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フェアーな完全犯罪

フェアーな完全犯罪って
成立する感じですか?

犯罪という以上、他人の権利を侵害したりしているんでしょうね
だからフェアーということはありえないんでしょう

ーー
正しい手段で正義を完成するスーパーマン

不正な手段を使ってでも正義を実行するバットマン

-------------------------------------------------
正しい手段のみを用いて完全犯罪を実行するということはありうるものでしょうか?

手段は全く正しいのに
結果は犯罪であるということがあるんでしょうか

など 



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絵文字

[晴れ][イベント][電話][携帯電話][NEW][右斜め上][喫茶店][exclamation][1][2][3][決定][黒ハート][揺れるハート][失恋][ハートたち(複数ハート)][わーい(嬉しい顔)][ひらめき][パンチ][時計][車(セダン)][新幹線][猫]

sonetの内部にも
一応こういう絵文字があるが
かわいくないし
使いようがないような気がする

デコメ絵文字

$+゜*。:゜まりりんのデコメ絵文字倉庫+゜*。:゜

こんな感じで拾ってきたらいいのかな
みんなのデコメ広場

 

 まりりんのデコメ絵文字倉庫

 +゜*。:゜まりりんの画像部屋+゜*。:゜    +゜*。:゜まりりんの画像部屋+゜*。:゜    +゜*。:゜まりりんの画像部屋+゜*。:゜      +゜*。:゜まりりんの画像部屋+゜*。:゜     +゜*。:゜まりりんの画像部屋+゜*。:゜

   まりりんのデコメ絵文字倉庫 

t00200020_0020002010237470634.gif     t00240021_0024002110237464740.gif      t01040020_0104002010237461246.gif     t01140020_0114002010237461248.gif     t00200020_0020002010237470633.gif     t00900020_0090002010443293853.gif  



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神経言語プログラミング Neuro-Linguistic Programming: NLP

神経言語プログラミング(しんけいげんごプログラミング、神経言語学的プログラミングとも, Neuro-Linguistic Programming: NLP)とは、 ジョン・グリンダー(言語学者)とリチャード・バンドラーによって始められたコミュニケーション技法自己啓発技法・心理療法技法を中心とした体系である。

NLPは、催眠療法ミルトン・エリクソンゲシュタルト療法フリッツ・パールズ (en) 、家族療法ヴァージニア・サティア (en) が意識的・無意識的に用いていたテクニックを体系化したもの。

NLPは、プロフェッショナルな信頼性に欠け、効果を実証する不十分な経験的証拠 (empirical evidence) しかないため、一般の社会科学からは広く無視されている[1][2]。そして、主に心理学者からなる批判者たちから、NLPという名前、コンセプト、使用する用語が問題にされ、無批判に受け入れられる[1]極端な心理療法または疑似科学的な特徴を持っていると見なされている。

 

1980年代初頭、NLPは心理療法とカウンセリングの重要な進歩ともてはやされ[3] カウンセリング研究や精神医療から一定の注意を惹いていた。NLPが紹介された頃は、セラピー上の突破口と予告され、業界紙に訓練ワークショップ、ビデオ、本の広告が出始めていた[3]。NLPは心理治療の現場で使用され、のちにビジネスや教育などの分野でも応用された。

1980年代中頃になると、カウンセリング心理学ジャーナル (The Journal of Counseling Psychology)[4]や、全米研究評議会 (NRC) などで[5]PRSやNLPの仮説には、支持するデータや、実証できる基礎的データがほとんどまたは一切ないことが発表された。PRSに焦点を当てたクリストファー・シャープリーのカウンセリング心理学ジャーナルでの研究発表は[6]、 NLPにカウンセリングツールとしての有用さを証明するものはほとんど無いと結論づけた。1998年には、マイケル・ヒープも、客観的で公正な調査においてNLPが主張するPRSを支持するものは一つもなかったとの結論に達した[2]

NLPを無批判な態度で受け入れる人、セミナー、著作が多数ある一方で、一般の社会科学にはまったく採り上げられていない[1]。例えば、シェフィールド・ハラム大学のハートリーが現在の社会心理学の概要として、学生に勧めた3冊の教科書を確かめてみたところ、どの書にも少なくともインターパーソナル・コミュニケーションの章が1つはあるが、NLPやその理論家は掲載されていなかった。NLPの主張する理論やどう機能するのかを研究する試みはあったが、その数は少なく、売られている「ガイドブック」などの販売部数との差がかなりあり、バランスが悪い[1]

神経言語プログラミングのアプローチは、現在さまざまな団体でセミナーが行われている。 様々なNLPの研究家がアプローチを付け加えた結果、内容は多岐にわたるようになっている。 団体によっても違いがあり、ほとんどの団体で技法そのものを商品としていることから、セミナー以外の書籍で紹介されることが多い技法を記述する。

アンカリング
記憶感情が、直接は関係ないものと結びついている状態のこと。(ある映画を見ると、決まって父のことを思い出す等)これを利用して、(例えば)ある動作と肯定的な心理状態を結びつけ、動作によって肯定的な心理状態を作り出す。
リフレーミング
物事の意味付けを変えること。例えば、「悪いことばかり考える」ことに、「慎重でよい」という評価を加えることで、肯定的になる。
VAKシステム
人の認知の種類を視覚・聴覚・体感覚に分け、どの知覚を通せば、相手とコミュニケーションがとりやすいかを考える。
アイ・アクセシング・キュー
目の動きによって、相手が考えている概要を知り、接近の手がかりとする。

 

 



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自分に見えるものと他人に見えるもの

人間には自己イメージがあり
それなりに自分のことは自分が一番良く知っていると思っている

カウンセラーには
患者さん自身に見えていないがカウンセラーには見える患者さんの部分がある
背中とか耳の穴の中とか

それはやはり意味があると思う

ーー
人間は四六時中情報を集めているし運動を外部に向けて発信しているので
その点では自分に関する情報のすべてを自分が管理しているということになるだろう

しかしながらその全体を見るのが自分であるので
「盲点」があれば当然そこは見えないことになってしまう

抑圧があれば見ないですまそうとするものだし
スプリッティングがあれば見えないままで疑問にも思わない

ーー
自分には見えない所が見えていると言いはるカウンセラーを信じるも信じないも
その人の判断であるが

信じるも信じないもやはり
盲点、抑圧、スプリッティングの構造の中で処理されるので
やはり見えないものなのだと思う



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秋になって日差しが変化している

秋になって日差しが変化している
夕日を横から受けるあなたから恥じらいがこぼれるようだ
こんなにもきれいな人がこんなにも自信なく生きているなんて信じられない

柔らかい耳たぶのあたりで日差しが遊んでいるようだ

やっぱり笑顔が一番かわいいです 



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対人関係分析→葛藤分析でずいぶん整理で来てしまうのではないか

マズローの欲求の階層表なんかでもみるように
現代日本ではすでに下位の欲求は
満たされているので
あとは上位の欲求
するとたいていは対人関係になる
自己実現を対人関係と関係なく実行できる人はずいぶん偉い
たいていは自己実現も
他人に承認されるという要素が強いと思う
自己実現で短歌やるなら
孤独にやれっていいたい
みんなで結社をつくって
ボスの周りで
寵愛を競い
結局はあられもない肉体関係で
婚外子を儲けた女性が
なんか偉いとかそんな感じで
何が短歌の道なんだろうか

対人関係の問題だと
結局、二つくらいのパターンで
嫌な人と離れられない
好きな人と近づけない
そういうことでしょう

嫌いな上司といつまでも離れられないとか
嫌な親と離れられない
嫌な担任と離れられない
嫌な子供がまとわりついてくる
恋人が嫌になっているんだけれども
仕事の関係で離れられない
夫婦ならローンと子育てで離れられない
逆に
近づきたいけどどうしようもないというのが
不倫とか
そんなたぐい
対人関係の悩みって
CATとかIPT的に簡略化すれば
この2つくらいじゃないか?
むかしからいう
思うに別れ、思わぬに添う
嫌いな上司とわかれられればそれでいいはず
お金欲しいからそうはできない

嫌いな人から遠ざかる、好きな人に近づく
が原則じゃないかな
それがいい対人関係だよ

嫌いな人と近くにいて喧嘩したり緊張しているのが
良くない対人関係

嫌いな人も好きになってしまえというのも
昔からあるし
ある程度できるけれども
今の日本社会では
我慢しないで済ませられないかと
みんな望んでいると思う
忍従は
価値を置かれていない

一般化できそう
まずその人の対人関係の実情を聞くでしょう

たいてい、嫌いなんだけど、離れられない
または好きなんだけど、近づけない
でも前者が圧倒的に多い
なぜなのかというと、
コンフリクトがあるから
嫌いな上司を嫌いといってしまうと失業する
など

だから対人関係が整理できない背景にはコンフリクトがある
コンフリクトを解消するために多少の提案ができるはず
妻が嫌いだという場合
妻と別れればいいのだけれど
それだと色々と問題が起こる
だから
こっそり風俗に行く

対人関係分析→葛藤分析
でずいぶん整理で来てしまうのではないか

嫌いな人、誰
その人から離れられない理由、何
で、とりあえず分析完了
その先は難しいけれど

たいてい、嫌いでしようがない人がいる
だから2時間ドラマでいつも人が殺されている

ーーーーー
そんなにも嫌なのになぜきっぱりと別れられないかと分析すれば
そこに
その人の選択している価値観が浮かび上がる

その価値選択でいいのかと
問い直し
やはりその価値選択でいいならば
そのまま生きるしかないだろうと伝える
そのうえで比較的我慢しやすい方法を伝える

この人生は我慢出来ないことなど一つもないようにできているのだから
すべてを耐えてみせようではないか


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(対人関係+葛藤)・分析

重要な対人関係を分析

それを変えられない葛藤の内容を分析

そのあとで解決策

ーーーーー
マズローの欲求の段階で概略を言うと
生理的欲求、安全の欲求、帰属の欲求、自我の欲求、自己実現の欲求というように
ピラミッド型に構成されているわけです
現代日本では
生理的欲求、安全の欲求くらいはまずまず満たされている場合が多い。
帰属の欲求や自我の欲求、さらに自己実現の欲求のレベルでは
内容は様々であるとしても、他者との関係が問題になることが多いと思う

帰属の欲求は要するに他者との関係である
まれに、抽象的に、自分は何に属するのかを考えている人もあるだろうが、
現実には他者との関係となる

自我の欲求については
他人から尊敬されたいとか、人の注目を得たいという欲求で尊厳の欲求ともいわれる。名声や地位を求める出世欲もこの欲求の一つ
と説明されていて
あからさまに他者との関係である 

自己実現については

各人が自分の世界観や人生観に基づいて自分の信じる目標に向かって自分を高めていこうとする欲求のことで、潜在的な自分の可能性の探求や自己啓発、創造性へのチャレンジなどを含む。

ということで本来は他者評価に左右されることのない部分のことなのであるが
いや、むしろ、そのような他者評価にうんざりしたあげくにたどりつく境地なのであるが
実際は自己実現した自分を他者に評価して欲しいとか考えている人も多いようだ
誰にも知られずひっそりと自己実現していれば
それでとてもすばらしいのだけれど
人間はなかなかそのようにはできないようだ

ーーーーー
このように考えてみると

現代社会で欲求を実現するも妨害されるも他者が関わっている
対人関係が第一に大きな要素であることが分かる

対人関係の基本は「嫌いで遠ざかりたい」と「好きで近づきたい」の二つに集約される

特に支障がなければこの二つが実現されて
幸せな状態になる

しかし現実社会ではさまざまな制約があり
嫌いで遠ざかりたい人と一緒にいなければならないし
好きで近づきたい人と離れていなければならない

そこに葛藤が生じる

ーーーーー
上司が嫌いで遠ざかりたいのだけれども
仕事は替わりたくない

夫婦関係でもう別れたいのだけれども
別れたら暮らしていけない

担任教師がいやなのだけれども
転校したら友達と離れてしまう

つまり 「対人関係の悩み→葛藤で行き止まり」 のパターンが多い

行き止まりで精神を消耗してうつになったりすることが多い

また逆に、本人には葛藤があることを承知していて、簡単には離れられないから、
嫌われていても平気で、同じ態度を続けることもあるのだろう

そうでなければ、会社には誰もいなくなってしまう

妻が不満を言うと、誰の給料で食べて行かれるんだとか
妻子のために働いているのだから我慢しろとか言われて
それでたいていおしまいになる

嫌われているから訂正しなくてはとは思わずに
本人の逃れられない状況を見越して
そのまま続けるのだ

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
嫌いな人から遠ざかりたいと思うのは当然のことなのでそうすればいいのだけれど
諸事情でそれができない場合、どうしたらよいかということになる

そのような魔法のようなことはできないわけで
難しい

簡単に捨てられないから葛藤なのである

ーーーーー
上司が嫌だから仕事を辞められる人はどれだけいるだろう
夫が嫌いだから離婚できる人はどれだけいるだろう
子供が嫌いだから離れられる人はどれだけいるだろう

そう考えると
嫌いな人とも仲良くやっていく工夫はないかと言うことになる

たいていはここでコミニュケーション改善を持ち出す
お互いをよく知り合えば状況も変わるだろうという考えだと思うが
それは現在の秩序を維持したいという勢力の考えそうなことだろうなとも思う

ーーーーー
なぜその人が嫌いかということで言えば
Rational Emotive Behavior Therapyなどが参考になるかもしれない

reason 理性 が先にあってemotion 情動があとに発生するというわけで
情動の基礎となる状況や情報を共有しその上で共通の理性を働かせれば理解し合うようになるだろうという話である

確かに、基本情報の違いが大きかったりすると
最後の結論にも差が出るし、情動反応にも差が出るだろう 

というわけで、よく話し合ってみて下さいというのだけれど、
嫌いは嫌いという人間の生理をよく説明していないと思う

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

人の悩みは出来事そのものではなく出来事の受け取り方によって生み出されるものであり、受け取り方を変えれば悩みはなくなるというのが基本的なスタンスである、というわけであるが。それで悩みがなくなるなら、いいもんだと思う。

イラショナル・ビリーフ

Irrational Beliefは「非合理的な信念」と訳される。「失敗してはならない」「すべての人に愛されなければならない」「世の中は公正でなければならない」などという思いを持っていると、それらが満たされなかったときに悩むことになる。イラショナル・ビリーフは以下のような特徴がある。

  • 事実に基づいていない
  • 論理的必然性がない
  • 気持ちを惨めにさせる
  • 自己否定的・悲観的な内容である

イラショナル・ビリーフは願望(~ねばならない、~であって欲しい)と事実を混同することから起こっている。このような混同を論理的に否定し、ラショナル・ビリーフ(合理的信条)へと変えてゆくのが論理療法の役割である(「文章記述を書き換える」という表現をする)。ラショナルビリーフは

  • 事実に基づいている
  • 論理性がある
  • 人生を幸福にする

ラショナル・ビリーフの例は「失敗しないほうがいいが人間だから失敗することもある。失敗から学ぶべきである」「人に愛される・愛されないとは関係なしに具体的になにかをするべきである。その結果人が愛してくれればありがたいし、愛されなくとももともとである」などである。

端的に言ってしまえば、「~ねばらならない(must)」ではなく、よりマイルドであると言われる「~であるにこしたことはない(should)」という文章記述の書き換えである。 

ーーーーー
「嫌いな人がいるのにその人から遠ざかることができない理由がある」
この一文で集約できる状況を生きている人は多いように思う

我慢するしかない
我慢しないともっと悪いことが待っているからだ 



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自己評価

人間の自己評価について考えてみる

たとえば、よくある体験として、
自分はそんなに優秀ではないと思っていたのに
学校の試験で優秀であることが理解できたとか

逆に
自分はすごいと思っていたのに
きっゃかんてきに数字が出てしまうと
大したことなかったんだと
理解できたとか

だんだん年を取ると
自分が客観的な評価にさらされることは少なくなるので
自分の主観的な評価で動くようになる

そのあたり、難しいなと思うんです

自己評価の大部分は親からの評価なので
親が慎ましい考えの人で
ただただ人の迷惑にならないように慎ましやかに生きなさいと
言い続けてきた親がいれば
自分は大したことのない普通の人なんだと思うようになると思う

親が何か考え違いしていて
うちの子供は大したもんだとか思っていると
その態度が子供に反映して
子供は自分は大したもんだとか思うようになる

どっちが幸せなのかなあと
思うが
親からもらったDNAはどうしようもないので
どうしたものだろうか






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一度使ったら手放せない。温水式便座のような

一度使ったら手放せない。温水式便座のような

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NYのWeekly Mansion

NYのWeekly Mansionを法人で契約して
やや継続しておく

職員が交代で遊びに行く
2日くらい同時に滞在する日を作って
遊びの引継ぎをする

年間50週だから
25人の職員が年間2回ずつNYで遊んで来られる

ぼんやり受動的に過ごすにはNYはいいところだと思う

いろいろ探してもらって
もっと条件の良い所があったら
移動する

周囲のレストランとか雑貨屋さんとか食料品屋、チケットの手配とか
通信手段もいろいろなので
そのあたり全部引き継ぎ事項とすれば良いと思う

いろんな割引券などはプールしておいて次の人が使えばいい

継続して普通のマンションを借りてしまうのもいいのだけれど
多分、時間が経つに連れて移動したくなると思うので
ウィークリーマンションとかマンスリーマンションくらいでいいような気がする

ハワイのほうが近くていいという考えもあるが
どうだろう 



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気のきいたようなこと

人よりも気のきいたようなことを言おうと思うから下品になる

私は最近ではもう何も言わないでただ聞いている

じっと聞いていると、その人の鋳型ができる

その人はその鋳型を使えばとっても喜んでくれる

そのようなものである

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崇拝の次にくるもの

ところで崇拝の場合
崇拝の次にくるものは
脱崇拝である
脱価値化であり失望である

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科学は錯覚である 愛から信へ

本棚には
科学は錯覚である
というタイトルの本があり
当然読んではいないが
思うに科学とは何か、錯覚とは何かを論じているだけで
一生が終わるだろうと思う

もちろん、科学は錯覚ではない
人間の生活を変えている
子供は心理的な成長ゲームの代わりにゲームマシンで自己愛を増殖させている
津波が来れば原子炉からは放射能が放出されるし
パーソナルコンピュータはますます小さくなり手のひらに乗るようになって
こうしたことのすべてを錯覚だというには
錯覚の言葉の意味をかなり誤解していなければ無理だろう

しかしまた科学は錯覚なのであって
科学を包含する人間の知的活動全般は錯覚なのである
科学は錯覚であるという言明もまた錯覚であり
そう考えると自己言及の錯覚はいつまで経っても錯覚なのだ

自然科学や工学はどんどん進歩するのに認識論とかそんなあたりの論は
ほとんど進化しない
例えばパーリ語の仏典を語り漢訳仏典をクリティカルに購読していた中村元は
パーリ語やサンスクリット語の文献の中に
現代の認識論のほぼ全ては含まれているというような感想を述べていたのだけれども
もちろん、パーリ語の文献の中の言葉に
現代のウィトゲンシュタイン以降の認識論と同型のものを読み取るには
知恵が必要である

不思議に思うのだが
無線高速通信の専門技術者であるA氏は素晴らしく高速で大量のデータ通信を可能にしているのだが
そのようなスーパー頭脳の彼のPCの閲覧履歴は何の変哲もないただの小心者の履歴である

科学は錯覚ではないが
認識論は錯覚である

ある認識が錯覚であるかどうかを決定する方法はあまりない
認識が錯覚である場合と錯覚でない場合とで結論が明白に違うならば
考えることにも意味がある

しかし錯覚であっても錯覚でなくても結論が同じであるならば
錯覚か否かはどうでもいいことに属する

錯覚か否かと念仏を唱えている間に
飢えて死んでいく子供たちを救おうではないか

この世界は仮である
仮象である
かりそめである

そしてこの世界は疲れた脳の見る幻である

職業柄疲れた脳をたくさん見てきている
そして疲れた脳が世界をどう見ているのかについても経験の蓄積はある

正直な話、ひとつの脳が世界をどう見ていようと
あまり関係はない
学習能力の強い脳はその時代の有力な錯覚を取り入れて認識を形成するが
そのことは同時代の学者たちと話が通じるようになるというだけがメリットであり
他に何も言うことはない

一つの脳が眠ったとき世界は何も変わらない
一つの脳が消滅した時も
世界は何も変わらなかった

これを認識の問題として捉えることもできるが
神との関係としてとらえる事もできる

神はそのとき何をしていたのか
神はその時こちらを見ていたのか

私があなたに無限の関心を注ぐように
神は私に感心があるのだろうか

若い頃、私の心には愛があった
もちろんそれは錯覚である

そして老境の今、私の心には信がある
それももちろん錯覚である





 



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フェイスブックは脳を変えるのか?

【10月21日 AFP】「フェイスブックは脳を変えるのか?」――世界で8億人のユーザーがいるソーシャル・ネットワーキング・サービス、フェイスブック(Facebook)に関する珍しい論文から、このような問いが浮かび上がった。

 ロンドン大学ユニバーシティー・カレッジ(University College London、UCL)の神経学者ゲレイント・リース(Geraint Rees)教授が率いる研究チームは、19日の学術専門誌「英国王立協会紀要(Proceedings of the Royal Society B)」に掲載された論文で、フェイスブックを使っている人の脳を3次元(3D)スキャン装置で検査したところ、フェイスブック上の「友人」が多い人ほど、脳の領域のうち社会適応能力に関する3つの領域が大きく、密度も高かったことを明らかにした。

 UCLの研究員、金井良太(Ryota Kanai)氏によれば、この3領域のうち「上側頭溝」と「中側頭回」は、他人の視線に気づいたり、顔の表情から気持ちを読み取ったりするといった社会的認知能力に関連があり、「嗅内皮質」は顔と名前の記憶に関連しているらしいという。

 2年前、英オックスフォード大(Oxford University)の神経学者、スーザン・グリーンフィールド(Susan Greenfield)氏がオンラインでの友人作りは若者に大きな悪影響を与えると主張して論争を巻き起こした。同氏は英上院で「21世紀半ばの人間は、集中できる時間が短く、興奮しやすく、共感性が乏しく、アイデンティティが脆弱という、ほとんど幼児のような精神的特徴を持つようになるだろう」と警告したのだ。

 UCLのリース教授は、今回の研究はこの論争の核心に触れる問題を提起したと語る。社会適応能力に関連する脳の領域の大きさは人が友人を作る能力に関係するのか?ソーシャル・ネットワーキング・サービスを利用することによってその領域は変化するのか、それとも変化しないのか?この問題を解き明かすにはさらなる研究が必要だとリース教授は言う。

■付き合いの形態ごとに脳の異なる領域が使われる?

 リース教授らのチームは、フェイスブックを利用している学生有志125人(うち46人が男子)を対象に調査を行った。対象者の平均年齢は23歳だった。フェイスブックでの「友人」の数は、数人から1000人近くまでさまざまで、平均は300人だった。

 次にこれらの数値を別の40人の数値と比較し、統計的なバイアス(偏り)を把握した。

 その後、学生有志の中から65人を選び、オンラインあるいは現実世界における交遊関係と脳の構造の間に何らかの関係がないか詳しく調べた。このグループの学生に対しては脳スキャンのほかに現実世界の友人に関するアンケート調査も行った。

 こうして現実世界の友人とオンラインの友人の数を比べたところ、脳の「両側扁桃体」と呼ばれる領域が関係していることが分かった。この領域は感情的なできごとの処理と記憶に関連すると考えられている。

 しかし、最初の実験で注目された「上側頭溝」、「中側頭回」、「嗅内皮質」にはそうした関係はみられなかった。リース教授は興味深い結果だととらえている。人間同士の社会的な付き合いにはいろいろな形があるが、そのそれぞれについて脳の異なる領域が使用されている可能性が示されているからだ。

 これまでの研究で、脳は柔軟性の高い器官であることは実証されている。例えば、お手玉をするなど特定の運動技能を学ぶ時には、筋肉をコントロールする「運動皮質」という領域の灰白質が厚みを増す。

 しかしリース教授は「灰白質が増えるほど、特定の作業に集中しようとする時の注意力が散漫になったという例もある」と語り、脳の特定の部分が大きいことが必ずしも良いことだとは限らないと言う。

「(オンラインで友人を作ることと)灰白質が増えることの関係はよく分かっていないし、灰白質の増加がいいことなのか悪いことなのかも分からない。どの細胞構成要素や神経細胞が関係しているのか、具体的にどのような現象が起きているのかも分かっていない。将来の研究が待たれるところだ」



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HEAT ISLAND Feat.FIRE BALL

作曲:Sakama Daisuke/H.Lee/C.Roberson 
作詞:Sakama Daisuke/Sasaki Shiro/H.Lee C.Roberson/J.Yuzawa
(Mummy-D)
沸騰した熱湯みたいに沸き立つ日本列島
コイツは祭りか?何かの前兆?
まさに真っ赤、赤、赤、のレッドゾーン
ならボケっとせずに即選択
このジパング今一度洗濯
いたし申し候事にいたすべく(※1)
Once again back toこの現場

(宇多丸)
一触即発 East Asia
ひしめき汗ばむオスとおネエちゃん
いっそ服なんぞ脱ぎゃええんちゃう?
ヤケっぱちで踊り狂う連チャン
「オカシくなっちゃう〜ッ!」(※2)当たり前じゃん
この宇多丸がいまComin' at ya
到着したてのメッセージは
熱い湯気出ちゃってメチャDanger, Danger!

(Mummy-D)
空、空,空からお札が(※3)降ってくるから
見まわそう(※4)
この年末(※5)最後のディナーショウ
回れ円卓、タオルにミラーボール
踊るアホウでイイんじゃない?
ライカ ええじゃないか in Jamaica
弾けたいならば今しかないさ Japanese!
かざしなライター

(FIRE BALL)
無礼講だ バカデカい音でこの火の出国を煽り上がれ
いいぞ 更にHeat up いっそう高まるこれは吉兆
Full熱唱だ バカデカい声で時代ごと揺さぶれ
Ease up まだまだHeat up アイランド大乱
燃えよ言動

(宇多丸)
ドヒドヒド・ヒートアップしてく この細長い国覆う摩擦熱
まさに乱世 さながらマクベス(※6)
つい不安でしちゃうアホな軍拡レース
むしろフリチンの方が楽ですヨ
オレのフリーキーなフロウがまずゲスを料理
とにかくお国の描く絵図
よりも頼りはこのオツムのタフネスのよう

(Mummy-D)
I'm a rollin' rollin' 食い詰め浪人
平成ジャパン非常勤講師
担当御存知Hip Hop論理 増やすぜ
Ho!と 言える日本人(Ho!)
オス達もメス達もケツカッチン ライカ Mt.カチカチ
ハイになるか灰になるか かまうもんかい
注ぐぜ火に油!ブワーッ!(※7)

(宇多丸)
Who's Bad? フツフツと煮え立つBlood
持て余す連中が集うムラ でくすぶる火種
イツナロウバ(※8)
言わば一応総躁状態
さながらゴール手前の宗兄弟(※9)
完全燃焼しそうな頃合いだもう一丁
火の手増そう FIRE BALL!

(FIRE BALL)
無礼講だ バカデカい音でこの火の出国を煽り上がれ
いいぞ 更にHeat up いっそう高まるこれは吉兆
Full熱唱だ バカデカい声で時代ごと揺さぶれ
Ease up まだまだHeat up アイランド大乱
燃えよ言動

(FIRE BALL)
ここが時代の境目 先はドキドキ高まる期待で
世またぎ鍛えた Tuffnessのパイレーツ
お宝担ぎ必殺のハイセンス・フロー
人道は外さず行こう 人口は爆発で問う
人工が及ぼす環境はもうすぐ代償支払う順番
Come on
驚いた 開花した文化 お構いなく成し遂げた進化
これが無関心が招いた結果 かますか?
天下と大喧嘩
天下騒乱 傍から傍観 どうしたって巻き込む
It's a show down
列島端から端まで横断 天下泰平 Hey Hey Japan

(FIRE BALL)
無礼講だ バカデカい音でこの火の出国を煽り上がれ
いいぞ 更にHeat up いっそう高まるこれは吉兆
Full熱唱だ バカデカい声で時代ごと揺さぶれ
Ease up まだまだHeat up アイランド大乱
燃えよ言動

(RHYMESTER)
哈! こいつぁまるで火事場
すげぇ熱気たまっちまう島国
Danger! ますますアガっちまう
Come on!(このジパングもうちょいでパンク)

(RHYMESTER)
哈! こいつぁまるで火事場
すげぇ熱気たまっちまう島国
Danger! ますますアガっちまう
Come on!(このジパングもうちょいでパンク)

(FIRE BALL)
ますます熱は増すFire Burnin'
ガツガツ火を回す FIRE BALL
Boom Shaka Rock 放つThunder Rollin'
音にノリWho you callin'
ますます熱は増すFire Burnin'
ガツガツ火を回す FIRE BALL
King of Stage 放つThunder Rollin'
音にノリ RHYMESTER call in!!!

(FIRE BALL)
ますます熱は増すFire Burnin'
ガツガツ火を回す FIRE BALL
Boom Shaka Rock 放つThunder Rollin'
音にノリWho you callin'
ますます熱は増すFire Burnin'
ガツガツ火を回す FIRE BALL
King of Stage 放つThunder Rollin'
音にノリ RHYMESTER call in!!!

[注]
(※1)このジパング~いたすべく:
坂本龍馬28歳のときの姉乙女への手紙から引用。
原文は「日本を今一度せんたくいたし申候事
二いたすべくとの神願二て候」。(D)
(※2)「オカシくなっちゃう~ッ!」:
ライムスのレコーディングではごく稀な例外を除いて、
女性的な声も全てメンバーの演技によって
まかなわれている(大抵スタジオに野郎しか
いないため)。オ、オエエエエ。(宇)
(※3)空からお札が:ジャパニーズ・ヒップホップ・
クラシック、キング・ギドラ"空からの力"を意識か?
(D)
(※4)見まわそう:ジャパニーズ・ヒップホップ・
クラシック、キング・ギドラ"見まわそう"を意識か?
(D)
(※5)この年末:ジャパニーズ・ヒップホップ・
クラッシック、キング・ギドラ"大掃除"を意識か?(D)
(※6)マクベス:10世紀スコットランドに実在した王を
題材にとった、シェイクスピアの戯曲。念のためね!
(宇)
(※7)ブワーッ!:実際にはBaaaaad!と言ってます。
(D)
(※8)イツナロウバ:キック・ザ・カン・クルー
2001年のヒット曲。"It's Not Over"の意。(宇)
(※9)ゴール手前の宗兄弟:70年代末~
80年代初頭にかけて活躍した茂&猛の双子
マラソン選手。完全にアゴの上がりきった、
その見るからに苦しそうなランニング
フォームは、一度見たら決して忘れることが出来ない。
(宇)


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Ron Carter Trio Autumn Leaves

Ron Carter Trio Autumn Leaves
http://www.youtube.com/watch?v=PfUqggDylJU&feature=related

愛に満たされることの余得の一つは
芸術に敏感になることだ

自分の純粋な愛の感情が
地下茎で性的感情とつながっていることも
いまだに実感できない

深く降りてゆけば
そこには獣がいるのではなくて
純粋な祈りがある

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愛ってすごく単純なこと

愛ってすごく単純なことで
ただ君が好きだよ
君が大切だよ
って思えていれば
それで充分なんだ

ロミオとジュリエットも
そうでしょう
生活の次元の話じゃない

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CBTとCAT IPTとDIT

CBTとCAT

IPTとDIT 

精神分析学と交流分析

ーーーー
精神分析学はフロイトから始まって
その後大きな発展を遂げて
巨大な学問になっている
精神科臨床で用いるとともに 
人文科学の一大背景となっている

人文科学で投影性同一視などを用いて語るわけではないけれども
無意識の話などは今では普通に語られるけれども
精神分析が用意した仮説である
もちろん未だに実証されてはいない

フロイトの後にアドラー、ユング、それから様々な人たち、
カーンバーグ、コフート、ラカン、その他、その他で
精神分析を学んでいるだけで一生あっても足りないくらいの分量になっている

しかも原典以外に解説書がたくさんあり
それもまたさらに難解でそんなことでは患者さんの治療に取りかかるまで何年必要なのかと
絶望的になる

ーーーー
そのようなわけで
精神分析の全体像は誰か勇気のある人に勉強してもらうこととして、
簡単・臨床版を考えたのが交流分析と言えないこともないだろうと思う

実際簡単だし役に立つ
そして理論の背景は軽く知っておく程度で間に合う

ーーーー
CBTの流れを見てみても似たようなことが言える
原典となる発想はあったとしても、
その後の発展の仕方は、既存の精神療法の使える部分をどんどん併合して進むような具合で
現在の姿を見るとなかなか壮大である
そのすべてを原理から理解してマスターすることは時間かもかかる
思想の勉強をするのではないので時間がかかりすぎだと思われる
するとそれぞれの人が
CBTを部分的に学び、独自の治療観で独自の治療を実践することになる
それがだいたい大学院卒業程度だろうと思う

そこまで複雑な学識経験がなくてもできることが臨床現場にはたくさんあるので
高卒で、専門学校を出て、臨床現場に携わっている人が、
短期間の講習会に出席して
その結果として、何か役立つことができればいいのではないか
という考えが生まれるだろう

それが精神分析ならば交流分析に当たるし
CBTならばCATにあたるだろう

理解しやすい
学びやすい
役に立つ

学びたい人はその先を学べばいい

というようなものとしてCATがある

CATの特徴は精神分析とつなげたところにもある
CBTを実践している人が
精神分析を否定しているわけでもないし
理解していないわけでもない
むしろ暗黙のうちに精神分析的概念を使用しているし技法も必要に応じて使用している
それならばむしろきちんと精神分析的概念と技法を取り入れて勉強した方がいいだろうということになり
CATでは
精神分析について極めて軽くではあるが勉強して
背景には精神分析的な概念と仮説と臨床経験があることを意識するようになっている 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
IPTとDITの関係はまた少し違う
そもそもIPTは
交流分析やCATと似たような立場のもので
理論的な背景としては弱いけれども
臨床場面で役に立てばそれでいいじゃないかと言う程度のものだった

しかしそうなるとあまりにも理論的背景が弱すぎて説得力がないので
既存の精神分析の理論と一部結合させたらどうかと言うことになる

それで、簡単・臨床版であることは維持しつつ、一応、精神分析学の本体につながる通路を
示しておきました、という感じがDITとかPITとか、そのあたりなんだろうと理解している 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
精神分析と行動科学は
元々の思想的背景が違うので
これを結合させるとか
いいところだけを取り込んで利用するとか
それはいったい何を言っているのか、理解しにくいところもあるだろうが
そんなに厳密な話ではなくて
緩い結合と思っていいだろうと思う

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
現状であまりに思弁的になってしまい
実験的検証もできない精神分析的概念を
認知科学の言葉で語り直し
検証していくという、なかなか意味のあるブロセスの途中である

精神分析で言われている様々なことが
母子関係の実際のビデオ観察などで裏付けられたり
精神分析的知見を脳解剖学のレベルで説明されたりしている
(わたしはもっぱらこれをやっているので、分析の人には理解されないし、
脳科学の人にも理解されないという不利な立場にあるのだが)

 

 

 

 

 



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君との思い出のすべてが星になればいい

君との思い出のすべてが星になればいい

そのくらい生活とは関係のない
ただ純粋に美しいだけの君なんだ

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君が幸せ

君が
私は幸せ
って言ってくれると
私はうっとりするくらい幸せです
ありがとう 



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強迫の確認と 普通の仕事の確認と 区別ができません

強迫の確認と
普通の仕事の確認と
区別ができません
混ざってしまいます
というんです

仕事は報告書類を見てPCに番号を入れる
するとpcに番号と名前が表示されて登録される 
 
というものなんですが
普通、業務としては、書類の名前とpcの画面の名前とが一致しているのを確認する
 
しかしこの人は強迫性障害を治療していて
確認したい、でも、それを我慢して、不安が高くなって低くなる様子を自己モニターしてくださいとか
やっている途中
 
すると
業務上必要な確認だからそれはいいんだと思って頭では理解していても
これが確認なんだと思いだしてしまい
なんだかいけないことをしているような気分になる 
やっぱり自分で考えるに、強迫性の症状で確認しているのではないかと思ってしまう
 
あるいは業務だからいいんだといって
密かに強迫の欲求を満たしているような気もしてくる
 
困ったと言う

いや、それは業務の確認だからいいんです
と言うんだが 


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日本昔ばなし療法

日本昔ばなし療法
患者さんに、あなたと考えてみたい昔話はこれなんですが
とかいって
昔話に内蔵されている意味を
二人で考える療法


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献立て提案マシン

冷蔵庫の外側に液晶を貼り付けて
中身を映像で映したらいいような気がした
何がだいたい何グラムとか分かればいい
 
で、画像を指でタッチして
選択して
メニューと押す
 
すると
クックパッドにつながって
品目と量に応じて
お料理のレシピを提案してくれる
 
で、レシピのどれか選ぶと
ユーチューブにつながって
実時間で
料理の手順を教えてくれる
追いつかないときは『待って』と言えば待ってくれる 
 
男はまあ何でもいいから食べればいいでしょとか思うので
いつも同じメニューになりがち
だからpcが記憶していて
違うメニューを出してくれるといい

最近のメニューを記憶していれば
カロリーとか栄養を計算できるので
偏りがないかグラフで表示もできる

大事なのは大便としての排泄物との関連なので
便器にもITマシンを取り付けて
どの時間にどれだけの大便が出ているかチェックする

食事と差し引きして計算する

それと、トイレに入ったときに自動的に体重も測定する

風呂に入ったときに
どれだけ水位が上昇するかも
良いデータになる
体の容積を計算できる

いろいろできそう 


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カウンセリング大世界

六本木カウンセリング大世界

It's a counseling world.

決闘・カウンセリング大合戦

六本木大世界心理相談中心

横浜大世界

三千大世界(これは本当の仏教の言葉)

上海大世界游楽中心 

カウンセラーズ大バトル・嘘とハッタリ、詐欺まがい、真面目な奴がバカを見る



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体育会系身のこなし

俗に言う体育会系身のこなし
ってあると思うんですが
何に由来するんでしょうね

ただすたすたまっすぐ歩くのではなくて
うねりながら歩くみたいな感じで

静止することが難しいんですね
多分


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全体アンケートと自分のことの差

男性にアンケートすると
現代女性は痩せすぎであるとの意見

女性にアンケートすると
現代女性は痩せすぎであるとの意見

そして本人は
私はもっと痩せなくてはならないという意見

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イタリア語

イタリア語はその制定の過程がほかのラテン系の

言語と違い、専門家たちがさまざまな地方語の中から選りすぐりの

美しい言語として選んだフィレンツェ地方の言葉が元になっていると

いうことです。14世紀のフィレンツェの詩人ダンテに形を整えられ、

人の心を表すのに最もふさわしい言葉だと言われています。



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Steve Jobs' 2005 Stanford Commencement Address

Steve Jobs' 2005 Stanford Commencement Address
 
ーーーーーーーーーーーーー 
 Again, you can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards.

 

It made an impression on me, and since then, for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself: 
"If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?"  


Stay Hungry. Stay Foolish.
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[ 翻訳: 市村佐登美 ]
 ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。

 本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけです。どうってことないですよね、たった3つです。最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。

 私はリード大学を半年で退学しました。が、本当にやめてしまうまで18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、それは私が生まれる前の話に遡ります。

 私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたので、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんです。「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。彼らは「もちろん」と答えました。

 しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。

PART 2. COLLEGE DROP-OUT

 こうして私の人生はスタートしました。やがて17年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。そうして6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信じてね。

 そりゃ当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思えます。だって退学した瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですからね。

 夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶旨くてね。

 しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多くは、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたんだね。
 ひとつ具体的な話をしてみましょう。

PART 3. CONNECTING DOTS

 リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する大学でした。キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。

 セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまったんですね。

 こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。で、僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。

 もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しなかったことになります。

 もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。

 そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。
 もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。
未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。

PART 4. FIRED FROM APPLE

 2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。

 
私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、私が二十歳の時でした。がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になりました。そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。

 自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。アップルが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の1年かそこらはうまく行った。けど互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまった。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を追い出されたと、そういうことです。しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。

 
自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、そう感じました。このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。

 ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。私はまだ自分のやった仕事が好きでした。
アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。

 その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。

 それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。
 ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。

 思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。

 アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。そりゃひどい味の薬でしたよ。でも患者にはそれが必要なんだろうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。

PART 5. ABOUT DEATH

 3つ目は、死に関するお話です。

 私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。

 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。

 君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。
              
PART 6. DIAGNOSED WITH CANCER

 今から1年ほど前、私は癌と診断されました。 朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。

 医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。

 それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。それはつまり、さよならを告げる、ということです。

 私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからなんです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。

 これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。

 以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだら、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。

 君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだだからそれ以外のことは全て、二の次でいい

PART 7. STAY HUNGRY, STAY FOOLISH

 私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。

 それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。

 スチュアートと彼のチームはこの”The Whole Earth Catalogue”の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。

 最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「Stay hungry, stayfoolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」

 それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。

Stay hungry, stay foolish.

ご清聴ありがとうございました。
 


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思(おも)うに別れ思わぬに添う

思(おも)うに別れ思わぬに添う
 
好きな人とは結婚できないで、そうでない人と一緒になる。男女の縁は思いどおりにならないということ。

デジタル大辞泉

 思うに別れて思わぬに添う(おもうにわかれておもわぬにそう)[=思うに添わで~] 思いを寄せている人とは夫婦になれず、思ってもいなかった相手と結婚する。男女の仲は思い通りにならぬものである。また、縁とは不思議なものだということ。 類:●思う人には遠ざかり思わぬ人のしげしげ

・思えば思わるる(おもえばおもわるる) 人に好意を示せば、相手も自然に自分に好意を示すようになるものだということ。 類:●情けは人の為ならず●Love is love's reward.

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