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電気か命か 「東京の電気」と「福島の命」 「東京の命」と「東京の電気」 カントの話

電気よりも命が大事との言葉が出ているのだが
議論を正確にするには
「いつの誰の電気」と「いつの誰の命」と「誰にとって」どちらが大切かということだ

「誰の電気」と「誰の命」を比較しているのか

「東京の電気」と「福島の命」を比較すると、東京の人にとって、どちらが大事かという問題

「大飯原発周辺の命」と「大阪の電気と経済」は東京の人にとって、どちらが大事か

ーー
「東京の命」と「東京の電気」を比較していないでしょう、本当は

ーー
しかし、こうなってみると、
「絶対安全というなら、東京のど真ん中に原発を作ればいい」という意見も卓見である
それなら東京の命と東京の電気だ

原発を首相官邸の隣に作って
警備と管理を厳重にして、テロリストに備え、
万が一の時には対策本部を首相官邸に置けばいいのだから

千代田区や港区が地震で壊滅するときには
複合災害が起きるだろうから
放射能が飛び散っても相対的に小さな事件である
第一、放送局が全滅するので放送もない
NHKは渋谷だけれど、放送を発信する施設はまた別なので多分ダメ

霞が関の地下部分を繰り抜いて原発を作り、
更にその大深度地下に永久不滅の核廃棄物処理施設を作るのもいいだろう

ーー
いつか、誰か、うまいこと考えて、核廃棄物の核燃料化が実現すると予定して
核廃棄物は「資産」として計上されているらしい

核廃棄物がリサイクル利用できないとなればただのゴミで、
処理不可能なゴミ、つまり、廃棄にほぼ無限の経費と時間がかかるゴミになってしまい
これは電力会社と園周辺会社の株価に影響を与え
つまり国の経済に大きな損害を与える

この違いが重要で、「現在は無理」は共通なのだが
「将来はなんとかなる」と予定しているのが現在で
「将来も解決されないかもしれない」と冷静に予想すると、かなり大きな損失になるらしい

これって、「シュレディンガーの猫」みたいな感じで興味深い
本質的には全く違う心理的問題

ーー
ここまで分かり合えない問題だということが分かったので
いっそのこと、「原発あり日本」と「原発なし日本」に2分割して、
政府も国民も2つのセットにして
国民はそのどちらに住むかを自由に選択できるようにしたらいいだろう

高い電気代を払っても自然エネルギーで暮らしたいという人は「原発なし日本」に住めばいいし
原子力村の住民でいつづけたい人は「原発あり日本」に住めばいい

お互いに自分の意見に相手を従わせようとするのが間違いだろう
どんな音楽を聞くかくらいは自由なはずで
同様に
原発のない国に住んで、自然エネルギーで発電した電気を使い、海上風力発電の技術なんかを輸出したりすることもできるだろう、節電技術は進歩するだろう
自動車の排気ガス規制の時もそうだった
一時は気の遠くなるようなきつすぎる規制値だと思ったのが
むしろ日本の技術力を優位にしてくれた

原子力村の人たちが権力を行使してそれを阻止するというなら
ほんとうに独立国を作ってしまえばいいと思う

原発村の人たちに原発をやめなさいなんて言わないから
好きなだけやってくださったらいい
ただし自分たちの国で自分たちのお金で
人から税金を容赦なく集めて、自分たちの好きなものだけ作るというのは、いかにも、その人たちのやりそうなことだ

ーー
たとえば、学校でお金を一人2000円ずつ強制的に徴収して
(主観的には気持ち悪くて見たくもない)アメリカのホラー映画とかを見させられるのと似ている
余計なことするな
見たい人は自分で金を払って見ればいいでしょう?

ーーー
さて、追加で考えてみると、
私の電気よりも私の命が大事と考えたとして、
「私」の部分に「あなた」とか「国王」とか「賤民」とか自由に代入しても
なお妥当するように考えなさいとカントは言う

東京の電気が福島の命よりも大事
という場合
東京と福島を自由に入れ替えて代入しても妥当するように考えなさいというのが
カントの教えであった



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