SSブログ

理性主義と保守主義

保守主義の一側面を考えるときに、
理性主義への完全信頼には疑問を持ち、留保を残す、という側面があるのではないかと思う

現在のように
脱構築主義などの議論がある場所では
理性の地位は揺らいでいる
ソ連という実験は一面では不成功だったように思われるし、
数学の世界でも理性の限界を指定する議論が定着している

そしてまた、この理性主義はお金にならないのである
反理性主義のほうが人々にアピールし、お金になるのである
だから繁殖する可能性は理性主義よりも大きいように思う

しかしでは、反理性主義または理性の役割を部分的にのみ容認する中で、
何をかつて理性の場所にあったところに置くべきなのか
それが問題である
伝統とか習慣とかの言い方になるのだろうか
理性には根拠を持たない、しかし、古来から尊重されてきた考え方なり、感じ方なり、
つまり価値観が尊重される、そのような考え方



共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。