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要求が素直にストレート

アメリカを歩いていて感じた、もうひとつの「嫌いじゃない」と思ったことは、要求が素直にストレートなことだった。
ベンチに荷物を置いて場所を取って座っている人がいたら、
「そこ、座りたいから荷物どけてくれない」って、若い子でもカラリと言ってくる。
一度、NYのH&Mでレジに並んでいたら、一番前に行って「ここ、入ってもいい?」って聞いた子がいた。言われた人は、あっけらかんと「ダメ」と言い、言われた子は「あら、そう」と言って、列の最後に並んだ。
なんだ、これ?
微妙に空いている席に気づかない人の前に立って、睨みつけただけで何も言わず、帰宅後に家族に悪態をつくみたいな、そういう無言の「気づけよ」オーラがない。
逆を言えば、日本にいて感じる「無言の気づけよオーラ」と、同時に、そんなオーラなんてどこにも存在していないのに、自ら「誰かがどこかでそう思っているのではないか」と勝手に想像して行動を規制している自分に気づいたりして、本当に窮屈だと思うこともある。
欲しいものは、欲しいといい
どいて欲しい人には、どいてくれない? と言ってみて
だめだよ、と言われたら
あら、そう、とあっけなく引き下がる。
で、本当にやりたければ、別の場所でまた再トライする。
「ちょっとこの人、一体何を言ってるわけ」と上から下まで舐め回すように見られたり、列の後ろのほうでひそひそ目配せされることがない感じはなんだか本当に楽だなあと思うわけで。
そういうこところ、なんだか嫌いじゃないんだよなあって本当に思う。
日本にいると、「みんなと同じ」ことはなんだかとても大事なことなのだなあとよく思う。
そして「誰かに迷惑をかけない、足並みを揃える」ことも。
このところ、いくつかのジュエリーのクラスに参加して、このあたりは本当にそうだなあと思った。
たとえばね。
日本で「◯◯先生の▲▲(アクセサリーとか手芸とか)を作る講座」に申し込んだとする。
そこで用意されているのは、たいてい「キット」で、先生が用意したお手本とそっくり同じものを作るというのが多い。多少のアレンジ(土台の形を選ぶとか、色を選ぶとか)はあっても、もしここで「私は大きさを変えたい」とか、「アレンジして別の形にしたい」と言い出す人は、大抵嫌がられる。
でも、私がこっちで参加したクラスでは、参加者全員がてんでばらばらのことを言い出したりする。
先生のお手本は、あくまでお手本で、誰もまったく同じというものを作ろうとしない。色も違う、形も変える。そして、先生はその一人一人にコツを教えていく。
ちょっと変なアレンジを加えると、先生が激しく喜ぶ。
「もっとやって! アレンジして! クリエイティブを楽しんで」と。
これはさ、日本のおばちゃまクラスではじぇったいありえないんだよ。
そんなことに遭遇した試しがない。
もし、「私、みんなと違う形にしたいのよね」と、足並みを崩し、そのためにクラスの進行が遅れ、先生を独り占めするおばちゃまが一人混じっていたとしたら、明らかにほかのおばちゃまが目配せをする。そして、終了後にスタバなどに集まって、悪口大会になる。目に見えている。
こっちはてんでばらばらに、みんな自分のペースで、自分が作ってみたいものを作って、ばらばらで途中ヒヤヒヤするんだけど、結果的には大きく逸脱することもあまりなく、着地する。
で、最後にできるものはすごく面白い。
そして、先生もそれをすごく楽しんでいる。
細かくオーガナイズされないものは、途中不安定にあちこちに傾くし、時間も読めず、あれこれハプニングもあったりするけど、だからといって沈没することはないんだ、ってことがよくわかる。人って、それほどアホじゃないから。
私は東京で、ワイヤージュエリーの講座に通って資格を取ったんだけど、その時のクラスは、すべてがオーガナイズされていて、お手本を作るために必要なビーズの数がすべて小さなビニールの袋に小分けにされていて、ワイヤーは「7センチに切ったのち、7ミリほどの場所から曲げて、次に3センチのところで輪を作り。、。。」という説明があって、参加者は定規を使って2ミリとか3ミリとか測りながら、細かい作業を重ねていた。
先生が「輪を作って曲げて」と言うと、「何ミリですか」と質問する人ばっかりだった。
そんなこと言う人、こっちは誰もいねえ。
なんだ、ミリって。
「このあたりを曲げる」じゃダメなんか。
「このあたり」で曲げるだけで作ってるこっちの人の作品、結構いいじょ。
もうひとつ、嫌いじゃないなあ、いや、すごく好きだよって思うのは
料理教室にもワイヤーのジュエリー教室にも男性が普通にやってくることだ。
昨日参加したワイヤーラッピングのクラスには、大学生みたいな男の子が一人参加していた。その子は先生が教えてみんなが作っている足並みを乱しまくり、何一つ言われたとおりに作らず、「そうじゃなくて僕はこっちの向きに使いたい」「いま教えてもらっているのじゃなくて、こういう形を僕は作ってみたい」と質問攻めに先生をしていた。
私はてっきり、途中から先生はうんざりしてきて、「とりあえずお手本どおりに今日は作って」と言うのかと思ってた。
ところが、しばらくしてきたら先生は俄然燃えてきた。
「あなた、本当にクリエイティブマインドの持ち主ね!」と言って、あれもこれもと訪ねてくる彼の隣に最後は座って、彼のアイデアに真剣に耳を傾けていた。
アイデアとやりたい事が次から次に湧いてきてしまう彼も、周りの人に「すみません、ごめんね」なんてことは一切言わず。最初は「なんじゃらほい、この子は」と思っていた私も、途中から彼と先生の間に生まれてくる、なんつか、ちょい切ないような熱い感じが、なんだか本当にうらやましいなと思った。
私たちは、こういう風に作られていない。
たぶん、周りの進行に気を使い、形を逸脱することを恐れ、時間通りに終わることに重きを置いて、結果的にお手本どおりのものが出来上がる。そんな「無言の圧力」みたいなものに、慣れてしまっているんだろうなあ、などと思ったりする。
クリエイティブマインドの持ち主だと言われた彼も、日本にいたら「足並みを乱す迷惑な子」になってしまうのかもしれない。彼のアイデアも、「そんなことはいいから、お手本通りに」と一蹴されてしまうのかもしれない。
この違いって、なんだかとても大きなことのような気がする。
この日、9時で終わるはずのクラスは10時半になっても終わらず、私はさすがに空腹に耐えられずその時間でクラスを後にしたけれど、工房にはまだ2人の生徒が残って、先生も残って、煌々と明かりをつけてワイヤーとプライヤーを手に、ああだこうだと手を動かし続けていた。
前に参加した別の場所のクラスもそう。
「もう時間ですから途中でも帰ってください、あとは家でやって」
なんて、だーれも言わない。
そういうところ、すっごく好きです。
アメリカさん、ありがとう。


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