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不眠症治療薬ルネスタ錠(エスゾピクロン)

厚生労働省の薬事・食品衛生審議会(薬食審)医薬品第一部会は7日、エーザイの不眠症治療薬ルネスタ錠(エスゾピクロン)など5成分の承認の可否について審議し、承認を了承した。

エーザイの担当者によると、脳内の覚醒系の神経伝達の抑制を担う神経伝達物質(GABA)の効果を増強させることで睡眠を誘発する。長期連用しても、有効性が減弱しないことが特長という。



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自分の人生に何かいいことが起こるなんて

自分の人生に何かいいことが起こるなんて
そんなはずないなーと
ぼんやり思っている
土曜日の午後

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ポジティブ心理学

  いま、米国ではコーチングのあり方が問われ始めている。

 日本でも人材育成や自己啓発の目的で利用が増え続けているコーチングだが、先行する米国では一大産業となっている。国際コーチ連盟(ICF)によると、コーチング産業による全世界の総収益は毎年15億米ドル(約1200億円)に上るという。

 こうした動きに対して、ハーバード・メディカルスクール(ハーバード大学医学部)とマクリーン病院(ハーバード大学医学部付属精神科)は、毎年秋に2日間の「コーチング会議」を主催している。今年で4年目を迎えた「コーチング会議」は、ハーバード大学におけるポジティブ心理学に関する取り組みを紹介する絶好の機会として一般にも公開されてきた。基調講演に加え、リーダーシップコーチング、ヘルスとウェルネス(医療)コーチング、ポジティブ心理学とコーチングなど、今年も各分野の第一人者20人を講演者に迎え、例年どおり盛況となった。

 

安易なコーチングに警鐘ならすハーバード大医学部

 

 実は、ハーバード大学が先導してコーチングの改革に乗り出した背景には、コーチング産業が巨大化する一方で、効果を実証する科学的データもなく、実際に効果のあったコーチング手法を再現する方法や体系化された理論もなく今日に至っているという実態への危惧がある。

 医師には、技術や資格面での厳格な統一基準があるのに、コーチにはそれがない。本来であればコーチにもそれ相応の技術や資格が課されるべきであったとする意見も多い。コーチングには誰でも参入できクライアントを持てるため、玉石混交の状態のまま市場規模が拡大してきたという深い反省が込められている。

 ハーバード発のコーチング改革というこの新たな動きの大きな要因として、何よりもコーチング産業に関わる人が増えたことで、米国におけるコーチングの質やコーチとしての資格取得をめぐる不透明さに対するコーチたち自身の目が厳しくなってきたこともある。

 こうした構造的な不完全さを解消するために、コーチングにおける科学的基盤の構築を心理学に求める動きがここ数年、急速に高まってきた。そこで大いに重宝されているのが、ポジティブ心理学の理論や実証的な研究データなのである。

 ヒトは「病気でない」というだけでは、心身ともに健康で、幸せや生きがいに満ちた人生を実現できるような状態を手に入れられるとは限らない。個人も組織も、現状を改善し、ポジティブ(前向き)な変革を成し遂げようとするならば、意図的な努力に加えて、しかるべき条件とプロセスが求められる。

 それがポジティブ心理学の研究対象とする領域であり、またポジティブ心理学の応用としてのコーチングが人々に必要とされるゆえんでもある。

 

 ハーバード・メディカルスクールのキャロル・カウフマン氏は、ポジティブ心理学の勢いを借りて、ポジティブ心理学の発展と二人三脚でコーチングの改革を推進したいと考えた。

 そこで、コーチングの理論的研究とベストプラクティスを全面的に支援すべく2009年に同校に「インスティチュート・オブ・コーチング」(コーチング研究所)を創設し、コーチたちの支援に全面的に力を注いでいる。

 コーチング研究に関する学術文献数は、近年になって急増しているものの、研究の質・量ともにまだまだ向上を要することが指摘されている。ハーバードでの取り組みをはじめとする研究のさらなる発展に伴い、コーチングにも信頼に足る実証的基盤が確立される日が来ることが期待されている。 

コーチングに関する学術文献数の推移。全文献の8割以上がここ10年間に発表されている。提供:シドニー大学アンソニー・グラント教授。

 

「幸福感」の確認でエリートたちの苦悩を解く試み

 

 ハーバード大学で一番の人気授業だったポジティブ心理学講座を支えたショーン・エイカー氏の『幸福優位 7つの法則』では、「幸福優位性(ハピネス・アドバンテージ)」という少々耳慣れない言葉が紹介されている。

 これは、何事もまずは幸福感(ポジティブな感情)ありきで、幸福感を持った結果としてあらゆる物事がうまく回り出すことが神経科学の研究からも明らかにされているというキー概念を表す言葉だ。

 今年のハーバード・コーチング会議で、ポジティブ心理学とコーチングのセッションを担当した当分野の第一人者であるロバート・ビスワス=ディーナー講師は、この「幸福優位性」の重要性を常に再確認させた。そして、幸福感はコーチングの達成すべき目標であるだけでなく、コーチとクライアントの間でポジティブな関係性を築くなど、幸福感をコーチングの手段として活用することの有効性を提唱する。

 過去の会議では、「幸福優位性」を人材育成に適用して自らの職場で成果を挙げているという人物の実演が参加者の絶大な人気をさらったこともある。その人物とは、来日したこともあるボストン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者で著名なコーチのベンジャミン・ザンダー氏である。

 ザンダー氏のやり方はこうだ。自らが講師を務める音楽院で、毎年、新年度のはじめに、60人の音楽家の卵たちに「A」という文字を書かせる。日本でいうなら「5」か「優」の成績となる。

 「A」という文字とともに成績が授与される学年の最後の日の日付も書かせる。そして、なぜ学年末に自分が「A」をもらえたのかを学生自身に説明させ、「A」をもらった自分に「惚れさせる」。そのとき、すかさず「自分はAなど取れないのではないか」とささやきかける自分の声を完全に念頭から追いやるようにと指導するのだ。

ハーバード・コーチング会議でチェロ奏者を相手に実演するベンジャミン・ザンダー氏。講演の内容は、『チャンスを広げる思考トレーニング』(日経BP社)に詳しい

 すると「A」は、今あるダメで不幸な自分が追いつくべき目標ではなく、これから起きるすべての出来事の出発点へと変わる。「A」をもらった幸せな自分からスタートする、まさに「幸福優位」に立つのだ。

 結果的に、学生たちは外からの期待に添うように頑張るのではなく、「A」という新たな「未来の現実」(エイカー氏の言葉を借りれば、「可能性がある」から「可能である」へと変容を遂げた現実)の中に自らを見出して生きるようになるという。

 ザンダー氏によると、音楽家の卵たちは、仲間たちとの激しい競争や、教師からの厳しい評価に戦々恐々とし、張り詰めた緊張感のなかで日々音楽の練習に明け暮れている。またオーケストラ団員たちも、指揮者をトップとする伝統的な階級社会であるオーケストラの世界にあって、自分たちの仕事に対する満足度は極めて低いという。

 だが、「A」をもらった学生たちだけではなく、階級のトップにいる教師も、学生たちに「A」を与えたという事実を受けて変わり始める。教師と学生の間には、従来の階級ではなくて、「A」がつなぐ新たな関係性が築かれるのだ。「オーケストラという閉鎖的な環境においてこの変化は大きい」とザンダー氏は言う。

 ザンダー氏の講演が終了し、熱気に包まれた会場の真ん中で、ある参加者が立ち上がり発言した。

「あなたのような師にもっと早く出会えていれば、私は若い時に音楽の道を諦めずに済んだ。とにかく練習が厳しくて、耐えられずに断念したのです。私は美しい音楽の世界を諦めるとともに、その世界に生きようとする自分の可能性も捨ててしまったのだと気づきました」

 涙ながらに語る声が会場に響き渡ったとき、参加者の感動はピークに達したようだった。つかさずもう1人の参加者が、声を大にして叫んだ。

「私は会社役員ですが、この方法は私の職場でも十分に使える。もっと早く知っておけばよかった!」

 

“集中”がカギ、心理学からポジティブ・コンピューティングへ

 

 ポジティブ心理学の創始者であり、ペンシルベニア大学心理学部のマーティン・セリグマン教授が指揮する最新研究プロジェクトに「世界ウェルビーイング・プロジェクト(WWBP)」がある。

 人々が最もよく作用し、幸せや生きがいに満ちた人生を実現できるような状況(ウェルビーイング)を世界的規模で創り出すにはどうしたらよいのか。この目標に対して、教育における取り組みだけではあまりにも進展が遅いことがネックとなっていたところに、各方面からIT技術者が集まってきた。

 フェイスブック、マイクロソフト、ヒューレット・パッカード、マサチューセッツ工科大学(MIT)、スタンフォード大学などからIT技術者たちが一堂に会し、英語圏でインターネットを利用する億単位のユーザー向けにウェルビーイングを測定評価し、増進するための配信モデルを考案中である。

 これは別名「ポジティブ・コンピューティング」とも呼ばれる、インターネットを利用したポジティブ心理学に関する全世界的な取り組みで、その他にも米国の複数の大学や民間企業で盛んに行われている。

カリフォルニア大学リバーサイド校ソニア・リューボミルスキー教授の研究から開発されたiPhoneアプリ「Live Happy」。ポジティブ心理学関連アプリは複数販売されている

 一例として、ハーバード大学心理学部のダニエル・ギルバート教授の研究室では、「あなたの幸福度を追跡記録する(Track Your Happiness)」と名づけたiPhoneアプリを利用しての研究を進めている。

 これは、回答者がどれほど幸せに感じているのか、その時何をしているのか、ぼんやりしていたのか集中していたのかなど、1分ほどの質問に答えてもらい、その瞬間の回答者自身の状態について調査するものだ。

 その結果、回答者がその時々で具体的に何をしていたかではなく、物事に“集中”していたかどうかが幸福度アップのカギを握るという興味深い事実が判明した。

 さらには、ゲームに集中しているときに生まれるポジティブな感情(向社会的感情)や、人と一緒にゲームに興じるときに生まれるポジティブな関係性、ゲームにおける達成感など、ゲームが人々のウェルビーイングに及ぼす影響力への研究も進む。

ペンシルベニア大学ポジティブ心理学センターで講演するジェーン・マクゴニガル氏。同大学は2011年度を「ゲーム年」とし、ゲームの応用に関する研究発表会を数多く実施している

 その第一人者でゲームを通して現実の人生の幸福を構築していく可能性を提唱しているのが、世界的に著名なゲームクリエーターのジェーン・マクゴニガル氏である。詳しくはマクゴニガル氏の新刊『幸せな未来は「ゲーム」が創る』を参照されたい。

 

 







ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
というような記事 

その時々で具体的に何をしていたかではなく、物事に“集中”していたかどうかが幸福度アップのカギを握る

ゲームを通して現実の人生の幸福を構築していく可能性



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What Books Have Been Written About CAT?

Change for the Better: Self Help Through Practical Psychotherapy [Paperback]

Elizabeth Wilde McCormick  

Cognitive-analytic Therapy - Active Participation in Change: New Integration in Brief Psychotherapy (Wiley series on psychotherapy & counselling) [Paperback]

Anthony Ryle  

Cognitive Analytic Therapy: Developments in Theory and Practice (Wiley Series in Psychotherapy and Counselling) [Paperback]

Anthony Ryle  

Introducing Cognitive Analytic Therapy: Principles and Practice [Paperback]

Anthony Ryle Ian B. Kerr  


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New Edition of Change for the Better by Elizabeth Wilde McCormick

Change For The Better (Third Edition)

This is a guide for real people living and struggling in real life, ordinary circumstances! It is full of humane, creative compassion for those who would like to change' - "Counselling Psychology Review"."Change for the Better, Third Edition" is a popular, practical guide for therapists and clients which describes in ordinary language how learned patterns of response contribute to psychological problems such as depression, anxiety, phobia, and relationship difficulty. Presenting an easy-to-follow programme, leading psychotherapist, Elizabeth Wilde-McCormick shows readers how to identify their own different inner dialogues, and the traps, dilemmas, snags, and unstable states of mind that lead to things going wrong. Exercises feature throughout the book to enable self-reflection and help the reader achieve lasting change.Based on Cognitive Analytic Therapy, a focussed short term therapy pioneered and developed at Guy's and St Thomas' Hospitals in London, "Change for the Better, Third Edition" can be used as a self-contained self-help programme or as preparation for clients entering therapy. It is also recommended to students on CAT courses and many therapists find the book helpful in their own development and as a source of material to use directly with clients. In response to its continuing popularity, this third edition has been published, including the most recent development in CAT practice. The new edition also places emphasis upon the transformation of unhelpful learned reciprocal role procedures that underlie our relationship with ourselves and other people.It also features new chapters on unstable states of mind seen in people given a borderline personality diagnosis, on dissociation, eating problems, and stress. Elizabeth Wilde McCormick has been in practice as a psychotherapist for over twenty five years. She is also a teacher, trainer and writer. She is a founder member of The Association for Cognitive Analytic Therapy at Guy's Hospital, London, and the author of a number of best-selling self-help books.



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幻覚・妄想状態と並べて書くのは大きな間違いである

幻覚・妄想状態と並べて書くのは大きな間違いである

物事の根本を一度も考えたことのない人間であるという印である

たいていは幻覚は被害的幻聴のことを指している

これは時間遅延理論でいう自我障害の典型である

妄想状態は全く別の成立をしている

そのような二つを、ないはずのものがあるという意味での陽性症状などというのも

全く気に入らない

例えばの話、時間遅延によって被害的幻聴が発生しているときに

なぜそんな声が聞こえるはずがあるだろうか

なぜ君はCIAに狙われるはずがあるだろうか

そのように言われて妄想構築を促進されるのである

完全に余計な質問である 



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Cognitive–analytic therapy  Chess Denman-2

Severe borderline personality disorder

Practising CAT as described above is suitable for less severely disorganised personalities and neurotic conditions. However, when the patient suffers from borderline personality disorder a piecemeal approach to individual maladaptive procedures becomes ineffective. This is because as each procedural sequence is tackled the patient takes flight into different reciprocal-role structures; in effect, patient and therapist chase each other around the patient's diagram.

Nevertheless, these diagrams are particularly useful in adapting CAT for use with patients who have borderline personality disorder. With such patients, the focus should be integration and the therapeutic aim should be to enable patients to gain an overview of the wildly discontinuous self-states they can find themselves occupying. CAT therapists conceptualise this aim as the development of an ‘observing I', who is concerned and involved but neither overwhelmed nor silenced.

Probably a key therapeutic technique in helping the development of an observing I is modelling. By watching as the therapist (more or less successfully) continues to describe what is going on for the patient without becoming drawn into enacting any of the patient's reciprocal role patterns and by trying to do this him- or herself, the patient builds up an inner state that embodies this stance. This technique of involved non-collusion is similar to a range of therapeutic modalities for borderline personality disorder. But CAT is distinctive in its use of the diagram as a guide for patient and therapist about what is going on in a session. CAT is also distinctive in combining elements of interpersonal and object relations theory in its understanding of the patient with a frank and educative model that supposes that the patient, at least in part, can be an active and cooperating partner rather than a consciously or unconsciously motivated opponent.

Let us return to Paul (case vignette 2). Despite misgivings, Paul was offered therapy. In order to help Paul's therapist, at the very first meeting the assessor drew a sketch of a tentative diagram of reciprocal roles known as a sequential diagramatic reformulation (SDR). There had not been time in the assessment to share this with Paul, but it became immediately relevant in the first therapy session when Paul, upset at seeing a different person from his assessor, began to denigrate and devalue the therapist. After the therapist had shared her version of the diagram, Paul was able to admit that he was frightened of coming to therapy because he thought the therapist would be sneering at him (Fig. 4).

Fig. 4

Fragment of Paul's diagram, showing paired reciprocal roles

Comparing CAT with other therapies


As its name implies, CAT shares elements of both cognitive and psychoanalytical psychotherapies. Psychoanalytical concepts, particularly those drawn from the independent group, have been central to the phase of CAT marked by the development of the SDR. The theory of reciprocal roles and of reciprocal-role induction allows CAT to conceptualise the psychoanalytical concepts of transference, countertransference and projective identification in ways that Ryle claims are less mystifying and more practically useful (Ryle, 1994b, 1998). CAT therapists regard transference phenomena and their countertransferential responses as useful sources of information about the patient's reciprocal-role procedures. Importantly, the reformulation's specification of reciprocal-role procedures can also be used to predict the likely development of the transference–countertransference relationship and hence to anticipate difficulties and developments in therapy.


Another strand in CAT's relationship with psychoanalysis is Ryle's critical struggle with psychoanalytical thinking, especially of the Kleinian school, which has resulted in a key series of papers that engage with both Kleinian technique and theory (Ryle, 1992, 1993, 1995b). Ryle's principal argument with Kleinian theory lies in his view that in severe cases such as borderline personality disorder the symptomatic experiences and behaviours of patients are consequent on psychic “unintegration” and the formation of multiple-self states. This contrasts with the Klein/Bion perspective, in which borderline states are associated with psychic disintegration and attacks on linking (Bion, 1967). Ryle levels a similar set of criticisms at Fonagy's theory of a mind-based conceptualisation of borderline personality disorder (Fonagy, 1991). In this theory, the self turns on its own mental functions to obliterate the horror of acknowledging that the mind of the abuser conceived of and carried out abusive acts (Ryle, 1998).


In recent years, CAT theorists have shown reduced interest in the less severe psychological conditions. CAT's chief causal explanation for such conditions appeals to procedural sequences that are malformed and not revised. There is a considerable body of theory within CAT that seeks for reasons why these procedures, which are set up to be self-correcting, are not revised for the better. However, signally absent among these reasons is any appeal to defence against unconscious conflict. It is CAT's resolute rejection of defence as a major mechanism in symptom formation that marks it out from psychoanalytic perspectives.


To these theoretical differences must be added some strong views about technical issues. In relation to psychoanalytical practice, Ryle regards the long intense treatments practised by an ‘invisible' and studiedly neutral analyst as likely to generate abnormal phenomena, which themselves become the spurious basis for theory-making. A good example of these views appears in Ryle (1996), where he also sets out a key CAT distinction between interpretation and description. For Ryle, psychoanalytical interpretation risks involving the interpreter in claiming special knowledge about the interpreted that is not accessible to direct test by the interpreted subject. Description, on the other hand, he conceives of as a joint process, in which the close inspection of what is available to consciousness can reveal more and more of what is not so easily available. CAT therapists therefore characterise their activities as descriptive rather than interpretive.


CAT shares with cognitive therapy a stress on the detailed analysis of the conscious antecedents and consequences of symptoms, the production and sharing of a detailed descriptive formulation with the patient, the setting of homework and a focus on, and problem-solving approach to, difficulties. Ryle deliberately drew on Kelly's personal construct psychology (Kelly, 1955) and his concept of the individual as scientist actively construing the world. This concept chimes well with the setting of behavioural experiments used in CBT. Marzillier & Butler's (1995) review of commonalities and differences between CAT and CBT identifies these similarities among others. They show CAT's commonalities both with schema-focused CBT (Young, 1990) and with Teasdale & Barnard's (1993) interacting cognitive subsystems (ICS) model. They find few differences other than ones of emphasis in relation to these models, so that their overview of CAT is in favour of classifying it as one of the cognitive therapies.


However, Marzillier & Butler's cognitivist reading of CAT would not be shared by a significant number of CAT therapists. Ryle himself, presented with the ICS model, is sharply critical. He regards it as being far too focused on intra-individual interactions between internal automata, and in consequence inclined to neglect the crucial importance of the external world, particularly the social world, in structuring experience. Thus, for Ryle, CAT is different from CBT, and particularly the ICS model is different from CAT, because the latter emphasises social interaction rather than individual processes as the primary unit of analysis. However, this criticism of the ICS model may not be entirely warranted.


There are powerful points of similarity between schema-focused CBT and CAT, and it is probably more fair to characterise their differences as ones of emphasis. I have explored these differences with a colleague (Allison & Denman, 2001). To my eye the key differences between the two lie in the consistent CAT emphasis on interaction and on social interaction, embodied in the notion of a reciprocal role that is a block of procedural knowledge about how to ‘do’ a particular kind of relationship and what to expect from it. This can certainly be viewed as a kind of schema, although it is more complex in internal structure than a normal CBT schema. Interestingly, in an early paper Young (1986) suggested schema clusters that look very like reciprocal roles but does not seem to have followed this up in later work.


Cognitive therapists who work in the schema-focused tradition often find much to agree with in CAT. A not infrequent comment is that CAT therapists should therefore just get on with doing CBT, which is better validated – although the validation of schema-focused models is debatable. CAT therapists, however, continue to feel that the CAT perspective offers approaches to interpersonal and motivational issues that are better developed and more subtly nuanced than those used by CBT. This certainly would be Ryle's view, as expressed in his review of cognitive approaches to borderline personality disorder (Ryle, 1998).


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Who is suitable for CAT?


Traditionally, CAT therapists have taken on a very wide range of patients. As a result, CAT has been tried for many conditions, including anxiety disorders and depression, deliberate self-harm, abnormal illness behaviour (particularly in diabetes) and, most particularly, the personality disorders (Cowmeadow, 1994; Fosbury, 1994; Ryle, 1997). With all these conditions there has been some success. One contraindication is current drug or alcohol use to the point of active intoxication (Ryle, 1997: p. 86). This is to some extent a matter of degree, the main issue being the difficulty of conducting sessions with an intoxicated patient. Poor or absent motivation, resulting in failure to attend sessions, may be another contraindication, because in a brief therapy missing too many sessions nullifies any effect. Even so, it is often worth seeing whether the reformulation stage of CAT draws the patient in sufficiently to make therapy viable.


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The evidence base


There is a growing, but still far from adequate, evidence base in CAT. The current situation is well summarised by Margison (2000), who highlights the lack of randomised controlled trials (RCTs) validating CAT. Nevertheless, some studies do exist. An early paper (Brockman et al, 1987) showed that CAT conducted by trainees was as effective as Mann's brief psychotherapy (Mann & Goldman, 1982). Since then the predominantly NHS base of CAT has made funding for formal trials difficult to obtain. However, a number of promising results have been published (summarised in Ryle, 1995a), and recent uncontrolled series obtained at the United Medical and Dental Schools of Guy's King's and St Thomas' (UMDS) and at Addenbrookes using both CAT-specific and other measures are encouraging in relation to both borderline personality disorder and more general practice in a psychotherapy department. Any current assessment of the status of the evidential basis for CAT must depend on an evaluation of descriptive studies and uncontrolled series. Supporters of RCT methodologies in psychological treatments tend to be less convinced by uncontrolled studies than those who are more sceptical about the unique value RCT research methodology in psychotherapy. A good description of some of the limitations of RCT methodologies can be found in Bateman & Fonagy (2000).


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Training and development


Although there are quite severe complexities in some aspects of CAT theory, practising psychotherapists, especially those with experience in both cognitive and psychodynamic approaches, should find much that is familiar. They may be able to acheive a usable level of competence in CAT by reading the key texts and having some supervision. For those with less experience of psychotherapy, formal training programmes exist. Such formal training is usually necessary for anyone wishing to become a member of the Association of Cognitive Analytic Therapists (ACAT), which exists to promote training in and standards of CAT.


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Multiple choice questions


Procedural sequences:


were developed in an attempt to understand aim-directed action


involve only feeling and acting


contain a check step


are always revised for the better if faulty


if faulty are in the form of snags, traps and dilemmas.


Procedural sequences remain unrevised because:


the check step has been avoided in some way


the alternatives are equally unacceptable


the procedure is never enacted


opportunities for learning new procedures have been too plentiful


caregivers have given injunctions that restrict procedural learning.


In borderline personality disorder:


level-one states are more numerous than in normal behaviour


level-two switching displays a ‘hair-trigger’ response


level-three self-reflection is often weak or absent


level-one and level-two difficulties explain much of the changeability characteristic of the disorder


CAT has no distinctive explanation for the affective features.


In CAT:


treatment usually lasts either 16 or 24 sessions


the therapist gives the patient a reformulation letter at about the fourth session


the therapist avoids mentioning termination


therapist and patient exchange goodbye letters at the end of therapy


follow-up sessions are discouraged.


CAT:


is suitable only for a small range of patient problems


is contraindicated if the patient is actively intoxicated


should never be attempted where motivation is poor or absent


has a small evidence base and urgently needs randomised controlled trials


is administered by an organisation called ACAT.


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References


↵ Allison, D. & Denman, C. (2001) Comparing models in cognitive therapy and cognitive analytical therapy. In Evidence in the Psychological Therapies: A Critical Guide for Practitioners (eds C. Mace, S. Moorey & B. Roberts). Philadelphia, PA: Routledge.

↵ Aveline, M. (2001) Very brief dynamic therapy. Advances in Psychiatric Treatment, in press.

Bateman, A. W. & Fonagy, P. (2000) Effectiveness of psychotherapeutic treatment of personality disorder. British Journal of Psychiatry, 177, 138–143. Abstract/FREE Full Text

↵ Bion, W. R. (1967) Attacks on linking. In Second Thoughts: Selected Papers on Psycho-Analysis, pp. 93–109. London: Maresfield Library.

↵ Brockman, B., Poynton, A., Ryle, A., et al (1987) Effectiveness of time-limited therapy carried out by trainees. Comparison of two methods. British Journal of Psychiatry, 151, 602–610. Abstract

↵ Cowmeadow, P. (1994) Deliberate self harm and cognitive analytic therapy.International Journal of Short Term Psychotherapy, 9, 135–150.

Engestrom, Y., Miettinen, R. & Punamaki, R. (eds) (1999) Perspectives on Activity Theory. Cambridge: Cambridge University Press.

↵ Fonagy, P. (1991) Thinking about thinking: some clinical and theoretical considerations in the treatment of a borderline patient. International Journal of Psychoanalysis, 72, 639–656.

↵ Fonagy, P. & Target, M. (1997) Attachment and reflective function: their role in self-organization. Development and Psychopathology, 9, 679–700.CrossRefMedline

↵ Fosbury, J. A. (1994) Cognitive analytic therapy with poorly controlled insulin-dependent diabetic patients. In Psychology and Diabetes Care (ed. C. Coles). Chichester: PMH Production.

↵ Kelly, G. A. (1955) The Psychology of Personal Constructs. New York: Norton.

↵ Mann, J. & Goldman, R. (1982) A Case book in Time-Limited Psychotherapy. New York: McGraw-Hill.

Margison, F. (2000) Cognitive analytic therapy: a case study in treatment development (editorial). British Journal of Medical Psychology, 73, 145–149.

Marzillier, J. & Butler, G. (1995) CAT in relation to cognitive therapy. InCognitive Analytic Therapy: Developments in Theory and Practice (ed. A. Ryle), pp. 121–138. Chichester: John Wiley & Sons.

Minors-Wallis, L. (2001) Problem-solving treatment in general practice.Advances in Psychiatric Treatment, in press.

↵ Palmer, R. (2001) Dialectical behaviour therapy. Advances in Psychiatric Treatment, in press.

↵ Ryle, A. (1990) Cognitive Analytic Therapy: Active Participation in Change. Chichester: John Wiley & Sons.

↵ Ryle, A. (1991) Object relations theory and activity theory: a proposed link by way of the procedural sequence model. British Journal of Medical Psychology, 64, 307–316.

↵ Ryle, A. (1992) Critique of a Kleinian case presentation. British Journal of Medical Psychology, 65, 309–317.

↵ Ryle, A. (1993) Addiction to the death instinct? A critical review of Joseph's paper ‘Addiction to near death’. British Journal of Psychotherapy, 10, 88–92.

Ryle, A. (1994a) Projective identification: a particular form of reciprocal role procedure. British Journal of Medical Psychology, 67, 107–114.

↵ Ryle, A. (1994b) Persuasion or education: the role of reformulation in CAT.International Journal of Short Term Psychotherapy, 9, 111–118.

↵ Ryle, A. (1995a) Research relating to CAT. In Cognitive Analytic Therapy: Developments in Theory and Practice (ed. A. Ryle), pp. 174–189. Chichester: John Wiley & Sons.

↵ Ryle, A. (1995b) Defensive organizations or collusive interpretations? A further critique of Kleinian theory and practice. British Journal of Psychotherapy, 12, 60–68.

Ryle, A. (1996) Ogden's autistic-contiguous position and the role of interpretation in analytic theory building. British Journal of Medical Psychology, 69, 129–138.

↵ Ryle, A. (1997) Cognitive Analytic Therapy for Borderline Personality Disorder: The Model and the Method. Chichester: John Wiley & Sons.

↵ Ryle, A. (1998) Transferences and countertransferences: the cognitive analytic therapy perspective. British Journal of Psychotherapy, 14, 303–309.

Teasdale, J. D. & Barnard, P. J. (1993) Affect, Cognition and Change in Remodelling Depressive Thought. Hove: Lawrence Erlbaum.

Young, J. E. (1986) A cognitive-behavioural approach to friendship disorders. In Friendship and Social Interaction (eds V. J. Derlega & B. A. Winstead), pp. 247–276. New York: Springer.

↵ Young, J. E. (1990) Cognitive Therapy for Personality Disorders: A Schema Focused Approach. Sarasota, FL: Professional Resource Exchange.



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不適応行動の治療-1

人間の精神的不調にもいろいろあるのだが

その中で、なぜだか、現在の状況にそぐわない行動をしてしまい

結果として不適応を起こしている人達がいる

現在の状況に応じた合理的な行動ができなくて

子供の頃に身につけたままの古い行動パターンで対処している人が多い

ーーー

まず、あなたの目的は何かをまず明確にする。目指しているが達成できないことは何かを明確にする。

その目的のための手段としてどのような行動を採用しているか分析する。

その手段がどのように不適応であるか理解する。

そしてその不適応行動の根源は人生初期つまり子供の頃の体験であったことを示す。 

子供の頃としては適切な行動であったものが、現在となっては不適切な行動であることを示す。 

その学習からいかにして抜けられるかを示す。

ーーー

学習には強い学習から弱い学習まで幅があり

概ね、強い学習は人生に数少ない機会にしか起こらない

強い学習は、同時に、訂正が困難ということでもある

したがって、学習を訂正していただくにあたっても、特別な工夫が必要になる。

今は「閉じて」しまっている強い学習回路を、訂正可能とするために「開く」必要がある 

そのために治療者との信頼関係を使い、薬剤の効果を使う

ーーー

たとえば

子供の頃親との関係で学習した行動パターンであれば

現在、かつての親と同等程度の信頼関係を築ける人間を相手にして、再度学習する

たとえば

思春期にホルモンのスパートがあって学習した行動パターンであれば

再度類似の状況を作り、学習すれば良い 

 c004cut.gif

人間に、一生に一度の学習は色いろあることがわかっている

そこで学習したことが

後の人生で役立たない場合、訂正が必要である

ーーー

以上は適応障害の問題であるが

精神病についても推論できる

概ね人間は、生まれた環境でドパミンレベルがセットされるし、行動パターンもセットされる

出産して子育てをして次の世代を育成するまで

たぶん30歳か40歳くらいまでの設定だろう

その範囲では大きな環境変化はないものとして設計されているのだと思う

ーーー

ところが近年では環境変化が激しい

ひとつには同じ場所でも環境が変化し

ひとつには人間が移動するのでその人にとっての環境が大きく変化する 

そういった環境では当然のことであるが不適応が発生しやすい

強い学習を訂正するほうが変化には強いのであるが

強い学習を維持することのメリットもまた大きいのであるから

ここには矛盾がありどちらが有利とも言えない面がある 

ーーー

産業革命と、地方農民の次男三男が都会に集まり社会を形成することは

表裏のことと指摘されている

子供時代に田舎でドパミンレベルと行動パターンがセットされた個人が

都会に住む場所を変えて仕事も変えて対人関係様式も変える

そこに発病の機会が発生する 



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不適応行動の治療-2

現実の状況に対して
行動が不適切である場合
を考える

人間はそれぞれの場面で
自分なりに最も適切と思う行動を選択しているのであるが
例えて言えば算数の計算間違いのような形で
不適応を起こす場合がある
その場合は原則もなにもなくて
ただ頭が混乱していると考えていいと思う
そのような場合が圧倒的に多いし
多いのだからむやみに重症になったりはしない

そうでない場合があって
それは現実の場面があまりに難問であるとき
人間は考えることをやめて
過去の行動パターンでやりくりしようとする

精神分析では退行という

脳科学で言えば
新しい行動パターンによって抑制されていた古い行動パターンが
新しい行動パターンでは適応不可能だと判断したときに
使われる

古い行動パターンというのは
一つには自分の経験での過去の行動パターンである
子供時代の行動パターンなどになる
もう一つは進化論的に古い行動パターンのこともあって
それはたとえば哺乳類としての古い行動パターンということになる

それは胎児期の脳の形成という事にもなり
たとえばトランスパーソナルで言われているような
胎児期の記憶とか
出産時の外傷記憶とか
に関係するのかもしれない

もちろん個人の体験として哺乳類の発生の過程は
顕在的記憶にはないのであるが
そして意識を中心として心理学では解釈が難しいのであるが
個体発生のそもそもから考えれば
個体発生は系統発生を反復するのが原則であって
脳もそのようにできていて
上位機能が壊れると下位機能が顕在化することは
原則のとおりである

そのような観点から
(1)精神病理を個体発生の観点から、生活史をさかのぼって検証する
(2)精神病理を進化論的に系統発生的に検証する
この二つの観点は同じものだということができる

ーーーー
古いものが下位にあり
新しいものが上位にある階層構造を考えて
どこかの部分が壊れたときに
そこから上位の機能は失われて
そこから下位の機能は顕在化する
ジャクソニズムを簡単にいえばそういうことになる

目の前にある精神症状は
上位機能の喪失と
下位機能の顕在化の
ふたつの混合である

ーーーー
臨死体験というものがあり
かなり共通した証言をする

なぜだろうかと考えるとき
臨死体験の時には
出産時の記憶を反復するのではないかと
個人的に考えることがある

出産時の記憶は
多かれ少なかれ似ているのだから
臨死体験も非常に似たものになるはずである

上位機能が次々に失われていって
最後に見えるもの






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不適応行動の治療-3

現実の問題に対して不適切な対処をしている場合
それは病気なのかどうか
問題になる

病気というものは
障害に対応する物質的構造変化の病理所見があって
はじめて病気と言うべきである

そのような病理所見がないのに
病気と安易に言うべきではない
しかし
障害概念であれば
本人にとって不都合があると言う観点で語ることができる

さてその場合
心理的な次元のことが原因で混乱が生じるものなのか 
あるいは生物学的な次元のことが原因で混乱が生じるものなのか
議論がある

日常体験の延長で言えば
ストレスが引き金となって
抑うつや不安が発生することの方が理解しやすい

しかし実際には
生物学的に病気になる準備がすでにできていて
その上に何かのエピソードがあり
本人としては障害が発生したと自覚できる場合が多いのではないかと私は感じている

疾病の準備性といっていいものは
やはり生物学的なものなのだろう
ストレス脆弱性仮説である

そこにきっかけ、つまり、結晶が析出するきっかけになるような出来事があって
症状は発生する
疾病の準備性(日本語として誠になじまない言葉ではあるが)を自覚することはできないので
それが困ったところだ


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Cognitive–analytic therapy Chess Denman

Cognitive–analytic therapy

  1. Chess Denman

+Author Affiliations

  1. Chess Denman is a consultant psychiatrist in psychotherapy at Addenbrookes Hospital (Department of Psychological Treatments, Box 190, Addenbrookes Hospital, Hills Road, Cambridge, CB2 2QQ). Dr Denman is a founder member of the Association of Cognitive Analytic Therapists and Vice Chair of its training division. She is also an Associate Professional Member of the Society of Analytical Psychologists. Her interests include evidence-based practice and the integration of cognitive and cognitive–analytical approaches.
  • This is the first in a series of papers in APT to be devoted to innovative cognitive psychotherapies. Future papers will discuss very brief dynamic therapy (Aveline, 2001), problem-solving therapy (Mynors-Wallis, 2001) and dialectical behavioural therapy (Palmer, 2001).

Cognitive–analytic therapy (CAT) is a brief focal therapy informed by cognitive therapy, psychodynamic psychotherapy and certain developments in cognitive psychology. It was developed by Anthony Ryle specifically in response to the needs of the National Health Service (NHS) for treatment approaches of short duration. However, it has advanced far beyond its initial aims and is now a well-developed self-contained methodology backed by a fully structured theory of mental functioning and therapeutic change.

Initially, CAT concerned itself with the treatment of neurotic disorders, and it was in this context that the early theoretical and technical elements were established (Ryle, 19901995a). For the past 10 years CAT has turned its attention to the treatment of personality disorders, specifically borderline personality disorder. The need to understand and treat people with this disorder has had a major impact on the theory and practice of CAT (Ryle, 1997). In particular, CAT incorporated ideas derived from both object relations theory and the work of Vygotsky (the Russian psychologist who founded activity theory (Ryle, 1991)).

Basic CAT theory

Two main theoretical structures form the basis of CAT. The first of these is the procedural sequence model, which is an attempt to understand aim-directed action. This model supposes that all aim-directed activity is the consequence of ordered sequences of aim generation, environmental evaluation, plan formation, action, evaluation of consequences and, if necessary, remedial procedural revision (Fig. 1).

Fig. 1

A procedural sequence

Procedural sequences are developed on the basis of experience, and the crucial check step at the end of a sequence means that it is revised if it is not effective. Procedural sequences are therefore usually effective and adaptive. However, some procedural sequences are faulty and they are repeatedly deployed without revision. These cause the repetitive difficulties that characterise some psychological disorders. Procedural sequences include cognitive, motivational, affective and behavioural elements, and Ryle argued that one reason why all psychotherapies have roughly equivalent efficacies is that, for any particular condition, different kinds of psychotherapy may act on different aspects of procedural sequences, but they all beneficially alter a common underlying faulty procedure.

Unrevised faulty procedures

From a review of case notes Ryle described three main kinds of faulty procedure. The first, ‘traps’, represent repetitive cycles of behaviour in which the consequences of the behaviour feed back into its perpetuation. The depressed-thinking trap is a good example of this (Fig. 2). Feeling depressed, the subject acts in ways that make failure and defeat more likely, so that when he or she evaluates the results of the behaviour these are objectively depressing in him or herself. Similar traps describe phobic avoidance, social isolation and other problems.

Fig. 2

The depressed-thinking trap

The second kind of faulty procedure is the ‘dilemma’, which involves the presentation of false choices or of unduly narrowed options. In dilemmas the check step operates but immediately switches the individual to an opposing and equally maladaptive procedure, the check step of which in turn switches back to the first procedure. The placation trap will serve as an example here (Fig. 3). Fearing the consequences of aggression, the individual placates others and allows them to take advantage of him or her; he or she consequently grows more and more cross and eventually switches to an alternative overaggressive procedure with an outburst of anger (often misplaced). The rage, particularly if it is misplaced, often has consequences that are negative or read as negative and the check step switches the individual back to the inappropriate placatory behaviour of the dilemma.

Fig. 3

A dilemma of placation

The final kind of maladaptive procedural sequence that Ryle described is the ‘snag’: the subtle negative aspect of goals. Snags are anticipations of the future consequences of actions that are so negative that they are capable of halting a procedure before it ever runs. Then, because the procedure is halted it is never subjected to checks. An example might be a gay man who is frightened to come out to his family because he thinks “If I tell my mother it will kill her.”

Restricted repertoire of procedures

So, CAT supposes that neurotic difficulty results from the operation of unrevised maladaptive procedural sequences. It was soon recognised that a second cause of difficulty was undue restriction in the procedural repertoire. Causes of procedural restriction include: impoverished environmental opportunities for learning new procedures, for example in cases of emotional deprivation and neglect; deliberate attempts by caregivers to restrict procedural repertoires, for example by injunctions to secrecy in cases of sexual abuse; and difficulty in new emotional learning owing to previously learned faulty procedures, as exemplified in case vignette 1.

Case vignette 1

Jenny (18) had spent her entire life in a children's home. She presented with a complaint of compulsive promiscuity, and at the first interview her intense loneliness was also apparent. She had few friends, only acquaintances. The interpersonal procedural sequences that had served her well in the home, where staff often came and went, favoured both rapid and relatively non-discriminating attachment and equally rapid detachment. Indeed, she was actively discouraged from making close friendships with members of staff. Now, in ‘normal’ life, she continued to deploy these procedural sequences and, ironically, by deploying them she subjected herself to the same experience of loneliness among a shifting population of uncaring others that she had experienced as a child.

Borderline personality disorder

While the original formulation of CAT proved effective for a variety of neurotic disorders, more severe personality disorders did not respond well to the piecemeal approach of defining and trying to mediate individual maladaptive procedural sequences. Patients displayed bewilderingly diverse states of mind and induced powerful mental states in their therapists. To improve CAT's capacity to deal with these patients the theory of reciprocal roles was developed.

Ryle described how our early learning about the social world is stored in the form of internalised templates of reciprocal roles. These consist of a role for self, a role for other and a paradigm for their relationship. Reciprocal roles may be benign and functional or harsh and dysfunctional. Examples include caregiver/care receiver, bully/victim, admiring/admired and abuser/abused. In general, reciprocal roles are commonly shared templates. Therefore, when an individual takes up one pole of a reciprocal-role pairing, the person with whom he or she is relating feels pressure to adopt the congruent pole. When the roles in use are moderate and socially congruent this pressure to reciprocate remains largely unnoticed and is generally appropriate. However, in the therapeutic situation, where fewer environmental cues guide role choices and where the patient's own reciprocal-role repertoire is both unusually harsh and emotionally extreme, the therapist can feel a strong pressure to reciprocate in ego-alien ways. This has been explained in psychoanalytic theory by the concepts of countertransference and projective identification. Ryle (1994a) has argued that although these concepts lock on to important phenomena, the explanations associated with them are unduly mystifying. He believes that the theory of reciprocal roles offers a less complicated, more complete and more transparent explanation of the pressure involved.

Levels of deformity

In its theory of personality disorders, and borderline personality disorder in particular, CAT suggests typical deformities of the internalised reciprocal-role structure. Ryle (1997) allocates these to three levels.

The first level is the reciprocal-role repertoire. In normal individuals a wide range of flexible and adaptive reciprocal-role templates is deployed as needed. In people with borderline personality disorder only a small number of highly maladaptive reciprocal roles are available for deployment. This means that within any social situation these people have only limited and often inappropriate templates to call on when planning action.

The second level is that of switching between reciprocal roles and their graceful deployment. In normal individuals there are smooth transitions between roles, for example, in a teacher's relationship to children in the classroom and to colleagues in the staffroom. In borderline disorder, people are poor at switching between states and often show an oversensitive (‘hair-trigger’) response to small stimuli, resulting in unwarranted state changes. One patient left a psychotherapy session apparently in a reasonable state of mind. However, on her way home the bus took her past a graveyard; seeing it, she at once felt suicidally depressed and was later found wandering along railway track.

On Ryle's third level are our capacities for conscious self-reflection and self-control. These capacities allow us to act intelligently in unfamiliar situations and also deliberately to revise ways of acting that have proved unprofitable. Unsurprisingly, self-reflection is the main point of action for psychotherapeutic intervention. It is linked with abilities such as narrative competence and reflective self-functioning, which are increasingly thought to be important in borderline states (Fonagy & Target, 1997).

In normal individuals, self-reflective functioning can be employed with reasonable ease and frequency. In people with borderline personality disorder, it may be entirely absent. The reasons for this are not difficult to see. Self-reflective capacities are acquired in childhood and reinforced by later development. Self-reflection is learnt chiefly in social interaction with others: the child experiences him- or herself as being reflected upon by others and observes others as they reflect upon themselves. For many adults with the most severe borderline disorder, abuse of various kinds in childhood, combined perhaps with constitutional difficulties in self-soothing that made achieving a calm state of mind more problematic than for normal children, deprived them of the key emotional and social learning experiences that would have laid down strong level-three capacities.

Deficiencies in levels two and three result in the emotional instability, irritability and unpredictability typical of borderline personality disorder, while deformities of the underlying repertoire of reciprocal-role templates result in many of the emotional features of the disorder such as extreme guilt and self-loathing, rage and hatred, abusive behaviour and idealised overattachment. The therapist's experience of being dragged through a bewildering and intense emotional minefield results from the successive induction of emotionally intense (often exceedingly dysphoric) reciprocal-role states in the therapist as the patient moves in an uncontrolled and unreflective way through his or her own disastrous reciprocal-role repertoire.

Case vignette 2

Paul (32) consulted in a blankly suicidal state of mind after his girlfriend left him when he assalted her yet again. He had set a date to die and was, in effect, challenging the assessor to talk him out of it. The assessor felt cross but overrode her feelings and tried to continue the assessment. In the middle of the interview Paul noticed a book on the shelf, The Severe Personality Disorders. He suddenly became tearful, saying “That’s what I am, isn't it? A disorder.” After a moment of genuine grief, Paul became angry and contemptuous of the ‘pathetic’ help being offered.

This snippet of Paul's interview illustrates the roller-coaster emotions he experienced. The assessor formulated the reciprocal roles successively enacted as: rebellious and defiant in relation to challenged authority, followed by miserable and dependent in relation to a (probably) uncaring other, and finishing up with furious and contemptuous in relation to a contemptible and interfering other.

Less severely disorganised personalities and neurotic conditions

The practice of CAT has been shaped by two fundamental considerations. The first is the necessity for therapies to be applicable to the large number of patients who could potentially benefit. To that end, CAT was especially developed with the NHS in mind. As a result, the therapy is brief, focal and relatively easy to teach (at least at a basic level). Also there are very few exclusion criteria and interest among CAT therapists has always centred on treating more severely ill patients. A second consideration has been CAT's self-avowed educational perspective on the process of change in therapy (Ryle, 1994b). CAT therapists see their part as the creation, with the patient, of shared tools for self-reflection, which are then used to understand the patient's difficulties and to make beneficial changes. The key notion therefore is the idea that patient and therapist collaborate in a joint venture in which both bring specialist knowledge to a shared arena. In taking this stance, CAT tried to move away from what it saw as the authoritarian position of psychoanalysis, in which the analyst appears to know the content of the patient's mind and makes interpretations based on a logic that is not necessarily revealed to the patient. At first glance, CAT's educational approach makes it look very like cognitive–behavioural therapies (CBTs), but Ryle is critical of these for being too prescriptive. In fact, CBT practice in relation to the flexibility and type of conceptualisations offered varies. Some CBT therapists offer their patients standard models for anxiety or depression – a practice Ryle would criticise. Others, in the schema-focused tradition, offer conceptualisations very similar to those used by CAT therapists. Ryle's criticisms would be less applicable to these latter variants although, ironically, they share with CAT a lack of empirical validation.

Scaffolding

The work of Vygotsky and the school of activity theory (e.g. see Engestrom et al, 1999) has been extremely important in the development of CAT's approach to therapeutic change. Vygotsky proposed the notion of scaffolding, by which he intended to convey the provision by the teacher of just sufficient support to allow students to do with the teacher what they cannot yet do alone. Vygotsky's scaffolding consists in the provision of theoretical knowledge, which the student assimilates by repeated application in practical situations. In CAT, the shared tools for self-reflection that therapist and patient create are the theoretical scaffolding and are unique to each patient. From a CAT point of view, CBT runs the risk of using scaffolding that is too constrictive, while psychoanalytic therapy provides insufficient scaffolding.

Another element of the scaffolding provided for therapist and patient in CAT is the timetable of therapy.

The timetable of therapy

In the first session, as with most therapies, the therapist concentrates on three key tasks. First, a therapeutic alliance must be built in which the patient is helped to feel that work in therapy will be beneficial and worthwhile and that the therapist can be trusted. Next, the patient's story must be gathered. The final task is to give the patient an understanding of the nature, mechanism of action and process of CAT. CAT therapists use open questioning, descriptive reframing and any other methods that seem appropriate to gather history. They give an open account of the nature of therapy and they tend to check the state of the working alliance by asking what the patient thinks and feels about the session as it progresses. At the end of the first session the therapist is very likely to set homework. This will often involve filling in a questionnaire, known as the psychotherapy file, that describes common maladaptive procedures. It may also involve a number of further tasks (such as the drawing up of a life line) designed to flesh out the patient's history.

In the second session, the therapist continues to gather the patient's history, but also begins to work with the patient on constructing a list of the main problems (known as target problems) that the patient is experiencing. A homework commonly set at the end of the second session is the keeping of a diary that monitors the target problems and looks in particular at behaviours and feelings that trigger them.

By the third session, the gathering of the history should have begun to allow the patient and therapist to gain a sense of the main repetitive maladaptive cycles of thinking and acting that the patient gets into and of the main reciprocal roles that the patient deploys. To the extent that this has been possible, the third session can be spent jointly constructing a reformulation of the patient's difficulties.

In the time between the third and fourth sessions the therapist writes a letter to the patient, called a reformulation, which sets out the patient's difficulties as described to the therapist and the understanding of those difficulties that patient and therapist have reached.

The reformulation letter

The reformulation letter most often begins with a narrative account of the patient's life story, because this account makes clear the developmental origins of repetitive patterns. It moves on to outline the current situation, the main problems and the repetitive maladaptive procedures that underlie them. Many reformulation letters also contain a diagram that lays out the repertoire of reciprocal roles used by the patient, the procedural sequences that they deployed around those roles and the symptomatic consequences of those sequences. Patients respond to reformulation letters in a wide variety of ways, which are often related to their underlying problems. Very many of them find the experience of being written and thought about in this way both arresting and moving. They are, without exception, encouraged to annotate, improve, alter and interact with the reformulation letter in negotiation with the therapist until it can become the basis for the rest of therapy.

The following are extracts from the reformulation letter written to Jenny.

Dear Jenny, you came to therapy complaining that you find yourself having sex with people who you did not want to be having a relationship with. You told me you had no close friends and we agreed that you were very lonely. The home you were brought up in must have been a terrible experience for you. With no one secure that you could turn to it is clear that you grew up very fast and you learnt to get support and love wherever it was available. [...]

We have talked about a pattern you learnt of clinging on to anyone who seems to show you affection and then of dumping them quickly as soon as it looked as though they might leave. I think that this pattern, which served you when you were a child, is now a problem for you. As soon as a man seems attracted to you, you cling on and end up having sex. Sometimes you part because neither of you has any great interest in a relationship. Other times (as with Simon) you leave something which could have been promising because of a slight disappointment. [...]

Changing maladaptive procedural sequences

Once a reformulation has been established the task of therapy changes. Now the aim is for the patient, at first with the therapist's help but later independently, to become able to recognise the operation of maladaptive procedural sequences or reciprocal roles as they occur in everyday life. A useful feature of maladaptive procedural sequences is that they are frequently employed in a wide range of situations and can therefore be recognised in both major and minor guises. For example, given that most patients present with interpersonal problems it is not surprising that maladaptive procedural sequences come to be operative within the interpersonal setting of the therapy session. CAT therapists try to predict, on the basis of the reformulation letter, the likely transference and countertransference feelings and enactments that will become active during sessions. When accurately anticipated and identified, maladaptive procedures that operate within the session can be used as occasions for learning and change, and the possibility that they will interfere with therapy can be reduced.

Jenny's therapist was a woman, but even so she anticipated that she would be come a figure of both anticipation and disappointment to her patient. She was meticulous about inquiring how Jenny felt about breaks in the therapy and was exceedingly careful to discuss at length the end of therapy and feelings it might arouse in Jenny. Initially, Jenny tended to dismiss this sort of inquiry as “therapy stuff”, but after the therapist cancelled a session owing to illness it was possible to explore feelings of disappointment and a wish to leave therapy and not come back.

As patients improve their ability to recognise the operation of their maladaptive procedural sequences and reciprocal roles, they often spontaneously begin to try out new ways of behaving. The therapist can assist this process by positively encouraging change, using active role-play techniques or brainstorming solutions with the patient. The procedural understanding of the patient's difficulties often suggests ‘exits' in general terms, and the patient and therapist work together to develop these into particular lived out solutions.

By now, therapy is nearing its end (CAT is traditionally 16 or 24 sessions long). As with all brief therapies, termination has been explicitly discussed since the very first session, and CAT therapists handle termination issues in much the same way as other brief therapists. However, the reformulation provides CAT therapists with a major tool for anticipating the likely reactions of the patient to the loss of therapy, and patient and therapist can talk through these anticipated reactions at appropriate points during therapy, as was the case with Jenny.

The goodbye letter

In the penultimate session the therapist gives the patient another letter, known as the goodbye letter. This briefly outlines the reason the patient came to treatment and recounts the story of the therapy. It tries to give an account of what has been achieved during therapy and also to mention things that have not yet been achieved. The letter outlines the therapist's hopes and fears for the patient in the future, sketching out ways that understandings reached in therapy might be used helpfully. Many patients choose to give the therapist a goodbye letter of their own. A follow-up session is booked, generally for 3 months hence. This allows evaluation of the effects of therapy. There is often evidence of continued improvement during that period.



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この人生のちぐはぐさ

この人生のちぐはぐさは

たとえば

掛け算をやっと覚えたのに

電卓を買ってもらった子供みたい

知っていて悪いこともないけれど

知らなくても全く支障はない 



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熱い人

渡邉:今回は中学校で陸上競技日本一の教え子をたくさんつくられた原田先生を講師に迎えて話をうかがいたいと思います。

 原田先生は20年間中学校の教師をされ、大阪の荒れた学校を立て直し、7年間で13回、生徒を陸上競技日本一に導きました。その後、教育関係の会社を立ち上げ、現在は「原田教育研究所」の代表を務めていらっしゃいます。では、お願いいたします。


原田隆史氏
原田:今日は起業のための教育ということで、渡邉さんから依頼をいただきました。私は「仕事と思うな、人生と思え!」をテーマに話を進めたいと思います。目の前のことに全力投球、手抜きをしないでやりなさい、ということですね。

 私が中学校で3年間育てた子供が、どういう大人になったかを追跡調査しました。例えば、世界の女性指揮者の中でナンバー1と言われる西本智実が私の最初の教え子でした。ほかにも、スポーツの世界ではアテネオリンピックの水泳バタフライで銀メダルを取った山本貴司とか、政治家とか、いろんなすばらしい人がいます。

 世の中で本当にリーダーとして活躍して、結果を出す人から感じられる生き方の姿勢を一言で述べると、「仕事と思うな、人生と思え!」です。目の前のことにひたすら全力投球するということです。

シナリオストーリーとセルフイメージ

 人が結果を出すためには、戦略や戦術が必要です。私は「シナリオストーリー」と呼んでいます。シナリオを描いて、それが頭の中で鮮明になってきたものを「イメージ」と言います。

 人はイメージの生き物です。自分に対してイメージしている通りの人間になるんです。これを「セルフイメージ」と言いますが、そのイメージを仕事や日常生活で向上させなければなりません。そのイメージを鮮明にするためには我々はどうすれば良いのでしょうか。

 1番目は映像にすることです。実際に絵で描いてみたりするのもいいでしょう。

 2番目は、その本当の目標や目的が達成したときの状況を音で表現することです。

 陸上競技を指導していた私の経験ですが、日本一の瞬間、聞こえないはずの砲丸の着地音が「ドーン」と心臓に響いたのを聞いたのです。そして、その時に聞こえてきたのは「ヤッター良かったね。おめでとう!」でした。 その成功、達成した瞬間の音を聞くのです。

 3番目は、それが本当に達成した時に体でどう感じるかです。心臓のドキドキバクバクを感じるでしょうか。額から汗が一気に吹き出すでしょうか。たぶん渡邉美樹会長が最初に株式を公開した時に、証券取引所で鐘を鳴らしたと思うのですが、どうでしたか。


渡邉美樹(筆者)
渡邉:今、原田先生が言われたように、私は起業して10年で店頭公開という夢に日付を入れました。実際には2年遅れましたが、12年間「店頭公開」という言葉を意識しない日は1日もありませんでした。毎日、毎日、日付を入れイメージしてきました。だから当日は不思議な気持ちであり、これからが本番だという思いでした。

原田:そうなんですよね。完璧なイメージが既にできていた。

 起業を目標にしていて、それが達成された時はどういう気持ち、感情なのでしょうか。そして、上記の1、2、3をまとめて、その気持ち、感情を言葉にするとどうなるのでしょうか。きっと「幸せ」でしょう。 幸せな感情をいっぱい感じるでしょう。これが4番目の切り口で、この「幸せな感情」をリアルに引き出し感じるのです。

 私はプロゴルフもラクビーもプロ野球も知りませんが、なぜそういった人たちを指導して結果を出せるかというと、成功したときのイメージをリアルに引き出し、作ることができるのです。

 最終的なゴールのイメージを、映像、文字、音、体内の変化、その時に感じる幸せな感情でリアルに表現します。そしてこれらを何度も繰り返し、成功のイメージをリアルに引き出し、作ることができるのです。

 その感情を感じながらイメージトレーニングをすることが大切です。

 普段、24時間何気なく生活していた人が、その自分の最終ゴールをイメージし、反復すると、ゴールに対する工夫とか、ヒントとか気づきとかのイメージが湧いてくるようになる。だから強く強く願わないとダメなんです。そうすると長期的なやる気、モチベーションが湧いてきます。

やる気には2種類ある


 人の「やる気」には2種類あります。「長期的なやる気モチベーション」と「短期的なやる気テンション」です。朝起きて、自分がちょっと元気がなくてテンションが下がっている時は、自身のテンションのスイッチを入れるために、何かしないとダメなんです。あなたが社長なら朝、出社して社員に元気がないなと思った時は、何かをしかけなければなりません。

 大きな声を出すとか、笑わせるとか、体を動かすとかしますね。気合いを発するとか、動作を変えたらいいんです。音楽を聞いたり、元気の出る写真を見たりするのもいい。瞬時に下がっていた自分の心が、パッと上がるような技を持ちましょう。

 そして、長期的にやる気を高めるためには、目的、目標設定です。未来に「こうなりたい」「こうしたい」というゴールをしっかりと作りましょう。

渡邉:原田さんは中学校の陸上競技で日本一の選手をたくさん育てられたそうですが、どのように指導されたのですか。

原田:私は中学校の教師をしていた7年間で、教え子が陸上競技で13回、日本一になりました。日本一は技術でして、作るんです。

 私もはじめは、日本一をつくる優秀な先生が、高い資質や能力を持った子供と出会って、日本一が誕生すると思っていました。全国大会で賞状やメダルを取るのは、すごい先生がすごい生徒と出会うしかないと思っていたわけですね。ところが、それは違った。ある県の山間部の学校で、生徒数が60人しかいない学校からも日本一が生まれるのです。

 校長先生が陸上部の監督をされていたので聞いてみました。「原田君、陸上部の日本一はつくるんだよ。生徒を待っていたらダメです」とおっしゃいました。目からウロコが落ちましたね。「生徒を待ってはダメ。待つ教師はダメだった時、子供のせいにする。だから、あなた自身で作りなさい。そのためには目標と目的、そして計画が必要です」。言わんとするのは、日本一を連続して育成するためのスキルがこの世に存在するということなのです。 

仕事をしながら、自分の心を高める

 また、日本一を育成する中で、私が目指したのは「自立した人」です。人は人格の土台の上に能力を発揮します。勉強ができる。スポーツができる。仕事ができる。これらは素晴らしいことです。でも、そのことばかりに長けていて、人格、人間性、心の面の成長が乏しかったらどうでしょうか。

 芸能で優れていても薬物犯罪に加担したり、優秀なスポーツ選手が破廉恥な事件を起こす例があります。仕事、スポーツ、勉強の成果、人としての人間力、心の面のバランスが必要だと思います。渡邉会長いかがですか。

渡邉:まさしくその通りです。

原田:私はまだまだ人間的にも成長が必要と自覚しているので、何かあればお寺に行っていました。でも、お寺に行く時間もなかなか取れなくなってきたので、仕事をしながら同時に人格を磨きたいと思うようになりました。仕事をしながら、自分の心の面を同時に高める方法はないか考えたのです。そして世の中のモデルを研究している中から見つけました。

「人を助ける」
「仲間や部下を教え導く」
「自他を愛する」

 この3つでした。

 つまり、仕事、勉強、スポーツをしながら、助ける、教え導く、自他を愛する、ということを同時に行えば自立心が養えるのではないかというのが、私の仮説でした。

 それを家庭教育プログラム、学校の先生育成プログラム、企業の人育成プログラムに入れてみました。そうしたら、指導していた人々が自立し始めたのです。これを「心づくり指導」、「原田メソッド」と呼びます。

心のコップが上を向いている人

 私はかつて「現在は頑張れても、未来は分からない」と教わりました。だから、しんどいことがあると、「どうせ無理」と思ったり、口癖のように言っていました。なぜと聞かれたら、「そんなことはやったことがないから」と答えていました。

 ところが、とても荒れていた学校を立て直した先生や、荒れていた職場を日本一にした経営者たちの思考法は、私と全く逆でした。優秀な指導者は、まず未来をつくります。「目標は陸上競技で日本一。目的は生徒の自立、そして、学校地域の誇りプライドを再生する」という具合です。


 未来を表すキーワードはいっぱいあります。目的、目標、ミッション、ビジョン、思い、志、理念、夢など。それをまずつくって、そうして設定した未来から、現在の自分を見る。すると、現在と未来のギャップを感じます。

 何かを成そうとする人は、そのギャップでイライラしたり、焦ったりする。それをモチベーションと言います。モチベーションというのは、何か頑張った後に得られる報酬とかお金だけではないのだということも私は学びました。 

 では過去はどうしましょうか。明解です。どうすることもできないから置いておくのです。これで気が楽になります。私は教師生活の中で教え子が命を失うという、とてもつらい経験をしました。ですが、過去は仕方ないからいつまでもクヨクヨしないで、ひとまず置いておこう思うと心が癒されたのです。

 そのような発想ができる人を「主体者意識のある人」と言います。これを私たちは「心のコップが上を向いている人」と言います。本気、真面目、真剣、積極的、素直――。コップが上を向いているから、我々もスキルやノウハウの方法を注げる。そして、結果が出るということです。

顔につばを吐いて「死ね」と言った生徒

 もしこの心のコップがふさがっていて、常に被害者意識で「どうせ無理」とまず思うような思考では、たとえ“達人教師”に指導を受けても結果は出せない。昔の私はそれを、スキルやノウハウのせいだとか、学校や地域が荒れているから私のやり方がうまくいかないとか、親が悪いとか思っていました。

 私の心のコップが下を向いていたからです。どうせ無理と思う人は、過去にとらわれています。そして未来が描けないのです。描こうとしないのです。皆さんこれはやめましょう。そして、心のコップを上に向けながら主体者意識で頑張りましょう。

渡邉:では、人の心のコップを上に向けるためには、どんなことをすれば良いのですか。

 私は20年間で3つの学校を回りました。最後の大阪市内の学校は当時、多くの問題を抱えていました。暴力を振るう生徒もいました。でも、そういう暴力的なエネルギーは、裏を返せば、すごい力があるということです。目標や方向性を与えてやれば結果が出ると確信したので、やる気が湧きました。

 そこでまず「校門指導」を始めました。朝、学校に来る生徒に「おはよう」と挨拶するわけです。すると、ある生徒は私に「死ね」と言いました。「お前、心が歪んでコップが上向いてないやろう」という状況です。そこからのスタートでした。


渡邉:それはまた、すごい状況ですね。そこから立て直そうと思うのはすごい覚悟だったと思います。

原田:地域の小学校から私の中学校に入ってくる生徒のうち4分の1ほどが、私立中学など他校に行きます。お金持ちや教育熱心な家庭の子供は、しんどい学校に来ません。そのことを子供たちもよく分かっていて、「どうせ俺らはダメや」という気持ちになっています。夢や、目標、自身やプライドなどなかったのです。

 私は周りの先生や大人に「この学校を日本一の学校にしましょう。1年で落ち着いた、みんなが行きたくなる学校にします。そして3年後に陸上競技で日本一を達成します。みなさん協力して下さい。またそれぞれが何かを目指すよう、お願いします」と言って、スタートしました。

 まず、陸上部の子供たちを集めました。当初はだらしなかったです。「こんにちは。原田や、今日からみんなの監督や。みんなも俺のこと知ってるやろ。みんなを日本一にするから頑張ろう」といったら、即座に「どうせ無理や」と返ってきました。万事、そんな感じです。

 家庭訪問をして調べてみると、経済的に厳しい家庭や母子家庭,父子家庭、不在家庭などがありました。とてもかわいそうだったのは、お父さんとお母さんが共に亡くなり、ほとんど子供たちだけで暮らしているという家庭でした。中には親が犯罪を犯し、離れて暮らしているという者もいて、自分もいずれそうなると思い、最初から未来を悲観していました。だから、荒れるんです。

 私は「親は関係ないやろ。俺はそんなことでお前を蔑視しない。そんなことお前と関係ない」と、そこから話をしていきます。そして「一緒になんとしても日本一を目指そう」というところまで持っていったわけです。

 かと言って、金髪、たばこ、ナイフをとがめると、ワーっと言い返してくる。親が刑務所にいて、自分もいずれそうなると思っていて、最初から未来を悲観しているから荒れるんです。私は「親は関係ないやろ。俺はそんなん知らんし」と、そこから話をしていきます。そして「一緒に日本一を目指そう」というところまで持っていったわけです。

掲げる目標は一貫して「日本一」

 私は20年間教職に就きましたが、掲げた目標は一貫して「日本一」なんです。ですが最後の中学校に行くまで、13年間は日本一はありませんでした。ところが、最後の中学校に転勤して、とても厳しい環境や生活の子供たちに出会って、わずか7年で13回、日本一を取ってしまったのです。

 それは私の中に大きな変化があったからです。目標は20年間変わらず日本一だったのですが、私はここで初めて「目的」を持ったのです。この子らを自立させる、この子らに人として自信を持たせる、そして、この地域や学校に誇りを持つこと。それが目的です。

 目標は陸上競技日本一。目的は子供の自立、地域の誇りプライドです。それを私も持った。そしたら、エネルギーが200倍になり、その結果が一気に日本一になったわけです。

 ここまでは、全体のお話をしました。後半は学校や組織を日本一にするために取り組んだ実際の集団の育成方法と、個人を日本一にするための極意をお話ししたいと思います。

渡邉:原田さんにはここまで、大阪の荒れている中学校を落ち着かせ、陸上競技で日本一をたくさん取らせた経験などを語っていただきました。続いて、日本一にするために取り組んだ学校や集団の育成方法と、個人を日本一にするためのコツをうかがいたいと思います。

原田:では、より具体的な話をしていきたいと思います。


原田隆史氏
 1年で学校の秩序を回復させ、安心・安全な学校にする。犯罪をゼロにし、いじめ不登校を減らす。3年で陸上競技日本一。そして、経済的に恵まれない生徒から奨学金をいただき、授業料免除で進学させる。この二つを達成し、生徒、教師、地域の自信と誇りを再生し、「やればできる」の本気を育成する。ハッキリとした目標と目的です。1年後と3年後に必ず結果を出さなければならない。という崖っぷちに立ちました。まず学校を日本一にするために、人のコップを上に向ける取り組みから始めました。

 人の心のコップを上に向ける所、すなわち禅寺に修行に行き、3つのことを教わりました。また、荒れている学校を短期間で立て直した教師を訪ねたところ、驚いたことにお二人ともそれと同じことをされていました。やはり、仕事や勉強、スポーツを教える前に、人の真面目で積極的な態度や、真剣な姿勢を育成しておかないと、成果は出ない。必ず3つのことをするんだということです。

パフォーマンスの伸びしろをつくる

渡邉:その3つとは何ですか。

原田:それは、「時を守る」「場を清める」「礼を正す」です。

 つまり時間厳守、荒み除去、お掃除、お手伝い、奉仕活動、挨拶と返事、ありがとう、といったものですね。人の心のコップを上に向ける「再建の3原則」と言われています。

 学校でもこの3つを徹底させました。赴任した時は、80名の授業で50名が遅刻、一つのクラスで忘れ物250個という驚くべき状況でした。荒れている学校では、廊下や階段はガムと唾だらけで、ゴミ箱はいつも満杯のままです。「おはよう」と言っても無視、場合によっては「死ね」ですからね。

 学校でもこの3つを徹底させました。赴任した時は、生徒も先生も時間を守っていませんでした。保護者も授業参観で時間通りに来ないのですよ。廊下や階段はガムと唾だらけで、ゴミ箱はいつも満杯のままです。「おはよう」と言っても、返ってくるのは「死ね」ですしね。

 だから、再建の3原則は本当に大事だと思います。そして、奉仕活動や清掃活動を続けると、人の心のコップが上を向いてきて、精神的に安定します。そして、心のコップが上を向いている人が頑張って活動を始めると、周りの人はノウハウを教えてくれたり、困っている時に助けてくれたりするようになるのです。

 つまり心が一番重要です。仕事、勉強、スポーツ、人生のパフォーマンスに一番影響を及ぼすのは心です。「心身一元論」です。心も体も健康で体力があり、私生活を充実させることによって、パフォーマンスの大きな伸びしろができるのです。

 やはり、心のコップが塞がってしまい、生き方の態度や学ぶ姿勢が悪いままでは結果が出ない。そして、人の心のコップを上に向ける態度や姿勢は、教育によって改善することができると私は悟ったのです。

人の関わりは3種類

 職場や学校、家庭での人と人との関わりは3種類あります。

 1つ目は厳しくする。慣れあいになってはいけません。
 2つ目は、優しくする。悩みがあったら真剣に聞いてあげてください。
 3つ目は楽しくする。盛り上げて元気を出しましょう。
 厳しい関わり、優しい関わり、楽しい関わりというのが、家庭、学校、職場にバランスよくあると非常に良いのです。

 この3つの関わりを日々行いながら、我々は学校マネジメント、職場マネジメント、家族経営、すなわち、家族マネジメントをするのです。

 そこで、職場や学校、スポーツクラブ、組織や集団を上手にマネジメントしている人にコツを聞きました。すると、異口同音に同じことを言いました。それは「アメとムチ」です。

渡邉:職場のマネジメントのアメとムチとは何ですか。

原田:アメとは、仲間、社員、部下に対して優しく、楽しく関わること。そして、ムチとは、厳しくするということです。

 職場を上手にマネジメントするリーダーはいったい何によって厳しさを発揮しているのか。それは、結果を出すためのルール、職場を生き生き元気にするための約束事なんです。徹底すると、職場の人間関係のトラブルが減少し、職場に秩序ができて、ピリッとした空気になり、結果につながります。


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 繰り返しますが、組織職場のマネジメントは、優しい関わりで人を元気にしながら、職場のルール、マナーを皆で共有し、それを徹底してピリッとさせることです。

 そして、マネジメントのコツは、上司が仕事や部下への思いをしっかり語りながら、職職場全体の様子をつかみ、全体に対してかかわることと、その職場の中にいる社員一人ひとりに対して、個別にかかわることが大切です。個人に対しての関わりと、職場全体に対しての関わりの2つが必要です。個人にばかり関わって、会社全体を放っておいてはダメなんです。その逆も要注意です。

職場と個人を「アセスメントする」

 人は4種類に分類できます。

満足群:元気があって、自分の仕事の規律、約束を持ってる。
承認群:結果は出せているが、元気がない。
配慮群:元気はあるが、結果はまだ出ない。あるいは誰かとトラブルを抱えている。
成長群:急いで助ける必要がある。結果も出ていない。徐々にだらしなくなって怠惰になり、元気も下がっている。

 こうして社員個人や、職場の状態を観察します。これを「アセスメントする」と言います。アセスメントできると、改善のアプローチが見えてきます。これはたいへん大切なことです。職場や個人を用意にアセスメントできる力を持てば的確なアプローチができるのでエリアマネジャーになれます。優秀なマネージャーは職場の空気を感じるんです。

 こうやって、アセスメントとマネージメントする力があると、多店舗展開もできますね。ワタミの店長やエリアマネジャーはいかがでしょうか。だいたい合ってますか。

渡邉:その通り、合っています。優秀な店長やエリアマネジャーのいる店舗は良い空気が流れ、売上も自然とついてきます。

4種類の「ストローク」

原田: 次に、ストロークの勉強をしましょう。ストロークとは心理学用語で「心の栄養」という意味です。

 人は食事の栄養で体を作ります。その一方で、人とのコミュニケーションでやる気や元気を作ります。これを心の栄養、つまりストロークと言うのです。

 ストロークには種類があります。

[1]肉体的ストローク:人を肯定する方法には、握手をする。ハイタッチ、肩を叩いて送り出す。などのスキンシップがあります。

[2]心理的ストローク:あやす、うなずく、励ます、拍手をする、目を見て話す、身を乗り出して聞く、じっくり話を聞く、礼をいう、公正な評価をするなど。最も大切なのは、相手の話に感情移入して、その人の気持ちになって聞いてあげるということでしょう。

[3]条件付きストローク:「そのネクタイ、いいね」「今の電話の応対は良かった」など何が素晴らしいかを具体的に褒める。

[4]無条件付きストローク:「あなたがいてくれるだけでうれしい」といったもの。人の存在そのものに対しての肯定と愛情です。

 ただし、褒めるばかりではダメですので、否定することも必要です。

渡邉:否定のコツは何ですか。

原田:コツは1つ。「部分否定は構わないが、人格否定はやめなさい」です。


 例えば、遅刻をする人には、「遅刻がダメだ」と遅刻に対してのみ部分を否定する。そうでなく「遅刻ばかりするお前がダメだ」「どこかに行ってしまえ」「やめろ」などと言うのは人格否定です。人は人格を否定されるとやる気、元気が下がります。単純ですが非常に大事なテクニックです。

 そして、ストロークの与え方と受け取り方には原理原則があります。意識して、お互いを元気にしようと思ってストロークを与えてください。挨拶は挨拶だけの意味ではありません。相手を元気にするための「おはようございます」を意識してストロークを与えると、響くように返ってきて自身も元気になるんです。

 ストロークは、欲しくなったらもらいにいってもいいですよ。自分の元気が下がってきたら、身近な人で、皆さんのことを理解してくれ、元気をくれる人のところへ行き、一緒に食事をしたり、お酒を飲んだり、話をしたりする。お菓子を食べてお茶を飲む。それでいいのです。

 ストロークを与えてくれる人を「メンター」と言います。心の友、メンターを意図してたくさん持ちましょう。そして反対に、自分のところに「元気をください」と頼って来る人を「メンティー」と言います。身の回りに、メンターやメンティーがいるか、ぜひ考えてください。 

プラスの習慣を形成する

 最後は個人の能力発揮についてです。

 私が教師を務めた松虫中学校では(前回参照)、時を守る、場を清める、礼を正す。を実践して、問題が急速に減少し、校内での暴力事件はなくなり、1年間で学校は生まれ変わりました。

 次は、二つ目の目標、個人パフォーマンスを高め、陸上競技で日本一を目指すことに注力しました。そこで、個人で極めて高い結果を何度も出している人や指導者から学びました。すると明らかな4つの共通する特徴がありました。

 1番目はやはり決めていました。目標と目的をを定めていることです。例えば「オリンピックで金メダルを取る」。

 私はそれまで目標をはっきり決めていなかった。頑張って教えて精一杯教育して強い選手を育成しよう。「今日も頑張って仕事した、陸上競技を教えた。ビールがうまい」という感じです。その時はあまり結果が出ない。頑張ることが目標になっていたからです。頑張るのは当たり前で、その上で具体的にどうしたいという目標、目的のゴールをセッテイングしなければなりません。

 2番目は「勝利意識」です。敵は誰でもなく自分であり、自分と戦う覚悟を決めなければなりません。やると決めたら、最後までやる。勝利意識は続けることで強くなります。

 3番目は、プラスの習慣を形成することです。パフォーマンス向上のために、毎日継続して何かをやります。例えば、職場に一番に出社し、清掃をする。出張先から家族にメールをしてストロークを与える。などでも良いです。仕事、起業にも役に立つような習慣を形成します。

 4番目は、毎日思考することです。つまり、毎日、目標や目的を考えていないと絶対ダメです。そして、日々思いついた工夫やヒントは文字にして書き留める。それをためていき、折に触れて見るようにします。すると頭の中でのイメージがだんだん鮮明になってきて、成功の確度が段違いに上がるようになります。

 この4つが個人パフォーマンス向上の原理原則です。これは「心づくり指導」と呼び、教育の中に入れました。

我々の未来には4種類


渡邉美樹(筆者)
渡邉:なるほど。改めて整理していただくと、自分で実践しやすくなりますね。では、具体的に未来の夢を実現させていくための方法論などはあるのでしょうか。

原田:我々の未来には4種類あります。それは、


[1]自分の形ある有形の未来(目標や目的)
[2]自分の無形の心の喜び
[3]社会他者の有形の形ある未来
[4]社会他者の無形の心の喜び。です。

 プロ野球、福岡ソフトバンクホークスに和田毅投手がいます。彼の有形の目標は、年間20勝です。

 彼は1球投げるごとに、また、1勝するごとに、ワクチンを寄付しています。そのワクチンでアフリカなどの子供たちを病気から救っているのです。つまり、彼が勝てば社会他者、つまり幼い子供たちの命が救われるという具体的な感覚を持ちながら、年間20勝頑張ろうとしている。言い換えれば、和田投手は「自分の形ある未来の目標」と「社会他者の形ある未来の目標」を共に感じながら生きているのです。

 もう1つ、和田投手は年間20勝すると「自身の無形の心」すなわち、人の命をワクチンで救えるという、自信や満足感を獲得します。そして、子供たちはワクチンにより命が救われるという夢や希望を持つことができます。自分の活動が見えない社会や他者に勇気や元気を与えることを感じながら頑張っています。

具体的な未来を書く

 次に達成するための方法論です。より具体的な未来を描きます。達成期日を決めて、達成したか否かを判断できる形で書く。ただ単に「頑張る」とかではダメです。そして、文頭は「私は」から始めます。

 次は「それが達成できたら、自分の心の中はどうなるか」を書く。「自信がつく」とか「元気が出る」とかですね。私は陸上競技で日本一の監督になった時に、「自己超越」「至高体験」を感じました。

 そして次です。有形の目標を達成して心が喜びで満たされた時、家族や地域の人々、部下、同僚、仲間などにもたらす具体的なプラス成果を書きます。起業に成功すれば、雇用を創出できるとか、社員の給与が上がるとかです。

 最後は社会・他者の無形です。目標を達成した時、地域に対して何を与えられるでしょうか。地域の元気、誇り、プライド、やる気…。それを4つ目の未来として書きます。

 4つの未来のうち、どれか1つでも未来が生まれた瞬間に、実は、我々は同時に4つの未来を持つことになるのです。それを気づいていないだけです。勇気と自信を持って、そのことに気づきましょう。

渡邉:これで自分を奮い立たせる方法はいくらでも工夫できそうな気がしますね。「4つの未来」の使い方もアレンジできそうな気がします。

原田:世の中には「たすき掛けの法則」というのがあります。社会他者の無形の喜びを増やせば増やすほど、自分の有形の目標、目的が促進されるものです。そして、自分の無形の心の喜びを増やせば増やすほど、精神的に余裕が生まれるので、他者の有形の目標をお手伝いします。

 我々は、自分のことと他人のこと、見えるものと見えないものを同時に感じながら、4つの未来の中で、たくましく生きています。今まで、プロスポーツ選手から、芸能人、国内外の企業経営者の方まで指導した経験がありますが、「社会他者の無形」が大きくて「自分の有形」を達成できなかった人はいません。確率論的に言うと、無形が大きくなればなるほど達成の可能性が高まるのです。

絡めるほどモチベーションが高まる


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 このように未来の4つの目標、目的をしっかりと考え、意識すればするほどモチベーションが高まります。ですから、長期的なモチベーションは、その人の未来の目標、目的のとらえ方と感じ方にかかっているんです。ここが一番大事なところです。

 自信のない、ちっぽけな未来の目標、目的を薄い鉛筆でサラサラっと書く程度ではダメなんです。自分でしっかりと4つの未来を考え、とても強い思いや願いをかけながら、いつも周りの人を元気にするような本当の目標、目的を作って欲しいのです。

目標には期日を入れる

 前回学んだように、目標を達成した時、どんな状況が映像として目の前に広がるでしょうか。どんな音が聞こえますか。体はどんな感じがして、どう反応するでしょうか。その時の気持ちは。これら五感と感情をすべて使いながら未来をリアルに体感してください。しかも楽しく、ワクワクとです。

 それを今の言葉で言うと「イメージトレーニング」となります。これが最新式の未来づくりの簡単なやり方です。ここまでできたら後は簡単で、最終ゴールに向けて毎日、何かを続けてください。それを「ルーティン行動」と言います。そうすると、習慣が形成されて、潜在意識の中の97%を占める「無意識」が勝手に働くので、自然に結果が出るようになります。

 次に、「いつまでに」という途中経過の期日を入れることです。そして最後にもう1つ、支援者・助けてくれる人を作ることです。絶対に1人で成功はできません。

 繰り返しますと、「明確な未来を掲げながら、毎日何を続けるか」「目標の途中に小さな階段として経過目標を入れる」「誰に助けてもらうか」の3つが揃うと、非常に高確率で未来に近づきます。渡邉会長も、夢を語る時に、よくおっしゃってますよね。

渡邉:その通りですね。「夢に日付を入れる」ことは非常に大切です。原田さん、ありがとうございました。



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躁状態先行仮説:気分障害再考

躁状態先行仮説:気分障害再考

はじめに

 私は個人的にDAM仮説を提唱していて、それは神経細胞の特性から出発して、躁うつ病やうつ病について、病前性格と症状類型と、さらに治療まで一貫して、現在までのところ矛盾なく説明できている。

http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2009-05-21

 世界には似たような人もいるわけで、ローマで、同じような話を、神経細胞のことは言わず、病前性格のことも言わず、病気の経過と薬剤の効果と、さらには若干の精神病理学的考察により、論じている人がいる。Athanasios Koukopoulosという人で、いい名前である。そして有名なS. Nassir Ghaemiの名前を載せている。

ナシア・ガミーは色々と著作があるが翻訳されたものとしては「現代精神医学原論」みすず書房・村井俊哉訳(2009)。原著は2007。
 
 ここでは私のDAM理論に都合のいいところを、かいつまんで紹介することとする。

The primacy of mania: A reconsideration of mood disorders

 

Athanasios Koukopoulos (a), S. Nassir Ghaemi(b)


(a) Centro Lucio Bini, 42. Via Crescenzio, 00193 Rome,Italy
(b) Mood Disorders Program, Department of Psychiatry, Tufts Medical Center, Boston, MA, USA


Received 6 March 2008; received in revised form 7 July 2008; accepted 13 July 2008


以後の話の要約

 現代の精神医学では、うつ病と躁病は、別の疾患単位として構想されている。躁うつ病の場合、あるいは躁うつ混合状態の場合、躁状態とうつ状態はどのような関係にあるのだろうか。あるいはそれらは単極性うつ病のように、別々に発生する可能性がある。別々に発生している場合は、躁状態とうつ状態は全く無関係にそれぞれで発生しているのだろうか。
 
 この様に考えるとき、現在の定義では、躁状態の定義は狭く、うつ状態の定義は広いことを思い出す必要がある。一般的に、うつ状態は躁状態よりも明らかで、よく見られ、そして悩みも大きいと考えられている。躁状態はうつ状態と比較すると数少ないもので治療によく反応すると考えられている。「私はうつ状態です」という人は数多いし、めずらしい病気とも考えられないし、薬を飲むことも普通だし、専門家に相談すればそれで問題解決ともならず、その先には環境調整とか家族面接とかの段取りとなり、家族や職場の対応が求められる。一方、「私は躁状態です」という場合、まず周囲は驚くだろうし、どう対応していいか分からないだろうから、まず専門家に相談しなさいということになり、その人が躁状態だから環境調整をしようとかは思わない。薬をのむなり、入院するなり、まず治療して、もとに戻ってから復帰してもらうと考えるだろう。うつ状態は過労や各種ストレスと関係していて誰でもそうなる可能性があると考えられている。一方躁状態は比較的珍しい病気であって、日常生活の自然な延長にあるとは考えられていない。
 
 私たちはこの逆を主張したい。躁状態は大変数多く見られるもので、気分が良くて動き回る単純なタイプから、いろいろなタイプの興奮性行動まである。そしてうつ状態は、現在考えられているよりも数少ないものだと主張する。
 
さらに、薬理学的および臨床的証拠をあげ、躁病先行仮説(PM仮説: primacy of mania)を説明したい。私たちは、うつ状態の前に躁状態があると証明したい。その躁状態は、現在考えられているよりも微細でマイルドなものが多いので、診断基準の訂正が必要である。つまり、うつ状態は、躁状態の興奮の結果生じるものという仮説である。もし私たちの説が正しければ、うつ病治療は訂正が必要となる。抗うつ剤で直接に気分を持ち上げるのではなく、躁状態の興奮を静めることが治療の中心となる。躁病先行仮説に対しての予想される反論と、実証的検証の項目について述べたい。

キーワード:双極性障害、マニア、うつ病、予防、抗うつ薬、リチウム、抗精神病薬、気​​分安定剤、ECT(電気けいれん療法)、自殺

1。はじめに

 現代の精神医学では、うつ病と躁病は、別のエンティティ(疾患単位)として構想されている。両者は双極性障害の場合のように同じ人に発生する可能性があ。また、単極性うつ病のように、別々に発生する可能性がある。この考え方は、躁状態の狭い定義と比較的広いうつ状態の定義に原因している。躁状態は、多動であることが多いが、楽しい気分であったりイライラ気分であったり、あるいは眠る必要がなくなるなど、いくつかの症状が、1週間またはそれ以上続くものである。一方、うつ状態は憂うつな気分で、睡眠、食欲、興味、活力などの領域で症状が見られ、2週間かそれ以上続くものである。
 
疫学的研究および臨床の現場では、うつ状態は躁状態に比較して、症状は明らかで、より数多く見られ、そして困難が大きいと考えられている。躁状態はうつ状態に比較すると、数が少なく、治療が容易と考えられている。私たちは逆の考え方を説明したい。
 
躁状態は、非常に数多く見られ、気分が高揚して動き回るという単純なタイプのものから、いろいろなタイプの興奮性プロセスとして観察される。一方、うつ病は、より厳密に狭く解釈されるべきだと考える。さらに私たちは躁状態がうつ状態を引き起こすと主張したい。つまり躁状態はうつ状態に先行し、うつ状態の原因となっている、従って、うつ状態を予防するには躁状態を予防すれば良い、というのが躁状態先行仮説である。

 私たちの提案は新しくもあり古くもある。ほとんどの精神科医は、現在の狭い躁状態の定義になじんでいるので、様々なタイプの躁状態の興奮性プロセスについてはすぐには受け容れられないと思う。その点で私たちの提案は新しい。しかしまた現在は躁状態を意味する「mania」という言葉は、古代ギリシャから1960年代まで、現在私たちが考えているよりもずっと広い範囲の精神障害を指す言葉として使われていた。その点では古い。

 躁状態を現在のように狭い意味で考えるか、古くからのように広い意味で考えるか、決着のついていない問題であるが、私たちは検証して結論を出したいと考えている。躁状態に対しての現代的な狭い解釈は、科学的ではないし証拠も乏しい。
 
いろいろな証拠から、躁状態を精神と身体の興奮状態としてもっと広い定義で考えるべきだと、私たちは考えている。そしてうつ状態はもっと限定して厳密に考えるべきである。

2。背景となる歴史

 ここから便宜的にマニーという用語を使う。日本語の躁状態とは意味合いがやや違うので、そのことを考慮して欲しい。
 2000年以上にわたり、マニーは、精神の病の主要なものと考えられてきた。歴代の精神科医がそれぞれ独自に、しかし一貫してマニーという言葉で精神病の中核を考えてきた。たとえばPinelピネルはマニーを精神病の最も一般的な形と考えたし、Hienrothハインロートはプシケ(Psyche)の根本的な病をマニーとみなした。Griesingerグリージンガーは興奮状態を一部のうつ状態の原因であると考えた。Kraepelinクレペリンはこうした伝統を引き継ぎ、マニーを広い定義で理解した。クレペリンが提案した疾患単位である混合状態(躁状態とうつ状態の混合のこと)や気質診断などは基本的には、興奮状態により分類したものである。クレペリンの時代の後で、マニーは重要と考えられなくなり、かわりにシゾフレニーが重視され、精神分析が興り、DSMIIIの単極性大うつ病が重視される時代へと移ってゆく。最近では双極性障害や気分障害をスペクトラムとして考えることがリバイバルしているが、その中には混乱も見られる。混乱の理由は、現代精神医学がうつ病を広く一般に見られるものであり、それは活力の低下を意味し、うつ病とマニーとは独立のものだと考えるようになったからである。逆のことを私たちは主張したいのであるが、それは、マニーが気分障害の中核となる精神病理であり、うつ病はその結果だという見方である。

 ローマに双極性障害の40年以上に渡る経過観察のデータがある。そのデータと精神薬理学的文献から、広い意味でのマニーを神経の興奮プロセスを原型としてとらえなおし、検証してみたい。私たちが提案するのは「躁状態先行仮説」である。マニーとうつ状態は本質的にリンクしていて、マニーの時の神経の興奮が先行し、うつ病はそれに続発する結果だと考える。比喩的に言えば、マニーは火事で、うつ病は燃えかすである。この論文の前半で躁状態先行仮説を説明するが、薬物療法と臨床精神病理学の二つを根拠とする(表1)。後半では躁状態先行仮説に対する反論を考察し、もしこの仮説が正しかったら臨床的にどのような結論が導かれるのか、論じてみたい。

表1 
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躁状態先行仮説の証拠

臨床精神薬理学
1。リチウムの予防効果
2。リチウムの中止による現象
3。リチウムも、抗てんかん薬も、抗精神病薬もうつ病に対しての直接効果は限られていること
4。抗うつ薬誘発性マニーまたはラピッドサイクリング

臨床精神病理学
1。躁病ーうつ病ー無症状期(MDI)サイクルのパターンとDMIパターンについて
2。躁うつ混合状態
3。患者の主観的な経験
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3。臨床精神薬理学からの証拠

3。1。リチウムの予防効果と中止による現象

 躁状態がうつ状態に先行するとの考えを思いついたのは、継続的なリチウム治療中に躁うつ病が再発する経過の観察による。抗躁病剤としてリチウムは、最初はあまり注目されなかった。その理由は、リチウムが効果的だと考えられるマニーが非常に狭い範囲の限定されたものだったからである。リチウムのマニーの再発予防効果研究の途中で、リチウムがうつ病の再発予防効果もあることが判明した。

Schouスコーはこの臨床観察の重要性に気づき、Baastrupバストラップとともに画期的な研究を行い、リチウムは躁うつ病のすべての症状に対して予防効果があることを示した。抗躁薬によりうつ病の予防ができることは驚きを持って迎えられた。そして同じことが、抗てんかん薬でも抗精神病薬でも起こった。

説明として推定されたのは、リチウムは、躁病治療作用を介し躁病予防効果を発揮するのと同様に、抗うつ作用を介してうつ病を予防するということである。しかしながら、リチウムの躁うつの気分循環に対する予防効果については強い証拠があるものの、リチウムによる直接の急性抗うつ効果はまだ検証されていない。1.0mEq/L程度の高い血清薬物濃度ではうつエピソードの延長が見られる可能性も報告されている。これはリチウムが抗うつ効果そのものは持っていないのではないかと推定させる材料である。また治療抵抗性うつ病に対して抗うつ剤へのリチウム増強療法が有効であることも報告されている。これはうつ状態に対して直接効果があることを推定させる材料である。
 
しかしながらこれら多くの研究はDSMⅣ以前のものであって、従ってこのうつ状態の中には双極Ⅱ型が含まれている可能性がある。DSMⅣ以後の研究、特にSTAR-Dでは、リチウム併用による抗うつ剤強増作用は強くはないと示されている。最近のメタ解析ではリチウムはうつ病よりも強く躁病を予防すると示されているが、一方で、リチウムはうつ病を予防しないと示されているわけではない。実際、プラセボに比較して、うつ病の予防効果は顕著に高い。つまり、躁状態が起こるからうつ状態になり、リチウムは抗躁効果を介して抗うつ効果があるらしいということになる。
 
 ローマグループが示したところでは、リチウムがマニー相を抑制しないなら、マニーにひきつづくうつ状態の抑制効果はない。しかしながら、リチウムがマニーのエピソードを弱める場合には、マニーに続くうつ状態のエピソードは短くなった。マニーが完全に予防された場合には、うつ状態は起こらなかった。
 
 ひきつづいてローマグループが示したところでは、マニーで始まる循環病患者は、うつ病で始まり、次にマニーまたは軽躁状態になる循環病患者よりもリチウムの予防効果が高かった。この観察は引き続き検証確認されている。
 この観察に対しての最も一般的な説明としては、双極性障害の中にも特殊なサブタイプがあり、それは躁状態からうつ状態に変化する循環病の経過が特徴で、リチウムによく反応するというものである。別の説明は私たちのもので、リチウムは躁状態をうつ状態よりもよく予防し、したがって、それに引き続くうつ状態を回避するのに役立つというものである。

 予防における抗躁効果の重要性は、リチウム中止研究から得られる。多くの研究グループが示したところによれば、リチウムの急激な中止は、うつの再燃ではなく、マニーの再燃をもたらす。この観察からは、マニーはリチウム中止のリバウンド現象であると考えられる。論理的に考えれば、もしある薬剤中止によるリバウンドがマニーの形を取るのであれば、その薬剤の効果としては抗躁的作用であるはずである。

 まとめると、リチウムは急性躁状態に対して鎮静効果があり、さらに将来の躁状態を予防する効果がある。従って、うつ状態を予防することがある。急性うつ状態に対して効果があるように見えるのは、私たちの診断学がうつ成分とマニー成分を充分に区別していないせいだろうと考えられる。リチウムは「うつ状態」の中のマニー成分を鎮静しているのであって、そのことによって病像が変化し、結果として、「うつ状態」に効果があったと見えるのだろう。

3。2。抗てんかん薬

リチウムと同様に、抗てんかん薬でも抗躁効果が最初に発見された。抗てんかん薬は現在ある躁状態を鎮静する。そして後に、躁状態に対してもうつ状態に対しても予防効果があることが分かった。ラモトリジンを含む、少なくともいくつかの抗てんかん薬は、即効性の抗うつ効果があると考えられているが、うつ状態を改善する薬効は実際は弱いものであって、うつ状態の予防効果のほうが優れている。ラモトリジンの場合には、たくさんの未発表論文で単極性でも双極性でも、いずれの場合でも、急性のうつ病には効果がないことが報告されている。この場合、効果がないと解釈せず、別の説明の仕方もある。たとえばラモトリジンはゆっくり薬を増やしていくので8週間の研究では効果を確認できないなどの説明である。しかしながら、ラモトリジンは双極性障害での急性うつ病の場合に有効性を示せないとの研究報告が続いている。

 その代わりに、ラモトリジンは、強い予防作用を持っていることは明らかであり、躁病とうつ病の両方に対してプラセボよりもずっと優れた予防効果を持っている(相対的に躁よりもうつ病の場合に予防効果が高いようであるがこのあたりも診断学と関係している可能性がある)。リチウムと同様に、うつ病エピソードに対するラモトリジンの長期的な利点は、直接的な抗うつ作用によるのではなく、躁状態は予防効果を介したうつ状態予防効果によるのだろうと思われる。こうした急性効果と予防効果との違いは、ラモトリジンの抗うつ効果が他の抗うつ剤の急性作用と同質のものと考えているのでは説明できないのだが、躁状態先行仮説にはぴったり一致する。つまり、うつ病エピソードの予防効果は、急性抗うつ効果とは別の独特のものと見える。これとは対照的に急性躁病は鎮静できる。もしある薬剤がうつエピソードを予防するならば、まずマニーを予防しなければならないのだと考える。

 つまり、ラモトリジンは急性躁状態に有効で、さらに躁状態の予防効果を持ち、そのことを通じて、うつ状態の予防効果を持つ。うつ状態を単独に治療したり、予防したりするのではない。このことは躁状態を予防すればうつ状態を予防することができるという意味である。

1。急性うつに対する効果   2。うつ予防効果
3。急性マニーに対する効果  4。マニー予防効果
これらを区別して、どのような順序で発生し、どのような因果関係になっているのか、考えると、躁状態先行仮説になる。

3.3。抗精神病薬

 非定型抗精神病薬に関しての、躁うつ病の分野での標準パターンは、まず躁病について有効であることが示され、ついで予防に使用されるという経過である。これら薬剤は抗うつ作用も持っていると言われている。特にオランザピン/フルオキセチンの合剤やクエチアピンがそれにあてはまる。用語としては「非定型抗うつ薬」が提案されたが、その効果の証拠はその薬剤の抗躁効果に比較すると弱いものである。多くの研究はオランザピンは急性期うつ病には単剤では効果がないか、または効果が少ないと報告している。オランザピン/フルオキセチンの合剤の抗うつ効果はオランザピンよりはフルオキセチンによるものと考えられる。クエチアピンに関するデータによれば純粋なうつ病に関しては効果ははっきりしない。
 
むしろ、躁うつ混合状態についてのDSMⅣの極端に狭い定義と、それに対応して大うつ病の広い定義を採用するとすれば、抗うつ作用と見えているものは実は混合状態やアジテーションに対して、つまりマニー成分に対して薬剤が効いているせいかもしれない。混合状態や焦燥の強いうつ状態ではDSMⅣの基準を全部満たすものではないことが多いのだが、その場合、マニーの要素を指摘することができる。その特徴は、運動興奮、イライラ、抑制欠如、内的緊張の高まり、速度の速い思考、理由のない怒り、多弁、入眠困難、気分易変性、大げさな嘆き、精神病性の痛みなどである。こうした興奮性の症状があることに加えて、躁うつ混合状態と純粋うつ病エピソードには経過の違いがあり、躁うつ混合状態では30%がうつ状態になる。軽躁状態になるものはまれで、しかも、純粋うつ病と異なり、抗うつ剤はしばしばイライラを悪化させ、うつが中心の混合状態のマニー部分を悪化させる。

 大うつ病エピソードの中でイライラ/混合抑うつ症候群の割合は単極性または双極性うつ病エピソードの19から44%と見られ、無視できない割合となっている。これが正しいとすると、この割合の大きさは、大うつ病の臨床試験のときに重要になる。そのような混合状態の存在は、抗精神病薬に見られるうつ病に対しての有効性の一部を説明するだけでなく、純粋なうつ病に対する抗うつ薬の本来の効果を低く報告することになる可能性がある。
 
 実際、抗精神病薬を使用した場合の抗うつ効果の観察は、新しいものではないし、非定型抗精神病薬に固有のものでもない。三環系抗うつ薬と従来の抗精神病薬とプラセボとのランダム化比較試験のレビューが34本あるが、典型的な抗精神病薬は一般的に「混合性不安・抑うつ状態」に有効である。そして私たちの主張であるが、現在我々が呼んでいる「うつ病」の症状の中にはマニーの症状が混在していて、そのことが抗精神病薬の「抗うつ」効果と関係しているのだろう。そのような抗精神病薬が純粋なうつ病でマニー要素が全くない場合にも有効なのか、まだ研究されていない。

 このあたりについては、うつ病とは何かの問題になる。抗うつ剤だけが有効で、抗てんかん薬も抗精神病薬も無効であるような状態を、純粋うつ病と定義できるに過ぎないのかもしれない。疾病単位については、薬剤と関係なく厳密に決定できるようにして、その上で、薬剤の有効性を検証する必要がある。

 しかし概念的には興奮性要素をマニー要素と見て、そこにはリチウム、抗てんかん薬、抗精神病薬が有効であるはずと診断するのは意味がある。その観点で、精神病理学や精神症候学が洗練されてゆくことが期待される。

3.4。抗うつ薬誘発性躁病またはラピッドサイクリング

 疑いなく、抗うつ薬の役割は、双極性障害の臨床治療の中で最も物議を醸す問題である。私たちは双極性障害における抗うつ薬の長所と短所をここで完全かつ説得力のある議論を提供するつもりはないが、要約すると、RTCから得られる結論は次のようなものだろう。
 
最初に、抗うつ薬は最近のメタ解析において無治療(プラシーボ単独)または抗精神病薬(olanzapine)と比較して急性期うつ病に効果的であることが示されたけれども、抗うつ薬は治療レベルのリチウムのまたは他の気分安定薬よりも急性の大うつ病エピソードに対して有効であると、まだ証明されてはいない。最近のものでは、NIMHが提案するSTEP-BD(Bipolar Disorderのための系統的Treatment Enhancement Program)があり、やはり抗うつ薬がより有効であることの証明はなされていない。
 
第二に、同じメタ解析の偽薬対照試験で、抗うつ薬誘発性躁病の証拠はなかったのだが、実は他の医薬品と比較して三環系抗うつ薬(TCAs)で、抗うつ薬誘発性躁病が存在する証拠がある。
 
第三に、双極性障害の気分変動の予防に関しては、三環系抗うつ薬も、セロトニン再取り込み阻害剤を含めた新規抗うつ薬も、有効性がないことが繰り返し示されている。有効であるという観察データも存在するのだが、無作為化されたデータをエビデンス・ベイスト医学の立場で解釈していくのがいいだろう。
 
第四に二つの無作為化研究だけがこの問題を論じているのだが、抗うつ薬は躁うつ病のラピッドサイクラーに関係し、さらにうつ病のラピットサイクラーと関係している。これに反論する無作為化データは見当たらない。事後解析でポジティブに出てもネガティブに出てもあまり意味はない。このあたりの解釈は慎重を要する。
 
 このような次第で、科学文献を客観的に読めば、抗うつ剤の有効性と安全性に疑問が生じるのではないかと私たちは考えている。
 
 研究的な設定をして観察される臨床的知見は、抗うつ薬に関する様々な意見の一部を説明してくれるかもしれない。ローマのグループの観察経験ではエピソードとエピソードの間の症状のない時期に、あるいは興奮期の始まりに、気分安定剤を使用すると予防効果を維持しやすいように思われる。しかし、同じ気分安定剤を大うつ病の急性期に使用すればずっと効果は乏しいものになる。このことは普通は気分安定薬には大うつ病急性期への効果はないのだと解釈されるのだが、別の解釈もできて、それは私たちの躁状態先行仮説で言うと、うつ病はうつの時期に直接治療するのではなく、マニーを予防するか、マニーを治療することで、間接的により容易にうつ病治療ができることになる。
 
 抗うつ薬を慎重に使用するといっても、気分安定剤を積極的に双極性障害の急性うつ病の患者に必ず使用する必要があるというのではない。むしろ、ローマグループのアプローチは、急性大うつ病エピソードの間に気分安定剤の投与量を減少させる。気分安定薬はしばしばうつ状態を引き起こすからである。その後、うつが解消されない場合は、抗うつ薬を追加する。しかしながらポイントは、一旦急性期が終わったら、抗うつ剤は中止して、気分安定薬を増量する。治療困難例ではローマグループは積極的にECTを使用する。そして患者がいったん正常気分になったら、気分安定薬にによる攻撃的な治療を続ける。こうした予備的観察結果に対して確認または反証の実証研究が必要である。
 
 この観点では、正常気分の期間は、アルキメデスが世界を持ち上げるてこのようなものである。それを得ることができれば、私たちは、はるかに効果的に気分安定剤の予防効果を発揮することができる。しかし、ほとんどの臨床医は、急性の気分エピソードの治療に焦点を当てるだけだ。そして正常気分が達成されたとき、彼らは抗うつ薬を継続するだけだ。多くの場合気分安定剤の使用を減少させる。そのことが効果的な長期的な予防効果の可能性を最小限にしてしまう。

4。臨床精神病理学からの証拠

4。1。躁病 - うつ病 - 無症状期の周期(MDI)のパターン

 DMIのパターンよりもMDIのパターンが治療によりよく反応する。この観察は、躁状態先行仮説によって説明できる。マニックエピソードはたとえ急激な発症であっても、数日から数週間の前駆する症状興奮症状がみられるので、リチウムまたは他の気分安定剤を使えばしばしば容易に制御できる。

4。2。躁うつ混合状態

 また、混合状態は、私たちの躁状態先行仮説が正しいことを示すよい証拠である。一つか二つの躁状態の症状を含む、不快気分のマニーやイライラするうつ状態などを考えて、混合状態の定義を少し拡大すると、実証的文献によれば、急性躁病エピソードの約半分以上、大うつ病エピソードの半分程度、混合状態に属するものと考えてよい。純粋な躁病と純粋なうつ病は、混合状態よりも数少ない。うつ状態にみられる部分的な興奮は躁状態先行仮説では容易に説明できるが、古典的な双極性/単極性の二分法では説明が難しい。

4.3。双極性障害を持つ人の主観的な経験

 別の証拠は、双極性障害患者とその親族から直接もたらされる。マニーのあとにうつ状態を体験する人が多く、逆は少ない。この点に関する文献は膨大である。たとえば、Jamisonは「心と気分の高いフライトを放棄することは困難でした。それに続いてうつ状態が必然的に起こり、ほぼ生涯にわたり苦しめられるにもかわらず」と書いている。別の例では、双極性障害を持つ作家が「光り輝くエクスタシーに恋焦がれるのだが、それに続いて大きなうつ状態が続いて来るのを私は知っているので、もう諦めている」と書いている。

5。躁病先行仮説への考えられる反論

 このような概念的なレビューではどのようにしても懐疑論者を完全に説得的できないので私たちは次にいくつかの考えられる反論に対してコメントしてみよう。

表2 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
躁状態先行仮説への考えられる反論
1。単極性うつ病妥当性
2。うつ病ー躁病ー無症状(DMI)サイクルパターン
3。軽躁病の利点
4。抗うつ薬中止で誘発されるマニー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

5。1。単極性うつ病

 おそらく、躁状態先行仮説への主な反論は、すべてのマニーの要素を除外することができたとして、単極性うつ病の存在と妥当性である。単極性うつ病は興奮現象がない点で双極性障害のうつ状態とまったく違うと言うこともとりあえずできる。しかしまた、第一に、発揚性気質人の単極性うつ状態( unipolar with hyperthymic temperament : U H-T)またはBPⅣの単極性うつ状態が考えられる。この場合には明確にマニーの形をとらない単極性うつ病の形になるが、微細に観察すればマニーの要素がある。第二に、一見したところ単極性うつ病の場合、ストレスフルなライフイベントが先行していることがあり、ストレスフルなライフイベントは、主観的な不快気分と睡眠障害を引き起こし、他の軽躁状態の症状が見られないときにも活動性の上昇を伴っている。明確な程度のマニーではないがかすかにマニーである。こうした時期は、後のうつ状態の原因となるもので、「軽躁等価物」と呼んではどうかと提案したい。感情的な混乱、多動、睡眠の減少などがしばしば伴う。その際に敏感な人々はマニーや軽躁状態と同じような神経の消耗とその後の抑うつを経験する。第三に、多くのうつエピソードは、大きな不安やパニック、すなわち、神経の覚醒に伴う現象の後に起こる。このタイプのうつ状態は不安関連神経興奮と関係していて、「不安関連うつ状態」と名付けることができる。したがって、マニー様の症状を広く定義すれば、単極性うつ病の概念は、ストレス状況とも「軽躁等価物」とも関係なく発揚性基質とも関係なく起こり、不安とも関連していないものになるはずで、現在の拡大混乱したDSMⅣの定義よりもずっと狭く限定されたものになる。CassanoとそのグループはDSMⅣで現在反復性単極性うつ病と診断される人が人生を通じてみるとマニーまたは軽躁状態を経験していることが非常に多いことを見いだしている。反復性単極性うつ病もBPⅠもマニーと軽躁状態の症状の数はうつ状態の症状の数に関係していて、マニーと軽躁状態の症状の数が多いと経過が良くない。マニー様の症状を広く考えることは、反復性単極性うつ病へのリチウムの顕著な予防効果によって支持されている。リチウムは単極性うつ病の気分エピソード再発抑制に有効であり、自殺を予防する。リチウムがこのように効果的である理由を考えると、単極性うつ病と考えられているものの中にマニー要素が混入しているからだと理解できる。診断を精密にして、神経の興奮要素を微細に把握すれば、リチウムが効果的である症例がわかる。単極性うつ病について、広い定義がいいか狭い定義がいいかはマニーの定義を広くするか狭くするかという問題でもあり、クレペリンはマニーを広く取ったし、私たちもそうしようと主張している。一方、マニーの定義を狭く考えるのはカールレオンハルトやDSM - IIIである。 

5。2。うつ病ー躁病ー無症状(DMI)サイクル

 双極性障害を持つ人の約25%に、うつ病のあとに、軽躁病またはマニーが起こっているという、躁状態先行仮説と矛盾するように思われる観察がある。躁状態ーうつ状態(MDI)の順であれば躁状態先行仮説の通りである。しかしながらDMIタイプの患者の約80%がBPⅡで、半分は興奮しやすく不安定な気質の持ち主である。さらに、双極性障害で初回エピソードがうつ病の人は初回エピソードが躁病の人の1.5倍いる。しかしそれは本人の回顧に基づいており、軽躁状態では特に否認や忘却が多く見られる。あるいはうつ病の人は否定的に自分の過去を思い出し、うつ病ではなかった時期をもうつ状態であったと悪く評価してしまう。子どもたちに関しての前向き研究によれば、DSMで定義されたうつ状態のあとでマニーが起こっている。しかし不安やイライラがしばしば顕著であり、私たちがマニーの広い定義に含めているような種類の興奮性行動が見られている。そのような患者ではうつ状態は双極性サイクルの本当の始まりではなく、ブルーな気分から出るものでもなく、うつ病エピソードはしばしば気分の不安定な時期のあとに起こっている。あるいは、ライフイベントに関係しての感情興奮ストレスのあとに起こっている。それはポジティブなことも、ネガティブなこともある。あるいはカフェインのような刺激剤を使ったあとに起こっている。不規則な睡眠パターンのあとでも起こる。このようなうつ状態のあとに続く軽躁状態/マニーでは、抗うつ剤と関係している場合も多い。

5.3。軽躁病のメリット
 
 考えられる反論として次のようなものがあるだろう。多くの患者は単に高揚気質であって、反復するうつエピソードを呈さないタイプではないか。反復しているとDMIのパターンになることもある。反復しないなら、MDIのパターンになるはずである。また、たとえうつ状態が躁状態に続くとしても、軽躁状態は現実に有利な点もあり生産的でもある。患者はこうした豊かな時期を愉しめばいいだろう。軽躁病で有害と有益の境界ははっきりしていない。アキスカルならダークな軽躁と晴れの軽躁と言うところだろう。しかし軽躁の有利さはふつう一時的なもので、うつ状態のリスクは往々にして慢性的である。
 
5。4。抗うつ薬の中止
 
 抗うつ薬誘発性躁病は躁状態先行仮説とよく一致するが、抗うつ薬の中止に引き続くマニーは、躁状態先行仮説に一致しない。前者はより一般的に見られるもので、薬剤によっては50パーセントという報告もある。後者が起こるのは5-10%と報告されている。抗コリン性リバウンドなどのような、その他のメカニズムが、抗うつ薬中止関連マニーと関係があるらしいが、発生頻度は低い。
 
5.5。躁状態先行仮説の実証試験
 
 躁状態先行仮説は、完全無欠ではないし、人によってはこの理論は科学的ではないと主張する。科学理論は検証可能な予測をすべきだと思うので、躁状態先行仮説は次のような検証をした後に採用されたり棄却されたりすべきものと思う。次の仮説はどれも将来RCTで検証出来るだろう。
 
1。躁病エピソードの終わりと次のうつ病エピソードの始まりとの間の間隔は、うつ病エピソードの終わりと次の躁病エピソードの始まりとの間の間隔よりも短いはずである。 
  
2。リチウムまたはラモトリジンのような気分安定剤の予防効果研究は、これらの薬剤が治療の急性期ではなくて、正常気分の時に始められた場合により有効である。
  
3。気分安定剤は、純粋な大うつ病エピソードの治療でプラセボに比較して有意な効果がない。その際の純粋なうつ状態とは、不安あるいは躁症状がない、そして発揚性気質を持つ人を除くものである。逆に、抗うつ薬は純粋な大うつ病のときに有効となる。
 
4。抗うつ薬は混合状態のうつ病、または発揚気質に見られるうつ病、または軽躁等価物に関係するうつ病の人に効果がない。逆に気分安定剤や抗躁薬はそれらの場合に効果的である。
 
5。気分安定剤は、双極性うつ病と同様に単極性うつ病の予防に、抗うつ薬よりも効果的である。
 
6。臨床的意義
 
 躁病がはうつ病に先行しているとする考えは、現在の疾病分類学で言えば座りが悪い。純粋に実用的な観点から、うつ病はマニーに比較してより数多く、慢性であり、治療が困難であるが、気分障害の主要な臨床上の問題であることは確かである。しかしもしマニーを、神経の興奮を原型として考えるように、より広い定義でとらえるなら、軽躁状態、混合状態、発揚気質、循環気質、いらいら気質などもまた全く普通に見られるものになる。もしこうした状態がうつ状態を引き起こすなら、うつ病の治療に当たっては、こうしたマニー様の症状にもっと注意を払う必要がある。

 うつ病の治療における薬剤選択は拡大し続けているものの、NIMHのSTAR-Dのような、最近の最良の研究でも、寛解率はあまり良くないし、オープンラベルの急性期治療で著明に良くなるのは三分の一に過ぎない。長期治療の場合は、効果が不十分な場合には次にどの薬という具合に順番が決まっているのだが、1年の経過で見て、スタンダードな抗うつ薬を用いて単極性うつ病が寛解に至るのは40%に過ぎない。RTCに比較して現実の治癒率はもっと悪いのだから真剣に対応を考える必要がある。
 STAR - Dの結果はまた、完全に安心はできない観察と疫学的調査結果を提供します。例えば、抗うつ薬が自殺の原因となるのか、自殺を防止するかどうかについての文献は様々である。一方、リチウムには自殺の予防効果があることは論文でも一貫して示されている。また、生態学的データは抗うつ薬使用の増加と相関して自殺率が低下していることを示している。ここに因果関係があると見る人もいるし、そのことを疑問視する研究もある。
 イライラするうつ病を混合状態として診断し適切に治療することがないので、自殺は試みられ実行されてしまう。抗うつ剤はそうした混合状態を引き起こすことがある。特に双極性障害なのに単極性障害と誤診された場合にそうなる。この事実そのものが、小児思春期の抗うつ剤による自殺の危険を説明する。
 さらに、臨床において、気分障害が実際に増加しているのかどうかよく分からない。抗うつ薬や製薬会社が元凶だと言うのは容易だが、しかし、問題は私たち臨床家の薬の使い方にもある。精神薬理学の偉大な創設者Frank Ayd は賢明にもアドバイスしている。精神薬理学と神経科学における私たちの進歩は我々に偉大な道具を与えた。臨床家はまだその使い方を知らず、強力な自動車と免許を与えられたが、運転のしかたについての充分な経験がない。もし躁状態先行仮説が正しければ、興奮を予防しないから、結果が悪いのである。

8。まとめ
 
 私たちの躁状態先行仮説によれば、うつ病は、躁病、軽躁病、軽躁同等物、および不安のような神経の長期の覚醒状態の結果となる。この仮説では、双極性と単極性うつ病とは本質的に違わないと見る。単極性うつ病の場合には、これまでの診断学的習慣として、軽躁等価物や不安をマニー成分と見ていなかっただけである。それをマニー成分と見れば、単極性うつ病は双極性障害と同じ見方ができる。気分安定剤による継続治療だけでなく、ストレス要因を減らすためにライフスタイルを設計すれば、神経興奮を減衰させ、将来のうつ病の発生を防ぐことができる。



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言葉による理解の問題

たとえば
患者さんの症状についての患者さん自身の言葉を聞いて
表情を見て
自律神経系の反応を見て
また家族の話を聞いて
治療者の投げかける言葉や表情に対する反応を見て
治療者は治療戦略に役立つ何かの仮説を立てて薬剤や精神療法の選択をする
そのような判断を患者さんに話すのだが
それが患者さんの抱く『常識』や『知識レベル』に反している場合
話が難しくなってしまう

患者さんが「すごくイライラして怒りっぽいんです」
という場合
うつだと判断する人もいるしそうだと判断する人もいる

うつはしおれて元気がないものの「ハズ」で
怒るなんて元気ありすぎ、というわけである

また、そうは、朗らかで機嫌がいいことで、
怒るということはマイナスの感情なのだから
いらいらして怒っている人はそう状態のはずはない、というわけである

単に言葉の問題だから
日本語としてどれが正しいと決めてもらえば
それでいいだけのことなのだけれども
時間が経つに連れて
言葉の意味内容も異なるようになる

われわれは精神医学の専門なので
学問的には先取りした形で言葉を使っているのだが
若者は若者でネット社会などで独自の精神医学があるようで
なにか思い込んでいることがあるらしいが
そこまで研究は届かない

ーーー
さらに患者さんが「いらいらしています」と自己申告したとして
その言葉そのものの意味合いについては
患者さんの判断と意思の判断はそっくり同じではない

うつっぽいんです
という人に対して
双極性障害ですね
といえば
ピンとくる人にはピンと来るが
来ない人には不信感だけだろう

ーーー
このあたりの啓蒙と言うか洗脳が最も進んでいるのは
柔整の領域である
すべては骨盤の歪み、すべては背骨の歪み、
頚椎がずれていて、考えられないくらい肩がこっている、
そういう理解は
ある種の患者さんたちの感じ方・考え方とぴったり一致していて
施術する側もされる側もよく理解するようで何の困難もないようである

ーーー
精神医学の世界では
「うつ」という言葉が圧倒的に市民権を得ていて
むかしは「うつ」とかというと
自分は精神病ではないと怒ったりしたものだが
最近ではむしろ自分の要求通りと満足する人が多いようだ

そのうち「双極性障害」が広がると思う
それは薬剤の認可が日本でも始まったからで
これから大量宣伝が展開されるはずであるが
アメリカに比較するとまだ薬剤認可の範囲が狭いので本格的ではない

そんな状況で双極性障害と診断するのは
まだ少し早いらしい

そのうち、うつ病は機能減退するだけだけれども、
双極性障害は素晴らしい能力を発揮することもある病気だから悪くない
というような話になると思う

ーーー
うつとそうが反対のもので
だから同時に起こるはずはないというのが常識なのだろう
昼ではないから夜なのだし
夜ではないから昼なので
そうではないからうつなので
うつではないからそうなのだ
と理解しているらしい

磁石のNとSの話でもいいのだけれど
もともと磁性体はランダムに並んでいるから
その金属全体としてはNでもSでもないというだけのことだ
強力に磁場の中において
磁性体の向きを揃えればNSの極性を帯びる

だから微小な磁性体を考えると
NSがランダムに並んでいるのと同じ話で
脳神経細胞としてはそうとうつがたくさん混じっている

そうなると一人の人でそうとうつが同時に見られても何もおかしなことではない

例えばの話
四角い金属を左右に分割して
NSを互いに逆にしたものを作りまたくっつけて
奇妙な金属を作ることもできる
どちらの端もNSどちらも帯びているわけだ

精神も同じでそうとうつは同時存在できるのだ

でも、現状では、常識は、私はうつなのだから病院に来たのであって、
そうだから来たのではないということになる

ーーーーー
ゆううつと朗らかならば要素的な言葉なので問題はないが
うつ状態とそう状態に関しては医学用語として考えているので
やはり次元が違うし
それを元にして診断や治療が組み立てられるのだから
やはり譲れない部分である

ーーーーー
とても極端な話をすると
「わたしは仲間にいじめられてうつになりました」
という話から始まって
いろいろと確認して、その結果として、
「あなたは統合失調症です、治療を開始しましょう」
と言ったとする

この場面ではなかなか素直にはなれないだろうと思う

「自分はうつだと言っているのに、なぜ統合失調症だと判断されるのか」
と訝しく思うだろう
そういうものだ

一瞬、治療者の頭がおかしいのではないかと思う人もいるだろう

それが人間の相互性である

しかしこれは所詮は言葉の問題なのである

うつや双極性障害や統合失調症という言葉で何を意味しているかが
各人で共通であれば何も問題はない
ある程度抽象的な言葉なので意味のズレが生じてしまう

さらに外国語問題が関わるとさらに危険なことになる

ーーーーー
円周率は3ではなくて3.14というくらい自明のことなのであるが
治療者に3.14といわれて
この治療者は円周率が3であることも知らないのかと考えるとしたら
治療者はそのたびに3.14のほうが適切なのだと説明するのだろうか
一応3でいいのでそれで説明を進めるのがいいのだろうか
所詮は正確ではないのだから
どちらでも変わりはないのだろうか

正確な説明に微分方程式とか必要な場合はどうするのだろう
簡単な道理も理解しない人だったらどうするのだろう

いや
精神医学の場合には
それ自体が診断材料として有力なのだから
むしろ問題はないのだ

ただそれを患者さんが
理解して納得するまでが大変だ

しかしその大変さを確認できれば
診断はますます正しい訳だから
悪いことでもない



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日記

昔の日記が出てきて読んでいたのだが
やはり日記を書かないと馬鹿になると思った
これからでも書こうかと思い
まず時間の設定をしようかと思う

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アメリカなどでの全寮制学校

先輩に聞いた話

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アメリカなどで未成年の時代に全寮制の学校に入れられると
大人ではないので自由も様々に部分的に制限されて
それでも当然と思われている

アメリカで成人してからの学校は
性交渉も薬物も自己責任で自由である

アメリカで子供時代を過ごし大人になった場合、自由すぎる大学に進学しても
羽目を外すのは一部の変な人と心得ている

日本で子供自体を過ごしてアメリカの大学に行くと、自由すぎて
素直に羽目を外してしまう

これはつまり大学生になっても中身は子供だということになる

ーーー
モンゴロイドは未成熟で中学生くらいで身体発達が止まるように思われるところがあるのだが
こうした現実をみると
精神的にも中学生くらいで成長停止していると
思われてしまうのではないだろうか

たとえばセックスや薬物をする自由があるのではなく、しない自由があるのだ

商売人が必死になって欲望をそそるものを商品にしている
それを買う自由というのは
あまり自由ではない話だ
むしろ買わない自由のほうが自由らしいだろう

欲望に負ける自由もあるだろうが
欲望に勝つ自由もある

欲望に負ける人が多ければ商売にはなるだろう

子供は欲望に簡単に負けるので
商売人にはいいターゲットだが
お金がないし決定権がない

中身は子供のままで成人して大人の権利を持った人
これが商売人にとっては
絶好のターゲットになる

実生活では大人でも
ネットの中では子供とか
匿名社会では子供とか
愛人の前では子供とか
友達の前ではいい顔をして子供になるとか
コンプレックス(劣等感)を突かれると子供になるとか
そういう場合に効率のいい商売ができるようだ



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都圏直撃大地震予報 4年以内70%M7クラス

首都圏直撃の大地震の予報
4年以内に70パーセントとか
マグニチュードは7クラス

帰宅難民問題を考えているらしくて
企業で備蓄して
3日は持ちこたえられるようにして下さいとの事

何で今のこの時期なのかなと思うが
3.11の少し前にという意見と
寒い時期なのでここで何か起こっても大変なので
備えておこうとか
あるいは重大な予兆があったのか

地震が来たら外に出ないで建物の中で安全を確保して下さいと話していた

どうしたらいいのかと思うがどうしようもない
慌てずに対処するしかない



共通テーマ:日記・雑感

ワタミタクショクとセブンミール

お食事の宅配
毎日お届け
他種類有り
塩分控えめ
カロリー控えめ
健康食
なのだそうだ

一人暮らしの人にはよさそうだ



共通テーマ:日記・雑感

うつ病分類の勉強

設問1

DSMにあげられている気分障害の各病気について
横軸を時間、縦軸をうつ病症状としてグラフを描き
理解しなさい

設問2

DSMにあげられている気分障害と不安障害の各病気について
横軸を不安、縦軸をうつとして、領域のグラフを描き、
理解しなさい

 ーーーーーーーー

気分障害

双極性障害

I型双極性障害・・・躁症状とうつ症状

II型双極性障害・・・軽躁症状とうつ症状

気分循環性障害・・・軽い躁症状と軽いうつ症状

特定不能の双極性障害

うつ病性障害

大うつ病性障害・・・ふつうにいううつ病。

気分変調性障害・・・軽いうつ症状が2年以上続く(抑うつ神経症)

特定不能のうつ病性障害

ーーー
大うつ病エピソード、躁病エピソード、混合性エピソード、軽躁病エピソードについては定義が細かく記載されている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

不安障害

全般性不安障害

パニック障害/広場恐怖

社会恐怖

単一恐怖[特定の恐怖症]

強迫性障害

PTSD

ASD

 

 



共通テーマ:日記・雑感

英会話学校のテンション

エレベーターで英会話学校のフロアに止まり
ドアが開くと別世界

強烈な光の躁状態世界

共通テーマ:日記・雑感

このようにしてわたしは生き、そしてすべてを失った

この人生を、このように生きている。なぜなのか、分からない。

「このようにしてわたしは生き、そしてすべてを失った」とタイトルを付けたい。
ニーチェのAlso sprach Zaratustra.のように。

ーーーーー
このようにして、わたしはすべて失った。

そうだ。人生はすべてを失うプロセスである。



共通テーマ:日記・雑感

寒いを具体的エピソードで表現する

2012年2月3日
寒いねーと挨拶するが
こんな感じで寒いという
具体的なエピソードが欲しいと
思ってしまう 

天気予報のように気温の数字で表現するのは
一つの方法であるが実感そのものではない

寒さの体験そのものを言葉にすると
どうなるか
というのが個人的な課題である



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鬼豆と福豆を食べた

2012年2月3日節分の日
鬼豆と福豆を食べた
中身は同じだった

人生はそんなものなのだろう


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知らないほうが良かったなと思うことの方が多くはないだろうか

人生は
知らないほうが良かったなと思うことの方が多くはないだろうか

知った方がいいかなあ

知らない方が幸せだったように思う

ーーー
たとえばネットなどでもだまされる方が悪いんだから
リテラシーを身につけなさいとかいう

そうなんだろうか

ーーー 
女にだまされるのもリテラシーがないといえば言えるのだろうか

後輩は出て行った女が帰ってきたと喜んでいるのだが
喜んでいいことなのだろうか

ーーー
インフルエンザの話を頻繁に聞くので
アルコールで手を消毒している



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