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どういう事情があっても、武力行使をしてはいけない、ということです。

どういう事情があっても、武力行使をしてはいけない、ということです。自衛であろうと、国連の旗の下であれ、です。日本は自衛だといって満州事変から、中国のなかで戦争したんです。そんな自衛がありますか。(『21世紀への委任状』p.89)宮澤喜一


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どこにも特別な場所なんてない

“僕が旅行で一番好きな瞬間は、旅の終わりに家に帰る途中、バスや電車の車窓からどこにでもあるような町の風景を見て、
「ここには何千何万の家庭があって、それぞれの人生があるけれど、みんな自分とは縁のないまま生きていくんだな。同じ日本に住んでるのに」
 という、少し寂しいような、すがすがしいような気持ちになるときかもしれない。
 僕がどこにでもあるような町を見るのが好きな理由は、多分確認して安心したいのだ。どこにも特別な場所なんてないということを。”


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谷川俊太郎 生きているということ

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと惑るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと
生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと
生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたのてのぬくみ
いのちということ
(谷川俊太郎)


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「劣等コンプレックス」

“「劣等コンプレックス」とは「劣等感」を言い訳にして、人生の課題から逃げ出すことを指します。つまり、劣等感をバネにして「なにくそ」と頑張る人は、「劣等感」は持っているものの「劣等コンプレックス」を持っていないのです。”
アルフレッド・アドラー


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何かに強い確信を持つのは  いつも知的でない人のほうだ

“作家のジョージ・バーナード・ショーの
言葉なのだそうです。
「知的な人は常に
 何が正解かはわからない、と考える。
 何かに強い確信を持つのは
 いつも知的でない人のほうだ」”


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“1年たって古くなるのが『情報』、10年たっても古くならないのが『知識』です。”

“1年たって古くなるのが『情報』、10年たっても古くならないのが『知識』です。”


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“人生は やり直しはできないが 見直しはできる  ふと通りかかったお寺に書いてあった言葉”

“人生は やり直しはできないが 見直しはできる 
ふと通りかかったお寺に書いてあった言葉”


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ストレス

“ストレスって、自分で作ってるんですよ。自分で叶わない欲やはてしない怒りやらを作って、自分で苦しむ。それが人間の、あらゆる生命の落ちた罠みたいな感じ。”


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自責

“主治医に言われた「自責は精神的リスカなんですよ。痛みが伴うから、生きている実感が得られる上に、思考停止の良い言い訳になる、中毒性の高い行為です」っていうのが、今になってボディブローのようにキいてる。 自責は命綱にもなるけど、その命綱を手放す理由にもなる、諸刃の剣なんだな……。”


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複雑な人格

個人でメシを食っている人、特に作家や映画監督やミュージシャンなど、なにかを表現することを仕事としている方とお会いすると、その人格的な魅力に驚くことが多い。最近そういう方がたと接する機会が多いのだが、みんなとてもチャーミングで、気さくで、真面目で素直で、そして口が悪くて、とても素敵(すてき)だ。
 音楽や小説に限らず、なにかの表現というものは、ぜんぶ心の暗い部分から出てくるのだと思う。だから、そういう暗い部分をたくさん持っていないと、そこから表現が出てこない。 
 しかしそれを仕事にしようとすれば、とうぜんそこには人付き合いとか礼儀とか、ごく当たり前のコミュニケーションが必要になる。そういうことが最低限できないと、いまのこの世の中で仕事をしていくことはとても難しいだろう。 
 いま個人の表現で世の中に出ている人は、ものすごく暗い部分と、ものすごく明るい部分を同時に持っているのではないかと思う。だから、みんなとても複雑な人格になる。そして、複雑な人格を持つ人というものは、だいたい魅力的である。


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科学を細切れにして都合のいいところでは持ち出し、具合の悪いところでは無視する

“科学という重荷を背負えない人が科学の教えるところを無視するのは自由である。しかし科学を細切れにして都合のいいところでは持ち出し、具合の悪いところでは無視するというわけにはいかない。なぜなら我々はそれができるほど賢くないからだ。”


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外部にメモすると頭の中から消去されるように仕様変更

“小中学生の頃って、ノートに書くことで記憶を定着させてたような気がするけど、いつからだろう、外部にメモすると頭の中から消去されるように仕様変更されたの”


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「におい」「かおり」

“どうやら日本人は匂いに対して関心の低い民族であるようだ。日本語には「におい」「かおり」程度の語彙しかないのに対し、英語は smell(臭気全般)、perfume(香料などの芳香)、odor(匂い)、stench(悪臭)、stink(悪臭)、scent(香気)、fragrance(化粧品などの芳香)、bouquet(酒の香り)、aroma(コーヒーやカレーなどの香り)、flavor(味と香りを合わせた語)などなど、日本語とは比較にならないほどの豊かな表現を持つ。また漢字にも、「匂」「臭」「香」「芳」「馥」「郁」「薫」「馨」「腥」など、様々なニュアンスを表す文字が存在している。匂いの文化に関し、諸外国に比べて日本はやや遅れをとることは否めないようだ。”


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いま日本国内では内戦が起きていると言えます

紀里谷:断言してもいいけど、いま日本国内では内戦が起きていると言えますよ。
どういうことかというと、“がんばって行動する人たち”と“しないヤツら”の内戦。“何かに情熱を傾ける人たち”と“それをバカにするヤツら”の内戦。インターネットが普及して以降、ここ10年くらいに起こった日本の衰退は、“ヤツら”のほうに耳を傾けすぎてしまったことによる衰退だと思いますね。
これをしたら、なんか嫌なこと言われるかもしれない、デメリットがあるかもしれない、炎上しちゃうかもしれない…。そうやって耳を傾けすぎて、姿の見えない第三者の言いなりになってる。でも、そいつらは誰なの?なんなの?
実際にそいつらの住所をつきとめて会いに行ったとしたら、きっと笑い転げると思いますよ。こんなくだらないヤツらだったのかって。こんなヤツらの言うことを気にして真に受けてたのかって。
いい加減、目を覚まそうよ。そういうヤツらは、一体何人いるの?人数としては、すごく少数だと思うよ。そんな少数のヤツらのせいでどれだけの人たちが苦しんで、どれだけの人たちの夢がつまれて、どれだけの人たちが傷ついてるんだよ、って話です。


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「フルデジタル病」

“病名をあえて付けるなら「フルデジタル病」。
2014年の4月に心機一転、作画環境に新風を入れたいとの思いで突如フルデジタル化を決意し、その週のうちもに液晶タブレットを複数台購入し練習もなくいきなりスタッフと一緒にコミスタを勉強をしながらペーパーフリーの作画環境に突入しました。帝一の國の9巻の終わりから始まり、「女子高生に殺されたい」一巻の143頁からフルデジタルです。初めの数ヶ月はタブレットに慣れる事とコミスタの使い方に思考錯誤していて、結局思い通りに描けるようになるまで約10カ月、単行本にして2〜3冊かかりましたがようやくネームから仕上げまですべてフルデジタルという環境に慣れるようになりました。
フルデジタル導入から8ヶ月、
2015年1月に入ってから原因不明の睡眠障害、精神の不安定、免疫力の低下による微熱が続き、週に一度点滴を受けないと仕事ができない状態になりました。念のためあらゆる腫瘍マーカーを受け、胃カメラやレントゲンなども撮りましたが異常は発見されず、2月に医師が下した病名は自律神経失調症。デパスという依存性の高い抗不安薬を処方されました。
それからデパスなしでは眠れなくなりました。体調不良も相変わらずで点滴に通いながら毎週の作画をこなしていました。もうこの頃にはフルデジタルの方が綺麗で尚且つ手描きよりも早くなっていました。
3月、自律神経を治すには太陽光が良いと聞いて毎日30分程日光浴を始めましたが一ヶ月程続けても体調不良、不眠、精神不安定は改善されず、
夜中にボロボロと泣きだすこともしばしばで、これは鬱病かもしれないと心療内科への通院を本気で考え始めた時、ふとフルデジタルを疑いました。勿論使い始めた頃からパソコンメガネを使用し、画面の光量も最小にしてました。でも消去法でこれしか無いように思ったのです。しかしその頃には技術も確立していて、修正が可能なフルデジタルならではのほぼ下書きなしで描けるようになっていました。
ここまで確立した技術を捨てるのは勇気がいる事ですが身体と心が資本、これに勝るものはないと割切り、5月頭にスッパリとフルデジタルを捨てました。一年前と同じように下書きとペン入れは手描き、そして仕上げはデジタル。そのデジタルにも1年前より厳しい規制をかけ、夕方4時以降は使用禁止としました。パソコンの光は太陽光と同等のブルーライトを発していると聞いて、それを寝る直前まで見てることによって自律神経が壊れてしまったと考えたのです。
結果、この決断は正しかったようです。次第に精神状態は安定し、不眠用にもらっていたデパスも漢方薬局不眠に効く漢方を処方してもらい止めることができました。海外では使用がきつく制限されているデパスの依存性、危険性を知ってからは早く止めたかったのです。
それから一ヶ月半が経過し、睡眠障害に関してほぼ改善され、精神も安定してきました。
そして作画方法は全く元に戻ったわけではなく以前よりはデジタルが多くなりました。
ネーム→枠線→吹き出し→あたり
までデジタル。
それをトレスしながらの下書き→ペン入れがアナログ
ベタ入れ、効果、アシスタントが描いた背景との合成等をデジタル。
この方法で効率はフルデジタル導入前より上がりました。確かにフルデジタルに慣れると不便さを感じますが、まあ人間が描いてるものという感じはします。
結果雨降って地が固まったかなと思います。
デジタルは確かに便利です。何回でもやり直しがききますしどこまでも細かく描けます。
しかし最近の液晶タブレットはサイズも大きい上モニターに比べ目から近い場所で作業をするのでやはり負担は大きいと思います。
勿論これは人によるので朝から晩まで使ってるフルデジタルの漫画家さんで体調まったく問題ないよという人も沢山いるのは事実です。
ですが僕の経験を書いておくことで
原因不明の体調不良に悩んでるフルデジタルの方のヒントになればと思いこれを書いておこうと思ったのです。
古屋兎丸のしくじり先生でした。”


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敬語を使わない社会レベルでの人生

敬語を使わない社会レベルでの人生


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武雄市図書館

“そんな中の収穫は、佐賀県に縁のある方が数名質疑応答の時間に興味ある発言を行ってくれたことなのだけど、とある方の報告で「武雄市某中学校において、武雄市図書館は『商業施設である』ということで下校時には寄り道禁止というお触れが出た」という話がとても印象に残りました。
関係者が何を言おうが、結局は商業施設なのですよ、あそこは。学生に寄り道禁止令が発布されるような図書館がこれまで他にあっただろうか。そういうことになるだけでも異常事態だと考えるのだけど、これを聞いて関係者はどう思うのだろう。また馬鹿にするような発言をネット上で垂れ流すのかな。
「あそこ立ち寄るくらいなら自宅で勉強しなさい」と言われる図書館のある町。何が市民価値の向上なのだか、さっぱりわからん。図書館だなんて言わなきゃ良いのに。雰囲気とおしゃれ感と収益を目指した結果は見えたような気がした。あそこは本当に図書館とは違う別のものになったのだね。”


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感情的被影響性」

2つ目は「感情的被影響性」です。この要素が高い人は他人の感情につられて、自分もうれしくなったり悲しくなったりします。人が動揺したり、怒ったり神経質になったりというネガティブな感情にも引っ張られ、あたふたしてしまいがちです。このタイプは自分の気持ちと他人の気持ちの区別がつかなくなってしまい、自分にとって価値のある行動をとれなくなりがちです。
 悪影響を低減するには、「他人が感じていることと自分が感じていることは違うもの」ということを意識して、一歩引いてみることが重要です。強く感情を揺さぶられた経験をノートに書き出してみましょう。また、相手に影響を受け過ぎていると感じたら、ときにはその場から離れてみるのも1つの手です。


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人を観察するとき、観察する側は権力者になる

“人を観察するとき、観察する側は権力者になる。観察される側は異議申し立てができない。
観察する側と観察される側の、上下構造に敏感でない人は、物を書く資格がない。”


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“回転寿司屋で、あら汁がメニューになければ、その店は、自分たちで魚をさばいていない”

“回転寿司屋で、あら汁がメニューになければ、その店は、自分たちで魚をさばいていない”


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自尊心とは何か

“自尊心とは何か。簡単に言うと、それは自分を好きになり、他人と同じように自分も素晴らしい人生を創造するに値する人間だと信じる気持ちのことである。”


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本人に聞けばいいことじゃないか

その、二つの選択肢の間で悩むっていうのは、具体的にはどんなこと?
たとえば、ドイツ人って、一般的に言い方がキツいっていうか、思ったことをストレートに言うでしょ。日本人はそうじゃないよね。日本人は常に相手の気持ちを想像しながら話す。相手を傷つけないように。ドイツ人の多くはそこまで気にしないんだよね。それで、自分はどういう話し方をしたいか、するべきかと考えたり、、、、。
キミはわりと日本式に話す方なんじゃない?
うん、僕はそうしたいと思うから、ドイツ人とドイツ語で話すときにも、相手の気持ちを想像しながら話してるんだ。それについて、ドイツ人の友達に説明したことがあるんだよね。日本人は議論は苦手だけど、人の気持ちを察するのが得意なんだよって。
そうしたら、どんな反応だった?
「へー、そうなんだ。でも、なんで察する必要があるんだ?どう思ってるか、本人に聞けばいいことじゃないか」って不思議がってたね。あまり理解されない。


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目標は、後で具体的に検証可能なものにしろ

“中学の頃、担任の先生が言ってた
「目標は、後で具体的に検証可能なものにしろ
『勉強を頑張る』とか『友達大事に』では、後で達成したかどうかわからず、反省も出来ない。
曖昧な目標で良いのは小学生まで」
という言葉
ありがたく思い返しながら、昨今の政治や選挙のニュースを見ています”


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科学論文があるか否かで判断する

“男友達に子供が生まれたので「母乳信仰とか布オムツ信仰とか手料理信仰とかには間違ってもなるなよ」と釘を刺したら「我が家はゲームで言うところの効率厨だから問題ない。科学論文があるか否かで判断する」という頼もしい答えが返ってきた めでたい”


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ドイツ 貧富の格差 平均所得はEUトップなのに中央値がギリシャよりも低い

ドイツは何故財政赤字がなく好景気なのに出生率は日本並みに低いか。それは貧富の格差がすさまじいから(平均所得はEUトップなのに中央値がギリシャよりも低い)他ならない。つまりいくらGDPが上がり失業率が下がっても労働環境と低賃金さえ解決しなければ少子化を脱せない、ということ。


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平和の価値

私は今、何が怖いかと言われれば、やっぱり戦争が怖い。平和が続いている今の状況に、一番価値があると思っている。
 僕ら以上の世代の人は、平和の価値を一番理解しているんじゃないでしょうか。逆に言うと、80歳以上の人がいなくなったら、日本は相当危なくなる。それは何も僕らの世代が偉いわけじゃなくて、これはもう、ひどい目に遭ったからなんです。
 戦争はちょっとしたことから起こってしまう。そして、一度戦争が起こると、もう経済がどうのこうのというのとは全く違う次元の話になる。死ぬか生きるかですから。だから平和だけは大切にしないといけない。


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「30過ぎたら一年マジはやい」

おっさんが口うるさく
「30過ぎたら一年マジはやい」
って言うのはドヤアピールではなく
同じように言われて来てバカにしてたのが今になって
「マジだった!伝えないと!」
ってなってるだけだから許して


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成功体験は視野を狭めます

“成功体験は視野を狭めます。私の知っている人で十代から社会活動を始めてそれなりに成功をおさめたので、まだ三十代前半なのに、老害ぶりを発揮している人がいます。”


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鎌倉の、中世から近世にかけての境界

“僕は鎌倉が好きで、ここ数年折りにふれて鎌倉を歩いて来ました。その鎌倉の、中世から近世にかけての境界に目を凝らしてみると、非常に面白いんですね。ちょっとそれをお話してみます。
 鎌倉の北の方の出入口に、化粧(けわい)坂という坂があります。歩いたことのある方はわかると思いますが、何の変哲もないただの坂なんですけれども、そこには興味深い幾多の歴史が埋もれています。その化粧坂周辺には、かつて中世には遊郭があって、遊女がたむろしていた場所であるといいます。あるいは記録によれば、この坂の周辺に、市つまり交易の場所が設けられたともいわれています。
 また、『太平記』などに出てくるんですが、ここはよく知られた処刑場でもありました。日野俊基という、後醍醐天皇の寵臣であった人が捕まって鎌倉に護送されて、この化粧坂の上で首を切られているんです。
 あるいは、中世の鎌倉に特有に見られるお墓に「やぐら」というのがありまして、岩肌に穴を開けて作ったお墓なんですけれども、この「やぐら」と呼ばれるお墓が、化粧坂の周辺には集中的に見られるわけです。
 つまり、中世鎌倉には七つの出入口があり、化粧坂というのはそのひとつなんですが、そこは遊女、つまり男と女の交通を象徴するものとか、あるいは、処刑とか死という意味で生と死の相交わる光景とか、あるいは交易つまり物の交換であるとか、そういうさまざまな意味での交通の接点、コミュニケーションの接点になっていたのが、境界としての坂であったわけです。
 そのけわい坂というのは、化粧の坂と書くんですけれども、化粧っていうのはもちろん、変身つまり姿形を変えることを表わしています。あるAという状態が、Bという状態に移行する、変化するということが、「けわい」=化粧であったわけです。交通の結節点である「化粧坂」という名前が冠せられていることは、ひとつの象徴的な意味を持っていると思います。(中略)
 さらに、鎌倉の坂をいくつか辿ってみます。巨福呂(こぶくろ)坂という、鶴ヶ丘八幡宮の裏手の坂なんですが、今はもう廃道になっていて、通ることができない坂があります。その辺りも中世の記録を見ると、やはり屍体が捨てられる場所だったらしいですね。この坂で下級の僧侶が、屍体の肉を切り裂いて、懐に仕舞いこんでいるのがみつかった、という現実か空想か判別しがたいスキャンダラスな記録も残っているのです。巨福呂坂という坂も、死の穢れの満ちる場所だったんだろうと思います。
 それから、僕が鎌倉の境界のなかで一番印象深くて好きな所に、名越坂という坂があるんですが、この名越坂も生と死の風景の垂れこめている、ちょっと不思議な場所なんですね。そこにもやはり、「やぐら」というお墓がたくさんありまして、その頂上あたりに「まんだら堂跡」があるんですが、そこに行くと、春から初夏にかけての花の季節には、色とりどりの花々が咲き乱れて、なかなか幻想的な雰囲気の漂う場所です。その花の咲き乱れるなかに数も知れぬ「やぐら」が口をあけていまして、そこには小さな五輪塔がいっぱい並んでいるんです。その前の平場を掘ると、白骨がいくらでも出てくるというような話も聞いたことがあるんですが、その、名越坂というのもやはり、たいへん死の風景の色濃く垂れこめている場所であるということですね。”
「境界喪失――または闇の不可能性をめぐって」赤坂憲雄 


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悲しみなんて、病気にすぎない。だから、病気を我慢するように我慢したらいいのだ。

“悲しみなんて、病気にすぎない。だから、病気を我慢するように我慢したらいいのだ。そんなに、なぜ病気になったのかとか、あれこれ考えないで。(アラン『幸福論』)”


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