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かなり頭のいい人間が独裁的に決定して、非常に悪い結果をもたらしている

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理性主義と独裁を考えると、

独裁は非常に効率がいい、一方で民主主義は効率が悪い


たとえばニュートンやアインシュタインの仕事について、一般大衆の投票により多数決で決めるなどという発想はないだろう


何が人々の幸福であるか、経済はどうするか、法律をどうするか、オリンピックはどうするか、家族関係はどうあるべきか、その他諸々、

一応の答えは、一般大衆の投票によってではなく、最高の知性が、そのときに入手できる最高の情報に基づいて、最高の徳性を基礎にして、判断すべきものではないだろうか


ほぼ何も知らされていない民衆が、知性についても発達不全な民衆が、徳性についても疑問のある民衆が、投票をするとは、一体何をしていることになるのだろう


それよりも、最高の知性と徳性を備えた人間が、独裁的に決定したほうが結局誰にとってもいいだろうと考えられる


しかしながら、歴史の教えるところでは、そのような最高の知性も徳性も存在せず、権力は必ず腐敗するのである


結局、最高に能率の悪い、非常に愚かな決定方式が、最も害悪の少ない政治決定方式であろうという絶望的な状況になる


日銀の決定などは国民の投票によるものではないのだが、それ故にと言うべきか、にもかかわらずと言うべきか、大変困難な状況になってしまっている

かなり頭のいい人間が独裁的に決定して、非常に悪い結果をもたらしている


理想的な人間が行うのであれば、共産主義的な発想が一番能率が良い

しかし人間はそうではない

怠けても結果が平等であれば、多くの人は怠ける

だから共産主義は破滅する


また、理想的な人間が行うのであれば、自由主義も良い制度である

しかし人間はそうではない

自分の努力の成果ではないものまで、つまり、努力によらない偶然の成果まで、自分の努力の成果であると言い張り、権利を主張する

だから自由主義は破滅する


結果として、いずれの場合にも、良心的な人間が一部存在するから、存在できているということになる


良心的な人間が一部存在するということに頼っていていいものなのか

あるいは、そこにこそ、絶対の信頼をおいていい基礎事項なのか、よくわからない


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自由主義的な発想の行き着く破滅が

一粒3000万円のクスリというもののような気もする

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