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世にも美しい嘘

世にも美しい嘘

口紅

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二つの人生の成熟の時間差

二つの人生があると
成熟には時間差があり
時間差はいつまでもあるから
追いつくこともないのだろう

 



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固執と柔軟

固執すると柔軟とを比較すると
固執するには固執するという方針だけでいいのだが
柔軟になるためにはもう一段上の方針が必要で
それはかなり抽象的で難しい感じがする

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古い物語

古い物語

愛はふたりをどこまで連れて行ってしまうのだろう

現代ではどこまで行くといってもたかが知れているように思える

愛が全てだったのは昔の話で今はもう愛は全てではないのかもしれない

いや、どの時代でもそのように思ったのかもしれない

かつては愛が全てであったと、いつの時代にも懐かしむのかもしれない

愛に燃えることもなく 淡々と毎日を生き 物語の中でだけ愛が燃えている



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睡眠リズムを補正するためにも朝の日光を浴びよう

睡眠リズムを補正するためにも朝の日光を浴びよう

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新しい技術は 古い人の営々と築いた努力を 無価値にしてしまうところがあって

新しい技術は
古い人の営々と築いた努力を
無価値にしてしまうところがあって
虚しさも感じる 



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飛べない鳥

私たちはもともと飛べない鳥だったのだろうか

それとも飛ぶことを忘れてしまっただけなのだろうか



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誠実は控えめである

誠実は控えめである

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他人に対しての影響力

精神病とか神経症というものは
何か他人に対しての影響力を明らかに持っているように思われる

それは家族の一人ひとりを幾ばくか変えてしまう
また治療者に対しても影響を与える

むしろ、治療者はどのような影響を与えられたかを検証し
そこから患者の病理を推定したりもする

それを診断学とは言わないのだが

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信頼に対して信頼で応答し 世界に信頼が満ちる

信頼に対して信頼で応答し
世界に信頼が満ちる

そのはずだろう

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これからは大切なときに相談相手がいるのだという安心感

これからは大切なときに相談相手がいるのだという安心感

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言葉で語りうる範囲のものを超えて伝えたいと思った時

言葉で語りうる範囲のものを超えて伝えたいと思った時
やはり言葉を用いるのは矛盾である

しかし哲学者のように沈黙を結論とすることもできない

言葉ではなく行動で示そうとすれば
それは退行であると判断されることも多い

ーーー
言葉で伝えきれないものを言葉で伝えようとするとき
心がすでにその方向に向いている人間にならば伝わってしまう

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少納言 類語辞典 など

採録

DictJuggler.net 文章に携わる人のための辞書・検索サイト

 何はともあれシソーラス(類語辞典)。思いついた単語を頼りに場面にピッタリはまる単語を探す道具。
 ここの「類語玉手箱」がけっこう使える。それぞれの語に、Yahoo Japanの国語辞典へのリンクがつくので意味も確認できる。
 他にも「翻訳訳語辞典」など使える道具が多数。これらは類語玉手箱ともリンクしていて大助かり。
 その他、使えそうな検索窓がずらーっと並ぶ。ここは常に開いておきたいページ。
 
(サイトURL)
 http://www.dictjuggler.net/


■現代日本語書き言葉均衡コーパス「少納言」

 これはすごい。ものすごい量の日本語の蓄積を、
(1)前と後の文脈を指定して、
(2)しかも正規表現も使えて、
(3)年代や採集源も指定できて、
(4)すべてに出典が明記されて、
(5)500例までリストアップできる、国立国語研究所が公開するすごいデータベース。文章表現のヒントを探したいなら、まずここを。

(サイトURL)
 http://www.kotonoha.gr.jp/shonagon/


青空文庫
 無く子も黙る青空文庫。著作権の切れた近代日本語文献を集めているのはご存知の通り。
 収録されているのは、圧倒的に文学作品なので、日本の近代文学からざっくり用例や表現を拾うのに使える。




  




(使用例)
 「のような」や「のように」というキーワードと共に検索すると、文学作品や他人のSSから自分のほしい比喩(直喩)を探そう。青空文庫だと旧かなづかいもあるので「のやうな」もキーワードにする。
 「"のような頭"OR"のやうな頭" site:aozora.gr.jp/cards/*/files/*.html 」で検索

(サイトURL)
 http://www.aozora.gr.jp/

ーーーー
あなたの文章を最適化するたった4つのルール
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-562.html

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一生ディナーをともにすることもない人に何を言われても気にする必要はない

一生ディナーをともにすることもない人に何を言われても気にする必要はない
イネス・リグロン


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不安のうち9割は実現しない

確かカーネギーが書いてたけど、 
「不安のうち9割は実現しない」っていう言葉を 
忘れないようにしている。 
これまでに数え切れないほど不安を抱いたはずだけど、 
結局ここまで無事に生きてこれてるんだもの。


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「パリ、テキサス」

採録

ーー
4年の放浪の果て、男は息子と一緒に女を捜しはじめる。
そしてヒューストンの下町の「のぞき部屋」で彼女が働いているのを見つける。
男は、女とそこで客として再会するのだ。
愛を復活させないように心を閉ざして、ストイックに再会するのだ。

「のぞき部屋」では客側から女を見ることが出来ても、向こうからは客の姿が見えない。
つまりはマジックミラー。
暗い方から明るい方を見ることはできるが、逆に明るい方から見るとガラスは鏡になっていて暗い方を見ることはできない。
写るのは自分の姿だけ。
向こうからは決して男の姿は見えない。常に一方通行。
声がマイクを通じて伝わるだけだ。


男は、ある友人の話として男と女の話を語る。
女は途中で話しているのが誰だか気がつく。
男は女の部屋の明かりを消させ、自分の顔に明かりを当てる。
女はマジックミラーの向こうに男の姿を見る。
そして逆に、男は女の姿を、見失う・・・。


名人ヴィム・ヴェンダーズはこのシーンだけで「男と女の愛とは何か」を描ききった。
いままで何千という映画が苦労して描いてきた、男女の愛のすれ違い、男と女の距離感、そして「愛のように見えたものの姿」を見事に象徴してみせたのだ。たった一場面で。


マジックミラーには自分の顔が写っている。
ぼんやり見える女の顔に重なって、自分の顔だけがはっきり見える。
なんてすごい場面だろう。
男の、女への「愛」を象徴するかのようだ。


相手への愛のように見えたもの。
それは「自分への愛」なのだ。

女を愛していたように見えて、男は「自分を愛していた」のだ。
自分が可愛かったのだ。
自己愛であり自己憐憫でありエゴなのだ。
愛している自分、愛しすぎている自分を愛しているのだ。
自分が嫉妬する分だけ、相手にも嫉妬して欲しいのだ。
自分が好きな分だけ、相手にも好きを求めるのだ。
自分が苦しんでいる分だけ、相手にも苦しみを与えたいのだ。
相手が傷つくことより、自分が傷つかないことの方に本当は関心があるのだ。

そう、それは自己愛にすぎない。

ボクたちは、わりと気軽に「愛」を口にする。
でも、それは決して相手のためではない。
自分のためなのだ。
そもそもそのレベルの愛とは、すべて自分のためだけのものなのだ。

「パリ、テキサス」


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身体障がい者手帳で一割引き

採録。真偽不明。

母は足が悪いので、タクシーに乗ると身体障がい者手帳で一割引きになる。
でも今日、タクシーの運転手さんにきいてみたら、
なんと割引分は国や市からの還付はなく、タクシー会社や運転手が負担。
個人タクシーなら完全個人負担。なんてお粗末な行政。
それを聞いたら、タクシーに乗りにくいわと母。


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頻度を示す16個の英語の副詞の使い方

頻度を示す16個の英語の副詞の使い方
100%- always 「常に」「必ず」
90%- almost always「ほぼ必ず」
80%- ususally, normally, generally 「普通は」「普段は」「たいていは」
70%- very often, frequently 「とてもよく」「頻繁に」
60%- often 「よく」
50%- sometimes 「ときどき」
40%- occasionally 「たまに」
20%- seldom, rarely 「めったに~ない」「ほとんど~しない」
10%- almost never, hardly ever, scarecely ever 「めったに~ない」「ほとんど~しない」
0%- never 「決して~しない」「全く~しない」「一度も~しない」


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時間外労働が月60時間を超えた場合

2010年に時間外労働が月60時間を超えた場合、
超えた分の時間外の割増率を50%以上とする規定が追加された



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仏像各種分類

仏像の分類、採録

(1)如来グループ

 大仏が属す。最も位が高い。
 企業の役職に例えると、社長、会長、名誉会長。
 如来は真理に目覚め悟りを開いたもの。如来以外は全て修行中。

 世界最初の仏像は釈迦如来。1世紀に作られた如来の一種。作られたのは釈迦の死後およそ500年後。それまで仏像はこの世には存在しなかった。

 しかし仏教の布教には仏像が必要だった。釈迦の姿を拝みたいという信者たちのラブコールに応え、釈迦は仏像となり釈迦如来となった。つまりお釈迦様の仏像が作られたのだ。
 歴史が下ってくるとだんだん仏教を信じる人の裾野が広がっていく。それによって、こういう仏がいたらいいなという庶民のニーズに応える形で様々な仏像が出てきた。

 その後、庶民の細かなニーズに応える形でも仏像が作られた。
 医療を中心にした薬師如来。極楽浄土の案内人として阿弥陀如来。阿弥陀如来は「南無阿弥陀仏」と唱えれば成仏できるという手軽さが受け、日本の寺院で最も多く祀られている。
 さらには太陽を神格化した大日如来など、経典に記された数々の如来が仏像となっていった。
 奈良の大仏は毘盧遮那(びるしゃな)如来を仏像にしたもの。鎌倉の大仏は阿弥陀如来。
 如来は釈迦が悟りを開いた姿を表したもので、その多くが座っていて、衣をまとっただけの質素な形。

 これらは仏像界の頂点に立つグループなのだ。

(2)菩薩グループ

 弥勒菩薩、観世音菩薩、地蔵菩薩(お地蔵様)。
 庶民から圧倒的支持を受ける。
 企業の役職でいうと部長など中間管理職。
 菩薩は悟りをめざし修行中。上を目指して修行しながら苦しむ人々を救う仏。

 菩薩とは、修行僧という意味の、古代インド語(サンスクリット語)のボーディ・サットヴァが元になっている。
 ちなみに、釈迦の次に悟りを開くとされているのは弥勒菩薩だが、悟りを開くのは56億年7千万年後。
 如来は難しい語り口で教えてくれるため理解しがたい。菩薩はそれを優しく説いてくれる。なので、菩薩の方がより身近。

 全ての人を救うには如来だけでは手が足りない。そのため、菩薩は如来の脇に立ち、如来とユニットで作られることが多かった。
 釈迦如来の脇には文殊菩薩と普賢菩薩。文殊菩薩は知恵を司り、普賢菩薩は修行を司る。「三人寄れば文殊の知恵」は、この文殊菩薩から来ている。

 如来が座っているのに対し、菩薩は動物に乗っていたり立っていたりしている像が多い。その理由は、菩薩は少しでも早く人々を救えるように。腰を捻ったり片足を踏み出してる像もある。
 他にも、菩薩は美しい布をまとい、多彩なアクセサリーを身に付けた姿。これは釈迦の出家前の王族時代の姿を現したもの。

 菩薩は俗人に近いため人気が出た。特に鎌倉時代以降、庶民信仰の中で人気に。
 それを象徴するのが観世音菩薩。優しそうな外見で人気を集めた。観音様はもともと男性でも女性でもないが、優しいイメージのため、いつしか仏像の姿も女性のイメージになり爆発的人気に。

 あまりの人気に、如来を差しおき単独で活躍することになり、さらに人々の欲望のままに変身を遂げ、二本の手だけでは救えないだろうと手を増やした結果、千手観音が生まれ、また、世界中をもっと見渡せるようにという十一面観音も。
 さらに、大船観音、高崎観音のように巨大化したものまで。

 寺まで行かなくてももっと親切な菩薩もある。アンパンマン顔負けに助けに来てくれる、それが地蔵菩薩。
 人々を助けるため自ら出向き、救いの手を差し延べ、ダメな人ほど救ってくれるという。

 なぜ親しみのある愛らしい顔をしているのか?
 地蔵菩薩は地獄に堕ちた人までも救ってくれるという。親より先に死んだ子は賽の河原で親不孝の責め苦を受ける。それを救うのが地蔵菩薩。そこで賽の河原から連想される石で作り、顔も子供たちそっくりの丸い形で作られるようになったのだという。
 上流階級がきらびやかな観音様に傾倒していく中、お地蔵様は身近さから庶民のアイドルに。

 地蔵菩薩というのは庶民のささやかな願いも聞いてくれる、身代わりになってくれるという信仰が強い。身代わり地蔵、とげ抜き地蔵、子育て地蔵などなど、全国さまざまなバリエーションを生んでいった。

(3)明王グループ

 歌舞伎の市川海老蔵が結婚を報告した成田山新勝寺のご本尊は不動明王。
 が、不動明王はなぜ怒っているのか?

 京都の東寺の講堂には、不動明王を中心とした四体の明王が。東に降三世明王、南に軍荼利明王、西に大威徳明王、北に金剛夜叉明王。不動明王とあわせて五大明王。
 しかしこの仏像、他と違いみんな怒っている。なぜか。

 明王は密教で大日如来の化身・分身。特に明王が救うのは難解の衆生(なんげのしゅじょう)、すなわち、いくら言っても聞かない人。

 大日如来が変身して悪を懲らしめる、これが明王。
 明王は激しい煩悩を背後の炎と剣で焼き尽くし、左手の縄で縛ってでも救うという。慈悲の心ではなく怒りで仏教界を守る、いうなれば闇の仕事人、裏のガードマン。

 平安時代に弘法大師が中国に留学して密教を学び、不動明王を持ち帰った。当時の人々は非常に衝撃を受けたと伝えられている。武力でもって力尽くで人を救う。
 
(4)天グループ

 明王グループと同じく武道派集団。
 「天」とは耳慣れない言葉と思われるかもしれないが、「寅さん」で有名な葛飾柴又の帝釈天、戦の神様の毘沙門天、東大寺の金剛力士も天の一員。

 同じ武道派集団の明王との違いは?
 天は元々インドの神話に出てくる神様で、仏教界の一員ではない。
 天とは、神という意味の、古代インド語(サンスクリット語)のテーヴァが元になっている。天は当て字。

 仏教が広まる前のインドでは、ヒンドゥー教という多神教が信仰されていた。その中には最強の戦士インドラという神や、ブラフマンという宇宙を作った創造神など多彩な神様がいた。インドラは帝釈天、ブラフマンは梵天として仏教に取り入れられていった。

 元々いたインドの神様たちを、仏教を守るガードマンとして取り入れたのが天。いわば正規軍ではないが、外から助けてくれる助っ人外国人のようなもの。

 天はインドの神話に出てくるということで様々な姿をしている。菩薩や如来より、より身近なものがあった。
 たとえば、天の最高位の四天王と呼ばれる多聞天、広目天、増長天、持国天は東西南北に分かれ、如来・菩薩を守ると言われる。足の速さを形容する韋駄天、地獄の王の閻魔様も天の一員。

 そして天はしばしば、御利益によりユニットのように複数で組む。例えば、多聞天が武将の間で人気があるとなると、多聞天はソロデビュー。
 多聞天は戦国時代に名前を変えて活躍した。それが上杉謙信の守り神で有名な毘沙門天。毘沙門天はさらに弁財天、大黒天とともに日本の神様ともユニットを組み、七福神として日本にすっかり定着した。

 以上4グループ以外に、空海、鑑真などの高僧も仏像となっている。

 その年、その時代に合わせ、救いの形を進化させ、日本の民衆に愛されてきた仏像。願いの数だけいろんな仏像がほしい、そんな人間の御利益主義が多種多様な仏像を生んだのかもしれない。

ーーーーー
スーパーマンは善の方法で善の目的を達成する
バッドマンはときに悪の方法で善の目的を達成する

バッドマンは明王にあたり
スーパーマンは菩薩にあたるのだろう


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ストレスに強い人の考え方の特徴

【ストレスに強い人の考え方の特徴】
①「まあいいか」と受け流す
②マイペースを保てる
③人生は思い通りにならないと思う
④タイミングが悪かったと考える(誰のせいにもしない)
⑤相手の事情も想像できる
⑥何事も経験と思う
⑦周囲に頼れる
⑧現実逃避が上手

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エネルギー効率の上昇だけが経済成長を引き起こす

採録

ーー
先日のアメリカ大統領選挙では、経済を中心に論戦が戦わされ、日本でも、衆議院議員選挙が近いことから、安倍晋三、自民党総裁が、インフレ目標の設定など、日銀のさらなる金融緩和路線を打ち出しています。

しかし、世界全体を俯瞰してみると、世界全体としては、経済成長の余地は、ほとんどなく、誰かが豊かになれば、誰かが貧しくなる、というゼロサム世界にほぼなっており、経済成長の追求が果たして可能なのか? という根源的な疑問に突き当たります。

経済成長は何によってもたらされるか 

この問題を考えるには、経済成長は何によってもたらされるのか、これをまず考えてみましょう。 

原始農耕社会の場合、経済成長は基本的にありません。 景気は基本的にその年の天候によります。つまり食糧生産の多寡のみにより、景気は決定されます。

現代社会の場合はどうでしょうか? 食糧生産は天候だけではなく、農地へのエネルギー投入量により決定されます。 これは原始社会とは異なる点です。 しかし、現代社会では原始農耕社会と異なり、第2次、第3次産業の比率が極端に大きいためサービスも考える必要があります。

一人当たりのサービス量= 一人当たりエネルギー消費量 × エネルギー効率

となります。 従って

      総生産 = 食糧生産量 + エネルギー産出量×エネルギー効率 


ということになります。 但し、エネルギー資源以外の資源産出も右辺第二項に含めています。一方

 食糧生産量= エネルギー投入量×エネルギー効率 + 水資源量×水資源効率 
 

と考えることが出来ますし、現状はほとんどエネルギーを食糧に変えていると言ってよい状況なので、(「石油を食べる人々」参照)

総生産 = エネルギー産出量×エネルギー効率 + 水資源量×水資源効率   

とまとめることが出来ます。この式を見ると、水資源に関する項を一定として、世界経済の成長は、積の微分法から

総生産の微分 = エネルギー産出量の微分×エネルギー効率 + エネルギー産出量×エネルギー効率の微分   

となります。

経済成長のためには、


(1)エネルギー産出量の増加
(2)エネルギー効率の上昇


の中のどちらかが必要です。 

この中(1)のエネルギー産出は石油、石炭、天然ガスといった化石燃料などの減耗により、今後、大きく減退することが予想されています。 シェールガス、シェールオイル、深海油田といった非在来型化石燃料にも大きな期待は出来そうにもありません(たとえば、The new “Golden Age of Oil” that wasn’t 参照)。

image032

World Energy to 2050より転載)

上のグラフを見れば分かるように、現在がエネルギー産出のほぼピークであり、エネルギー産出の伸びが緩やかになっただけで、現在、全世界的な景気停滞が起こっている訳です。  

従ってエネルギー効率の上昇だけが経済成長を引き起こすと、考えられるわけです。 

このように整理すると、情報化(IT化)は、エネルギー効率を大きく上げているわけではないので、経済成長を牽引するのには力不足ということや、財政出動、金融緩和、規制緩和が、経済成長を引き起こさないのは、エネルギー効率が上がらないからであり、老人が金を使わないから不景気であるというのは誤りであり、デフレだから景気が悪い訳ではないことが分かるわけです。 

つまり、エネルギー効率を上げない限り、誰かが豊かになれば、他の誰かが貧しくなるという構造が存在し、しかも、エネルギーの総量がすでに一人当たりでは減少しつつあるということから、下手をすると、全ての人が貧しくなるという懸念があるのです。

ところが、以前の記事で述べたように、現在は、むしろエネルギー資源の劣化(EPRの低下)などによりエネルギー効率は下がっています:
World%20Total%20Energy%20and%20Real%20GDP

(Is It Really Possible to Decouple GDP Growth from Energy Growth?より転載)

従って、現在の世界経済は、ゼロサムゲームになっていると考えてよいでしょう。 
こう考えれば、トリクルダウン理論なるものも、ゼロサムゲーム、マイナスサムゲームの現在の世界では、全くの絵空事であることが分かります。 

さらに、日本の場合は、原発の再稼働を先延ばししているため、経済がマイナスサムに陥る危険が十分にあるように思います。 個人的な考えですが、原子力というカードを失えば、日本はエネルギー価格における交渉力を失い、国が衰退するでしょう(これからは国籍に拘らずに生きてゆくのがよいと考えて、大したことではないと思う人もいるでしょうが)。

拡がる格差

このように我々は、ゼロまたはマイナスサムゲームをしているのですから、格差の拡大が世界全体で起きていることも、全く自然な成り行きなわけです。つまり、社会の中の富の総量が増加しない中で、自由競争を進めれば、当然のことながら、ごく一部の勝者と大部分の敗者に社会が分離してゆきます。そして、この格差の拡大により、世界は不安定化しているのです。

ニュースで報じられるように、中国では経済格差が拡大し、中国社会が危機に頻しており(「石平氏のコラム」参照)、毛沢東時代を懐かしむ人たちが増えているようです。 第18回中国共産党大会で政治報告を行った胡錦濤国家主席(党総書記)は、2020年までの国内総生産(GDP)倍増計画を打ち出しています。

つまり格差拡大の不満を抑え込むには、国として豊かさの総量の拡大を目指そうというわけです。 でもこれは、世界全体がゼロサム、マイナスサムゲームなのですから、難しいでしょう。 

一方、先進国はどうでしょうか? 日米欧は一様に景気が悪い状態が続いています。 これらの先進国でも格差は拡大し、アメリカの大学生の就職難も深刻なようです。  

今日、注目すべきニュースがありました:

金融庁は、経営危機に陥った証券会社、保険会社に公的資金を注入し救済できるようにする方針を固めた(11月10日、朝日新聞)。

これは、日本の金融システムが、このゼロサムゲームの中で維持できなくなりつつあるということでしょう。

このようにゼロサムゲームが続く限り、格差の拡大や金融システムの脆弱化は、続き、我々は近い将来、社会システムの大きな変革を迫られることになるでしょう。

持続可能でない我々の生活 

現在の世界の粗鋼生産量は年15.2億トン、日本の粗鋼生産量は年約1億トンです。 

製鉄は、その昔、石炭を用いず、木炭を用いていました。 日本の伝統的なたたら製鉄の場合、1トンの製鉄のために、14トンの木炭が必要となり、そのために0.5ヘクタールの森林を伐採しなくてはならない計算です。

15億トンの鉄を石炭に頼らずに、たたら製鉄のようにバイオ燃料である木炭を用いることにすると、15億トンの製鉄のためには、7.5億ヘクタールの森林を伐採しなくてはなりません。 世界の森林面積は38.7億ヘクタールといわれていますから、石炭がなければ、製鉄のためだけで、5年で世界の森林は消滅し、日本の森林は1年で消滅する計算です。

このように、我々の生活は、石炭、石油、天然ガスといった化石燃料エネルギーがなければ、瞬く間に破綻する状況にあるのです。

木炭に限らず、太陽光発電、風力発電といった、再生可能エネルギーは、エネルギー密度が低いため、多くの人口を支えることは不可能でしょう。製鉄所を動かすのにどれだけの風車が必要になるか、考えると気が遠くなるでしょう。

我々の生活は、極めて脆弱な基盤の上に成り立っているのです。 我々人類は正に、シャーレの培地に広がった微生物のようなもので、やがては、資源の枯渇から、急激な文明の衰退に直面する可能性があります。

我々は、エネルギー使用の効率化を進め、省エネルギー、省資源を実行するとともに、社会のシステムを低成長に合ったものにすることがどうしても必要なように思われます。


(注)食糧生産には水資源 エネルギー制約 農地拡大制約があり拡大は極めて困難になっており、最近20年の状況は、穀物生産の伸びが世界人口の伸びを下回る年が増加しており、今後、気候変動により水資源の枯渇が深刻化することにより、食糧生産はむしろ減少するものと思われます(「水資源の危機、渇く地球」参照)。

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