政権に非常に近い人材派遣会社と家事支援外国人受入事業
親と突然死別した子どもにおける悲嘆の過程 Trajectories of Grief in Suddenly Bereaved Children 遺児の半数は親との死別後1年以内に悲嘆の作業(喪の作業)を終えるが、残りの半数は葛藤をかかえ、10%の子どもが3年以内に悲嘆から回復できない。 米国では子どもの20人に1人が18歳以下で親との死別を経験している。Melhemらによる本論文は、ピッツバーグにおいて慎重に実施された一般住民を対象とする縦断的研究の報告であり、自殺、不慮の事故による死亡、あるいは予
神経ストレスが胃がんの進行を加速させるメカニズム
幼稚園児や小学生に 「人から誰にも言ってはいけないといわれた事は、必ずお父さんかお母さんだけにいいなさい」
“とある本からの引用 ”「老師、禅とは何ですか?」「禅とは、床を掃除しているときは床を掃除することであり、食べているときは食べる事であり、眠っているときは眠る事である。」「老師、それはとても単純な事ですね」「確かに。だがそれができる人は滅多にいない。」””
そもそもの話、小泉純一郎氏が安倍晋三氏を後継に指名したのは どういう理由があったのだろう
“「自分の気分を見つめすぎない。今の人は自分がいま何をどう感じているかを見つめすぎて余計に消耗している」 よく分かる。就活の自己分析でぼろぼろになる子を毎年たくさん見る。自己分析の毒性はもっと周知されていい。”
“ 俺は20代の時、子供が作れない体質だと診断された。 一生誰とも結婚しないつもりだったが、バツ1子持ちの女性と知り合い、数年の交際の後に結婚することになった。 彼女の連れ子は5歳だった。 ただ幸せに10年が過ぎていった。 15になり反抗期を迎えた娘は、露骨に自分を避け始めた。 洗濯物は一緒に洗うなと言われ、廊下ですれ違うと舌打ちされた。 その態度について叱ると、こう言われた。 「キモイんだよ!他人の癖に!本当の親じゃないくせに!」 死ぬほどショックだった。結局そのときはすぐに妻が娘を叱り付けて収まったが
感謝の気持ちを持つ子供の育て方―「ありがとう」は大きな宝物
ジャーナリズムとは、報じられたくない事を報じることだ。それ以外は広報にすぎない。 ジョージ・オーウェル
昔のうつ病について
最近ではうつ病バブルが発生し
過剰診断が横行している
製薬会社の作戦が成功したためであり
結局資本の論理である
学問などどこにもない
大人のうつ病の次は子供のうつ病だと宣伝して、製薬会社はまた儲けようとしている
論文作成側は大人の方法論を流用して「日本の子供もそうでした」と書けば
論文を量産できるので都合が良い
発達障害とか自閉症の場合にもDSMをあまり良く考えずに当てはめれば
その生きにくさは、うつ病らしいでしょうとなるので
DSMも製薬会社の片棒を担いでいる感じにはなっている
いったん完成した脳がなにか不明の原因によって壊れるのがシゾフレニーと躁うつ病と考えられたのだが
それも昔の話だろう
次は双極性障害を過剰診断させようと資金を投入している
もちろん、日本は米国の後追いである
時間差なのでハズレがない
ーーー
しかし、それはそうとして、そもそも昔、うつ病とは何だったのだろうか
最初はもちろん診断名もなくて、なんか変だなあという人達についての観察があったわけだ
だいたいにおいてお互いに理解可能な生活をしているのに
理解できない行動をする場合、みんな困るので、だんだん分類・類型化されて、名前がつくことになる
うつ病はその中の一つで、妄想症とかてんかんとか躁病とかと並んでメジャーな分類だった
うつ病は、どんなによく話を聞いても、共感できず、了解もできない、不可解な悲しみと憂うつに囚われている状態で、
不眠になり、食欲はなくなり、体調も全般に優れない
たとえば失恋とか配偶者の死に際してはだれでも悲嘆の反応を示すのであるが
それは理解可能である、だからうつ病ではない。悲嘆反応である。
どんなに細かく事情を聞いても理解できない部分があり、どうしてそんなにも悲しくて、どうしてそんなにも死にたいのか、
了解できない事態がうつ病である
たとえば、どんなに検査しても異常はなく、がんの所見はないのに、私は癌だから6ヶ月以内に死ぬと泣いていたりすると
それがうつ病である
また、貯金通帳に500万円くらいあって、しばらくは心配ないのに、もう絶望だ、こんなに貧乏だと生きていけないと
嘆いたりすると、それがうつ病である
また、わたしはとんでもない罪を犯してしまった、死んでお詫びをするしかない、と真剣に後悔しているのだが、
どんなに話を聞いても調査をしても、そのような罪を犯してしまった形跡はない、そんな場合、うつ病である
昔からの観察では、躁状態とうつ状態は同一人物に現れることも多く、したがって、その場合は躁うつ病と呼ぶ。
躁病の場合も、なぜそんなに幸福なのか、どんなに話を聞いても調査をしても、共感できず了解できない場合が
躁病である。
うつ病の場合に認知がずれているのが原因なのか、感情や気分がずれているのが原因なのか、
いろいろと調べられたのだが、うつ病は気分の変調が原因であるという結論になった。
その理由で、いまは気分障害と呼ばれたりもする。
認知行動療法はうつ気分の原因が認知にあるという画期的な説を唱えていた時期もある。
上司が無理解だとか、パワハラだとか、セクハラだとか、夫婦でいざこざだとか家庭内暴力だとか、
こどもがぐれたとか、そのようなことで悲嘆反応を呈するのは理解できる範囲である。だから悲嘆反応と呼んで、
うつ病とは区別する。
夫婦で家庭内暴力があり、その場合に当然あるうるであろう悲嘆の範囲を超えて、
共感不可能、了解不可能な悲嘆があるならば、それはうつ病成分なのである。内因性成分と呼ぶ。
そして、性格に関係し、生きる戦略として選択している行動で、疾病利得が見えている場合は、神経症成分である。
ーー
とりあえずこんな感じで、分類ができたのだけれども、
では共感と了解の範囲はどこなのかという問題が発生する。
「あの部長は許せない、休職したい」という人がいたとして、
いったいどの範囲が学問的に妥当な範囲であるのか、ドイツ精神医学は客観的に決めることができなかった。
そこで考えたのが経過診断だった。
その悲嘆の状態はどのように発生してどのように消えてどのように繰り返すかを観察すれば
分類できるのだはないかとする。
そして長期崩壊型(シゾフレニー)と循環型(躁うつ病)を区別することができた。
これは脳神経病理とも整合性があるように思われてとても頭の良い提案だった
しかし問題は30年程度観察しなければなんとも確かなことは言えないことだった
診察室に初診でやってきて、さっさと診断をつけて欲しいわけだが、経過診断を信奉する限りは30年たたないと
確定診断できないことになる
そこで、初診時に、現在の聞き取りと観察の内容から、経過診断を正確に予測するものができないかと
試みがあったが、成功しなかった
ーー
そうこうしているうちに、ユダヤ人がヨーロッパから追われ、戦争があり、
アメリカの時代が来た
ドイツやフランスの精神医学は要するに哲学的すぎるので
アメリカで新しく何かやろうとしても専門家の養成に時間がかかりすぎるし実際的でもなく
ドイツやフランスを追い抜くのは大変だった
そこで精神分析学がアメリカの公認の精神医学として選ばれた
精神分析も役に立たないが
哲学的精神医学もどうせ役に立たないので同じだった
あたらしい学問のほうがアメリカには都合が良かった
精神分析で言えばうつ病は、という議論があるのだが、
もうあまり価値がないし説得力もないと思うので省略する
ーー
精神薬理学が発達して製薬会社が資本を投下するようになると
精神病理学はもちろん、精神分析も下火になっていった
エビデンスの話になると沈黙する
薬剤の効果の統計をとるときに、たとえば、うつ病にどの程度効くのかとレポートしたいのだが、
うつ病とは何かというそもそもの議論で永遠に時間を消費するので
疾病の本質とは関係なく、統計のための疾病分類というものを政治的に決めた
それがDSMである
ロボトミー問題とかいろいろあって
シゾフレニーをどのように見るかということには大きな問題があり遠慮があった
地域精神医学で脱入院化というのがアメリカ、カナダ、イタリアなどの方向だった
日独の精神医学は
まずシゾフレニーを鑑別、その次に躁うつ病という順だった
それは疾病の破壊力から言ってもそうであるべきだし
また脳神経科学・発達神経学からいってもそうであるはずだと日独は信じていた
シゾフレニーはうつ病をともなうが
うつ病はシゾフレニーを伴わないのである
一方、アメリカのDSMでは鑑別の第一は気分障害で
それが除外できたらシゾフレニーも検討しろということになっている
さらにDSMでは神経症が解体されていて
フロイトが抹消された
神経症はその診断だけで原因に言及している。
DSM分類は、まず疾病を区切っておいて、
その疾病の原因や対策を研究しようとするものなので、
最初から原因によって分類するのは不適切だというのである
ーー
ねじれたり、よじれたりしながら、すり替えられたり、勘違いされたりしつつ、現在に至る
いまどきは、「わたしが悲しんでいるからうつ病だ」という人もいて、
一方で「幼児虐待がうつ病の原因だから、親に責任をとってもらう」などという人もいて、
諸説花盛りである。
ーーー
正常と異常の判定は通常は顕微鏡下で行われる
ばあいによってはその手続を簡略化して血液検査などが行われる
血圧も糖尿病も
正常と異常は連続していて
どこから治療に着手すべきか
ときどき改訂版が配布されたりする
それは保健衛生行政からの決定であり政治的決定である
医学的決定とは違うものだ
医学的にはなだらかに移行しているというだけである
ーー
うつ病の過剰診断というが
ろいろな精神の障害の最初期には
不眠、食欲不振、不安、憂うつ、決断困難、イライラ、注意欠陥障害、などの状態になるのであって、
その部分を捉えて、うつ状態と診断するのも間違いとはいえない
その後もずっとうつ病の経過をたどるという意味ではなく、
今現在、うつ状態であるということだけ、とりあえずは言えるということ。
ルイ16世 趣味は、狩猟と錠前つくり。宮殿の中に工作室をもうけて、暇があったらこもって鍵をつくる。 地味でおとなしい人、人付き合いもうまくない。
all good とall bad
all good とall badというのは
認知の傾向とも言えるのだろうが
高次脳機能障害とも言えるのだと思う
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複雑な因果関係を過度に簡略化して
疑問に思わないとか
高次機能の停止だろう
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うつ病の認知特性と言われているものは
要するに高次機能の低下を示しているだけではないかと思われる
名付けるということ
インスタントラーメンにどう一手間加えるか、 クックパッドに山のようにある
クックパッドに山のようにある
なかなか楽しい
ご承知のようにインスタントラーメンの場合は
塩分過剰が問題である
汁だけではなく
麺自体にも塩分が入っている
だから汁の粉が入っている袋は、できれば使わないのが賢明と思われる
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クックパッドは
東京ガスで電力も買っている人には
特典があって、
日本最大の料理レシピサイト「クックパッド」の“人気順検索”が
「myTOKYOGAS」会員サイト内でご利用いただけます。
とのことです
野菜を入れて
豆板醤とか酢とか中華だしとか入れてみたりして
あと卵とか
いずれにしても海苔おにぎりとか合うように思う
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いまならもやしラーメンですね
バイオリンの4本の弦のうち1本が切れた。だがそのまま最後まで演奏した。 それが人生なのだ。 1本の弦が切れることも、残りの3本の弦で最後まで弾き終えることも ハリー エマソン フォスデック
三度顧て自利利他の為に
仏道を学ぶ人は
物を言おうとするときには
言う前に
よくよく考えて
自分のため相手のためになると思ったら
はじめて言葉に出すべきである
よくないと思ったら
言うべきではない
このようなことも一挙にはできない
心がけて、段々と習熟すべきである。
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学道の人、言を出さんとせん時は、三度顧て、自利利他の為に、利あるべければ、
是を言ふべし。
利なからん時は、とどまるべし。
かくのごとき、一度には、しがたし。
心にかけて、漸々に習うべきなり。
“「省略の美」こそ最高の美 すぐれた浮世絵師は「一色抜く」ことをしたそうだ。この色を最後に加えれば作品が完璧になるというときに、 あえてその一色を加えない。 すると、作品がかえって引き立つ。 間や空間、静けさや淡いものに美しさや洗練を感じる日本人の美意識のなせる業で、私たちはもともと押すよりも引く、加えるよりも抜くことを美しいと感じる美学をもっている。
自作すればうずら入れ放題だけど 数が多ければいいわけじゃない気がする 1個だからそそるんだと思う” — 中華丼に一つだけ入ってるうずらの卵ってなんであんなに美味しいんだろう
まいってるときは寝るか食べるか
“ニューヨークの友人から。アメリカのジャーナリストが不思議がっていた、と。「なぜ日本の新聞は、独自で放射能の数値を測って、紙面に公表しないのか?政府や東電が嘘をついた、と後で言うくらいなら、なぜそれぞれが独自に自分たちが調べないのか。何のための報道機関なのか」と。本当にそうです。”
自分なりの判断を全部捨てて
しとしとと、降り続く雨に耐えることで、治癒は進行する
雨を貯める木というのがある
雨が降った時に雨宿りをしても雨にぬれることはない
豊かな葉は雨のしずくをたっぷりと貯めこむ
その後で時間が経つに連れて
雨のしずくが少しずつ樹の下に降り続く
それは空からの雨がやんでしまってからもしばらく
少しずつ長時間に渡り、樹の下では雨が降っている
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人の心に起こる傷と底からの心の傷の治癒はこの雨の樹と似ていると思う
電気で言えばコンデンサーのようなものだ
一度にたくさんを貯めこんで、時間をかけて徐々に回復してゆく
そういえば、傷に対しての人間の反応はやはり似ていて、
傷を受けるのは一瞬であるが、その後時間をかけて少しずつ修復のプロセスが進行する。
一度、傷は傷として、受け止める機能が心にはあるらしい。
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しとしとと、降り続く雨に耐えることで、治癒は進行する
性格の問題は色々あるのだが
生まれつきか、生育歴の影響かで、いろいろな性格ができる、
そこでまず問題の性格が発生する。
しかし大抵の場合、
経験を重ねると、この性格は自分にとって損失だと気づき
徐々に変更を加える
変更しないのは損失であり
変更しすぎるのは苦痛である
そこで中間的な妥協が成立する
緊急時とか追いつめられたときには
往々にして元々の性格が出る
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損失に気づき訂正を考えるようならば
なんとかなるような気もする
訂正機能が壊れている場合には
別の対処が必要になる
母子家庭の貧困問題
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この連載では、女性、特に単身女性と母子家庭の貧困問題を考えるため、「総論」ではなく「個人の物語」に焦点を当てて紹介している。個々の生活をつぶさに見ることによって、真実がわかると考えているからだ。
Bipolar spectrum
DSMの考えで言うとこんな感じの分類になる
躁病とうつ病が対称的ではないことが分かる
この図で見ると大うつ病は共通で、上に上がった部分が正常、軽躁病、躁病と分類しているのだが
自然に考えればそれらは連続したものだろうと考えやすい
しかし遺伝研究では違いがあるようで
双極性障害と単極性うつ病は別の遺伝子型であるらしい
それも含めて考えると、
単極性うつ病には遺伝子型としては2つの種類があり、
双極性障害と連続するタイプのものと
双極性障害とは独立のタイプのものとがあり
それは区別できない形で混在しているのだろうと思う
ーーーーー
治らないうつ病とか治らない躁うつ病というものは
元々の概念から言うと異型である
完全に治るから循環病といい躁うつ病と呼んでいた
慢性うつ病という名前で慢性型を指定しているし
それとは別に気分変調症という呼び方でまた別のものを指定している
それとは別にラピッド・サイクリング・タイプを指定している
ここでは気分変調症と慢性うつ病は、
病理として同じで重症度が違うものなのか
あるいはなにか根本的に違うのなのか、問題がある
ーーーーー
残遺型という概念も問題になる
これは昔から観察されていたことではあるが
躁病もうつ病も、反復するうちに完全に元には戻らず、機能欠損を伴うというもので
そもそもの循環病や躁うつ病の理念型とはやや異なる観測で
それは実は欠損を残す点で統合失調症に似ているものである(現在症での類似ではない)
ーーーーー
たとえば分かりやすいかどうか、骨で例えると、
単純な骨折と、カルシウム代謝異常とは、別の経過をたどる
単純な骨折は数カ月を経過して、全く元に戻る
これが躁うつ病タイプである
カルシウム代謝異常、もっと具体的には骨粗鬆症でもいいが、
それは自然に元に戻ることはなくて、骨の脆弱性は徐々に進行して
慢性持続性崩壊性である
これがシゾフレニー・タイプである。
単純な骨折だと思ったのに、なかなか治らない、あるいは機能異常がずっと続くというのは
原則的に話が合わない
単純な骨折ではなかったのだと結論したほうがいいだろう
単純な骨折だけれども、骨の再結合の段階で、曲がったままつながってしまったという場合、
それを機能欠損と観察することは出来るだろう
その場合、不具合は持続する
しかしながらそれは固定性であって、慢性持続性崩壊性ではない
固定した欠損に対して、リハビリが必要である
しかしそれはくっつき方が悪かったというだけで
病理の問題ではない事がわかる
ーーーーー
以上を前提に考えると
「私はずっとうつ病が治らなくて困っている。
診断が間違っていて、『単なるうつ病』ではなく、躁うつ病ではないのか。
治療法が間違っていたのだから、治らないはずだ」という感想は間違いであることが明白である
単極性うつ病でも双極性障害でも、時間が経てばすっかり治るのである
治らないのは治療法が違うからではなく
病理が違うからである
では、どんな病理なのか
それは、慢性持続性崩壊性で感情方面に症状が出るものなのだけれども
疾患というものは長期化慢性化するに連れて
機能欠損により明白に現実の損失が発生するので、それに対して
性格防衛的に反応するわけで、そのあたりを昔は神経症性うつ病とか抑うつ神経症とか名付けていたわけである
上の例で言えば、最初は単純な骨折だったのだけれども、
くっつき方が悪かったので、残遺症状を残している、ということになるだろう
慢性化の病理を性格反応の面で解釈すれば
循環性病理という躁うつ病のもともとの発想を保持しつつ、慢性化を説明できる
はたしてそれでよいものかどうか、はっきり結論が出ていないし
理論も示されていない
統計処理をして綺麗な結果が出ないのは
双極性障害も単極性うつ病も何種類かの病理が混在していて
一部は循環性であり、一部は慢性持続性崩壊性のものなのだろう
病理の面を強く見れば、ブロイラー・タイプの理論になり
現在症の面を強く見ればDSMタイプの理論になるのだろうと思う