自閉症児 Google Glass 社会的スキルが向上
他人の表情から感情を識別するスマートフォンアプリと眼鏡型デバイスの「Google Glass」を組み合わせて使用することで、自閉症児の社会的スキルが向上する可能性を示した予備的研究の結果が「npj Digital Medicine」8月2日オンライン版に発表された。研究を実施した米スタンフォード大学医学部准教授のDennis Wall氏らによると、このアプリとGoogle Glassを用いたゲーム感覚のセッションを受けた自閉症児では社会的スキルの評価スコアが向上し、アイコンタクトを取る回数も増えたという。
カリフォルニア州サンホセ在住のドンジ・カレンバインさんの9歳になる息子のアレックス君は、この研究の参加者の一人だ。アレックス君にもGoogle Glassを使用するようになってから大きな変化が現れた。自閉症児は他人の表情を読み取ることが苦手とされているが、研究開始から2~3週間後には他人の顔を見て表情を読み取ろうとするようになったという。カレンバインさんは、研究に参加してから、それまでアレックス君が抱いていた不安感がなくなり、周りを認識できるようになったと話す。
自閉症を持つ子どもは、他人の表情や身振りから感情を読み取るのが難しく、アイコンタクトを取ったり、社会的な交流を持つことなどが難しい。Wall氏によると、早期に治療を行えば自閉症があっても他人の感情を理解できるようになる場合もあるが、専門家が足りないため治療できる時期を逃してしまう子どもも多いという。
そこで、専門家の手を借りずとも他人の表情を読み取る能力を高めるためにWall氏らが開発したのが今回のアプリだ。このアプリは、Google Glassに装備した小さなカメラで捉えた相手の顔の画像データから、「幸福」「悲しみ」「怒り」「嫌悪」「驚き」「恐怖」「無表情」「軽蔑」の8種類の感情を識別する。その結果をリアルタイムで眼鏡に装備したスピーカーを通じて音声で伝えるか、小さなスクリーンに表情を表した顔文字を表示するという仕組みになっている。
このアプリの有効性を検証するためにWall氏らが実施した研究では、アレックス君を含む3~17歳の14人の自閉症児に、自宅で6週間にわたってアプリとGoogle Glassを1回20分以上、週に3回以上使用してもらった。
その結果、試験終了時には14人中12人の子どもでアイコンタクトを取る回数が増えた。また、両親が対人応答性尺度(SRS-2)で評価した社会的スキルのスコアも平均で7.14ポイント改善していた。さらに、14人中6人で自閉症の重症度が改善し、このうち4人は重度から中等度に、1人は中等度から軽度になり、1人は軽度から正常と判断されるまで症状が改善していた。
この報告を受け、自閉症の啓発団体であるAutism Speaks代表のThomas Frazier氏は「この新しい技術はリアルタイムでフィードバックが得られるという点で、自閉症児の社会的スキル向上を目指した治療を一変させる可能性がある。また、大人やセラピストなどが常に付き添う必要もないため、自閉症児の自立心が高まるだろう」と話し、大きな期待を寄せている。
“日本国内で生産される卵のうち一割は キューピーが消費してる。 キューピーの工場の人が言ってた。”
“日本国内で生産される卵のうち一割は キューピーが消費してる。 キューピーの工場の人が言ってた。”
“世の中には「電話する人」や「誘う人」より、「電話を待ってる人」「誘いを待ってる人」のほうが全然多い。つまり、需給関係的に言って圧倒的に「電話する人」や「誘う人」のほうが有利だぞ。そこに気づくと一気に楽しくなるぞ。”
“世の中には「電話する人」や「誘う人」より、「電話を待ってる人」「誘いを待ってる人」のほうが全然多い。つまり、需給関係的に言って圧倒的に「電話する人」や「誘う人」のほうが有利だぞ。そこに気づくと一気に楽しくなるぞ。”
“飛行機で「少し遅れても待っていてくれる」「遅れていたら探して迎えに来てくれた」というのはサービスでもなんでもなく、”爆発物を手荷物として預けて自分は乗らず、上空での爆破を試みているテロリスト”だと疑われているようなもんだから勘違いするなよと言いたい”
“飛行機で「少し遅れても待っていてくれる」「遅れていたら探して迎えに来てくれた」というのはサービスでもなんでもなく、”爆発物を手荷物として預けて自分は乗らず、上空での爆破を試みているテロリスト”だと疑われているようなもんだから勘違いするなよと言いたい”
“同情や正義といったもののいかがわしさをいささかでも自覚するのが文明社会の住人の責任ではないか。”
“同情や正義といったもののいかがわしさをいささかでも自覚するのが文明社会の住人の責任ではないか。”
ニュースキャスター
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ニュースキャスターは悲しい知らせを伝え
自分の言葉として、このままでいいはずがないと強く訴えた
そしてその直後に「さあ、では今日の甲子園です」と笑顔になっていた
信頼性ゼロ
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安岡正篤
安岡正篤
知識・見識・胆識の三識が兼ね備わってはじめて人物の器量となる。
最後まであきらめなかった人間が、成功しているのである。
愚直で、少々頭も悪く、小才も利かぬ、そんな人間の方が、根が真面目なだけに、修養努力して大人物になることが多い 。
人間は何事によらず新鮮でなければならない。ところがいかにすれば新鮮であり得るかといえば、やはり真理を学んで、真理に従って生活しなければいけない。もっと突っ込んで言えば、人間としての深い道を学ぶ。正しい歴史伝統にしたがった深い哲理、真理を学び、それに根ざさなければ、葉や花と同じことで、四季に従って常に魅力のある、生命のみずみずしさを維持してゆくことはできるものではない。
我々の生活が自堕落になったとき、心から馬鹿と叱ってくれる畏敬する人を持つ者は幸いだ。
「さいわい」にも幸と福と二字ある。学問的にいうと、「幸」というのは幸いの原因が自分の中にない、偶然的な、他より与えられたに過ぎない幸いを幸という。たまたまいい家庭に生まれたとか、思いがけなく上手い巡り合わせにぶつかったとかいう、これは幸。そうではなくて原因を自己の中に有する、すなわち、自分の苦心、自分の努力によって勝ち得たる幸いを「福」という。福の示偏は神さまのことだ。旁(つくり)は「収穫を積み重ねた」という文字だ。農家でいうならば俵を積み上げるという文字。神の前に蓄積されたるものが「福」である。
徳とは無類の明るさのことである。
人間の脳というものは、いくら使ってもくたびれないばかりでなく、難しいことに使えば使うほど機能が優れてくる。つまらないことに使っておると退化する。
太陽の光に浴さなければ、物が育たないのと同じことで、人間の理想精神というものは心の太陽なのだ。理想に向かって情熱を湧かすということは、日に向かう、太陽を仰ぐということだ。これがないと人間のあらゆる徳が発達せず、したがって才知芸能も発達しない。
一、互いに明朗闊達なるべし 一、盛んに研究討論すべし 一、人に対して謙虚なるべし 一、事に当たって正義を立つべし 一、自ら処するに敏なるべし
英仏の古諺にいわく、「朝こそすべて」と。一日24時間、朝があり昼があり夜があるとするのは死んだ機械の一日にすぎない。活きた時間は朝だけ、換言すれば、本当の朝を持たなければ一日無意義だということだ。朝を活かすことから人生は始まる。
史記に「利は智をして昏(くら)からしむ」と書いている。人間は利益ばかり追求していると、頭が悪くなるというのである。ものごとの理(ことわり)がわからなくなって、思いがけない恨みを招いたりする。論語に「利をもって行えば怨(うら)み多し」と出ているが、経済というものは本来、矛盾衝突を内包するから、利害による恨みが出やすい。
凡と非凡のわかれるところは能力のいかんではない。精神であり感激の問題だ。
子供は言説で教えるよりも、情的に感じ取らせることの方が大事なのです。親父は千言万言を費やして説教するよりも、黙って子供に見せることであります。
名高い言葉に、「いかに善を為(な)すかということよりも、いかに善であるかということの方が大事である」というのがありますが、人間の第一義は、何を為すかということではなくて、何であるかということである。
大抵の人は、お辞儀というのは「相手に敬意を表する」ことと思っているが、それは第二義である。第一義は相手を敬するということではなくて、「自らを敬す」ということである。お辞儀をするということは「自分が相手に敬意を表すと同時に、相手を通じて自分が自分に対して敬意を表する」ことである。
人間なにが悩みかというと、自分が自分を知らざることである。人を論じたり、世を論じたりすることはやさしいが、自分を論じ、自分を知るということは、実はこれが一番大事であるにかかわらず、なかなか難しいことである。人間は、先ず自分を責むべきであって、世の中や時代を責むべきではない。世の中が悪い、時代が悪いというのならば、そういう時世に対して、一体自分はどれだけ役に立つのか、それをどう解釈し、それに対してどういう信念・情熱を持っているのか、よく自分を責めるがよい。
幸福な人生とは、その人が一生の間にどれだけ「幸せだ」という感情を持つ事ができるかによって決まるもの。こう考えると、順風満帆の時もそうでない時も、その時、「どう感じるか」が重要になってくる。つまり、いま、この瞬間をどう思うかなのである。今を幸せと感じられれば、人生は「いま」の連続体なのだから、一生が幸せなのである。
歴史はくり返す。たいていのことは古典の中にある。何千年もたっているのに、人間そのものの根本は少しも変わっていない。自分が創意工夫し、真理を発見したと思っているが、それは大変な錯覚で、すでに古典にのっていることを知らないのだ。
大努力を成すには、当然自ら苦しまねばならぬ。苦しんで開拓したものでなければ本物ではない。人並みの努力をしたのでは優れた者にはなれない。
人間は、早成する、早くものになるというほど危ないことはない。人間もなるべく晩成がよい。まあ、死ぬ頃なんとかものになるというくらいの覚悟でぼつぼつやるがよい。
優れた者となるためには、人の数倍の努力と苦労をしなければならない。人の寝るところは半分にし、人の食うところは半分くらいにしても、努力するところは人の10倍も20倍もやるだけの元気がなければならぬ。
人間は学び続けなければならない。学ぶことをやめたら、人間でなくなる。
太い筆で細かい字を書く。 これが人生を渡る秘訣だ。しかし、それには充分の力量がなければならぬ。
第一流の人物はどこか普通の人の型にはまらぬものがなければならぬ。凡人の測り知れない多面的な変化に富んでいなければならぬ。天に通ずる至誠、世を覆う気概とともに宇宙そのもののような寂寞(せきばく:ものさみしいさま)をその胸懐に秘めていてほしい。
世の中の法律や制度をいかに変えてみても、イデオロギーをいかに振り回してみても駄目である。人間そのものをなんとかしなければ、絶対に人間は救われない。
一人の人間の死後に残り、思い出となるのは、地位でも財産でも名誉でもない。その人の心・精神・言動である。
人間は自得から出発しなければならない。人間はいろんなものを失うが、何が一番失いやすいかといいますと、自己である。人間はまず自己を得なければいけない。人間はまず根本的に自己を徹見する。これがあらゆる哲学、宗教、道徳の、基本問題である。
人に嫌われぬための5か条
一、初対面に無心で接すること。有能な人間ほど、とかく慢心や偏見があり、どうしても有心で接する、これはいけない。
一、批判癖を直し、悪口屋にならぬこと。
一、努めて、人の美点・良所を見ること。
一、世の中に隠れて案外善いことが行われているのに平生注意すること。
一、好悪を問わず、人に誠を尽くすこと。
いかに貴い職業でも、人によって賤(いや)しくなる。たとえ賤しい仕事でも、人によっていくらでも貴くすることができる。
人間の本当の正しさは、ちょっとした日常の挨拶や振る舞いに表れ、何でもない行動に、案外人間内容やその背景を知ることができるものです。これに反して、大層偉そうな大げさなことを言う者は当てになりません。こんな人ほど、家の中や友達との付き合いになると、とんでもない愚劣なことを平気でやるものであります。ついうっかり言った言葉、ちょっとやった行為がその人の人間を決定します。
本当の自分を知り、本当の自分をつくれる人であって、初めて人を知ることができる、人をつくることができる。国を知り、国をつくることもできる。世界を知り、世界をつくることもできる。
客観的な測定ができたなら 学問は大いに進展するという分野がいくつもある
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客観的な測定ができたなら
学問は大いに進展するという分野がいくつもある
精神医学がそうである
妄想や抑うつを測定したいが困難である
歴史がそうである
客観的な測定ができないから
各人が言いたい放題を言う
経済学は測定できる部分が大きいのだけれども
何故か学問として成熟しない
物理学のように予言できないし
予言が外れた場合の言い訳がまた一つの学問分野になっているようだ
何のための学問なのか全く疑問である
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オーソドックスなナポリタンのレシピ
オーソドックスなナポリタンのレシピ
材料:2人分
ウインナーソーセージ:5本
ピーマン:2個
タマネギ:1/2個
ニンニク:1かけ
スパゲッティ:180g
オリーブオイル:大さじ1
トマトケチャップ:100g
醤油:大さじ1
塩コショウ…適量
バター:10g
作り方
【1】ウインナーソーセージは5ミリ幅の斜め切り、ピーマンは細切り、タマネギは薄切り、ニンニクはみじん切りにする。
【2】鍋にたっぷりのお湯を沸かして1%の量の塩を入れ、スパゲッティを茹で時間より1分長く茹で、茹で上がったらザルに上げる。
【3】フライパンにオリーブオイルとニンニクを入れて中火で熱し、香りが立ったらウインナーソーセージ、ピーマン、タマネギを加え、タマネギが透き通るまで炒める。
【4】3にトマトケチャップを加え、色が濃くなるまで炒めたら醤油を加える。
【5】スパゲッティ、バターを加え、塩コショウで味を調えれば完成です。
瞑想は言葉の終わったところからはじまる。思考の器である言葉によっては沈黙は生まれない。沈黙から湧き上がる行為は言葉から生まれる行為とは全く異質である。瞑想とはあらゆる表象やイメージ、記憶から、精神を自由にすることである。Krishnamurti
瞑想は言葉の終わったところからはじまる。思考の器である言葉によっては沈黙は生まれない。沈黙から湧き上がる行為は言葉から生まれる行為とは全く異質である。瞑想とはあらゆる表象やイメージ、記憶から、精神を自由にすることである。Krishnamurti
好き勝手な時間にインスタントラーメンを作って 生卵を落としてみたりして 幸せの原点
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好き勝手な時間にインスタントラーメンを作って
生卵を落としてみたりして
幸せの原点
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教育革命!最高の大学・最高の講師陣・最高のクオリティの授業を、世界中のすべての人々に無償で提供する
http://www.at-douga.com/?p=7471
一日一日を大切に丁寧に生きてきた そのことが輝かしい
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甲子園もあと2日を残すだけとなった
見ていて思うのだが
勝ったから良かった、負けたから残念というものでもなくて
試合は一日だけだし、勝負には運不運もある
ただ練習の時間は意味があったし輝いていたと思う
目標があり友がいてライバルがいて一日一日を大切に丁寧に生きてきた
そのことが輝かしい
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愛が大事と言うけれど 愛はフェノメノンであってエグジステンスではない
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愛が大事と言うけれど
愛はフェノメノンであってエグジステンスではない
素朴に実在しているのは
あなたと私であって
万有引力なら常時働いているけれども
愛は出たり消えたり
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“同じ風景を眺めても、同じ言葉を聞いても、違うものを見出しているのだ。 まあ、気にすんな。”
“同じ風景を眺めても、同じ言葉を聞いても、違うものを見出しているのだ。
まあ、気にすんな。”
“井上陽水が「怖い格好したパンクスの人たちも、決まった期日にライブハウスに来てちゃんと演奏するんだから意外とマジメ」みたいな事を言っていたと聞き、こういう身も蓋もない話が大好きだと気づいたのはこの俺です。 同じミュージシャンだと、石野卓球がゴスっぽい格好してる化粧バンドの女の子連中を「お前ら『あさりちゃん』とか読んでたクセに」と罵ったのもお気に入り。”
“井上陽水が「怖い格好したパンクスの人たちも、決まった期日にライブハウスに来てちゃんと演奏するんだから意外とマジメ」みたいな事を言っていたと聞き、こういう身も蓋もない話が大好きだと気づいたのはこの俺です。
同じミュージシャンだと、石野卓球がゴスっぽい格好してる化粧バンドの女の子連中を「お前ら『あさりちゃん』とか読んでたクセに」と罵ったのもお気に入り。”
“コンピューター機器を買ったときに、印刷されたきれいなマニュアル以外にコピーされた汚い紙がついてきたら、それは大抵一番重要なマニュアルです。”
“コンピューター機器を買ったときに、印刷されたきれいなマニュアル以外にコピーされた汚い紙がついてきたら、それは大抵一番重要なマニュアルです。”
“ざっくり言えば民主主義って「手続き」なんだよね。皆で愚直に議論して、時間をかけて多数決で決めるシステム。それは小回りがきかず、なかなか時代の変化に対応できないけど、それでも有史以来一番マシな方法。ヒトラーが政権について最初にやったのが、このシステムの破棄だったことが物語るように。”
“ざっくり言えば民主主義って「手続き」なんだよね。皆で愚直に議論して、時間をかけて多数決で決めるシステム。それは小回りがきかず、なかなか時代の変化に対応できないけど、それでも有史以来一番マシな方法。ヒトラーが政権について最初にやったのが、このシステムの破棄だったことが物語るように。”
“【サウジアラビア】水は飲めるが燃えはしない、石油は燃えるが飲めはしない 物にはそれぞれの価値がある。逆にそれ以上の期待をしてはいけない。”
“【サウジアラビア】水は飲めるが燃えはしない、石油は燃えるが飲めはしない
物にはそれぞれの価値がある。逆にそれ以上の期待をしてはいけない。”
アルコール消毒剤が効きにくい危険な細菌
病院では感染を防ぐために、擦り込み式のアルコールベースのジェルや液体の消毒剤が広く使用されている。
しかし、こうしたアルコール消毒剤が効きにくい危険な細菌が増えていることを示唆する研究結果を、メルボルン大学(オーストラリア)の分子微生物学者であるTimothy Stinear氏らが「Science Translational Medicine」8月1日号に発表した。
この細菌はエンテロコッカス・フェシウム(Enterococcus faecium)と呼ばれる腸内細菌の一種で、さまざまな抗菌薬への耐性を獲得し、医療関連感染の主な原因となっている。
専門家の一人で米ジョンズ・ホプキンス医療安全センターのAmesh Adalja氏は「エンテロコッカス・フェシウムは血流感染から尿路感染まで幅広い感染症をもたらす。
米疾病対策センター(CDC)の推計では、バンコマイシン耐性のエンテロコッカス・フェシウムの感染による死亡者数は米国だけで年間1,000人を超える」と話している。
Stinear 氏らは今回、1997~2015年にメルボルンの2カ所の病院で採取したエンテロコッカス・フェシウムの139のサンプルを用いて、濃度70%のイソプロパノール(アルコール)の消毒剤に曝して消毒効果を調べた。
その結果、2004年よりも前に採取された菌と比べて、2009年以降に採取された菌は消毒剤に耐性を示す割合が高かった。
次に、Stinear 氏らは、さまざまな菌株のエンテロコッカス・フェシウムをマウスが入ったケージの床に付着させた後に、アルコール消毒剤で拭うという実験を行った。
その結果、消毒剤に耐性がある菌は生き残り、ケージの中のマウスの腸内に定着していることが分かった。
さらに、アルコール消毒剤が効かないエンテロコッカス・フェシウムの遺伝子解析から、細胞内代謝に関連する複数の遺伝子変異が認められた。
Stinear 氏らによれば、これらの遺伝子変異がエンテロコッカス・フェシウムの細胞膜のアルコール溶剤に対する耐性を強めた可能性が考えられるという。
Stinear 氏は「オーストラリアの病院では、この20年でアルコールベースの手指消毒剤を用いる頻度は10倍になるなど、アルコール消毒を中心とした院内感染コントロールが厳格に行われるようになった」と説明している。
今回の結果を踏まえ、こうした環境の変化に適応するためにエンテロコッカス・フェシウムも変化したのではとの見方を示している。
Adalja氏も「エンテロコッカス属の細菌は厳しい環境下でも生き延びるために巧みに進化する。
そのため、アルコール消毒剤に耐性を示すようになったこと自体に驚きはない」と話している。
しかし、アルコール消毒剤は院内感染予防に重要な役割を果たしており、アルコールに耐性を示す菌が増えているのは極めて重大な問題だとし、アルコール消毒剤に代わる消毒剤や洗浄方法を探す必要性を指摘している。
一方、Stinear氏は、現時点で取りうる対策として、より高濃度のアルコール消毒剤を用いて念入りに手指を消毒するように助言。
病院のスタッフは十分な量の消毒剤で、時間をかけて手指を隈なく消毒し、細菌やウイルスを死滅させるようにすべきだと呼び掛けている。