“ 自分が駄目な原因を他人に求めだしたら危ない。それが虚のない真実だとしても、自身の人格形成における原因を取り除くことなんて今更できないので、ただひたすら精進するしかない。「駄目になったのはあいつの所為だ」と決めつけて、それを免罪符に被害者を気取るのは楽だが、そこから先は何もない。 ”
毒親など
「人生はとても単純だ。君は何かをする。多くは失敗する。いくつかは上手くいく。君は上手くいった事を繰り返す。もしそれがとても上手くいったなら、すぐに他人が真似しだす。そうしたら君は何か違う事をする。コツは違う事をするという所だ。」
“ 中国人と話していると「日本人はこれから洗練・簡素・しおり・軽み・侘び・寂び・幽玄・粋・・・というラインでしみじみゆくしかないかなあ」と思います。「元気」じゃとても中国人には勝てません。 ”
“本当に物事変えるのは法律読んだりおっさんたちと交渉したりめんどくさくて不幸せな気分にしかならないのでおすすめしない”
日本全国どこと限らず激しい雨 1日で200ミリ 住民は避難 北海道でも30度を超える暑さ 甲子園の予選が進行している
日本全国どこと限らず激しい雨
1日で200ミリ
住民は避難
北海道でも30度を超える暑さ
甲子園の予選が進行している
“しかし彼らの家は 彼女らの家は 子供たちの家は もう2ヶ月もドロに浸かったままだ マスクとゴーグルがないと作業ができない有害なドロに浸かったままだ 何ができるかを知ろうとすれば 何をすべきかも分かってくるはずだ それなのに俺らときたら 経済をまわすのが最優先だとか チャリティイベント開催だとか 挙げ句の果てには 折り鶴だとか 遠隔療法だとか それがどれだけ役に立つというのか 100人の集客力があるなら その半分でも現地に連れて行く努力をすべきだ 俺らはそういうことを目的にやってきてはずだ ただ消費
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あの頃、勇ましくて、理想派だった人が、いまもそのようで在り続けてほしいと祈る
なかったコトにしたいとか
あの時はみんながそんな勢いだったとか
言うなよな
学校プールでの死亡事故が続いているとテレビで放送されていた 結論はもちろん、 「国がきちんと」である。 肉が責任をもって規制して欲しいというのである。 もちろん、行政も、警察も、地域も、父母の会もみんな関心を持って どうすれば水難事故が防げるのか一所懸命に考えよう そんなときに「国にきちんとしてほしい」と、抽象的な「国」というものにボールを投げて、 あとはただ待つというのは、いかにもおかしいと思う 国に依存しすぎている そして国は国民を依存させるのに成功している 普通に考えたら、現場のプールの管理者
結論はもちろん、
「国がきちんと」である。
肉が責任をもって規制して欲しいというのである。
もちろん、行政も、警察も、地域も、父母の会もみんな関心を持って
どうすれば水難事故が防げるのか一所懸命に考えよう
そんなときに「国にきちんとしてほしい」と、抽象的な「国」というものにボールを投げて、
あとはただ待つというのは、いかにもおかしいと思う
国に依存しすぎている
そして国は国民を依存させるのに成功している
普通に考えたら、現場のプールの管理者が、危険はないか考えるのが第一だろう。
そのための補助的な情報が得られればいいが
地域によりプールの運営も違うだろうしそれぞれというものだろう。
国ももちろん関わって欲しいが
「国にきちんとしてほしい」ということで、
国の権限を拡大し、国民は何もできず、国の指示待ちになり、まいまい国に依存するだけだという危険を悟る必要がある。
神出鬼没というが 神は出て鬼が没するのならいいことずくめではないか 自由自在に素早く現れたり、隠れたりすること。きわめて巧妙に出没し、所在が分からないこと。出没の変幻自在なさま。 というのだが
神は出て鬼が没するのならいいことずくめではないか
自由自在に素早く現れたり、隠れたりすること。きわめて巧妙に出没し、所在が分からないこと。出没の変幻自在なさま。
というのだが
“人を動かすことのできる人は、他人の気持ちになれる人である。そのかわり、他人の気持ちになれる人というのは自分が悩む。自分が悩んだことのない人は、まず人を動かすことはできない。” 本田宗一郎
うつ病に対して認知行動療法を行うということの意味を考える もともとうつ病という呼び名は その病気が根本的に感情の躁鬱の揺れが「原因」であると 想定したから、そのように呼んでいるのである うつ病の感情障害の根本にあるものが 認知にあるのならば、認知病と呼ぶものであって、認知を治療すれば良いことになり、そうなれば整合的である うつ病の時には思考が悲観的になる、それは感情が原因で認知が結果である そのときに、結果を治療して、どうなるというのだろうか うつ病の時には億劫になり、行動が少なくなる。それに対し
悲しいから泣く
泣くから悲しい
“ ――多くの大臣や政治家が現地を視察した。役に立ったのか。 陸自1尉 迷惑でしたね。 海自3佐 あまりはっきり言うなよ。 一同 (苦笑) ” 自衛官4人匿名座談会 「10万人災害派遣の裏で隊員を 『便利屋』扱いした政治家たち」 - ーーーーー 自衛隊が災害救助隊として使えるというのは本当に居心地が悪い 普段の自衛隊は人殺しの訓練をしているのである その片手間に災害救助をする おかしな話である 専門の災害救助隊を消防団と結合させる形で有効に組織すればどんなに良いだろう
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自衛隊が災害救助隊として使えるというのは本当に居心地が悪い
普段の自衛隊は人殺しの訓練をしているのである
その片手間に災害救助をする
おかしな話である
専門の災害救助隊を消防団と結合させる形で有効に組織すればどんなに良いだろう
日本で災害にあった人はその点でも不幸である
二重の不幸である
“ 私たちはみな、最後には、途中で死にます。 物語の途中で。 たくさんの物語の途中で。 ” 妹からスティーブ・ジョブスへの弔辞
“良い子の諸君!よく使われる「柔能く剛を制す」という言葉には「剛能く柔を断つ」という対句がある。柔軟な方がいいと思ったら大間違いだぞ!”
"4歳男児 このあいだ私がポツリと「何かいいことないかなー」と呟いたら 息子も「○○くんもそうおもう~」と乗ってきた 気になったので「○○のいいことってどんなこと」と聞いてみたら 「えっとね、ごはんがほかほかでゆげがでてることー!」って"
“勤勉に直結するかどうかからはちとずれるが、 白人が蒸気機関で世界中を植民地にしてたとき、 ほとんどの民族は太刀打ちできなかったんだが 蒸気機関を見ただけで造り上げたのは日本人だけですな (しかも、3つの藩が独自に別々に造った) 未だに、アメリカあたりでは歴史の時間に中国人と日本人の違いの説明に この逸話を持ち出すそうだ。 プロジェクトXはなにも戦後だけの話ではない”
“安徽省安慶市に住む何(か)さんは、道路沿いに設置されたATMで現金を引き出そうとした。が、紙幣が出てこない。カードすら取り戻せなくなった。銀行に電話連絡すると「明日、店舗に来てください」と言うばかり。残金のあるカードをその場に残しておくことも不安でしかたない。そこで、電話をかけなおし、「ATMが故障して、現金が次々に出てきます。どうしたらよいのでしょう」と告げた。とたんに店長が行員を従えて飛んできた。”
昔 → 今 と書くとして 1. 内因性うつ病→(メランコリー型うつ病)+新型うつ病 となっているのか 2. 内因性うつ病→内因性うつ病 ? → 新型うつ病 となっているのか というあたりかなと思う 社会状況、教育が変わった結果、人も変わったであるというのは1.なのでしょう 私は2.だと思う。もちろん人も変わっているわけですが。 ? のところが、うまく表現できない 全体にうつ病が非常に増えているのは、1.だと説明できない。2.だと思う。 ーーーーー 自己申告型・制度フル利用型うつ病ですね
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NHKについて 1. 集金の方法 法律に支払いはするものと書いてあるが罰則はない。 そして集金に来る人達の態度が一般市民を苛立たせている面は否めない。 経営として考えても、集金に要する人件費は莫大な無駄であろう。 どうせ取るなら法律を改正して、国税と一緒に徴収すればいいし、 取らない人がいてもいいなら、いっその事、スクランブルをかけたらいい。 BSでは番組の部分的くブロックをしているのだから、すでに部分的に実行しているのと同じである。 集金人が来て何かやり取りするのは、心理的負担であり、 また嫌な人が来る
NHKについて
1.
集金の方法
法律に支払いはするものと書いてあるが罰則はない。
そして集金に来る人達の態度が一般市民を苛立たせている面は否めない。
経営として考えても、集金に要する人件費は莫大な無駄であろう。
どうせ取るなら法律を改正して、国税と一緒に徴収すればいいし、
取らない人がいてもいいなら、いっその事、スクランブルをかけたらいい。
BSでは番組の部分的くブロックをしているのだから、すでに部分的に実行しているのと同じである。
集金人が来て何かやり取りするのは、心理的負担であり、
また嫌な人が来るといけないから払ったほうがいいという判断が生じているかもしれない
そうだとすれば、徹底的に愛されない組織にならざるをえない
素晴らしい人材が素晴らしい高給取りでくだらない仕事をしているくだらない組織であるが
そんな判断よりも、まず集金人がすべての印象を形成してしまうのは、よろしくないことだろうと、
勝手ながら憂慮する。
2.
番組内容について
広告に頼らない放送の独立性を維持しているというのだが、どこが独立しているのか、全く分からない。
広告を出している企業について、民放では伝えることが出来ないニュースを持続的に伝えているかといえば
そんなことは全く無いように思う。
中国の古代歴史とか、海底の謎とか、なぜNHKがやるのか全く理解できない。誰かやったほうがいいことだとは思うが、
NHKがやるべきことなのか、疑問がある。
アマゾンの自然を長時間かけて撮影したり、のど自慢をしたり、ローカルニュースでいかにもくだらないネタを流したり、
韓国支店では遊興費を使い過ぎたり、いかにも昔の組織、選民思想があるように思えてならない。
3.
また、政治家や有力者などの介入があからさまで目に余る。各業界で起こっているのだろうと推定するが、
医学の世界では、全くお話にならないような内容の番組が流されて、悪影響が大きい。
スポンサーはあのあたりとすぐに分かるようなものだが、たぶん、他の業界の事情についても同じような杜撰さなのだろう。
看板と言われているNHKスペシャルが、専門的に見ればとてもおかしなもので、
さらに種々の健康番組や健康セミナーなどはおかしなものがあり、放送だけではなく、地域住民を集めて、
講演会をしたりしているので、広告代金の要らない広告を、有力者や有力業者は利用することができることになる。
そこに癒着がある。
“そもそも「実働能力の低い人でも無理なく仕事が遂行できるようにする」ってのがマネジメントであって、「実働能力の高い人基準で仕事やらせたら能力低い人が潰れました」って、マネジメント失敗してるっていうかハナからマネジメントになってねぇ。”
“ある町議と話してたら「議会の(映像)公開はカメラや放映に数千万円かかるらしく困難だ」と発言。「いやデジカメがあれば、UstやYouTube使って0円でできますよ」「俺100万で引き受けましょうか」と返すとぽかんとしてた。全国の町村議には行政側にだまされている人がまだまだいるはず。”
“仕事のできる人は、仕事のことを考えて仕事しているなぁ。 それ以外の人は、自分のことを考えて仕事しているなぁ。 何をやっていても、常に「自分」が意識にあると、それがじゃまをして仕事をまっとうできない気がする。”
ーー
いや、両方を考えて仕事をすれば一番いいと思うよ。
“ Q:どうして病気の自覚がないの? A:これは難しい質問です。少し難しい説明になるのを許して下さい。 私たちは自分の心の中に起こることをどうやって自覚するのでしょうか。そんなことは当たり前のことで疑問にすることがおかしい,などと言わず一度じっくり考えてみて下さい。私たちは生まれてからこれまでずっと,「自分」でしかありません。他人になったことがある,という人はいないはずです。私たちは自分の目で見,自分の耳で聞き,自分で体験したことしか知りませんし,自分の心の中しか知りません。他人の目で見たり,他人の心
ーーー
病識欠如は
この病気の症状が出てくると,患者さんは自分の心の中の出来事を,周りの世界や他人の心と比較対照して客観的にとらえることができなくなります。自分の心の中の出来事に囚われてしまって,自分の考えや感覚を訂正する心の余裕がなくなってしまいます。
という説明で充分だと思うが
どうして信頼感とかを論じているんだろう
現実検討能力の障害が起こり、
その中に、自分の内部状態についての現実把握能力が失われる事態も含まれる
それが病識欠如である
そしてそれとほぼ同時に、妄想構築が進行して、周囲の人が病気の症状だと主張するいちいちのことが、
本当はたくまれたことであると、被害的な妄想をつくり上げる。
実家で飼ってた猫が、外から友達を連れてくる様になった 真っ黒いうちのヤツと真っ白な友達がじゃれたり、遊んだり、 並んでご飯食べたりしてる光景はなかなか和めた でもその白いの、なにげに毛並みもいい感じだし、そもそも 首輪付けてるしってんで、これは野良では無いと思った俺は、 白猫の飼主に届く様にその首輪に手紙をくくりつけた 文章はどう書いたか忘れたけど、まあこんな感じの内容 「可愛い白猫が遊びに来てくれて家の者が癒されてます」 「うちで○○というエサを食べて帰りました」 「うちのが遊びにいって粗相をしてた
ふとした瞬間に昔の場面が鮮明に蘇る 映像であったり、香りであったり あるいは文章の形のこともある 年月がたてば自分に寛容になるものなのか 体験に伴う痛みの程度は少なくなるように思うし、思い出した時からまた忘れるまでの時間も短くなるようにも思う 世界を知ると 自分の人生もその平均に近い部分のものであったと悟ることができるし 不運もまた通常程度の不運であったと理解することができる 偶然に意味などなかったことも、いまなら普通の心で受け入れることができる 要するに自分はもっと前に進みたいとずっと思っていた
映像であったり、香りであったり
あるいは文章の形のこともある
年月がたてば自分に寛容になるものなのか
体験に伴う痛みの程度は少なくなるように思うし、思い出した時からまた忘れるまでの時間も短くなるようにも思う
世界を知ると
自分の人生もその平均に近い部分のものであったと悟ることができるし
不運もまた通常程度の不運であったと理解することができる
偶然に意味などなかったことも、いまなら普通の心で受け入れることができる
要するに自分はもっと前に進みたいとずっと思っていたのに
前に進む方向も道もよく理解していなかったことになる
いくつかの場面は美化されたまま封じ込められている
また逆に許せない怒りの場面というものも少なからずある
そのときそのときを懸命に生きてきたことは確かだと思う
懸命だったが外部にはそうは見えなかった理由もまた説明できるようにも思う
不思議な感じの、面倒くさい人生である
世間が期待することと自分が希望することとの差は常にあったと思う
その差をつねに自分一人で引き受けて行かなければどうしようもないのだと理解していたと思う
いま私はヘンリライクロフトの手記の文章の意味がよくわかるが
そこを一歩出て、自分の後継者を作りたいと真剣に考え始めている