「同じ戦争体験でも、アメリカ軍の兵士の方が、イギリス軍の兵士よりもPTSDになりやすい、という研究もある。辛い経験をどんなふうに受けとめ、表現するかということは、医学よりも文化の問題なのかもしれない。」
日本では文化の変容の途中にあるのだろうと思う。
経済や法制度のありかたが、人々の意識を変え、精神症状の内容まで変化させる。
そこにさらにDSM分類なども関わりあい、混乱を大きくしている。
摂食障害、先進国、女性
進化論関係の人はいつでもなにか途方もなく単純な猿山還元方式を
語っていることが多いので
それほど気にする必要はないのだけれども
摂食障害が豊かな先進国で多く見られ、しかも男性に少なく女性に圧倒的に多いのは
なぜだろうと問いかけている。
なぜ女性に多いのかに関して。
男性では摂食障害に相当するものとして
強迫性障害や対人関係障害があるのかもしれないが
よく分かっていない。
しかし何かの不都合に対応する形式が男女が大きく違うということは分かりやすい。
もう一つ、女性は出産する、摂食障害では多くは月経機能に不具合が現れる、
そのあたりの連想で、結局出産を抑制しているのではないかと推定される。
出産までたどり着けばあとは摂食障害という悩み方をしないのではないかと推定している。
もちろん、女性として魅力的であることが平均体重以下であることと考えられるとすれば
約半数の女性は自信を失わなければならないはずで
なかなか過酷な環境である
しかもそれは男性からの選択要求ではなくて
女性たちが自分たちの中で決定した憲法のようなものらしくて
女性集団内部でのピラミッド構造と関係しているのではないかということになる
先進国に多いこと、しかも中流から上の階層に多く見られることを考えて、
大家族制から核家族性へ、さらには個人主義の徹底への
流れを強調する。
ここで猿山の猿たちが登場して、群れにボスは一人でいいし、
女ボスも一人でいい、それ以外の全員は、女王蜂に仕える働き蜂のように、
女王の出産に奉仕して当然だと考える。
女性の出産可能年齢が延長していくと、家庭の中に出産可能女性が増えてしまい
女性の中でのボスが誰なのか不安定になる
そこで(暴力的ではない)文化的な圧力で、月経を停止させてしまい、
出産可能性を抑制する。そのために摂食障害は役に立っているという
回りくどい話なのである。
支配的でボスで在り続けたいかつ女性で在り続けたい母親との関係の中で
抑圧されるとする図式で
しかも母親は分かりにくいことに過保護で支配的であるがそれを
あからさまに表現せず、隠蔽された形で実現しているので
反抗するとしてもあからさまにはできなくなり
何かするとしても娘の側の理由なき反抗の形になってしまう
そんな中で摂食障害は起こるのだろう
というような話の流れなのであるが
どんなものだろう
まず摂食障害というくくり方があまりにも雑駁なのだろうと思う
いろいろなものを含みすぎていて
例えて言えば「頭痛」「腹痛」に近い感じだと思う
とりあえず下位分類するとして、
拒食と過食でも症状はもちろん、背景も随分違う
強制的排泄を伴えば過食も拒食と同じ結果になるとか、また複雑な要素もある
ふつうにシゾフレニーというタイプもあるし性格障害のタイプもあり
強迫性のタイプもありで
そうしたタイプを取り除いたあとで残るような
純粋拒食とか強制排泄過剰型純粋過食とか強制排泄弱力型純粋過食、
無強制排泄型過食などと分けられる
猿山で親による子殺しが行われることがあり
たとえば、新しいボスになった時に、メスの育てていた仔猿を殺してしまうことがある
そのようなことが発想の根本にはあるらしいのだけれども
あまり説得力はないような気がする
しかし社会構造の変化が
家族、血縁、近所の人からの、個人への保護機能を弱めているという話は
多分そうなのだろうと思う
もともとが西洋的な習慣なのだと思うが
東南アジアの農耕民族の文化と衝突している感じはする
だとすれば、欧米の人間が摂食障害で苦しむ場合に比較すると
東南アジアの人が摂食障害に苦しむ場合に
何か二重に苦しい感じはする
上流家庭になるほど
子孫がある程度確保されていれば
あとは家を守っていたほうが良い暮らしを維持するには有利だとの考えがある
男性がいたらその人が家庭を持って子孫を維持すればいいのであって
女性は子孫を生む必要はないと考えても
辻褄は合うのかもしれない
うっかり子孫など持ったら貧乏になり不幸になりそうなのだ
現在の日本は多分全体がそんな感じで
出産は後回しなのだろう
出生率の低下はもっと大規模な原因があると思うので
この傾向では全部は説明できないだろうと思う
父性の不在ということも話題になる
父親の存在の薄いことと
何か関係があるだろうかと問いかける
他の哺乳類と違ってヒトの場合には
父親不在は娘の性的成熟を促進し性活動を促進するのだそうだ
父親がいると娘の性的成長は延期される
そしてさらに父親的母親という権力的なものが娘の性的成長を延期させる
そのようにちょっとずつ都合よく論点をずらしていくと
話はつながらないでもない
娘が子育てをするということは没落の危険を内包している
それよりも現成維持でいいではないか
という選択もあるのだろう
娘の不妊はそれ自体問題ではあるが、
遺伝子集団としてみた場合には
娘には集団遺伝子への利他的奉仕者となってほしいとする欲望も合理的なのだろう
娘は不妊の働き蜂になること
しかしながらそのようなスペキュレーションとは別に、
現実には娘は食行動を根拠として、しばしば家族を支配する
いずれにしても no evidence である
「人の心を傷つける言葉を使っちゃいけないな」 と感じましたよ、その時に。
ほんとうの発見とは、未知の風景を求めることではなく、新たな目を持つこと (マルセル・プルースト)
「理解していること」と「説明できること」との間にはとてもギャップがあります。
描いた絵は、その絵を構成する線の集まりを超えるものであるが、それはどうしてだろうか?
「打ち明けるとき、人は不安に打ち勝って『信頼』という、人間が人間に贈りうる最高の贈り物を贈るのである。」
高脂肪食の世界
患者に自由を
患者に自由を増やす治療がいいのだと思う
ケースによっては、患者と一体になりすぎて、
二人組精神病みたいになって
依存しあう関係になることよいとする流儀もあるようなのだが
そしてそれがあれば症状そのものはやや改善したりするのだが
「一時的に」ということを条件として、そのような二人組精神病の状態になって、
それを深い共感と感じているのがいいという意見もある
しかし治療としては原始的すぎて、技法としても未熟すぎるという
冷静な批判はある
視点を替えると、患者はどれだけ自由かと考えると、
自由が奪われ、症状にとらわれることは減少するけれども、
治療者にとらわれ依存することが増えてしまうと言えるのかもしれない
そのあたりは治療者がどのような治療者イメージを持っているかに関係している
いろいろな治療者がいて、患者は自分に適した人を選んでいけばいいのだけれども、
場合によっては、選択の自由をなくしてしまう場合があるだろう
ーー
患者から自由を奪い、完全依存状態にして、治療者の幻想的満足を達成するとしたら
良くない話だろう
“ 「この音楽を好きな人はこの音楽も聴いています」・・・といったリコメンデーションはだいぶ普及してきた。 しかし、こうしたリコメンデーションでは十分でない人もいるだろう。もうちょっと、なんか、もうちょっとだけ斜め上なんだよねぇ、という人たちだ。 そこでおすすめしたいのがTuneFadだ。 このサイトではありそうでなかった「この音楽を嫌いな人はこの音楽を聴いています」を薦めてくれるのだ。 これは微妙な違いに見えて、意外に効果的なのではなかろうか。好きだけをたぐっていっても正解に至らない場合はあえて逆
“大事なことは、思い込まないことだと思う。友達が大事だ、と思い込まないこと。でも、孤独が最高だ、とも思い込まない。当然だと思われるもの、慣れ親しんだもの、これだと決めたもの、をいつも疑って、またその疑うことも疑う。それくらいにしていてちょうど良いくらい、人間というのは思い込みが激しい。思い込んで、考えることをやめようとする。考えるというのは、自分との対話だから、結局は自分と口をきかなくなっていくのだ。もっと話を聞いてやってはどうだろうか。”
もっと大きな不快があると以前からの不快を忘れているものだ
口内炎
風邪のせいで熱
そんなことで横になっていると
いつもなら腰がぎっくり腰寸前になったりするのに
腰より他にもっと気になる部分があると腰のことは忘れているようで
今朝になって少し気分が回復してみると、腰のことが再度気になったりする
もっと大きな不快があると以前からの不快を忘れているものだ
女性のためのアドバイス
得体のしれないもの いわく言いがたいもの を言葉で言う
そのことは矛盾であるが
しかしできないことでもない
そのために
メタファーを使う
今日の空をどう表現するかと言われて
たとえば「この空は哀しみにふちどられた祈り」と表現したとして
それは普通の意味での空の形容ではない
言葉を解釈するために
さらに芸術の営みを必要とする
メタファーは言葉を変えれば共感覚と通じている
この声はどんな声と聞かれて
紫色の声
と答えて
それを解釈するのである
観念連合は普通の連合が連続して常識を形成している
しかし突然に異常な観念連合を提示することができる
それはひとつの謎かけである
謎をかけることが芸術である
謎を解くことが芸術である
そしてそこにある発見と納得のプロセス・時間が芸術である
ーー
言語芸術の一面は
言語の可能性を拡大することである
語りえぬものを語る事である
しかしながら言葉は内部が成立すれば外部が成立するので
拡大した途端にその外部に語りえぬ空間がまた出現することになる
そのようにして運動は永遠を含むことになる
ーー
この感じをなんとか言葉で、音楽で、ダンスで、表現したい
そこから出発する
もちろん、苦労して表現する必要などないのであるが
そうしたいのだ
無意味で盲目的な欲望である
どのように患者さんの内界を分かるかにも診断的価値があるが どのように分からないかにも診断的価値がある 分かることに治療的価値があるが 分からないことをきちんと伝えることにも治療的意義がある
どのように分からないかにも診断的価値がある
分かることに治療的価値があるが
分からないことをきちんと伝えることにも治療的意義がある
困難にもかかわらず目標を立て工夫して達成する
ただこれをしたいだけ
ーーーーーーー
目標達成を願う欲望
工夫する知能
達成する実行力
Googleのハードディスクの内容をユングが分析すれば
Googleのハードディスクの内容をユングが分析すれば
多分大満足な結果が得られると思うのだが
最近の論文
実際に少数の検体に関して統計処理をしてみる
それだけの論文
やっぱり関係がありそうですというならインパクトないし
実は関係がないみたいですという場合にも
メカニズムに言及していないので
インパクトはない
大人の精神を分析しても すでに中にはガラクタがいっぱいだ 子供のほうにむしろ希望がある
すでに中にはガラクタがいっぱいだ
子供のほうにむしろ希望がある
部屋を片付け
そこから要るものだけをピックアップして、収納場所を考えながら
元の部屋に1個ずつ移していく。
このやり方で俺は、幾多の部屋を片付けてきた。”
乳癌と診断された4分の1がPTSDを誘発
ナルコレプシーとワクチン
うつ病の差別経験、社会参加や受療機会の障壁に:ASPEN/INDIGO試験/Lancet
精神年齢
人間は自動的に暦上の年をとる
外貌はたいていは年にふさわしい程度のものになり
血圧、腎臓機能、筋肉、心臓など、みな暦年齢に応じたものになる
精神的には職業上の立場や
家庭内での立場などからの要請があり
それなりの精神年齢になる事が多い
しかし場合によっては
成熟を拒否することで現在の対人関係を維持することが出来る
たとえば母親と娘で依存し合いながら
子離れも親離れも拒絶していつまでも現状を保持しようとする
そうすると精神的に未熟なままで年月が過ぎてしまう
精神年齢は鏡に映しても分からないから
浦島太郎のように精神だけが取り残されてしまう場合がある
もちろん、それが悪いこととも言えない
必要があって、変化や成熟を拒否しているのであるから
利益はあるのだと思う
しかし体験に応じてそれなりに成熟するのが人間であるし
大抵の場合、歳相応の成熟を期待するものなので、
期待にそぐわない場合には驚かれることになる
いつまでたっても母親の価値観が唯一の正しい価値観であったり
いつまでたっても
たとえば掛け算ですませばいいところを足し算で繰り返しているような精神であったりする
そのようなことになってしまうには
背景に何かの利益がるからで
変えようと思えば、それなりに苦痛を伴うことになる