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だまされるということもまた一つの罪である

朝日新聞より

さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。(略)
日本人全体が夢中になって互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。(略)
だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばっていいこととは、されていないのである。(略)
「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく、まただまされるであろう。
すでに新しくだまされつつあるのかもしれない。
(伊丹万作)

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うつ病についての進化論的解釈-2

うつ病

投資が回収できないなら、もっと投資してみようというのがうつ病である。
人生最初期、子供時代に、養育者を剥奪されたり不適切な養育があったりすると、投資と報酬の基本が学べないままになってしまう。
慢性ストレスに対してどう対処していいか、成功体験がないので、体得できない。
のちの人生での急性ストレスに対しても、どう対処していいのか分からない。
どこまで投資したら報酬が望めて、どの程度以上の投資をしたらもうこれから先は何も望めない、などの判断ができなくなる。ただ闇雲に投資する。
 
こうした対人関係パターンがうつ病に特有の対人関係場面での性格を形成する。
まじめ、誠実、几帳面、その他いろいろ言われるのだが、要するに現実の報酬を期待できないのに投資して、後で恨むというパターンになる。
 
このことについてはセロトニントランスポーター遺伝子部分でのストレス脆弱性が指摘されている。
養育者との安定した愛着関係が、こうした、人生における投資と報酬の基本体験となる。
いい子にしていれば報われるという体験が核になる。
養育者または支配者の期待に応えていれば報酬がある、そのために行動するという回路が形成される。
(儒教倫理的) 
 
投資と報酬の確実なパターンを愛と呼んでもいいのだが、無償の愛とか神の愛とか言われるように、投資を伴わない、極限的な、報酬のみの愛というものが概念化されている。その場合の養育者も極限的な意味のものになる。
(東洋的に言えば世俗の王)
 
従って、宗教の一面として、支配と服従、階級制社会の延長に超越者の概念が、最初はあったものだろう。
投資が過剰になっていて報酬が少ないことにいらだっている状況なので、批判や不公平に対しては敏感になっている。
支配者の欲望や意図に過剰に反応する面がある。
 
競争で敗者になり社会階層が低下すると脳のセロトニンレベルが低下するという研究がある。
セロトニンレベルが元々低いから敗北者でも安定するのかどうかは分からない。
しかしその場合、セロトニンレベルをあげて、やる気を出して再度チャレンジしたところで、成功者の椅子の数は決まっているのだから、誰かはうつ病に指定されることになるのだろうと思われる。
たとえて言えば、高校野球の甲子園球児たちは一チームを残して全員が負けるのである。やる気を出したところで、果てしもなく先があり、必ず負ける。負けたところで人生の上昇は頓挫して、敗北感の中で一生を終わる。
 
人生早期の不適切なストレスがセロトニンシステムを破壊する可能性はある。セロトニンレベルが低くなり、セロトニンに過敏になる。
セロトニン再取り込み阻害薬は自殺の危険を増大させるが、それは敵意といらいらが強いくなることの結果だろう。

ペットロスの事例などがある。ペットを失うことは支配者に服従することとは重ならないと思うのだが、考え方によっては、服従者を失うという意味で、自分の支配者としての位置を失うと言うことなのかもしれない。もちろん、ペットに対して支配者と考えている人は少ないとは思うのでこの考察は当たらない場合が多いだろうと思う。
 
自分の心理を構造化している基盤というか前提が崩れるというか、そんな感じなのかもしれない。
心理の布置が再構成されるまで数ヶ月を要する。

典型的な躁うつ病のうつ症状として
一人にしないでくれと妻に懇願する夫
無力な子供のような仕草と妻は言う
 
躁病

躁病はうつ病と逆の事態であるが、混合状態というものがあり、昔からどう解釈してよいか議論されてきた。
(だから、逆という言い方が、根本的に間違っているのである。) 
 
社会は数多くの人間で構成されているので、社会階級を考えるときにも、ひとりの人間は敗北者であり同時に支配者であるという構図になっている。
たとえて言えば、中間管理職である。その場合は、躁病とうつ病が同居することになるだろう。

躁病は支配者の側面が極端に出ているもので、競争を好む。特に異性と性的な交流を好む。
英雄色を好むと言うが、躁病の人は競争を好み、しばしば支配者となり、同時に躁病の故に好色なのだろう。
魅力的な異性がいるとして、自分はそれにふさわしいと当然のように考えるのが躁病の人たちである。
アイコンタクトが増加し表情は豊かで、体を使ったメッセージも増える。支配者であることを示す態度をとる。
躁病患者は治療者に要求も多いし挑戦的になることも多い。
彼らは勝つか負けるかで人生を測定している。 
 
うつ病の場合は理由のない自信喪失だが、躁病の場合には理由のない自信過剰なので周囲は困り果てる。
たいていは現実把握のずれが指摘できるので、それは精神病の一種として分類されることになる。
過剰な自信だけが抽象的にあるのではなくて、事実関係を歪めてしまうところにまず大きな問題がある。
しかしこれは他人とあまり関わらない生活をしている限りは、他人には関係ないと言えば関係なのである。内心でどんな自信を抱いていようが問題はない。しかしなぜかその自信を外側に持ち出して周囲を困らせるのである。
 
このあたりは単に気分の問題ではないところがあるのだろうと考えられる。気分障害がプライマリーなのかと言えば、それはどうかという気もする。
むしろ、認知の問題なのである。
 
気分の変動があるので現実把握が歪んでしまうのか、現実認識が歪んでいるので気分が変動するのか、両方の可能性がある。
躁病者はリスクを認知しない。ハイリスク戦略をとることが多い。競争に挑むので成功することもあるが全てを失うこともある。
躁病者は投資したものよりも多くの報酬を常に要求している。
社会の中での自分の価値や立場を過大評価している。
たいていは病識がない。
 
躁病者は投資したものよりも多くの報酬を常に要求している。
一種の賭博者である。 
そのことを考えると、うつ病者は投資したものの報酬のなかで「未回収の報酬」に常にこだわっている。 
 
 
軽躁状態であれば現実認識も大きなずれはなく、しかも気分は上がり、周囲に対しても自分に対してもやや過大な評価を与えるのでそれ自体は自分と周囲を幸せにすることがある。周囲の人間に自信と幸福を与えることがある。
現実把握が不正確である故に少し幸せと言えばいいのだろうか。

混合状態は脳の三層構造と関係していて、行動、気分、認知の三種が爬虫類の脳、哺乳類の脳、人類の脳の3つで不一致になっていると考える説が紹介されている。それぞれが関係してはいるが、基本的に独立して動いているとするものである。
3つというのはよくある話でたとえばドパミンとノルアドレナリンとセロトニンでも話はまとまるだろう。
独立しているはずはないのであって、連携の仕方がうまくいっていないということなのだろう。
 
ばらばらに動いているということは、シゾフレニーに近いのであるが。 
 
retarded maniaというものがある。哺乳類脳は躁病で爬虫類脳がうつ病のものである。mixed state のひとつである。

thought-impoverished maniaという類型もある。
競争心は強く、気分は上がり、思考は抑制されている。

単極性うつ病のほうが双極性障害や混合状態よりは研究が進んでいる。

双極性障害や混合状態のほうが遺伝的要因が強く、心理的には不安定だろう。環境により影響される度合いも少ない。

女性は男性の二倍、うつ病になりやすい。
なぜか
 
子育ての事情もあり、女性の方が周囲を頼りにする。
服従理論で言えば、競争の前面にさらされ、直接の選択にさらされる男性の方にうつ病は起こりやすいはずだろう。
男性が社会的地位を失うことは女性よりもダメージが大きい。社会的地位は子孫を残せるかどうかに直接関わる。
 
私見では女性は結局家庭の中でうつになる。男性が会社でうつになるのとは違う。そしてどちらかと言えば、
会社や学校はうつのストッパーとして働いている。家庭ではストッパーがない。 
 
家庭という環境は投資と報酬のはっきりしない場面である。報われないと感じても仕方がない。
報われるべきだと妄想する場合も多い。
社会があれば妄想の訂正に役立つが、家庭は社会ではないので、訂正の機会がない。 
 
うつ病は全世界的に増加しつつある。職場でも配偶者選択でも世界規模になってくると競争もきつくなって、うつ病が発生しやすくなる。
いつでも競争に勝てるようにして、魅力的にしておく必要がある。
さらに西欧諸国では助け合いよりも個人主義が隆盛で、社会的援助が受けにくい。国家による援助ではお金が払われるけれども、直接の優しさや安らぎはない。

高齢化するとうつ病は起こりやすくなる。血縁からの援助が得られなくなるからだろう。
人間の心の進化を社会構造の変化が追い越してしまっている。



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心理的対人距離と心理的人口密度

言葉として簡単なので心理的対人距離と言っているが
心理的対人距離によって心理的人口密度があって
何かの調整が働くのではないかと思う

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技法の拡張

CBTをSに使えるかというのは技法の拡張の問題で興味深い点がある
一見すると症状を悪化させそうなのでやめておきたい感じはする
しかし条件を整えて、トライするのならば、それはそれで意味があると思う

ーー
昔の話、大きく神経症水準と精神病水準とに病態を分けて、
精神分析は神経症水準の病態に対して施行すると考えられた
しかしたとえばユングなどは精神病水準に対してもトライしていたし
フロイトもそうだった

最初に神経症水準の病態と考えられたものが
精神分析的操作をしていくと精神病水準に変容するケースが見られ、
境界型と呼ぶようになった歴史がある

精神分析は退行現象と関係し
退行を促進する側面があるので
ケースによってはこのようなことが起こる

ーー
CBTの適応を拡大していくことで
どのような現象が起こるものなのか
未知の世界である

ーー
幻聴で嫌なことを言われると嫌な気分に違いないので
不安が大きくなる

幻聴が消えれば一番いいけれども
まずは幻聴によって発生するる不安を小さくすることを
CBTの目標としていいのではないだろうか



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女子バレーのコミュニケーション

女子バーレーを見ていると
コミュニケーションが過剰であるように思う

成功しても失敗しても
何が何でもみんなで手を打ち合わせている

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国民への説得と国民の納得

最近の政治
国民への説得と国民の納得が欠けている

白紙の委任状をあずかっていると勘違いしている

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被害妄想と加害妄想

思春期妄想症や自我漏洩症候群では
どちらかと言えば自分が加害者になっているという妄想であり
それは精神病水準の対人恐怖症でも言えることだと思う

一方で典型的な統合失調症では被害妄想が主体となる
また妄想性人格障害では典型的に被害的確信が中核となる

この様子をハリネズミでイメージすると分かりやすいのだが
加害妄想では自分の棘が長すぎて周囲の人を苦しめていると感じる
血を流しているのは他人である
被害妄想では他人の棘が長すぎて自分が苦しいと感じる
血を流しているのは自分である

結局このような対称性を維持することができるのではないかと思う

ーー
うつ病の系統ではもちろん自責があるので
それは申し訳ない、自分が加害者であるという気持につながる
この場合、他人の棘で、自分が血を流している

自分が血を流すのは誰でもいやだろう
一方で
他人が血を流すことには耐えられないというのは
何かもう一段の心の仕組みが必要であるように感じられる

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短距離と長距離、水泳と陸上

夜、女子マラソンがテレビで流れていた
もう日本女子は昔のように強い感じではなかった
かわりにケニアの選手などが強いらしい

日本女性が特別にマラソンに向いているわけでもなく
特別食べ物が適しているとかトレーニング方法がいいとか
性格的に向いているとかでもない様子だ

心肺機能と筋肉でいえばなんとなくケニアの選手のほうが
走るには適している感じがする
短距離と長距離では筋肉が違うとか言われていたものだが
ケニアの人たちはどちらでも速そうだ

水泳はたくさんのメダルをとっているが概ね短距離ではないか
中国人選手が1500メートルを泳ぎ、自分の持つ世界記録を全く孤独に更新して金メダルを獲っていた
なにかすごいものだった

マラソン的長距離と水泳的長距離は時間、距離とも違いがあるのでなんとも言えないのだろうが
日本女子が短距離水泳と長距離陸上で強いことを考えると理屈に合わなくて
要するに選手発掘の仕組み、指導者問題、選手として生活する経済的環境、などがもたらした
偶然要素が強いのだろうか

日本では駅伝とか盛んなのでそのあたりから、短距離よりは選手発掘の下地ができているのだろう

ーー
男子平泳ぎの北島選手とか、昔は女子マラソンの高橋選手とか、
コーチから離れて、独自にやってみるといって、結果はあまり良いものではなかった

しかしそれでも自分でやってみたいと思うくらい、コーチというものは問題をはらんでいるものなのだろうか

ーー
ロンドンは雨が降っていて、選手は雨の中を走っていた
今日、東京は雨

そして広島の追悼の日



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症状として問題となる幻聴や妄想の種類

妄想の場合、もちろん、あらゆる種類のものが妄想といえるものになるのだろうが、
その中で生活に支障が出るものといえば
被害妄想などなのだろう

幻聴の中でも、被害的幻聴が一番気に触るものなのだろう
励まし幻聴などならば
オリンピックの本番で緊張しているときなど
むしろ好都合な幻聴となるはずだろう
しかしまた一方で、
被害的幻聴は、人を慎重にさせることに役だっているもしれない







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神経症と共感覚

神経症の典型は転換症状であり
たとえば「提示された条件が飲めない」ことを
象徴的に「水が飲めない」という症状に転換している

これは一種の共感覚であると見えないこともない

倫理的に許されない感情を抑圧して
運動器に症状を呈する場合も
共感覚を介した象徴化といえるのだろう

共感覚的な経路を通過しないものは
むしろ妄想と考えられるのだが
ではどの連関が共感覚的であるかということに関して言えば
判断者の能力に依存することになってしまうだろう

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公共事業動き出す

永田町や霞が関で起きたことをつぶさに観察していてこう思う。「このままでは消費税30%になっても財政は黒字化しない。やがて本当に、日本 はギリシャと同じになるかもしれない」と。 

消費増税法案が衆院を通過した3日後、国土交通大臣は整備新幹線の未着工3区間の建設開始を認めた。これで総事業費3兆円の大公共事業が動き出すことになる。現在国交省は 、毎年150億円ほどの税金を使って北海道と北陸の新幹線建設を進めている。 

この3区間の中には、北陸新幹線を金沢から福井県敦賀市に延ばす計画も含まれているが、日本で最もたくさんの原発を抱え、全原発停止後初の再稼働を決めた福井県に対する論 功行賞のようにも見える。 

一方で自民党は、今国会に10年間で200兆円の公共事業費をつぎ込む「国土強靭(きょうじん)化基本法案」を提出し、消費税引き上げのもう一人の主人公である公明党も2 010年で100兆円規模の公共事業計画をぶち上げている。 

消費税10%にして増える税収は、他の税収が減らないと仮定して、最大13兆円余りでしかない。それなのに、その消費税引き上げが本決まりになった瞬間に、このタガの外れ 方は何とも異様だ。 

※週刊朝日 2012年7月20日号

人口減少する国土に何を作っても誰が使うというのだろう
将来移民を多く受け入れるとでも言うのだろうか
移民の皆さんが使えるように整備しておこうというのだろうか

ーーー
単純割り算の人口密度ではなく
「ある種の人口密度」が大きすぎるので
いじめも起こるし、子供を産まないという選択も発生しているのではないだろうか




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躁うつと不安の関係

躁うつと不安の関係についてはいろいろと議論がある

不安の回路というものは言われていて
その暴走とか間違ってスイッチが入るとかも言われている

自分が躁うつ病になったとして当然不安になるが
その不安とは別に、躁うつ病の経過の中で病的不安が発生するのかという問題はある

Krainesによる気分曲線を参考にしてみると
単極性にしても双極性にしても正常からうつヘの過渡期、また躁状態からうつ状態への過渡期に
不安定な時期があり
それを不安焦燥状態と名付けるべきなのか、躁うつ病ならば混合状態と名付けるべきなのか、
問題がある

加藤敏氏はKrainesのグラフに注釈を付け加えて、
不安・焦燥優位型または混合状態と書いている
このあたりは良いヒントになるのではないかと思う

ーー
不安生障害の分類の中に
パニック障害、アゴラフォビアあり・なし
GAD
SAD
OCDなどがあって
お互いにどのような関係にあるものか
不安といってもどのような性質のものであるのか
はっきりしない

抗不安薬やSSRI、SNRIが効くだろうといえばそうなのではあるが
どこに効いているものなのかはっきりしたものではない

ーーー
        場面依存+            場面依存-

強い不安  アゴラフォビアありPD    アゴラフォビアなしPD

弱い不安  GAD                            SAD

というような分類

ーーー
正常からうつ、躁状態からうつ、うつから正常、うつから躁状態、その途中で不安・焦燥が見られる

このことをどう説明できるだろうか

ひいては不安焦燥とは何か

ーーー
不安は未来に属するし、学習に属するだろうと思う

記憶がなければ不安もないだろうと観察される
記憶がなくても恐怖はあると思う

強迫性障害の場合の不安は性質としてPD,GAD,SADと同じ系統のものなのだろうか、
疑問がある

ーーー
学習性、記憶性のものであれば、
脱学習によって解決できそうな気もする

ーーー
学習には強い学習と弱い学習があり、中間にさまざまな程度がある
一番強いものは一生に一度限りの学習で
人生最初の刷り込みなどがそれにあたる

人生の適切な時期に適切な学習がされるようにプログラムされているのだが
何かの事情でそれがうまく行かず
時に適さない強い学習が起こった場合に
訂正しにくい強い不安が生じるように考えている

この系列の説明でPA,SAD,OCDなどは説明できそうである

しかしこうした系列の話と
Krainesによる気分曲線に注釈として描かれた不安焦燥とが
どのように関係しているのかよく分からない

一つのヒントはGADと気分変調症(ディスチミア)が類縁のもので
むかしはまとめて神経症性うつ病または抑うつ神経症と呼ばれていたことだ

神経症性というのだから確かに学習性のものに違いにない
そして抑うつと関係がありそうである

ーーー
その先、よく分からない

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ドラマの展開の緩さ

NHKの朝ドラとか韓国ドラマは
展開が緩くて、半分寝ていても、話のつながりを見失うこともない

NHKの大河ドラマ平清盛は毎回があらすじだけという感じで
早いけれども話が浅い
これでは感動するとかむつかしい

シャーロック・ホームズ2は早くて内容が盛りだくさんで
しっかり見ていないと話しについていけなくなる

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30人学級でも多すぎるとの議論

もちろん、何を教育の目標にするのかによって違いがあるのだが
いずれにしても、30人学級でも多すぎるというのは
どういう事情なのかを考えなければならない

何かの密度が高すぎる
何の密度だろう

比喩的には棘が長すぎるのだと言えるのだが
そして刺される皮膚が弱すぎるといえるのだが

具体物として何が過剰で何が不足なのか

教育ではモンスター・ペアレントが話題になるが
そのあたりから考えると子供の問題ではないのかもしれない
子供は親の心のスクリーンでしかない可能性がある

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恐怖は現在であり 不安は未来である

恐怖は現在であり
不安は未来である

ーー
記憶、学習、未来予想がなければ、不安は成立しないのではないかと思う。
記憶、学習、未来予想がなければ、現在の眼の前にある現実の恐怖があるだけだ。

ーー
記憶、学習、未来予想の機能が不安定になれば
不安回路が状態にそぐわない形で暴発する

理由のない不安である

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The way to a man's(woman's) heart is through his stomach.

The way to a man's(woman's) heart is through his stomach.
(異性の心を攻略するにはまず胃袋から)」ということわざ

食事を誰かと一緒に食べることの重要性を指摘する論文は多い。
過去の研究では、定期的に家族で食卓を囲むことによって、少女たちの不健康な食習慣を予防し、
若者の薬物乱用を減らし、健康な食生活を育むということが示されている。



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迷惑施設

迷惑施設の運営についてはだいたい決まった構図があるらしい

最近では反対の住民運動がある
しかし大部分は補助金で潤うし雇用も生まれるしで
要するに迷惑料としての金銭的見返りがあるのでだいたいは賛成に回る
そのようにして地域では少数反対と多数賛成の構図があり
もっと地域を広く取れば
地域エゴはよくない、公共の利益が優先だとかいって、
賛成で落ち着く

ーー
原発とか米軍基地とかが迷惑施設かどうかは保留が必要であるが
どの程度の金銭的補助が出ていて
それがどのように使用され分配されているのか
詳細なデータがほしいものだと思う

ーー
今回の原発再稼働問題は
地元賛成vs世論反対のようでもある

これがこれまでと様子が違うところである

これまでは誰が迷惑を引き受けるかという問題で
結局は貧困が背景にあり、反対を封殺する政治があり、だったのが
住民でない人が「原発を停止して廃炉にして欲しい」と声を上げている点が
大きく違う

 



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オリンピックと国体と運動会

オリンピックと国体と運動会は思想的につながっているものだと思うが
どうなんだろう

ーーー
報道でも、日本人ではなくても素晴らしい選手の紹介とか
日本人が出場していないような、あまり馴染みのない競技の紹介とか
教養番組的な作り方もあるのではないかと思う

画像の放映権とかあるので、今日のベスト選手などの紹介は難しいのかもしれないが



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水ようかんのパックの仕方

ゼリーとか水ようかんとかのパックの仕方に興味がある
熱か圧かで接着していて
あけるときにはわずかに陽圧になり
水分がこぼれそうになる

どのようにして製造過程でパックしているのだろうか

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公約違反は禁じ手ではない

現在の日本のような間接民主主義制の場合には
有権者は議員を選ぶことが出来るだけで
議員となった人間ががどのような決定をするかを強制することはできない

だから公約は、破ってもペナルティのない約束である
もちろん、次の選挙がどうなるかは不安だろう

しかし有権者にすれば
次の選挙で意見をいう事が出来るだけである

一度選んでしまった議員が何を発言しようと止める権利もない
できるのは次に当選させないことだけなのである

選挙制度には嘘をついた事の罪を罰する規定はない
それが落選につながることもあり、つながらないこともあるというだけである

ーーー
増税しないと公約して当選する
増税する
次の選挙では落選する

しかしその時に当選した議員を「洗脳」して
次の増税をさせればよい
「洗脳」には「ネガティブ情報」の活用と「老後の安泰」の2つがあるだろう
アキレス腱を持たない人間はない

このようにして、いつでも増税できることになる

いつでも考えの足りない一般市民の知能と情報の不足を補うために
間接制民主主義があるのである

ーー
ということになっているが、
結局、国民でもない、議員でもない、「決定者」が存在してもいいことになる
のだろう

議員として、公約を破り、次の選挙には当選できない、
そのような状況を受け入れてまで、実現したい政策とは何なのだろう

普通はそれを公約にするから選挙制度というものが
意味のあるものになるのではないか

ーー
これが例えば識字率の低い、
宗教政党ばかりの、
どうしようもない一般選挙というならば
話も別だ

現実国民の意志と
理想国民の意志とは別物だとの議論も成り立つ

そして民意の成熟を待つのは
時間の無駄だと言ってもいいだろう

しかし日本もそうだというのだろうか

ーー
 仮に、消費税率引き上げが正しい政策だと思ったのであれば、公約を作り直して総
選挙をやって、それから決めたら良かった。それが、普通の政治の筈です。実施が来
年、再来年であることからも分かるように、消費税率引き上げは、原発事故対策のよ
うに緊急を要する問題ではありません。選挙をする時間的余裕は十分ありました。

という意見はあるが
それは勘違いだろう


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