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「同じ戦争体験でも、アメリカ軍の兵士の方が、イギリス軍の兵士よりもPTSDになりやすい、という研究もある。辛い経験をどんなふうに受けとめ、表現するかということは、医学よりも文化の問題なのかもしれない。」

「同じ戦争体験でも、アメリカ軍の兵士の方が、イギリス軍の兵士よりもPTSDになりやすい、という研究もある。辛い経験をどんなふうに受けとめ、表現するかということは、医学よりも文化の問題なのかもしれない。」

日本では文化の変容の途中にあるのだろうと思う。

経済や法制度のありかたが、人々の意識を変え、精神症状の内容まで変化させる。

そこにさらにDSM分類なども関わりあい、混乱を大きくしている。


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摂食障害、先進国、女性

進化論関係の人はいつでもなにか途方もなく単純な猿山還元方式を
語っていることが多いので
それほど気にする必要はないのだけれども
摂食障害が豊かな先進国で多く見られ、しかも男性に少なく女性に圧倒的に多いのは
なぜだろうと問いかけている。

なぜ女性に多いのかに関して。
男性では摂食障害に相当するものとして
強迫性障害や対人関係障害があるのかもしれないが
よく分かっていない。
しかし何かの不都合に対応する形式が男女が大きく違うということは分かりやすい。
もう一つ、女性は出産する、摂食障害では多くは月経機能に不具合が現れる、
そのあたりの連想で、結局出産を抑制しているのではないかと推定される。
出産までたどり着けばあとは摂食障害という悩み方をしないのではないかと推定している。
もちろん、女性として魅力的であることが平均体重以下であることと考えられるとすれば
約半数の女性は自信を失わなければならないはずで
なかなか過酷な環境である
しかもそれは男性からの選択要求ではなくて
女性たちが自分たちの中で決定した憲法のようなものらしくて
女性集団内部でのピラミッド構造と関係しているのではないかということになる

先進国に多いこと、しかも中流から上の階層に多く見られることを考えて、
大家族制から核家族性へ、さらには個人主義の徹底への
流れを強調する。
ここで猿山の猿たちが登場して、群れにボスは一人でいいし、
女ボスも一人でいい、それ以外の全員は、女王蜂に仕える働き蜂のように、
女王の出産に奉仕して当然だと考える。
女性の出産可能年齢が延長していくと、家庭の中に出産可能女性が増えてしまい
女性の中でのボスが誰なのか不安定になる
そこで(暴力的ではない)文化的な圧力で、月経を停止させてしまい、
出産可能性を抑制する。そのために摂食障害は役に立っているという
回りくどい話なのである。
支配的でボスで在り続けたいかつ女性で在り続けたい母親との関係の中で
抑圧されるとする図式で
しかも母親は分かりにくいことに過保護で支配的であるがそれを
あからさまに表現せず、隠蔽された形で実現しているので
反抗するとしてもあからさまにはできなくなり
何かするとしても娘の側の理由なき反抗の形になってしまう
そんな中で摂食障害は起こるのだろう
というような話の流れなのであるが
どんなものだろう

まず摂食障害というくくり方があまりにも雑駁なのだろうと思う
いろいろなものを含みすぎていて
例えて言えば「頭痛」「腹痛」に近い感じだと思う
とりあえず下位分類するとして、
拒食と過食でも症状はもちろん、背景も随分違う
強制的排泄を伴えば過食も拒食と同じ結果になるとか、また複雑な要素もある
ふつうにシゾフレニーというタイプもあるし性格障害のタイプもあり
強迫性のタイプもありで
そうしたタイプを取り除いたあとで残るような
純粋拒食とか強制排泄過剰型純粋過食とか強制排泄弱力型純粋過食、
無強制排泄型過食などと分けられる 

猿山で親による子殺しが行われることがあり
たとえば、新しいボスになった時に、メスの育てていた仔猿を殺してしまうことがある
そのようなことが発想の根本にはあるらしいのだけれども
あまり説得力はないような気がする 

しかし社会構造の変化が
家族、血縁、近所の人からの、個人への保護機能を弱めているという話は
多分そうなのだろうと思う
もともとが西洋的な習慣なのだと思うが
東南アジアの農耕民族の文化と衝突している感じはする
だとすれば、欧米の人間が摂食障害で苦しむ場合に比較すると
東南アジアの人が摂食障害に苦しむ場合に
何か二重に苦しい感じはする

上流家庭になるほど
子孫がある程度確保されていれば
あとは家を守っていたほうが良い暮らしを維持するには有利だとの考えがある
男性がいたらその人が家庭を持って子孫を維持すればいいのであって
女性は子孫を生む必要はないと考えても
辻褄は合うのかもしれない
うっかり子孫など持ったら貧乏になり不幸になりそうなのだ

現在の日本は多分全体がそんな感じで
出産は後回しなのだろう
出生率の低下はもっと大規模な原因があると思うので
この傾向では全部は説明できないだろうと思う

父性の不在ということも話題になる
父親の存在の薄いことと
何か関係があるだろうかと問いかける

他の哺乳類と違ってヒトの場合には
父親不在は娘の性的成熟を促進し性活動を促進するのだそうだ
父親がいると娘の性的成長は延期される
そしてさらに父親的母親という権力的なものが娘の性的成長を延期させる
そのようにちょっとずつ都合よく論点をずらしていくと
話はつながらないでもない

娘が子育てをするということは没落の危険を内包している
それよりも現成維持でいいではないか
という選択もあるのだろう

娘の不妊はそれ自体問題ではあるが、
遺伝子集団としてみた場合には
娘には集団遺伝子への利他的奉仕者となってほしいとする欲望も合理的なのだろう

娘は不妊の働き蜂になること

しかしながらそのようなスペキュレーションとは別に、
現実には娘は食行動を根拠として、しばしば家族を支配する

いずれにしても no evidence である



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「人の心を傷つける言葉を使っちゃいけないな」 と感じましたよ、その時に。

糸井 大久保さんは、いまでも
藤田さんのことをうれしそうに言いますね。
藤田 あいつから、やめる時に、
電話がかかってきたんですよ。
「いろいろお世話になりましたけど、
 やめます。決まりました。
 ところで‥‥ぼくにヤセろと言わなかった
 監督は、藤田さんだけです」

それを聞いて、
「何を言っているんだろう」
とはじめは思ったんです。でも感謝をされていた。

本人はヤセたくてしようがないんですけど、
みんなから、ヤセろヤセろと言われるから、
無性に腹が立っていたらしいんですね。

ぼくは大久保には、いつも、
「おまえ、その体を保つのには
 うんと走らなきゃいかんなぁ」
と言っていました。
確かに、一言もヤセろとは言わなかった。

大久保にとっては、
「ヤセろ」といわれなかったのは
うれしかったんですね。
ぼくは、走ればやせると思ったんですけど。
糸井 そうか、内容は同じなんだ(笑)
藤田 ええ。

でも、大久保が、やめるあいさつのときに
そう言ったものですから、ますます、
「人の心を傷つける言葉を使っちゃいけないな」
と感じましたよ、その時に。

だから、同じことを言うのでも、違う方向から、
傷つけない言いかたを、しなきゃいけない。
それが、だいじなことだとわかりましたよね。
糸井 ああ‥‥。
やっぱり、そこだけはいわれたくない、
というのが、みんなあるんですよね。
藤田 あったんですよね。


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「世の中は三日見ぬ間の桜かな」大島蓼太

「世の中は三日見ぬ間の桜かな」大島蓼太

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ほんとうの発見とは、未知の風景を求めることではなく、新たな目を持つこと (マルセル・プルースト)

ほんとうの発見とは、未知の風景を求めることではなく、新たな目を持つこと (マルセル・プルースト)

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「理解していること」と「説明できること」との間にはとてもギャップがあります。

「理解していること」と「説明できること」との間にはとてもギャップがあります。

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描いた絵は、その絵を構成する線の集まりを超えるものであるが、それはどうしてだろうか?

描いた絵は、その絵を構成する線の集まりを超えるものであるが、それはどうしてだろうか?

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「打ち明けるとき、人は不安に打ち勝って『信頼』という、人間が人間に贈りうる最高の贈り物を贈るのである。」

「打ち明けるとき、人は不安に打ち勝って『信頼』という、人間が人間に贈りうる最高の贈り物を贈るのである。」

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高脂肪食の世界

脂肪に対するヒステリックな反対運動は紛れもない魔女狩りになってきた。

 ニューヨークのブルームバーグ市長による大型の炭酸飲料の販売禁止措置(一時的に差し止めを受けている)や嫌がる児童たちに葉っぱや小枝(すなわちサラダ)を食べさせようとするミシェル・オバマ米大統領夫人の活動――すべては肥満根絶の名の下に行われている――など、米国では脂肪が悪玉扱いされている。


F. Martin Ramin for The Wall Street Journal; Food Styling by Brett Kurzweil
 確かに、カリスマシェフのポーラ・ディーン氏やガイ・フィエリ氏のテレビ番組のように脂肪を肯定している番組もある。だが、全体的な文化においては、そうした脂肪の多い食べ物をレッドネックフード(これは階級に基づく不名誉なレッテルで、私個人はレッドネックもレッドネックフードも好きである)呼ばわりしている。つまり、プリウスに乗ってピラティスのクラスに通うような人の食べ物ではないということだ。

 しかし、高脂肪食の世界には、ベーコンやバーベキューの域を越えたもの、食通が好む装飾過剰な高脂肪食ではなく、基本的で気取りがない素晴らしい高脂肪食がある。たとえば、ガチョウのロースト、牛のスネの髄、クロテッドクリームなどだ。肥満防止運動という神聖さをまとった脂肪をめぐる文化の戦いがエスカレートしていくなかで、こうした高脂肪食はどういうわけか置き去りにされている。これにより高脂肪食を食べることと、大量生産されている油で揚げたジャンクフードを食べること、あるいは太った人や太った人になることが混同されやすくなっている。

 肥満防止はあっぱれな目標だが、見境のない脂肪ハンターたちの論理的根拠となってしまっている。これはバターやヘビークリームが好きな人にうるさく注意するなど、太り過ぎの人たちへのある種のいじめにも変わっていきかねない。反脂肪運動家たちに筆者はこう言いたい。脂肪を多く含むジャンクフードについては好きなだけ攻撃すればいい。筆者もそれには賛成だ。だが私から骨髄のローストを奪うのは私が死んでからにしてほしい。

 筆者は純粋な喜びだけに基づいて、こうした人生を変えるような食の経験を提案しているわけではない(純粋な喜びに関しても話したいことは山ほどあるが)。実際のところ、こうしたことに関する科学的見解も変わってきているのだ。脂肪分の多いおいしいものが身体に良いということがわかってきたのである。そうした食べ物はスペイン人、イタリア人、ギリシャ人の寿命を延ばし、より少ない量で人に満足感を与えるという。筆者が口添えしているのは肥満に直結するような脂肪ではなく、うっとりするような官能的満腹感を与えてくれるような高脂肪食である。

 たとえばガチョウのローストは最高にジューシーで、精神状態を変えるほど風味豊かな高脂肪食である。それなのにガチョウのローストは、米国のほとんどの地域で、かすれた声で「もうたくさんだ」と鳴き、心臓死をもたらす不吉な鳥とみられている。そしてケーブルテレビの番組に出演している医師たちの話を聴いていると、バターを使って調理することはメタンフェタミンを製造するよりも悪いことだと思ってしまうかもしれない。

 高脂肪食を食べることは料理版『ブレイキング・バッド』になってしまった。いわば、味気ないバターの代用品やリーン・クイジーン(低カロリー冷凍食品)を食べている臆病な消費者が誤って手を染めてしまう危険な行為である。こうした食品恐怖症が蔓延すると、われわれは刑務所で出るような薄粥(もちろん全粒のやつ)と農業関連産業が推進するフードピラミッドに含まれているケール、コラード、ホウレンソウ、その他の農薬が使用され、大腸菌による食中毒の恐れがある野菜や果物を1日9サービング(1サービングは生野菜で1カップ)だけしか食べられなくなってしまうだろう。

 それよりもさらにひどいのは、脂肪嫌いの間抜けどもがわれわれに食べることを強いる卵白だけのオムレツで、これはもう最悪である。自己満足している健康志向者の多くが満腹感の象徴と考えているねばねばした青白い卵の白身の塊を我慢して食べるという人生に、寿命を数カ月間延ばす価値などあるだろうか。彼らは食事の罪を清めたがっている。筆者なら下剤を飲んででも腸を空にしたくなるだろう。

 脂肪恐怖症はいかにも米国的な摂食障害、拒脂肪食症とでも言うべき国民病になってしまった。シェイクスピアの『十二夜』で戒律の厳しい清教徒の支配を憂い、「もはやケーキやビールは楽しめなくなるのか」と嘆くトビー伯父さんのような人はいないのだろうか。

 ここには栄養やコレステロールへの懸念以上に深いなにかがある。反脂肪運動に性的欲望への不安が隠れていることはフロイト学派の人でなくともわかる。口で快楽を味わうことは悪であり、アダムとイブの時代にまで遡る悪魔の誘惑の手段だということが米国文化に深く刻み込まれている。肉体的快楽を忌まわしく邪悪なものと糾弾し、自ら進んで苦行すること(今日の卵白オムレツを予知していたのか)を求めた清教徒牧師コットン・マザーを思い出してほしい。

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Getty Images
 レストランガイド、ザガット・サーベイの高級ステーキハウスの講評には「心臓外科医の文書での許可が必要」などいう退屈なジョークが書かれ、肉という言葉が出てくる度に「皿に載った心臓発作」、「動脈への追い打ち」といった冗談が繰り返されている。このことからもわかる通り、われわれは食べ物が差し迫った死期の象徴となっている文化に生きているのだ。

 ところが、反脂肪絶対論を覆すようないくつかの新たな発見があった。たとえば最近のニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン誌上で報告されたオリーブオイルを多く使う「地中海料理」に関する研究成果がある。これには次のようなかなり衝撃的な新事実が含まれていた。「リスクが高い人々の心臓病や心臓発作の傾向を5年間観察したあと、研究者たちはもはや道義上、低脂肪食を推奨し続けることができなくなった」

 反脂肪運動家たちはよく聞いてほしい。あなたたちは、低脂肪が身体に良いということを真に受けた人々を死にいたらせようとしている。リスクが高い人々を、危険であるばかりか、恐ろしく質素な食事を取り続けるという死ぬほど退屈な人生に追いやったのである。

 逆説的ではあるが、豪華でおいしい高脂肪食を食べることに関する最も決定的な根拠は、マイケル・モス氏の新しい著書「Salt, Sugar, Fat: How the Food Giants Hooked Us(塩、砂糖、脂肪:食品大手はいかにしてわれわれを虜にしたか)」に見つけることができる。同氏はこの本で「感覚的な飽和感のポイント」という効果的な文句を使っている。モス氏の定義によると、これは「独特で濃い味に圧倒された脳が、もっと欲しいという欲求を抑制する傾向」だという。

 これはすごいことだ。著者は広範にわたる影響を見逃しているが。モス氏は悪の加工食品業界がこの概念を利用していることに的を絞って猛烈な批判を繰り広げている。同業界は、食べたいという気持ちを抑制する感覚的な飽和感ポイントを意図的に避けることで脂肪の多い油で揚げられたジャンクフードを消費者に過食させようとしているという。

 言い換えれば、感覚的な飽和感はわれわれの味方である。そのポイントを見事に刺激し、脳を喜びで圧倒するのに最適な食べ物こそ高品質の高脂肪食なのだ。高脂肪食はわれわれの過食をも防いでくれるのである。控えめな分量のショートリブ肉や北京ダックは、非常に深い喜びを与えてくれると同時に自制もしてくれるのだ。脳が無意識の喜びにうっとりすると、依然として欲しがっている大脳皮質に中途半端な飽和感を詰め込む必要がなくなるのだ。感覚的な飽和感は、適量で最高に満足感がある高脂肪食を食べることの正しさを疑いのない(科学的な)事実にしてくれた。

 そこで、人類に貢献したいという絶え間ない欲求の一部を満たすため、筆者が脂肪で味わった感覚的な飽和感の特徴的な経験のいくつかを紹介していこう。

 亡くなったホーテンス叔母さんが作ったチーズケーキは、私に脂肪の素晴らしさと威力を教え、人生観を変えてくれた。笑わないでほしい。これはきわめて重要な話だ。子供だった私がこれを初めて食べたのは、母方の家族の集まりでのことだった。私は想像もしていなかった快楽の領域に連れて行かれたように感じた。私の脳の回路も永久に変わってしまった。ホーテンス叔母さんはそのチーズケーキを非常に脂肪分が多いヘビークリームとやはり脂肪分が多いサワークリームをたっぷりと混ぜて作った。そのクリーミーなケーキの密度と濃度は熱核反応に必要な臨界質量にまで達していた。

 次に紹介するのはガチョウのローストである。筆者の知人の多くが1度もガチョウのローストを食べていないことには本当に驚かされる。彼らの機嫌がいつも悪いのはそのせいだろう。私は昔からずっと、チキンやターキーよりもダックを好んできた(今でも断然ダックが好きである)。だがガチョウのローストには及ばない。パリッとして金色を帯びた皮といい、ジューシーで脂っぽくて風味豊かな肉といい最高である(ただし、加熱しすぎないように)。

 フォアグラなどいらない(道義に反している気がする)。感謝祭には「バターボール」ターキーの代わりにガチョウを調理すべきだ。ドライで繊維っぽい肉のバターボールにはたれが注入されているが、脂肪を嫌う国民に対して同社はそれとバターとは一切関係がないと慌てて否定する。非常に残念なことだ。

 家禽の話をしている以上、北京ダックを忘れるわけにはいかない。ただし、前日の残り物を出すような店には行かないように。事前にその料理を予約するような店がいい。いちばん大事なのは皮である。パリッとした皮は輝いており、細く切られた一片一片には薄くて非常に柔らかい肉と脂肪が付いている。誇大宣伝されている海鮮醤は必要なかろう。

 高級料理の次は質素なラードである。プラスチックのようなショートニングの代わりにラードを使って焼いたクッキーを私に紹介してくれたのは中西部出身のかつてのガールフレンドだった。ペイストリーに関してはバターを多く使用したもの好みだが、ラードを使ったものにはスモーキーで素朴な風味がある。溶かされたダックやガチョウの脂の方が好みだが、ラードはハッシュブラウンを揚げるのにも良い。(ハッシュブラウン・イン・クリームを食べたことがあるだろうか。ブルックリンに昔からあるゲージ&トールナーではかつてこの名物料理を出していた。あれは最高だった。)

 そしてステーキである。脂がすごく多いビーフのリブアイカットの上部を囲むようにカーブしているカラペース(carapace)が最高だとするボーグ誌の料理記者、ジェフリー・スタインガーテン氏の意見に筆者も賛同する(ポーターハウスやTボーンの小さくてより柔らかい方がうまいという意見もあるだろうが)。それでも本当のビーフの脂身、肉の真髄を捉えているという意味では、ゆっくり煮たショートリブがほとんどのステーキカットよりも勝っているかもしれない。溶けだした脂、うまい肉汁と共に味わうスプーンで骨から切り離せるとろけたビーフは絶品だ。

 いや、よくよく考えると、肉の風味がいちばん良いのはビーフの真髄である骨髄のローストだろう。その大半が脂肪だが、純粋に脂肪というわけではない。ニューヨーク市のレストラン、ニッカーボッカーやプルーンのようにスネの骨を縦に割った状態で出されると、その片方を食するだけで感覚的な飽和感を覚える状態が1週間は維持されるだろう。

 次はナッツバター。米国の食品界でも大きなスキャンダルの1つは、ナッツバター――最高の高脂肪食経験が味わえるものの1つ――の話をしようとすると、ほとんどの人が「それはピーナッツバターみたいなものですか」と聞くことだ。

 これは無知で冒とく的な言動である。アーモンドバター、カシューバター、ピーカン・バター、ピスタチオバター、マカダミアバターなどで、脂肪摂取不足のベジタリアンたちでも楽しめるさまざまな味がある。本当においしいので、テーブルスプーンで2杯も食べれば感覚的な飽和感に達してしまう。均質化されていない、Jifとは違うタイプのペーストのピーナツバターでさえ、ナッツバターには大きく水を明けられている。まだこうしたバターを食していないとすると、本当の意味で満ち足りた人生は送っていないことになる。

 ハンバーガーの話を続けてもいいが、この話題は他でも多く取り上げられているので意味がないだろう。チャンスがあればラムバーガーを是非とも試していただきたい。それも生のタマネギとスパイシーな北アフリカのハリッサソースだけで。普通のハンバーガーには戻れなくなるはずだ。

 最後はクロテッドクリーム。筆者は読者の将来の高脂肪食生活のために幸先のいいスタートを提供してきたが、これなしでスコーンを食べるなど考えられない。筆者が最初にそれを食べたのはイングランドのデボン州の田舎だった。そのときほどクロテッドクリームをおいしく感じたことはない。その濃厚なクリームはスイートバターになるか、酸化してサワークリームになる直前で気が変わったようで、その最も芳醇な味わいを濃く、滑らかでクリーミーな液体のなかにあるバターのような固体に凝縮させることにしたようだ。通信販売で手に入れることもできるが、ニューヨーク市にあるいくつかの英国系の店舗に行って見つかったのは、どちらかというとまろやかなクリームチーズスプレッドのようで、筆者が覚えている液体と固体に分離しているダブル・デボンシャーというブランドのクロテッドクリームとは異なっていた。

 以上は筆者が気に入っている高脂肪食のほんの一部である。まだまだたくさんあるのだが紙面が足りない。

 まあ、見ておいてほしい。私の贅沢に高脂肪食を食べるというスタイルが流行し始めたら、人々は控えめな量の快楽では肥満にならないということ、脂肪は新しい健康食になるということに気付くだろう。筆者の理想のダイエット本のタイトルは『脂肪を食べながら体形維持』。つまり、ケーキとビールだけではなく、ガチョウのローストも一緒に楽しむのである。


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患者に自由を

患者に自由を増やす治療がいいのだと思う

ケースによっては、患者と一体になりすぎて、
二人組精神病みたいになって
依存しあう関係になることよいとする流儀もあるようなのだが
そしてそれがあれば症状そのものはやや改善したりするのだが
「一時的に」ということを条件として、そのような二人組精神病の状態になって、
それを深い共感と感じているのがいいという意見もある

しかし治療としては原始的すぎて、技法としても未熟すぎるという
冷静な批判はある

視点を替えると、患者はどれだけ自由かと考えると、
自由が奪われ、症状にとらわれることは減少するけれども、
治療者にとらわれ依存することが増えてしまうと言えるのかもしれない

そのあたりは治療者がどのような治療者イメージを持っているかに関係している
いろいろな治療者がいて、患者は自分に適した人を選んでいけばいいのだけれども、
場合によっては、選択の自由をなくしてしまう場合があるだろう

ーー
患者から自由を奪い、完全依存状態にして、治療者の幻想的満足を達成するとしたら
良くない話だろう 



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“ 「この音楽を好きな人はこの音楽も聴いています」・・・といったリコメンデーションはだいぶ普及してきた。 しかし、こうしたリコメンデーションでは十分でない人もいるだろう。もうちょっと、なんか、もうちょっとだけ斜め上なんだよねぇ、という人たちだ。 そこでおすすめしたいのがTuneFadだ。 このサイトではありそうでなかった「この音楽を嫌いな人はこの音楽を聴いています」を薦めてくれるのだ。 これは微妙な違いに見えて、意外に効果的なのではなかろうか。好きだけをたぐっていっても正解に至らない場合はあえて逆

“ 「この音楽を好きな人はこの音楽も聴いています」・・・といったリコメンデーションはだいぶ普及してきた。  しかし、こうしたリコメンデーションでは十分でない人もいるだろう。もうちょっと、なんか、もうちょっとだけ斜め上なんだよねぇ、という人たちだ。  そこでおすすめしたいのがTuneFadだ。  このサイトではありそうでなかった「この音楽を嫌いな人はこの音楽を聴いています」を薦めてくれるのだ。  これは微妙な違いに見えて、意外に効果的なのではなかろうか。好きだけをたぐっていっても正解に至らない場合はあえて逆に向かう必要もたまにはあるのだ。



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“大事なことは、思い込まないことだと思う。友達が大事だ、と思い込まないこと。でも、孤独が最高だ、とも思い込まない。当然だと思われるもの、慣れ親しんだもの、これだと決めたもの、をいつも疑って、またその疑うことも疑う。それくらいにしていてちょうど良いくらい、人間というのは思い込みが激しい。思い込んで、考えることをやめようとする。考えるというのは、自分との対話だから、結局は自分と口をきかなくなっていくのだ。もっと話を聞いてやってはどうだろうか。”

“大事なことは、思い込まないことだと思う。友達が大事だ、と思い込まないこと。でも、孤独が最高だ、とも思い込まない。当然だと思われるもの、慣れ親しんだもの、これだと決めたもの、をいつも疑って、またその疑うことも疑う。それくらいにしていてちょうど良いくらい、人間というのは思い込みが激しい。思い込んで、考えることをやめようとする。考えるというのは、自分との対話だから、結局は自分と口をきかなくなっていくのだ。もっと話を聞いてやってはどうだろうか。”

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もっと大きな不快があると以前からの不快を忘れているものだ

胃の気だるさ
口内炎
風邪のせいで熱
そんなことで横になっていると
いつもなら腰がぎっくり腰寸前になったりするのに
腰より他にもっと気になる部分があると腰のことは忘れているようで
今朝になって少し気分が回復してみると、腰のことが再度気になったりする

もっと大きな不快があると以前からの不快を忘れているものだ


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女性のためのアドバイス

1位

“「人生は30歳から始まる」と言われている理由:20代はまるでラットレースのように自分と周りとを比較します。仕事や恋愛、結婚、ダイエットなど、他人をしょっちゅう肩越しに見て競争しているのです。しかし、30歳はこの比較競争をやめる年齢です。”

【コメント】
まさに比較競争で疲れ切ってしまって今の歳を迎えています。ちょっとは楽に物事をとらえることができるようになるのかなと思えたため、心に残りました。(29歳 福岡県在住 女性)

2位

”信頼できる人の見分け方、物事を個人的に受け止めて気に病むべきでない理由:小さな攻撃をいちいち気にするほど、人生は長くはないということ。”

【コメント】
最近、歳をとるのが怖いです。私はまだつぼみなんですね!これから花を咲かせられるよう頑張りたいと思います。(31歳 兵庫県在住 女性)

3位

”「人生は30歳から始まる」と言われている理由:30歳になったら、自分の速度で歩みましょう。他の人が自分よりも早く昇進したら? もっとスリムだったら? 先に妊娠したら? どうするかって? 彼女たちに盛大な拍手! それは彼女の人生。あなたはあなたの道を歩みましょう。”

【コメント】
30代に入るのが怖いけど、この言葉で少し気持ちが楽になったような気がする。(29歳 埼玉県在住 女性)

4位

”「頑張り時」と「引き際」について:女性にとって大切なことは、誰に否定されようと、ダメ出しされようと、それには耳を貸さないこと。どんなにノーと言われようとも、自分が目指すキャリアのためにエネルギーを注ぐことです。”

【コメント】
今自分自身のやりたいことについて、周囲の人間から反対・否定されているので、このフレーズは力になりそうです。(24歳 神奈川県在住 女性)

5位

”この先さらに成長するために、心残りのない20代:「若さ」というのは「咲き誇る花」ではなく、「つぼみ」の段階であるということ、そしてヒトは永遠に若く無謀であり続けることはできないけれども、学び、成長していく...私たちは羽が生え変わり、脱皮し、変化する生き物です。”

【コメント】
最近、歳をとるのが怖いです。私はまだつぼみなんですね!これから花を咲かせられるよう頑張りたいと思います。(23歳 大阪府在住 女性)

6位

”キャリアのために「すべきではないこと」:1.嘘をつくこと、2.巧妙に人を操ること、3.やりたくない仕事をすること”

【コメント】
今の自分の現状について考えさせられました…これで良いのか、私…(35歳 愛媛県在住 女性)

7位

”「自分の過失ではないことについては謝らないこと」:1.嘘をつくこと、2.巧妙に人を操ること、3.やりたくない仕事をすること”

【コメント】
ついふとしたことで「すみません」が出てしまい、口癖のようになってしまっています。そこを気をつけるだけでも、素敵な人間になれるのかなと感じました。(27歳 広島県在住 女性)


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双極性診断の意義

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得体のしれないもの いわく言いがたいもの を言葉で言う

得体のしれないもの、いわく言いがたいもの、を言葉で言う
そのことは矛盾であるが
しかしできないことでもない

そのために
メタファーを使う

今日の空をどう表現するかと言われて
たとえば「この空は哀しみにふちどられた祈り」と表現したとして
それは普通の意味での空の形容ではない

言葉を解釈するために
さらに芸術の営みを必要とする

メタファーは言葉を変えれば共感覚と通じている

この声はどんな声と聞かれて
紫色の声
と答えて
それを解釈するのである

観念連合は普通の連合が連続して常識を形成している
しかし突然に異常な観念連合を提示することができる
それはひとつの謎かけである

謎をかけることが芸術である
謎を解くことが芸術である
そしてそこにある発見と納得のプロセス・時間が芸術である

ーー
言語芸術の一面は
言語の可能性を拡大することである

語りえぬものを語る事である

しかしながら言葉は内部が成立すれば外部が成立するので
拡大した途端にその外部に語りえぬ空間がまた出現することになる
そのようにして運動は永遠を含むことになる

ーー
この感じをなんとか言葉で、音楽で、ダンスで、表現したい
そこから出発する

もちろん、苦労して表現する必要などないのであるが
そうしたいのだ

無意味で盲目的な欲望である

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どのように患者さんの内界を分かるかにも診断的価値があるが どのように分からないかにも診断的価値がある 分かることに治療的価値があるが 分からないことをきちんと伝えることにも治療的意義がある

どのように患者さんの内界を分かるかにも診断的価値があるが
どのように分からないかにも診断的価値がある

分かることに治療的価値があるが
分からないことをきちんと伝えることにも治療的意義がある

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困難にもかかわらず目標を立て工夫して達成する

困難にもかかわらず目標を立て工夫して達成する

ただこれをしたいだけ

ーーーーーーー
目標達成を願う欲望

工夫する知能

達成する実行力


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Googleのハードディスクの内容をユングが分析すれば

Googleのハードディスクの内容をユングが分析すれば
多分大満足な結果が得られると思うのだが

 



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最近の論文 

常識的になんとなく因果関係が想定されているものについて
実際に少数の検体に関して統計処理をしてみる
それだけの論文

やっぱり関係がありそうですというならインパクトないし
実は関係がないみたいですという場合にも
メカニズムに言及していないので
インパクトはない

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大人の精神を分析しても すでに中にはガラクタがいっぱいだ 子供のほうにむしろ希望がある

大人の精神を分析しても
すでに中にはガラクタがいっぱいだ

子供のほうにむしろ希望がある

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部屋を片付け

“まず隣の部屋でも台所でもいいから、ガラクタ類を全部そっちに移して、 
そこから要るものだけをピックアップして、収納場所を考えながら 
元の部屋に1個ずつ移していく。 
このやり方で俺は、幾多の部屋を片付けてきた。”

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乳癌と診断された4分の1がPTSDを誘発

 乳癌患者のほぼ4人に1人は、癌の診断を受けてすぐに心的外傷後ストレス障害(PTSD)の症状がみられ、特に黒人とアジア人の患者でそのリスクが高いことが、米コロンビア大学内科・外科学部教授でMailman公衆衛生学部教授のAlfred Neugut氏らの研究で明らかになった。PTSDは、生命を脅かすような出来事を体験・目撃した後に生じる精神疾患。

 今回の研究では、1,100人強の20歳以上の乳癌患者から聞き取りを実施した結果、23%が診断後2~3カ月以内にPTSDの症状を経験していた。しかし、その後3カ月で症状は軽減した。若い女性は高齢女性よりも高い比率でPTSDの症状がみられたほか、アジア人および黒人の女性は、白人女性よりもPTSDリスクが50%高かったという。この知見は「Journal of the National Cancer Institute」オンライン版に2月21日掲載された。

 Neugut氏は、「この研究は乳癌診断後のPTSDの経過について評価した初めての研究の1つで、最終的な目標は、患者の生活の質(QOL)を向上させる方法を明らかにすることである」と述べている。「PTSDの潜在的リスクファクター(危険因子)を特定することができれば、女性が癌と診断されたとき、PTSDの症状を最小限に留めるように予防や治療を実施することができる。このアプローチが、乳癌の生存率にみられる人種間の差に間接的影響を及ぼす可能性もある」と、同氏は説明している。

 前立腺癌およびリンパ腫の診断を受けた患者でもPTSDの症状が報告されており、今回の研究結果を他の癌の患者にも適用できる可能性があると、研究グループは指摘している。


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ナルコレプシーとワクチン

ASO3アジュバント添加パンデミックA/H1N1 2009インフルエンザワクチン(Pandemrix)の接種を受けた英国の子どもで、接種後6ヵ月以内に睡眠障害であるナルコレプシーを発症するリスクが約16倍に増大したことが、同国健康保護局(HPA)のElizabeth Miller氏らの調査で明らかとなった。2010年8月、フィンランドとスウェーデンで同ワクチンの接種とナルコレプシーの関連を示唆するデータが提示され、2012年にはフィンランドの疫学調査により、ワクチン接種を受けた小児/青少年でリスクが13倍に増大したことが判明した。現在、北欧諸国以外の国での検証が進められている。BMJ誌オンライン版2013年2月26日号掲載の報告。

ナルコレプシーのリスクを後ろ向きに解析
 研究グループは、2009年10月以降にASO3アジュバント添加パンデミックA/H1N1 2009インフルエンザワクチン接種を受けた、英国の小児/青少年におけるナルコレプシーのリスクの評価を目的にレトロスペクティブな解析を行った。

 2011年8月~2012年2月までの英国内の睡眠センターおよび小児神経センターの診療記録から、臨床情報および睡眠検査の結果を抽出し、専門家委員会がレビューを行って診断を確定した。対象は、2008年1月以降にナルコレプシーを発症した4~18歳の小児/青少年であった。

 ナルコレプシー患者におけるワクチン接種のオッズ比を、年齢をマッチさせた英国人集団との比較において算出した。自己対照ケースシリーズ(SCCS)法を用いて、ワクチン接種6ヵ月以内と、この期間以外のナルコレプシーの発生状況を比較した。

6ヵ月以内の発症のオッズ比16.2、寄与リスクは5万7,500~5万2,000接種に1例
 245人の診療記録がレビューの対象となった。2008年1月以降に75人がナルコレプシーを発症し、そのうち56人にはナルコレプシーの特徴とされるカタプレキシー(情動脱力発作)が認められた。

 11人(4~8歳:7人、9~13歳:2人、14~18歳:2人、男児8人、女児3人)がナルコレプシー発症前にワクチン接種を受けており、そのうち接種後6ヵ月以内の発症は7人だった。2011年7月までに診断を受けたナルコレプシー患者における時期を特定しないワクチン接種のオッズ比は14.4[95%信頼区間(CI):4.3~48.5]で、発症前6ヵ月以内のワクチン接種のオッズ比は16.2(同:3.1~84.5)であった。

 2008年10月~2010年12月に発症し2011年7月までに診断を受けた患者についてSCCS法による解析を行ったところ、ナルコレプシーの相対的発症率は9.9(95%CI:2.1~47.9)であった。また、寄与リスクは5万7,500接種に1人から5万2,000接種に1人と推定された。

 著者は、「ASO3アジュバント添加パンデミックA/H1N1 2009インフルエンザワクチンの接種を受けた英国の子どもにおいてナルコレプシーのリスク増大が確認された。これはフィンランドの知見と一致する」と結論した上で、「確認バイアス(ascertainment bias)は最小化されているとはいえ、ワクチン被接種者をより早急に抽出することによるリスクの過大評価の可能性は残る。寄与リスクを適正に評価するには、被接種者のより長期のフォローアップを要する」と指摘している。


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うつ病の差別経験、社会参加や受療機会の障壁に:ASPEN/INDIGO試験/Lancet

うつ病に関連する差別経験は、病態の増悪や社会的機能の低下だけでなく、うつ病の非公表を助長して支援や受療の機会をも奪うことが、イタリア・ベローナ大学のAntonio Lasalvia氏らの調査で示された。現在、うつ病は世界的な疾病負担の第3位を占める(中~高所得国では第1位)。診断はプライマリ・ケアでも十分に可能であり、抗うつ薬や心理療法は60~80%の患者に有効なことが知られているが、実際に治療を受けている患者は半数に満たないという。有効な治療に対する障壁には種々の要因があるが、なかでも精神疾患に関連するスティグマ(罹患者に対する否定的な態度を誘引する不名誉の烙印・象徴)は重要な課題とされる。Lancet誌2013年1月5日号(オンライン版2012年10月18日号)掲載の報告。

大うつ病性障害患者の差別経験を横断的調査で検討
 ASPEN(Anti Stigma Programme European Network)/INDIGO(International Study of Discrimination and Stigma for Depression)試験は、大うつ病性障害の成人患者における差別経験の特徴や程度を評価する横断的調査。差別経験と病歴、医療供給、診断名公表との関連や、差別予測と差別公表や過去の差別経験との関連についても調査を行った。

 35ヵ国39施設(ASPEN試験:18ヵ国19施設、INDIGO試験:日本を含む17ヵ国20施設)で大うつ病性障害と診断された患者に対し、差別およびスティグマ尺度(第12版、DISC-12)に関する聞き取り調査を行った。対象は18歳以上、母国語の理解および会話の能力がある者とした。データの解析には多変量回帰モデルを用いた。

差別経験はうつ病の公表にも悪影響、非公表が受療の大きな障壁に
 2010年6月1日~12月31日までに1,082例(平均年齢:44.9歳、男性:34%、単身者:18%、就業者:39%)のデータが収集された。そのうち855例(79%)が「差別経験がある」と答えた。

 親密な人間関係の構築を断念したと答えたのが405例(37%)で、271例(25%)は就職活動を、218例(20%)は教育や訓練を諦めたと回答した。

 差別経験の程度が大きいほど、生涯うつ病エピソード数との関連性が高く[陰性二項回帰係数:0.20、95%信頼区間(CI):0.09~0.32、p=0.001]、1回以上の精神病院入院(同:0.29、0.15~0.42、p=0.001)や社会的機能の低さ(配偶者との死別/別居/離婚:0.10、0.01~0.19、p=0.032、無報酬就労:0.34、0.09~0.60、p=0.007、就職活動中:0.26、0.09~0.43、p=0.002、失業:0.22、0.03~0.41、p=0.022)と有意な関連が認められた。

 差別経験は、うつ病の診断を公表する意欲をも失わせた(平均差別スコア:うつ非公表4.18 vs うつ公表2.25、p<0.0001)。

 差別の予感は実際の差別経験とは必ずしも関連せず、就職活動中や就業中に差別を予測した者の47%(147/316例)および親密な相手からの差別を予測した者の45%(160/353例)は、実際には差別を経験しなかった。

 著者は、「うつ病に関連する差別は、社会参加や職業的な統合に対する障壁として機能しており、うつ病の非公表はそれ自体が支援の探索や有効な治療の受療に対するいっそうの障壁となっている」と結論付け、「うつ病患者におけるスティグマ化を防止し、すでに確立されたスティグマの作用を減弱するには、新たな持続的アプローチが必要なことが示唆される」としている。

ーーーーー
この論文でも最初に触れられているが、うつ病はWHOの健康指標の一つであるDALY(死亡損失と障害損失)において、第1位である(低所得国を除く)。筆者もこの事実を大学病院の精神科短期研修者に毎月強調している。すなわち高所得国のDALYにおいては、うつ病(1位)、脳血管障害(3位)、認知症(4位)、アルコール性疾患(5位)であり、精神疾患の社会的負荷はきわめて大きく、社会の役に立ちたいと思う若い医師の諸君は決して当科研修を疎かにしてはならない(すべての科で誠実に努力すべし)。万が一にも社会貢献に興味薄であっても、社会においてまともに機能する医師になりたければ、やはり精神科研修にも励むべし、と。蛇足であるが、これを伝える場面は筆者の担当する「認知症」の小講義の冒頭のつかみに位置している。これらの疾患は高齢者においてはより深刻であり、高齢化がますます進む本邦はまさに瀬戸際にいるのである。

 さらに本邦では、うつ病患者がまさに差別を恐れて精神科ではなく内科を受診する(平均月6名)という川上らの1990年の報告があった。プライマリ・ケアにおいて精神疾患はますます重要な領域と思われる。意を決して内科等を受診したうつ病患者が救われるような包括的医療提供が必要である。

 差別をなくすにはどうすればいいだろうか? 一臨床医の私見であるが、差別の基盤には恐怖があるので、対象のことを知り、自分ももしかしたらそうであったかもしれない「仲間」として見ることができれば差別は減るのではないだろうか? となると、彼らがどう感じているのかを目に見える形にすることはとても有効だ。この研究は、当事者自身の体験や感じ方を評価している点で卓越している。また、この国際共同研究に日本も参加していることは勇気を与えてくれる。

 以上が感想である。ここで終わってしまうと単なる感想文であるので、学術的なことにも触れたい。

 DISCとは聞き慣れない評価尺度であるが、参考文献を見ると妥当性の検討は現在掲載待ちのようだ(原著 参考文献19)。寡聞にして知らなかったが、2009年のLancet誌では統合失調症を対象に同じような報告がなされている。今後要注目の評価尺度と言えそうだ。
 この論文のポイントは簡単にまとめると、1)うつ病患者の約8割が何らかの差別体験を報告している、2)3人に1人は人から避けられるという差別経験がある、3)3人に1人は差別を恐れて仕事に応募しなかったり親密な人間関係を持たないなどしている、4)差別経験が多いものはうつ病エピソードが複数回あるものや入院歴があるなどの重症者である、であろう。入院歴の評価はこの結果からこれ以上のことは言えず、慎重であるべきだ。


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サラリーマン人生の最大のリスクは上司である

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精神年齢

人間は自動的に暦上の年をとる
外貌はたいていは年にふさわしい程度のものになり
血圧、腎臓機能、筋肉、心臓など、みな暦年齢に応じたものになる

精神的には職業上の立場や
家庭内での立場などからの要請があり
それなりの精神年齢になる事が多い

しかし場合によっては
成熟を拒否することで現在の対人関係を維持することが出来る
たとえば母親と娘で依存し合いながら
子離れも親離れも拒絶していつまでも現状を保持しようとする
そうすると精神的に未熟なままで年月が過ぎてしまう

精神年齢は鏡に映しても分からないから
浦島太郎のように精神だけが取り残されてしまう場合がある

もちろん、それが悪いこととも言えない
必要があって、変化や成熟を拒否しているのであるから
利益はあるのだと思う

しかし体験に応じてそれなりに成熟するのが人間であるし
大抵の場合、歳相応の成熟を期待するものなので、
期待にそぐわない場合には驚かれることになる

いつまでたっても母親の価値観が唯一の正しい価値観であったり
いつまでたっても
たとえば掛け算ですませばいいところを足し算で繰り返しているような精神であったりする

そのようなことになってしまうには
背景に何かの利益がるからで
変えようと思えば、それなりに苦痛を伴うことになる



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