SSブログ

創造というのは、99%は過去にあった何かの組み合わせ

羽生:創造というのは、99%は過去にあった何かの組み合わせだと思うんですよね。ですからそうした意味での創造はAIでもできるようになるような気がします。

 将棋の世界では、AIが新しい発想やアイデアのきっかけになるということが既に起こっているんですよ。今、膨大な数のソフトが日々、対戦しているのですが、その中から創造的な作戦や戦法とかが生まれているんです。

西川・岡野原:そうなんですか!

羽生:はい。でも、あまりに膨大な量のデータなので、ソフトを作った人はそれに気付いていない。棋士が見て初めて、「これって今までにないすごい戦法だよね」と分かる。



共通テーマ:日記・雑感

いわゆる頭のいい人は、言わば足の早い旅人のようなものである

“いわゆる頭のいい人は、言わば足の早い旅人のようなものである。人より先に人のまだ行かない所へ行き着くこともできる代わりに、途中の道ばたあるいはちょっとしたわき道にある肝心なものを見落とす恐れがある。頭の悪い人足ののろい人がずっとあとからおくれて来てわけもなくそのだいじな宝物を拾って行く場合がある。”
寺田寅彦 科学者とあたま


共通テーマ:日記・雑感

健康に役立つかも知れない

1.よく陽に当たる ― 陽に当たるとメラトニンが分泌されストレスが溜まらない

2.朝ゴハンを食べる ― 朝食を食べるとブドウ糖が脳に行き、頭が働く

3.お酒を控える ― 感情の抑制がきかなくなるのでお酒はほどほどに


4.疲れたときには、ゆっくり休む ― 疲れるとイライラする。とにかく休む

5.異性にモテる努力を放棄しない ― 男は男らしく、女は女らしくいることが性ホルモンの働きを刺激する

6.ゲラゲラ笑う ― 笑うとNK(ナチュラルキラー)細胞が活性化、免疫機能がアップする

7.適度なストレスはエネルギー源 ― プラスの方向に働くストレスもある

8.運動を生活の中に取り入れる ― 運動は老化抑制効果が高い。歳をとるほど運動量を増やす

9.仲間や友達としゃべる ― 職場のうっぷんを晴らす居酒屋文化は大人の知恵

10.場合によっては医療機関で薬をもらう ― 薬を飲んだほうが回復が早まることもある



共通テーマ:日記・雑感

人間の記憶の容量ってハードディスクで言うと平均3.7TB

人間の記憶の容量ってハードディスクで言うと平均3.7TB

共通テーマ:日記・雑感

くらやみの速さはどれくらい(Speed of Dark)

“くらやみの速さはどれくらい(Speed of Dark)は。アメリカの作家エリザベス・ムーンによるSF小説。自閉症患者の視点から物語が進んでいく小説である。2003年にネビュラ賞を受賞し[1]、アーサー・C・クラーク賞の最終選考作となった。「21世紀版『アルジャーノンに花束を 』」などの評価を受けている[1]。エリザベス・ムーンには自閉症の息子がおりその息子が言った「くらやみの速さはどのくらい?」(光がどんなに速く進んでもその先にはかならず闇がある。だから、暗闇のほうが光よりも速く進むはずという考えから)という言葉から自閉症患者の独特な感受性に驚いたことを端緒とし、多くの自閉症の患者を取材してこの小説を作り上げた。”

共通テーマ:日記・雑感

トラウマ

確かに小説や漫画や映画の世界では、「トラウマ」というのは、「『克服』されなければならないもの」として取り扱われている場合がほとんどです。そして、それらの作品の登場人物は、さまざまな困難にもめげずに、その「トラウマ」を乗り越えていくのです。

 でも、普通の人間にとっては、「トラウマ」というのは「必ずしも克服可能なものではない」のも厳然たる事実なんですよね。たとえば、子供の頃に親に虐待されていたというトラウマを持っている人が、大人になったときにその親を赦して和解できるか?という場合、すべての人が「僕の親なのだから」「私も大人になったのだから」ということで、自分を納得させることができるわけではないと思うのです。いやもちろん、そこで和解できれば「幸せ」なのかもしれないけれども、人間の感情というのはそんなに簡単に切り替えられるようなものではないんですよね。

 しかしながら、そこで「和解できない」のも当然のことなのにもかかわらず、「トラウマは乗り越えなければならない」という強迫観念のために「虐待されたトラウマ」+「トラウマを乗り越えられない弱い自分を責める気持ち」に二重に苦しめられてしまうようなことも、現実にはけっして少なくないのです。ドラマに感化されてしまった「トラウマを持たない人」たちは、「人間として、親を赦せないのはおかしい!」なんて平然と口にしたりするものですし。

 もちろん、「トラウマ」を乗り越えて幸せになれるのだったらそれに越したことはないのですが、多くの場合、生きるというのは、いろんな「捨てられないネガティブなもの」を抱えながらの旅になってしまいます。でも、そんな荷物の重さに苦しみながらも、人は綺麗な景色を観て感動することができるし、美味しいものを食べたときには頬が緩んでしまったりもするのです。
 トラウマを抱えながらでも「それなりに幸せになるという道すじ」だって、たぶん、たくさんあるのです。少なくとも、僕はそう信じています。そもそも、全く挫折のない人生なんて存在しないだろうとも思いますしね。



共通テーマ:日記・雑感

人を責めたり批判することが好きな人

“人を責めたり批判することが好きな人って、他人が不幸になることを望んでいる人。
そういう言葉を口にすえばするほど貧乏神と言うのはその人に近づいてきたくなるんです。”


共通テーマ:日記・雑感

色の組み合わせで最も心地よく感じられるのは

“レオナルド・ダ・ヴィンチは「すべての色の組み合わせで最も心地よく感じられるのは、相対立する色から成り立っている場合である」と述べた。このとき彼は、意識することなく生理学的事実を述べていたことになる。しかしながら、それが事実であることは、今から40年ほど前に、反対色特性が発見され、そこで初めて生理学的に証明されたのである。赤で興奮する視覚系の細胞は緑で抑制され、黄色で興奮する細胞は青で抑制され、白で興奮する細胞は黒で抑制されること(その逆もすべて正しいこと)が生理学的に確かめられたのである。」”

共通テーマ:日記・雑感

心を変えること

たとえば怒りを感じると、当然のことですが拳を握り締めたり、呼吸が荒くなったり、肩を怒らせるといった身体の変化も生じます。

これを逆に利用して、怒っていることを意識したら手をパーの状態にしてみる、呼吸のペースを長くする、肩をならして上半身から力を抜いてみると、いきなり感情のゲージが下がって制御が楽になります。

思った以上に心の動きにはこうした身体と連動した「ハンドル」がたくさんあります。気分の沈み込みとため息の数、警戒心と腕組みの姿勢、嫌悪感と顔の表情などです。こうした自分のくせがわかったら、このつながりを逆に使うことで逆の感情を演出することができるわけです。

これも一種のゲームの感覚で実行するのがよいでしょう。怒りを制御するゲーム、嫌悪を顔に出さないようにするゲームです。

ただ、この手法はあくまで自分にとって望ましくないと思っている感情を制御するためのもので、感情を抑圧した機械になるための方法ではないことは留意してください。時には怒りをただ鎮めるよりも、コミカルに表出することで相手に伝えた方が良い場合だってあるのですから。

心を変えること、それは自分という OS のルック・アンド・フィールを変えることともいえます。目指すは Mac OS X のような洗練された自分の表現方法、というわけです。



共通テーマ:日記・雑感

つまり、日本社会では、一度、無業状態になってしまうと、人間関係や社会関係資本、意欲も失ってしまいがちなのである。それが無業社会の恐ろしさでもある。

つまり、日本社会では、一度、無業状態になってしまうと、人間関係や社会関係資本、意欲も失ってしまいがちなのである。それが無業社会の恐ろしさでもある。

共通テーマ:日記・雑感

サーバ◯日無停止稼働中

サーバ◯日無停止稼働中とかよく誇らしげに語れることがあるが、実際にはこのような長期稼働のサーバは再起動に失敗して二度と上がらないケースが多いことはよく知られているし、人間の皆勤賞と同じように今後控えるべき風潮なのではないか、と思い始めた

たまにエラーが発生して再起動しながら使っている方が安全という見方もできるらしい

共通テーマ:日記・雑感

小説とシナリオ

昔は個人で映画を作るなんて無理だったから
小説を書くしかなかった

また、子供は大人の語る物語を聞いて育ったものだから、
人間は物語るのだという信念も強かった

詩よりも自由で説明も詳細にできることもあって
初心者を文学の世界にいざなうのはやはり小説だったように思う

しかしいまでは事情が違う

小説=シナリオ+文学的要素
映画=シナリオ+撮影編集

である。

シナリオは、そのまま映画の素材にもなり、朗読劇の素材にもなる。
文学的要素とは、言葉についている音韻とか色彩とか、場合によっては香気とか、
そんなもの

文学的要素は多分に流行に支配される
楊貴妃が生きていた時代の唐の都での文学的感性と
現代のニューヨークでの文学的感性は
似ている部分よりもむしろ異なる部分が大きいだろうと思う

はたして小説を文学として味わっている人がどれだけいるだろうかとも考える
それは単なるシナリオではないのか?
もし、小説の要約を知りたいと思う人がいたら、その場合は、シナリオの方が良い

トルストイの戦争と平和とかアンナ・カレーニナとかそのあたりは
シナリオ部分は映画を見たほうが分かりやすい
文学的香りの部分は多分、翻訳ではかなり変な香りになっているはずで、
原文を読まないで文学を語ることもどうかとも思う

ドストエフスキーは映像化しにくいもので
これはやはり文章で伝える必要があるのだと思う
また、ドストエフスキーの考えたことを伝える場合に、
はたして小説という形式が良いのかどうか、疑問もある
論理を叙述する簡潔な形式があるのだから
そのほうが良いような気もする
ドストエフスキーという人間に必然的に不可避的に付着するその他の要素は
個人的には興味がない

たとえば花が美しいことを表現する場合、
現代であれば、写真を取ったほうが正直だし、簡単なビデオで充分だ
そこに見る者の主観を大幅に混ぜられても
そんなものは私としては面白くない

どういう状況でその花に出会ったかとか
その花は例えて言えば何に似ていたかとか
そういうものは文学になるのだが
俳句や短歌に適しているもので
現代ではほぼ出尽くしていて
自分で思いついたなどと思うのは浅学というもので
どこかで誰かが表現している場合が多いと思う

翻訳不可能な要素が文学だと言われるのであるが
そんなややこしい文学的要素を味わうには
無駄な教養が山のように必要で
若い人にはとうてい無理だろうと思う

最近の若者には
他に学ぶべきこともあり、楽しみもあるのだから、
そんなくだらないものに時間を費やしているよりも、
映画でも見て、早く理解した方がいいだろう

ーーーーー
つまり、時代が要求しているのはシナリオライターであり
シナリオは国境を超えて売り歩けば良い

シナリオは思いつかないけれども
シナリオを映像化するならやってみたいと思う人もいるはずだ
そのような分業にも意味がある

ーーーーー
さて、そこまではいいとして、
ここまでは、シナリオ部分は翻訳可能であり、文化を超えて理解可能であると前提してきた
果たしてそうだろうか?と考えてみる

セリフのない動画を考えてみると、
人間である限り、どの地域のどの年代の人でも、笑えるもの、という動画もあるように思う

しかしまた、セリフのない動画にしても、文化背景がないと理解できないものもある
 
誰でも理解できる動画は、オオカミに育てられたオオカミ少年には理解できるのだろうか、
と考える

チョムスキーが昔言ったような、人間の脳に生得的に埋め込まれている潜在的文法が
あるとすれば、(もちろん、どのような形式かはわからないとしても、あることはあるだろう、
脳はそういうものなのだから)
その部分だけで理解できるものがあるのだろうと思うが、
それは非常に限定的で少ないものだろうと思う

英語や日本語と言ったような、いわばOSが、
言葉のない映像をどう理解してどう感動するかに
大きく関係していると思う

このような言い方は、あからさまに、脳をPCにたとえて考えているので、
あまり根拠の無いこととも思うのであるが、
脳というハードに、言語というOSが乗っていて、更にその表層部分に、流行が乗っているのだろう。
(昔は脳は蒸気機関のメカニズムに例えられ、エネルギーモデルで解釈された。
その後では一時期は、電話交換機に例えられた。刺激と反応をどう結びつけるかという話。
刺激と反応がそれだけで終わらず、反応がそのまま次の刺激になっている場合、
フィードバック回路を形成する。
そこでポジティブ・フィードバック回路とかネガティブ・フィードバック回路が考えられた。
その頃の心理学はフィードバックという言葉が重要だったのだろう。
現在でも、システム理論を応用した心理療法などの分野に記念碑的にのみであるが残っている。)

このように考えてみると、
言葉を超えて、映像だけで、何が伝わるのかという問いについては、
やや否定的なことを言わざるをえない。

しかしながら、所詮はシナリオレベルのことであるから、
日本語も英語も中国語も、その他混合言語も、共通に備えているものがあるのだろう。

水を飲めばどんな感じなのかとか
荷物を運んで疲れたときはどんな感じかとか
恋とか嫉妬とか基本的に共通のものはあるようであるが
それも脳の持ち分なのかOSの持ち分なのか、怪しいところがある

オオカミ少年は脳は持っているがOSは持っていない

天才ゴリラに言葉を教えると、どうも、なかなか理解が良いので、
人間の脳との共通性は大きいのだと考えられている
(そんな映画もあった)



共通テーマ:日記・雑感

話す言葉に生き方が見えてしまう

話す言葉に生き方が見えてしまう

共通テーマ:日記・雑感

不安定な時期も、いま自分は離陸しているんだと思ったらいい

たとえば飛行機でも、
離陸してしばらくは揺れがあったりする
そのあと安定した飛行に移行する

人間で言えばもう少しいろいろで
人生の最初期に安定期である人もいるし
その後、どのタイミングで不安定と不安定期が来るかは
様々である

不安定な時期も、いま自分は離陸しているんだと思ったらいいかもしれない。


共通テーマ:日記・雑感

“書き手が無知であるほど、文体が断定的になる傾向を備えている”

“書き手が無知であるほど、文体が断定的になる傾向を備えている”

共通テーマ:日記・雑感

ほんの短い間だけ咲く花

ほんの短い間だけ咲く花もあります、春が来たことを知らせ、希望があることを知らせる花だから、みんなから大切にされ、愛される花です。そして、その花は枯れます、でもその花は、やらなければならないことをちゃんとやり終えたのです。(キューブラー・ロスと余命三ヶ月の少年とのやりとり)

共通テーマ:日記・雑感

教えようとすると、学ばない

娘を持ってから気がついたのは、他者というのは「教えようとすると、学ばない」という不思議な事実です。これは職人の育成において、古くから世界中で採用されている「徒弟制(とていせい)」の中には組み込まれているセオリーです。すなわち、師匠が弟子に直接は何も教えないからこそ、弟子は師匠から技を盗もうとし、一人前に育つのだと。 この文脈からすると、先生が生徒に向かって一方的に知識を伝えるような従来の教授法には、決定的なデザイン・エラーがあることが推測されます。先生からよりもむしろ、2ちゃんねるから多くを学べるのはどうしてなのか。

これは多分真実なんだろうけど一方で、徒弟が師匠から盗もうとするのは徒弟が将来的には独立するなどのインセンティブをベースにした動機付けがあるからで、一般的なサラリーマンや学生がなにも教えずに自ら学ぶという態度に出るかどうかは個人の資質に依存してしまうのでよろしくないと思う。学ぶ意欲のためのインセンティブ設定が必要。


共通テーマ:日記・雑感

“剣法でも仕事においても、上手な人はゆっくり、ゆったりしているように見えるということです。自分自身に余裕があるということです。自分もそうありたいと思っています。”

“剣法でも仕事においても、上手な人はゆっくり、ゆったりしているように見えるということです。自分自身に余裕があるということです。自分もそうありたいと思っています。”

共通テーマ:日記・雑感

成し遂げんとした志をただ一回の敗北によって捨ててはいけない。(ウィリアム・シェイクスピア)

成し遂げんとした志をただ一回の敗北によって捨ててはいけない。(ウィリアム・シェイクスピア)

共通テーマ:日記・雑感

偶然といい、チャンスといい、日頃の備えがあってこそ、それらを生かすことができる。

偶然といい、チャンスといい、日頃の備えがあってこそ、それらを生かすことができる。

共通テーマ:日記・雑感

眼が開いた人は、人を救う(天に引っ張りあげる)などという大それたことはできなくても、人を向こう岸へ渡してあげることはできる。自分は悟ってなんかいなくても、人を度すことはできる。

眼が開いた人は、人を救う(天に引っ張りあげる)などという大それたことはできなくても、人を向こう岸へ渡してあげることはできる。自分は悟ってなんかいなくても、人を度すことはできる。

共通テーマ:日記・雑感

プロのサッカーのドリブル

"
酒の席で先輩が言っていたこと

プロのサッカーでドリブルで抜かれるなんて
絶対おかしい

ドリブルを前方で待って止めようとするならば
フェイントもあるだろう
しかしフェイントが3回も4回も有効だというのもおかしいが

ならばドルブルに対しては
後方から走って追い抜けばいいのである

一般人には無理だと認めるが
プロ同士である
ドリブルの天才がいるとして
その人の背後から走って追いついてボールを取ればいい
どんなに足が速いと言っても
ドリブルしながら走るのと
その背後から必死に追いかけるのでは
追いかけるほうが早いに決まっている

と、言うのである

"

共通テーマ:日記・雑感

" 旅が旅であるのは 反復を拒むことにある いつでも来られるなら日常である 嫌でも行かなければならないのは仕事である 一度限りの光るもの、それが旅である "

"
旅が旅であるのは
反復を拒むことにある

いつでも来られるなら日常である

嫌でも行かなければならないのは仕事である

一度限りの光るもの、それが旅である

"

共通テーマ:日記・雑感

昔の私が残していったもの

"
あんなにもあなたのことを愛した私は
今もあなたを愛している

しかし今の私は、昔の私が残していったものでしかないのだ

"

共通テーマ:日記・雑感

“誰が許して誰が許されるのであらう。われらがひとしく風でまた雲で水であるといふのに。”

“誰が許して誰が許されるのであらう。われらがひとしく風でまた雲で水であるといふのに。”

共通テーマ:日記・雑感

優雅に生きることが最良の復讐である

“スペインに「優雅に生きることが最良の復讐である」という言葉がある。どんなに理不尽な目にあっても、仕返しで取り戻せるものなんて、たかが知れてる。週末を優雅に過ごすことを考えよう。”

共通テーマ:日記・雑感

想いの強さ

“想いの強さというのは瞬間的な最大値ではなく継続性でこそ測れる訳で、まだホワイトバンドつけてる人がいたり、1年後にアイコンが緑のままの人がいたらとても立派だと思うけど、そんな人たぶんいないよね。”

共通テーマ:日記・雑感

避難所

“おまえの心の中には静かな場所が、避難所がある。その中へおまえはいつでも入り込んでくつろげるのだ。誰でもそうすることができるのに、それができる人はほとんどいない”

共通テーマ:日記・雑感

ナチュラルクリーニング

重曹を使ったお掃除のことを最近ではナチュラルクリーニングと言うらしいです。

ソルベー法で工業的に合成された純度100%の炭酸水素ナトリウムが「ナチュラル」というのはどうかと思いますが、



共通テーマ:日記・雑感

ダライ・ラマ14世

“ダライ・ラマ14世は、毛沢東、周恩来以来すべての中国指導者と五分で渡り合い、いまだに中国の「対抗者」のポジションにいる世界でただ一人の政治家である。
スターリンもフルシチョフもケネディもニクソンもネルーも蒋介石もスカルノもみんな死んだ。リー・クアン・ユーもマハティールも李登輝も現役を引退している。
その中にあって、ダライ・ラマ14世だけがただ一人現役の「中国のカウンターパート」として、つねに世界のメディアの注目を集めている。
繰り返すが、これはきわめて例外的なことである。
私たちはなんとなくダライ・ラマ14世というのを穏和で平和主義的な宗教家だと思っているけれど、この人は現存する政治家の中で「最長不倒距離」を誇るスーパーマンなのである。”


共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。