“(某先生へ)職業柄、過労自殺の裁判例をたくさん見てますが、みんな自殺の前に「就業中意味もなく突然涙が出て来て止まらなくなる」現象が高確率で起きてます。正常な判断能力が衰える前にどうかご自愛を。”
ドイツ、メキシコに敗れる 一次リーグで
サッカーワールドカップ日本代表 アディダス・キャップ
人間は放っておくと、長期間いる場所のルールを常識だと思い込み、他の世界のルールを否定する傾向にあります。
梅雨の散歩で言葉を探す
“・日本の子供はよく「おなかすいた」と言う。ところが欧米人から見たら「だから何?」と思うらしい。彼らの子女は「ご飯が食べたい」と表現することを求められる。「のどが渇いた」というのではなく「何か飲み物を買ってもらいたい」と。 ・大人になっても、私たちは日常的に「疲れたなあ」と自分の感情を表明して、相手にそれをおもんぱかってもらって、「じゃあ休む?」と何か行動を促してくれることを期待しているようだ。”
“駅の自販機でジュースを買ったら何故かオロナミンCが出てきて、もう一度やってもオロナミンCが出てきたので駅員さんに説明しようと思って駅員室にオロナミンC二本持って行って「あのこれ」って声をかけたら駅員さんたちすごい笑顔になってたから「いつもお疲れ様です」って言って渡してきてしまった”
アインシュタインとタゴールの対話 この対話は1930年、アインシュタインのベルリン・カプートの別荘で行われたもの。 タゴール:「この世界は人間の世界です。世界についての科学理論も所詮は科学者の見方にすぎません。」 アインシュタイン:「しかし、真理は人間とは無関係に存在するものではないでしょうか? たとえば、私が見ていなくても、月は確かにあるのです。」 タゴール:「それはその通りです。しかし、月は、あなたの意識になくても、他の人間の意識にはあるのです。人間の意識の中にしか月が存在しないことは同じです
“・就業者数は、医療,介護では増加基調が続く一方で、その他の産業では伸び悩み ・就業者数増のほぼすべてが女 ・「活躍する輝く女性」が増えたというよりも「年配の主婦が家計を助けるために福祉部門で非正規労働を始めた」が実態に近い”
“イヌイットだか、どこの民族だかのかかげる「人間の三大悪」の一つが「不機嫌」というのがあってえらく納得した覚えがあります。”
知的公家さんと知的野生児
キリスト教と無神論的唯物論の両者が想定する当然の共通項は何か
症状か人間か
治療の流儀として
ターゲットとする症状を明確にしてそれを治療する方法と
そうではなくて人間の苦悩とか生き方とかこれからの人生とか人間関係とかにも
配慮していく方法がある
そのあたりの配合はむつかしい
後者については明確に治療契約みたいに決められるものでもないし
それには触れないと決めたとしても
影響しないでいられるものでもない
意図しないうちにいい影響が生じるならばいいのだが
意図しないうちに悪い影響が生じて
極度の依存関係を形成し
そのことを治療者への信頼とか誤解している場合がよくある
このような依存関係が形成されたほうが
一種の治療同盟としては、ターゲットとされた症状の治癒には有利なのだけれども、
大きく全体としてみた場合には
問題がまた一つ増えたという結果になることもある
そうしたことも含めて人間観であり治療観であるとの言い方もできるので
断定するものではないが
いろいろな問題をはらんでいる部分である。
“人は人からしか学びえないので、肩書きや名声よりも自分の導きとなる人との出会いを大切にすべきだと思う。”
最新科学のたわごと
ピンチの時
知能指数が一段も二段も低下するもののようである
その結果おかしな判断をしてしまい
さらに状況を悪くする
不思議なものだと思う
進化の過程で、ピンチの時にこそ冷静に対処するメカニズムがあってもいいはずであるが、
実際にはピンチの時におかしな対応をしてしまうケースがとても多い
結局それでも生き残っているということなのでたいした問題ではないのかもしれない
ピンチの時には破れかぶれで騒ぐとか、あるいは死んだふりをするとか、それでいいのかもしれない
楽観主義とは
もう歩けないと思った時も
一歩だけ歩いておく
努力には価値があると信じること
それが楽観主義である
ーーー
努力してもしなくても結果は同じかもしれない
もしそうならば努力しようと思うのが楽観主義
結果が同じなら何もしたくないというのが
悲観主義
ーーー
努力が習慣化している
自然に努力できる
努力の価値を信じられる
ーーー
楽観主義とは
楽な気持ちで、負担に感じることなく、自然に、なんの気なく努力できること
ーーー
どうせ無駄になると思ってもなお、努力するのが好きなこと
ーーー
すべてが無駄になっても、神様の決めたことだと割り切ること
そして
明日からはまた努力すること
ーーー
楽観主義とは
体を動かすのが好きなこと
いつも行動を選択すること
見送るよりはバットを振ったほうがいいと思うこと
一日一回 他人の目になって 自分を振り返ること
他人の目になって
自分を振り返ること
それを記録しておくこと
定期的に記録を振り返ること
もっと空っぽになろう
私の心の中にあるものは
ガラクタでしかない
すくなくとも
たまにはイエス様が立ち寄って
休んでいけるくらいの
隙間を
心に作っておこう
現実を変えるには
"
自分が否定されてきたものだから、他人を否定しても平気になる
数学ができないのか、問題文を理解していないのか? 3人に1人が、簡単な文章が読めない 日本の中高校生の多くは、中学校の教科書の文章を正確に理解できない。多くの仕事がAIに代替される将来、読解力のない人間は失業するしかない…。
数学ができないのか、問題文を理解していないのか?
"
無料サイトをはしごする若者
若者は自分の本棚にどのような本があるのか
確認してみてほしい
若者は自分がネットで情報を集めるときに
どのようなサイトを訪れているのか
確認してみてほしい
自分の本棚に、街で無料で配布されるようなパンフレットしかないとしたら
どうだろう、悲しくないだろうか
製品カタログも無料で手に入る
そのようなものしかないとすれば、悲しくないだろうか
それと同じことをネットの世界でしていないだろうか
きちんとした本はたいてい有料である
それは本を書く人も編集する人も印刷する人も本屋で販売する人も生活があるからだ
生活をかけて、書いて編集して売っている
きちんとした本はたいてい引用や根拠をたどることができる
印象は印象として、事実と区別することができる
それが出来ない情報はどのような情報なのだろうか
ポエムなら問題はないが
本業が別にある人が
時間をかけて、人々のために良心的に、
なにか書いている場合ももちろんあって、
品質を維持していることもあるし、
中には天才的なひらめきを示しているものもあるだろう
しかしそれは稀なことである
リナックスの世界で示されているように
無料でみんなが知恵と労力とお金を持ち寄る仕組みは大変素晴らしい
しかし情報の世界はリナックスの世界よりも非常に高度に操作されていて歪められている
宣伝はただで手に入る
良質な情報は筆者の生活費を生み出すために有料である、特別な場合を除いて
だから、若者が情報を受け取るサイトが無料である場合、
何かの宣伝ではないか、その書き手の苦労はどのようにして報われているのか、
そのあたりをよく考えてみたらどうだろう
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逆に、生活のために書いている人は、
生活のために意見を曲げてしまうこともあるだろう
読者はそのことも見抜いていく必要がある
そのことも考えよう
書き手は何をどのように引用しているだろうか
書き手は、時間経過ごとに主張を変化させているか、変化しているならそれはなぜか
その人の活動費はどこから出ているか
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その人はどんな人格だろうか
目の前に現れたとして、どんな印象をもつだろう
そんなことも考えてみてほしい