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本質的に重要なことは、安保法制を成立させる代償として、安倍首相の「最もやりたい政策」である「憲法改正」の実現可能性が、ほぼなくなってしまったことにある。

採録
"2015-7月16日の衆院本会議で、集団的自衛権の行使容認を柱とする安全保障関連の11法案(以下、安保法制)が、民主、維新、共産など野党5党が退席する中、「強行採決」によって可決された。安倍晋三政権が最重要と位置付ける安保法制は、9月27日の今国会会期末までに成立する公算が高くなった。

国会における野党の連日に厳しい追及と、憲法学者による集団的自衛権行使を「違憲」とする意見表明、それに対する安倍政権の二転三転する粗っぽい答弁によって、安保法案への反対運動が日本全国へ急拡大している。野党は、参院での審議で政府への追及を更に強めて、廃案に追い込むことを狙っている。

だが筆者は、安保法制は本来、それほど難しい政治課題ではなかったはずだったと考える。それが衆院強行採決に至ったほど混乱したのは、安倍政権のいくつかの状況認識の誤りと、稚拙な国会運営のためである。それでも、安保法制は本国会で成立するだろう。ただ本質的に重要なことは、安保法制を成立させる代償として、安倍首相の「最もやりたい政策」である「憲法改正」の実現可能性が、ほぼなくなってしまったことにある。

安倍政権の第一の誤り:
野党内の保守派議員との協力関係を破壊

「安保法制は違憲だ!」という反対運動が盛り上がってしまったために忘れられているが、野党である民主党や維新の党の中には保守的な思想信条を持つ議員が、実は少なくない。民主党政権期に外交や安全保障政策に取り組んだ議員もいる。(第35回・4P)。彼らは「普天間基地移設問題」(前連載第50回)「尖閣諸島沖の日本領海に侵入した中国漁船と海上保安庁巡視船の衝突事故」(前連載第59回)「尖閣諸島の国有化」など、非常に難しい判断を迫られる政治課題に直面した経験を持っている。もちろん、民主党政権の運営の稚拙さは批判されてきた。だが、少なくとも彼らは、厳しい国際情勢にリアリスティックに対応することの重要性を知ることになった。

彼らは、安保法制11法案すべてが「違憲」であるとは考えていない。法案の中には「合憲」のものもあり、さまざまな問題点を修正しながら、国際情勢の変化に対応する安全保障政策を実現していくべきだというのが、彼らの「本音」だったはずだ。

実際、民主党は今年4月の時点で、安保法制を巡る国会審議への準備として「安全保障法制に関する民主党の考え方」をまとめていた。この中で、民主党は「憲法の平和主義を貫き、専守防衛に徹することを基本とし、近くは現実的に、遠くは抑制的に、人道支援は積極的に対応する」という安全保障政策の基本方針を示し、「国民の命と平和な暮らしを守るのに必要なのは個別自衛権であり、集団的自衛権は必要ない」と、安倍政権とは異なる主張を展開していた。

だが一方で、民主党は「日本を取り巻く安全保障環境が近年大きく変わりつつある」と、安倍政権と共通する国際情勢認識を持っていることを記していたし、「離島など我が国の領土が武装漁民に占拠される『グレーゾーン事態』への対応は最優先課題」「周辺有事における米軍への後方支援は極めて重要である」としている。要するに、安保法制に関して安倍政権と全てにおいて相容れないということはなく、国会審議において政権と是々非々で議論をする準備をしていたということなのだ。

安倍政権が、野党の保守系議員と協議の場を設けて、彼らの考えを取り入れて妥協しながら進めていけば、ここまで国会で揉める必要はなかったはずだ。そうなれば、たとえ社民党・共産党が反対し、憲法学者が「違憲」と主張しても、国民的反対運動が盛り上がる余地はなかっただろう。「違憲」の部分を後回しにして、合憲の部分から法案を通していくことができたからだ。更にいえば、安倍政権がより戦略的に動けば、憲法や安全保障について党内に多様な考えが存在する民主党の内紛・分裂を画策することもできたかもしれなかった。

安倍首相の第二の誤り:
政権担当経験がある野党を甘く見たこと

実際には、安倍政権が野党の保守派と協議しながら国会審議を進めることはなかった。その根本的な原因は、4月末の首相の訪米、米議会での演説である。

首相はこの演説で「今夏に安保法制を成立させる」と宣言した。本格的な国会論戦が始まる前に米国に法案成立を約束してしまったのだ。これが、「原理主義者」「ロボコップ」と呼ばれる堅物の岡田克也代表を完全に硬化させ、他の民主党の保守系議員たちをも大激怒させてしまった。彼らは、「安保法制の全てに反対ではないが、安倍にだけはやらせない」と言い放ち、安倍政権の安保法制に全面的反対の姿勢を取った。

衆院での審議について、政府と野党の間で議論が深まらなかったという批判がある。だが実際には、「存立危機事態の定義」「存立危機事態認定のタイミング」「存立危機事態における武力行使が第三国に及ぶ可能性」「後方支援における自衛隊員のリスク拡大の懸念」など、野党の質問はどれも政府が答えにくい部分を突く、非常に厳しいものだった印象だ。政府はどれも曖昧に答えざるを得なくなった。安倍首相や閣僚の答弁は迷走に迷走を重ね、衆院での委員会審議は、100回以上中断してしまった。

野党の質問が効果的だったのは、やはり「政権担当経験」を持ったからだろう。野党は、なにが政府にとって答えづらい、難しいポイントなのか、政府の立場を経験することでわかるようになっていたのだ。野党は、ストレートにそれらを政府にぶつけ続け、法案を徹底的に潰そうとした。これでは、政府はたまったものではない。

民主党政権の崩壊、安倍政権の登場後、野党はすっかり委縮してしまっていた。国民の信頼を失い、国政選挙で連敗を重ねたためだ。だが、それ以上に大きかったのは、多くの野党議員が、民主党政権の経験を通じて、政権担当の難しさを知ってしまったために、単純に「反対!」と声を上げられなくなっていたことだった。

野党は、財政赤字の深刻さを知って、単純に「増税反対!」と言えなくなったし、社会保障費が毎年1兆円ずつ増えることを知り、「もっと増やせ!」とも主張できなくなった。特定秘密保護法など、安倍首相の「やりたい政策」についても、国際情勢悪化の「現実」を知ってしまった以上、単純な平和主義は唱えにくくなり、政府批判は迫力を欠いていた(第92回)。

しかし、それでも93年の自民党下野以降、細川護煕政権、自社さ政権、自公政権、民主党政権を経て、共産党を除くほぼすべての政党が政権担当の経験を持ったことの意義は、決して小さくなかったのである。野党議員は潜在的には、財源を考慮した現実的な政策立案能力と、官僚とのコネクション構築による情報収集能力を持ち、質量ともに充実した国会論戦ができる力をつけていたのだ。大人しくしてはいたが、決して55年体制下の「万年野党」のままではなかった。

今回、安倍首相の「国会審議前の対米公約」がきっかけで、野党は怒りを爆発させて「物わかりのいい野党」の衣を脱ぎ捨てた。野党は遂に目覚め、本来持つ攻撃力を発揮し始めたといえる。安倍首相の誤りは、政権担当の経験を持った野党が、昔の「万年野党」ではないということ認識せず、甘く見てしまったことではないだろうか。

安倍首相の第三の誤り:
日本政治の歴史・文化を全く理解していなかったこと

戦後の日本政治では、国会で安定多数を持つ政権が短命に終わり(田中角栄政権、竹下登政権など)、与野党伯仲状態や連立政権を組んだ不安定な基盤しか持たない政権が長期政権を築いてきた(中曽根康弘政権、小泉純一郎政権など、第64回参照)。また、特に安全保障政策に関しては、自民党が安定多数を確保した時には前に進まず、野党(主に「中道左派政党」)が積極的に関与した時に進展してきた歴史がある。

国会で与野党の議席数に差がある時。野党は政権の座を意識せず、安全保障問題については反対に徹し、自民党は野党の反対が大きい時に安全保障政策を無理に進展させようとはしなかった。一方、与野党伯仲状態(大平正芳政権)や、中道左派政党が連立政権に参加する時(自社さ政権、自公連立政権など)には、本来「平和主義」である中道左派政党が、より現実的な対応を模索するようになり、自民党との間に話し合いの余地が生まれ、安全保障政策が前進してきたのだ(前連載第29回)。

今回の安保法制の政治過程を振り返っても、このセオリーが当てはまっているように思う。法案の国会提出前、連立与党協議においては、自衛隊の海外での活動範囲をできるだけ拡大したい自民党と、それに「歯止め」をかけたい公明党が激しい議論を繰り広げた。だが結局、「平和」を志向する公明党の関与によって、安保法制は自民党の強い思いが出すぎたものから、リアリティのある法案に練り上がった(第104回・3P)。

だが、国会審議に入ると、衆院で圧倒的な多数派を形成しているはずの安倍政権が、野党の徹底した批判に苦戦している。国会で少数派にすぎない野党には、近いうちに政権を担うリアリティが全くない。中途半端に与党に協力しても飲み込まれるだけであり、協力を拒否して、徹底的に政府に反対することになる。

そして、特に安全保障政策の場合、野党の徹底的反対が国民の間に「戦争反対」という「空気」を作ってしまう。そうなると、政府・与党もなかなか無理に法案を通すことが難しくなる。この日本政治の歴史・文化を甘く見て、国会で圧倒的多数を持つことに驕ったことが、安倍政権の失敗だ。

安倍政権は、たとえ国会で圧倒的な多数派を形成していようとも、安全保障政策について考え方が近い野党内の保守派とのネットワークを大事にし、しっかり話し合っていく謙虚さを持ち、慎重に事を進めていくべきだったのだろう。

安保法制の成立と引き換えに、
憲法改正は「政治的な死」を迎えることになる

それにしても、なぜ安倍首相は国会審議前に「対米公約」を行い、わざわざ野党を怒らせるようなことをしたのか。あまりに稚拙な国会運営であり、理解に苦しむところだ。だが、もしかすると安倍首相は確信犯的に、野党との話し合いを拒否したのかもしれない。安倍首相は常々、「戦後レジームからの脱却」を訴えてきた。首相にとっては、「安全保障政策は、野党ともできるだけ話し合い、コンセンサスを得て進めるものだ」という日本政治の文化は、まさに「戦後レジーム」そのものであり、真っ先に否定したいと考えたのかもしれない。

今国会で安保法制は成立するだろう。野党は追及を強め、国会の外でも反対運動が盛り上がるが、結局参院で強行採決できるし、参院審議が行き詰まり採決できなくても、「60日ルール」で衆院に法案が戻ってくれば、3分の2の賛成で再可決できるのだ。

そして、安保法制が成立した後、反対派は難しい状況に陥るだろう。反対運動に参加した若者たちの多くは、日本政治のしくみがよくわかっていないので、本気で「廃案」に追い込めると信じているように思える。彼らは「廃案」に追い込めないことが分かった時、強烈な無力感、敗北感に襲われるだろう。野党は、反対運動をコントロールし続けるのに苦労することになる。また、国民のアベノミクスに対する「消極的な支持」が根強いことも、野党にとっては頭が痛い問題となってくる(第109回(下))。

しかし、それでも安倍首相が自らの信念である「戦後レジームからの脱却」を貫こうとした代償は、決して小さくはない。安保法制の実現と引き換えに、首相が最も「やりたい政策」である「憲法改正」の可能性は、ほぼ消えてしまったのではないだろうか。

憲法学者が次々に「違憲」の見解を示したことをきっかけに、国民的な反対運動が広がったことの影響は大きい。その運動が、法案成立後に挫折感からしぼんでしまったとしても、国民の多くが持った「憲法改正」に対する強いアレルギーは、しばらく消えることはない。おそらく今後10年間、憲法改正は国民の支持を得られない。政治課題として検討することは極めて難しくなった。

憲法改正については、野党側の保守系議員も巻き込んで、超党派で少しずつ議論を積み上げてきていた。9条改正だけではなく、「新しい人権」や「行政改革」を進めるための「加憲」という考え方も打ち出されてきた(第106回)。国民の間に、少しずつ改憲についての理解が広がりつつもあったはずだった。

だが、安倍政権が野党の保守系議員や国民の信頼を一方的に崩し、積み上げてきた議論が崩壊させてしまったことこそが、安保法制の攻防を通じて起こった、本質的に重要な変化ではないだろうか。憲法改正は「政治的に死んだ」のである。"


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