菩薩は、喜びを与えると花開く人には喜びを与え、 苦しみを与えたほうが花開く人にはあえて苦しみを与える。 菩薩は相手によってどちらを与えることもある。
たとえば、インドのバラモンなどの上級カーストに、サティという風習がありました。インドでは人が死ぬと、一般に火葬をするのですが、夫婦で夫が先になくなった場合に、火葬をしている炎のなかに、未亡人が飛び込んで焼身自殺をするという慣行があった。これがサティです。夫の死を悲しんで自殺をするのは、貞淑な妻の鏡である、素晴らしい行いであるとして、サティが奨励されていた。 ところが、この風習をイギリス人がみて、びっくりするわけです。自殺を奨励するというのは、とんでもないわけです。しかも、夫が死んで、妻が後を追う、という
・才能がある人なら、教える必要がない。 ・才能がない人なら、教える意味がない。
手ごねハンバーグの機械
昨日夕飯で入ったファミレスで「手ごねハンバーグ下さい」と言ったら、「今日はあいにく手ごねハンバーグの機械が壊れていまして…」と言われた。
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男性が兵士に取られている間に女性は試験準備
2011年の65歳以上の高齢者の自殺率は人口10万人あたり、韓国81.9人、日本17.9人であり、韓国はOECDの中で1位である。
人間は、優れた仕事をするためには、自分一人でやるよりも、他人の助けを借りる方が良いものだと悟った時、その人は偉大なる成長を遂げるのである(アンドリュー・カーネギー)
Depression
Depression Versus Masculinity: The Hidden Threat to Men’s Mental Health
5 Tips to Combat Student Depression
Living With Depression: Losing Interest and What To Do About It
Depression, Understanding the Stigma
10 Common Myths About Depression.
I Got Your Back: Couples Fighting Depression Together
5 Ways To Help Someone With Depression
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Depression and violent behavior: Where the lines overlap
Depression causing heart problems?
Sleep Deprivation- Can it Cure Depression?
A Depression Sufferer in Love: Learning to Trust My Significant Other and More
Supporting Someone With Depression
Depression in the Chronically Ill
The Romaticisation of Depression in Modern Society.
Depression: Not All in Your Head
Depression: So much more than just ‘feeling down’.
A Day with Depression– Why is it so Serious?
Epilepsy and Depression a never ending cycle
Depression: The Ultimate Betrayal
Pseudo-Dementia: Depression or Dementia?
Depression Is About Twice As Common In Women Than In Men
Being More Perfectionistic Contributes to Depression
The Desire to Sleep A Lot May Reveal Feelings of Loneliness, Anxiousness, and/or Depression
Physical Exercise Can Provide Short-term Mood Enhancement and Alleviate Long-term Depression
ネットに書いてありました と、根拠を示したつもりの人がいるのだが どうしてしまったのだろうか
ネットに書いてありました
と、根拠を示したつもりの人がいるのだが
どうしてしまったのだろうか
傷つくことを知っている今日と いう日
とか言うんだが
何もなければそのほうがいいよね
起こってしまったら、仕方ない、そのうえで、なお、なるべく、笑って暮らそう
一応そういうことになるが
しばらくはそうも行かないだろう
しかしそれでも時間がたち、色々考え、出会いもあり、
一回りたくましくなるのだろうと思う
相手の言葉、相手の理屈をつかって話せないとだめ
英連邦の主要国であるオーストラリア、ニュージーランドなどと新たな通商交渉
ドイツ経済独り勝ち
潰しても問題ない純粋型天下り法人
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お役人さんの問題。
基本問題は、お役人さんが、基本的に生まれが貧乏であること、
退職後したいことが何もないこと、などだろう
家に財産がたくさんあればこんなことはしないだろう
たとえば鳩山家や麻生家の人が役人になって退職したとしても、
天下りなんてしないはずだ
また、退職後に何をしたいかが明確にあれば
天下りなどということには関係なく行きているはずだ
ただ生きるために生きているのだろう
この豊かな社会なのにもったいない話である
ーーーーー
よくある解決は、結婚のときに、お金持ちの家の娘さんとお見合いさせることである
閨閥を作るということになるが
それは禁止されていないので自由だろう
たとえば麻生家の親戚関係などをみれば
天下りなどとは無縁に
いくらでも高級待遇の経営者の席が親戚だというだけで用意できる
希望があれば選挙にも出られる
議員になって、その後は黒幕になる
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年を取ってからお金をたくさんもらっても、大したこともできないというのが現実である
なにかの時の予備にはなるが
なにかのときと言っても、病気になって死ぬというだけが多い
その場合に、お金がたくさんあっても、どうしようもない
一体何のために、そんなにお金がほしいんだろう
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問題の根本に帰ると、
そもそもそのような天下り法人が存在することが問題なのである
天下り指定席があることも問題であるが
関係者の子供や孫やその他の人が、
職員として、悠々自適で過ごしているのだ
天下りをやめさせると同時に
天下り法人そのものを解散させるのが筋だと思う
問題になった明治安田生命保険や早稲田大学は純粋天下り法人ではないから
そうはいかないが
潰しても問題ない純粋型天下り法人がたくさんあるものと思われる
人格水準
The self-destructive denier
"「タイヤの溝は一定ピッチで切られていないのを知っていますか」。 学生達は最初きょとんとしていましたが、どのタイヤもじっくり見てみると、少しずつパターンの間隔が変化しているのに気がつきます。全く一定間隔のように見えるパターンでも、離れた場所を見比べると、ひとつのタイヤの中で歴然と間隔が違うのです。「さて、何故このようにピッチを少しずつ変えてあるでしょう」。残念ながらその場に正解者はいませんでした。 ご存じの方もたくさんいると思いますが、正解は耳障りな騒音を出さないための工夫です。一定ピッチで溝が刻まれ
思春期くらいの子
“ 聞いたことあるのは、 コミュニケーション能力のない人は 仕事を上司から与えられた後に、誰にも相談せずに独りで突っ走って 上司が求めていたものとは全然違うシロモノを提出する って話。慣れてないなら、途中でちゃんとその仕事の進め方が妥当かどうかを誰かに聞けよと ミスに気づくのが早ければ早いほど、無駄になる労力は少なくて済むのだから 基本無口でも、要所要所で臆せず上司や先輩に相談したりできる人間ならいい 逆にいくら明るい人間でも、誰にも相談せずに独りで突っ走る人は・・・ だ。 まあ仕事が
“ 日本の某商社は、90年代初めに「公用語英語化」を宣言し、結構マスコミにも載ったが、実際に英語化された話はとんと聞くことがなかった。当時その会社にいた方いわく、 「壁に『わが社の公用語は英語』と日本語で貼ってあった」 そうです。 三菱商事じゃないですよ。 なんといっても、三菱商事は当時やっと日本語になったのだ。会話ではなく文書ですが、「漢文から和文」になったのです。 「御承認賜度御検討願度」 というのが社内伺いの最後の決まり文句だった。(和訳=「承認して欲しいので、検討してください」)。社内
冬場だけど嫁がうるさいおしゃべり始めたらこっそりヒーターの温度を上げると寝てしまう んで俺が話ししたくなったら温度を下げればそのうち目覚める そうやって調整している
"やっぱり目が乾く感じがするのは熱があるからでしょうね 昨夜は疲れていて早く寝てしまったんです そして夜の3時とかに目が覚めて 少し深く寝た気がしてまして テレビをつけたら北九州市が映画のロケ地を提供することに熱心だという番組が流れていたんです 権威主義的な警察取調室にピッタリの部屋を探すらしいです へーと思っているうちにまた寝ていました それでやっぱり風邪が抜けない 鼻のあたりに炎症がとどまっていて 抜け切らないんです 夜にはもうエアコンは付けていません 自然の風で眠っています ぼーっとしていて注意が散
昨夜は疲れていて早く寝てしまったんです
そして夜の3時とかに目が覚めて
少し深く寝た気がしてまして
テレビをつけたら北九州市が映画のロケ地を提供することに熱心だという番組が流れていたんです
権威主義的な警察取調室にピッタリの部屋を探すらしいです
へーと思っているうちにまた寝ていました
それでやっぱり風邪が抜けない
鼻のあたりに炎症がとどまっていて
抜け切らないんです
夜にはもうエアコンは付けていません
自然の風で眠っています
ぼーっとしていて注意が散漫でいい考えも出ないし
体が辛い感じが続いていて
何か一種の関節痛のような感じで疲れが取れない
自分がこうなってみるとこの夏は老齢者の方にとっては大変だと思います
"
未来のヨーグルトは不安の治療法になるのか? A Yogurt of the Future as an Anxiety Treatment? 乳酸菌株は脳のGABA作動系に影響を及ぼす迷走神経機構を介して不安を軽減する。 この数年間に報告されたげっ歯類での研究から、微生物の活動が迷走神経求心性神経を介して機能性腸疾患、視床下部―下垂体―副腎系のストレス反応、および不安関連行動に影響を及ぼす「微生物相―腸管―脳系(hypothalamic-pituitary-adrenal axis)」の存在が明らかにな
風吹けば落つるもみぢ葉水きよみ散らぬ影さへ底に見えつつ 凡河内躬恒
ーーー
ここにあげた通釈も補記も伝統的なものなのだろう
しかし本当にそうかな
「当時は水面ばかりでなく水底にまで物が映って見えると考えられたらしい。」とはまた、なんという珍説。
この補記には無理がある。
水底には物は映らないでしょう。まあ、当時の人はそう思っていたというのなら、
そうではないという証拠もないし、いいようなものだが。
ーーー
とてもまともに考えると、
風に吹かれるもみじ葉、水面に浮かぶもみじ葉、水底にみえるもみじ葉、
この三層が入り乱れ見間違う
凡河内躬恒の有名な、心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどはせる白菊の花
では、初霜と白菊の白が見間違うばかりだというのである
同じ趣旨で、この歌では、上記三層が見間違うばかりであって
それほど水が澄んでいる、散ったのは直前である、という意味だろう
ここで水面に浮かぶもみじ葉をあげるのは、(私が以前読んだ)伝統的な解釈ではそうなっているからであって、
歌から直接解釈できるのは、「水底にみえるもみじ葉が、樹に付いていた頃のもみじ葉と区別がつかないくらいだ」
というものだ
たぶん、風が吹いたのは直前であって、もみじ葉はみずみずしいのだろう
水が澄んでいるのも、直前の雨だからだろう
ーーー
もう少し膨らませて考える
風が吹くともみじ葉が落ちる
(川か、湖か、沼か、水たまりか、)水が清らかなので、
まだ散っていないもみじ葉さえも水底に見えている
ということになる
すると、水深は浅いはず、湖でもないし、沼でもない、水底が見える程度の川か水たまりということになる
実際の観察をもとにすれば、今目の前に見えているものは、
風に吹かれて落ちるもみじ葉
水面に浮かぶもみじ葉
水底に沈んで見えるもみじ葉
水上の空間にあるもみじ葉が(これは樹に付いているものも、樹から離れたものも含むが)、水面に映る、鏡像としてのもみじ葉
(水底に映るもみじ葉の説はここでは採用しない)
この四種である
樹にまだ葉が残っているかどうかは不明
しかし散り尽くしたと解釈しても良さそうだ
散っていないもみじ葉の姿が水底に見えているというのは
理屈に合わない
散っていないもみじ葉の姿があるとして、そは水面に鏡像として見えているはずである
それを底に見えつつというからには理由があると考える
水底にもみじ葉が見えているのだから
流れの早い川ではないはずだ
水は非常に澄んでいるが、流れは川底のもみじ葉を流してしまうほど早くはない
たくさんの雨が降ったあとの水たまりに近いかもしれない
散っていない姿さえも水底に見えるという
ということは、眼前の樹のもみじ葉は散り尽くしたのではないか
そして散る前のもみじ葉は、いまは水底だけに見えているという意味に解釈したらどうか
つまり現在は失われたものが
水底に在る
強い雨と風でもみじ葉は散り尽くした
しかし樹の下に澄んだ水たまりができていて
その水底にみえるもみじ葉は散る前の姿を伝えている
というような意味なるだろう
いまはもう散り尽くしたもみじ葉であるが
水底の葉を見ると、在りし日が思い浮かぶようである
すると水底は過去への通路のようにも思われてくる
だとすれば、これは湖の浅瀬での叙景と見ていいのではないか
湖の浅瀬の水底にはもみじ葉が見えている
それは盛んだった頃のもみじ葉の樹の姿を伝えている
そして視線の先には深い湖底がある
そこにはもっと古い昔の、世界の姿が保存されている
水が清らかで水底が見えるのは浅いあたりだけだ
深い方を見るとうすでに水きよみではなくなる
深い底には深い昔が保存されている
ーーー
いや、ここで保存されているというのも正しくない
過去がそこに保存されているかのように、人間に思い出させる何かが在るという意味だ
ーーー
冬の始まりの風が吹いて、もみじ葉は散り尽くした
次の日の朝、湖のほとりを歩いていると、澄んだ水を通して、浅い水底に散り積もったもみじ葉が見えている
もみじ葉の盛んだった秋の日を思い出させる
それはつい昨日のことだ
ーーー
もみじ葉は風で散ったが
水は清らかに澄んでいるので
まだ散っていない在りし日を思い出させる色鮮やかなもみじ葉が水底に見えている
ーーー
いまはもう消えてしまった盛んな紅葉がそっくりそのまま水底にあるみたいさ
それくらい、水底の落ち葉はきれいだよ
くらいのニュートラルな、軽い感じが凡河内躬恒には合っているのだろうと思う
ーーー
喪失体験の直後には、このようにありありと、部分が全体に思えることがあると思う
現在が過去に思えることがあると思う
いや、過去が現在に思えるのか
浦島太郎の物語に見られるような海底の別世界というイメージも重なっているかもしれない。
ーーー
もみじもすっかり散ったなあと思って眺めていると
水底にもみじ葉が見えていて、まだ盛んなもみじ葉が水面に映っているのかと、見紛うほどだった
昨日までの水面の鏡像としてのもみじ葉と
今日の水底に沈み散り敷くもみじ葉とが
見分けがつかないほどである
昨日までと今日との対比いうのは脚色がすぎるだろうか
水底に沈み散り敷くもみじ葉と
水面に映るもみじ葉と
区別がつかなくて、おもしろい
だから、散っていない姿が水底に見えるというのは間違いではない
補記は誤りだと思う
事実、水底に、まだ散っていないもみじ葉の姿が見えるのである
事務次官の前川喜平氏(62歳、'79年旧文部省入省)が引責辞任したが、退職手当5610万円は受け取るつもり
組織のトップに立っていた人間が、知らなかったでは通らない。文部科学省で、'09年頃から人事課OBを通じた組織ぐるみの再就職の斡旋が行われてきたことが発覚した。
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一時的に騒いでもそれきりでしょうね
若い時代を無駄にして組織に捧げたのだから
そのくらいは当然だというのかな
あとあと面倒を見てもらって当然という
メンタリティもあるのじゃないか
"