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ありとあらゆる不自由がなくなり、人類がみな平等の状態

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で、この「人類の第二形態」が何かというと、それはもう、技術が発展しすぎて、ありとあらゆる不自由がなくなり、人類がみな平等の状態、と説明されます。素晴らしいじゃないか、と「人類の第一形態」であるところの僕たち現代っ子は思うのですが、実際、人類みな平等というのはそれはそれで地獄なのでした。

なぜかというと、その世界ではありとあらゆる経験が、富が、快感が、いともたやすく得られる世界なので、いかなる希望も、絶望も、それはコンビニ行くよりもたやすく気軽に得ることのできるチープなものでしかなく、何をしようと、何を考えようと、すべてが、ありきたりな one of us でしかない世界なのです。いかなる生も、他者と差別化できない、そのような世界で、
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真に独創的なことをして、生の意味を少しでも実感しようと思うと、かなり苦しいことになるというか、矛盾を含む。

真に独創的なことをして、生の意味を少しでも実感しようと思う事それ自体が、チープで誰でもしそうなことです。完全な自由かつ平等な世界では、他者と違うことをしようという欲望が全く同じように共有されていて、つまり、他者と違うものであることは完全に不可能なわけです。

勘違いも妄想も共有されています。完全に平等ですから。それならば、他人と同じことを感じる、同じ人生なのですから、もう生きる意味もないわけです。だれかが代表で行きてみればよいが、それもまた、現在と同じ未来が安定して続いているだけです。

こうした思考実験の結果として、人は不幸と不自由によって、自分が独自であることが確認できると言えるのでしょう。
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イーガン「しあわせの理由」という、快感と不快感を自由にコントロールできるテクノロジーを扱った作品があります。この小説を読むと、人間というのは、脳内のちょっとした化学反応を引き起こすために、大変に迂遠な努力をしているなあ、というふうに思えます。そうした中、「たかが、しわせごときに右往左往されるってぶっちゃけどーよ」という感じになって、「何が何でもしあわせにならねばらない」という価値観から、少し自由になれます。

苦労して金持ちになったり、人格者になったり、友達ネットワークを広げたり、世界平和を実現することと、簡単に脳内化学物質を操作して、感情を操作することが等価になります。
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