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スポーツ選手はスポーツが専門で インタビューに答えるのが専門ではない

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スポーツ選手はスポーツが専門で

インタビューに答えるのが専門ではない

だからこそいろいろなことがわかるという面がある


皆さんのおかげです

いろいろな人に助けられてここまで来ました

というような

同調圧力に押し出されたような発言

選手がオリンピックに出たことを

自分のおかげだと話して回っている人がたくさんいるのだろう

バッシングされない答え方というマニュアルに載っていそうだ

喜びを分かち合いたいという気持ちの表現なんだろうけれども

それなら みんなで喜びたいです といえば感じがいいのに


ふつうは 

「うれしいです ありがとうございます

・・・のところが今日はうまくいきました」

などというのがふつうかな


みなさんのおかげです というテレビ番組のタイトルもあり

それはあからさまにそのタイトル自体を笑っているわけで

そのようなことも頭にありつつ

皆さんのおかげですと言っているのはどうなんでしょう


みんなに勇気を与えたい

という発言

まあ、与えたいなら与えればいいんだけど

災害の時に言い始めて定着したのかもしれない

勇気を与えれればいい というような日本語もあり


声援を送るほうも

「おめでとうとか万歳」ではなくて

勇気を与えてもらった

というような場合もある

もらったならそれはそれでいいけれども


勇気を与えるという固い漢字の表現は

どうしたことだろうか

不思議な感じ


勇気 って、日常会話で何気なく使う言葉ではないですよね

たとえば方言の中に自然になじんでいる言葉ではない


自分で自分をほめてあげたい

というのも

人間が日常的に考える言葉とは少し違う

歌詞とか文学的表現とか翻訳調ならあるだろうけれども

小さいころから身についた表現として

自分をほめてあげたい はないだろうと思う


日本語は
主語と目的語を常に意識している言葉とは違うとおもうけれども

ラテン語などで格変化をみれば主語とかなんとかいろんな情報がわかる
だから動詞だけ叫んでもいろいろわかる
日本語も、源氏物語などは、敬語の様子から、主語は誰なのか分かったりして、
仕組みは違うけれども似たようなことはある


自分をほめてあげたい は

栄光の巨人軍は永遠に不滅です というような

決め文句なのかな


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