“JR北海道が、一部ローカル線の普通列車で減速運転を行う方向で検討に入ったことが10日分かった。老朽化した車両やレールにかかる負担を最小限に抑え、運行の安全を確実にする狙い。現在特急で行っている減速や減便をさらに拡大することも視野に入れている。これと併せ、2014年度からの5年間で安全性の向上におよそ2800億円を費やす考えだ。3年前の石勝線特急脱線炎上事故から続発した重大トラブルを再び起こさないよう、鉄路の安全基盤を抜本的に立て直す。”
“どんな職業に就きたいか、は問われたけれど、どんな生き方をしたいか、どんな人になりたいかは誰も問わなかった”
“「世の中に存在するたいていの食べ物は、しょせんおかずだ」ってお米組合のキャッチコピー。凄いカッコイイな。”
他人に何か言われても萎縮してはいけない。 言った他人はたいてい3日で言った事は忘れてる。
“感情は長続きしない。 人間は気まぐれだ。 習慣を作れ、趣味だとか癖にしろl。 努力の仕方を学びなさい。”
“行動の前に瞑想しろ。 欲張って全てを捉えようとするな。 全部読むな。 全部見るな。 全部食べるな。 全部集めるな。 完璧な仕事をするな。 完全回復まで休もうとするな。 今やってる全ての行動で何か利を切り捨てる訓練をしろ。 切り捨てた分だけがおまえの「意思」であり 未来の習慣となる。” その完璧主義を叩きなおしてやる!
“知識は単に得ればいいというものではなく、知識を積み重ねて理解していく中で「知恵」に変えないと生かすことはできない。” →学んで時にこれを習う。
“肝心なのは、早く寝るように心がけるよりも、起きてだらだらといろんなことをやり続けるのをやめることでした” スタンフォードの自分を変える教室
“日本というのが、西洋の人々、特に英語を話す人々に取っては「どういう場所か」ということに関しても身も蓋もない事実も明記されています • 日本というのはヒッピー旅行者が世界をグルグル回って最後にたどり着く場所だった • 現在はヒッピーが、英語教授法の修士を持ち、日本人の妻を持った白人男性に入れ替わった • 彼らは英語を教えて快適な生活を送ることができる。博士号を持っている人も英語を教えている • 博士号を取ったばかりの若い人は日本を学資ローンの返済と最初の書籍執筆の機会に当てる • 日本の大学では一部の一
“「月が自分の光で輝いているのでは無いと知った時、わたしはとても嬉しかった」”
“最近の執筆関係のギャラは、酷いどころではない。雑誌6ページで税金・経費込みで2万円などという事例もある。もはや編集者側が執筆を「仕事ではない」と認めているようなものである。私見ながら。”
“私は、そのとき、Google Earthが何なのかを知りませんでした。私は、彼らに一生をかけるだけの借りがあります。” 無人島に漂流→7年間遭難した女性、ビーチに巨大なSOSを書く→子供がGoogle Earthで発見→無事救出!凄すぎる!
“気まぐれでも、何でもかまわない。 ふと惹かれるものがあったら、計画性を考えないで、パッと、 何でもいいから、そのときやりたいことに手を出してみるといい。 不思議なもので、自分が求めているときには、 それにこたえてくれるものが自然にわかるものだ。” 岡本太郎『強く生きる言葉 』
“特殊ガラス製造の岡本硝子は1日付で、海洋・特機事業部を新設した。東京の中小企業が共同開発した無人海底探査機「江戸っ子1号」での知見をもとに、高耐圧のガラス球の設計・販売に乗り出す。”
“やりたいこと見つけるために一番やったらあかん方法、それはな……『考える』ことや。机に向かってうんうん唸っとったり、自分のやりたいことってなんやろうて漠然と考えたりしとったら、何も分からん。分からんどころかよけい迷うことになるで”
“「高い授業料を払って学校にかよって何が身につくんでしょうか?」 返事:授業料は,単に設備や授業のお金であって、君が「何を得られるか」とはまったく関係ないよ。君がコンビニでセロテープを百円で売ったとする。客に「このセロテープで何が出来るんですか?」と言われても困るよね?そういうトンチンカンな客には「自分で考えてください。なにか使いたくて百円払ったんでしょ?」と答えるのが正しい。この場合も同じだよ。”
“「勉強より大事なことがたくさんあるんだよ」とか言い出す人、我々が勉強のために勉強してるとでも思ってるのか。勉強より大事なことのために勉強してるに決まってるでしょう。”
“ひとり身の外国暮らしは、仕事はそれなりに忙しくても、雑用がほとんどないので、かなり暇がある。本を読むにはもってこいだが、いかんせん肝心の本が少ない。恒常的に本に飢えている。しかし、前任者やその他の日本人が置いていった本がどこかに溜まっているもので、そんな本溜りにアクセスできれば、最低限の読みしろは確保できる。欠点は、読みたい本がそこにあることは少ないということだが、逆に言えば、そこにたまたまある本を読まなければならないので、ふだんなら読まなかっただろうような本が読める。選択肢がないというのは、どうして、
“ 体は萎えていく。脳は働かなくなる。そのうち身動き取れなくなって死ぬ。 なにかの間違いのようにこの世に生まれてきてしまって、何もしないどころか負債ばかり作って死んでいくのかな。憎悪や嫌悪感に満ちあふれている世界、おれもそれに加担して、憎悪や嫌悪感をふりまいて、積み重ねていく一方だ。 ”
患者さんなりに病気の理解があって治療についての考えもある場合 たとえば骨折であれば、これが最新の医学ですと 説明して了解も得られし、考えを訂正してももらえるわけだが 精神的な話になると その人なりの理解とか常識とか経験に即応していかないといけない 説明してよく分かってもらえるかといえばそうでもないようで 極端な場合には 目の前にいる医師の説明よりも、ネットで読んだ文章の記憶を信頼しているようすだ そもそもそのような理解全般が破壊されるという事情もあるし 独自な理解を貫徹する場合もあり、その貫徹の仕方も
患者さんなりに病気の理解があって治療についての考えもある場合
たとえば骨折であれば、これが最新の医学ですと
説明して了解も得られし、考えを訂正してももらえるわけだが
精神的な話になると
その人なりの理解とか常識とか経験に即応していかないといけない
説明してよく分かってもらえるかといえばそうでもないようで
極端な場合には
目の前にいる医師の説明よりも、ネットで読んだ文章の記憶を信頼しているようすだ
そもそもそのような理解全般が破壊されるという事情もあるし
独自な理解を貫徹する場合もあり、その貫徹の仕方もまた精神病的な感じではある
医学的な説明とは別に
何か民間医療みたいな理解をしていて
医学の説明を民間医療の言葉に翻訳して理解しているようなところもあるのかもしれない
そのような側面もまた精神科医療の特徴だと思うのだが
それにどのようにうまく対応して、患者さんの利益を最大にするかはなかなか難しい
難しく考えすぎる必要もないが
「正解」だからといって歓迎されるものでもないということだ
そこは数学とは違う
その人が他人をどう理解するか 他人の行動の動機や目的をどう考えているか そこの話を聞いていくと 実に人間は様々である
他人の行動の動機や目的をどう考えているか
そこの話を聞いていくと
実に人間は様々である
人生相談のページなどあちこちにあって 有名人とかお坊さんとか精神科医とか いろいろな人が回答しています でもパターンがあって、 まず、強く受容して、よく我慢しましたとか褒めてあげる そして自分の得意分野の説明原理を持ちだして何か説明する なになにの原理とかなになにの例えとか あるいはまた歴史上の喩え話とか あまりにオリジナルだと信憑性が低くなるから ある程度格式の高いものが良い そしてまた最後に、あなたならできると期待してあげて終わる ゴーストライターが手を入れているから こんな画一的なパターンに
人生相談のページなどあちこちにあって
有名人とかお坊さんとか精神科医とか
いろいろな人が回答しています
でもパターンがあって、
まず、強く受容して、よく我慢しましたとか褒めてあげる
そして自分の得意分野の説明原理を持ちだして何か説明する
なになにの原理とかなになにの例えとか
あるいはまた歴史上の喩え話とか
あまりにオリジナルだと信憑性が低くなるから
ある程度格式の高いものが良い
そしてまた最後に、あなたならできると期待してあげて終わる
ゴーストライターが手を入れているから
こんな画一的なパターンになるのだと思うが
褒めて励まし受容することを必ずしないと
別の人には優しかったのに、私にはキツイことを書いていると、あとでクレームがきそうである
だからある程度画一的にして同じ程度に優しくしないといけないのだと思う
そうなると当然だが極限まで優しくなってしまうので
おかしな話もたくさんあるようだ
何か問題があると、テレビインタビューの中で 「国にきちんと対策を考えてもらいたい」 と語る人がなぜこんなにも多いのだろう 単純に言えば テレビ番組というものは 日本国民に対して発信されるものであって したがって不満は日本政府に対してのものになるということなのだろう つまりそれ以外に言いようがない スポンサーの怒りに触れても良くないし 政府に要望するという形ならば問題なく番組として収まりもいい その半分程度はプロデューサーなどによる誘導ではないかと思うが しかし本当に 「国がきちんとしてくれればいい」
何か問題があると、テレビインタビューの中で
「国にきちんと対策を考えてもらいたい」
と語る人がなぜこんなにも多いのだろう
単純に言えば
テレビ番組というものは
日本国民に対して発信されるものであって
したがって不満は日本政府に対してのものになるということなのだろう
つまりそれ以外に言いようがない
スポンサーの怒りに触れても良くないし
政府に要望するという形ならば問題なく番組として収まりもいい
その半分程度はプロデューサーなどによる誘導ではないかと思うが
しかし本当に
「国がきちんとしてくれればいい」
と考えているとしたら
親に依存している子供のようなもので
いつまでたっても国の支配下にいるしかない存在になってしまうだろうと思う
これを奴隷とは言わないが
市民とも主権者国民とも言いがたい何者かだろうと思う
主権者だから対策を要望する権利があるという考え方でいいのだろうか
要望すると考えた時点で
主権者とは何かを忘れていると思う