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環境という足枷

ちなみにこういう人たちの世界っていうのは、いわゆる高学歴の人たちからは「見えない」。
 や、俺、日常生活で大卒の人間ってまずほとんど見ないんすよ。本部の社員くらい? コンビニの仕事やってて、社員採用もしてなくて、地元のパート・アルバイトで回してて、まあうちのあたりだと客層にも大卒の人が極端に少ない。つーかスーツ着た人間ほんっと来ない。もしネットがなかったら、俺個人の交友関係にも大卒の人ってほとんどいなかったと思います。
 ただ、俺にはたまたまネットがあったじゃないですか。そうすっとガチの高学歴ホワイトカラーの知人ってのもできたりするんですけど、やっぱ「初見のカタカナ単語をちゃんと読めない人たちがそう珍しくない世界」ってのは見えないらしいですな。話としては聞くけどほんとにあんのかそんなもん、みたいな。いや、ありまっせここに。
 だからほんと思いますな。そういう「資質はあるけどあきらかに教育を与えられなかった高校生」みたいなの見ると、もうちょっとどうにかなんなかったのかなーって。だって、資質って無条件で活用されることを望むんですよ。走れる足は走りたいんですよ。投げられる腕は投げたいんですよ。だけどこの場合「君の足は速く走るのだ」と伝えるのに、高校生になってからでは遅すぎるんです。「知的」な世界って、足の動かしかたにトレーニングいる世界ですから。
 そこで親を初めとしたもろもろの環境は、彼、あるいは彼女にこう伝えるわけです。
 おまえは、走る必要はない。
環境という足枷

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