「神はこいつを使おうと思ったら、小さいときにさんざん試練を与えるんだよ。試練にあって、曲がったりへこんだり歪んだり、耐え切れない人間は使わない。試練に耐えて、真面目にまっすぐ生きてきた人間を自分の手足として使うんだ。あんたはそういう人間だね」
プロの監督がこれだけ負け続けた時の家庭はどうなってしまうのか
ミシュランの星の数と少子化は比例するのではないか
自分の中にある一番強い観念が実現するような状況を周りに引き起こす傾向があります。こんなことが起きるのではないかと怖れているとき、より肯定的なものよりも怖れているものの方が起きると信じていることになります。怖れるということは否定的な現実を選択しているということです
人間として美しいとかってもういいんですよ 獣として美しくあってほしいわけです
人間として美しいとかってもういいんですよ
獣として美しくあってほしいわけです
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下描きってうまく見えますよね。線が多くて。あれって、見る人が自分の好きな線を勝手に選んで見てるからなんですよ。
「感動を与える」
“ところが、「感動を与える」という表現は、言葉が一人歩きしているというか、誰もがよく考えずに使っているとしか思えない。感動というものは、人からもらうものだろうか。そうではない、自分で感動するのである。なにか切っ掛けがあったとしても、他者からいただくものでもない。自分が観察し、自分が受け取り、自分が解釈し、自分が考え、自ら感動するのではないのか。 もしそうでないとしたら、人に殴られて泣いたとかに近い。ようするに暴力に似ている。殴られないと泣けない人は、感動をもらわなければならないだろう。そういう涙を、僕は感動の涙だとは認識していない。ただ、泣かされただけだ。”
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頭の方はあまり鍛えていない人たちがいうことだから意味なんかもちろんないけれども
被災地の人たちに勇気と感動を与えたいとかいうのが流行りなんですね
それ以前は日本のためにとか日の丸のためにとかいっていたのだろうし
それにしても、いつもいつも、被災地の人のためにという言葉が途切れないくらい
大災害が続いているんですよ、そのほうが大問題ではないかな
しかも、まったく被害が収束していない現実
正直、誰が感動してもしなくても、スポーツ選手はベストをつくすんだと思いますよ
少なくとも自分と関係者たちのために
金メダルでも取ればあとの生活安楽 天下りの仲間入り
個人の力で、個人のために、らくらくとオリンピックができるような時代になればいいですね
接待ゴルフとおなじ感覚で
まあまあ本気でやるんだけど
別に誰を感動させるものでもないし
何かの代表とかというものでもないし
重要に政治課題からの気散じとしての
Sports,sex,screenなのだと自覚していればいいですよね
誰か、国民が真の主権者意識に目覚めて、権利と責任を自覚するように、
私は競技を通じて頑張りますとか言えばどうなんだろう
森氏はなにを思ったのか、選手団に「君が代を大きな声で歌いなさい」というような意味のことを言った
さすがです これが2016年のことです
そんなことを言ったって、君が代は歌いにくくないですか
何しろ日本はとても古い国なんだから
建国の頃は国家も国旗もないわけでしょう
明治に急につくったものをあれこれ言われてもどうかなあ
古い国なんでヨーロッパ風の国家概念もないし国旗国歌もないんですよと威張っていればいいのに
先日永六輔氏がなくなって
加藤登紀子氏に最後の歌詞を託していたとかで
加藤氏はそれに作曲したといいう、それで、歌っていたんですが、
なんだかわかりにくくて、まるで君が代みたいだとの感想があった
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学んで時にこれを習う。
短すぎて意味がはっきりしないのだが
先日
一旦習得したと思っているものでも
後日何度も繰り返して練習してみると
思いもかけない発見があるものだ
という指摘があり
なるほどと思った。
時間がたてば、自分が成長している分だけ、
何か新しい部分を見つけやすくなっているのだろう
温故知新にも通じるものがある
分かっていると思うものの中にも
宝物がある
また別の面で考えると
学んだあとでよく復讐して身につけることが
次の学習の準備になる
公文式などに似ている
刻苦勉励して自分のものとする。それが修だが、疲れてはいけない。病んでもいけない。休養が必要だ。じつは休養のとき、自分独自の思想が熟成されていくのだ。とくに学問を血とし肉としていく過程で、これは見過ごすことはできない。
「しなければならないこと」は身につかない。「したいこと」しか身につかない。
すべてがことごとく的中するわけではないが、平均して、人の批評を聞くと、批評される人物よりもかえって批評する人物の姿がおのずから現れてくる。(新渡戸稲造)
「素敵な恋人ができるペンダント」「食べてもどんどん痩せる石」「聴くだけで頭の回転がよくなる速聴」「病気知らずのトルマリン鉱石」
英語による授業数もグローバル化度の重要な指標ですが、日本語で最先端の高等教育が受けられる環境を100年かけて作り上げたあげくに、なぜ外国語で教育を受ける環境に戻さなければいけないのか。僕には理由がわかりません。
人は生殖に対する責任を果たすためにセックスをするのではない。それが自然なことだからするのだ。生物学的な指令は、種の存続を保証せよということではなくて、あなたという存在の真の性質であるひとつであるものを経験せよ、ということだ。
芸術を味わう
その人は楽譜を見て音楽がぱっとつかめるのだけれども
そうなると
我々普通の人が音楽で感じているものと違うものなのではないかと思ったりする
本人は違わないと言っている
音楽鑑賞にはたいてい実時間が必要である
それが演奏の時間
作曲の時間を考えるとすれば、
この辺りで苦労したのかなとか
ここがいい思いつきだなとか
思いながら聞くのだろう
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絵画の場合は
最終的な作品をぱっと見て感じるものがある
仔細に見ても、最終作品を見ているなら、ぱっと見の延長だろう
この絵は最初はこの辺りから書いたのかとか
デッサンはどんなのが残っているかとか
この時期にはどういうことを考えていたんだろうとか
いろいろ考えて
だいたい作家がかけた時間と同じくらいの時間をかけて
あれこれ追体験を空想しながら絵を見れば
それは音楽で言う演奏を聞くことに近いものになるのかもしれない
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音楽体験と絵画体験では
体験の圧縮度が違う
楽譜を見て感じることができる人ならば
絵画の感じ方に近いものを感じているのかもしれない