思考と言葉の一瞬の越境
思考はある瞬間は思考を超えて行くのだが
またすぐに思考の範囲内に戻ってきてしまう
言葉はある瞬間は言葉を超えて行くのだが
次の瞬間には言葉の範囲内に戻ってきている
人間の感情も知性も、ある瞬間は「超えたもの」になっているのだが
それを持続できない
それを持続しようと力技を繰り出す文学者もいた
持続できないことを克明に報告した文学者もいた
ーー
しかしこうして歳を重ねてくると
そんなこともどうでもいい
時々言葉の外側、思考の外側に行ける
それだけでいい
システマティックに、行きたいとき、必要なだけ、行けるということももう求めない
ーー
ただ偶然にそのような輝かしい瞬間があり
その御蔭で
思考や言葉の限界を認知して超えることができている
無力といえば無力であるが
思考と言葉の原初の性質から言ってそれは必然なのだろう
ーー
一瞬の越境は検証不能であるから
その越境に重い意味をもたせることも違反行為だろう
おとなしくしてただ味わうようであればそれでいいと思う
ーー
しかしその一方で、その輝かしさが生きることの意味だし
知性と感情の価値なのだと思うこともある
またすぐに思考の範囲内に戻ってきてしまう
言葉はある瞬間は言葉を超えて行くのだが
次の瞬間には言葉の範囲内に戻ってきている
人間の感情も知性も、ある瞬間は「超えたもの」になっているのだが
それを持続できない
それを持続しようと力技を繰り出す文学者もいた
持続できないことを克明に報告した文学者もいた
ーー
しかしこうして歳を重ねてくると
そんなこともどうでもいい
時々言葉の外側、思考の外側に行ける
それだけでいい
システマティックに、行きたいとき、必要なだけ、行けるということももう求めない
ーー
ただ偶然にそのような輝かしい瞬間があり
その御蔭で
思考や言葉の限界を認知して超えることができている
無力といえば無力であるが
思考と言葉の原初の性質から言ってそれは必然なのだろう
ーー
一瞬の越境は検証不能であるから
その越境に重い意味をもたせることも違反行為だろう
おとなしくしてただ味わうようであればそれでいいと思う
ーー
しかしその一方で、その輝かしさが生きることの意味だし
知性と感情の価値なのだと思うこともある