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「伝える力」

「伝える力」というタイトルの本の広告を見かけた

現在のネット社会のような状態だと
記憶力や思考力はネットにおまかせでいいのかもしれない
プレゼンターション力が問われるのかもしれない

自分にはその力がないので
なおさら痛感する

現在のように政治が劇場化してしまうと
昔のように金権政治というわけにはいかないのだろうと思う
金は数、数は力、昔はそうだった
現在は主演俳優のように振る舞うことが求められている

信念を語って、選挙で選ばれることはいいことだろうが
選ばれるように、信念を語ることも行われるだろう
倒錯している

「伝える力」と「伝えたい中身」を考える
どう考えても『伝えたい中身』が問題だと思うけれども
現代では
中身を考える人と伝える人とで分業するのがいいようだ

政治の世界をテレビで眺めていると
政治家に一定以上の知能が必要であることは前提であるが
そこから先は性格とか気質の問題だろうと思われる

性格同士の相性があってその時々の政局が遷移するもののようにも思われる

利益と利益がぶつかり合って
妥協点に行き着くというならば
予想もしやすいのだろう

しかし情報化社会では各種の利益もある程度オープンにされていて
妥当な政策範囲というものもある程度見えるものだろう
そうなれば
予めセリフは決まっていて
それを誰が一番適切に演じられるかという問題になるだろう

昔は不透明な決着が往々にしてあり
それを押し切ってしまうのが権力というイメージがあったものだ

ーーー
国民主権というが
現実の国民は自分の頭で考えても
やっぱりパチンコがやりたい
という程度しか考えつかないだろう

実際は
主権者は『理想的な国民』なのであって
必要充分な基礎情報を与えられれば必ず適切な判断をくだすことのできる『理想的な国民』を
想定して政治は進行している

ーーー
政治の世界は別としても
日常のコミュニケーションでも
伝える力は大きいし
それはある程度「演じる力」でもある
懇切丁寧でしかも短いフレーズを繰り返す魅力的なキャラクター
それを演じる
家に帰ってからはどんなに不機嫌でも構わない

ーーー
世の中に誤解は多い
困ったものである
自分は正しいと思っている人も多い
自分は真実を見ていると思っている人も多い
群盲象をなでるという

間違ったら改めればいいだけだ
切腹しろと言っているのではない

きっと他人には他人の感じ方もあるのだろう、立場が違えば違うものだから
という程度に考えることがなぜできないかと思うものだが
思えないというのだから仕方がない





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インスピレーション

The great composer does not set to work because he is inspired,
but becomes inspired because he is working.
(Ernest Newman)

偉大な作曲家達は、インスピレーションが湧いたから作曲に取り組んだのではなく、取り組んだからインスピレーションが湧いたのだ。
(アーネスト・ニューマン)

そういうものかも


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教会のざわめきも一瞬遠くなる

教会のざわめきも一瞬遠くなる

聖書の内容はとても統合失調症的である
しかし聖書を熱心に読んでいる人たちは実に躁うつ病的である

思い出していたのは「ざわわざわわざわわ 風が通り過ぎるだけ」という歌だ

ーーーーー
聖書の内容がどうしてあのような荒唐無稽なものになったのか
どうしてあんなに分かりにくくて伝わりにくいものになったのか
歴史的な経緯をたどる方法があるのだろうと思う

いくつもの対立する考えがあり本があったことは知られていて
結果として現在のものが残ったのだろれど
それがどの程度理由のあることなのか、どの程度偶然なのか、不思議な感じがする

異端として排除されてものは多いし
時代が経過して本流に取り込まれたものもある

私には偶然としか思えない
別の聖書でも良かったような気がする
むしろとんでもなく特殊な嗜好の聖書が残った感じがする
この程度のほうが神秘性があり
なにより、解説をする人間を必要とするので、教会組織には有利だったのだろう

ーーーーー
そんなことを考えながら
沖縄の熱いさとうきび畑を思っていた




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現代の性

現代を生きる人間にとっての
性の軽さを思う

性的欲求不満が原因で何かの症状を起こすなんて
考えられない
というのが現代で
フロイトの当時の症例に関しての否定的見解もそのあたりの感覚と
連動しているのかもしれないとも考える

性は限定して短時間で安価に済ませるべきもので
人生の全体をかけるなどもちろんするはずがない
コミットなんかしないのである
昔はあったはずの男女の心中など最近は聞かない

同棲も気軽だし結婚も気軽、離婚も気軽で、こどもを連れて実家に帰る妻など珍しくもない
ひとことでいうとみんながふしだらになったのである

昔はそのようなことは
躁状態で困っている人とか
任侠関係の人とかに限定されていたものだと思うが
いろいろな技術の発達で
一般にも性の軽さ、享楽としての性が広がっていると思う

深くない性、である

ーーーーー
さらにそんな状況を修飾しているのが
モンゴロイドの特性であると思う

白人(といってもいろいろあるだろうが)や黒人(といってもまたいろいろあるだろうが)では
全般に見て、性的成熟は濃厚である

比較するとモンゴロイドは、子供から大人への発達の中間形態のような印象を受ける
男女とも中性的だし若年的である

日本女性がスポーツで強いのもその事と関係があるだろう

ーーーーー
性の嗜好や技巧が任侠関係の人々の思考や技巧の方向に
向かっているのは多分確かだと思う

多分そのような方向しかないからだと思うが
予測もできない未来が待っているというよりは安心感があるかもしれない
いや、未来について全然安心はしていないけれども

ーーーーー
性的なセレクションは
差異に関して働くのだろう
だから限定された集団の中では
あまりに性ホルモンが過剰である個体よりも
少しは出ているがやや薄い程度で
しかし生活には有利な程度に
性ホルモンが放出されている個体が有利なのだと思う

過剰な性ホルモンは仲間内で評価する限りは
生存に有利にはならないだろう 
むしろ生活に有利な特性が有利なのだと思う

極端に暑かったり極端に寒かったりする地域では
そのようなセレクションではなかったということになるのだろう






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その人のその人生は一度限り

その人のその人生は一度限りなんだけれど
因果関係を見ようとする限りは
反復性を観察して因果関係を見出そうとしている

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まず人の話を聴く

全然人の話を聞かないでしゃべり続ける人

コミュニケーションの基本は相手の話を聞くことだと
その人は一方的にしゃべり続ける 



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自分を癒す方法は 隣人を愛すること

自分を癒す方法は
隣人を愛すること


ーーーーー
神様が私を愛してくれているように
私も隣人を愛すること

そのことで私は神の愛に応える事ができるかも知れない

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2012年度診療報酬改定、プラス0.004%

2012年度診療報酬改定、プラス0.004% 
年4000万円の保険収入とすると 
4000万 x 0.004% = 1600円 だそうです

ありえない 0.00004 


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困った弁護士は懲戒請求をしましょう 各弁護士会に用紙があります 親切に相談に乗ってくれます

http://shinagawa-lunch.blog.so-net.ne.jp/2009-01-26

各弁護士会サイトにも懲戒請求のコーナーがあります
諦めないことです

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人間の愛の拡大装置

http://shinagawa-lunch.blog.so-net.ne.jp/2007-12-23-3 

愛の拡大装置がないのは不思議なことだと思う
なぜなんだろう

銃は人間の攻撃性を拡大する。
コンピュータは人間の知性を拡大する。
自動車は走る能力を拡大する。

たとえば誤解をなくす装置を作ったとして
人を騙そうとしている人には
邪魔なものとになり、余計なことをしてくれるなと言われるのかもしれない

他人を思いやる気持ちを拡大してくれる装置はないものだろうか

隣人を愛するための装置はないものだろうか
隣人、もっとも愛し難いもの


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レストランの食材

レストランって
メニューがたくさんあるところは
食材をどうしているんでしょうかねえ
と心配になる

結構狭い厨房でデザートまでできてしまう不思議

レストラン用食材フェアなどが開かれて
フランス製の冷凍ケーキが展示されていたりする
注文を受けてから冷凍庫から取り出して自然解凍すれば
客に提供できるらしい

昨日の立食パーティの残り物ならまだいいけれど
いつの誰の残り物なのか分からないくらい

食事に行ったあとで洋服にタバコの匂いが残るのも嫌なものだ

ーーー
あの時のあの味と思いだして行ってみると
違う味
職人が違うのか経営が交代したのものか
長い間にはいろいろとあるのだろう

味は違ったとしても
同じ石の壁があって
もの思いにふけったりする

そんな意味でもすぐになくなるレストランは惜しい気がする



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一回性と反復性

一回性と反復性について考慮することは
科学的思考を考える上で大切である。

一般に科学は
実験して測定して、その上で仮説を立て、
それに従い数値や現象を予測し、
さらに実験して測定して、その確かさを確認する。

仮説は天動説と地動説のように入れ替え可能なのもので確定的なものではない。
ただ、前提が与えられれば、正確な予測ができるというだけのものである。

宇宙物理学でも有機化学でも、上記の科学的手続きの有用性は確認されてきた。
これ以外の科学は考え用がない。
仮説としてからり魔術的な道具立てを採用しても、
予測結果が正しいならば採用していいと考える。

仮説の入れ替えが可能かどうかはあとで考えればいいことであって
とりあえず現実に予測効果があればいいではないか

その仮説に従って、肺炎が治り、糖尿病が治り、がんが治ればとりあえずはいいと思う。

アインシュタインの理論によって予測されていた測定結果に反する
測定結果が確認されたとかの話題が2011年の年末に報道された。
これは明確な前提条件を与えれば、明確な結果が予測されるという好例である。
したがって反証も出来る。

一方で、フロイトの理論に反する測定結果が出たので
フロイトの理論の書き換えが必要になったというような報道に接することはない。
フロイト以外の理論はフロイトの理論ほどに利発ではないから報道の価値がないのだが
フロイトの理論でさえも
ポパーによる反証可能性の基準に照らして科学ではないのである

そのあたりは微妙なところがある

たとえば肺炎の治療に関して言えば
前提条件を完全に与えることはできない
現状では何が本質的な前提条件であるかが未だに明確ではないからである

たとえば極端な話、無神論者だから抗生剤も効かず、肺炎で死んだ
と因果関係を考えたとして、無神論者という前提がどの程度の意味を含むものか、
必ずしも明確ではない

人体を扱う医学にはすでに前提条件の曖昧さが発生してしまう。
マイコプラズマだからと限定したとしても、人体の側の免疫状態を正確に記述する方法が
今のところ、ない

さらに人間の精神を扱う局面になると、いくつもの情報が前提として与えられたとしても、
その中のどれが、未来の予測に本質的に役立つ要素であるのか、
不明確である。

たとえば母子関係の問題があるということが、生育を調査した結果の、現在の疾病の前提条件として
挙げられたとして、
そういうものではあまり厳密なことは語れないのは正直、真実だろう

もともと科学の方法にまったく興味がない人もいるし、
理解はしていても反発している人もいるし(その理由についてはまさに心理学的な謎であるが)、
そもそも治療にあたり知的な理解以外のことが目標であれば
科学の発想など無用なものになるのだろう

物理学、化学、生物学、医学、精神医学と並べてみたとして
反復性と一回性の程度で並んでいると思う
そしてこの順に、科学の方法になじむ

物理学の内部で、反復性がなく、一回性であるものに宇宙の発生の問題がある
だからそこではさまざまなファンタジーも展開される

精神医学では特に反復性に乏しく一回性が強い
無論、人間の精神について、男性というものは、とか、女性の脳は、など、
非常に反復性に富む視点で語られることがあるのだけれども、
無論、精密な話ではない

何かの視点で切り取れば、反復性は高まるのだけれども、それが正しいことなのか
疑問に思うので、知的に誠実であるかぎりは、なかなかできないことである

たくさんのほぼ盲目的な営みの果てに何かが結実するのだが
遥かに時間がかかるだろう

治療者にとっては反復性のことが
患者にとっては一回性であると感じられていることがある

治療者が切り取る側面によっては反復性であるが
患者にとっては当然のことであるが一回限りのことである
切り取る側面が狭ければ反復性を見出すことができるが
患者は自分自身をどうしても一回性のものとして考えたいし
治療者にもそのように考えて欲しいと願うだろう

ーーー
一回性にこだわればジャズの演奏に似たものになる

反復性にこだわれば科学に近くなる



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クリスマスでも誕生日でも 一度も逃すことなく 必死に思い出を作りたいものだ

生き終わった後に私があの世に持っていけるのは思い出だけだ

クリスマスでも誕生日でも
一度も逃すことなく
必死に思い出を作りたいものだ

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これでは悔いが残る

人生の大半をすでに生きてしまった
最近多いのは同級生の死亡の知らせである

彼らはもう充分に生きたし
悔いのない人生であっただろうと思うのである

しかし私はそうではない
生き始めることに躓いて
そのままの地点である

これでは悔いが残る

何とかしたいが
体は痛いし
精神は眠い

どうしたらいいのか分からないが
このまま死ぬのはいやなのである

老年には老年の実りがあるはずである
そう思い
風呂上りの乾燥肌に
ワセリンを塗ったりしている

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人間の行動レパートリー

とっても素朴に考えると
人間の行動レパートリーはそんなに多いわけではない

誰でも持っている行動レパートリーは何かと言えば
最初の養育者との関係である
多くは母親
そうでなければ祖母とかおばさんとか

子供の頃の方が脳の可塑性が高いので学習可能である
年を取ると新しい行動パターンを学習することができなくて
既存のもので間に合わせることが多くなる

すると環境との不適合が発生して年寄りと言われる
いつまでも古い歌を歌うとたとえられる

男性と言えば父親しか思い浮かばない女性は
男性との関係が父親関係を基本とするようになる
兄弟がいればその要素が加わる

女性は母親に似ているものだと思っている男性は
女性関係については母子関係を基本に考える

このあたりは分かりやすいのだけれども
たとえば女性が「この男性は、過去の女性との行動パターンを使って私ともつきあっているのだろう」
と考えているとすると、
「結末も同じだろう」と考えやすくなる

実際にどのような行動パターンを使っているかではなくて
相手が抱く「この人はどの行動パターンを使っているのか」のイメージが
大きな問題になる

酒を飲ませれば、その人の行動パターンのいくつかをサンプリングできる

ーーーーー
人間は困難に直面してだんだん対応がまずくなると言うのも当然であり
だんだん古くて有効性の低い行動パターンを使うようになるのだと思う

行動パターンを変えるだけ状況は悪化するという
可能性がある



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メディカル・メンタルと サイコロジカル・メンタル

メディカル・メンタルと
サイコロジカル・メンタルを大きく分類すればいいのだろうと思う

こうやって分けた場合に
薬剤+精神療法で治るものはメディカル・メンタルが扱うことになる
厚労省の管轄である

それでは治らないものが
サイコロジカル・メンタルで扱われ
当然であるがいつまで経っても治らない

サイコロジカル・メンタルは実は文学部心理学科の教官たちと
学校カウンセラーが生きていく方法でしかないので
病気を治すなんてもちろん出来るはずはない
文科省の管轄は治療なんか考えていない

勘違いしている人はいるし
その間違いに気づかないという点が
病識の欠如なのだけれども
彼らから利益を吸い取る人たちは
その事を利用する

心理学で学ぶものといえば洗脳の方法だけである
それさえ学ばないというなら
悪いことも一つも学ばず
いいことはもちろん一つも学ばなかったことになる

こうして全く何の役にも立たないことに時間を費やし
人生を無駄に過ごすのも
なかなかエレガントなことだろうと思う

ーー
サイコロジカル・メンタルの生きる道は
こどもの療育であるが
その方法論はなぜかとてもおばさん臭い

 



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同じ答えを導いてるのに、脳の活動部分が男女では違う

思考過程において、同じ課題を男女に課して
MRIで脳の活動している部分を観察すると、
同じ答えを導いてるのに、脳の活動部分が男女では違う。
男女は別の生き物です。

こういうのも
お互いに誤解していて
誤解しているからこそ
結局うまく行く
ことの一例です。

相手のことをきちんと理解していたら
とてもじゃないがやっていけない

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経営とは何でしょうか

 経営とは何でしょうか。いろいろな考え方があるとは思いますが、私は「1人でも多くの人を幸せにする技術」だと思っています。そして、その手段の1つが、売上を上げ、利益を上げることだと思います。

 もう1つ、別の視点から見てみましょう。

 経営が、社会との関わりの中で生み出さなければいけないことは、「納税」と「雇用」の2つです。1円でも多く税金を払って、1人でも多くの人を雇う。実は経営の本質はここにあります。なぜなら、私たちの社会は税金と雇用によって動いているからです。

 今、私は11月から始めた「経営勉強会」で、60人余りの皆さんに経営とは何かを学んでもらっています。この勉強会で学んだ人たちに、事業をどんどん興してもらえば、地域に働く場ができて、雇用が生まれていきます。その結果として多くの人に「希望」を感じてもらいたい。それが、この勉強会の目的なのです。

 経営とは技術だと私は思っています。経営の技術は、伝えられる部分もあります。これから皆さんに、私が持つ経営の技術を伝えていきたいと思います。

経営者がやるべき3つのこと

 経営の技術の本質は何か。これは3つあります。おそらく、どの経営の本を読んでも、どの経営学者に聞いても、必ずこの3つにたどり着きます。それは「理念(ミッション)」「ビジョン」「戦略」です。

 つまり、何のためにその事業をやるのか、という理念(ミッション)。2番目はどこに向かっていくのかというビジョン。そして、3番目がそれをどのようにやるのかという戦略です。経営者がやらなければならないのは、この3つだけです。

[1]理念(ミッション)

 企業は法人ですから、法として人として認められたものです。つまり人間と全く同じ。そう考えると一番大事なのは、その企業が何のために存在するのかということです。このことをまず明確にしなければなりません。

 例えば、社内には仲間、つまり社員がいます。何のために我々は仲間になるのでしょう。「8時間働いてもらう代わりにお金を20万円払うよ」というように、彼らの時間を買うために社員にするのでしょうか。もしそうなら、非常に悲しいことですよね。

仲間を集めるための「理念」


「経営勉強会」の様子
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 私はワタミという会社を通じて外食産業に入りました。外食の経営目的に「1人でも多くのお客様にあらゆる出会いとふれあいの場と安らぎの空間を提供すること」を掲げています。つまり1人でも多くの人の思い出に関わって、1人でも多くの人の笑顔に触れたいのです。だから、この言葉を最初の経営理念にしました。

 我々はお客様が喜ぶこと、望むことは何でもさせていただこうと決めました。お客様の幸せを追求していくことを、我々の目的にしたのです。そこに存在意義があったのです。

 すると、「そういうお店で働きたい」と言う人が集まってきました。会社の目的があり、人の人生にもそれぞれの目的がある。その2つが重なった時、社員は単なる従業員ではなく1人の主人公になっていくのです。企業は、目的を同じくする人を何人集められるかで、その強さが決まります。

 1人では仕事はできません。仲間が必要です。その仲間を作るためにも、何のためにこの会社があるのかという理念(ミッション)を明確にしなければならないのです。

[2]ビジョン

 1人でも多くのお客様に幸せを感じてもらいたいと思う仲間がワタミに集まりました。さて、その次は、どこに向かっていくのかを決めなければなりません。私は当初、10年で店頭公開することを目標に掲げました。

 当時、10年で店頭公開できる確率は100万分の17。しかも、外食産業でそれを実現した会社は1つもありませんでした。つまり、外食産業の中で最短で上場企業をつくることを最初のビジョンにしたのです。そして、その次のビジョンは2008年に店を1000店舗展開することにしました。

 さて、ここからが大事なところです。そのビジョンをどう具体的に実現するのかを明確にするのです。言い換えれば、このビジョンを実現する道筋を決めなければなりません。

ビジョンを戦略へ落とし込むのは科学

[3]戦略

 居酒屋1店舗には、必要とされる商圏人口があります。私が外食を始めた当時、日本の居酒屋市場の規模は約2兆円でした。その市場の中で「和民」1店舗が成立する商圏人口はおよそ3万人でした。日本の人口(約1億2000万人)からすると約4000店舗できるわけです。

 しかし、人口の集中具合にも左右されるので、実はもう少し絞り込まなければなりません。3万人が4キロメートル以内に住んでいるところを探すのです。日本中すべて分析していくと2000カ所くらいありました。さらに、競合店や物流の問題を勘案してさらに絞り込むと、約1000店舗が成立することが理論的に分かりました。

 では「商圏人口3万人で成立する」とは、もう少し分析するとどういうことでしょうか。3万人全員がお店に来るわけではないからです。

 お店に来るのはどの層でしょうか。20代ですか40代ですか。そのうちのどういう人ですか。お酒をある程度飲む人ですか。外食を中心とする人ですか。そうすると3万人のうちの主要顧客は7000人くらいしかいません。ではそこから、その7000人の方が定期的に来店してもらえるようにするには、どうしたらよいか考える。

 我々は「1カ月に2.4回来店」と設定してます。7000人の方に毎月平均2.4回利用してもらうためには、どういうメニューが必要で、どういうカテゴリーが必要で、どういう価格帯ではなければならないかを分析していきます。

 これはたった1つの店についての立地戦略という小さな例です。こう考えてみると、ビジョンを戦略へ落とし込むのは科学だと分かっていただけると思います。要は誰もが理解できるストーリーをつくり上げることが大切なのです。

なぜ5年間の伸び率に大きな差がつくのか

 続いて、「理念」「ビジョン」「戦略」という経営技術のもう1つ別な側面について説明しましょう。

 先日、ワタミの全体会議がありました。日本全国の社員約5000人を東西に分けて、年に2回、開催しています。そこで話している最も大事なことがこの理念です。5000人の社員と3万人のアルバイトに対して「何のためにここに集まっているのか」「何のために我々はこの事業をやるのか」「我々はどこに向かって歩んでいくのか」などについて繰り返し、繰り返し、確認するための会議です。

 今回のワタミの会議のメーンテーマは、これから始まる「5カ年計画」でした。

 今、ワタミには3本の柱があります。「外食」「介護」「高齢者向け宅配」です。この5カ年計画でワタミグループは1300億円から2500億円へと売り上げをほぼ倍増する計画です。

 その内訳を説明しましょう。


「経営勉強会」の様子
 今800億円の外食は、5年後も800億円のままです。そして、250億円の介護は500億円になるでしょう。100億円の高齢者向け宅配も1000億円になるでしょう。つまり、外食はそのまま、介護は約2倍、高齢者向け宅配は10倍です。5年間の計画でこれだけの差が出てくる。いったいこれは何なのだろうか。ここにも経営の本質があります。

 外食の人間が頑張っていないからでしょうか、やる気がないのでしょうか。もちろん、そうではありません。

 外食、特に日本の居酒屋市場は、バブルの頃の2兆円から半減しました。にも関わらず業界全体の総店舗数は変わっていません。さらに、これからの5年間で居酒屋マーケットは8000億円まで減っていくと思います。今後は、採算の合わなくなった店を閉鎖してはリロケートして作り直してみるといった試行錯誤(スクラップアンドビルド)を繰り返しながら、売上を維持するのがやっとでしょう。

「時流」を無視して経営してはいけない

 一方、介護と高齢者向け宅配はどうか。

 日本では2025年に向けてどんどん高齢者人口が増えていきますね。だから、我々が今後80カ所、90カ所という規模で介護を手がける老人ホームを展開していけば700億円くらいの売上になります。

 次に、高齢者向け宅配です。独居老人は2020年に300万人になると言われています。このうち、ワタミタクショク(以下、タクショク)は150万人の方にお弁当をお届けする計画です。この計画は絵空事ではありません。3年前、4万食から始めた事業が、今や20万食になっているからです。つまり3年で約5倍です。

 これはタクショクが頑張ったからなのでしょうか。もちろん、それだけではありませんね。

 経営というのはこれだけをみても非常に理不尽なんです。だって、同じだけ頑張ってもこれだけ差がついてしまうのですから。だから、経営において一番意識しなければならないことは「時流」です。これを無視して、経営を考えては絶対いけません。


 時流とはいったい何か。それは、時代が何を求めているのかということです。時代が求めていないことをやっても、そこに「ありがとう」が生まれない。「ありがとう」は時代の要請なんです。時代の要請をしっかり捕まえることなのです。

 高齢者向け事業には世の中の応援がいっぱいある。だから介護やタクショクは大きくなる。外食に対する世の中からの応援は減ってしまう。ただそれだけとも言える。これから事業をやろうと考えている人は、「その事業は時流があるのか」「その事業は世の中が求めているのか」「その事業にはありがとうが集まるのか」を考えてもらいたいと思います。

ビジネスモデルは鍛え続ける

 2つ目はビジネスモデル。これは一言で言うと経営の仕組みです。「和民」のビジネスモデルは、自社有機農場の食材を使い、手づくりで、たくさんのアイテムを使って、季節感を出し、そして安く提供することです。

 創業から、通常ならば賃金が高い職人さんがしている作業を、自社内集中仕込みセンターを稼動させるまで、主婦のパートさんにやってもらっていました。包丁のプロであるパートさんは、営業時間前までの仕込みの時間に働き、約2000人のパートさんを組織化しました。

 「和民」は20年間、居酒屋業界のリーディングカンパニーとして走り続けてきましたし、恐らく今後10年間もこの立場に居続けることはできるでしょう。こういうビジネスモデル、つまり、勝つための形、その会社にしかできないものをつくり上げたからです。

 でも、こうやって話してしまえば「うちでもやろう」と真似するところも出てくるでしょうね。パートさんを使いさえすれば、形としては同じことができるのですから。だけども、そんなに簡単なことばかりではありません。例えば有機の食材を例に挙げてみましょう。

 日本全体で有機野菜は野菜全体の0.17%しかありません。そんな中、ワタミグループは490ヘクタールの農地を持つ有機農業では最大級の生産法人を持っています。自社農場と合わせて、各地域に根ざした有機農業を進め、日本全国の契約農家の方々と協力体制を組み、有機・特別栽培食材を仕入れています。

 つまり、有機食材を使うことにおいて参入障壁をつくったわけです。小規模ならまねもできるでしょうが、数百店舗規模で展開するライバルの居酒屋では十分に食材が集められないでしょう。つまり、他社が追いついてくるようなら、自分はもっと先に行けばいいのです。事業は、いったん勝てるビジネスモデルをつくっても、それをさらに強くし、高めていくことが非常に重要です。 

社員と「幸せ感」を共鳴させる

 3つ目は企業文化です。どんな小さな会社でも考えなければならないことです。

 企業には、それぞれ「らしさ」があります。多くの場合、経営者の性格や人柄、価値観を反映したものです。企業の「らしさ」、つまり企業文化は、価値観と密接につながっています。経営者が何を大事にしているかということです。

 もう少し分かりやすく言うと、「幸せ感」とでも言うのでしょうか。経営者がどんな幸せ感を持っているのか、そして、それが社員の幸せ感とどれだけ共通しているかが重要なのです。両者が重なる部分が、実は企業文化をつくっていて、企業文化がビジネスモデルを規定していくのです。

 次回は、ビジネスモデルを規定する企業の「価値観」について、もう少し掘り下げ、企業が成功するために欠かせない「諦めない」ということ、「運を良くする」ということについて話していきましょう。

 私のビジネスモデルは、価値観や幸せ感に基づいて出来上がってきたものです。本当の経営はそうあるべきだと思っています。つまり、ビジネスモデルは、その経営者の生き様そのものと言うこともできるのです。

 お金が儲かるか儲からないかは、二の次。儲けばかり求めても逃げていくだけです。結果としてそれが正しいことで、「ありがとう」を集められれば売上はついてきます。そして、創意工夫があれば売上から利益は生まれてくる。だから一番大事だと思うのは、皆さんが何に対して幸せだと思うか、どういう価値観に基づいて企業を作り、その企業文化を立ち上げたいと思っているか、だと思います。

 ワタミグループの新卒内定者にいつも私が話すのは、この会社は誰にとっても良い会社ではないですよ、ということです。つまり最大公約数としての価値観が共通していないと、幸せではないと話しているのです。

月収が30万円下がってもやりたいこと

 20年間外食を経営し、今から7年前に介護事業を始めました。この国の高齢者の方々があまり幸せでない状況を目の当たりにして、この方々のために何かできるのではないかと考えたからです。外食で培った、おいしいお食事を良い雰囲気で良いサービスとともに、しかも安く提供するという経営の技術が、介護業界において役に立つ、ご高齢者からありがとうが集まるのではないかと思いました。


経営勉強会の様子
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 介護の経験は全くありません。普通は経営者の思いつきで新規事業を始めることは非常にリスクが大きく、当然当社の役員全員から反対されました。しかし、すべて私の責任でやるということで、93億5000万円の借金をして、神奈川を中心に介護付き有料老人ホームを運営していた会社をM&Aすることで介護事業へ参入しました。それがワタミの介護です。

 では、なぜ私は介護をどうしてもやりたかったのか。そこにいるおじいちゃん、おばあちゃんの笑顔が頭からこびりついて離れなかったからです。その思いを形にしようとしたのですが、介護業界の常識が壁になりました。それは、従来の介護が「どうやったら楽にできるか」という基準で動いていたことです。

 それを私は一つひとつ覆しました。例えば、「要介護5(最も重度)」の寝たきりのご入居者様に対して、我々は死ぬほどの努力をさせていただきます。その結果「要支援1(最も軽度)」になった方もいます。ただし、重度が軽度になると、介護保険の取り決めによって我々の収入は月間30万円以上下がるのです。

 考えてみてください。自分の収入を毎月30万円減らすために、死ぬほど努力する人がいるでしょうか。お風呂も週2回でよくて、ゆっくり気持ちよく入ってもらったからといってたくさん点数(報酬)をもらえるわけではないのです。介護する側は、いかに短時間でお風呂に入れようかと考えそうなものですよね。

あなたの幸せは何ですか

 ご入居者様の幸せが自分の幸せである。ご入居者様が笑顔でいてくれるのがうれしい。お金よりもそれが楽しい。そういう価値観の前提がないと、元気になってもらおうという発想は生まれてこない。従来の介護業界の仕組みでは、いかに楽をするかという考えが当たり前だったのです。

 けれども、私はM&Aをし、そこにいた600人の社員に「私は自分の父親や母親に対するのと同じことをしたい」と言いました。結果的に、今までの介護の常識と全然違うことになった。今まで彼らがやってきたのは、お風呂は週に2日だけで、食事にかける時間は1食当たり30分。自分たちがどうしたら楽になるかを考え、それが仕組みになってしまっていた。

 私の方針に沿った内容に改めていった結果、600人いた社員の3分の1くらいが辞めていきました。そのとき皆が残した言葉は、「私達の幸せはどこにあるのですか」でした。

 長時間労働をさせたわけではないのに、「私たちは朝から晩まで働きっぱなしではないですか」と言う。そこで私が「あの元気になったおじいちゃん、おばあちゃんの笑顔を見ることは、あなたにとって幸せではないのですか」と聞いたら黙ってしまいました。辞めていった人たちを非難しようとは思いません。良い悪いではなく、それは人それぞれの人生観なのです。

仕事は人間が成長するための一手段

 今、私の会社の幸せ感とは、以下のようなものです。

 「人間とはカネや地位や名誉ではない」
 「人間は大きな夢を描いて、その夢に向かって1歩ずつ進んで行く」
 「そのプロセスの中に仕事や会社があった」
 「そして、その価値観を共有できるあなたと出会うことができた」
 「そのありがとうを1つでも多く集めよう」


 つまり、人間はどれだけたくさんのありがとうを集めて、それを糧に成長できるかが肝心です。仕事というのは人間が成長するためのステージであり、自分を磨くための1つの手段だという考え方を私は強烈に持っています。

 本気でそう思う人だけ一緒に仕事をしましょう。結果としてこの価値観に賛同してくれる人がいなくて、会社が小さくなっても仕方がない。人がそれぞれその人らしいことが一番大事だと私は思います。

 企業も皆さんの会社らしいことが一番大事なんです。誰のまねもせず皆さんの生き方そのものが会社であれば、それで100点なんです。そのためには、自分は何を表現したいのか、何が大切なのかを明確にしないとなりません。 

 価値観は「こうあるべき」という普遍的なものではありません。今の正直なことを言葉にする、それを形にしていく、それが経営というものだと思っています。

5億円を捨てる覚悟

 事業というのは必ず困難があります。困難がない事業なんてありません。私は居酒屋の4店舗目を出した頃に経営危機に陥りました。社員には頭を下げて、「ごめん。今月、給料はゼロです」と言ったことが何度もあります。

 それはほんのちょっとの違いなんです。心が負けているか、負けていないか。下っ腹に力を入れて、絶対に負けないと思って息を止めている状況を自分がどこまで我慢できるか。

 経営は格闘技です。綺麗ごとではないのです。相手の喉に食らいついたら、死ぬまで離さない覚悟がないと経営はできない。でも経営者の心が負けたら、もうそこで終わりです。つまり事業の限界は経営者が決めるのです。今がどんなに良くても、死ぬまでは「途中経過」に過ぎない。その覚悟がなければ経営はできないし、私もとにかく諦めません。

 (居酒屋チェーンの)「つぼ八」を13店舗やっていた時期があります。1店舗当たり毎月300万円利益が出ていました。つまり13店舗で月間約4000万円、年間5億円の利益です。そして居食屋「和民」という店をつくりました。自分が経営し、うまくいかなかくなったお好み焼きチェーンを潰すことになり、そのチェーン17店舗の従業員の受け皿とするためです。

 そうしたら、「つぼ八」の本部からあんな、まねするような業態をやるのなら、13店舗のつぼ八の看板を下ろすか、和民をやめるよう言われました。こっちは海のもとのと山のものとも分からない和民です。しかもスタートしたばかりだったので300万円の赤字でした。つぼ八は5億円の黒字なのに、ですよ。

 さあどうするか。

 勝つか負けるかを全部度外視して、その存在のためだけに戦わなければいけない時もあります。「つぼ八」13店舗を継続すると判断した段階で、私はもう自分が自分でなくなると思いました。自分らしくない判断をしたら、その時は勝った気になるかもしれないが、いつか必ず負ける。

 私はその時13店舗と5億円を捨てる決断をしました。1年かけて「つぼ八」を「和民」に切り替えていく契約をしたのです。

 単純に考えれば、毎月300万円の黒字だった店が、300万円の赤字になる。合わせて1店舗当たりの資金繰りは毎月600万円ずつ悪化する。誰が考えても、あと4カ月でこの会社は潰れるという状況です。でも、諦めなかった。何とかなると。

 その時、もうダメだと思うのは、自分に経験と知識がないからだと考えたのです。もし違う人が違う能力と経験、知識をもって臨んだなら突破できるかもしれない。つまり、とり得る方法は無限大なんだというのが、私が自分にかける「呪文」なんです。もし、私が局面局面で諦めていたら、ワタミという会社は10回くらい潰れていたでしょう。でも諦めなかった。だから、今があるのです。

濡れ手で粟で1億円儲けるわけにいかない

 そうは言っても運は大事です。皆さん経営をされるのなら、ぜひ運の良い経営者でいてください。今、ワタミがあるのは、諦めなかったこともありますが「よく、あの時にあの人が現れてくれた」と思えるような出会いがあったからでもあります。本当に私は運が良かった。

 では、運が良くなるにはどうしたら良いか。そこにいる神様に「応援してやろう」と思わせられるかだと思うのです。

 バブルの時、こんなことがありました。ある銀行が2億円の融資話を持ってきて「この土地を買ってくれたら、1年後に3億円で買い戻します」と約束するんです。でも、お金には色があると思っている私は、どうしてもそういう話は好きじゃない。ビール1本売って10円儲けさせていただいている和民が、濡れ手で粟で1億円儲けるわけにはいかない。汗を流さないお金は、お金ではないという概念の中で経営してるのです。


 たぶん、神様はそういう経営者を応援してくれるのではないかと思うんです。だから私は運が良く、事業もすごくうまくいっているのでしょう。

 ワタミグループには体系化した経営理念があります。これは、会社としてなぜ運が良かったかを分析した結果をまとめたものでもあります。これがワタミのグループ憲章になっているのです。

 この中には「額に汗した利益のみを利益と認める」とあります。つまり、額に汗しない利益は1円だっていらないということです。それを神様が応援してくれているのでしょう。もし、これに外れるようなことをやったら、神様は我々を見放すのではないでしょうか。「すべてのことは損得でなく、善悪で判断しろ」。ぜひ、皆さんも運の良い経営者になるために考えてみてください。


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三田灯(36) - 松嶋菜々子

三田灯(36) - 松嶋菜々子
阿須田家に派遣された家政婦。昭和50年12月25日生まれ。他人には「家政婦の三田です」と名乗る。家事全般における洗練されたスキルと、1秒単位にも及ぶ時間の正確さ、さらに他人の言葉でさえ一字一句間違えず覚える記憶力を備え、あらゆる仕事を完璧にこなす凄腕の家政婦。また家事以外にも多様な分野・数学・現在のトレンドなどあらゆる知識を備えており、顧客の要望には「家政婦」の域に留まらずあらゆる面で対応できる。じゃんけん、ルービックキューブ、バスケットボールなどがとても強く物真似も達者で犬や猫の鳴き真似が出来る。ホームビデオの映像から一瞬で凪子の声を完璧にコピーし、肉親の義之をも完全に騙すほどだった。
外出時にはダウンジャケット(夏でも着用する)、息子の形見である帽子と腕時計、夫の形見であるドクターズバッグを愛用し、その中からは随時必要な物がドラえもんの四次元ポケットのように出てくる。
常人離れした能力を持っているが必要最低限のこと以外は口にしない上、いかなる時も喜怒哀楽を出さずロボットのように無機質な雰囲気を漂わせている。体温も希衣が驚くほど低い。また業務命令であれば、スキルの及ぶ範囲内なら一般人でも出来る簡単な作業から犯罪行為まで、その内容や社会慣習に関係なく「承知しました」の一言で「何でも」やってしまう。また弟にストーキングされた過去のトラウマから背後に立たれることを嫌い、背後から触れられると反射的に相手を投げ飛ばしてしまう。あらゆる面で人間離れした存在であり取り扱いに困るとして交代させられた経験も少なからずある。なお住民票上は晴海家政婦紹介所に住んでいるということになっているが、業務時間外にどこで寝泊まりしているのかは晴海も知らず、休日には決まって遊園地内の飲食コーナーでファミリーセットを買い特定の席に座り、そこから閉園まで全く動かず何かを見つめるように過ごしている。
幼少期に川で溺れた自分を助けようとした父親が溺死、それ以来母親に疎まれるようになる。母親の再婚後は継父からの劣情と、母の再婚後生まれた弟との差別的扱いに苦しみながらも家政婦として出入りしていた晴海に励まされながら懸命に笑顔で暮らしてきた。成長し結婚、息子をもうけ一度は幸せを手に入れる。しかし、異父弟が三田に歪んだ愛情を抱きストーカー行為を始め、それを知った夫から拒絶された弟が逆上し家に放火、夫と息子を焼死させたうえ自殺する。実母と義母の双方から「お前の笑顔が何もかも台無しにした。もう謝らなくていい、死ぬまで二度と笑うな」と言われたことで、自ら笑わないと心に誓うようになる。よって「笑え」という指示は業務命令でも決して遂行することもなく、過去の暴露もしくは笑顔を強制されるなら「お暇をいただく」と宣言している。自分が意志を持つと、周りの人が不幸になると思い込んでおり、命令された事だけをやればいいという理由で家政婦をやっている。過去に自殺を図ろうとした事もあったが、自分の意志では死ねなかった。
家庭に関する悩みを家政婦の職務を超え意見を求められるが「それはあなた達が決めることです」と冷たく突き放す。しかし阿須田家が追い詰められた時には彼ら1人1人の想いを汲み取る行動・発言を見せており、一家から徐々に信頼を獲得していく。やがて三田の苦しみを察したいと願う阿須田家の想いに動かされ家族皆の前で自らの過去を全て語った後、約束通り阿須田家を去っていく。 結や海斗は、三田がどのような依頼でも引き受けるのは「死ぬ為」「死刑になる為」ではないかと考えている。
その後、皆川家に新しく派遣される。真利子に依頼され夫を尾行し不倫の裏付けを取る。絶望した真利子は一家心中を思い立ち、三田に「この家を家族ごと燃やして」と命令する。三田は翼の誕生日パーティー中にそれを本当に実行に移そうとし、動転した真利子が「あなたみたいな人は世の中の為に死ぬべきだ」となじると、自らに灯油をかけ「この機会を待っていた」と焼身自殺を図ろうとする。だが駆けつけた阿須田家の子供達の三田を想う気持ちに初めて感情を露わにしその場所から動けなくなる。
「一緒に食事を取ったり出掛けたりしない」「笑えと言われても笑わない」といった条件付きで再び阿須田家の家政婦として働き始めるも、夫と息子の幻影を観るようになり苦しむ。遊園地で現れた幻影に「阿須田家を愛してしまいそうで怖い」と本心を打ち明けるが、追いかけてきた兄弟達が目の前に立っていて全てを聞かれてしまう。
三田の本心を知った兄弟達の必死の説得により阿須田家に戻った三田は兄弟達から「『笑うな』と言われた事を忘れて」「お母さんになって」と頼まれ、それに対し「承知しました」と言う。


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ミスコミュニケーション

注意して観察していると
日常生活を生きていても
ミスコミュニケーションが多いことに驚く

言葉は正確に伝わっていない

それでも日常生活を生きるには過不足がないのだから
言葉の表面的な意味と、相手の言いたいこととの間を、推定で埋める、脳の働きが
うまく行っているのだと思う
(推定し過ぎがたいていの精神の病の原因ではあるのだが)

もちろん、ミスコミュニケーションがないことが望ましいが
誤解があったとしても
なんとかうまくいかせてしまう脳の能力が素晴らしいと思う

これは閉鎖された小さな、均一、共通の価値観や人間観、世界観を持った集団だけで
可能なことなのだろうと思う

ーーー
脳の補完機能も
いいような悪いような
という感じですね

補完のしかたに微妙に違いがあるので
ややこしい話になる 



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ストレス脆弱性仮説 創発論

長い間、ストレス脆弱性仮説に慣らされているので
いまもそれが一番妥当な感じがしている
そこから抜けられない

器質的な脆弱性がまず基盤にあって
契機となるストレスが加算されると発症する
やはりどう考えても妥当な気がする

ストレスが加わっても全員が発症するわけではないことも
これで説明できる

薬剤が有効であることも
これで説明できる

自然で妥当な発想であると思うが
それは私がこのパラダイムの内部の住人だということなのだろうか

ーーーーー 
例えば昔は生命は物質とは違うのだと考えられていた
生命科学を物理学や化学に還元するのは無理だと考えられていた
現在はそんなことはない

精神の科学と物質の科学もそのような所がある
物質→生命→精神 と並べてみて
まだその方法論がないというだけなのだろうと思う

DNA、RNA、アミノ酸、タンパク質、と並べて発生生物学を学べば
科学の方法で不足な点は別段ないことが分かる

生命が神の領域であった時代の最後の地点に現代の我々はいるのだろうと思う

さらにその先に脳の科学と精神の科学があるだろう
結局は脳の神経細胞の振る舞いに還元されるとするのが素朴唯物論で
最近はもうそれでいいのだと思うようになっている

もちろん、人間の精神が精神であるためには脳があるだけでは不足であって
時間と文化と他者がなければならないだろう
しかしそこには神も神秘も必要ないだろう
これを創発論といってもよいが(emergence)
創発論と名前をつけるほどのものでもないだろうと思う
創発論といっても何も解明されないような気がする

科学以外の方法論が必要とは思わないが
現在の方法論だけで充分とも思わない

光学顕微鏡でウィルスを探しているようなもどかしさと言えばよいのだろうか



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神経内科的見方

脳腫瘍や脳血管障害などで
神経内科的症状が出ている場合に
普段から接していると
当然のことながら
精神症状もその視点で見ることになる

景色は澄んでいる

部長にバワーハラスメント的発言をされて
そのあと『症状』に苦しむという場合
そのイベントがどの程度引き金で
どの程度原因であったかという点については
不明のままである

私の接している神経内科的世界には過剰な哲学もないし
ややこしい言葉もない
それらは観察する側の脳の問題だとすぐに分かる
壊れているとすれば観察する側の脳が壊れている可能性が高い

ややこしいのは観察される脳の仕組みだけであると
いう時代になってほしいものだ

脳が脳を観察するから
原理的に難しいなどという問題の設定のしかたは
脳腫瘍とか脳血管障害とか認知証の場合にはないと思う
それでいいと思う


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マグカップの茶渋

ふと思いついて
マグカップの茶渋を
歯ブラシで擦ってみた

案外取れないものですね

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日本からアメリカに留学して発病

昔は田舎から都会に出て発病して
都会の精神科病院で診断を受けて
田舎で治療というケースもあったように思う

それは好発年齢、性的成熟、異文化適応の問題などが関係しているらしい

現在は日本からアメリカに留学して発病
というケースが多々有り
それが昔の田舎から都会、たとえば東京、で発症のケースと同じ現象なのか
あるいはアメリカの薬物事情と関係があるのか
パーティとセックスが関係あるのか
宗教的環境がどの程度関係しているのか

また
アメリカ以外の留学でどの程度発症するものなのか

また
病気の種類としてはどうなのか

ーーーーー
正直言って
生まれた時からずっと同じ環境でいる場合には
多少の脳の不具合があっても
なんとかなるものではないかと思う

少しの不具合でも
明白に不具合だと自覚させられる
そんな環境が問題なのかもしれない

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脳の機能障害とイベントに対する反応

人間の脳はさまざまに先天性の奇形があり
(たとえば血管の形成とかならばいま現在でも明確に観察できる)
発達障害があり
一度完成してからも壊れやすく
老化も進行しやすい

精神の障害は
脳のそれぞれの場所での様々な機能障害が基底にあって
それが環境と不適応な場合に自覚されて
問題化する(caseness)

一般に生物学的精神医学よりの見方をすれば
脳の機能障害を重く見る
心理学的精神医学の立場だと
適応障害やイベントに対する反応を重く見る
それぞれを説明と了解と言い換えてもよい

現代では心理学を学んでいるという事自体が
自らの愚鈍さの証明のようなものである
その心理学で自分のことを考えないものだろうか

犬の気持ちも猫の気持ちも、ラットの気持ちも、またたとえば雲の気持ちも、了解できるに違いない

了解できるという事自体の意味がずれていることに無自覚であるほど愚鈍である

行動を扱うと称したとしても所詮は客観的測定などできていないのだから無自覚の程度は似たようなものである 



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バッハの練習曲は指と頭の練習である

バッハの練習曲は指と頭の練習である

しかし思うのだが、たとえばベートーベンやショパンが、指と頭の練習以上の何かなのだろうか

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与えられたものをただ信じている

ソ連が崩壊し
ソ連共産党党員証がフリーマーケットで売られている
老婆は自分がソ連共産党員であることを誇りにしているので怒りを感じる

ロシア正教会が復活し
老婆は教会で祈る

与えられたものをただ信じている

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