“留学生の名前が不思議な響きだったので中国語での意味を聞いたら「雨の上がったあとの風の匂い」だと教えてくれた
“留学生の名前が不思議な響きだったので中国語での意味を聞いたら「雨の上がったあとの風の匂い」だと教えてくれた
薬でもない 知識でもない 人格の多様な要素が徐々にしみ込んでゆく それが人間関係ですね
薬でもない
知識でもない
人格の多様な要素が徐々にしみ込んでゆく
それが人間関係ですね
「生徒の準備ができたときに、教師は現れる」こんな格言を聞いたことがあって、私はとても好きなのです。全くその通りだと思いますね。(ウ・ジョーティカ)
「生徒の準備ができたときに、教師は現れる」こんな格言を聞いたことがあって、私はとても好きなのです。全くその通りだと思いますね。(ウ・ジョーティカ)
教養とは
“教養とは普段の生活を送るうえではまるで目立たないもので、むしろ邪魔になるほどだが、失職したり、失恋したり、家族と別れたり、クソみたいな家族と巡り会ってしまったりといった人生における逆境の場面では、教養のあるなしは生死を分けるほど大きい。教養のない人間は自律できないのである。”
「現実」を「現実によって変化させられた人間」が語るのであるから、「語られた現実」は変化を受けているが そこはうまく計算すれば(それが困難だとは思うけれども) 「現実」を算出できるし、したがって、1年前の「その人」を算出できるだろう
"
「現在のこの人の考え方や感じ方」に「現在の環境」が作用して、
経験により学習したり訂正したりして
「未来のその人の考え方や感じ方」が成立する。
どういう考え方や感じ方に、どういう体験・環境がどういう影響を与えて、
結果として、どのような考え方・感じ方になったかと
数式で表現できるような確定的なものは今のところ困難である
しかし大変大雑把に考えて
現在のその人+1年間の環境=1年後のその人
と言えるだろう
そして
現在観察できるのは、「現在のその人の考え方や感じ方」である
また
ここ1年位のその人の環境については比較的把握しやすい
だから
うまくすれば1年前のその人については理解することができるかもしれない
ここから一年ごとに遡ればよいわけだから
最後にはその人の考え方・感じ方の原型に行き着くだろう
だいたい生まれて3年位は社会に出ていかないのだから
家庭の中での考え方や感情がその人を支配する
それが原型になるだろう
つまり最初の3年は環境がそのままその人になる傾向にあるだろう
とは言うものの、兄弟でも双子でもかなりの差が生じるようで
やはり人間の生まれたばかりの原型には個性があるのだろうと思う
それも、上のように、差分を計算していけばなんとかなりそうである
しかし問題は
1年ごとに遡るとして、どのような環境があり、どのような主観的体験をしたのかということを
現在の脳が語るという困難である
現在の脳というバイアス、すなわちフィルターを透過して語られる経験であるから
それはこの一年の体験そのものではない
しかしまた、そのように主観的に語るという事実から、
現実に何が起こったのかを語ることはできるのかもしれない
「現実」を「現実によって変化させられた人間」が語るのであるから、「語られた現実」は変化を受けているが
そこはうまく計算すれば(それが困難だとは思うけれども)
「現実」を算出できるし、したがって、1年前の「その人」を算出できるだろう
うまく表現できないが、そういうこと
"
“有吉さんの、この言葉で救われた『人間、挨拶とお天気の話だけできれば、それで十分だと思います。それだけで普通は「いい人だ、気さくな人だ」って言われます。「今日はあったかいですね~」って言って笑っていれば、「いい人だ」って言われるので大丈夫です。それ以上深い話とかする必要ないし』”
“有吉さんの、この言葉で救われた『人間、挨拶とお天気の話だけできれば、それで十分だと思います。それだけで普通は「いい人だ、気さくな人だ」って言われます。「今日はあったかいですね~」って言って笑っていれば、「いい人だ」って言われるので大丈夫です。それ以上深い話とかする必要ないし』”
音楽業界の凋落は、そのまま日本社会の凋落に似ている
“
思えば、“違法コピー撲滅のため”と、「コピーコントロールCD」「レーベルゲートCD」などが登場したのが02年。その後も、iTunes Storeの進出を渋り、着メロ・着うたに執心だった日本の音楽業界はユーザーの存在を軽視していた。そして、世界の潮流から乗り遅れ、ガラパゴス化の一途をたどる。アメリカやヨーロッパではすでに一般化しているストリーミングサービスSpotifyは、現在も日本をスルーしたままになっている。
おそらく、音楽の質が低下したわけではないし、身の回りに流れる音楽の量が減ったわけではないだろう。ただ、利権を守るため、日本の音楽業界は時代の変化を認めなかったのだ。
「この失われた20年で、われわれは、この国を良くしていくには、政治や官僚や教育や会社組織には、何も期待できないということを思い知らされた。その怠惰な流れの中で漂うように音楽業界はゆるやかに失速していった」。
音楽業界の凋落は、そのまま日本社会の凋落に似ている。
”
ソニーがJ-POPを殺した!? 音楽業界10年間の凋落史
“前も書いたけど、感受性の強い人はひどいニュースを見続けちゃダメです。テレビを消して、新聞を閉じ、スマートフォンの電源を切りましょう。今日は割と天気イイです。散歩でもしましょう。もうあなたは十分すぎるほど見ました。”
“前も書いたけど、感受性の強い人はひどいニュースを見続けちゃダメです。テレビを消して、新聞を閉じ、スマートフォンの電源を切りましょう。今日は割と天気イイです。散歩でもしましょう。もうあなたは十分すぎるほど見ました。”
手はつなぐ
“
家を出ると、子どもが、手を伸ばしてくる。
「手をつなぐ」のが当たり前なのだ。
手をつないで歩いて幼稚園に行くものだと、子どもの中では決まっているのだ。
しかし、日本で大人になってだいぶ経つ僕は、知っている。
「手をつなぐ」ことが、どれだけ特別なことか。
手をつなげる人が、いかに少ないことか。
ましてや、なんの気遣いもなく、親密さを示す必要すらなく、当たり前のように手を伸ばしただけでつなげる人は、その中でもさらに、いかに少ないことか。
この小さな生き物が、全幅の信頼を寄せて、毎朝手をつないで歩いてくれたことを、しみじみとありがたく思う。
ありがとう、ありがとうね。
”
「手はつなぐもんだ」
目標としての善 手段としての悪 手段としての善
"
許される悪はあるのか
たとえばバットマンの場合
彼が達成したい正義の為には
些細な悪は許されるのか
あるいはそうではなくプロセスとしての善が求められているのであって
結果としての善は二次的なものであるのか
つまり、スーパーマンのように、善なる手段により、善を達成することのみが正しいことなのか
しかしそれでは善の実現はますます困難になるのではないか
遅すぎると批判も出るだろう
理想主義的すぎると反論も出るだろう
多分、二段構えがいいのであって、
バットマンもいて、スーパーマンもいるのが良いのだ
目標としての善を達成するためには多少の悪には目をつむらざるを得ないという立場の人と
むしろ、目標としての前途は、プロセスの全そのもののことであって、
その結果の達成としての結果の善は二次的な産物であるとする立場の人がいて、
それは重なり合いつつも、分離し、拮抗している
"
Neuroscience and Free Will - Libet's Experiment
https://www.youtube.com/watch?time_continue=5&v=IQ4nwTTmcgs
一回休んでみて、遠くから眺めてみて、死なない限り、地球が滅ばない限り、その場限りでやろうと考えないことです
“ひらめきメモ:落ち込んじゃったときは、焦って一日でなんとかしようと考えるよりも、「週末までに立て治してこう」とか、「一週間で処理しよう」とか、数日かけて元に戻そうと考えると、根性論じゃない具体的な回復プランが浮かんでくる。今日のアイスはハーゲンダッツにしよう、とか。”そのとおりです。一計を案じるのが上策です。一回休んでみて、遠くから眺めてみて、死なない限り、地球が滅ばない限り、その場限りでやろうと考えないことです。