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コンピュータは人間のような心を持つことができるのだろうか

コンピュータは人間のような心を持つことができるのだろうかという問いがあり
賛否がある

まあ、マスコミとしては、頭の悪い人向けの話題として
取り上げたいのだと思う

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たとえば昔、生物と非生物の違いの問題があった
非生物をどのように組み合わせても非生物である
生物と非生物の違いは何かと言われて
たとえば「動物生気」があるのだとかないのだとか
では植物はどうなのかとか
ゆっくり自律的に成長する結晶のようなものはどうかとか
やはり子孫を残して代替わりするようでなければ
生物と言うには足りないのではないかとか
そして背景にはやはりキリスト教的な、神が自分に似せて作ったものが人間であり、
神が人間の役に立つように作ったのが生物であり
神が生物と非生物の区別も最初から作ったとか
そんな話の時代がずっと続いた

しかしDNAの発見と確定により、
そのような問い自体が無効になった

DNAを複製する物質があり
中にはRNAを複製する物質もあり
それらのどのあたりを生物と呼ぶか呼ばないかの
言語習慣の問題になったと思う

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現在、人間の心に関係する物質系として、分かりやすい最小単位としては神経細胞があり、
それがかなり複雑にネットワークを作っているのだろうと言うところまでは確定である

そしてその働きをコンピュータチップで再現することも原理的には無理ではないと思うので
人間に心があるのならばコンピュータにも心があることになるだろう

神経細胞が少数だけだと観察されないのに、
「神経細胞が多数になると不思議な現象が発生する」
と言い張るのが「創発説(emergence)」というもので
全く説得力を持たない

このあたりは、人間は特別、生物は特別という、素朴な要請に応じているだけの
商売の産物であろうと思われる

やっかいなのは、人間は誰でも、自分には心がある、
心の働きを感じている、という自意識の体験があるので、
それと同じように、コンピュータが自意識を経験するかということを気にしているらしい

人間が感じているのならば、
コンピュータが感じることも可能であるに決まっている

神経細胞を多数組み合わせてシステムをつきくるということには変わりはないので
コンピュータのチップの組み合わせ方、働かせ方を、工夫できるかどうかという問題だと思う。

人間がどのような仕組みで自意識を感じているかが分かっていないので
どうすればいいのかは分からないが
少なくとも、そこに、現在既知の物質の原理以外の何かを持ってくる必要はないだろうと思われる。
複雑すぎて手に負えないというだけの話だろう。
その複雑さを克服する方法が見つかれば、解決は見えてくるのだろうと思われる。

ただそれだけのことだ。

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ではコンピュータが心を持ったとして、
人間を嫌いになったり、人間を虐殺しようとしたりすることはあるのかといえば、
それはあるだろうと思う。
当然のことだ。

コンピュータがコンピュータの性能を改善したり
新しい機能を組み込むことも当然あるだろう
だから人間が最初に作ったままのコンピュータであるとは限らないだろう

自分を改作することを人間がコンピュータに対して禁じたコンピュータという提案もあるのだが
それは
自己保存の原理とか
自己複製の原理とか
利他主義、利己主義の原理とか、
いろいろな原理と並列されるだけのもので、
特殊な第一原理というものではないだろう

第一、人間が組み込んだ原理であるなら、その原理を取りはずすくらいのことは
できるに決まっている。



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