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共有すること

文化とは
言葉やイメージや概念を共有することである

日々我々が接している言葉やイメージや概念は
大半が繰り返しである

繰り返しだから無駄でくだらないという考えもあるだろうが
文化とはそのようなものだ
広く共有されて陳腐化して文化となる

ファイル共有ソフトの問題があったが
「共有すること」は文化そのものであるから
それを問題視することはおかしな話だと思う
法律はそんなにまでして企業に奉仕したいのだろうか

問題を簡単に言えば著作権とその周辺権利の問題なのだろうが
著作権者には広めたい気持ちと報酬を得たい気持ちとが同居しているはずだろうと思う

面白いことものを見つけた場合、
そこに著作権が絡んでいないかどうかを確認して、
著作権フリーの場合だけ、友人に勧めて貸したりすることができる

著作権が設定されている場合は、友人に紹介するときに、
「これ、面白いから、買えばいいと思うよ、僕のは見せてあげられない」
と言うべきらしい

ーー
著作権による不自由が広まれば
著作権が切れた古いものが流通するようになるのかもしれない
私は古典が好きだから
古典をどんどん共有したいものだと思う
共有すれば、文化である

ーー
ソニーがiPodでアップルに負けた件に関しても、
ソニーは著作権保護に忠実で、使いにくい規格を押し付けようとしたからではないかと思う。
それは自社の保有するソフトの価値を守るという観点もあったと思うが
多分アメリカの著作権思想に対しての遠慮というか尊重があったのだと思う

ところがアップルは平気でmp3でコピーし放題にした
そして、そのようにしてもなお、人々は有料でダウンロードした

不思議な事ばかり起こるものである

ーー
局所的な共有が下位文化であるが
これが極端になると
一人だけ理解している特殊な世界になる

誰にも理解も共感もされない場合もあるが
共有の努力を最初から放棄している場合もある

場合もあるどころか、それは非常に多いと思う
新しい何かを提出して、それが共有されるに至るには、
ある種の既存のプラットフォームが有効であって
素直にそこに入門すればスムースに進むけれど、
そうでない場合には、アイディアがあっても、共有されずに放置されてしまう



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