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原発再開論議・政府や国会の事故調査委員会が事故原因の調査を終えていない段階で進められる再稼働

 「原子力安全委員長が事故から10日ほど後にテレビで会見したが、『今回の事故を起こさないための対応をしたら、天文学的な数字(の予算)がかかる』という、まるで『事故が起きても仕方がない』というような発言をしていた。ところが多くの人が警鐘を鳴らしていた。1つは2006年、原子力安全委員会・耐震指針検討分科委員で地震学者の石橋克彦氏が、『同分科会が耐震指針を変えない』との結論を出したことに対し、問題を指摘、辞任した。このことに関しては先月、原子力安全保安院が原子力安全委員会に対して『古い耐震指針であっても安全性に問題はないと表明するように』求めていたことが分かった。また、脱原発団体などの皆さんが質問しているが、2010年6月17日、福島第一原発2号機がメルトダウン寸前までいき、まるで今回の原発事故の予行演習をやったかのような状況が起きたこと。こういった点からも、人災であると言える」

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まるで地動説と天動説でガリレオ・ガリレイが「それでも地球は動いている」とつぶやいたような情景である。

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総理大臣も原発再開を決定し、地元自治体も賛成した。
しかしその際の原発の安全性とリスクに関して、選挙で選ばれた人が決められる種類のことなのだろうか。
「安全だと考えられる」と判断するには専門の勉強が必要で、多分一生かかるので、まあ、ガリレオみたいな人に参考意見を聞くことになる。
しかしその専門意見を聞いて理解するところまで勉強するのもなかなか大変だろうと思う。

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政策決定にもいくつかあって、例えば、ある公園の一角が暗くて不安だから街灯を2つくらい増やして欲しいという話なら、予算と効果の判定は、一般常識の範囲内でOKだと思う。
税金をどのくらいにしたらいいのかについては、意見を聞かれる専門家も困るだろうが、テクニカルなことと言うよりは政策決定そのものである。

しかし現状で原発再稼働がよいことなのかどうかについては、原発の安全性がたとえば過去20年の経験の範囲で安全だと考えるとして、これからは過去20年とは違うという指摘が各所からあがっている状況である。大地震の可能性が高い、火山噴火の可能性が高い、地下の断層の問題がある、などなど、これまでの20年間とは違う環境であると言われている。

そのような事態の中で、現在の原発を稼働させ続けた場合に、どのような危険があるのか、どのような対策が必要なのか、可能なのか、それは専門家の意見を聞かないとどうしようもないだろう。
しかしその専門家の意見が集約されて出る前に結論が出てしまった。

電気が止まること、電気料金が高くなることに比較したら、原発再開したほうがいいという判断のもとにあるものが、掘り下げが不足のような気がする。

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その上で、原発専門家、地震専門家の発言は、未来のことだし複雑なことなので、はっきり結論なんか出せない、というのが本当のところだろう。
安全だと言い切るなんて、はしゃぎすぎとしか思えない。

よくわからないけれどもどっちかに決めないといけない、科学的根拠は両論あってよく分からない、しかし原発はそこにあって、原発職員もいて、止めるなら止める出処置が必要で、廃炉にするとしても、放射性物質の最終処理の問題とかもあり、やめるといっても問題はズルズルと続く。発電を停止していれば安全というものではない。運転停止していてもそこに大地震とかがあれば核物質の拡散などの事態は可能性がないわけではないのではないかと想像する。

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地元町長が再開容認を発表というのだが、そのような立場の人が、何を、何を根拠にして、決定したものか、よく理解できないのが本当のところだ。

 

 



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