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“歳をとるのは簡単、大人になるのは難しい”

“歳をとるのは簡単、大人になるのは難しい”

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アメリカ人が訴訟を起こさない時 ドイツ人があいまいな事を言う時 フランス人が他者に文句を言わない時 イギリス人が冗談を言う時 イタリア人が沈黙を守っている時 ロシア人が酔っていない時 日本人がスムーズに仕事をこなしている時 何か裏取引があったと疑うべきである。

アメリカ人が訴訟を起こさない時
ドイツ人があいまいな事を言う時
フランス人が他者に文句を言わない時
イギリス人が冗談を言う時
イタリア人が沈黙を守っている時
ロシア人が酔っていない時
日本人がスムーズに仕事をこなしている時
何か裏取引があったと疑うべきである。


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“行ったけれどたいした事が無かった。やったけれど面白くはなかった。使ってみたけれど使いにくかった。それが経験だ。”

“行ったけれどたいした事が無かった。やったけれど面白くはなかった。使ってみたけれど使いにくかった。それが経験だ。”



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“休みの日は上司とゴルフに行かないと出世できない会社が嫌で、転職して年齢層の若い会社に入ったら〝ゴルフ〟の部分が〝フットサル〟に変わっただけだったという世知辛い話をドトールで聞いている。”

“休みの日は上司とゴルフに行かないと出世できない会社が嫌で、転職して年齢層の若い会社に入ったら〝ゴルフ〟の部分が〝フットサル〟に変わっただけだったという世知辛い話をドトールで聞いている。”



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紅茶をそんなに知らない人が「ダージリンは知ってる!」って言うように「オレンジ・ペコーは知ってる!」って人もいるかと(´゚ω゚`) しかし、オレンジ・ペコーは茶葉の種類ではないのです( ˘ω˘).。oO そして、オレンジの味の紅茶でもないです…( ˘ω˘).。oO オレンジペコー、通称OPは茶葉の等級(グレード)を表すもの。 バンダム級とかライト級とかそういう感じ(゚-゚) つまり、アッサムのオレンジペコーもあるし、ダージリンのオレンジペコーもあります╭( ・ㅂ・)و ̑̑

紅茶をそんなに知らない人が「ダージリンは知ってる!」って言うように「オレンジ・ペコーは知ってる!」って人もいるかと(´゚ω゚`)

しかし、オレンジ・ペコーは茶葉の種類ではないのです( ˘ω˘).。oO 
そして、オレンジの味の紅茶でもないです…( ˘ω˘).。oO


オレンジペコー、通称OPは茶葉の等級(グレード)を表すもの。
バンダム級とかライト級とかそういう感じ(゚-゚)

つまり、アッサムのオレンジペコーもあるし、ダージリンのオレンジペコーもあります╭( ・ㅂ・)و ̑̑


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“現代人はあまりにも合理性や、道徳性などで防衛されているので、おそれおののくことがほとんどなくなってしまった。すべてのことは「わかって」いるし、わからないことや恐ろしいことは、うまく言いかえることによって防衛する。” 河合隼雄『昔話の深層 ユング心理学とグリム童話』

“現代人はあまりにも合理性や、道徳性などで防衛されているので、おそれおののくことがほとんどなくなってしまった。すべてのことは「わかって」いるし、わからないことや恐ろしいことは、うまく言いかえることによって防衛する。”
河合隼雄『昔話の深層 ユング心理学とグリム童話』


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“ジューサーの中に金魚と水が入っていて、スイッチだけリモコンで、観客の側に置かれる。観客は誰もがそのスイッチを押すことができるようになっていて、「いつでも金魚を殺せる」という、その感覚が展示になっていた。 この展示で、実際にボタンを押せた人はたぶんいないのだろうけれど、これをたとえば、ジューサーに入れた金魚をインターネットで公開して、ネットの向こう側にいる誰もが、匿名のままそのボタンをクリックできるようにしておくと、誰かがボタンを押してしまう。多数決ルールを導入して、「ボタンを押した人が累計で10人を超え

“ジューサーの中に金魚と水が入っていて、スイッチだけリモコンで、観客の側に置かれる。観客は誰もがそのスイッチを押すことができるようになっていて、「いつでも金魚を殺せる」という、その感覚が展示になっていた。
この展示で、実際にボタンを押せた人はたぶんいないのだろうけれど、これをたとえば、ジューサーに入れた金魚をインターネットで公開して、ネットの向こう側にいる誰もが、匿名のままそのボタンをクリックできるようにしておくと、誰かがボタンを押してしまう。多数決ルールを導入して、「ボタンを押した人が累計で10人を超えたら、ジューサーの電源が入ります」という看板を出しておくと、ボタンが押される閾値はますます下がる。
匿名ルールを廃して、たとえばTwitter のような、押した人をある程度トレースできるメディアで展示を公開しても、状況はそんなに変わらない。IDの追跡が可能になってしまうと、今度は逆に、あえて押してみせることを、一種の表現として利用しようという人が出てくるだろうから、金魚の命運は、やっぱり危ういままになってしまう。
恐らくはたぶん、「ボタンは誰でも押せます。累計で10人の人がボタンを押すとジューサーが回ります。その代わり、10人のうち1人だけ、押した人の氏名が公開されます」という但し書きが、金魚の生存確率を高めてくれる。
売名目的の人にしてみれば、自分の名前が公開されない可能性があるならば、自分の行為が無駄に終わってしまうリスクがあるし、怖いもの見たさの人は、「10人のうち1人」という理不尽さがためらいを生んで、やっぱりボタンは押せないだろうから。
完全匿名も、完全公開も、「完全」が、ルールに対する過度な信頼を生んで、常識の垣根を踏み越えて、ぎりぎりまでやる人たちを生み出す。確率論的な理不尽さを持ち込むと、ルールはもう、誰からも信用されなくなる。ルールに対する不信が自制を生んで、自制は落としどころとしての常識を生み出していく。”


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4歳の甥っ子が 「ママ、僕は夏には自分で頭を洗えなかったけど、今は自分で洗えるよ  それはママが何度も教えてくれたからだよ  僕が頭を洗えるようになるのに、○○くんも○○ちゃんも関係ないよ  僕が何か出来るようになるのに、他の人は関係ないよ  夏の僕と今の僕だけ比べてよ」

4歳の甥っ子が

「ママ、僕は夏には自分で頭を洗えなかったけど、今は自分で洗えるよ
 それはママが何度も教えてくれたからだよ
 僕が頭を洗えるようになるのに、○○くんも○○ちゃんも関係ないよ

 僕が何か出来るようになるのに、他の人は関係ないよ
 夏の僕と今の僕だけ比べてよ」


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まさかアジアの戦地で自分の身内が一兵卒として飢えと病と上等兵のしごきに苦しんでいるとは、微塵も思わなかった

まさかアジアの戦地で自分の身内が一兵卒として飢えと病と上等兵のしごきに苦しんでいるとは、微塵も思わなかった

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原爆投下国、しかも二発と 原爆被爆国、しかも二発と 倫理的優位はどちらにあるのだろう そして日本国憲法前文と九条はその倫理的優位を形にして刻印し続けている

原爆投下国、しかも二発と
原爆被爆国、しかも二発と
倫理的優位はどちらにあるのだろう
そして日本国憲法前文と九条はその倫理的優位を形にして刻印し続けている

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不思議たくさん やる気いきいき チャレンジワクワクで生きることに決めた ってさいいね

"不思議たくさん
やる気いきいき
チャレンジワクワク
で生きることに決めたってさ
いいね"

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貧困層に「経済的徴兵制」? 国民の知らないところでどんどん進んでます。生きる為に戦場に行くという国に日本もしようかという動きが出てきてます。なぜ日本は給付型奨学金制度導入を渋るのか、高利なローンで若者を苦しめるのか、どうして格差社会を広げる労働規制緩和を拡げるのか。そこに経済的徴兵制を視野に入れてることは否定できません。私も大学4年間、勤労奨学金で働きながら大学にいき学費を稼ぎました。もし大学学費のローンが500万あって、非正規雇用で返済もできずローンが膨れあがって生きづまり、アメリカのように軍隊に入れ

貧困層に「経済的徴兵制」?

国民の知らないところでどんどん進んでます。生きる為に戦場に行くという国に日本もしようかという動きが出てきてます。なぜ日本は給付型奨学金制度導入を渋るのか、高利なローンで若者を苦しめるのか、どうして格差社会を広げる労働規制緩和を拡げるのか。そこに経済的徴兵制を視野に入れてることは否定できません。私も大学4年間、勤労奨学金で働きながら大学にいき学費を稼ぎました。もし大学学費のローンが500万あって、非正規雇用で返済もできずローンが膨れあがって生きづまり、アメリカのように軍隊に入れば全額免除すると言われたら、どうするか。貧しきものが生きる為に戦場にいく。そんな国にしてはならないと強く思います。
文科省は先月末、大学生らの経済支援に関する報告書をまとめた。有識者会議メンバーの一人はその検討過程で卒業後に就職できず、奨学金の返還に苦しむ人たちについて「防衛省でインターンシップ(就業体験)をさせたらどうか」と発言した。若年貧困層を兵士の道に追い立てるのは「経済的徴兵制」ではないのか。


発言の主は、文科省の有識者会議「学生への経済的支援の在り方に関する検討会」メンバーの前原金一・経済同友会専務理事。住友生命の常務取締役などを務めた人物だ。

奨学金返済が話題にのぼった5月の検討会で、前原氏は「返済の遅延者が無職なのか教えてほしい。放っておいても良い就職はできない。防衛省などに頼み、一年か二年かインターンシップをやってもらえば就職は良くなる。防衛省は考えてもいいと言っている」と促した。

米国では実際、軍に入隊すれば国防総省が奨学金の返済額を肩代わりする制度があるという。

藤本一美・専修大名誉教授(政治学)は、米国の現状について、「米軍は志願兵制を取るが、貧困層の若者が兵士になる例が非常に多い」と解説する。

米政府が奨学金返済を肩代わりにするのは兵士の確保のためだが、格差社会が進む米国では、この制度に頼らざるを得ない貧困層が多い。結果的に兵士の多くを貧困層が占めている。貧困層にとっては、兵士以外の選択を奪われた「経済的徴兵制」なのだ。

三浦まり・上智大教授(政治学)は「米国の場合は、防衛の仕事は貧困層に押し付けるあしき構図が定着してしまったのが大きな問題」と指摘した上で、冒頭の前原氏のような発想を批判する。

「そもそも何かと引き換えに大学で学ぶ機会を与えるという考え方が間違い。若者たちは一人一人、自分の能力を引き出すための学習権がある。学生の経済支援を考えるなら、この権利を安心して行使できるよう大学教育の無償化という方向で考えるべきだ」



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風は蕭蕭として易水寒し、壮士一たび去って復還らず - 風蕭蕭兮易水寒、壮士一去兮不復還

風は蕭蕭として易水寒し、壮士一たび去って復還らず - 風蕭蕭兮易水寒、壮士一去兮不復還 

ーーー
漢詩の読み下し文もまた充分に日本語の詩文として
魅力的であるのはどうしてだろう

ひとつには日本語の骨格の中に漢文の骨が埋め込まれているからだろうと思うが
それにしても不思議である

親切に翻訳するよりずっと魅力的である
奇跡の一つだと思う

ーーー
紀元前233年、燕の太子である丹が人質になっていた秦から逃げ帰ってきた。丹は秦王政と子供の頃に親しくしていたが、大人になってから秦で出会うと政は丹を見下し、冷遇したので怒った丹は燕に逃げ帰り、復讐を考えた。秦をどうにかしたいと言う願いは、丹の私怨だけでもなく、当時圧倒的に秦が強勢であり、何か手を打たなければ燕も遠からず滅ぼされることが明らかであった。
政に対して刺客を送ることを考えた丹は田光に相談し、田光は荊軻を推挙した。丹が帰る時に「この事はご内密に」と言ったことで、田光は荊軻に話を告げた後で「太子に疑念を持たせたのは私の不徳の為すところだ」と自ら首をはねた。
刺客の依頼を受けた荊軻は、用心深い秦王に謁見するための策を考えた。その策とは、一つが、燕でも最も肥沃な土地である督亢(とくこう)を差し出すこと。もう一つが、もとは秦の将軍で、政が提案した軍の少数精鋭化に対し諫めたために政の怒りに触れ一族を処刑され、燕へ逃亡してきていた樊於期(はんおき)の首を差し出すこと。
これをすれば秦王も喜んで荊軻に会うだろうと丹に提案するが、丹は領地割譲はともかく、自分たちを頼って逃げてきた人間を殺すことはできないと断った。彼の苦悩をおもんばかった荊軻は直接、樊於期に会い「褒美のかかっているあなたの首を手土産に、私が秦王にうまく近づき殺すことができたならば、きっと無念も恥もそそぐことができるでしょう」と頼んだところ、樊於期は復讐のためにこれを承知して自刎し、己の首を荊軻に与えた。
丹は暗殺に使うための鋭い匕首を天下に求め、遂に趙人・徐夫人の匕首を百金を出して手に入れた。この匕首に毒で焼きを入れさせ試し斬りを行ったところ、斬られて死なぬ者はいなかった。

紀元前227年、丹は刺客の相棒として秦舞陽(しん ぶよう)と言う者を荊軻に付けようとした。秦舞陽は13歳で人を殺し、壮士として有名であった。しかし荊軻は秦舞陽が頼りに成らぬ若造だということを見抜き、旧友[2]を呼びよせて待機していたが、丹が出発を急かしたため、荊軻が渋ると怖気づいたのではないかと疑うので、仕方なく秦舞陽を連れて出発することに決めた。
やがて出発の日が訪れる。丹をはじめ、事情を知る見送りの者は全て喪服とされる白装束を纏い、易水(えきすい、黄河の北を流れる)のほとりまで荊軻たちにつき従った。彼らは全て涙を流し、荊軻の親友の高漸離は筑を奏でて見送った。この時に荊軻が生存を期さない覚悟を詠んだ
「風蕭々(しょうしょう)として易水寒し。壮士ひとたび去って復(ま)た還(かえ)らず 風蕭蕭兮易水寒 壮士一去兮不復還 」
という詩句は、史記の中で最も有名な場面の一つとして、人口に膾炙している。
これを聴いた士たちは、だれもが感情の昂ぶりの余りに凄まじい形相となった。そして荊軻は車に乗って去り、ついに後ろを振り向くことは無かった。

ーーー
荊軻は強大な国の王に対して、心意気一つで立ち向かった義士と言うことで人気は高い。司馬遷は『刺客列伝』の最後で、夏無且と付き合いのあった公孫季功や董仲舒からこの事件の話を聞いたと述べ、荊軻は暗殺は成功しなかったものの、その意思と志の高さにより名を残したのだ、と評価している。またかつて双六のことで騒動となった魯句践が、秦王暗殺事件の話を聞き「彼が刺剣の術を修めていなかったのは、なんとも惜しいことだ。そして、そのような人物を叱り飛ばすとは私も人を見る目が無かった。さぞや私を憎んでいただろう」と嘆いたエピソードも記している。また詩人の陶淵明は、『詠荊軻』という詩の中で「すでに荊軻は死んだがその思いは残っている」とうたっている。 一方、現代では荊軻はテロリストに過ぎないという論評もある。また一刺客でしかない荊軻に国運を託した丹に対する評価は低い。


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ピケティ「資本主義が発達すればするほど、人々の経済的『格差』が開いていく」とはいえ、ピケティ自身は資本主義を否定しているわけではなく、 「この世の中でもっとも効率的なシステムは、やはり資本主義だ」 と述べており、それをモデレート(修正)していくことで格差を解消していくべきという

採録

ーーー
どうして新鋭経済学者のピケティは、これほどブレイクしたのでしょうか?彼の主張は一言でいうと、

「資本主義が発達すればするほど、人々の経済的『格差』が開いていく」

というものです。

従来の経済学のセオリーでは、資本主義が成熟してくるとその格差は徐々に解消されていくとされていました。これに対する異論は縷々ありましたが、共産主義の崩壊によって資本主義の「正しさ」は証明されたような形になっていたのです。

多くの学説が資本主義の「正しさ」になかなか有効な反論が出来ない中、ピケティは19世紀から100年以上にもわたる資本主義各国の定量的データを分析し

「例外的な時期(※)を除き、資本主義社会では格差が常に開き続けてきた」

ということを示したのです。

例外的な時期とは第二次世界大戦後の一定期間のことで、この時期は確かに、資本主義各国では格差が解消に向かっていました。
しかしそれは、戦後復興や技術革新などの様々な条件が重なった特殊な状況に過ぎなかったのです。

ピケティの主張はあくまで、膨大なデータを分析して可能性を示したというもので、決して「格差が開いていく」ことを理論的に「証明」したものではありません。(それは本人も認めています)

しかしながら、類を見ないその研究結果の説得力たるやすさまじく、これまで資本主義に忸怩たる想いを抱いていた、何かの欠陥を感じていた人々を中心に

「やっぱり資本主義は間違っていた!」
「次の時代は、〇〇というシステムが来るはずだ!」

と盛んにもてはやされ、引用されているわけですね。
…とはいえ、ピケティ自身は資本主義を否定しているわけではなく、

「この世の中でもっとも効率的なシステムは、やはり資本主義だ」

と述べており、それをモデレート(修正)していくことで格差を解消していくべきというのが彼の主張のようです。


そのピケティがもっとも問題視していることの一つが、富めるものがますます富むという「格差の相続」です。

例えばアメリカでは、親の所得によってかなりの角度で子ども学歴が既定されます。
自由競争で流動性があるように見えて、近代社会の多くで資産が「相続」されることによって階級の固定化、格差の拡大が発生しているのですね。

そこで彼が唱えている解決策が、「国際的な資産税の導入」になります。
簡単に言えば、金持ちの資産に課税することで再配分を行い、格差を解消させようというものです。
もっと踏み込んで言うと、例えば相続税・贈与税をめっちゃ増やせ!ってことですね。

ここでのポイントは「国際的」という点にあります。
仮にアメリカやフランス一国で資産に課税を強化したところで、このグローバル化の時代、税金の安い国や「タックス・ヘイブン」に金持ちや資産家が逃げ込むだけです。

国際的な協調・ルール作りのもとで資産家たちに適切な課税を行い、資本主義というシステムを活かしたまま、格差を解消していきましょう!
これがピケティの提案(の一つ)になります。


しかし、この提案の実現には幾多の困難が付きまとい、ほとんど不可能なファンタジーであると言われています。

世界各国で協調・調整をして平等な税制を敷くというハードルの高さは少し考えただけで凄まじいものがありますし、そもそも日本では個人資産の正確な把握はできていません。
そういう国は、世界にはまだまだたくさんあるでしょう。

「資産」をどう捉えるかの定義にもまた議論がありますが、個人の正確な資産に課税を行うためには、金融IDなどを発行して人々の貯蓄まで国家が正確に把握しておく必要があります。

こうした個人資産や個人情報を国家が管理下におくことは、特にリベラルと呼ばれる人々を中心に根強い抵抗があることは有名です。

個人的には、再配分を受ける可能性が高い所得層の方々がこうした資産管理に反対するのはちょっと不思議でもあるのですが…。

さらにもっと根源的な問題として存在する議論が、そもそも人々が築いた「資産」に課税することは正しいのか?という点です。

資産という「ストック」は、天から降ってくるものではありません。
そこまで様々な「フロー」があって、蓄積が生まれてくるわけです。

人々が稼ぐ「フロー」には、所得税や法人税など様々な課税がかかっています。
それをすべて支払った上で、手元に残ったものが「ストック」なのです。

つまり、この「ストック」にもう一度税金をかけて徴収することは、二回にわたって課税を行う「二重課税」なのではないか、という疑念が生じます。
稼いだ人は何度も税金を取られてしまう仕組みは、あきらかに不平等です。

とはいえ、格差を見過ごし続ければ、社会が不安定になっていくことは道理です。
課税の整合性や私有財産の権利を取るか、社会の安定化を目指した格差解消を優先すべきか…

ピケティの問題提起は、我々の社会制度の根幹理念にかかわる部分に大きなテーゼを投げかけてきているのです。

ーーーーー
分かりやすい解説でした



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CEO(最高経営責任者)の報酬の日米格差について

採録

ーーー
8日付け日本経済新聞の「けいざい解説」で編集委員の小平龍四郎氏がCEO(最高経営責任者)の報酬の日米格差について、面白い視点で論じている。

世界的ベストセラー「21世紀の資本」の著書として今、話題沸騰中のフランス経済学者トマ・ピケティ氏は、米国社会の格差の象徴としてケタ外れの高額報酬を得ている最高経営責任者(CEO)は「もらいすぎだ」と批判している。
ビッグビジネスだと年俸20億-30億円のCEOも珍しくない。これに対して日本では1億円に満たない年俸の経営者が多い。従業員との格差が少ないのは平等で良いことかも知れないが、一方で日本経済の成長、発展という点では弊害もある、と小平氏は指摘する。

<日本の経営者報酬には、企業価値を高めるために積極的にリスクをとっていこうという動機づけ(インセンティブ)が足りないのではないか>

その証拠として興味深いデータを示している。

<米コンサルティング会社、タワーズワトソン……(の)最新の集計によると、売上高1兆円以上の米企業のCEOは平均して総額11億5000万円の報酬を受け取った。日本企業は1億3000万円にとどまる>

文字通りケタ違いだ。ところが--。

<この中から業績や株価の動向に影響されない「基本報酬」を抜き出すと様相が異なる。米CEOの基本報酬は総額の11%にあたる1億2000万円にとどまり、対照的に日本企業は総額の59%、7400万円となり日米の差は急速に縮まる>

米CEOは10億円余りを業績に連動した成果報酬として受け取っている。それだけの働きをしたということだ(「もらいすぎか」かどうかは別にして)。
「日本の経営者は業績や株価がふるわなくても報酬が減る恐れが、米国よりも小さい。裏を返せば業績を拡大しようとするインセンティブが不足しがち」というわけだ。リスクをかけて働いていない、ということだ。

画期的な新事業を創造し、思い切った巨額投資をするのはリスクがある。現状を延長する程度の中途半端な投資でとどまってしまい、総じてROE(株主資本利益率)が米国に比べて低いのはそのためだ。

過去10数年、半導体や携帯電話などで日本の電子産業が米アップルや韓国のサムスン電子に大幅な遅れをとったのは典型的である。

現在、日本企業が多額の内部留保、手元資金を抱えながら、投資が進まないのも、リスク回避のサラリーマン経営者が多いためだと指摘されている。

日本でも創業型のオーナー経営者は思い切った投資をして事業を発展させている。古くはパナソニックの松下幸之助氏やホンダの本田宗一郎氏、ソニーの盛田昭夫氏、現在はソフトバンクの孫正義氏やファーストリテイリングの柳井正氏などが代表的だ。彼らは報酬も大きいが、日本経済を発展させた功績はそれ以上に大きい。

日本のオーナー経営者の年俸はそれほど大きくはない。だが、自ら保有する株式の配当は巨額だし、保有する株式のインカムゲインはケタ違いだ。サラリーマン経営者では怖くてとてもできないような投資を、自分の判断でリスクをかけて実行してきた結果である。経営者であると同時に資本家であり、だから失敗を恐れずに事業を拡大し、自己資本利益率を大きくしようとする。

では、高額報酬を与えれば、サラリーマン型の経営者も、もっと積極的な投資をできるようになるのかというと、事はそう簡単ではない。

歴史の古い大企業は同じような学歴、経歴の同僚、先輩、荒廃とともにキャリアを積み、能力はあると言っても、同程度の社長候補は10人以上いることがざら。前社長との年齢差や、その時の経営環境などに影響されて、運よく社長になれた、というケースが多い。

だから、他の役員と自分の報酬に目立つほど差をつけられない。また、思い切った事業再編や積極投資をして、失敗し、会社の屋台骨を揺るがすことはしたくない。自分の任期中を大過なく、低収益でも増収増益を実現できればそれでいい、と思っている経営者が一般的だ。

古い企業はしがらみ、前例踏襲もやたらに多く、前社長、元社長が始めた事業だと低収益で将来性がなくても大幅赤字でなければ、元社長の存命中は撤退しにくい。大リストラができるのは会社が大幅赤字になってこのままでは経営破たんという状況になったとき、つまり先輩経営者に言い訳できる状態になった時だけと言ってもいい。

また、たとえ年俸が1億円弱でも「それだけあれば十分」と考えている経営者が大半。いい意味でも悪い意味でも米経営者のようにグリード(強欲)ではない。

つまり、自身の成功報酬を大幅にすることに躊躇する経営者が多いのだ。その裏返しとして、リスクをとって攻めの経営を突き進む意欲に乏しい。

以上は、よく知られた分析である。では、どうするか。

米国並みとは言わないまでも、やはり成功報酬をもっとぐんと大きくした方がいいと思われる。貨幣としての年俸だけでなく、会社の持ち株もたくさん与える。

それにより、会社が伸びて利益が高まれば、キャピタルゲイン(資本利得)もふえるから、発想がオーナー型になって思い切った投資をするようになるだろう。

その投資で失敗すれば、年俸も大きく落とすし、場合によってはすぐに引退してもらう。信賞必罰を徹底することで、事業家、経営者としての腕が磨かれて行く。以上はCEO以外の役員も同じことだ。

一方で、業績や株価の動向に影響されない「基本報酬」は今より減らしてもいい。何もしなくても得られる報酬などは少なくて当然だろう。CEOのみならず役員は新しい付加価値を会社に積み上げるからこそ存在価値があり、一般従業員よりも高い報酬を得る権利があるのだ。

日本企業をその方向に導くのは株主である。その意味で株主の発言権も今より大きくなる方がいいだろう。

日本企業がこうした方向に転ずれば、ベンチャー企業家=オーナー経営者も今よりふえ、日本経済の活性化を促すはずだ。

ーーー
ここにあるのは新しいが実は古い階級社会であると私は思う

昔は貴族は最初から経営者で指揮官で役割が決まっていた
庶民は労働者で一兵卒でそれも役割が決まっていた

その感覚を延長しただけなのだろうと思うがどうだろうか

フランスのように官僚エリートを試験で選抜する制度もあるが
そのことと貴族の残滓は微妙に重なりあっているような気がする
EUが統合に動いたのも、貴族層がもともと長い付き合いで親戚関係にあり、
統合しやすかったからではないかとも思う
庶民にとってはピンと来ない話だっただろうと思う

文章にあるような「活性化」は資本主義に不可欠な「成長」のために必要なのだろうが
考えてみれば資本主義に必要な物は奴隷なのだろうから
CEOに多大な報酬を与えるということは
相対的に一般労働者は奴隷的待遇になるということだろう
それならば資本主義の「活性」を維持できて「成長」を維持できるだろう

フロンティアを探し出し
そこに住んでいる原住民を労働力として、またその土地の資源を略奪して、活用する
しかしフロンティアが消滅した以上、その方式は使えない
そこで、新しい奴隷を、これまでの中産階級の中に見出す他はないのだろう
それが女性活用であり、産業構造の転換というマイルドな言い方なのだろう

所詮は庶民の僻みということだろうが
個人的には年俸20億-30億円のCEOを肯定したくない


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経験を積むにつれて謙虚になる それが経験の意味である

経験を積むにつれて謙虚になる
それが経験の意味である

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上級官僚や米国の意志が日本のおおもとを決定している 若者は大変素直に「右翼」なのである かつての道をまた進んでいる 候補者がひどすぎる

採録

投票前の10日間、マスコミがずっと「自民が300議席」と言い続けたから、親安倍・親自民の有権者、特に40代以下の若年保守層が投票しなかったのである。安心したのだ。自民党が勝つと確信し安堵したから、わざわざ投票所に足を運ばなかっただけだ。棄権した主力は反安倍・反自民の有権者ではない。政治に大きな関心(知識)がなく、消極的に安倍晋三を支持し、他野党を支持する動機や信条を持っていない層だ。マスコミが拾う「街の声」で、「特に入れたい候補や政党がなかったから」と棄権の理由を回答する場合が非常に多いが、あの人々を全くの無党派ノンポリだと評価するのは違うと私は直観する。そういう部分も確かに存在するけれど、半分は保守であり、反左翼であり、反中韓であり、左派党(共・社・生)には投票しない集合だ。反安倍・反自民の意識を多少とも持った者ならば、マスコミの「自民が300議席」の予測に対して危機感を覚え、積極的に野党に投票しようと反応しただろう。

政治的に保守(反共・反中韓)である若者層は、この選挙で消極的に安倍晋三を支持し、安倍晋三以上に賛同する政党や勢力を見い出せず、マスコミが安倍晋三が勝つと太鼓判を押したため、それならいいやと投票を棄権したのだ。それが、今回の低投票率の実相である。若年層は非正規の比率が高く、すなわち世代間で相対的に貧困度が高く、したがって本来なら反ネオリベの意識に傾いてよく、反安倍・反自民の姿勢や主張の者の比率が多くなって当然の存在である。だが、彼らはそれ以上に強烈に反共の教育を受けていて、毒々しい反共思想を内面化しており、2chの書き込みを(半ば社会常識として)当然視するメンタリティを持っている。「ゴーマニズム宣言」を愛読書として読み、たかじんやビートたけしのテレビ番組を見て、池上彰や池田信夫や佐藤優による洗脳を日々受けている者たちである。右翼のイデオロギーに対する対抗観念がない。それを邪悪で危険なものとして捉える理性と感性を持たない。右翼のイデオロギーをブロックする精神のモニター装置がなく、つまりは正しい知識(歴史・政治・社会)の前提がない。左翼的なもの、社会主義的なもの、親中国的なものは悪魔であり、生理的に脅威であり、無条件に排除しなくてはならない天敵だ。大雑把に言って、この国の若者全体が右傾化していて、それはマスコミの現在の標準思想が右翼準拠であることとイコールの事実である。首相も極右だ。一見、政治に無関心に見える若年層というのは、表面を剥がして透視すれば、実体はそういう政治的存在なのだ。

ネットの左翼論者が浮薄に言ってるような、低投票率を根拠にしての、「自民が支持されたわけではない」の言説が、どれほど勘違いで一人よがりの古ぼけた認識か、棄権した若年層一般の内面を分析して仮説を与えることでよく理解できると思う。

人は政策だけで政治を選択しない。イデオロギーで選挙の判断に臨む。共産党だけは絶対に嫌だからとか、民主党は左翼と中国に近い不安があるからとか、そういう感情と印象で自民党を支持し自民党に投票する。あるいは、維新に投票する。

ーーーーー
躍進しているまとめサイトの存在です。明らかに自民党のネットサポーターズクラブが運営している。個人でやるにはサイトのつくりが組織化されて洗練されすぎている。これに若者世代が毎日アクセスし、日々洗脳されているのです。若者は疲れきった脳を癒すかのように、わかりやすい、中韓を悪者にし、米国および自民党をヒーローとするまとめサイトの情報を頭に流し込み、娯楽記事で辛い日常に目を背け、また働かされます。テレビが求心力を失い、ネットが求心力をつけてきましたが、ネットの方がより凶暴に偏向が行われている。まさに1984の世界です。日本が再び滅んだ後には、まとめサイトの運営等を明らかにしなければなりません。

ーーーーー
たしかにそうなんでしょうね。
社会の下部構造が右傾化を支持するように出来てしまっていて
だから言説はその結果にすぎないわけで
言論が右傾化をもたらしているわけでもないということだろう

右傾化の要因として少子高齢化が考えられ
「高齢者は自民党右翼を支持し
若者は左翼革新系を支持するのではないか
そして若者の一部は何かの理由で極右支持となるが
社会全体としては極右支持の風潮は広まらない」
という
漠然とした思考習慣があったが
そうでもないらしい

若者は大変素直に「右翼」なのである
かつての道をまた進んでいる

ーーーーー
選挙の結果、政権担当可能な野党勢力の形成が必要だということで
維新と一体化可能な道を進む民主党リーダーとして細野氏などの名前が上がっている
維新というのはどういう人達なのか、民主党と簡単に一体化できるのか、と思うのであるが
民主党内でも前原氏などは右か左かで言えば自民党にいても全くおかしくないわけで
他のいろんな事情で民主党にいますという程度のものだろう
民主党の圧倒的な変質が発生している

交代可能な二大政党というものは
ある政治家が「どちらに入っても別に変わりないけど、選挙区の都合で、空きがある方を選んだ」とか
「付き合いのある先輩が声をかけてくれたので偶然だがこちらにした」
とか
要するに「どちらでもよかった」
くらいの交代可能な存在でなければならないのかもしれない。

第一自民党と第二自民党で、ときどき交代する、という程度のものでいいのだろう
主権者が政策を選択するということは実質的にここ数年なかった
選んだように見えても、途中で覆された

消費税増税はしませんという民主党を選んだのに、菅、野田が消費税増税をしますといった
沖縄では基地移転はしませんと言って知事と自民党衆議院議員が選ばれたのに
移転容認に全員が変化してしまった

選挙民との公約があっても、
議員は上級官僚や米国の意向をより上位の権力と考えているのだから、
基地問題も、消費税問題も、公務員改革も、歳出削減も、原発再稼働も、
選挙民の意志と上級官僚や米国の意志がぶつかった時には
上級官僚や米国の意志を尊重することになっている

理由は、国民は詳しいことを知らないから、
難しい問題で国民が判断できることではないからとなり、
国民には情報もなく理性もないという言い分のようである

たしかに、投票行動を見ていると、理想的国民とは程遠い現実国民がいるようで、
絶望的であるが、でも結局のところ、
上級官僚や米国の意志が日本のおおもとを決定しているのだから、
それでいいのかもしれない

もう一国民としては無力感しかない

あなたの一票が国を変えるとか将来を選択するとか
若い人に説教しているが
根本のところは変わらないようだと若者が語っているのが本当は正しいのかもしれない
なんという社会だろう

ーーーーー
あともうひとつ、昔の新聞の選挙公報ではわからなかったことだが、
テレビで政見放送を見かけると、本物の○○が出ているようで
吐き気がしてくる
これならテレビタレントでもアナウンサーでも務まるだろうし、スポーツ選手でも充分なのだろう
候補者がひどすぎる


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“ばあちゃんとフードコート行った時 ばあちゃん「この青いジュース(メロンソーダの事)飲みてぇな」 自分(なんでお年寄りって緑色を青って呼ぶんだろう) 自分「ばあちゃん、じゃあこれは(青色を指差して)何色って言うんww」 ばあちゃん「ターコイズブルー」 自分「!?」”

“ばあちゃんとフードコート行った時

ばあちゃん「この青いジュース(メロンソーダの事)飲みてぇな」
自分(なんでお年寄りって緑色を青って呼ぶんだろう)
自分「ばあちゃん、じゃあこれは(青色を指差して)何色って言うんww」
ばあちゃん「ターコイズブルー」
自分「!?」”


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単極性うつ病と双極性うつ病

今現在大うつ病エピソードの1ヶ月目で
人生で3回目
なんていう場合

単極性うつ病の一部を見ている可能性と
双極性うつ病の一部を見ている可能性があるわけです

一番いいのは
たとえば過食、過眠、鉛管様麻痺とかというように現在ある症状を記載していけば
鑑別診断できるシステムですね
しかしそれは現在は難しい

それが原理的に可能なのかといえば
それも怪しい

しかし
例えばの話として
単極性うつ病の人の正常気分の時に話す時と
双極性障害の人の正常気分の時に話す時で
それぞれを鑑別できるかという問題とも言い換えられますね

うつ病の症状そのもので鑑別できないならば
その背景にあるものが問題ということになって
背景にあるものならば正常気分の時でも診断できそうではないですか

そうかな?

だから病前性格とかが研究されてきたのだけれども
最近は病前性格研究はネガティブな面が報告されていると思う
むしろ、本当は病前性格とは言えないものなのに
長い間病前性格と言われて尊重されてきたのはなぜかというような
ちょっと違う興味で眺められているようなところもある

病前性格と言えばいろいろ批判が出るというなら
ストレス脆弱性といえばいいのかもしれない
そしてそれは結局DNAの問題みたいなところがある

DNAの問題だと遺伝研究になるわけだけれども
単極性と双極性は確かに違う遺伝子群の影響かとの報告が多いと思うが
一方で
双極性は精神病と関わりがあって
統合失調症遺伝子群と明確に分離できるのかという問題が生じる

遺伝子から見れば精神病という大きなくくりが可能なだけではないかとの予測である
それもそうかも知れないなあとは思う

ストレス脆弱性モデルで考えて
ストレス側に単極性うつ病が近くて
脆弱性側に双極性がありさらにそのもう少し外側に統合失調症がある

神経症性うつ病とか気分変調症とかは
微弱なストレスに対して慢性微弱抑うつで反応しているようで 
たとえていえば
微弱ストレスに対して慢性微弱抑うつで反応しているのに
強力ストレスに対しては案外大うつ病で反応していないので
そこが妙なところだ

微弱ストレスに対して慢性微弱抑うつで反応しているのに
強力ストレスに対しては大うつ病で反応している場合は
ダブルデプレッションというのだが
その場合の大うつ病は、単極性うつ病のうつ病、双極性うつ病のうつ病と
現在症として区別できるかという問題でもある

それもやはりうつ病自体では鑑別は困難で
むしろうつ病成分を引き算して残ったものを比較したほうがいい
引き算して残ったものが気分変調症と正常気分の対比になる

いつでも経過が気になっているものだけれども
おかしいのは
今まで一度も躁病の経験はありませんという人が
たとえば19、21で大うつ病エピソードで21歳時点では
とうぜん単極性うつ病となり
同じ人が23歳で躁病になると
双極性障害に診断変更になり薬剤も変わるという話であり
それはいくら何でもおかしいだろう

23歳から双極性障害が始まるのでもない
はじめから双極性障害なのだが
診断できなかった
と言うより、原理的に診断できない

そういうものを「病名」と考えるのはやはり不合理だと思う
言えるのはエピソードだけなのだろう

遺伝歴とか経過とかを総合して
さらには伝統的には性格傾向とか人格の手触りとかも加味するのだが
それは言わないこととして

この例で言えば
21歳の時に診断するとして
ここまでうつ病エピソードしかないけれども
総合判断として双極性障害と思う
としたほうがいいものかどうか

どうすべきかを決めるための研究を進めたくて
そのためにDSMがあるのだけれど
なにかもうすでに結果みたいに扱われているのも
とてもおかしな話だと思う

経過の話で言うと
統合失調症の最初期症状として「うつ状態」があるわけだが
そのうつ病と上記種々のうつ病とを
区別できるのかという問題

現在症、生育歴、遺伝歴、性格、その他から総合判断して
区別すべきなのか、できるとすればどのようにして区別できるのか

区別すべきとすれば
もともと違う疾患であるという立場なのだろうが
何を持って違うといっているのか怪しいところはある

たとえば薬剤の相互乗り入れはますます激しい
双極性障害の時に使う気分安定薬として抗てんかん薬があり、リチウムがあり、
さらに定義にもよるが、場合によっては非定型抗精神病薬を含める
このあたりから見ると
非常な暴論としてではあるが
そして言葉の使い方として倒錯していると思うのだが
有効な薬剤という側面から見ると
抗うつ薬を使うべき単極性うつ病はいいとして
現在双極性障害と言われているものは
てんかん的側面と精神病性側面を持ち
主な症状はうつ病と躁病であるということになるのだろう

あまりにも暴論なので書くのもつらいが
例えばの話、症状としてうつ病と躁病を呈するてんかんと
言い切っても外れではないはずだし
症状としてうつ病と躁病を呈する精神病と言い切っても外れではないだろう

前者ならラモトリギンを使うし
後者ならアリピプラゾールを使うのですっきりしている
このようにしてみていくと
双極性障害の下位分類ができるはずである
ラモトリギンが効くもの、リチウムが効くもの、バルプロ酸が効くもの、それぞれに特徴があるはずであり
さらに組み合わせるにあたっての特徴があるはずである

症状としてうつ病と躁病を呈するてんかん
とした場合、当然、脳波の話は出てくるだろうが
脳波は正常化されているのだと言えばいいのだろう
そしてそれでもてんかんだと
それは抗てんかん薬が効くからである

以下、ぐずぐずと言い続ける

ーーーーー
双極性障害という疾病単位を認定しようとしているのだけれども
単極性うつ病と関係があるのかなと思うから
うつ病症状を見れば抗うつ薬を投与してしまいそれで治療が迷走するのだろう

うつ病と躁病を呈するてんかんですといえば
みんな素直にてんかんの薬を入れるだろう

またうつ病と躁病を呈する精神病と定義すれば
素直に非定型抗精神病薬を入れるだろうと思う

ただリチウムだけが特殊であるので
リチウムが効く病気として「双極リチウム病」としておいていいかもしれない

つまり、
双極てんかん 
双極精神病
双極リチウム病
くらいに分類できるだろう

ここまで来れば診断も簡単になって
大うつ病エピソードで来院しましたという場合
単極性から双極性の可能性があるので
まずは抗うつ薬で様子を見る
そして躁転があったら双極と分かる

双極と分かったら、抗てんかん薬、非定型抗精神病薬、リチウムに対する反応を見る
それぞれに反応したものを
双極てんかん病、双極精神病、双極リチウム病と呼ぶ
簡単でよろしい

以上暴論でした



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“「お客様は神様です」の対偶をとると「神でなければ客でない」となって唐突に客のハードルが上がる”

“「お客様は神様です」の対偶をとると「神でなければ客でない」となって唐突に客のハードルが上がる”

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食の逸品 ― キングオスカー(オイルサーディン)

食の逸品 ― キングオスカー(オイルサーディン)

いわしの油漬、なんていうと「安い」とか「うまいもんじゃない」とか思いがちだが、その概念を一掃してくれるのが、このノルウェイ産のキングオスカーである。食べ方はただひとつ。次のレシピで調理してほしい。絶品である。

①蓋を少しだけ開け、中のオイルを全部捨てる。
②蓋をとってオーブントースターで5分ほど焼く。(800W) 
③醤油をかけ、更に3~4分焼く。 
④しかるのち、レモンを絞って食す。

醤油もレモンも絶対に必要であるので、どちらかが無い場合は決して食べてはならないのだった。


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“いままでドキュメンタリーで一番笑ったのは、南米のどこだかの刑務所が無法地帯になってるってなレポートで、囚人が勝手にやってる刑務所内定食屋、刑務所内散髪屋などと並んで、刑務所内刑務所があったこと。”

“いままでドキュメンタリーで一番笑ったのは、南米のどこだかの刑務所が無法地帯になってるってなレポートで、囚人が勝手にやってる刑務所内定食屋、刑務所内散髪屋などと並んで、刑務所内刑務所があったこと。”

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"才能で負けるのはまだ言い訳が立つ、しかし誠実さや、勉強、熱心、精神力で負けるのは人間として恥のように思う。他では負けても、せめて誠実さと、精神力では負けたくないと思う。" - 武者小路 実篤

"才能で負けるのはまだ言い訳が立つ、しかし誠実さや、勉強、熱心、精神力で負けるのは人間として恥のように思う。他では負けても、せめて誠実さと、精神力では負けたくないと思う。"
- 武者小路 実篤


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誠実に丁寧に一日を生きて夜に祈る

誠実に丁寧に一日を生きて夜に祈る
ただそれだけで日々は過ぎてゆく

その向こうに何かあるはずだと昔は信じていた
いまはそんなことも判断中止で良いと思える

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貧困は犯罪を生む。しかし、本当は格差が犯罪を生むのだ。なぜなら「貧困」の度合いは、時代や地域が違えば変わるからだ。かつては栄養失調が貧困の象徴だったが、現在の先進国では貧困層のほうが肥満率が高い。治安を悪化させるのは絶対的な貧困ではなく、相対的な貧困:つまり格差だ。 自前の警備員を雇い、防犯カメラで家を囲み、特殊な錠前でドアを固める。外を歩くときはスリやかっぱらいに警戒する。そんな世の中で暮らすのと比べたら、再分配的な政策のための税金なんて安い出費だ。” — なぜ「富の再分配」は必要なのか?

貧困は犯罪を生む。しかし、本当は格差が犯罪を生むのだ。なぜなら「貧困」の度合いは、時代や地域が違えば変わるからだ。かつては栄養失調が貧困の象徴だったが、現在の先進国では貧困層のほうが肥満率が高い。治安を悪化させるのは絶対的な貧困ではなく、相対的な貧困:つまり格差だ。

自前の警備員を雇い、防犯カメラで家を囲み、特殊な錠前でドアを固める。外を歩くときはスリやかっぱらいに警戒する。そんな世の中で暮らすのと比べたら、再分配的な政策のための税金なんて安い出費だ。”
なぜ「富の再分配」は必要なのか?


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認知症の介護・生活障害に対するSST的工夫

認知症のおばあちゃんが不穏になって大声で騒いでしまうので
家族は困る
どうするかという問題

お薬を使えば早い解決だけれど
こんな話もありますよということで
紹介されていたのが次のような例

おばあちゃんは書くことが好きで自分史を作って印刷していた
たまに見返していた
不穏になったときは「おばあちゃん、これ、おもしろいよ」と
自分史を見せて誘う

すると読み始めて
ややまあ、私に似た感じの人なんだねえなどと言いながら
しばらく落ち着いてくれる

頃合いを見てお風呂に誘う
お風呂の中では「となりのいやな人が話を聞いているといけないからひそひそ話をしよう」と言って
小さな声で話す

するとさっきまで叫んでいたのに対して、おばあちゃんはずいぶんと落ち着く
こちらも落ち着く

風呂から出てもひそひそ話で続けると興奮しなくてすむ

ーーーーー
今昔物語 27、23のあたり 老婆が鬼になる話 最後は老婆についていた狐がとれてもとの老婆に返る
このあたりは認知症のBPSDではないかとの指摘

またカッパドキアの昔話 2500年前のこと
広大な土地を持っていた人が年をとって親戚の誰をも認知できなくなり誰も信じられなくなり
娼婦に財産をだまし取られる話

ーーーーーー
トイレで粗相が多いとき、便座に座るとき、反対に座っている例がある。
和式トイレだとそう思うかなという感じ。

尿と便を出すときに先に尿が出てパンツをあげた後で便が出たり

認知症の人は行動が思うようにいかないし
時には粗暴になるし困ることがある
何度言っても言うことを聞いてくれない
そんなときまず介護している自分が落ち着かないといけない
深呼吸する
便コネの後片付けをするとして儀式として何をするのか決めておくなど
音楽をかけてもいい

ーーーーー
音楽といえば高齢者は軍歌が好きだ
音楽療法というものの大半は軍歌になるこの悲しさ
そしてテンション上げていくぞというときは軍艦マーチだ
パチンコ屋と同じそれも悲しい

機嫌の悪いおじいちゃんにオクラホマミキサーを聴かせるとおとなしくなる例もある
人生のはじめ、最初に初恋の女の子の手を握った楽しい思い出と結びついているらしい

おばあちゃんは困るとこの手を何度も使うのだといいCDを用意している
そして驚くべきことに何ででも必ずおじいちゃんは機嫌がよくなる
いったいどういうことなのか二重におばあちゃんは暗然とする

お年寄りは口にご飯を入れてもらっても
飲み込まないでそのまま口にためてしまうことがある
ゴックンよといってもうまくできない対策としては
普通の固さのものととろみのついたものとを交互に与える
また、口が止まってしまったときには
頬をとんとんとタップするすると飲み込むことがあるという
いろいろな工夫があるものだ

ーーーーー
右手で箸を持って食事をしていてこぼして食卓を汚してしまう人がいる
これはたいていは左手の運動障害があるのだそうだ

そこで少しずつでも左手を使って欲しいので
お茶とか味噌汁をマグカップに入れて左側に置く
そしてマグカップの取っ手を左側に向けておく
すると自然に左手を使うようになる

こぼす人に対しては左に背の高い食器、そして順に右に背の低い食器を並べると
食べ汚しが少なくなるのだということらしい


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やる気の本体

やる気がでない
意欲がわかない
などという

昔はやる気・意欲の本体はリビドーであるとずばり言われた
しかしそれでは少し、という意見もあって、リビドーの意味そのものが拡張されて
子供にも教えられるものになった

リビドーをせき止めて、昇華を狙い、なにか有益なことをする立派な人間になってほしいと教育設計者は考えたらしい
肉食系である
学校教育はそのような設計だろう

草食系はどうもリビドーそのものが枯れているらしい

物欲は好奇心とか所有欲とかコレクション癖とか、いろいろなものと関係するような気がする
金銭欲に関しては、金銭そのものに好奇心がわくはずもないし、なにかもっとピンポイントな欲望のような気がするけれど、
よく分からないところもある

女性の、きれいになりたい欲望につけこんで、化粧品を売り、自分の金銭欲を満たしたり、
その人の所有欲を狙って、高級自動車を売りつけたり、
高級自動車にはこの保険とかいったり
社会では欲望が連鎖する

ーーー
金銭欲を考えてみると分かるのだが
金銭は生活そのものだし物欲そのものだろうが
一方で抽象的な未来の保証であるとか、なんとなくの安心感であったりするのだろう

欲望の次元で言うと金銭欲は具体的な物欲という次元と
もう一つ上の、それらを可能にする力という次元とがあると思う

一種抽象的な力の欲望で
そんなものは下等な動物にはないものなのだと思う
猿などで観察すると
これはあの欲望の変形なのだなと観察されるものもあると思う
人間の場合はその変形が極端になっている

そのような抽象的な力への欲望の根底には
具体的な物欲とか権力欲とかがあって
その根底にあるものがリビドーだろうということになる

マズローの説がわかりやすいし
子供にも説明しやすいのでよく使われる
それはそれでいいのだけれど

やはりリビドーを一時せき止めて、ヤル気を出させるというのは、実際有効なような気がする
いまではもう高校生位になるとリビドーを処理する方法を知ってしまうので
高校生はヤル気がない

小学高学年とか中学生くらいが
リビドーは高まっているが方法をよく知らないという段階で
このあたりは学校教育でヤル気に転換できる

というわけで教育はこのあたりが熱くなっているわけだ

小学校のお受験が熱いのは親のリビドーだろうと思う

ーー
昔は初潮を迎えたあたりで初めて妊娠し
以後妊娠と出産を繰り返すものだったろう

とても自然である
近代の不自然さはどうしたことかと思うが
そのことが社会全般の広範なエネルギーになっていたはずである
リビドー満足を少しだけ先延ばしにすれば
ずいぶんいろいろなことができるのだ

現代になるとその不自然さを制度として残したままで
制度をすり抜けてリビドーは満足されてしまっているので
社会の活力につながらない

そこのギャップが草食系と比喩されているのだろう

ーー
全体にやる気のない人が増えていることは確かだと思う















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立ち止まって、なぜ自民党右派が政局を支配しているのか、 どんなからくりがあるのか、考えてみる必要がある それは国民的合意が形成されて登場したものではなくて 勢力を拡大するからくりがあって登場し マスコミを支配し そのあとで国民の合意を形成していくという順番になっているだろう

採録

ーーー
 90年代以降、失われた二十数年、日本は正しい道筋を見いだせないできました。国民の誰もが変わらなきゃダメだというのは分かっていて、だからほぼ全ての政党が「改革」を旗印にしたが、民主党政権は官僚主導にのみ込まれ、第三極もコケた。「改革」できないままズルズルきたんですね。

 そこに安倍首相が戻ってきて「アベノミクス」を打ち出した。今、国民は大いなる錯覚に陥っています。「何か新しいことが始まった」とみんな思い込んでいる。だけど、安倍首相がやっていることは伝統的な自民党政治です。第1の矢は「円のバラマキ」。日銀総裁を交代させて、思い切りやらせた。第2の矢は「公共事業のバラマキ」。「改革」の柱は第3の矢の成長戦略ですが、成果はほぼゼロ。失われた二十数年と何も変わっていないのです。

 円安で日本の輸出品が安くなり、逆に外から買う物は高くなる。賃金は国際的に安くなっていますから、日本人の生活は苦しくなって当然です。株高で金持ちは浮かれているけれど、ドル換算ではマイナス成長。このままでは、日本の国力はどんどん低下していきます。

 外交安全保障でも今年は分岐点です。安倍首相は、軍事力によって、日本の利益を守るという考え方です。しかし、俯瞰して世界を見てみると、中国に対する抑止力は軍事力よりもビジネスなんです。中国は国際世論によって非難され、ビジネスができなくなることをむしろ恐れている。

 欧米は中国が世界中を侵略していると言いますが、それはビジネスや契約による進出であり、かつて欧米が軍事力で植民地にしたのとは次元が違う。例えばアフリカの人たちは、中国を親友とは思っていないけれど、ビジネスではパートナー。植民地時代の方が許せない、と思っています。

 そんな中で、安倍首相は日本の“平和ブランド”をなくそうとしている。集団的自衛権の行使を容認するための安全保障法制の見直しなど、15年春以降、そうした方向性を決定的にしていく。その先には憲法改正です。

「改革はしないけど戦争はする」安倍政権の暴走を止めるためには、「改革はするけど戦争はしない」新たな政治勢力が必要だと思います。

 黒田日銀の追加緩和で為替は1ドル=120円台を突破。輸入物価が上昇し、庶民は「値上げ地獄」に苦しんでいる。2015年はさらに円安が加速するだろう。

「黒田日銀は、FRBが量的金融緩和を終了するタイミングで、14年10月31日、追加緩和を行った。利ざやを稼ぎたい投機筋に“ドルをジャンジャン買って、円の価値をドンドン下げてくれ”とアピールしたも同然です。恐らく、FRBが利上げに踏み切る15年6月ごろに向けて円安の勢いは止まらないでしょう。98年秋以来、17年ぶりとなる1ドル=140円台まで下落しそうです」(経済評論家・斎藤満氏)

 いまでも物価上昇に賃金アップが追いつかず、労働者の実質賃金は16カ月連続ダウンしている。“ハイパー円安”によって食品や日用品の価格がどんどん上昇していけば、庶民の生活はさらに苦しくなっていく。その結果、個人消費が凍りつき、需要不足が深刻化し、さらなる景気後退を招くのは確実だ。

 しかも、ハイパー円安によって、日本の富も一気に失われていくのだ。1ドル=120円台まで進んだ円安・ドル高は、「実質実効為替レート」で計算すると、「円の実力」は1973年の水準まで落ちている。当時、為替は1ドル=300円だった。

「まだ日本人に実感はないでしょうが、世界は異次元レベルの円安政策を日本の“出血バーゲン”と見ています。いまも中韓両国のファンドや富裕層が日本の不動産を買い漁っていますが、15年は日本の名だたる企業や建物が買収の標的となっていくと思う。バブル期に日本企業が米国のロックフェラービルやコロンビア映画を買収したように、今度は日本の企業や資産がアジア資本の草刈り場となりかねない。『40年ぶりの円安』が意味するところは、40年かけて積み上げた日本の国富の投げ売りです。安倍首相には『アベノミクスは中韓を喜ばせる政策ですか?』と聞きたくなります」

ーーーーー
立ち止まって、なぜ自民党右派が政局を支配しているのか、
どんなからくりがあるのか、考えてみる必要がある

それは国民的合意が形成されて登場したものではなくて
勢力を拡大するからくりがあって登場し
マスコミを支配し
そのあとで国民の合意を形成していくという順番になっているだろう

「つくる会」の歴史教科書の動きなどが当時としては庶民にも目に見える動きだった


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“必要なのは指を切らない包丁ではない。転ばない自転車ではない。火傷をしない火ではない。墜落しない飛行機ではない。本質の隠蔽は退化と無知と想像力の欠如しかもたらさない。”

“必要なのは指を切らない包丁ではない。転ばない自転車ではない。火傷をしない火ではない。墜落しない飛行機ではない。本質の隠蔽は退化と無知と想像力の欠如しかもたらさない。”

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日本人の年間死亡原因の第一位は「癌」ではなく「中絶」

日本人の年間死亡原因の第一位は「癌」ではなく「中絶」

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