だまされるということもまた一つの罪である
さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。(略)
日本人全体が夢中になって互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。(略)
だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばっていいこととは、されていないのである。(略)
「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく、まただまされるであろう。
すでに新しくだまされつつあるのかもしれない。
(伊丹万作)
うつ病についての進化論的解釈-2
典型的な躁うつ病のうつ症状として
一人にしないでくれと妻に懇願する夫
無力な子供のような仕草と妻は言う
心理的対人距離と心理的人口密度
心理的対人距離によって心理的人口密度があって
何かの調整が働くのではないかと思う
技法の拡張
CBTをSに使えるかというのは技法の拡張の問題で興味深い点がある
一見すると症状を悪化させそうなのでやめておきたい感じはする
しかし条件を整えて、トライするのならば、それはそれで意味があると思う
ーー
昔の話、大きく神経症水準と精神病水準とに病態を分けて、
精神分析は神経症水準の病態に対して施行すると考えられた
しかしたとえばユングなどは精神病水準に対してもトライしていたし
フロイトもそうだった
最初に神経症水準の病態と考えられたものが
精神分析的操作をしていくと精神病水準に変容するケースが見られ、
境界型と呼ぶようになった歴史がある
精神分析は退行現象と関係し
退行を促進する側面があるので
ケースによってはこのようなことが起こる
ーー
CBTの適応を拡大していくことで
どのような現象が起こるものなのか
未知の世界である
ーー
幻聴で嫌なことを言われると嫌な気分に違いないので
不安が大きくなる
幻聴が消えれば一番いいけれども
まずは幻聴によって発生するる不安を小さくすることを
CBTの目標としていいのではないだろうか
女子バレーのコミュニケーション
コミュニケーションが過剰であるように思う
成功しても失敗しても
何が何でもみんなで手を打ち合わせている
被害妄想と加害妄想
どちらかと言えば自分が加害者になっているという妄想であり
それは精神病水準の対人恐怖症でも言えることだと思う
一方で典型的な統合失調症では被害妄想が主体となる
また妄想性人格障害では典型的に被害的確信が中核となる
この様子をハリネズミでイメージすると分かりやすいのだが
加害妄想では自分の棘が長すぎて周囲の人を苦しめていると感じる
血を流しているのは他人である
被害妄想では他人の棘が長すぎて自分が苦しいと感じる
血を流しているのは自分である
結局このような対称性を維持することができるのではないかと思う
ーー
うつ病の系統ではもちろん自責があるので
それは申し訳ない、自分が加害者であるという気持につながる
この場合、他人の棘で、自分が血を流している
自分が血を流すのは誰でもいやだろう
一方で
他人が血を流すことには耐えられないというのは
何かもう一段の心の仕組みが必要であるように感じられる
短距離と長距離、水泳と陸上
夜、女子マラソンがテレビで流れていた
もう日本女子は昔のように強い感じではなかった
かわりにケニアの選手などが強いらしい
日本女性が特別にマラソンに向いているわけでもなく
特別食べ物が適しているとかトレーニング方法がいいとか
性格的に向いているとかでもない様子だ
心肺機能と筋肉でいえばなんとなくケニアの選手のほうが
走るには適している感じがする
短距離と長距離では筋肉が違うとか言われていたものだが
ケニアの人たちはどちらでも速そうだ
水泳はたくさんのメダルをとっているが概ね短距離ではないか
中国人選手が1500メートルを泳ぎ、自分の持つ世界記録を全く孤独に更新して金メダルを獲っていた
なにかすごいものだった
マラソン的長距離と水泳的長距離は時間、距離とも違いがあるのでなんとも言えないのだろうが
日本女子が短距離水泳と長距離陸上で強いことを考えると理屈に合わなくて
要するに選手発掘の仕組み、指導者問題、選手として生活する経済的環境、などがもたらした
偶然要素が強いのだろうか
日本では駅伝とか盛んなのでそのあたりから、短距離よりは選手発掘の下地ができているのだろう
ーー
男子平泳ぎの北島選手とか、昔は女子マラソンの高橋選手とか、
コーチから離れて、独自にやってみるといって、結果はあまり良いものではなかった
しかしそれでも自分でやってみたいと思うくらい、コーチというものは問題をはらんでいるものなのだろうか
ーー
ロンドンは雨が降っていて、選手は雨の中を走っていた
今日、東京は雨
そして広島の追悼の日
症状として問題となる幻聴や妄想の種類
その中で生活に支障が出るものといえば
被害妄想などなのだろう
幻聴の中でも、被害的幻聴が一番気に触るものなのだろう
励まし幻聴などならば
オリンピックの本番で緊張しているときなど
むしろ好都合な幻聴となるはずだろう
しかしまた一方で、
被害的幻聴は、人を慎重にさせることに役だっているもしれない
神経症と共感覚
たとえば「提示された条件が飲めない」ことを
象徴的に「水が飲めない」という症状に転換している
これは一種の共感覚であると見えないこともない
倫理的に許されない感情を抑圧して
運動器に症状を呈する場合も
共感覚を介した象徴化といえるのだろう
共感覚的な経路を通過しないものは
むしろ妄想と考えられるのだが
ではどの連関が共感覚的であるかということに関して言えば
判断者の能力に依存することになってしまうだろう
公共事業動き出す
人口減少する国土に何を作っても誰が使うというのだろう
将来移民を多く受け入れるとでも言うのだろうか
移民の皆さんが使えるように整備しておこうというのだろうか
ーーー
単純割り算の人口密度ではなく
「ある種の人口密度」が大きすぎるので
いじめも起こるし、子供を産まないという選択も発生しているのではないだろうか
躁うつと不安の関係
不安の回路というものは言われていて
その暴走とか間違ってスイッチが入るとかも言われている
自分が躁うつ病になったとして当然不安になるが
その不安とは別に、躁うつ病の経過の中で病的不安が発生するのかという問題はある
Krainesによる気分曲線を参考にしてみると
単極性にしても双極性にしても正常からうつヘの過渡期、また躁状態からうつ状態への過渡期に
不安定な時期があり
それを不安焦燥状態と名付けるべきなのか、躁うつ病ならば混合状態と名付けるべきなのか、
問題がある
加藤敏氏はKrainesのグラフに注釈を付け加えて、
不安・焦燥優位型または混合状態と書いている
このあたりは良いヒントになるのではないかと思う
ーー
不安生障害の分類の中に
パニック障害、アゴラフォビアあり・なし
GAD
SAD
OCDなどがあって
お互いにどのような関係にあるものか
不安といってもどのような性質のものであるのか
はっきりしない
抗不安薬やSSRI、SNRIが効くだろうといえばそうなのではあるが
どこに効いているものなのかはっきりしたものではない
ーーー
場面依存+ 場面依存-
強い不安 アゴラフォビアありPD アゴラフォビアなしPD
弱い不安 GAD SAD
というような分類
ーーー
正常からうつ、躁状態からうつ、うつから正常、うつから躁状態、その途中で不安・焦燥が見られる
このことをどう説明できるだろうか
ひいては不安焦燥とは何か
ーーー
不安は未来に属するし、学習に属するだろうと思う
記憶がなければ不安もないだろうと観察される
記憶がなくても恐怖はあると思う
強迫性障害の場合の不安は性質としてPD,GAD,SADと同じ系統のものなのだろうか、
疑問がある
ーーー
学習性、記憶性のものであれば、
脱学習によって解決できそうな気もする
ーーー
学習には強い学習と弱い学習があり、中間にさまざまな程度がある
一番強いものは一生に一度限りの学習で
人生最初の刷り込みなどがそれにあたる
人生の適切な時期に適切な学習がされるようにプログラムされているのだが
何かの事情でそれがうまく行かず
時に適さない強い学習が起こった場合に
訂正しにくい強い不安が生じるように考えている
この系列の説明でPA,SAD,OCDなどは説明できそうである
しかしこうした系列の話と
Krainesによる気分曲線に注釈として描かれた不安焦燥とが
どのように関係しているのかよく分からない
一つのヒントはGADと気分変調症(ディスチミア)が類縁のもので
むかしはまとめて神経症性うつ病または抑うつ神経症と呼ばれていたことだ
神経症性というのだから確かに学習性のものに違いにない
そして抑うつと関係がありそうである
ーーー
その先、よく分からない
ドラマの展開の緩さ
展開が緩くて、半分寝ていても、話のつながりを見失うこともない
NHKの大河ドラマ平清盛は毎回があらすじだけという感じで
早いけれども話が浅い
これでは感動するとかむつかしい
シャーロック・ホームズ2は早くて内容が盛りだくさんで
しっかり見ていないと話しについていけなくなる
30人学級でも多すぎるとの議論
いずれにしても、30人学級でも多すぎるというのは
どういう事情なのかを考えなければならない
何かの密度が高すぎる
何の密度だろう
比喩的には棘が長すぎるのだと言えるのだが
そして刺される皮膚が弱すぎるといえるのだが
具体物として何が過剰で何が不足なのか
教育ではモンスター・ペアレントが話題になるが
そのあたりから考えると子供の問題ではないのかもしれない
子供は親の心のスクリーンでしかない可能性がある
恐怖は現在であり 不安は未来である
不安は未来である
ーー
記憶、学習、未来予想がなければ、不安は成立しないのではないかと思う。
記憶、学習、未来予想がなければ、現在の眼の前にある現実の恐怖があるだけだ。
ーー
記憶、学習、未来予想の機能が不安定になれば
不安回路が状態にそぐわない形で暴発する
理由のない不安である
The way to a man's(woman's) heart is through his stomach.
迷惑施設
迷惑施設の運営についてはだいたい決まった構図があるらしい
最近では反対の住民運動がある
しかし大部分は補助金で潤うし雇用も生まれるしで
要するに迷惑料としての金銭的見返りがあるのでだいたいは賛成に回る
そのようにして地域では少数反対と多数賛成の構図があり
もっと地域を広く取れば
地域エゴはよくない、公共の利益が優先だとかいって、
賛成で落ち着く
ーー
原発とか米軍基地とかが迷惑施設かどうかは保留が必要であるが
どの程度の金銭的補助が出ていて
それがどのように使用され分配されているのか
詳細なデータがほしいものだと思う
ーー
今回の原発再稼働問題は
地元賛成vs世論反対のようでもある
これがこれまでと様子が違うところである
これまでは誰が迷惑を引き受けるかという問題で
結局は貧困が背景にあり、反対を封殺する政治があり、だったのが
住民でない人が「原発を停止して廃炉にして欲しい」と声を上げている点が
大きく違う
オリンピックと国体と運動会
オリンピックと国体と運動会は思想的につながっているものだと思うが
どうなんだろう
ーーー
報道でも、日本人ではなくても素晴らしい選手の紹介とか
日本人が出場していないような、あまり馴染みのない競技の紹介とか
教養番組的な作り方もあるのではないかと思う
画像の放映権とかあるので、今日のベスト選手などの紹介は難しいのかもしれないが
水ようかんのパックの仕方
熱か圧かで接着していて
あけるときにはわずかに陽圧になり
水分がこぼれそうになる
どのようにして製造過程でパックしているのだろうか
公約違反は禁じ手ではない
有権者は議員を選ぶことが出来るだけで
議員となった人間ががどのような決定をするかを強制することはできない
だから公約は、破ってもペナルティのない約束である
もちろん、次の選挙がどうなるかは不安だろう
しかし有権者にすれば
次の選挙で意見をいう事が出来るだけである
一度選んでしまった議員が何を発言しようと止める権利もない
できるのは次に当選させないことだけなのである
選挙制度には嘘をついた事の罪を罰する規定はない
それが落選につながることもあり、つながらないこともあるというだけである
ーーー
増税しないと公約して当選する
増税する
次の選挙では落選する
しかしその時に当選した議員を「洗脳」して
次の増税をさせればよい
「洗脳」には「ネガティブ情報」の活用と「老後の安泰」の2つがあるだろう
アキレス腱を持たない人間はない
このようにして、いつでも増税できることになる
いつでも考えの足りない一般市民の知能と情報の不足を補うために
間接制民主主義があるのである
ーー
ということになっているが、
結局、国民でもない、議員でもない、「決定者」が存在してもいいことになる
のだろう
議員として、公約を破り、次の選挙には当選できない、
そのような状況を受け入れてまで、実現したい政策とは何なのだろう
普通はそれを公約にするから選挙制度というものが
意味のあるものになるのではないか
ーー
これが例えば識字率の低い、
宗教政党ばかりの、
どうしようもない一般選挙というならば
話も別だ
現実国民の意志と
理想国民の意志とは別物だとの議論も成り立つ
そして民意の成熟を待つのは
時間の無駄だと言ってもいいだろう
しかし日本もそうだというのだろうか
ーー
という意見はあるが
それは勘違いだろう