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「感動を与える」

“ところが、「感動を与える」という表現は、言葉が一人歩きしているというか、誰もがよく考えずに使っているとしか思えない。感動というものは、人からもらうものだろうか。そうではない、自分で感動するのである。なにか切っ掛けがあったとしても、他者からいただくものでもない。自分が観察し、自分が受け取り、自分が解釈し、自分が考え、自ら感動するのではないのか。 もしそうでないとしたら、人に殴られて泣いたとかに近い。ようするに暴力に似ている。殴られないと泣けない人は、感動をもらわなければならないだろう。そういう涙を、僕は感動の涙だとは認識していない。ただ、泣かされただけだ。”

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頭の方はあまり鍛えていない人たちがいうことだから意味なんかもちろんないけれども
被災地の人たちに勇気と感動を与えたいとかいうのが流行りなんですね
それ以前は日本のためにとか日の丸のためにとかいっていたのだろうし

それにしても、いつもいつも、被災地の人のためにという言葉が途切れないくらい
大災害が続いているんですよ、そのほうが大問題ではないかな
しかも、まったく被害が収束していない現実

正直、誰が感動してもしなくても、スポーツ選手はベストをつくすんだと思いますよ
少なくとも自分と関係者たちのために
金メダルでも取ればあとの生活安楽 天下りの仲間入り

個人の力で、個人のために、らくらくとオリンピックができるような時代になればいいですね

接待ゴルフとおなじ感覚で
まあまあ本気でやるんだけど
別に誰を感動させるものでもないし
何かの代表とかというものでもないし 

重要に政治課題からの気散じとしての
Sports,sex,screenなのだと自覚していればいいですよね

誰か、国民が真の主権者意識に目覚めて、権利と責任を自覚するように、
私は競技を通じて頑張りますとか言えばどうなんだろう

森氏はなにを思ったのか、選手団に「君が代を大きな声で歌いなさい」というような意味のことを言った
さすがです これが2016年のことです

そんなことを言ったって、君が代は歌いにくくないですか

何しろ日本はとても古い国なんだから
建国の頃は国家も国旗もないわけでしょう
明治に急につくったものをあれこれ言われてもどうかなあ
古い国なんでヨーロッパ風の国家概念もないし国旗国歌もないんですよと威張っていればいいのに

先日永六輔氏がなくなって
加藤登紀子氏に最後の歌詞を託していたとかで
加藤氏はそれに作曲したといいう、それで、歌っていたんですが、
なんだかわかりにくくて、まるで君が代みたいだとの感想があった
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