内部告発サイト「ウィキリークス」はアメリカの情報機関NSA=国家安全保障局が2006年の第1次安倍政権のころから日本政府や日本企業を対象に盗聴を行っていたと発表しました。報告書の中には互いに諜報活動を行わないという取り決めを結んでいる「ファイブ・アイズ」と呼ばれるイギリス、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドの4か国に提供されたものもあったとしています。
安倍談話で「子孫に謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」というのだが そんなことはない 「いまの我々の行動や思想は子孫がそれを、あるいは誇りとし、あるいは謝罪し続けるものとなる、そのような覚悟で、未来の子孫をも巻き込むつもりで、我々は現在を生きている」というべきだろう また、「子孫」が何を意味しているか問題である。 日本人だから日本の過去について責任を持とうとか、そのような狭い意識ではない。 すべては人類の歴史の一部であり、我々は人類の子孫である。
“ 世の中のほとんどの人は最初の夢を諦める。パイロットだったり、野球選手だったり、いろんな夢がある。多くの子どもたちはある日、自分にそもそも才能がなかったり、現実には越えられないものがあると気付き、努力では何ともならない領域があることを知って、人生に修正をかける。 人生の苦しさとは、努力は報われるとは限らないところにあり、才能を持って生まれつくとは限らないことにある。そして人生の素晴らしさとは自分が生まれた境遇を受け入れて、今、自分にできることを一生懸命にやることにある。 ” 敗者に伝えたい 君た
再稼働した鹿児島県にある川内原子力発電所1号機で、発電に使った蒸気を水に戻す設備でトラブル
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信頼を損なうには十分
野武士とか鉛とか鉛管とか
ビタミンCはすごくしみるよとか言ったら
その人は塩水で口の中をすすぐんだそうだ
すごくしみて、
自分が気がついていない口内炎まで気が付くと言っていた
野武士のような人だ
野武士のような人と書いたけれども
私は野武士は一人も知らない
それなのにどうして比喩が成立するのだろう
体がダルイことを
体が鉛のようだと言う人がいるのだが
体が鉛になったことなんかその人もないだろうし
聞く方もそんな体験はない
それなのにそういう言い方をするのは不思議だ
おまけに、体が鉛の管のようだ、と言ったりもする
体が鉛というだけでも全く想像もしにくくて
現代生活では鉛という金属に触れることも殆ど無い
昔なら、水道管が鉛だったり、鉛の分銅とかあったのかもしれない
そういう状況なのに
比喩として、体が鉛の管のようだというのである
アメリカンイングリッシュでそのような言い方はあるけれども
アメリカ人だって実感はないだろうと思う
私の腕はまるで鉛の管だ
と言われても、どうなんだか、よく分からない
まあ、重くて自由にならないんだろうな
しかし、それならそれで、もっと実感に則した
現代的な言い方があるだろうと思うのである
"
今年も花火は一回もみませんでした。 海にも行きませんでした。 それでも飢餓感もないし、つまらないという感じもしないんです。 わたしはたわしの本当にやりたいことを毎日やっているから。
海にも行きませんでした。
それでも飢餓感もないし、つまらないという感じもしないんです。
わたしはたわしの本当にやりたいことを毎日やっているから。"
"不快なことへの対処もいちいち腹たてても体力消耗するだけなので、事務的に淡々とやるしかない。"
“この半年、介護でドツボってる私から皆さんにお伝えしますね。エンディングノートってのが売ってるので、これ両親どちらともに書いといてもらってください。何種類もあるけど中身一緒なのでどれでもいいです。元気なうちに書かせると機嫌を損ねがちですが、誕生日プレゼントに渡すのがいいと思います。”
“鳥は卵から無理に出ようとする。卵は世界だ。 生まれようとする者は、ひとつの世界を破壊せねばならぬ。”
“日本でなにかするなら、「本やテレビを信じる」「大手企業を信じる」「ネット記事にひっかかる」「有名人に乗っかる」「欧米に弱い」って特徴を利用するのが一番の近道。草の根運動やデモはウザがるだけなので逆効果。”
「結婚」の決め手となる5つのポイント
“ 友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹をきめて、自分を貫いていけば、本当の意味でみんなに喜ばれる人間になれる。”
詐欺師の発想は逆なんです。 とにかく彼らは、「ちょっとだけ弱ってる人」を狙っていくんです。金銭的に少しだけ困っている人。社会的に少しだけさみしい思いをしている人。そういう、うすーく弱ってる人たちから、うすーく回収していくんですって。 なぜなら、彼ら(弱ってる人)には「うすーい欲」があるから。
“ お母さんから教わったこと。 ①職場の人は友達ではない。仕事をするために繋がってる人だから過度な期待と甘えはダメ。 ②悪口には乗らない。同調したら自分も加担したことになる。凄く情けないことだし、いつか自分を不利に追い込むことになる。 ③相入れない人は宇宙人だと思って受け流す。 ”
“化粧には別の意味もある。顔を彩ることはまじないに近いんだ。面をつけることも同じ効果だけど、人は顔がちがうとちがう境地になれるんだよ。ふだんできないこともできるようになる。他人に見せる顔というのは、それほど大事なものなんだ”
“戦争を語り継いでもダメ 戦前こそ語り継がなければならない そこには戦争へのプロセスが隠れているから”
“人間にはどうしても「『我々』は個性的で、『あいつら』は同じような奴の集まり」って考えるクセがあるので注意が必要”
“本当にそうだ! 畑というのは人工的に特定の植物を密集させて育てて収穫するという、極めて人工的でロジカルな産業なのだ!俺、生姜の収穫のアルバイトやってそれがメチャ分かった!人為的に作られた土は腐るし細菌が湧いて病気になる!それと農家の皆さんは戦ってるの! わかる!わかる!”
“30数年前に野生のゴリラに初めて遭遇した時から、「ゴリラは歌舞伎だ」と思ってきました。ゴリラのドラミングが歌舞伎の見得とそっくりだったからです。大相撲の仕切りや立会いともよく似ていて、オスと男のカッコよさを追求してきた結果、表現が似てしまったということなんだろうと思います。”
“【精子の生命力】呼吸が止まり、心臓と脳細胞が全滅しても精子は生きている。精子が完全に運動を停止するのは呼吸が止まってから約80時間後。人体の中でもっとも生命力が強いのは精子とも言われる”精子を卵子まで届けることが生命の目的で、あとは全部オマケ
“仏教では、「(あらゆるものは)思い通りにならない」と言い、物事は機が熟せば(原因と条件が整えば)結果すると説きます。”
“わたしには,一人ぼっちの時間があって,そういう時には家のそばで,庭の長い並木道をぶらぶら歩いたりした。そこでわたしは,元気のよい子供だったくせに,物思いにふける習慣を身につけた。空想にしずんで無限というものを感じはじめ,神を垣間見た。しかしそれは,一茎の草でも星に対すると同じようにやさしく眺める,あの自然の母である神であった。そこにわたしは,なぐさめの――それどころか幸福の,第一の泉を見つけたのである。” ジュール・ミシュレ/石川湧 訳『博物誌 鳥』
祈り
強迫性障害の時の呪術的に外界をコントロールする気分に似ている
真言を唱えるというようなことは
魔術的思考の一部と思うが
これも通常の祈りの程度まで薄くなれば特に問題はなく一般心理と言えるだろう
期待、希望、祈り、呪術、魔術、などと一連のものとして並べることができる
意志を外界に反映させるときの様式として
行動・筋肉を介することなく、外界を変化させようとするもの
呪術や魔術は少しも美しくないが
祈りは美しい部分がある
これはたぶん、人間が謙虚になっている瞬間だからだろうと思う
ただ祈るしかないという場面では
自然科学的に有効な手段がない
祈ることの有効性に根拠はないが
自然な行動として祈っている
また、祈りは、亡き者を弔う場合にも用いられる
祈ることと弔うことはぴったり一致するものではないが
似ているものではある
亡き者と対話するには通常は自分一人の心の中で対話するしかない
それは弔いの行為である
自然科学的に有効なことはできないので
祈りを捧げる
人間の脳には魔術的な回路があって
それが祈りの時に働くのだろう
西洋の錬金術から科学への進歩の場面では
魔術的思考の中から科学が抽出されたと考えられるので
魔術的思考は無駄なものではない
もちろん過剰であれば邪魔になる
「おまじない」という程度の軽い魔術があり
魔除けとか厄除け、新築や新車のお祓いなどもこうした心性を利用している
だから結果には責任を持たないし持てるはずがない
心のディフェンスメカニズムにもなっている
祈りや魔術的思考を取り入れることで決定的な破綻を回避することができる
しかしまたそのせいで害悪も生じる
特に才能もないが真面目に働く人が 普通に食べていけて、普通に幸せを感じられるような社会が なんとかして実現しないものかと 切に思う
"働きたいのに仕事が無いのか
仕事はあるのに働きたくないのか
職業訓練もなく熟練もなく才能もない場合
グローバル経済の中で賃金の安い地域の人に職を奪われる
だからそういう人は、いままさに低賃金でグローバル製品を生産している場所に
移住しなければならない
つまりバングラディシュの人から職を奪うためにバングラディシュに行くしかないのである
まあ、わざわざ行かなくても、バングラディシュよりも安く作ればそれでいいのだが
土地代、電気代など工場経営や労働基準法などの法律から難しい
特に才能もないが真面目に働く人が
普通に食べていけて、普通に幸せを感じられるような社会が
なんとかして実現しないものかと
切に思う
才能のある人がもっと儲ける社会などいらない
その人はアメリカに行けばいい
アメリカ・グローバル資本主義、新自由主義はやはり少し、強者の論理が強すぎるのではないかと思う
強者の幸せを少し削ってもいいから、弱者も生きがいのある社会を作っていきたいものだ
また一方で、弱者の保護ばかりに偏ると、その制度に寄生することが利益を生むようになってしまう
それもまた望ましくはない
中間辺りに程よい妥協線がありそうであるが実際にはなかなか難しい
人間は未来を考える動物だ
今幸せだというのと、未来に幸せになれそうだと思うから今幸せだというのと、
微妙に交じり合う
未来に希望があればそれだけでずいぶん気持ちは慰められる
そのような未来の希望さえ、最近は見出し難いのではないか
中国などでも賃金は上昇し不動産バブル破裂から株バブル破裂に波及し
中国人民は資本主義社会の害悪をまともに浴びている現況かもしれない
真面目に働く人が幸せになれる、中程度の幸せの社会、それが目標ではないか
特別な才能のある人やもっと大きな幸せをつかみたい人はアメリカに行けばいい
日本プロ野球と米大リーグの関係と同じである
農業から始まって
絹織物、鉄鋼、重化学工業、自動車、そのあとがない
みんなで高齢者のお世話をするだけで経済は維持できるのだろうか
どんな産業があるだろう
武器産業とかアヘンとかはやめて欲しい
しかしながら自動車産業で言えば、中国やインドが自動車国になればどうなってしまうのだろう
日本みたいな国が20個からそのうと30個になるのだろうか
世界の人にとって大変迷惑なことだろう
しかし中国もインドもブラジルもまず当面は重化学工業化して自動車製造で、プラスチックを作る、
テレビにIT、その方向しかないだろう
そうするとテレビとITで洗脳されて国家主導の思想が強くなるのだろう
とりあえず日本のことで言えば、京都や鎌倉を見物する外国人観光客のために、
観光を勉強し、外国語を勉強するのが、簡単な生き残りの道だそうであるが
そういうものだろうか、よく分からない"
祈り
それぞれ自分の思いを込めて祈っている人がたくさんいた
人間が祈る姿はいいものだ
私は好きだ
しかしながら、スタンドでの祈りがどれだけ有効であるか、証拠はない
スタンドで大きな音を出せば選手に届いて、何かの影響を与えることは立証できるのだが
またスタンドにはいなくても、各地で応援している人たちの祈りがある
これもまた、その姿を見せることで同じく応援している周囲の人に影響を与えることは
理解できる、しかし勝利への効果はよく分からない
勝利のために各個人ができることとしては祈る姿が一番自然である
そして祈る姿は美しい
祈りの延長線状に神がいることは当然である
祈りの延長に歌があり踊りがあり芸術がある
祈る人が神の存在など信じていないとしてもである
神を信じていないのに、祈るという行為をすることは、どのように説明されるのだろう
たぶん、神の概念よりも、祈る行為のほうが先に発生したのではないか
祈るから、その延長に、神が存在すると考えるようになるのではないか
日本のようにいろいろな神がいると
たとえば甲子園でどの神様が何を決めたのか、大変曖昧になる
一神教であれば、結果を決定するのは神であるが、
勝利を与えられた場合には素直に感謝するとして、
敗北を与えられた場合にどう解釈すればいいのかが難しい
この点は昔から精密に理屈が考えられていると思う
敗北が神の意思であったのだ
そこから何かを学べと我々に問いかけているのである
ということから始まり、なかなか魅力的な世界が展開する
それはとても美しいと私は思う
芸術全般の中で、特に祈りの思いの濃い芸術がある
反対の極には、コンセプトを説明されないとよく理解できない、子供の落書きのような絵とか、
何かのコピーのような写真とか、そんなものがある
それらは色々と説明を聞かないとわからないし
そうでなければ自分で説明を発明しないと感動できない
しかし祈りの濃い芸術は自然に感動できるものである
"
他人に何かを強制することは卑しいことだ 高貴な魂は他人に強制することなく自生している 与えることはあるが奪うことはない 他人に何かを強制し 他人に金品を差し出させ 命までも奪う 死ぬ理由も強制し、死後のすみかまで強制するのである そのような権力装置を否定するのが 人間の未来の精神である 支配も服従もなくしよう
高貴な魂は他人に強制することなく自生している
与えることはあるが奪うことはない
他人に何かを強制し
他人に金品を差し出させ
命までも奪う
死ぬ理由も強制し、死後のすみかまで強制するのである
そのような権力装置を否定するのが
人間の未来の精神である
支配も服従もなくしよう
"
我々は日本人だからと発想するようになって まだたいして時間がたっていない
まだたいして時間がたっていない"
中谷防衛大臣の二枚舌答弁が問題になっている もちろん、最初は知らないと言っておいて、 知らないと言うことはシビリアンコントロールからの逸脱で問題だとなったら 一転して、大臣の指令で「研究」していた、「検討」ではないから許されるとか 誰がどう考えても低次元の言い逃れ。 そもそも最初に知らないといった時点で、考えが足りないのであって、 大臣たる資格はない。 しかし考えてみれば、防衛省の内部の人間が、共産党に情報をリークしたわけで、 その人(たち)は、安保法案に反対しているということだろう。 なぜ共産党に代理
もちろん、最初は知らないと言っておいて、
知らないと言うことはシビリアンコントロールからの逸脱で問題だとなったら
一転して、大臣の指令で「研究」していた、「検討」ではないから許されるとか
誰がどう考えても低次元の言い逃れ。
そもそも最初に知らないといった時点で、考えが足りないのであって、
大臣たる資格はない。
しかし考えてみれば、防衛省の内部の人間が、共産党に情報をリークしたわけで、
その人(たち)は、安保法案に反対しているということだろう。
なぜ共産党に代理で反対してもらわなければならないのだろうと考えてしまう。
最も詳細な情報に接している人たちが、強力な反対意見を持っている、
しかしそれは反映されない、そうした閉塞した状況なのだろうと思う。
普通ならば、事情の細部をよく知っている人同士の中で合意が形成されるはずだろう。
それが法案となる。
細部をよく知った人たちの対立、つまり防衛官僚の対立が
国会での対立になることは、官僚としては望まないところだろう
しかし今回は共産党がリーク情報を元にして中谷大臣を決定的に追い詰めている
政治家同士の話し合いは所詮は素人談義なので専門家から見れば
あまり実質のないものだろうとは思う
しかし今回の情勢としては、防衛官僚の中で
米国の方針に従うしかないとする多数派と、現実は曖昧にできない・筋は通したいと考える少数派が、
対立したままで妥協点を見つけられずに、多数派が押し切ったということなのだろうと
推定される。
根拠薄弱多数派が少数有力説を圧殺しようとしたときに
現在の力学は成立するだろう。
いずれにしても、悪い状況だと思う。
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"パナソニックなど東京五輪パートナー企業が次々に佐野氏デザインのエンブレムを自社サイトから撤去" とても賛成!
とても賛成!