パワハラ 厚労省、初の定義
マイアミ・マーリンズ キー・ウェスト
(『老人と海』の舞台はフロリダ半島南部のパイン諸島に位置するキー・ウェスト)。
キー・ウェストなんかリゾートにはいいんでしょうね
「集中できない」の鑑別
集中できません
とはよくある主訴の一つである
いろいろと鑑別の必要がある
うつ症状により集中が続かない場合
そう状態により集中がそらされてしまう場合
統合失調症によりたとえば幻聴があったりして集中できない場合
当然のことながらADHDで注意集中ができない場合
知能発達遅滞で集中できない場合
ほかにはなにか身体的原因がある場合
耳鳴りがする場合
吐き気がある場合
下痢がある場合などさまざま
ーーーーー
やる気が出ません、意欲がわきませんというのもよく聞く主訴の一つである
統合失調症の陰性症状
うつ病の意欲減退
エピソードに反応性のやる気喪失
甘やかしと精神療法
外部からは
甘やかしである、退行促進的である、他人のせいにする精神に同調している、現実逃避に加担している、
要するに人間をダメにしている
との批判があることは承知している。
中にはひどい治療者で、その事に無自覚な人もいるのかもしれないが
そこはお互いに内部で高めあっていくようにしている
産業医の立場であれば
治療を業務命令で強制することもできるわけだが
強制力を伴わない場合は
甘やかしてくれる方に行くだろうことも予想できる
そこで甘やかしてしまってもいけないし
しかし治療が途切れてしまってもいけない
その人の人生全体の中で考えて内因性うつ病なのか反応性うつ状態なのか
その人の人生全体の中で考えて、
今回の失恋でその程度落ち込むというのは、
自然なことなのかどうかと言うことです。
その人ならその程度は落ちこむだろうなというのであれば、
反応性うつ状態として考えればいいし、
失恋程度でそんなに落ち込む人では本来はないんだがなあ、
ということであれば、
(昔は内因性と言っていましたが、現在で言う、
生物学的原因、脳神経細胞の神経伝達物質の異常といったような)
双極性や単極性障害を考えないといけないわけです。
本来のその人の性格や行動パターンに照らして考えます。
寛解の定義 心療内科に通って3ヶ月までの本
なんて大切な人生の時間だったのだろう
140億年の一部なのだし
宇宙全体の構造が不知である以上どうしようもないと考えていた
しかし実際に年を取ってあとが短くなってみると
なんて大切な人生の時間だったのだろうと思うばかりである
くだらないなりにでも
もっと一所懸命になれば良かった
就職面接
とても乾燥していて
いかにもインフルエンザが元気になりそうな一日でした
このところ職員さんの就職面接で忙しい
これまでしてきたことやこれからやりたいことなどを聞いているうちに
こちらも元気をもらったりする
あなたの未来は輝いていますよ
ーー
正直、やりたいことといっても
あまり思いつかない老人なのだ
やったら多分こんな感じ
確率論的な未来が見えるだけ
若い人の夢の実現の手助けをするくらいはできるかもしれない
ビデオ捜査官
私の感じではビデオ捜査官というものがあるとして
精神療法はそんな感じなんです
その患者さんの言いたいことはビデオに既に録画されているとするでしょう
それを最初から全部順番に見ていくというのでもいいし
時間を指定して、どこからどこまで再生
というのでもいいでしょうね
でも面接者が指定するのはそこだけで
何を話しなさいとか、何についてはいかがですかとかというのも
限定しすぎの感じがある
じっとビデオを見て
必要ならば繰り返して再生する
その中で必要な情報を全て収集する
もちろん面接する人間の態度とか雰囲気とか
あるいは場所の設定とか料金のこと、時間のこととか、治療構造があるわけです
いっそのことカルテなんかやめて
ビデオで記録でもいいんですけれども
閲覧性が悪いので採用できないでしょうね
DSM分類
では、他に作ってみるかと考えると
もちろんDSM以上にいい考えもあるはずはなくて
それはそれでよくできた熟慮の結果のものだと思う
数回の面接で自然な会話の流れを作り詳細に記録して
このような項目に関して
あとですべて評価できるようにする
「あなたは不安ですか」「はい」というくらいならば 最初から「あなたは憂うつですか、興味喪失ですか」と聞けば良いことになってしまう。 そんなはずはないでしょう。 報告をすると「うつでつらいのできたそうです」で終わってしまう。
美しさ
どちらが幸せだろう
美しさならばどちらも幸せだろうか
自惚れが混じるぶんだけ
鑑賞される側が不純であると思う
不幸を鑑賞する側と鑑賞される側という関係はあるものだろうか
不幸を鑑賞される場合に
自惚れに相当する何が混入しているのだろう
病気とは
病気には外傷、腫瘍、変性、感染、などがあると病理学で教えられていて
生活障害を病気とは言わないのだが
拡張した意味としては機能障害を病気ということもあるが
それはあくまでも拡張した意味である
たとえば
先天的に足の骨がどちらかに曲がっていたとして
歩くには不自由であるし
見た目にもあまりよくないかもしれないが
サッカーでもしたらものすごい変化球を蹴ることができるかもしれない
そんな場合には
それを病気というのか言わないのか微妙なことになる
医学としては
顕微鏡で骨を検査して別段異常はないので
何病とも確定診断をつけることができない
精神の機能異常の場合にも似たことが言える
釣鐘状のばらつきの端っこならばそれを病気とは言わないのだが
そんな厳密な区別はできないのだから
きわめて曖昧に言葉を使用している
躁状態の二種類
背景が悲劇の人と
背景が喜劇の人とがある
背景が戦争のようでしかしここには花が咲いているという風情の人と
背景は平和でしかしここに局所的に感情の嵐があるという風情の人と
単に偶然の境遇の違いなのか
それとも本質的に違いがあるものなのか
茹でると煮るの違いを説明しようとして
一日が終わる
ビーフシチューは煮る、煮こむ
カレーも煮る
ゆでたまごは茹でる
うどんもそばもゆでる
しかし煮込みうどんもある
これはうどんに味を染み込ませる
下茹でする
塩ゆでするものもある
解説によると
海由来の魚介類を茹でる際、体液(旨み成分)が茹で湯に染み出ることを防ぐために、
茹で湯の浸透圧を海水に近づける工夫を行うことがあり、塩茹でと称する。とのことだ
ゆでだこになった、などというが
味付けされるわけではない
だいたいを言うと
調理の一段階として「茹でる」があって
たいていお湯か塩水で加熱する
そのあと調理して完成する
煮るは調理の味付けそのもの
boilとcookでいいのかな
煮る(にる)とは、直接的には水・出汁などの液体を加熱することによって熱媒介とし、その液体に浸した食材へ間接的に加熱する調理法である。加熱した食材だけでなく、加熱に利用した液体(つゆ、汁)も同時に利用する。(そばやパスタのように別個で利用する、あるいは全く利用しない調理法は「ゆでる」となる。)
そしてとうとうお友達は一人もいなくなりました
ただ少しだけ幸せになりたかったのですが
どんどん不幸になりました
その頃やっとおじいさんが柴刈りから帰って来ました
おばあさんは何事もなかったかのように洗濯物をたたんでいました
桃太郎などというのは昔話で
今の二人には重い不幸な閉ざされた現実があるだけでした
二人で話を始めれば
どうしてもあの重い話をしなければなりません
だから二人は何も言いませんでした
業に翻弄される二人でした
モバイルウェルネスプログラム
また、同時に、その結果を主治医と共有できる仕組みとなっています。簡便かつ継続的に、患者さん自らが積極的に参加できるという特徴があり、再発を予防する為のツールとして使用することが可能です。
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テレビで話すこととネットで広告すること
嘘が含まれていて当然で
お祭りの時のほら話と同じと考えているようだ
スポーツ選手は当たり前のように優勝すると言っているが
相手もあることなのでそんなはずはない
ただテレビカメラの前で何を言えばいいのか空気を察しているので
必要な程度のサービスをする
それが当たり前になった
だから視聴する側ではそれを差し引いて見ている
すると差し引いて見られることを制作者は計算するのでますます言葉も態度も膨張する
ネットでの意見や広告も同じ
そのままを信じ込む人もいないだろうと言うことでやや大げさな書き方をしてもいいと思ってしまう
絶賛の嵐とか
その延長で食べログ事件とかも発生する
多少の嘘が前提でしょうというお祭り気分があるのかどうか
お祭り気分の人を妙にまじめに
違うだろうと言ってみても始まらないのだが
純粋無垢な人をそれでだますなら良くないわけだ
むかし原野商法でだまされて損をした人が
今回再度狙われて
むかし原野商法でつかまされた価値のない土地を高額で買い取りますと宣伝して
ついては最初にお金がいくら必要などといって
お金を引き出してどこかに消えてしまうのだという
原野商法でだまされた人の名簿があって
それを使って電話をしてもう一度だますのだとのことだった
常に嘘しか言わないと認定されている人たちから
常に正しいことを言うと期待されている人たちまで
幅があるのだが
常に正しいことを言うつもりだったけれど
それは最初の一ヶ月だけで
あとは悪習に染まってしまった
というケースも多いように思う
因果関係の誤推について
一部はジンクスのように
自分としても明確に因果関係は否定しているものの
気分としてはやりたい
という程度のものから
本格的に因果関係を信じているものまで幅がある
人間の脳は因果関係を一時的にでも仮定するように
出来ているのだから
それ自体は悪くない
ただ頭のいい人ならばその一時的な仮定を
合理的に否定できる
因果関係に気づくことも頭の良さであるが
そうではなくて
100通りくらいの可能性を考えた後で
否定できることが頭の良さの本質ではないかと思う
これは従来から
照合と訂正と言われているプロセスであり
思いつくこと自体は悪くない
訂正できないところが病気なのだと言われている
雪が降ってすっきりと晴れた朝
昨夜も雪だった様子で朝には芝生の部分に雪が積もっている
ビルの屋根部分に積もった雪が溶けて雨だれになって落ちている
ずいぶんの量だ
水滴のカーテンと言えるくらい
朝日が横から差し込んで水滴を光らせている
子供の頃、景色はこんな風にすっきりと澄んでいて
カメラでよく撮影したことを思い出す
あの頃はコダックもあった
喧嘩両成敗
喧嘩両成敗 などと言われたら 被害者はたまったものではない ターゲットに選ばれたのが悪いとでも言うのだろうか
しかしまた裁く側の簡便さで言えば喧嘩両成敗はとても便利だ。とても怠慢だけれども。しかし頑張ったとしても真相がわかるわけでもないだろう。口のうまい人間や平気で嘘をつける人間に有利になってしまう。いっそのこと喧嘩両成敗でも変わりはないような気がする。ずるい奴が得をするということを防止できる。弁護士がいらない。
喧嘩をしたら死罪というのだから喧嘩ができなくなる
表向き喧嘩をしない知恵を開発するだろう
それはそれでいいのかもしれない
喧嘩しない知恵を考えるようになるのだろう
たとえば暗殺
Japanese Drama "With Love" soundtrack Once in a Blue Moon
Japanese Drama "With Love" soundtrack
http://www.youtube.com/watch?v=1JehEbhrWzA&feature=youtu.be
Once in a Blue Moon 《口語》 ごくまれに, めったに…ない 《★【由来】 空中の細いちりのため, まれに月が青く見えることから》.
http://www.youtube.com/watch?v=0uxuqWq6H0o&feature=related
http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&NR=1&v=MzvsaJlrrz4
PCが古かったりメールソフトも昔っぽい
メイクが昔っぽかったり演出も昔っぽいし
でも音楽は今でもいい
田中美里はチェ・ジウの声を担当することになるし
及川光博は結婚して藤原紀香は離婚することになる
雨なのに平気で濡れたりして
放射能以前ですねえ
Paris Match - Saturday (with New Cool Collective)
心の欲する所に従えども矩を踰えず
というのだが
心に従いて矩を踰えず
でいいと思う
などとこれを聞きながら考えていた
限度を超えない上品さがいい