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祈り

"甲子園スタンドでも
それぞれ自分の思いを込めて祈っている人がたくさんいた

人間が祈る姿はいいものだ
私は好きだ

しかしながら、スタンドでの祈りがどれだけ有効であるか、証拠はない
スタンドで大きな音を出せば選手に届いて、何かの影響を与えることは立証できるのだが

またスタンドにはいなくても、各地で応援している人たちの祈りがある
これもまた、その姿を見せることで同じく応援している周囲の人に影響を与えることは
理解できる、しかし勝利への効果はよく分からない

勝利のために各個人ができることとしては祈る姿が一番自然である
そして祈る姿は美しい
祈りの延長線状に神がいることは当然である
祈りの延長に歌があり踊りがあり芸術がある

祈る人が神の存在など信じていないとしてもである

神を信じていないのに、祈るという行為をすることは、どのように説明されるのだろう
たぶん、神の概念よりも、祈る行為のほうが先に発生したのではないか
祈るから、その延長に、神が存在すると考えるようになるのではないか

日本のようにいろいろな神がいると
たとえば甲子園でどの神様が何を決めたのか、大変曖昧になる

一神教であれば、結果を決定するのは神であるが、
勝利を与えられた場合には素直に感謝するとして、
敗北を与えられた場合にどう解釈すればいいのかが難しい
この点は昔から精密に理屈が考えられていると思う

敗北が神の意思であったのだ
そこから何かを学べと我々に問いかけているのである
ということから始まり、なかなか魅力的な世界が展開する
それはとても美しいと私は思う

芸術全般の中で、特に祈りの思いの濃い芸術がある
反対の極には、コンセプトを説明されないとよく理解できない、子供の落書きのような絵とか、
何かのコピーのような写真とか、そんなものがある
それらは色々と説明を聞かないとわからないし
そうでなければ自分で説明を発明しないと感動できない

しかし祈りの濃い芸術は自然に感動できるものである
"

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