貧困とは、ただカネがないことではない。文化がないことなのだ。
ゴールデン
国家主義
ミニコミュニケーションの増加
ミニコミュニケーションに閉じこもる
SNSの内部で密に感情交換をしている
平気で嘘をつく人たち
環境の日というのは世界環境デー World Environment Day のことで
6月5日で、国連による国際的な記念日。
これを野党議員に質問されて、まあ、質問と言うよりも、馬鹿にされたということだけれでも、
丸川大臣とかいう人は6月1日と答弁したらしい
それで質問者に訂正されて、失望したとか言われたらしい
このあたりも少しおかしいですよね
大臣たちの後ろには事務方が控えていて、その人に聞けば
質問者が質問する程度のことには全部答えられるはず
答えられないのは、事務方の説明を聞いても理解できななくて
印刷物がない得間違えてしまうあべさんくらい
だから本人は、6/1だとかなり確信を持っていたのではないだろうか
しかしそれでも間違えた
これはとても理解しがたい現象のような気がする
後ろにいて耳打ちしたがっている事務方に聞かなくてもいいほど、
絶対間違っていないという確信があるから、 答弁したのだと思うけれども、
残念ながら間違っていた。
スケジュール表には6/5にあわせていろいろな予定も書き込まれているはずで、
間違えるはずのないものだと思われる。
また一方で、おかしいと思うのは、私は最初、質問者が、これほどの簡単な質問をして
何になるんだろうかと思ったのであるが、実に有効な質問であったと言うことである。
質問者はいったいどのようにして、これが有効な質問であると予測したのだろうか。
結果は大当たりで、現環境大臣という人の何かに的中したような気がする
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2016-2月7日の長野県での講演で、国の除染目標値に関し「反放射能の人がワーワー騒いだ」という趣旨の発言をしたと、民主、維新両党に指摘された。また、環境省について「今まではエコだの何だのと言っていれば良かった」と発言、自身がかつて所属したメディアについても「自分の身を安全なところに置いて批判していれば、商売が成り立つ」「久米宏は責任をとらない」と触れていた、と指摘された。
記憶にないとか、調べたところ発言が確認できたので取り消すとか、言っていた。
本当なら脳の病気である。嘘つきなら任に不適である。
長野の講演会の詳細は知らないが、何か興奮するような環境があって、
次々に口を滑らせてしまったものだろう。
興奮すると前後不覚になるなんてどんなに子供なんだろう
口を滑らせるというのは、日頃からそういうことを思っていて、同僚と話していたり、
先輩から聞かされていたりするということだろう。
つまり、丸川氏の周辺では、そんな話ばかりがささやかれていたのだろうと思われる。
環境が悪くて本人が愚かだったと言うことになる
泥の中に蓮の花が咲くと言われているが
この場合は自民党という泥の中に仕事も出来ず感情的発言しているだけの
メタンガスが発生したようなもので
最悪である
表で言っていいことと悪いことの区別もつかないである
環境省は「今まではエコだの何だのと言っていれば良かった」というのであるが、
これは自民党憲法草案にあるようなことをオブラートに包むことなくかんがん言いますよ
ということなのだろうか
環境権ということで個人の権利を言い立てるような人には
環境保全もいい加減にしないと怖い目に遭うぞという話になりそうである
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しかしまあ、この人ばかりではないのである
計算は出来る、漢字は読める、しかし仕事は出来ないという人がとても増えているのである
(自民党は漢字も読めない、計算も出来ないという人たちがたくさんいるようであるが
それはまた別の一群だろう。あべ、あそう、しまじりなどは漢字が読めない一群。)
これもまた一種の税金の無駄遣い。
「名こそ惜しけれ」
司馬遼太郎が武士の倫理として
「名こそ惜しけれ」をあげていたが
最近の東京のような都会では
誰が誰の子孫なのか親類なのかわかりにくくて
どこに住んでいるのかも流動的である
マスコミで有名になることはあっても多くは虚像である
武士の倫理は維持しがたい
国会での答弁を見ていると
「名こそ軽るけれ」
どうせすぐに忘れるだろうと思っているのがよく分かる
洞爺湖サミット
なんどもなんどもしつこくサミット会場の映像がニュースで流されたことを思い出す
そんな程度と思われている悲しい庶民なのであった
そして実際にその程度の人たちは多くて
そのホテルは一儲けしたのであった
アベ-牛尾-セコムのラインが動いた
キリスト教倫理
虐げられたものの共同体でぴったりする
いま1%の富裕層と
99%の貧困層と言われたりするのだが
それは歴史を通じて変わっていないことで
その人たちのためにキリスト教もあるのだということだ
Charity begins at home
「なる堪忍は誰もする。ならぬ堪忍、するが堪忍」
ふつうなら到底できない我慢、忍耐、許しができて、はじめて「堪忍」の名に値するのだ
心を輝かせようにも、それができない日がある
人は皆、自分が一番かわいい
悪口
"
事実を認めることができない未熟な自分
"
幸せ
"
高い地位を与えられたなら
"
真心をこめて
失敗を重ね、自分にできることがわかったとき
"
相手を変えたいと思うなら、まず私たち自身が変わること
"
一人残らず救いたいと願って
"
「迷った時には、それぞれのプラスとマイナスを書き出し、重みによって決めなさい」
ありのままの自分を 受け入れることができれば
転ぶたびごとに立ち上がって歩き続けられる
"
誰かから愛された記憶
悔い改めることは、後悔することと、少し意味合いが違います
"