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Mischa Maisky plays Bach Cello Suite No.1 in G


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人間と人間が出会う

人間と人間が出会う
というような言葉を使うことがあるが
それは本当は大変なことではないかと思う

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人間の言葉の粗雑さ

たとえば食べ物の味を言葉で伝えるとして
なかなか難しい
味覚の網の目に対して
言葉の網の目が荒すぎるからだろうと思う

そんなにも粗雑な言葉で
人間同士が何かを分かり合っているというのも驚きである

ましてや時間を隔てて日記を読んで理解できるというのも
不思議なようなことだ

自分の体験を基準にして考えて一応理解できるのだろう
また背景となる知識を共有しているからなのだろう

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貨幣価値 TPP問題

素朴に考えると、
一年働いて、少しだけ貯金ができたとして、
そのお金の価値が、時間が立てば減少してしまうのは
なんだか理不尽な感じがしてしまう

現在はデフレだから例外であるが
資本主義の世界は概ね4%程度の経済成長、つまりインフレ傾向を内在させていて普通、というくらいだから
貨幣は、4%ずつ価値が減少する、つまり「腐る貨幣」であると言えるだろう

また為替の問題もあり、為替の変動のせいで損をしたり得をしたりするのも
納得出来ないと思う

とはいっても、現在は世界はそのようにできているのであるから、
しかたのないことだけれども
為替にも株にもインフレにも無関心でただ純朴に働いている人を考えてみて、
そのようなナイーブな人が、
自分のせいではないのに翻弄されて、損したり得したりするのは良くないことではないだろうか

損得ゲームに参加を表明した人ならば、
自分で注意して損でも得でもすればいいのだが
個人のレベルで、そこまでは注意が届かないという場合に、
損をさせて、資産を、プロのファンドなどの側に転移させてしまうのは
そもそもそのような仕掛けを許している事自体が
悪のような気がする

言ってもしかたのないことで、
各人が充分に注意深く賢くなるしかないというのは分かるけれども
納得がいかない

ある種のテクニックを理解して実行する人間とそうでない人間の間に
明らかに差が生じてしまう

ーーー
不正確な言い方かも知れないが
お金でお金を買うという変なことが行われていて
不思議な事だと思う

もちろん、将来の受け取りの権利だとか、利息の計算だとかあるのだろうが
メタ貨幣のような状況で
これは素人から搾取する構造のような気がする

ーーー
熱狂的な経済成長もないが
悪夢のような暴落もない世界がいい
江戸時代のように祖父祖母の人生をそのまま生きられると感じられる安定感があってもいい

ーーー
2012年12月の選挙ではTPPも争点の一つと挙げられているが
どの程度議論は深まっているのだろう
農協と医師会が反対している

農業が全滅します
というのが、まず一番の印象

安い米国の農産物が関税0で国内に出回るが
BSE問題、農薬、保存料、遺伝子操作作物、それら全部を米国並みの基準にしろということらしい
それが嫌なら、国として基準を作るのではなく、個人でお金を払って、安全を買えということらしい
しかしまた、安全安心な農作物ですというラベルだけで商売した例は過去に幾つもあるので
何を買ったら安全なのか、大変難しいだろう

その後よく説明を聞くと、現在日本で維持している「国民皆保険制度」も
米国保険企業の活動の邪魔になるので、制度を改めるように、国家主権を超えた権力機関からの指導が入り、
国民皆保険制度は維持できなくなり、
多分、混合診療制度に移行するだろうというのだ
概ね、現在までの医療水準については従来型の医療保険で、
未来の高度医療については米国型企業経営型医療保険で、ということになるらしい

それは、利益率の高い部分がほしいということで
企業としては儲かる判断なのだろう
また日本の財政当局も、医療費の膨張を抑制することができるのではないかということで
黙認する方向なのかもしれないと言われている
高齢者医療費について、基本部分だけは公的医療保険でカバーし、それ以外の部分については各自が
医療保険に加入するなり、実費で支払うなり、すればいいとすれば、財政問題はすっきりする

イギリスの医療保険では大変に受診しにくいものになっているのは有名な話
アメリカの医療は保険会社の支払方式にがんじがらめになっていて
疾患があったとして、支払いの条件を満たすものにのみ、支払いが許される治療だけを行う
医師はただその決まりを実行するだけ

認知行動療法を施行していいと許可が出るには条件があるし、
当然16回で治ることが条件らしい

使える薬も細かく決まっている
お金を出せば自由であるが
お金がないなら保険会社の指定通りの薬を使えということになる

同じ値段なのだから同じサービスをすればいいというのも理屈だろう
そして無駄遣いを防止するには営利企業が見張ったほうがいいというのも
考え方の一つだろう

しかし貧しい医療の現実がアメリカにあり、それと似たような制度でなければ
TPPに加入しているからには許されないとかというのであれば、
かなり困ったことだろうと思う




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武力の世界と呪術の世界

武士の支配する世の中ということで
鎌倉時代から江戸時代までが考えられている

卑弥呼の時代から平安貴族の時代の支配の原理は
呪術だったのだろうかと思う

原始の集団力動で考えると
農業生産物などの分配については
どうしてもむき出しの暴力が優位であっただろうと思うが
ある時点から呪術の優位な世界になったのではないか
そのあたりが卑弥呼の世界だろう

しかしまた、呪術の支配があったとして、その体系ははっきりしていない
奈良時代に仏教が輸入されて文字で残る明確な呪詛の体系となったのだろうと思う

暴力で殺すのと
呪い殺すのとでは
人間の場合、呪い殺すことが非常にリアルなものだったのではないか

多分、呪いはあまり有効ではなかっただろうが、
怪我も多かっただろうし、感染症もひどかっただろう、さらには飢饉もあっただろうから、
命は短かったはずで、呪わなくても勝手に死んだろうと思うが、
人間は因果関係を欲しがるもので、やはり呪詛の効果と考えられたのだろう

平安末期から鎌倉時代にかけて
呪詛の力を武力がしのいだことになるのだが
卑弥呼以前の時代には多分むき出しの武力の時代だったのだろう
すると、卑弥呼以前の武力、卑弥呼から平安貴族までの呪詛、鎌倉から江戸までの武力、
明治から現代まではどのように評価したらいいのか分からないが
暴力と知性の拮抗する時代といっていいのだろうか
すくなくともむき出しの宗教的思考が政治全般を支配したことはないように思うが
国家神道については別枠であるような気がする

ーーー
現代でも、非常に孤独な経営者や権力者のそばに
占い師とかまじない師がついている
という景色も見えている

武力や権力を、さらに支配してしまう言葉とか思考の力があると思われる

たとえば武力行使でも権力行使でも対立者に恨まれているだろうから
その点を呪詛に使えば容易に影響力を確保できるだろう

ーーー
宗教や呪詛の心理的背景には
強迫性障害とかシゾフレニー、てんかんとか躁うつ病、
それらの傾向と関係していただろうということは容易に推定できる



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報われないこの世界

人の話を聞いていると
報われない努力のなんと多いことだろう

あの世できっと報われると信じたくなる気持ちがわかる

ーー
あるいは
天網恢恢疎にして漏らさず
と願う

ーー
この世での理不尽をあの世での審判で晴らして欲しいという人たちの気持ちもわかる
たとえば一部のキリスト教原理主義者の主張では、
最後の審判が滞りなく実現されるためには
「終末」が実際に訪れなければならないらしい

ーー
連帯ではなく亀裂と対立を深めている世界で
1%と99%が目に見える形で損得を実感している社会で
どうすればいいというのだろう

貧しい人たちの神経を麻痺させるものであったはずのキリスト教も
最近では覚醒作用が強いようだ

その後の展開をよく知らないが
「解放の神学」など

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キルケゴール 1835年8月1日の手記

私にとって真理であるような真理を発見し、私がそのために生き、そして死にたいと思うようなイデーを発見することが必要なのだ。いわゆる客観的真理なぞ探し出してみたところで、それが私の何に役に立つだろう。哲学者たちの打ち立てた諸体系をあれこれと研究し、求められればそれについて評論を書き、それぞれの体系内に見られる不整合な点を指摘しえたところで、何の役にたとう。堂々たる国家論を展開し、あらゆるところから抜き取って来た切れぎれの知識をつなぎ合わせて一つの世界を構成しえたところで、私がその世界に生きるわけではなく、ただ他人の供覧に呈するというに過ぎないのでは、私にとって何の役に立とう。……私の実存の最も深い根源とつながるもの、それによって私が神的なもののなかにいわば根をおろしていて、たとえ全世界が崩れ落ちようともそれに絡み付いて離れることがないようなもののうえに基礎づけるのでなかったら、人間はどれほど知識を積もうとも、狂気に近い。真理とはイデーのために生きること以外の何であろう。 
 私に欠けていたのは、完全に人間らしい生活を送るということだった。単に認識の生活を送ることではなかったのだ。

キルケゴール 1835年8月1日の手記



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誇大妄想と被害妄想

興奮して、そののちに疲弊性のうつ病になる
興奮には大きく分けて2つあり、
誇大妄想系ならば躁病
被害妄想系ならば統合失調症

ある角度から見るとこんなふうにも見える

ーー
誇大妄想は他人に親切にしている妄想とも言える

被害妄想は他人から意地悪されている妄想である

このように考えれば、対称的になる。

数がつり合わないのは、他人に親切にしている妄想を抱いている人は病院に行けと言われることが少ないからだろう。

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紅葉2

紅葉を見ていると年を取るのもいいものだと思うとか書いていたら
すぐに散ってしまった

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