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“『とにかく大量に本や雑誌や資料を見て「曖昧に」記憶する事だ。』”

“『とにかく大量に本や雑誌や資料を見て「曖昧に」記憶する事だ。』”



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“昔、若いのにシッカリした先生が娘の担任で・・・・ 懇談会で 「うちの子は、箸が未だにもてないんですけれど??!先生はお若いから指導のしかたもしらないんですか?」 と息巻いた御バカ母親がいて・・・おいおいと思っていたら 「箸の持ち方を幼稚園で指導するなんて今日まで考えたことがありませんでした。箸がもてるように家庭での生活を見直してください。他に何かご意見のあるかた~」 とはっきり言い返して、思わず「おぉ~」という歓声が低くクラスに響きました。 末子の時には明らかにバカな母親が 「先生が気に入らないから

“昔、若いのにシッカリした先生が娘の担任で・・・・
懇談会で
「うちの子は、箸が未だにもてないんですけれど??!先生はお若いから指導のしかたもしらないんですか?」
と息巻いた御バカ母親がいて・・・おいおいと思っていたら
「箸の持ち方を幼稚園で指導するなんて今日まで考えたことがありませんでした。箸がもてるように家庭での生活を見直してください。他に何かご意見のあるかた~」
とはっきり言い返して、思わず「おぉ~」という歓声が低くクラスに響きました。
末子の時には明らかにバカな母親が
「先生が気に入らないから入学金を返せ」
とPTA総会で言い出し騒然となり、さすがに泣くかな・・・と思ったら
「気に入らない部分を今、すべておっしゃってください。改善できるところは改善いたします。」と・・・。
バカ母は「その気が強そうなところ、偉そうなところ、子供生んで無いくせに・・・」
と言い出しましたが、周りがドン引きで遠くのほうから「病気の人なの?」という声まで出て、尻つぼみ。
あの先生すごいです。”
モンスターハンター


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見たいことだけ見る、 知りたいことだけ知る、

見たいことだけ見る、
知りたいことだけ知る、
あとは無視する
視界に入らないようにPCやスマートフォンを設定する

それは精神病状態にとても近い


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平和な心で 平和な方法で 平和を実現する それが人類の課題である

平和な心で
平和な方法で
平和を実現する

それが人類の課題である



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対立軸は嘘である

難民のせいで職がないという

嘘だ

中流国民と難民が対立しているという

それも嘘だ


対立しているのは

低賃金労働者・失業者と、儲けすぎている経営者である

マスコミは、この本当の対立軸を隠蔽している

マスコミは資本側であり経営側であるから
大金持ちと貧乏人が対立していることは隠蔽して
貧乏人と移民が対立している、あるいは
EUと国が対立している、と宣伝している
EUから国に主権が移動したとしても、
金持ちが金持ちである限りは何も変わらないだろう



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いろんなキッカケがあるんだ 待つんだ

いろんなキッカケがあるんだ
待つんだ


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△ 温厚な人ほど怒ると怖い 〇 温厚な人が怒るほどのことをした

△ 温厚な人ほど怒ると怖い
〇 温厚な人が怒るほどのことをした


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人は成長すればするほど 孤独になるという矛盾がある ある点までは共有の知識とか感じ方が学習されるのだが そこを過ぎると、共有されない、独自の考え方や感じ方になる 精神は高く登っても深く潜っても孤独になる 孤独が癒されるとすれば神との結びつきである しかし神はどのようなものなのか これこそ孤独な営みである 神に関しての体験を共有するということ自体が矛盾している 偶像にも書物にも教会の建物にも神父にも牧師にも 神はいない 教会で安心しているのは、他人に安心しているだけである 聖書に安心しているのは権

"人は成長すればするほど
孤独になるという矛盾がある

ある点までは共有の知識とか感じ方が学習されるのだが
そこを過ぎると、共有されない、独自の考え方や感じ方になる

精神は高く登っても深く潜っても孤独になる
孤独が癒されるとすれば神との結びつきである

しかし神はどのようなものなのか
これこそ孤独な営みである
神に関しての体験を共有するということ自体が矛盾している

偶像にも書物にも教会の建物にも神父にも牧師にも
神はいない

教会で安心しているのは、他人に安心しているだけである
聖書に安心しているのは権威が好きなだけだ
神父に安心するのもバチカンが好きなのも神とは関係がない

十字軍から魔女裁判まで
およそ神とは無縁である"



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“ あるとき、ブッダは愚かな男から批判を浴びた。 ブッダは黙って耳を傾けていたが、 相手が話し終えると次のように尋ねた。 「人が自分に差し出された贈り物を受け取ろうとしない場合、 その贈り物はだれのものになるのか」 男は答えた。「贈り物を差し出した人のものに」 「そうか」ブッダは言った。 「では、私はあなたの批判を受け取らないことにしよう。 自分のためにとっておきなさい!」 ”

あるとき、ブッダは愚かな男から批判を浴びた。

ブッダは黙って耳を傾けていたが、

相手が話し終えると次のように尋ねた。

「人が自分に差し出された贈り物を受け取ろうとしない場合、

その贈り物はだれのものになるのか」

男は答えた。「贈り物を差し出した人のものに」

「そうか」ブッダは言った。

「では、私はあなたの批判を受け取らないことにしよう。

自分のためにとっておきなさい!」



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“ドイツのカメラ業界は日本に全く歯が立たないから衰退したわけで、滅ぼした側の日本人がいまだにドイツの光学製品を信仰しているのはある意味笑い話だ。”

“ドイツのカメラ業界は日本に全く歯が立たないから衰退したわけで、滅ぼした側の日本人がいまだにドイツの光学製品を信仰しているのはある意味笑い話だ。”

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2種類の高次脳機能障害

"注意を要するのは、今日、高次脳機能障害といわれているものが、世の中に2種類存在するということです。
一つは「学問的」高次脳機能障害で あり、もう一つは「行政的」高次脳機能障害です。「学問的」高次脳機能障害というのは、少し聞きなれない言葉かもしれませんが、失語、失認、失行などの症 状をおもな研究対象としており、私たち専門医の多くは、今でも高次脳機能障害=「学問的」高次脳機能障害と思っております。
一方、近年、高次脳機能障害 が深刻な社会問題としてテレビや新聞で大きく取り上げられるようになっておりますが、この場合の高次脳機能障害は厚生労働省による高次脳機能障害支援モデル事業によって平成18年に診断基準が作成された「行政的」高次脳機能障害のことを指しているようです。ここで、「行政的」高次脳機能障害とは「記憶障害」、「注意障害」、「遂行機能障害」、「社会的行動障害」の4つの症状を指します。"

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“「若い時の苦労は買ってでもしろ」みたいなのも同じで,苦労なんかしなければしないほうがいいに決まっているのだが,すでに苦労してしまった人はそれを無駄だと思うと不快になるのだ。まあ「自分を慰める」のはいいが若い人に押しつけないでほしい。 「自分が苦労してやっていることを何の苦労もなくやってしまう人がいる」という事実をありのままにとらえるか,「その人も人知れず苦労しているはず」とか言ってごまかすか。 もっとタチの悪いのは「苦労なしでできるのはずるいからそいつには別の苦労をさせよう」と考えること。世の中そういう

“「若い時の苦労は買ってでもしろ」みたいなのも同じで,苦労なんかしなければしないほうがいいに決まっているのだが,すでに苦労してしまった人はそれを無駄だと思うと不快になるのだ。まあ「自分を慰める」のはいいが若い人に押しつけないでほしい。
「自分が苦労してやっていることを何の苦労もなくやってしまう人がいる」という事実をありのままにとらえるか,「その人も人知れず苦労しているはず」とか言ってごまかすか。
もっとタチの悪いのは「苦労なしでできるのはずるいからそいつには別の苦労をさせよう」と考えること。世の中そういうのでいっぱい。”


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“恩送り(おんおくり)とは、誰かから受けた恩を、直接その人に返すのではなく、別の人に送ること。”

“恩送り(おんおくり)とは、誰かから受けた恩を、直接その人に返すのではなく、別の人に送ること。”

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甘利事件のときも沈静化してしまったので 今回の学校法人問題もどうせと思っていたが 案外にしぶとい追求が続いている

甘利事件のときも沈静化してしまったので
今回の学校法人問題もどうせと思っていたが
案外にしぶとい追求が続いている

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“どうせ拾い物の人生だからね。取り繕ったってしようがない。死なない程度に衣食足りてりゃ、それ以上の金は要らないし、他人から尊敬されたところで腹の足しにもなりゃしない。欲はかかない、頑張らない。それが人生を重荷にしないコツかもしれないね。”

“どうせ拾い物の人生だからね。取り繕ったってしようがない。死なない程度に衣食足りてりゃ、それ以上の金は要らないし、他人から尊敬されたところで腹の足しにもなりゃしない。欲はかかない、頑張らない。それが人生を重荷にしないコツかもしれないね。”



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「自分にしかわからないことを誰にでもわかるように書く」 「物を考える一番有効な方法―それは書くことである」 「書いては考える、考えては書く。そうして一歩ずつ前へ進みながら、ある決断を自分で下して行く。」

「自分にしかわからないことを誰にでもわかるように書く」

「物を考える一番有効な方法―それは書くことである」

「書いては考える、考えては書く。そうして一歩ずつ前へ進みながら、ある決断を自分で下して行く。」


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“”羨ましい”と上手に言えなかった人は批判的になる。”

“”羨ましい”と上手に言えなかった人は批判的になる。”

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かつてブータンのすぐ隣に「シッキム」という国があったんだけど、 外国人を多数受け入れてたらいつの間にかネパール人が国民の75%を占めるようになって、 民主化運動を進めたい国民側と外国人に乗っ取られたくない国王との間で散々揉めた挙句、 国民投票で王制の廃止とインドへの併合が決議され、結局1975年に国ごと消滅してしまった。 ーーー “日本人のファミリーネームの歴史を略記するとこんな感じ。 1 日本の古代の「うじ」はもともとは部族名であり、大和言葉で漢字は当て字。 蘇我氏も曽我氏も同じ。だから漢字の文字数

かつてブータンのすぐ隣に「シッキム」という国があったんだけど、
外国人を多数受け入れてたらいつの間にかネパール人が国民の75%を占めるようになって、
民主化運動を進めたい国民側と外国人に乗っ取られたくない国王との間で散々揉めた挙句、
国民投票で王制の廃止とインドへの併合が決議され、結局1975年に国ごと消滅してしまった。

ーーー
“日本人のファミリーネームの歴史を略記するとこんな感じ。

1 日本の古代の「うじ」はもともとは部族名であり、大和言葉で漢字は当て字。
蘇我氏も曽我氏も同じ。だから漢字の文字数に意味はない。

2 古代後期は天皇が新しいうじを作るとき中国の姓を意識してか源、平、橘など
1字で表記するものが多かった。でも藤原氏みたいのもあるし、読みは全部
和語だし、中国姓としてはない字。丸ごと中国式人名になった朝鮮人、ベトナム人とは違う。

3 武士は名前を二つ持っていた。古代以来のうじ(+かばね)+本名と
武士としての名前=名字+通名。徳川家康なら源朝臣家康と徳川次郎三郎。
ファイティングネームだw
みょうじ(名字、苗字)は古代以来のうじ(氏、姓=せいとも言った)とは
別物で、助詞の「の」や姓(かばね、「朝臣」とか)が付くのがうじ、
名字の方は領地の地名が元々の由来。
朝廷に向って出す文書はうじ+かばね+本名、幕府に向って出す文書は名字+通名。
戦国から江戸時代には庶民も名字を持つようになったし(江戸時代は庶民は交称は禁止)、
公家もうじと別に家名を持つ様になった。「高貴な名字」はだいたい公家の家名由来。

4 明治になって名前が二つあるのは混乱のもとなので戸籍を作るときに名字+本名に
統一した。今いう「氏名」はこれ。だから今ある「氏(し)」は基本名字。
名前の方は本名そのままの人が多かったが、通名の方を以後本名にしちゃった
人も多かった。大和言葉の仮名4字に漢字2字を当てるのはだいたい本名。
「-郎」とか「-兵衛」とかは通名由来の命名法。

源平藤橘とかの「うじ」と今ある名字は別物というのがポイント。”

ーーー
「でも、働く場所がないと、外国人が日本に来ても意味がない。移民1000万ってどんな人が 
 入ってくるかわかんない。せっかく日本は住みやすい国と言いながら治安が悪くなるかもしれない」 

これに尽きてるよな。 
日本から製造業がだんだん消えざるをえない状況にあるときに、
単純労働者をたくさんいれて、いったいどうなるんだ? ”

ーーー
“会社でよく聞く「ほうれんそう(報告・連絡・相談)」、その由来は正しい社会人のあり方等じゃなくて、「報告は縦、連絡は横、相談は集団、と3種のコミュニケーションがある」という、風通しのよい組織のための分類だったらしい。いつから変化したんだろう。”

ーーー
“美味しいご飯を食べるのと
美味しくご飯を食べるのは違う。”

ーーー
“実家に、半引きこもりの長男兄がいる。
毎日ネットにかじりついてて、たまに姿を現しては「チヨン公は~」とか「ビツチは~」とかばかり言ってて
次兄のお嫁さんと甥っ子から嫌われている。

元旦も、皆が実家に集まって正月を楽しんでいるのところに、天の岩戸より降臨。
日本の未来を憂う一席を始めた。
水を差されて、シーンとなる家族。
汚い身なりで、得々と語り続ける兄。
すると一年に2、3度しかしゃべらない98歳の祖母が口を開いた。

「なぁぁにが、日本の未来がじゃあぁ。嫁もぉ取らず子供も作らにゃい、せっせと働いて
お国にお金を収ぁめるわけでもにゃい、子供を、育てる女どもを、養う男どもを馬鹿にして、
お前がぁぁ、今お国を亡ぼしとるんだわぁぁぁなぁ」

長兄、無言で退散。
3が日まで実家にいたが、ついぞもう一度姿を見ることはなかった。”

ーーー






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新垣「あの程度の楽曲だったら、現代音楽の勉強をしている者なら誰でもできる、どうせ売れるわけはないと思っていた」

■五木寛之(作家) 

ヒロシマは、過去の歴史ではない。 
二度と過ちをくり返さないと誓った私たちは、いま現在、ふたたびの悲劇をくり返している。 
佐村河内守さんの交響曲第一番《HIROSHIMA》は、戦後の最高の鎮魂曲であり、 
未来への予感をはらんだ交響曲である。 
これは日本の音楽界が世界に発信する魂の交響曲なのだ。

■野本由紀夫 玉川大学教授(音楽学者) HIROSHIMAについて 

「言ってみれば1音符たりとも無駄な音は無い」 
「これは相当に命を削って生み出された音楽」 
「初めてこの曲を聴いたときに私は素直に感動した。そして非常に重い曲だと思った」 
「言葉で言い表す事自体が非常に薄っぺらになってしまう」 
「1000年ぐらい前の音楽から現代に至るまでの音楽史上の様々な作品を知り尽くしていないと書けない作品」 
「本当に苦悩を極めた人からしか生まれてこない音楽」

■きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授 

もっとも悲劇的な、苦渋に満ちた交響曲を書いた人は誰か? 
耳が聞こえず孤独に悩んだベートーヴェンだろうか。ペシミストだったチャイコフスキーか。 
それとも、妻のことで悩んだマーラーか。死の不安に怯えていたショスタコーヴィチか。あるいは・・・。 

もちろん世界中に存在するすべての交響曲を聴いたわけではないが、知っている範囲でよいというなら、私の答は決まっている。 
佐村河内守(さむらごうち まもる)の交響曲第1番である。

ーーー
新垣「あの程度の楽曲だったら、現代音楽の勉強をしている者なら誰でもできる、どうせ売れるわけはないと思っていた」 

ーーー
【小谷野敦】 
NHKスペシャル、参ったなあ。あれほど凡庸な作曲家を感動話の主人公に仕立てるんだから…。 
耳が聴こえなかろうが何だろうが、作品がすべてだろう。あれ、本当にすごいと思うか? 
福島ネタへつなげたからさらにげっそりだよ。 

【野口剛夫】 
『NHKスペシャル』で取り上げられて以来、佐村河内守の名声と人気はいや増すばかりの天井知らずである。 
本稿では、テレビ出演以来くすぶる「本当に氏は全聾なのか?」は棚上げするにせよ、音楽自体にマスコミが絶賛するような価値があるのか否かを考えてみた。 
心ある音楽ファンなら誰もが溜飲の下がるしごく真っ当な批判であろうと自負している。

「過去の巨匠たちの作品を思わせるような響きが随所に露骨に表れるのには興ざめするし、終始どこか作り物、借り物の感じがつきまとっているため、音楽の主張の一貫性、真実性が乏しく、作品としての存在感は希薄になってしまうのだ。」


【今村晃】 
世の注目を集めた割には音楽の抑揚に乏しく、音楽を通して何を伝えたかったのか判然としなかった! 
自己の作品評価を行い、どれも自分の思いが伝わっていないと、これまで書きためていた2万枚の楽譜を廃棄したというニュースを知った時は感動したが、ただこのCDを聴く限り、過去の作品を自己否定した作品の割には、 
抒情的でありながら本来の抒情とは乖離したような、またある時は混沌とした世界が音の積み重なりとなって、フォルテでありピアノであれただ一様な音がずーっと鳴り響いているだけで、オーケストラ音楽としての味わいに欠ける感じがした。 
要約すれば、ダラダラだらだらと音が鳴っている感じで、音楽に抑揚がないのである。 
この調子で80分近くも聴かされると精神的にもついていけず、しまいには飽きてしまう。 
ただ、管弦楽法そのものは部分的には素晴らしい響きもあるし、今後は音楽の流れを全体的に見通した中で、オーケストラから自分の考え思いを伝える「メッセージ性のある音楽」に徹したら、新しい世界が生まれ、音楽がより深くなるのではないだろうか。 
聴覚を失った作曲家が渾身の力を振り絞って書いたという事実には、謙虚に頭が下がる思いなのだが…。

ーーー

 音楽の手仕事で「課題の実施」というのは、これに似た面があると思います。

 旋律だけを示されて、それにハーモニーをつけるような課題で、とりあえず丸がつくものを書くのも大事ですが(そうでないと受験では落とされます)、「この課題から、この実施をどうやって作ったの???」と目を剥かれるようなものを作ったときの快感ていうのは、この仕事をした人にしか本当は共有してもらえない感覚です。でも、読者の皆さんにも何となく分かっていただけると嬉しいです。

偽ベートーベン事件の論評は間違いだらけ あまりに気の毒な当代一流の音楽家・新垣隆氏
ーーー
【許光俊「世界で一番苦しみに満ちた交響曲」(2007年11月記)】 
 もっとも悲劇的な、苦渋に満ちた交響曲を書いた人は誰か? 耳が聞こえず孤独に悩んだベートーヴェンだろうか。ペシミストだったチャイコフスキーか。それとも、妻のことで悩んだマーラーか。死の不安に怯えていたショスタコーヴィチか。あるいは・・・。 
 もちろん世界中に存在するすべての交響曲を聴いたわけではないが、知っている範囲でよいというなら、私の答は決まっている。佐村河内守(さむらごうち まもる)の交響曲第1番である。 
 ブルックナーやマーラーにも負けない楽器編成と長さの大曲だが、その大部分は、終わりのない、出口の見えない苦しみのトンネルに投げ込まれたかのような気持にさせる音楽だ。聴く者を押しつぶすかのようなあまりにも暴力的な音楽が延々と続く。これに比べれば、ショスタコーヴィチですら軽く感じられるかもしれないというほどだ。 
 ようやく最後のほうになって、苦しみからの解放という感じで、明るく転じる。が、その明るさは、勝利とか克服といったものではない。思いがけないことに、子供の微笑のような音楽なのだ。 
 いったい、こんなにも深刻な曲を書いた佐村河内とはどういう作曲家か。彼は1963年広島に生まれている。早くから作曲家を志したが、楽壇のややこしい人間関係などに巻き込まれることをよしとせず、独学の道を選んだ。それゆえ、なかなか仕事に恵まれなかったが、ある時期から映画、テレビ、ゲームなどの音楽を書いて徐々に知られるようになってきた。なんと、一時はロックバンドで売り出されそうになったというから、一風変わった経歴と言えるだろう。 
 妙な人間関係を嫌うことからもわかるように、佐村河内はまれに見る潔癖な人間のようだ。自分が本当に書きたい曲だけを書きたいと、あえて実入りのよい仕事を断り、厳しい日雇いの仕事をして生計を立てていたこともあるし、住む場所もなくホームレス状態になっていたときすらあるという。 
 実は、彼は非常に大きな肉体的なハンディキャップを抱えている。なんと、あるときから完全に耳が聞こえないのだ。それどころか、ひどい耳鳴りで死ぬような思いをしているのだ。しかし、彼はそれを人に言わないようにしてきた。知られるのも嫌がった。障害者手帳の給付も拒んできた。自分の音楽を同情抜きで聴いてもらいたいと考えていたからだ。 
 彼のところにはテレビ番組を作らないかという話が何度も舞い込んだという。確かに、耳が聞こえない障害者が音楽に打ち込むなんて、いかにもテレビが好みそうな話だ。だが、佐村河内は障害を利用して有名になることを拒んだ。テレビ局からは「せっかく有名になるチャンスなのに、バカじゃないか」と言われたという。 
 有名になる、ならないは問題ではない。それより、自分は作曲に打ち込みたいだけだというのが彼が言い分だ。金があり余っているバブル時代じゃあるまいし、今どき誰が1時間以上かかる、しかもとてつもなく暗い大交響曲を演奏してくれるだろう。そんなことはわかっている。だが、彼は、演奏されやすい短い曲を書くつもりもないようだ。マーラーは「いつか自分の時代がやって来る」と言ったが、佐村河内も生きている間に成功しようなどとは考えていない。こんなにも潔癖で頑固な人間は、世の中にほとんどいないだろう。 
 その佐村河内が、自分の半生を綴った本を講談社から出した。その内容は、恐るべきものだ。私は一気に読み終えたが、途中何度も暗然としてページを閉じたくなった。生きているだけでも不思議なくらいの悲惨な状況に彼はいる。なのに、ものすごい執念で作曲を続けているのだ。本に記されたその様子を読んで鳥肌が立たない者はいないだろう。そして、無理のあまり、彼の指は動かなくなり、ピアノは弾けなくなり・・・というぐあいに肉体はますます蝕まれていくのだ。ここで詳述はしないが、安易な同情など寄せ付けないほど厳しい人生である。 
 確かに彼には、有名になってチャラチャラしている暇などない。生きているうちに、書けるうちに、書くべきものを書くしかないのだ。実は佐村河内の両親は広島で被爆している。それが彼の健康にも影響しているのか。明言はされていないが、可能性は高いだろう。 
 彼は言う、音楽以外はどうでもいい、すべていらない、と。これはきれいごとでも、格好をつけて言う台詞でもない。本当にそうなのだ。旅行したり、おいしい食べ物を食べたり等々といったことをする肉体的な余裕は彼にはない。毎日が、それどころか一瞬一瞬が、死や発狂との戦いなのだ。これは人生というより地獄と呼ぶべきではないのか。 
 現代が、ベートーヴェンやブルックナーのような交響曲を書けない時代であることは間違いない。人々はあまりにも物質的に豊かになり、刹那的な快楽で満足している。日本の若者を見てみればわかる。夢も希望もないのだ。いや、必要ないのだ。救いを探し求める気持などないのだ。日々を適当におもしろおかしく生きて行ければいいだけだ。だが、佐村河内は違う。彼は地獄の中にいる。だから、交響曲が必要なのだ。クラシックが必要なのだ。 
 演奏が困難な交響曲第1番。それが書名になっていることからも、この曲が作曲者にとってどれほど大事かがよくわかる。まさに命がけで書かれたのである。この大曲は、まだどこでも演奏されていない。演奏される見込みもない。だが、私はいつか実際にホールで聴いてみたい。まことに痛ましいことに、たとえ作曲者の生前にそれが実現したとしても、彼は自分の耳で聴くことができないのだが・・・。 
(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授) 

ーーー
面白いのは、(私も独学でロック経由だったのでよく分かるのだが)このアイデア表の素材の中に(バッハ以前と現代作品はあるのに)肝心のドイツロマン派から近代音楽までの「クラシック音楽の基本」がすっぽり抜けていることだ。なのにビクトリアやバード、そしてオルフとかペンデレツキといったマニアっぽい作曲家は知っている。ロック畑出身というかビートルズっぽいというかその音楽知識のアンバランスさが興味深い。

一方、そんなS氏から「こんな感じで作って欲しい」と発注された音楽大学作曲科出身のN氏の方は、その「クラシック音楽の基本」を叩き込まれた専門家。彼はクラシックの基本から脱却した「現代音楽」の世界に身を置いているので、S氏のような現代のクラシック音楽の常識からはずれたぶっ飛んだヴィジョンはない。結果(S氏からの奇妙な注文に四苦八苦しながら)、自分が音楽大学で習った古典の知識を総動員し、生真面目かつ誠実にチャイコフスキーやマーラーといった(S氏の発注にはない)ロマン派のハーモニーやオーケストレイションの書式をこってり盛り込むことになったわけだ。(私が最初に聞いて、素人の聴衆を1時間以上飽きさせないこの曲の不思議な「構成力」に感心したのは、この綿密なタイムチャートがあったためのようだ)
この「発想とアイデアの誇大妄想的異形さ」と「作曲法とオーケストラ書法の職人的精緻さ」という両者の(まったく異質な)要素が偶然合体し、あの(時代錯誤という非難も世の常識も怖れない)「壮大なロマン派交響曲」を生んだことになる。音楽に関わる者としては「なるほど。こういうやり方があったか!」と膝を打つ(というよりビートルズの例を聞いてから、業界の誰でもうすうすは考えていたやり方なのだが)絶妙な作曲システムである。
またS氏騒動・長文多謝: 隠響堂日記

ーーー
クラシック業界にある問題のひとつとして、能力のある作曲家は(多くの)演奏家が演奏したくなるような曲、聴衆が聴きたいような曲を書こうとしない、というのがある。そりゃそうなのだ。クラシックの作曲家というのは、少なくともオーケストラ楽器を用いた作曲については圧倒的な知識と技量を誇る。あらゆる技法を分析し自家薬籠中の物とできるような人が、過去の作品の焼き直し・パッチワークを作ることに甘んじて満足できるわけがない。感動的に盛り上げるための和声進行も知っている、恐怖を覚えさせるためのリズムも知っている、きらめきを感じさせるための管弦楽法も知っている。つまらない、つまらない。使い古された書法も聞き飽きた調性の世界もつまらない。面白いものを、自分だけの新しい音楽を書きたい。そういうわけだから、自分の作品として、あえて過去の語法に則ったスタイルの音楽を書く人間は、現代にはまずいない

ーーー
“そもそも。佐村河内の作品が他人の手になるものだったことが明らかになったことでその音楽に対する評価が一気に反転するのは、それ自体おかしなことである。なぜ多くの人はそのことに気付かないのか。この音楽は新垣隆という作曲家が、その技術をふんだんに、あるいはほどほどに投入して書き上げた立派な交響曲なのであり、それは最初から最後まで紛れもなく新垣隆によるオリジナルな音楽としてこの世界に存在していたのだから、いままでどおり聴けばいいではないか。同様の理由で「佐村河内の音楽がまがいものであると誰もが見抜けなかったこそ椿事である」という主張も完全に的を外している。そもそもの初めから、この音楽は「まがいもの」などではなく、新垣隆の脳と手を通じて、一回性、正統性、真正性(ベンヤミンが複製技術によって失われるとしたアウラの条件)を帯びてこの世界に生み出されたのだ。音楽を聴いただけで、作曲者が聴覚障害者かどうか、広島出身かどうかが判別できるものだと思っている連中のほうがどうかしている。初めからわかっていたことは、この音楽は単に「正しい」だけだという、ただその一点のみである。”
「聴くことの困難をめぐって」

人が何を「聴いている」のかがよくわかる文章。
たいていの人にとって美術館の絵よりもその説明書きの方が重要であることと同じ。




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町田康訳「奇怪な鬼に瘤を除去される」(『宇治拾遺物語』より) 伊藤比呂美/福永武彦/町田康訳『日本霊異記/今昔物語/宇治拾遺物語/発心集』(池澤夏樹=個人編集 日本文学全集)収録  これも前の話だが、右の頬に大きな瘤のあるお爺さんがいた。その大きさは大型の蜜柑ほどもあって見た目が非常に気色悪く、がために迫害・差別されて就職もできなかったので、人のいない山中で薪を採り、これを売りさばくことによってかろうじて生計を立てていた。  その日もお爺さんはいつものように山に入って薪を採っていた。いい感じで薪を採

町田康訳「奇怪な鬼に瘤を除去される」(『宇治拾遺物語』より)

伊藤比呂美/福永武彦/町田康訳『日本霊異記/今昔物語/宇治拾遺物語/発心集』(池澤夏樹=個人編集 日本文学全集)収録

 これも前の話だが、右の頬に大きな瘤のあるお爺さんがいた。その大きさは大型の蜜柑ほどもあって見た目が非常に気色悪く、がために迫害・差別されて就職もできなかったので、人のいない山中で薪を採り、これを売りさばくことによってかろうじて生計を立てていた。

 その日もお爺さんはいつものように山に入って薪を採っていた。いい感じで薪を採って、さあ、そろそろ帰ろうかな。でも、あと、六本くらい採ろうかな、など思ううちに雨が降ってきた。ああ、雨か。視界の悪い雨の山道を歩いて、ひょっ、と滑って谷底に転落とかしたら厭だから、ちょっと小やみになってから帰ろうかな、と暫く待ったのだけれども、風雨はどんどん激しくなっていって、帰るに帰れなくなってしまった。
 そこでやむなく山中で夜を明かすことにして、広場のようなところに面した大木の洞に這い込んで膝を抱えた。
 夜の山中は真の闇で、人間の気配はまるでなく、魑魅魍魎の気配に満ちて恐ろしくて恐ろしくてならなかったが、どうすることもできなかった。
 眠ることもできないまま膝を抱えていると、遠くから大勢の人の話し声が聞こえてきた。
 やったー、人だ。捜索隊が派遣されたのだ。よかったー。「おーい、僕はここだよー」と叫ぼうとして、お爺さんは寸前で思いとどまった。
 この暗闇から、この不気味な顔を、ぬっ、と突きだしたら、それこそ変化のものと思われて撲殺されるかも知れない。なので近くまで来たら、小声で自分は奇妙な顔ではあるが人間である、と説明しながらそっと出て行こう、と思ったのである。
 しかし、それは賭けでもあった。なぜなら、捜索隊がお爺さんのいる方に近づいてくるとは限らず、明後日の方向へ行ってしまう可能性もないとはいえなかったから。でもまあ、そうなったら、つまり声が遠ざかっていくようであれば、そのときは声を限りに叫ぼう、そう思ってお爺さんが辛抱強くしゃがんでいると、幸いなことに声はずんずん近づいてきて、ああよかった。誰が来てくれたのだろう、見知った人であればよいが、と木の洞から少し顔を出して覗いて、お爺さんは驚愕した。
 お爺さんのいる木の洞に向かって歩いてくるのは捜索隊ではまったくなく、鬼の集まりであったからである。
 その姿形たるやはっきり言ってムチャクチャであった。まず、皮膚の色がカラフルで、真っ赤な奴がいるかと思ったら、真っ青な奴もおり、どすピンクの奴も全身ゴールドというど派手な奴もいた。赤い奴はブルーを着て、黒い奴はゴールドの褌を締めるなどしていた。顔の造作も普通ではなく、角は大体の奴にあったが、口がない奴や、目がひとつしかない奴がいた。かと思うと目が二十四もあって、おまえは二十四の瞳か、みたいな奴もおり、また、目も口もないのに鼻ばかり三十もついている奴もいて、その異様さ加減は人間の想像を遥かに超えていた。
 そんな奴が百人ほど、昼間のように明るく松明を灯し、あろうことか、お爺さんの隠れている木の洞の前に座って、お爺さんはもはやパニック状態であった。
 どうやら鬼はそこで本格的に腰を据えて宴会をするらしかった。いつしか雨はやんでいた。
 リーダー、って感じの鬼が正面の席に座っていた。そのリーダー鬼から見て右と左に一列ずつ、多数の、あり得ないルックスの鬼が座っていた。
 見た目はそのように異様なのだけれども、おもしろいことに、盃を飛ばし、「ままままま」「おっとっとっ」「お流れ頂戴」なんてやっているのは人間の宴会と少しも変わらなかった。
 暫くして酔っ払ったリーダーが、「そろそろ、踊りとか見たいかも」と言うと、末席から、不気味さのなかにどこか剽軽な要素を併せ持つ若い鬼が、中央に進み出て、四角い盆を扇のように振り回しながら、ホ、ホ、ホホラノホイ、とかなんとか、ポップでフリーな即興の歌詞を歌いながら、珍妙な踊りを踊った。
 リーダーは杯を左手に持ち、ゲラゲラ笑っており、その様子も人間そっくりで、酔っ払って油断しきった社長のようであった。
 それをきっかけに大踊り大会が始まってしまって、下座から順に鬼が立って、アホーな踊りを次々と踊った。軽快に舞う者もあれば、重厚に舞う者もあった。非常に巧みに踊る鬼もいたが、拙劣な踊りしか踊れない鈍くさい鬼もいた。全員が爆笑し、全員が泥酔していた。
 その一部始終を木の洞から見ていたお爺さんは思った。
 こいつら。馬鹿なのだろうか?
 そのうち、芸も趣向も出尽くして、同じような踊りが続き、微妙に白い空気が流れ始めた頃、さすがに鬼の上に立つだけのことはある、いち早く、その気配を察したリーダーが言った。
「最高。今日、最高。でも、オレ的にはちょっと違う感じの踊りも見たいかな」
 リーダーがそう言うのを聞いたとき、お爺さんのなかでなにかが弾けた。
 お爺さんは心の底から思った。
 踊りたい。
 踊って踊って踊りまくりたい。そう。私はこれまでの生涯で一度も踊ったことがなかった。精神的にも肉体的にも。こんな瘤のある俺が踊るのを世間が許すわけがない、と思うまでもなく思っていて、自分のなかにある踊りを封印してきたのだ。けれども、もう自分に嘘をつくのは、自分の気持ちを誤魔化すのは嫌だ。私はずっと踊りたかったのだ。踊りたくて踊りたくてたまらなかったのだ。いまそれがやっとわかったんだ!
 そこでお爺さんは飛んで出て踊っただろうか。もちろんそんなことはできるわけがなかった。というのは、そらそうだ、そこにいるのはとてもこの世のものとは思えぬ異類異形。そいつらが宴会をやっているところへ人間が闖入するなどしたら瞬殺に決まっている。
 お爺さんは歯を食いしばって耐えた。ああ、踊りたい。でも殺されたくない。
 葛藤するお爺さんの耳に、カンカンカカーンカンカンカカカーン、と鬼が調子よく奏でるパーカッションが心地よく響いていた。
 ああ、やめてくれ。自然に身体が動いてしまう。
 一瞬、そう、思ったが、もう駄目だった。気がつくとお爺さんは木の洞から踊りながら飛び出していた。
 悪霊に取り憑かれたか、なんらかの神が憑依したとしか考えられない所業だった。そのときお爺さんは思っていた。
 いま踊って死ぬなら、死んでもよい、と。あのとき我慢しないで踊ればよかった、と後悔したくない、と。
 楽しく飲んでいたところに突然、ぼろい帽子を被り、腰に斧を差した身元不明の老人が現れたので、その場に緊張が走った。「なんだ、てめぇ」と、何人かの鬼が立ち上がった。
 けれども、踊ること以外、なにも考えられない状態のお爺さんは気にせず踊った。踊りまくった。うんと身体を縮めたかと思うと、気合いとともにビヨヨンと伸びたり、身体を海老のように曲げたり、ときに娘のように腰をくねらせ、指先の表現にも細心の注意を払い、ときにロックスターのように律動的な文言で観客を煽りながらステージ狭しと駆け回ったり、と、伸縮自在、緩急自在、技、神に入って、お爺さん、一世一代の名演であった。
 その、あまりのおもしろさ、味わい深さに、初めのうちは呆気にとられていた鬼であったが、次第にお爺さんの没我入神の芸に引き込まれ、踊りまくったお爺さんがフィニッシュのポーズを決めて一礼したとき、全員が立ち上がって手を拍ち、ブラボウを叫んだ。
 ことにリーダーの鬼が気に入った様子で、鬼は進み出てお爺さんと頭のうえで手を打ち合わせ、その小さな躯を抱きしめてから、お爺さんの手を取り、その瞳を見つめて言った。
「長いこと踊り見てきたけど、こんな、いい踊り初めてだよ。次にやるときも絶対、来てよね」
 踊りの興奮がまだ残っているお爺さんは息を弾ませつつ言った。
「はい。絶対、また呼んでください。みんなが喜んでくれたのはすごく嬉しいんですけど、自分的にはまだ納得できてない演技がいくつかあって、今回、急だったんでアレですけど、気に入ってもらって、また、呼んでもらえるんだったら、次こそ完璧な演技をしたいんで」
「さすがだよね。あれだけの踊りやって、まだ、反省するとこあるっつうんだから。絶対、来てね」
 そう言ってリーダーがまたお爺さんを抱きしめたとき、序列三位の幹部級の鬼が言った。
「リーダー、口は重宝と言いますよ。いまはそう言ってるけれども来ないかも知んねぇでしょ。絶対来るようにしておく必要なくなくないですか」
「あ、そっか。だよね。オレは来てほしいけど、この人には来る理由はないもんね。うーん、と、うーと、どうすっかなあ。あ、じゃあさあ、出演料払う、ってのはどう? 例えば、おめぇ、鼻、三十あんじゃん? それを三つか四つ、この人につけてあげるとか」
「嫌ですよ。それに、それだったら、もうこれ以上鼻は要らない、と思ったら来ないじゃないですか。だからそうじゃなくて、逆にこの人の大事なものをこっちで預かって、来ないと返さないよ、ってことにするといいんですよ」
「なるほどね。でも、それって極悪じゃね?」
「踊り見たくないんですか」
「見たい。絶対、見たい」
「じゃあ、極悪でもしょうがないじゃないですか」
「だね。じゃあ、ええっと、みんな考えて。なにを預かればいいと思う?」
 リーダー鬼がそう言って、みなで考え、斧、衣服、財布、煙草入れ、燧石、帽子、各種カード類など、様々に意見が出たが、どれも、本当に大事なものか、というと、そうでもなさそうなものばかりで、決め手を欠き、一同が考えあぐねているとき、リーダーが突然に、「瘤だよ」と言った。
「なんすか」
「だからほら、あの人の頬にある瘤だよ。おまえだって、その鼻、一個でも取られたらやっぱ嫌でしょ」
「嫌ですね」
「オレだって、このおでこの陰茎、六本あるけど取られたらやっぱ嫌だもん。じゃあ、そうね、やっぱ瘤いこう、瘤」
 リーダーがそう言い、何人かの鬼が瘤を取ろうとして近づいてきたとき、お爺さんは内心で、やったー、と思っていた。永年、自分を苦しめてきた瘤を除去してもらえる。こんな嬉しいことはない、と思ったのである。
 しかし、鬼の剣呑な相談事を聞くうちに踊りの興奮から覚め、日頃の用心深さを取り戻したお爺さんは、ここで嬉しそうにしたらまずい、と思った。なぜなら、自分が瘤を大事と思っていないことを、どうやら身体のパーツを自在に取り外しできるらしい鬼に知られたら、別の、本当に取られたら困る、目や鼻や口を取られるおそれがある、と思ったからである。そこでお爺さんは、心の底から困る、という体で言った。
「あー、すんません。この瘤だけは困るんです。そんなことしなくても私は来ますよ。だって踊りたいんですもん。でも、どうしても信用できない、って言うんだったら、目か鼻にしていただけないでしょうか。この瘤は私が若い頃からずっと大事にしてきた瘤なんです。それを、踊りが見たいから取る、って、それはあんまり、っていうか、はっきり言ってムチャクチャな論法じゃないですか」
 お爺さんが縷々、訴えるのを聞いて嬉しそうにリーダーが言った。
「ここまで言うんだからマジじゃね? やっぱ、瘤、いこうよ、瘤」
 何人かの若い鬼がお爺さんに駆け寄り、後ろに立った者が躯を押さえつけ、前に立った者が手を伸ばして瘤をねじ切って取った。
 お爺さんは覚悟していたが不思議と痛みがなかった。
「じゃあ、絶対、来てね。連絡するから」
 言い残し鬼たちは帰っていった。チュンチュラ、と鳥が鳴いた。気がつけば暁方であった。
 夢のような出来事だった。もしかしてマジで夢? そう思ったお爺さんは右の頬に手を当てた。そこに瘤はなく、拭い去ったようにツルツルであった。このことを誰よりも早く妻に知らせたい、と思ったお爺さんは伐採した薪を木の洞に残したまま中腹の家に飛んで帰った。
 お爺さんの顔を見て驚愕した妻は、いったいなにがあったのです? と問い糾した。お爺さんは自分が体験した不思議な出来事の一部始終を話した。妻はこれを聞いて、「驚くべきことですね」とだけ言った。私はあなたの瘤をこそ愛していました。と言いたい気持ちを押しとどめて。

 そんなことでお爺さんの瘤がなくなった。それを見て、いいなー、と思った人がいた。
 お爺さんの家の隣に住むお爺さんである。嘘のような偶然なのだけれども、事実は小説よりも奇なり、この隣に住むお爺さんの左の頬にはお爺さんの瘤とまったく同様の瘤があった。そしてお爺さんと同じように瘤があることによって迫害・差別されていた。
 なので、ある日以降、お爺さんの頬より瘤が拭い去ったようになくなり、すっかり快活な人間になって就職活動などしているのを見て、自分も同じくなくしたい、と思ったのである。そこで何日か後に隣のお爺さんはお爺さんの家に行った。
「すんません」
「はいはい、ただいま。ああ、どうもどうもどうも。どうしたんですか。改まって」
「実はお伺いしたいことがござりまして罷り越したようなこってございましてございます」
「へりくだり過ぎてなにを言うてるかわからないんですけど、どうしたんですか」
「いや、あのすみません。それでは単刀直入に申し上げます。実はそのお、ま、このお、瘤のことなんですけどね、どこで手術したんですか」
「はあ?」
「いや、だから、とぼけんでもいいじゃないですか。教えてくださいよ。僕も瘤を取りたいんですよ」
「あ、なるほどこれですか。これはお医者さんに取ってもらったんじゃないんです。実は……」
 こうこうこうこうこういうことがあって……、とお爺さんは自らの奇怪な体験を隣のお爺さんに話した。普通の人間だったら、そんな恐ろしい体験は絶対にしたくない、と思うのだけれども、隣のお爺さんは瘤を取りたかった。取りたくて取りたくて仕方なかった。なので、自分も同じように奇怪な鬼と遭遇し、同じように踊り、同じように瘤を取ってもらいたい、と願い、事の次第・子細をお爺さんから聞き出した。
 そして夕方になるのを待ち、お爺さんの言っていた洞のある大木が生えている広場に出掛けていき、木の洞に這い込んで鬼の来るのを待った。したところ。
 暫くすると本当に鬼が来て、隣のお爺さんは座ったまま小便を垂れ流した。話に聞いていた以上に鬼どもの姿形が奇怪で恐ろしげであったからである。
 息を潜めて眺めていると鬼たちは、これも話に聞いていたように宴会を始めた。早くも踊り始める者もあった。けれどもリーダーはそわそわして、あたりを見回し、「あれ? お爺さんどこ? お爺さん、来てないの?」とお爺さんばかり気にしている。
 隣のお爺さんは、とても出て行けるものではない。こんなところに出て行くなんて死にに行くようなものだ、と、そう思って木の洞のなかで手で頭を隠し、躯を屈めて隠れていた。そのとき、お爺さんの左の肘に触れるものがあった。
 瘤であった。お爺さんは、この瘤がある限り、俺は一生、暗闇で震えているしかない。膝を曲げ、腰を曲げ、両の手で頭を覆い隠し、泥と小便にまみれて震えているしかない。おまえはそれでいいのか? 本当にいいのか? あのお爺さんのように快活な人間になりたくないのか? なろうとは思わないのか?
 そう思ったお爺さんは洞から這いだし、ゆっくりと立ち上がった。ゆっくりと立ち上がって鬼たちの方に向かってよろよろ歩いて行った。
「あ、お爺さんだ。リーダー、お爺さんが来ました」
「マジい? あ、ほんとだ。ほんとに来てくれたんだね。ありがとう。じゃあ、とりあえず踊ってよ。あれからずっと見たいと思ってたんだよ」
 言われてお爺さんは真摯に踊った。けれどもそれは、先般、踊ったお爺さんの踊りとは比べようもなく拙劣な踊りであった。
 というのは当たり前の話で、前のお爺さんは、踊りたい、と心の底から思って踊った。けれどもこのお爺さんは踊りは二の次、三の次で、瘤を取りたい、と思って踊っており、そうしたものは観客にすぐに伝わるものである。けれども、自分は真面目にやっている、真剣にやっている、と信じている隣のお爺さんにはそれがわからず、盛り上がりに欠けた一本調子の、おもしろくもなんともない独善的な踊りを延々と踊り続けた。
 そして、前のお爺さんと同じレベルの芸を期待していた鬼たちは白けきっていた。特にリーダーの落胆ぶりは甚だしく、「ぜんぜん、駄目じゃん」と言って首を揉んだり、顔をしかめて頭をこするなどして、まったく踊りを見なかった。
 もちろん、別人なのだから能力が異なるのは当たり前なのだけれども鬼から見れば人間のお爺さんは、みな同じ人に見えた。
 にもかかわらず、自分の瘤のことばかり考えていて、そうした観客の発する気配を察することのできないお爺さんは踊りをやめず、痺れを切らしたリーダーはついに、もう、いいよ、と言った。
「もう、いいよ。見てらんない。なんか、小便臭いし。瘤、返して帰ってもらってよ」
「了解」
 やはりお爺さんの踊りに辟易していた、末席にいた鬼が袋からお爺さんの瘤を取り出し、踊るお爺さんめがけて投げた。
 ぶん。音がして瘤が飛んだ。
 なんらの情趣も情感も感じられない、腰痛持ちが田植えをしているような所作から、ウントコウントコ、ドッコイショ、と、躯を伸ばし、両の手を天に向けてヒラヒラさせ、爪先だって回転しようとしていたお爺さんは、突然、打撃されたような衝撃を右頬に感じ、その場に転倒した。
 ペッペッペッ。土を吐いて立ち上がったお爺さんのその左右の頬に醜い瘤が付着していた。あれほど嫌だった、これまでさんざんお爺さんを苦しめてきた瘤が二倍になってしまったのである。その顔は、「だからやめとけ、つったじゃん」と言ってないけれども言いたくなるような滑稽で無様な顔であった。
 あいつにできたのだから自分もできるはずと信じ込んで行動すると、やはり手ひどい失敗をするらしい。そのあたりに気をつけて生きたいものだ。
 (第三話)


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“水野晴郎の映画解説の締めのセリフは3パターンあった 「映画って本当に、素晴らしいものですね」 「映画って、本当にいいものですね」 「映画って本当に面白いものですね」 名作には「素晴らしい」、普通なら「いいもの」、駄作には「面白い」、と使い分けていた”

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もやもやしているだけではなくて、 困っていることを 言葉ではっきり表現してみれば、 一歩前進するんだよ

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困っていることを
言葉ではっきり表現してみれば、
一歩前進するんだよ


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引用された文章は必ず原典を参照し、例示をされたら参考文献も調べてから発言する。これぞ「学芸員」

“「学芸員はがん」発言を受けて、学芸クラスタの皆さんが、「発言全文を読まないと文脈上の主旨が読み取れない」「他国で同様の事例があったか検証したい」などと一斉に呟いているw。引用された文章は必ず原典を参照し、例示をされたら参考文献も調べてから発言する。これぞ「学芸員」の姿。”


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原発事故で東京都内の放射線量が1200倍に

震災直後に
『原発事故で東京都内の放射線量が1200倍にーーー!!!!!』
って大騒ぎしたのに対して
『健康が大好きな日本人が、特に好んで訪れる観光地、草津温泉の放射線量は500年前からずっと170000倍です』
っていう海外の番組が面白かった。


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解像度が低い

“多くの殺人犯を調べてきた狂気の作家・平山夢明さんが彼らの共通点として挙げたのは「がさつ」でした。身の回りがだらしなくて、世の中を見る目の解像度が低い。そういう生活を続けてると、だんだん「これをしたらどうなるか」とかを考えなくなると。少し背筋が寒くなって、部屋の掃除をしました。”

ーーー
これはたとえば、花と言っても、どんな花なのか分からない。
走っていたと言っても、どんな走り方をしていたのか分からない。
見ていないのではなくて、言葉の用意がないから描写のしようがない。
言葉の網の目が粗すぎるので
微妙なものの区別ができない。
当然人の表情から何を読み取るかについても
脳の中に表情分類システムが完成していないから
読み間違える。

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楽譜を音楽として伝えること

本:編集者、版元… 画家:キュレーター、美術館… 音楽:指揮者、演奏家…

一番、科学と比較しやすいのが音楽だと思う。オーケストラの楽譜だけ見て、私たちは音楽を楽しめるだろうか? きっと一部の人だけだろう。それを、指揮者や演奏者が解釈し、演奏することで私たちの耳に届くのだ。

科学の場合は、学術論文(など)だけではわかりにくい。そこを仲介するのがコミュニケーターだと思っている。学術論文をそのまま理解する人がいる世界が普通なの? (単品の楽器ならともかく)楽譜をそのまま頭の中で鳴らせる人が当たり前なの? という話です。

楽譜を音楽として伝えること。そこに科学コミュニケーター、ジャーナリストの役割(のひとつ)があると思っている。



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子供に言っちゃいけない言葉一覧

子供に言っちゃいけない言葉一覧

・この家庭は私の理想としていたものと全く違う!
(子は自分を無力と思う、あるいは自身を親の理想をかなえるための道具にすぎないと解釈)

・男(女)に向かって女(男)の子が欲しかった
(完全なる子の存在否定)

・(子供との触れ合いを期待して)学校で何があったか報告を要求する
(不幸な目にあってる子は親を心配かけまいと黙るか嘘をつくしかない)

・あの子は~
(親にとって子供は自分じゃないほうが良かった)

・世の中にはもっと辛い人がいる
(一番辛い人は一人しかいないのだからそれ以外の人は助けを求めるべきではない)

・何かを強請るわけでもないのに「金がない」を連呼
(自分のせいで家庭が危機に陥っている、自分はいないほうがマシ)

・友達をつくりなさい
(周りDQNばっか、一人が好きな子の個性を認めない、一人でいることは罪)

・暗いからもっと明るく振舞え
(嘘はいけないことと教えられたのに嘘を要求されている)


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ウケるから言っているだけ

“(町山智浩)あの、オバマ大統領が出てきてね、「Hope(希望)」っていうことで、みんなを惹きつけたんですね。ところが、トランプの場合は圧倒的に「憎しみ」なんですよ。原動力が。それはちょっと、非常に危険なことだと思いますね。

(赤江珠緒)うーん。

(町山智浩)で、トランプ自身はそれをまた本気であんまり信じていないところが、また怖いんですよ。

(赤江珠緒)えっ?

(町山智浩)ウケるから言っているだけなんですよ。

(赤江珠緒)あ、そうなの?

(町山智浩)そう。そういう人って、左翼にも右翼にもいて。たとえば、原発問題とかあると、原発にあんまり興味ないのに、それを言うと人気が出るから言う人とか、いるんですよ。

(赤江珠緒)はー! その場の空気とかを読んで。

(町山智浩)トランプは完全にそうなんで。それに乗せられちゃう人たちも本当に怖いんですけど。でももう、ものすごい状況になっていましたね。行ってみて。”


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夫婦間を「弱い繋がり」の共同体にしておく

“夫婦に共通の友人が少ないほうが、夫婦の持続性がある、とアメリカの調査でわかっています。だから、お互いの友人を紹介し合うなど、あまり夫婦ぐるみの付き合いはしないほうがいい。

お互いのプライバシーを侵害せず、夫婦間を「弱い繋がり」の共同体にしておくのは、長く続けるひとつの方法なのです。”


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心を操る寄生生物

“ひじょうに興味深いのは、地球上で寄生生物が多いホットゾーン(とくに赤道領域)ほど、個人主義を避けて、集団主義になりやすいという調査結果だ。集団内での信仰やしきたりを重んじ、外部との交流には不寛容であり、引いては独裁政治にも陥りやすい。”『心を操る寄生生物 感情から文化・社会まで』あなたの心を微生物たちはいかに操っているのか?

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