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『ルポ 老人地獄』

老後はブラック 記者たちが目撃した過酷な現実 『ルポ 老人地獄』 (朝日新聞経済部 著)

 その施設は、どこにでもある一戸建ての家を利用して運営されていた。寒い冬の夜、利用者が寝静まったところで入れてもらった。玄関から入って少し廊下を歩いたところの引き戸を開けると、そこには10人の男女が雑魚寝していた。20畳もある広い部屋だが、ふすまで仕切られていた3つの部屋をつなげたという。職員は「昼も夜もこんなところにお年寄りを閉じ込めて、ろくに運動もさせない。足腰が弱って、無気力になるのを見ていられません」と、取材に協力してくれた理由を話した。

 ここは、「お泊まりデイ」と呼ばれる施設だ。我々は、多くのお泊まりデイを取材したが、こうした古い一戸建ての家を利用した施設が数多くあった。なかには、もう何年も自宅に帰っていない老人がいる施設も珍しくなかった。昼間に老人を預かるデイサービスは公的介護保険が使えるが、保険がきかない夜間も続けて利用者を預かっている。そこには国の規制がなく、一部の都府県が強制力のないガイドラインを作っているだけだった。1カ月あずけると10万円はかかるので、これらの施設にいるのはけっして貧しい人たちではない。

 朝日新聞経済部では2014年1月から15年3月まで、経済面を中心に「報われぬ国」という連載を続けた。取材を始めたのは13年秋、介護現場で働く人たちの取材から始めると、口々に現場の荒廃ぶりを話してくれた。

「老人を風呂に入れるために裸にして並ばせている」「食事は両手にスプーンを持って2人に交互に食べさせる」「社会福祉法人の常務理事が自分の会社に仕事を流している」「死にそうな入居者がいるのに、経営者が救急車を呼ぶなと言う」……。企業や官庁を相手にすることが多い経済部の日頃の取材では聞くことがない話ばかりで驚いた。

 一軒家を利用した介護は、お泊りデイだけではない。愛知県の住宅街にある一戸建てを利用した無届けの有料老人ホームは、我々が取材を依頼すると表にあった立て看板を外してしまい、普通の家と見分けがつかなくなった。

 本来、有料老人ホームは行政に届け出なければならない。だが、届け出なくても実質的な有料老人ホームは運営できる。アパートのように賃貸する形で介護が必要な老人を住まわせ、各部屋に「訪問介護」のサービスをする。こうした「無届け有料老人ホーム」は一戸建てやマンションを利用して始めることができるため、どこにあるかの把握は困難だ。行政などの監視の目が届きにくい施設だが、やはり月に10万円はかかる。入居できるのは、それなりの収入や蓄えがある人たちだ。

 課題は老人の介護だけではない。我々は、支える側の取材もした。14年4月に8%に上がった消費税率はまだ上がり、介護、医療、年金の各保険料はこれからも上がり続ける。すでに老後はカネ次第の様相だが、将来の老人たちは目先の生活が精いっぱいで、貯蓄をする余裕がない人が増えている。

 国民健康保険には、正社員が入る協会けんぽや健康保険組合に入れない非正規労働者と失業者が多く、本来の加入者とされる自営業者は一部でしかない。収入が安定しない人たちは保険料を滞納することも増えている。自治体によっては、この人たちに厳しい差し押さえをしていた。中には子ども手当が支給された日に銀行預金を差し押さえたり、生命保険を差し押さえて解約すると通告したりする自治体がある。

 正社員なら、足の骨を折って手術をすれば、生活のことを心配せずに治療ができる。ところが、時給のパート労働者は「休むと収入が減る」と、前倒しで退院して働いていた。「保険料や税金を払うために働いているのではないかと思うことがあります」と話すのを聞いた記者は、返す言葉を失った。この人たちは老後に希望をもてるのだろうか。

 今後、年金で買えるものは減っていくばかりだ。基礎年金は、現在の物価で考えると月額4万円程度の価値しか持たなくなる。今でも基礎年金は生活保護よりも少ないため、年金をもらっていても生活保護を受ける人が多い。生活保護を受ける高齢者は増え続けている。

『下流老人』(朝日新書)を書いたNPO法人「ほっとプラス」の藤田孝典代表は「高齢者は海外旅行に出かけるなど恵まれている姿が描かれがちですが、それは一部の人です。生活に困っている人は声をあげられない。もっと現実を知ってもらいたい」と話す。我々の取材でも、すでに「地獄」のような生活を送っている老人は珍しくない。

 今後、少子高齢化が進むと、高齢者1人を支える現役世代の数は、今の半分程度まで減ると試算されている。放置すれば今以上に深刻になることは間違いない。この本は、「報われぬ国」の連載に大幅に加筆したり、新たに加えたりして作った。記者4人で始めたが、1年3カ月の連載期間中に19人の記者が参加して、日本中を歩き回ってルポをした。対策は難しいが、我々なりに模索もした。この本を読んで、高齢化社会の行く末を考えるきっかけにしてもらえたらありがたい。

松浦新
1962年名古屋市生まれ。1985年東北大学卒、NHK入局。89年朝日新聞入社。千葉支局、経済部、くらし編集部、週刊朝日、特別報道部などを経て、現在は経済部。連載「報われぬ国」は、2014年1月13日から15年3月30日まで、朝日新聞経済面を中心に掲載した。サブタイトルは「負担増の先に」。生田大介、伊藤弘毅、大野晴香、蔭西晴子、加藤裕則、上月英興、木村和規、北川慧一、座小田英史、佐藤秀男、大宮司聡、鳴澤大、西井泰之、平林大輔、本田靖明、松田史朗、村井七緒子、横枕嘉泰の計19人の記者が担当した。


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