは、多くの動物がそうしているように単に何も考えずに性的欲求を満たすための行動である性行為の結果として引き起こされている現象であるか、または生む側の欲求を満たすために引き起こされている現象であるか(例えば子育てしてみたいといった欲求を満たすため、自分の老後の世話をしてもらおうという計算の為)、または判断するさいに生の質(QOL)を不当に高く誤評価していること(ポリアンナ効果)から起きている現象である、とする。
ベネターはチャイルド・フリーのような立場と自身の立場をはっきりと区別する。チャイルド・フリーのような考え方は、自分のライフスタイルを維持することを考えて子供を持たないという立場を取るが、ベネターは親の都合ではなく、生まれてくる人間の観点に立って、その上で生むべきではない、と主張する。つまり生まないことは、多くの人に取ってはある種の我慢が必要な事ではあるが、生まれてくる人間のことを少しでも真剣に考えるのならば、子供は生まずに我慢すべきだ、とする。
ベネターは人口爆発の問題について言及している。ベネターは地球上の理想の人口はゼロであるとしている。つまり人間は絶滅した方がよい、と主張している。とはいえ即座に人類絶滅を目指すのは生まれてきてしまった人たちにとって大きい苦痛を伴うものとなるであろうから、少しずつ段階的に人口を減らしていき、最終的に絶滅する、つまりゆるやかに絶滅していくのが良いだろう、としている。ちなみにヒトに限らず、他の感覚を持った生物も、まったく生まれてこない方が良かった、つまり絶滅してしまった方が良い、としている。
ちなみにこの生の苦の問題に関し、こうした文章を読んでいる人間は「すでに手遅れである」とベネターは言う。それはすでに生まれてきてしまっているからである。
彼の著書『Better Never to Have Been』は両親と兄弟に捧げられている。両親に(私を生んでしまったけれども)、兄弟に(生まれてきてしまったけれども)、という形で献辞されている[10]。
悪事としての魂の牢獄
マニ教[11]、ボゴミル派[12]とカタリ派[13]は出産は魂を牢獄に入れる悪事であると信じていた。彼らは出産は邪神デミウルゴスまたはサタンの仕業と見なしていた。
ショーペンハウアーの倫理
アルトゥル・ショーペンハウアーの哲学では、世界は生きる意志によって支配されている。盲目的で不合理な力、常に現れる本能的欲望が、それ自身によって懸命に生み出される。しかし、その性質ゆえに決して満たされない事が苦しみの原因である。存在は苦しみで満たされている。世界には喜びより苦しみの方が多い。数千人の幸福と喜びは、一人の人間の苦痛を補う事はできない。そして全体的に考えると生命は生まれない方がより良いだろう。 倫理的な行動の本質は、同情と禁欲によって自分の欲望を克服することからなる生きる意志の否定である。 一度我々が生きる意志を否定したなら、この世界に人間を生み出すのは、余計で、無意味で、道徳的に非常に疑問のある行為である[14]。
死の克服
Julius CassianusとEncratitesは誕生が死につながる事に気づいた。 死を克服するため、我々は出産をやめるべきであると言う[15][16][17]。
反出生主義の政党
イギリスの反出生主義を公約に掲げた政党ANP(The Anti Natalist Party)は法学者ウィリアム・ブラックストンの「10人の罪人を逃しても1人の無辜を罰することなかれ」の言葉を引用し、正義の原則的に(不必要な)喜びが存在するより(不必要な)苦しみを経験しない方が良いと主張している[18]。 また、公約として「子供を作る意欲を減らす為」に子供の税控除の廃止や裕福な家族への課税などを掲げている[19]。
生物学的逆理としての人間
Peter Wessel Zapffeの哲学によると、人間は生物学的な逆理である。意識が過剰に発達してしまったため他の動物の様に正常に機能しなくなっている。 知覚は我々が抱えられる以上に与えられている。我々はもっと生きたいと望む様に進化したが、人間は死が運命づけられている事を認識できる唯一の種である。我々は幅広く過去から未来を予測する事が可能だ。我々は正義と、世界の出来事に意味がある事を期待する。これが意識を持った個体の人生が悲劇である事を保証している。 我々は満足させる事ができない欲望と精神的な要求を持っている。人類がまだ存続しているのはこの現実の前に思考停止しているからに他ならない。 Zapffeによると人間はこの自己欺瞞をやめ、その帰結として出産を止めることによって存続を終わらせる必要がある[20][21][22][23]。
同意なしに苦痛や死をもたらす
Julio Cabrera は出産は人間を危険で痛みに満ちた場所に送り込む行為だと述べている。生まれた瞬間から死に至るプロセスが開始される。Cabreraは出産において我々は生まれてくる子供の同意を得ておらず、子供は痛みと死を避けるために生まれてくる事を望んでいないかも知れないと主張している[24][25]。同意の欠如については哲学者のGerald HarrisonとJulia Tannerも同様の事を書いている。彼らは生まれてくる本人の同意なしに出産をつうじて他人の人生に影響を与える道徳的な権利を我々は持っていないと主張している[26]。
環境への影響
自主的な人類絶滅運動への有志者、支持者達は人間の活動が環境悪化の主な原因であるため、生殖を控えるのが「人災への人道的代替」であると論じている[27][28][29]。
他の動物を傷つける
デイヴィッド・ベネター、[30] Gerald HarrisonとJulia Tanner[26] らは 人間が動物に危害を加えている事を懸念している。我々の種によって毎年数十億の動物が動物製品の生産や動物実験、環境破壊の結果や残酷で嗜虐的な喜びの為に虐殺されている。彼らは我々が動物を苦しめるのは非倫理的であるとする動物の権利の思想家に賛同する傾向がある。 彼らは地球上で最も破壊的な種は人類だと考える。そして新たに人間が生まれなければ人間によって新たに動物が苦しめられる事はなくなると主張する。
出産の代わりに養子
現在、世界中に何百万人もの孤児がいる。Théophile de Giraud[31]は道徳的な問題を抱えた出産を行うよりも、愛情と保護を必要としている子供らを養子にする方が良いだろうと述べている。


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“大人とか子供という言葉自体、30~40年前とは完全に違ってしまった。いまや30歳になっても「大人はずるい」とか言い出す人間がいる時代。”

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なぜ変わったのか、問題。


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“過去の出来事を思い出すときに、事実と全く異なることを思い出してしまうことがありますが、これは「False Memory(過誤記憶)」と呼ばれ、えん罪を作り出す原因の一つとしてしばしば問題にされます。このような過誤記憶を人為的に作り出すことに利根川進博士ならびに理化学研究所の研究チームが世界で初めて成功しました。 記憶の曖昧さに光をあてる-誤りの記憶を形成できることを、光と遺伝子操作を使って証明-理研プレスリリース

“過去の出来事を思い出すときに、事実と全く異なることを思い出してしまうことがありますが、これは「False Memory(過誤記憶)」と呼ばれ、えん罪を作り出す原因の一つとしてしばしば問題にされます。このような過誤記憶を人為的に作り出すことに利根川進博士ならびに理化学研究所の研究チームが世界で初めて成功しました。 記憶の曖昧さに光をあてる-誤りの記憶を形成できることを、光と遺伝子操作を使って証明-理研プレスリリースhttp://www.riken.jp/pr/press/2013/20130726_1/ Fake memory implanted in mice with a beam of lighthttp://arstechnica.com/science/2013/07/fake-memory-implanted-in-mice-with-a-beam-of-light/ MIT神経回路遺伝学センター教授で理研脳科学総合研究センター長の利根川進博士とRIKEN-MIT神経回路遺伝学センター利根川研究室の研究員のチームは、これまでにもマウスの脳に光を当てることで特定の記憶を思い出させることに成功してきましたが、今回、同研究チームは、マウスの脳に光をあてることで人工的に過誤記憶を作り出すことに世界で初めて成功しました。 実験は、「optogenetics(光遺伝学)」という手法を用いて行われました。これは、脳神経細胞(ニューロン)に光感受性物質を導入することで、光の照射によってニューロンを興奮・抑制させたりできるというもの。簡単に言うと、「光をあてることで脳細胞の活動をコントロールする」という技術です。 今回、利根川博士率いる研究チームは、海馬の特定部分に記憶を保存するニューロンを特定、ここに光感受性タンパク質を導入した後、光(ブルーライト)を照射し、そのニューロンを活発化させることで特定のエングラムを呼び起こさせ、これと他のエングラムを結びつけることで人工的に過誤記憶を発現させようと考えました。 実験の内容としては、まずマウスを安全な環境である箱(箱A)に入れた後、箱Aにいる時にだけ活発に反応するニューロンを特定します。ここで特定されたニューロンには、箱Aのエングラムが保持されているはずです。次に、そのニューロンに光感受性タンパク質を導入(標識)します。これでマウスに光を当てれば箱Aでのエングラムが活性化し箱Aでの記憶がよみがえるという仕組みができあがります。 次に、標識したマウスを箱Aとは異なる環境の箱(箱B)に移した後、光を照射。これでマウスは箱Bにいるものの箱Aの記憶を思い出すことになります。実験では、箱Bに入れたマウスに光をあてた(箱Aの記憶を思い出させた)状態で、マウスにちょっとした電気ショックを与えます。こうすることで、箱Aの記憶に電気ショックという恐怖の体験を結びつけたのです。 このマウスを再び箱Aに戻すと、なんとマウスは恐怖から硬直化しました。マウスは箱Aで電気ショックを受けた経験がないにもかかわらず、電気ショックの記憶を思い起こしたのです。つまり、安全な箱Aと言う環境でのエングラムは、電気ショックという恐怖を伴った別のエングラムに変化したというわけです。 さらに、このマウスは他の環境でも、箱Aのエングラムに対応したニューロンを光で刺激しただけで恐怖反応を示したということです。平和な環境であったはずの箱Aでの記憶は、もはや電気ショックを与えられた恐怖の体験にすり替わってしまったのです。 もちろん、マウスが何を記憶しているかを正確に知ることは出来ません。しかし、研究チームは、過誤記憶の呼び出しで使われる脳領域が、自然な(真の)記憶の呼び出しで使われる脳領域と全く同じであるということも突き止めています。このことからは、過誤記憶を思い出す場合と正しい事実を思い出す場合のメカニズムが全く同じということが推察されます。つまり、私たちが過誤記憶を本当の出来事のように感じてしまうのも無理のないことだと言えるわけです。 なお、利根川博士は、「ヒトは高度な想像力を持った動物です。本研究のマウスと同様に、私たちが遭遇する“嫌な”あるいは“快い”出来事は、そのときまでに獲得した過去の経験と関連付けられる可能性があり、それで過誤記憶が形成されるのです」と述べられています。また、理研は、人間の過誤記憶の理解が進むことは、裁判での目撃証言には危うさが潜んでいるという警鐘になるはずだとしています。”


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“ 許すことは、ひとつの解決法だ。過去と無理に格闘せずに、未来に目を向けることができる。すべての無限の可能性は前へ進んでいるのだと悟るのは、すでに起こってしまったことを大目にみて背後に追いやることだ。許しなくして、傷は癒えることはないし、自分が成長することもできない。  過去を抹消し、起こったことをすべて忘れろと言っているわけではない。恨みや怒りや苦しみを開放し、悲劇から学んで、自分の人生を進めていくことを選べということなのだ。” 幸せな人が絶対にしない6つのこと

“ 許すことは、ひとつの解決法だ。過去と無理に格闘せずに、未来に目を向けることができる。すべての無限の可能性は前へ進んでいるのだと悟るのは、すでに起こってしまったことを大目にみて背後に追いやることだ。許しなくして、傷は癒えることはないし、自分が成長することもできない。


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“たとえ今すぐ答えを見つけられなくても、常にこう自分に問い続けなくてはならない。自分はこの一生で何を成し遂げたいのか。この人生は何のためにあるのか。そして、自分の夢は何なのか、と。”

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“最後の木が切られたとき、最後の魚が釣られたとき、最後の川が毒されたとき、あなたは、お金を食べることができないということを悟るだろう”

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韓国ドラマ「馬医」 全50話。回想シーンがとても多くてわかりやすい。 一途に想い続けることが大切なのだと納得できる。

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“私たちがいくら考えごとを頭から追い払おうとしても、体はメッセージを受け取っています。そして、悲しみや自己批判を抑えつけようとすればかえって憂うつになるのと同じように、思考を抑圧すると、心的外傷後ストレス障害(PTSD)や強迫性障害(OCD)などの深刻な不安障害の症状を悪化させてしまうことが、研究によって明らかになっています。精神的な苦しみから自分を救いたければ、そうした苦しみを頭から追い払おうとするのではなく、どうにか折り合いをつけていく必要があります。”

“私たちがいくら考えごとを頭から追い払おうとしても、体はメッセージを受け取っています。そして、悲しみや自己批判を抑えつけようとすればかえって憂うつになるのと同じように、思考を抑圧すると、心的外傷後ストレス障害(PTSD)や強迫性障害(OCD)などの深刻な不安障害の症状を悪化させてしまうことが、研究によって明らかになっています。精神的な苦しみから自分を救いたければ、そうした苦しみを頭から追い払おうとするのではなく、どうにか折り合いをつけていく必要があります。”


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“習慣化するコツは、自分を動物だと自覚すること。 下手に自分に知性があると思うから習慣化に失敗する。 人間は知性的な存在である以前に動物なのだ。 そして習慣とは動物的な習性なのである。”

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“私はこの何年も次のことを学生たちに言い続けている。 - データは情報ではない (Data is not infoamtion) - 情報は知識ではない (Information is not knowledge) - 知識は知恵ではない (Knowledge is not wisdom)”

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“雨の本屋は気持ちがいい。本が雑音を吸収して雨音だけが響き、いつもより言葉と親しくなれる気がする。 今日は、終日雨だった。みな気持ちよさそうに本をさわっていた。”

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“「一日に一つ、何か小さなことを断念する。最低でもそのくらいのことが容易にできないと、自制心があるということにはならない。また、小さな事柄に関して自制できないと、大きな事柄に関して上手に自制して成功できるはずもない。自制できるということは、自分をコントロールできるということだ。自分の中に巣くう欲望を自分で制御する、欲望の言いなりになったりせず、自分がちゃんと自分の行動の主人になる、ということだ」”

“「一日に一つ、何か小さなことを断念する。最低でもそのくらいのことが容易にできないと、自制心があるということにはならない。また、小さな事柄に関して自制できないと、大きな事柄に関して上手に自制して成功できるはずもない。自制できるということは、自分をコントロールできるということだ。自分の中に巣くう欲望を自分で制御する、欲望の言いなりになったりせず、自分がちゃんと自分の行動の主人になる、ということだ」”


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“嫌われたらその相手にはもう話を聞いてもらえない。考えをわかってほしかったら、相手に強い嫌悪感を持たれるような言葉遣いや態度は避ける。できれば、わずかでも好感を与え続ける。それは媚びやへつらいとは違う。「君の話を聞こう」って思わせるための作法であり戦略。”

“嫌われたらその相手にはもう話を聞いてもらえない。考えをわかってほしかったら、相手に強い嫌悪感を持たれるような言葉遣いや態度は避ける。できれば、わずかでも好感を与え続ける。それは媚びやへつらいとは違う。「君の話を聞こう」って思わせるための作法であり戦略。”


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“小学校の休み時間に、何気なく各教室をのぞきながら歩いていると、 全員が運動場や図書室などに出たクラスの中で、 ひとりぽつんと机に向かって本を読んでいる子がいたりする。 私は、いいなあ!と思う。 周りに、 休み時間まで合わせることをしないで、 一人で自分のしたいことをしている。 それって、いいなあと思う。”

“小学校の休み時間に、何気なく各教室をのぞきながら歩いていると、 全員が運動場や図書室などに出たクラスの中で、 ひとりぽつんと机に向かって本を読んでいる子がいたりする。 私は、いいなあ!と思う。 周りに、 休み時間まで合わせることをしないで、 一人で自分のしたいことをしている。 それって、いいなあと思う。”


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“エルマーの冒険の名訳者、渡辺茂男さんの講演があり『実在しない生き物が、子供の心に椅子を作り、それらが去った後に実在する大切な人を座らせることができる。』という話を聞いて感動しました。”

“エルマーの冒険の名訳者、渡辺茂男さんの講演があり『実在しない生き物が、子供の心に椅子を作り、それらが去った後に実在する大切な人を座らせることができる。』という話を聞いて感動しました。”


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「恋人っていうのは、いいことがあったとき一番に伝えたいと思う人のことです」

「恋人っていうのは、いいことがあったとき一番に伝えたいと思う人のことです」


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“若い頃は「判断する」ってことを、「正しい方を選ぶこと」だと思ってたけど、「判断するって事は、選んだ結果を受け入れること」と思うようになってから少しずつ人生うまくいくようになった気がする。正直何が正しかったかなんて、相当先じゃないないと分かんないよ。”

“若い頃は「判断する」ってことを、「正しい方を選ぶこと」だと思ってたけど、「判断するって事は、選んだ結果を受け入れること」と思うようになってから少しずつ人生うまくいくようになった気がする。正直何が正しかったかなんて、相当先じゃないないと分かんないよ。”


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“濡れた靴下を履いたままでいると、体は乾かさなきゃと思い込み足の循環をよくします。特に鼻炎の人は鼻や喉の通りがよくなるとのこと。ただし足は不快です。”

“濡れた靴下を履いたままでいると、体は乾かさなきゃと思い込み足の循環をよくします。特に鼻炎の人は鼻や喉の通りがよくなるとのこと。ただし足は不快です。”


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19世紀のイギリスでは、入院患者の半分が院内感染が原因で死亡している。

19世紀のイギリスでは、入院患者の半分が院内感染が原因で死亡している。


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ニュートンはプリズムで分離した日光の色を5色しか見分けることができず、目のいい助手を雇って見てもらったら7色になった。

ニュートンはプリズムで分離した日光の色を5色しか見分けることができず、目のいい助手を雇って見てもらったら7色になった。


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かなキーボードの配列は、大正12年に作られた。

かなキーボードの配列は、大正12年に作られた。


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シャコは光の受容細胞を10種類もっている。つまり、10原色で世界を眺めている。

シャコは光の受容細胞を10種類もっている。つまり、10原色で世界を眺めている。


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コブラはコブラにかまれると死ぬ。

コブラはコブラにかまれると死ぬ。


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運動をすると、筋肉は破壊される。破壊された筋肉繊維が修復するときに、以前よりも強い筋肉となる。

運動をすると、筋肉は破壊される。破壊された筋肉繊維が修復するときに、以前よりも強い筋肉となる。


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多くの植物は、酸性雨の中でよく育つ。NOX窒素が肥料となるため。

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世界で生産される塩の一割は、アメリカのハイウェイにまかれている。

世界で生産される塩の一割は、アメリカのハイウェイにまかれている。


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“日本で活動している東トルキスタン人が 「日本は唯一の被爆国などと言わないで」と訴えていた。 東トルキスタンでは中国による核実験のため20万人くらいが死亡し 100万人以上の健康被害が発生しているそうだ。”

“日本で活動している東トルキスタン人が 「日本は唯一の被爆国などと言わないで」と訴えていた。 東トルキスタンでは中国による核実験のため20万人くらいが死亡し 100万人以上の健康被害が発生しているそうだ。”


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消費増税に伴う)補助期間が終わったら中小零細店舗はカード会社の手数料で苦しむことになる

消費増税に伴う)補助期間が終わったら中小零細店舗はカード会社の手数料で苦しむことになる


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“「耳が聞こえない人」「色の区別がつかない人」がいるように,「暗喩が一切理解できない人」がいる,という事実は,もうちょっと一般的になってもいいと思う。本人たちのためにも。”

“「耳が聞こえない人」「色の区別がつかない人」がいるように,「暗喩が一切理解できない人」がいる,という事実は,もうちょっと一般的になってもいいと思う。本人たちのためにも。”


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