アメリカ人が訴訟を起こさない時 ドイツ人があいまいな事を言う時 フランス人が他者に文句を言わない時 イギリス人が冗談を言う時 イタリア人が沈黙を守っている時 ロシア人が酔っていない時 日本人がスムーズに仕事をこなしている時 何か裏取引があったと疑うべきである。
“行ったけれどたいした事が無かった。やったけれど面白くはなかった。使ってみたけれど使いにくかった。それが経験だ。”
“休みの日は上司とゴルフに行かないと出世できない会社が嫌で、転職して年齢層の若い会社に入ったら〝ゴルフ〟の部分が〝フットサル〟に変わっただけだったという世知辛い話をドトールで聞いている。”
紅茶をそんなに知らない人が「ダージリンは知ってる!」って言うように「オレンジ・ペコーは知ってる!」って人もいるかと(´゚ω゚`) しかし、オレンジ・ペコーは茶葉の種類ではないのです( ˘ω˘).。oO そして、オレンジの味の紅茶でもないです…( ˘ω˘).。oO オレンジペコー、通称OPは茶葉の等級(グレード)を表すもの。 バンダム級とかライト級とかそういう感じ(゚-゚) つまり、アッサムのオレンジペコーもあるし、ダージリンのオレンジペコーもあります╭( ・ㅂ・)و ̑̑
“現代人はあまりにも合理性や、道徳性などで防衛されているので、おそれおののくことがほとんどなくなってしまった。すべてのことは「わかって」いるし、わからないことや恐ろしいことは、うまく言いかえることによって防衛する。” 河合隼雄『昔話の深層 ユング心理学とグリム童話』
“ジューサーの中に金魚と水が入っていて、スイッチだけリモコンで、観客の側に置かれる。観客は誰もがそのスイッチを押すことができるようになっていて、「いつでも金魚を殺せる」という、その感覚が展示になっていた。 この展示で、実際にボタンを押せた人はたぶんいないのだろうけれど、これをたとえば、ジューサーに入れた金魚をインターネットで公開して、ネットの向こう側にいる誰もが、匿名のままそのボタンをクリックできるようにしておくと、誰かがボタンを押してしまう。多数決ルールを導入して、「ボタンを押した人が累計で10人を超え
4歳の甥っ子が 「ママ、僕は夏には自分で頭を洗えなかったけど、今は自分で洗えるよ それはママが何度も教えてくれたからだよ 僕が頭を洗えるようになるのに、○○くんも○○ちゃんも関係ないよ 僕が何か出来るようになるのに、他の人は関係ないよ 夏の僕と今の僕だけ比べてよ」
まさかアジアの戦地で自分の身内が一兵卒として飢えと病と上等兵のしごきに苦しんでいるとは、微塵も思わなかった
原爆投下国、しかも二発と 原爆被爆国、しかも二発と 倫理的優位はどちらにあるのだろう そして日本国憲法前文と九条はその倫理的優位を形にして刻印し続けている
原爆被爆国、しかも二発と
倫理的優位はどちらにあるのだろう
そして日本国憲法前文と九条はその倫理的優位を形にして刻印し続けている
不思議たくさん やる気いきいき チャレンジワクワクで生きることに決めた ってさいいね
やる気いきいき
チャレンジワクワク
で生きることに決めたってさ
いいね"
貧困層に「経済的徴兵制」? 国民の知らないところでどんどん進んでます。生きる為に戦場に行くという国に日本もしようかという動きが出てきてます。なぜ日本は給付型奨学金制度導入を渋るのか、高利なローンで若者を苦しめるのか、どうして格差社会を広げる労働規制緩和を拡げるのか。そこに経済的徴兵制を視野に入れてることは否定できません。私も大学4年間、勤労奨学金で働きながら大学にいき学費を稼ぎました。もし大学学費のローンが500万あって、非正規雇用で返済もできずローンが膨れあがって生きづまり、アメリカのように軍隊に入れ
風は蕭蕭として易水寒し、壮士一たび去って復還らず - 風蕭蕭兮易水寒、壮士一去兮不復還
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漢詩の読み下し文もまた充分に日本語の詩文として
魅力的であるのはどうしてだろう
ひとつには日本語の骨格の中に漢文の骨が埋め込まれているからだろうと思うが
それにしても不思議である
親切に翻訳するよりずっと魅力的である
奇跡の一つだと思う
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荊軻は強大な国の王に対して、心意気一つで立ち向かった義士と言うことで人気は高い。司馬遷は『刺客列伝』の最後で、夏無且と付き合いのあった公孫季功や董仲舒からこの事件の話を聞いたと述べ、荊軻は暗殺は成功しなかったものの、その意思と志の高さにより名を残したのだ、と評価している。またかつて双六のことで騒動となった魯句践が、秦王暗殺事件の話を聞き「彼が刺剣の術を修めていなかったのは、なんとも惜しいことだ。そして、そのような人物を叱り飛ばすとは私も人を見る目が無かった。さぞや私を憎んでいただろう」と嘆いたエピソードも記している。また詩人の陶淵明は、『詠荊軻』という詩の中で「すでに荊軻は死んだがその思いは残っている」とうたっている。 一方、現代では荊軻はテロリストに過ぎないという論評もある。また一刺客でしかない荊軻に国運を託した丹に対する評価は低い。
ピケティ「資本主義が発達すればするほど、人々の経済的『格差』が開いていく」とはいえ、ピケティ自身は資本主義を否定しているわけではなく、 「この世の中でもっとも効率的なシステムは、やはり資本主義だ」 と述べており、それをモデレート(修正)していくことで格差を解消していくべきという
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分かりやすい解説でした
CEO(最高経営責任者)の報酬の日米格差について
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ここにあるのは新しいが実は古い階級社会であると私は思う
昔は貴族は最初から経営者で指揮官で役割が決まっていた
庶民は労働者で一兵卒でそれも役割が決まっていた
その感覚を延長しただけなのだろうと思うがどうだろうか
フランスのように官僚エリートを試験で選抜する制度もあるが
そのことと貴族の残滓は微妙に重なりあっているような気がする
EUが統合に動いたのも、貴族層がもともと長い付き合いで親戚関係にあり、
統合しやすかったからではないかとも思う
庶民にとってはピンと来ない話だっただろうと思う
文章にあるような「活性化」は資本主義に不可欠な「成長」のために必要なのだろうが
考えてみれば資本主義に必要な物は奴隷なのだろうから
CEOに多大な報酬を与えるということは
相対的に一般労働者は奴隷的待遇になるということだろう
それならば資本主義の「活性」を維持できて「成長」を維持できるだろう
フロンティアを探し出し
そこに住んでいる原住民を労働力として、またその土地の資源を略奪して、活用する
しかしフロンティアが消滅した以上、その方式は使えない
そこで、新しい奴隷を、これまでの中産階級の中に見出す他はないのだろう
それが女性活用であり、産業構造の転換というマイルドな言い方なのだろう
所詮は庶民の僻みということだろうが
個人的には年俸20億-30億円のCEOを肯定したくない
上級官僚や米国の意志が日本のおおもとを決定している 若者は大変素直に「右翼」なのである かつての道をまた進んでいる 候補者がひどすぎる
投票前の10日間、マスコミがずっと「自民が300議席」と言い続けたから、親安倍・親自民の有権者、特に40代以下の若年保守層が投票しなかったのである。安心したのだ。自民党が勝つと確信し安堵したから、わざわざ投票所に足を運ばなかっただけだ。棄権した主力は反安倍・反自民の有権者ではない。政治に大きな関心(知識)がなく、消極的に安倍晋三を支持し、他野党を支持する動機や信条を持っていない層だ。マスコミが拾う「街の声」で、「特に入れたい候補や政党がなかったから」と棄権の理由を回答する場合が非常に多いが、あの人々を全くの無党派ノンポリだと評価するのは違うと私は直観する。そういう部分も確かに存在するけれど、半分は保守であり、反左翼であり、反中韓であり、左派党(共・社・生)には投票しない集合だ。反安倍・反自民の意識を多少とも持った者ならば、マスコミの「自民が300議席」の予測に対して危機感を覚え、積極的に野党に投票しようと反応しただろう。
社会の下部構造が右傾化を支持するように出来てしまっていて
だから言説はその結果にすぎないわけで
言論が右傾化をもたらしているわけでもないということだろう
右傾化の要因として少子高齢化が考えられ
「高齢者は自民党右翼を支持し
若者は左翼革新系を支持するのではないか
そして若者の一部は何かの理由で極右支持となるが
社会全体としては極右支持の風潮は広まらない」
という
漠然とした思考習慣があったが
そうでもないらしい
若者は大変素直に「右翼」なのである
かつての道をまた進んでいる
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選挙の結果、政権担当可能な野党勢力の形成が必要だということで
維新と一体化可能な道を進む民主党リーダーとして細野氏などの名前が上がっている
維新というのはどういう人達なのか、民主党と簡単に一体化できるのか、と思うのであるが
民主党内でも前原氏などは右か左かで言えば自民党にいても全くおかしくないわけで
他のいろんな事情で民主党にいますという程度のものだろう
民主党の圧倒的な変質が発生している
交代可能な二大政党というものは
ある政治家が「どちらに入っても別に変わりないけど、選挙区の都合で、空きがある方を選んだ」とか
「付き合いのある先輩が声をかけてくれたので偶然だがこちらにした」
とか
要するに「どちらでもよかった」
くらいの交代可能な存在でなければならないのかもしれない。
第一自民党と第二自民党で、ときどき交代する、という程度のものでいいのだろう
主権者が政策を選択するということは実質的にここ数年なかった
選んだように見えても、途中で覆された
消費税増税はしませんという民主党を選んだのに、菅、野田が消費税増税をしますといった
沖縄では基地移転はしませんと言って知事と自民党衆議院議員が選ばれたのに
移転容認に全員が変化してしまった
選挙民との公約があっても、
議員は上級官僚や米国の意向をより上位の権力と考えているのだから、
基地問題も、消費税問題も、公務員改革も、歳出削減も、原発再稼働も、
選挙民の意志と上級官僚や米国の意志がぶつかった時には
上級官僚や米国の意志を尊重することになっている
理由は、国民は詳しいことを知らないから、
難しい問題で国民が判断できることではないからとなり、
国民には情報もなく理性もないという言い分のようである
たしかに、投票行動を見ていると、理想的国民とは程遠い現実国民がいるようで、
絶望的であるが、でも結局のところ、
上級官僚や米国の意志が日本のおおもとを決定しているのだから、
それでいいのかもしれない
もう一国民としては無力感しかない
あなたの一票が国を変えるとか将来を選択するとか
若い人に説教しているが
根本のところは変わらないようだと若者が語っているのが本当は正しいのかもしれない
なんという社会だろう
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あともうひとつ、昔の新聞の選挙公報ではわからなかったことだが、
テレビで政見放送を見かけると、本物の○○が出ているようで
吐き気がしてくる
これならテレビタレントでもアナウンサーでも務まるだろうし、スポーツ選手でも充分なのだろう
候補者がひどすぎる
“ばあちゃんとフードコート行った時 ばあちゃん「この青いジュース(メロンソーダの事)飲みてぇな」 自分(なんでお年寄りって緑色を青って呼ぶんだろう) 自分「ばあちゃん、じゃあこれは(青色を指差して)何色って言うんww」 ばあちゃん「ターコイズブルー」 自分「!?」”
単極性うつ病と双極性うつ病
今現在大うつ病エピソードの1ヶ月目で
人生で3回目
なんていう場合
単極性うつ病の一部を見ている可能性と
双極性うつ病の一部を見ている可能性があるわけです
一番いいのは
たとえば過食、過眠、鉛管様麻痺とかというように現在ある症状を記載していけば
鑑別診断できるシステムですね
しかしそれは現在は難しい
それが原理的に可能なのかといえば
それも怪しい
しかし
例えばの話として
単極性うつ病の人の正常気分の時に話す時と
双極性障害の人の正常気分の時に話す時で
それぞれを鑑別できるかという問題とも言い換えられますね
うつ病の症状そのもので鑑別できないならば
その背景にあるものが問題ということになって
背景にあるものならば正常気分の時でも診断できそうではないですか
そうかな?
だから病前性格とかが研究されてきたのだけれども
最近は病前性格研究はネガティブな面が報告されていると思う
むしろ、本当は病前性格とは言えないものなのに
長い間病前性格と言われて尊重されてきたのはなぜかというような
ちょっと違う興味で眺められているようなところもある
病前性格と言えばいろいろ批判が出るというなら
ストレス脆弱性といえばいいのかもしれない
そしてそれは結局DNAの問題みたいなところがある
DNAの問題だと遺伝研究になるわけだけれども
単極性と双極性は確かに違う遺伝子群の影響かとの報告が多いと思うが
一方で
双極性は精神病と関わりがあって
統合失調症遺伝子群と明確に分離できるのかという問題が生じる
遺伝子から見れば精神病という大きなくくりが可能なだけではないかとの予測である
それもそうかも知れないなあとは思う
ストレス脆弱性モデルで考えて
ストレス側に単極性うつ病が近くて
脆弱性側に双極性がありさらにそのもう少し外側に統合失調症がある
神経症性うつ病とか気分変調症とかは
微弱なストレスに対して慢性微弱抑うつで反応しているようで
たとえていえば
微弱ストレスに対して慢性微弱抑うつで反応しているのに
強力ストレスに対しては案外大うつ病で反応していないので
そこが妙なところだ
微弱ストレスに対して慢性微弱抑うつで反応しているのに
強力ストレスに対しては大うつ病で反応している場合は
ダブルデプレッションというのだが
その場合の大うつ病は、単極性うつ病のうつ病、双極性うつ病のうつ病と
現在症として区別できるかという問題でもある
それもやはりうつ病自体では鑑別は困難で
むしろうつ病成分を引き算して残ったものを比較したほうがいい
引き算して残ったものが気分変調症と正常気分の対比になる
いつでも経過が気になっているものだけれども
おかしいのは
今まで一度も躁病の経験はありませんという人が
たとえば19、21で大うつ病エピソードで21歳時点では
とうぜん単極性うつ病となり
同じ人が23歳で躁病になると
双極性障害に診断変更になり薬剤も変わるという話であり
それはいくら何でもおかしいだろう
23歳から双極性障害が始まるのでもない
はじめから双極性障害なのだが
診断できなかった
と言うより、原理的に診断できない
そういうものを「病名」と考えるのはやはり不合理だと思う
言えるのはエピソードだけなのだろう
遺伝歴とか経過とかを総合して
さらには伝統的には性格傾向とか人格の手触りとかも加味するのだが
それは言わないこととして
この例で言えば
21歳の時に診断するとして
ここまでうつ病エピソードしかないけれども
総合判断として双極性障害と思う
としたほうがいいものかどうか
どうすべきかを決めるための研究を進めたくて
そのためにDSMがあるのだけれど
なにかもうすでに結果みたいに扱われているのも
とてもおかしな話だと思う
経過の話で言うと
統合失調症の最初期症状として「うつ状態」があるわけだが
そのうつ病と上記種々のうつ病とを
区別できるのかという問題
現在症、生育歴、遺伝歴、性格、その他から総合判断して
区別すべきなのか、できるとすればどのようにして区別できるのか
区別すべきとすれば
もともと違う疾患であるという立場なのだろうが
何を持って違うといっているのか怪しいところはある
たとえば薬剤の相互乗り入れはますます激しい
双極性障害の時に使う気分安定薬として抗てんかん薬があり、リチウムがあり、
さらに定義にもよるが、場合によっては非定型抗精神病薬を含める
このあたりから見ると
非常な暴論としてではあるが
そして言葉の使い方として倒錯していると思うのだが
有効な薬剤という側面から見ると
抗うつ薬を使うべき単極性うつ病はいいとして
現在双極性障害と言われているものは
てんかん的側面と精神病性側面を持ち
主な症状はうつ病と躁病であるということになるのだろう
あまりにも暴論なので書くのもつらいが
例えばの話、症状としてうつ病と躁病を呈するてんかんと
言い切っても外れではないはずだし
症状としてうつ病と躁病を呈する精神病と言い切っても外れではないだろう
前者ならラモトリギンを使うし
後者ならアリピプラゾールを使うのですっきりしている
このようにしてみていくと
双極性障害の下位分類ができるはずである
ラモトリギンが効くもの、リチウムが効くもの、バルプロ酸が効くもの、それぞれに特徴があるはずであり
さらに組み合わせるにあたっての特徴があるはずである
症状としてうつ病と躁病を呈するてんかん
とした場合、当然、脳波の話は出てくるだろうが
脳波は正常化されているのだと言えばいいのだろう
そしてそれでもてんかんだと
それは抗てんかん薬が効くからである
以下、ぐずぐずと言い続ける
ーーーーー
双極性障害という疾病単位を認定しようとしているのだけれども
単極性うつ病と関係があるのかなと思うから
うつ病症状を見れば抗うつ薬を投与してしまいそれで治療が迷走するのだろう
うつ病と躁病を呈するてんかんですといえば
みんな素直にてんかんの薬を入れるだろう
またうつ病と躁病を呈する精神病と定義すれば
素直に非定型抗精神病薬を入れるだろうと思う
ただリチウムだけが特殊であるので
リチウムが効く病気として「双極リチウム病」としておいていいかもしれない
つまり、
双極てんかん
双極精神病
双極リチウム病
くらいに分類できるだろう
ここまで来れば診断も簡単になって
大うつ病エピソードで来院しましたという場合
単極性から双極性の可能性があるので
まずは抗うつ薬で様子を見る
そして躁転があったら双極と分かる
双極と分かったら、抗てんかん薬、非定型抗精神病薬、リチウムに対する反応を見る
それぞれに反応したものを
双極てんかん病、双極精神病、双極リチウム病と呼ぶ
簡単でよろしい
以上暴論でした
“「お客様は神様です」の対偶をとると「神でなければ客でない」となって唐突に客のハードルが上がる”
食の逸品 ― キングオスカー(オイルサーディン)
“いままでドキュメンタリーで一番笑ったのは、南米のどこだかの刑務所が無法地帯になってるってなレポートで、囚人が勝手にやってる刑務所内定食屋、刑務所内散髪屋などと並んで、刑務所内刑務所があったこと。”
"才能で負けるのはまだ言い訳が立つ、しかし誠実さや、勉強、熱心、精神力で負けるのは人間として恥のように思う。他では負けても、せめて誠実さと、精神力では負けたくないと思う。" - 武者小路 実篤
誠実に丁寧に一日を生きて夜に祈る
ただそれだけで日々は過ぎてゆく
その向こうに何かあるはずだと昔は信じていた
いまはそんなことも判断中止で良いと思える
貧困は犯罪を生む。しかし、本当は格差が犯罪を生むのだ。なぜなら「貧困」の度合いは、時代や地域が違えば変わるからだ。かつては栄養失調が貧困の象徴だったが、現在の先進国では貧困層のほうが肥満率が高い。治安を悪化させるのは絶対的な貧困ではなく、相対的な貧困:つまり格差だ。 自前の警備員を雇い、防犯カメラで家を囲み、特殊な錠前でドアを固める。外を歩くときはスリやかっぱらいに警戒する。そんな世の中で暮らすのと比べたら、再分配的な政策のための税金なんて安い出費だ。” — なぜ「富の再分配」は必要なのか?
認知症の介護・生活障害に対するSST的工夫
やる気の本体
立ち止まって、なぜ自民党右派が政局を支配しているのか、 どんなからくりがあるのか、考えてみる必要がある それは国民的合意が形成されて登場したものではなくて 勢力を拡大するからくりがあって登場し マスコミを支配し そのあとで国民の合意を形成していくという順番になっているだろう
ーーー
ーーーーー
立ち止まって、なぜ自民党右派が政局を支配しているのか、
どんなからくりがあるのか、考えてみる必要がある
それは国民的合意が形成されて登場したものではなくて
勢力を拡大するからくりがあって登場し
マスコミを支配し
そのあとで国民の合意を形成していくという順番になっているだろう
「つくる会」の歴史教科書の動きなどが当時としては庶民にも目に見える動きだった